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2015年11月26日 (木)

B.Tillmann&W.J.Dowling(2007).「Memory Decreases for Prose, But Not for Poetry」を読む(『Memory & Cognition』)

4つの実験を通して、詩と散文で文章の表層記憶の保持がどのように異なるのかが調査されています。L1での研究です。うち3つの実験ではリスニングで、4つ目の実験ではリーディング(画面上でのリーディング)でこのことが調査されています。詩では、A. E. Housman (1963) の作品とO. Williams (1947) 詩集のE. Fitzgeraldによる英訳が使用されています。散文では、『平家物語』の英訳が用いられています。なお、詩を選択する際の基準として、愛や死、人間の境遇など調査参加者が楽しめるものかどうかということが重視されています。文学の経験的研究の成果とも合致する研究結果が得られています。

Tillmann, B., & Dowling, W. J. (2007). Memory decreases for prose, but not for poetry. Memory & Cognition, 35 (4), 628-639.

概要

これまで、一般的な文章読解では表層記憶はすぐに失われるのに対して、音楽ではその記憶は保持され、かつ時間が経つにつれて改善されていくということが示されています。著者は、音楽同様にリズム等を持つ詩の処理では表層記憶の保持はどうなるのか調査しています。調査方法の詳細は割愛しますが、ターゲットの行を読んでから数行後(直後及び最大30秒程度後)に文が提示され、読んだ行と同じかどうか答えるという課題によって調査がされています。オリジナルの刺激が、意味を変えずに表層構造を変えた刺激と正しく判別されるかどうかという点から検討がなされています。

調査の結果、散文では表層記憶がすぐに喪失されるのに対して、詩では表層記憶は保持されるという結果が得られました。この結果を引き起こした原因として、著者は2つのジャンルでの表層情報の重要性が異なるためではないかと述べています。また、散文では情報のまとまりが比較的分かりやすいため、ある一定の情報のまとまりが心的に構成された段階でその表層情報は忘却しても何ら問題がありません。それに対して、詩ではそのような情報のまとまりが分かりづらく、そのまとまりを心的に構成する上で表層情報を保持しておく必要があるというGernsbacher (1985) の仮説も紹介されていました。

さらに、詩では時間の経過とともに課題の正答率が上がった(つまり表層記憶が精緻化されていった)という結果も得られています。このことに関しては、リズムや脚韻がテクスト全体の構造を把握する上での有益な手がかりとなっているからではないかとしています。この現象は、Gerbsbacher (1985) と同様な観点から説明しようとしているKroll et al. (1996) の考えが紹介されています(内容はGernsbacher (1985) の仮説とほぼ同じですので、割愛します)。

また、今回の結果から、詩の処理は音楽の処理と平行しており、特にリズムや脚韻が表層記憶に影響を与えているかもしれないということが指摘されていました。著者らは次のように述べています。

"The parallel in memory performance over time between poetry and music (in contrast to prose) suggests that rhythmic structures and temporal organization are relevant features operating across material type (verbal vs. noverbal). Notably, these features help to keep memory traces precise and may even increase their strength over time." (p. 638)

さらに、今後の研究課題として、詩と音楽が歌の中で結び付けられると表層情報の保持が更に促されるか、という点が挙げられていました。

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2015年11月11日 (水)

林栄一・小泉保(編).(1988).『言語学の潮流』(第7章:「その他の諸研究:Ⅰ:言語理論」)を読む(勁草書房)

タグミーミックス、成層文法、選択体系機能文法、モンタギュー文法についてそれぞれ要点が簡潔に説明されています。それぞれ別の著者により解説されています。

近藤達夫(1988).「文法素論」.In林栄一・小泉保(編),『言語学の潮流』(pp. 191-199).勁草書房.

タグミーミックスの基本的なスタンスが簡潔にまとめられています。

近藤達夫(1988).「成層文法」.In林栄一・小泉保(編),『言語学の潮流』(pp. 200-208).勁草書房.

私が知る限り、日本語の文献では成層文法に関して最も詳しい記述がされていると思います。

児玉徳美(1988).「体系文法」.In林栄一・小泉保(編),『言語学の潮流』(pp. 209-221).勁草書房.

