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2018年6月 1日 (金)

川瀬武夫(1976).「Connotationにかんする基礎理論素描」を読む(『フランス語学研究』)

connotationという概念について、Hjelmslevに立ち返ってその特性が議論されています。

 

川瀬武夫(1976).「Connotationにかんする基礎理論素描」.『フランス語学研究』,10 (1)16-31

 

概要

著者は、Hjelmslevの議論に立ち返り、de Saussuresignifiantsignifiéexpressioncontenuと言い換えます。そして、expressioncontenuそれぞれをformesubstanceに分け、dénotationという現象はexpressionformecontenuformeの関係であることを示します。その上で、connotationとはexpressionsubstanceに関わるタイプとcontenusubstanceに関わるタイプがあることを明らかにします。

 

まず、expressionsubstanceに関わるconnotationとは、ことばの抑揚やアクセント、その音楽的響きに対して生じる表意作用となります。著者は次のように述べています。

 

SAUSSUREのいうsignifiantにあたるexpressionformeなるものは、négativeで示差的な価値しかもたない弁別的単位であって、この単位が実際の言行為において顕現されうるには、positiveな具体的資料つまりexpressionsubstanceによって化肉されねばならない。すなわち、formesubstanceの媒介によってはじめて実現されることになる。が同時に、このformesubstanceの媒介による具体化の過程において、expressionsubstanceが独自の表意作用をまとってしまうことがある。というよりも、潜在的には、expressionsubstanceはつねに何らかの表意作用を独自に機能しうる。これこそconnotation1とわれわれが呼んだ現象の本質なのである。」(p. 26

 

「ある言語形式をどのような音調で発音しても、どのような書記手段で書き表そうとも、その言語学的同一性には何ら関与することはない。しかし、その同一性をまたぎ越して、それらのmatérielle= substantielle)な差異がわれわれの意識のうちに踏み込んでくるとき、connotation1がその表意機能をはたらかせているのである。」(p. 26

 

またcontenusubstanceに関わるconnotationとは、「しかじかの語の内容がひきおこす各個人の生体験の差異が、一時的な表意作用のうえにつけ加えている諸々の微妙なニュアンス」(p. 27)と規定されています。著者はさらに次のように述べています。

 

「言語というものが、各個人の無限に多様な生体験のsubstanceを、均質で等価な諸単位として区切っていく一方で、各個人にとっての “réalitéはそれぞれに固有の濃淡をもってあらわれるものであるから、そこに大きなギャップが生ずるのは当然である。connotation2とはまさしく、この制度としての言語のformeと、それを用いる言語共同体の各構成員の生体験のsubstanceとの間のギャップに起因するものに他ならないであろう。仮に、connotation1を言語形式に対する言行為による付加分とするならば、connotation2は言行為に荷わされた言語形式からの余剰分と呼んでみてもよいかもしれない。connotation2とは、formeによって覆いつくせなかったsubstanceの余剰分を、人間が意識的にせよ無意識的にせよ、認識というまなざしで把えようとするときにあらわれる二次的な認識なのであるが、それを言語の表意作用という視点から眺めるならば、dénotativeformeの表意作用の外に、いまひとつのconnotativesubstanceの表意作用が機能しているようにみえるのである。」(pp. 27-28

 

現在では、この論文で言うところのconnotation2のみがconnotationとして取り上げられ、connotation1は忘れ去られがちかパラ言語学の領域で取り上げられることが多いように思えます。原典に戻るという行為の大切さを考えさせられました。

 

なお、文学理論では、BarthesHjelmslevの概念を発達させて、二次的表意体系としてconnotationを規定したことがよく知られています。しかしながら、Barthesはあくまでもde Saussureの考え方とHjelmslevの考え方を同一視してしまい、Hjelmslevformesubstanceという区分を見落としているという問題点も指摘されていました(p. 30)。確かにその通りだと思います。

さらに、connotationを単なる個別的・一回的な表意作用としてだけで規定するのには問題があり、文学作品を分析する際などには「共同主観的な価値にまで高まったconnotationを想定してみるひつようがでてくる」(p. 31)とも指摘されています。現在のconnotationの概念は、おおむねこの方向で発展していると思われます。


また、connotationについては田島節夫氏が現象学の立場から類似した議論を提出しているそうで、「connotationとはE. HUSSERLのいう物のもつ地平構造から生ずるもの、すなわち非言語的な物に固有な表意作用である」(p. 31)とまとめられていました。

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