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2018年5月25日 (金)

土屋結城・伊澤高志(2015).「文学という行為と英語教育」を読む(『実践英文学』)

お世話になっている先生が執筆された論文です。引用していただきありがとうございました。英語教育学をバックグランドとしている私ではなかなか思いつかない角度からの論考で、大変参考になりました。日本英文学会または英文学者ならではの英語教育研究の形が模索されています。
 
土屋結城・伊澤高志(2015).「文学という行為と英語教育」.『実践英文学』,67,1-16.
 
概要
この論文では、日本英文学会で行われた英語教育研究の特徴が考察され、日本英文学会独自の視点からの英語教育研究が模索されています。著者らはNew Horizonから1つのユニットを取り上げ、精読を行っています。そして、「コミュニケーション能力向上を目的としているようで実はコミュニケーションが抑圧されているという矛盾」(p. 12)(著者らはこれを「ポスト・フォーディズムに内在する矛盾」(p. 12)と指摘しています)が教材の中に現れていること、そしてコミュニケーションが抑圧されている人物にこそ共感を感じてしまうという私たちの特性、が指摘されています。そして、日本英文学会独自の英語教育との関り方の一例として、「ポスト・フォーディズム下の現在の日本でコミュニケーション能力育成を教育の目的に据えることが可能/妥当なのか」(p. 13)という検討などが挙げられていました。大変面白く読ませてもらいました。

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