選択体系機能文法の概要がまとめられています。この理論はかつては「尺度と範疇の文法」(scale-and-category grammar)と呼ばれていましたが、この考えのどのような点に問題があり、その後どのようにして「体系」を中心とした理論へと移行していったのかが分かりやすくまとめられています。

杉本孝司(1988).「モンタギュー文法」.In林栄一・小泉保(編),『言語学の潮流』(pp. 222-241).勁草書房.

著者はまず形式意味論の3つの基本的な柱として、真理条件意味論、モデル理論意味論、可能世界意味論を説明します(いずれも簡潔かつ分かりやすい説明がされています)。次に、モンタギュー文法(MG)の中で最も親しまれているPTQモデルの概略を説明していきます。このモデルにおいては、内包論理が不可欠となります。著者はモンタギュー文法における自然言語の意味解釈へのアプローチについて次のように説明しています。

「自然言語の意味解釈は英語なら英語という言語を直接意味解釈してやればよいわけであるが、意味的には重要でない統語的・形態的煩雑さを避ける意味もあって、自然言語を一旦その意味的・論理的特徴がよく知られた人工言語へ翻訳し、この人工言語の意味解釈を行うことによって、間接的に自然言語の意味解釈を行うという手法がPTQモデルでは採用されている。この時用いられている人工言語が内包論理という次第である。もとより内包論理自体は自然言語の意味解釈に何ら本質的なものではあり得ないが、自然言語の論理的特徴を明示的に示し得るレベルを提供してくれることもありPTQモデルをはじめ他の多くのMG的アプローチで採用されている一種の仲介言語であるともいえる。」(pp. 226-227)

著者は上記の意味解釈プロセスを分かりやすく図式化しています(p. 227)。そして、内包論理及び内包論理への翻訳を説明しています。なお、内容論理へ翻訳する際に、時として自然言語の用法と矛盾する意味解釈が与えられてしまうことがあるそうです。そこで、モンタギュー文法では、実際の自然言語の用法に合致するように意味解釈に制約を課す意味公準が設けられているとのことでした。

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S. Izumi(2013).「Noticing and L2 Development: Theoretical, Empirical, and Pedagogical Issues」を読む(J.M.Bergsleithner,S.N.Frota,&J.K.Yoshioka(編),『Noticing and Second Language Acquisition』,NFLRC)

SLAでは、Schmidtのnoticing hypothesisを発端として、様々な形のnoticingが議論されてきました。著者はこれらの異なるタイプのnoticingを整理し、それぞれがSLAのプロセスにどのように関連するのかを整理しています。また、これまでSLAで議論されてきたL2発達パターンとnoticingはどのように関係しているのかという点も考察されています。

Izumi, S. (2013). Noticing and L2 development: Theoretical, empirical, and pedagogical issues. In J. M. Bergsleithner, S. N. Frota, & J. K. Yoshioka (Eds.), Noticing and second language acquisition: Studies in honor of Richard Schmidt (pp. 25-38). Honolulu, HI: University of Hawai'i, National Foreign Language Resource Center.

概要

Schmidtによるnoticing hypothesisの概要は以下のようなものでした。

"that more noticing leads to more learning and that noticing, therefore, is at least facilitative, if not necessary and sufficient, for L2 learning." (p. 26)

著者はこれまでに以下のようなnoticingが提案されてきたとしています。

  1. noticing a form(-meaning-function) relationship
  2. noticing the gap between IL and TL: "the gap here refers to the difference between how the learner uses a language form and how a more proficient user uses it to convey the same idea" (p. 27)
  3. noticing holes in IL
  4. noticing the gap in one's ability: "the idea of noticing the gap between what one wants to say and what one can actually say using one's current IL repertoire" (p. 28)

上記2点目のnoticingに関しては、"For learners who do not posess any knowledge of the form, noticing form may take place initially. For learners who have some knowledge of the form, they may go on to notice the gap between their version and the use of the form in the surrounding input. Noticing the gap, therefore, entails noticing the form and may thus be considered a more advanced process than simple noticing of the form." (pp. 27-28) と述べています。

