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2018年5月15日 (火)

Y.トゥイニャーノフ(1979).「文学的事実―ヴィクトル・シクロフスキイに捧ぐ」を読む(斎藤俊雄(訳)、『早稲田文学第8次』)

ロシア・フォルマリズムの論文です。文学史とは何かという観点から、文学の定義、文学というジャンルの可変性について簡潔にまとめられています。なお、副題に「シクロフスキイに捧ぐ」とありますが、シクロフスキイ流の逸脱という観点からの文学性の定義では不十分であるということを指摘しようとしているのかもしれません。

 

トゥイニャーノフ,Y.(1979).「文学的事実―ヴィクトル・シクロフスキイに捧ぐ」(斎藤俊雄(約)).『早稲田文学第8次』,3338-46

 

概要

ここでは私個人が重要と感じた指摘を挙げておきます。

 

(1) 文学の変化とは、「規則正しい発展ではなく、飛躍、発達ではなく転位なのだ」(p. 38)。その変化は決して平和な継承、系統的な発展現象ではない。闘争と交代が原則である(p. 40)。

(2) 文学の変化に関する文学的事実を鑑みるに、文学の定義(特に静的な定義)は不可能である(p. 39

(3) 「あるジャンルの崩壊期に、そのジャンルは中心から周辺へと移る。そして新しい現象が文学の枝葉の人目につかぬ低地から、中心へと入り込む」(p. 39

(4) 「新しい構成の全核心は、古い諸手法の新しい使い方、新しい構成的意義のうちにある」(p. 40

(5) 文学的個性の問題を作家の個性ですり替えるのは間違いである(p. 41

(6) 文学とはその変化の中で定義されなければならず、「文学は、まさに構成として感知されることばの構成である。すなわち、文学はダイナミックなことばの構成である。」(p. 41

(7) 「≪新しい形式≫の全核心は新しい構成原理のうちに、構成要因とそれに服する要因(素材)の関係を新しく活用することのうちにある」(p. 42

(8) 「文学的発展を分析する際、次の諸段階に直面する。一、自動化した構成原理に対して、弁証法的に反対の構成原理が芽生える。二、その応用が進む。構成原理は最も容易な応用を求める。三、その構成原理が最大量の現象に広まる。四、自動化し、(また)反対の構成原理を呼び起こす。」(p. 42

(9) 反対の構成原理は、偶然の結果、偶然の脱落・間違いから現れる(p. 42

(10) 「芸術において基本的、中心的構成原理が発達していくとき、新しい構成原理は≪新しい≫、新鮮な、≪自分のものでない≫現象を求める。崩壊した構成原理と結びついた古い、普通の現象はそのようなものにはなりえない。(改行)そして新しい構成原理が新鮮で、近しい生活現象へと及んでゆく。」(p. 43)→この論文では手紙という構成原理が文学の中に取り込まれていく過程が示されています。

(11) 「確固とした文学の定義を築いた文学史家や文学理論家達が、生活から浮上しては再び生活の中へと沈潜してゆく文学的事実の巨大な意義を見落とした」(p. 44

(12) 「ある何らかの領域で遂行される構成原理は、可能なかぎりより広い領域へと広がり拡大される傾向がある。…だから韻律を持った散文が書かれる時期と、散文に対して詩が優勢な時期が一致している。自由詩の発達は、韻律の持つ構成上の意義が、可能なかぎり広い現象系列に行きわたるほど十分深く認識されたことを証明している。」(p. 45

(13) 「構成原理はそれにとっての通常の限度を超えようとする。というのは、通常の現象の枠内に留っていたのではすぐに自動化してしまうからである。詩人のテーマの交代もこのことによって説明される。」(p. 45

(14) 「現在、この構成原理は生活の中へ下降している。新聞や雑誌は長年存在しているが、それらは生活の事実としての存在だった。現在、独特な文学作品、構成としての新聞、雑誌、文集に興味が高まっている。」(p. 45

(15) 「私が語った≪構成原理と素材の結合≫は無限に多様であり、全体として様々な形式の中に実現される。けれども、どの文学潮流にも歴史的に一般化されるとき、単純で簡単なものへ還元されるときが必ずくる。(改行)亜流的模倣の現象がそのようなものであり、主要な潮流の交代を早める。ここでも、この交代の中に、様々な規模、様々な深さの変革がある。家庭的な変革があり、≪政治的≫な変革があり、≪社会的≫な種類の変革がある。そしてそのような変革は普通、≪文学≫に固有の領域を突破し、生活の領域へと広がる。(改行)この文学的事実の種々の成分は≪文学≫について語られるそのたびごとに考慮されていなければならない。(改行)文学的事実は多成分から成り、この意味で文学は〔非〕断続的に発展してゆく系列である。(改行)文学理論の用語はみな具体的な事実の具体的な帰結でなければならない。形而上学的美学の文学外、超文学的高みから出発して、無理に用語に≪見合った≫現象を≪選択≫してはならない。用語は具体的であらねばならず、文学的事実自体が発展してゆくように、定義も発展していくのである。」(p. 46

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