上記3点目のnoticingに関しては、"the learner in this case notices the absence of a form in his/her IL, not the presence of it in the target language (TL) input. Such noticing, by itself, does not promote language acquisition, but it can prompt the lerner to search for what is missing when receiving input, and this is expected to promote noticing the form. This idea, known as the noticing function of output, posits that the need to produce output triggers noticing in ways that a simple requirement for general comprehension of the input would not. Swain (1998) argues that noticing a hole may be a prerequisite to noticing a form. Some empirical support to this hypothesis was provided..." (p. 28)

上記4点目のnoticingは、学習者の中で生起します。2つ目のnoticingが発話を行った後に生起するのに対して、このnoticingは発話産出プロセスの最中に生起します。また、3つ目のnoticingでは学習者は中間言語内で特定の形式が完全に欠けていることへ気づくことになりますが、このnoticingでは学習者はある程度表現はできるものの望んでいるほど正確にはできないという状況に対して生起します。

以上の4つのnoticingをまとめる形で、著者は次のように述べています。

"Going along with the time course of the production and interaction processes involved, the former two types of noticing may predispose the lerners to experience the latter two types of noticing, which then is expected to drive their IL development forward. It may be hypothesized that noticing a hole is closely related to noticing a form, and that noticing the gap in one's ability is closely related to noticing the gap between IL and TL." (p. 29)

そして、SLAプロセス全体(input、intake、interlanguage、outputから構成される、いわゆるinformation processing modelがベースとなっています)においてこれらのnoticingがそれぞれどのように関わるのか図式化されています(p. 29)。非常に重要な図であると思われます。この図表にはここで議論された4つのnoticingに加えて、focused attention、hypothesis-testing、metalinguistic reflection、external factors、internal factorsも考慮されています。

次に、noticingはSLAでよく議論されるL2発達に関するパターンとどのように関わるのか、U字型発達曲線と発達の順序(developmental sequence)を例に議論がされています。U字型発達に関しては、規則過去、名詞の複数形、仮定形、動詞の他動性、受身などで観察されます。著者は、noticingとの関わりについて次のように述べています。

"It is hypothesized that noticing plays a vital role in some stages but not in all. Noticing, in other words, may play a key role in the first stage when learners notice the form and make the intial form-meaning mapping. However, noticing presumably has little role to play in stage 2, where learners are driven more by their internal forces (e.g., L1, internal analysis, need to impose regularity, developmental constraints) at the expense of input evidence. It is especially at this point that "learners build mental representations that are rather different from what the input in their surrounding environment looks like" (Ortega, 2009a, p. 82). And then once again, noticing may play a role to move the learners to stage 3, this time arguaby in the form of noticing the gap between their IL and the TL. Noticing of different types, therefore, may be operative at different stages of IL development." (p. 33)

発達の順序に関しては、疑問文の発達順序を元に議論がされています。著者は、noticingとの関わりについて次のように述べています。

"noticing does seem to play a crucial role in enabling learners to move along these stages, even though it alone may not be powerful enough to permit skipping of the stages. The same line of argument may also apply to other stages too, in that for each stage, learners have to notice in the input how questions of different types are formed, for example, by noticing the co-occurrence of wh-fronting and subject-verb inversion for stage 5 and the cancelation of inversion in embedded questions in stage 6." (pp. 34-35)

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2015年11月10日 (火)

R.P.Leow(2013).「Schmidt's Noticing Hypothesis: More Than Two Dacades After」を読む(J.M.Bergsleithner,S.N.Frota,&J.K.Yoshioka(編),『Noticing and Second Language Acquisition』,NFLRC)

著者は、noticing hypothesisについて次のようにまとめています。

"Schmidt's (1990) seminal article on his noticing hypothesis brought into the SLA field a theoretical postulation that the roles of attention and awareness were isomorphic (two sides of the same coin) and crucial in any L2 development, and more specifically, during the early stage of the learning process, namely, the input-to-intake stage." (p. 20)

この論文では、Schmidtによって提案されたnoticingという概念をめぐって、時代ごとにSLAの領域でどのような議論がなされてきたのかが整理されています。

Leow, R. P. (2013). Schmidt's noticing hypothesis: More than two dacades after. In J. M. Bergsleithner, S. N. Frota, & J. K. Yoshioka (Eds.), Noticing and second language acquisition: Studies in honor of Richard Schmidt (pp. 11-23). Honolulu, HI: University of Hawai'i, National Foreign Language Resource Center.

概要

この論文では以下の事柄が述べられています。

(A) 最初の10年(1990-1999)

(B) 次の10年(2000-2009)

(C) 2010-2012年

(D) まとめ

●最初の10年(1990-1999)

当初、Schmidt (1990) は、perception、noticing、understandingという3つのレベルのconsciousnessを想定していました(ただし、perceptionについてはその後議論を深めることはしていません)。そして、それらのうち、noticingはintakeやitem learningを引き起こすものとみなされ、understandingはrestructuringやsystem learningを促すと考えられていました。noticingに関しては、当初は "the necessary and sufficient condition for the conversion of input into intake" (Schmidt, 1993, p. 209) とされていましたが、後に "more noticing leads to more learning" (Schmidt, 1994, p. 129) という形に主張が弱められています。著者は、この仮説のポイントとして以下の4点を挙げています (p. 13)。

  1. the relatively strong argument that intake does not take place without some level of awareness associated with such a process at the preliminary stage of learning;
  2. the claim that what is noticed becomes intake (and is available to be processed further or internalized);
  3. the claim that more noticing leads to more learning;
  4. the claim that while not necessary for subsequent processing of the input, there is also a higher level of awareness involved during the learning process

また、この時期はnoticingの概念を操作化し、off-line/non-concurrent approachによって測定しようと試みられました。pre-test-experimental exposure-post-testという形での調査が多くなされたとのことです。このような中で、Tomlin and Villa (1994) は、attentionをalertness (an overall readiness to deal with incoming stimuli)、orientation (the direction of attentional resources to a certain type of stimuli)、detection (the cognitive registration of stimuli) に分け、言語学習にとってはdetectionのみが必須であるというモデルを提示しました(なお、他の2つはdetectionを引き起こしやすくするという役割が認められています)。attentionという概念はSchmidtの仮説においても重要でしたが、awarenessの有無ということに関して、両研究は立場を異にすることになりました。

なお、この10年間の後半(1995-1999)では、online/concurrent approachでnoticingの測定が目指される形に変わりました。具体的には発話思考法が取られたり、トライアンギュレーションによる調査法が行われることとなりました。

著者は、この時期の研究を振り返り、attentionの重要性は研究者間で意見の一致を見ているものの、awarenessの必要性については意見が割れていると述べています。また、awarenessの構造を明らかにしようとする実証的な研究も行われ、Schmidt (1990) が当初提案したnoticingとunderstandingに加えてさらなる階層に分けることも可能ではないかとする結果が得られているとのことです。

●次の10年(2000-2009)

この時期は、言語習得にとってawarenessが必要かどうかという点で研究者の意見が大きく割れました。Leowのようにawarenessは必要であるとする研究結果が示される一方で、Williamsは言語習得はunawareな状態で進むという結果を示しています。また、発話思考法をnoticingに関する調査で使用する際に、学習者の認知処理に影響を与えないかどうか(そのreactivity)が検討され、影響はないとする結果が得られたと述べられています。さらに、研究方法の精錬が進み、統制群を使用して発話思考法を行うといった形式が確立されることになったとのことです。

●2010-2012年

この時期には、Williamsらの調査の追調査が行われています。著者によると、この追調査では、Willamsらによってもたらされたのと同じ研究結果を得ることができず、むしろawarenessが必要であるとする結果が出ているとのことでした。

●まとめ

著者は、理論面、調査方法面、用語面からSchmidtのnoticing hypothesisを評価しています。

ます、理論という観点からは、Schmidtによるnoticingという概念は極めて粗いものであると述べます。そして、おそらくnoticingにはより高次の認知負荷や認知処理が関わっている可能性があると指摘します。また、noticingによって生じたintakeがちゃんと処理されて内的システムの中に内在化するという証拠は得られていません。同時に、intakeという概念自体も不明確であり、さらなる精練が必要です。最近の研究によると、inputに注意を払う際の認知的負荷に応じて異なるレベルのintakeが存在する可能性が示唆されているとのことです。

調査方法面の観点からは、noticingという概念ではattentionとawarenessが密接に結びついているという点を中心に考察されています。調査においては、これらはnoticingの2つの異なる段階として操作化し、attentionはアイトラッキングと指摘再生法でオンラインで、awarenessは刺激再生法でオフラインで調査し、noticingと言語習得の関係を包括的に研究していく必要があるのではないかと述べています。

用語面では、もともとnoticing hypothesisは学習プロセスの中でinputからいかにintakeを生み出すかということに特化したものでした。しかしながら、頻繁に誤解がなされ、intakeの取り込みや産出段階と関係づけられることもしばしばでした。著者によると、このような誤解はSchmidt自身にによって引き起こされたことは否めないとしています。現に、Schmidtは自身の論文の中でinput-to-intake stage以降のことに言及をしています("more noticing leads to more learning" (Schmidt, 1994, p. 129)、"the registration of the occurrence of a stimulus event in conscious awareness and its subsequent storage in long-term memory" (Schmidt, 1994, p. 166))。

noticing hypotehsisについて研究する人にとっては、この論文は必読と言えるでしょう。

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2015年11月 9日 (月)

梅田紘子(2009).「イェスペルセン:その生涯と女性語」を読む(『日欧比較文化研究』)

Jespersenの生涯についてまとめた後、Lakoff (1975) などで引用されるイェスペルセンの女性語に関する考えが整理されています。

梅田紘子(2009).「イェスペルセン:その生涯と女性語」.『日欧比較文化研究』,11,9-25.

概要

著者は、まずJespersenが典型的な絶対性差の言語の例として挙げているカリブ・インディアンの言語を紹介しています。

「カリブ族は先住民のアラワク族を征服したとき、アラワク族の男性は殺したが、女性は殺さないで、妻や奴隷にした。アラワク族の女性は自分たちの言語を使い続け、男の子は思春期になると、カリブ語を覚えたという。このような社会は、男女の分業から成り立っており、一日の大半を同性で過ごすので、言語の絶対性差が保持されるのであろう。」(p. 9)

次に、Jespersenの生涯がまとめられています。彼は育った家庭環境からもともと法学を専攻していたそうですが、あまり関心はなく、言語に興味を抱いていたとのことでした。この記事では省略しますが、このあたりのことについて本論文ではかなり詳しく記述されています。

女性語に関しては、著者はまずLakoff (1974, 2004)、Frank & Anshen (1983)、Spender (1985) によるJespersen批判を紹介します(その中でLakoffの批判は的外れであると述べられていました)。

次に、Jespersenの女性語に関する考えが整理されています。まず、新語を作るのが男か女かは言語によって異なるという考えが整理されています。キケロやエドワーズが女性語の保守的側面を指摘する一方で、ボトクード人女性や日本人女性には言語に関して革新的な側面があることが指摘されています。

また、音声・音韻、タブー、語の選択、副詞、統語論の見出しに分けて、Jespersenの女性語に関する考え方が整理されています。著者は、これらの中から欧米語に限った指摘を最後に列挙しています(pp. 23-24)(欧米語以外の例については本論文を直接参照ください。タブーなどについてはかなり興味深い例が示されています)。

  1. 女性は元来多くの人と接することがないので、古い言語を守る。
  2. 英国南部ではwhの綴りを/hw/と発音するのは女学校だけになってきた、すなわち女性の方が、保守的である。
  3. 16世紀の英国、18世紀のフランスでは女性の方が男性よりも音変化を好んだ。
  4. 脚韻・頭韻を使用するのは男性の方である。男性は科学的な音響的性質に興味を持っている。
  5. 17世紀のフランスの才女は婉曲表現を好んだが、若者が好んでいるわけではない。新しい生々とした表現法を好む男子が言語の革新者といえる。
  6. 女性は強調の副詞の適用範囲を拡げて使用することを好むが、イェスペルセンはこれに反対している。
  7. 女性は強調の副詞so(非常に)をよく使用し、十分考えないうちに話し始め、全部言い終わらないうちに止める。さらに、感嘆文も途中で止める傾向がある。男性は複文を使うが、女性は等位構造文を好む。

著者は、Jespersenの女性語に関する論考は女性蔑視とみなされても仕方がない面が多いとしながらも、このような考えはJespersen個人のものというよりは19世紀の西欧社会全体の風潮に由来すると考えるべきであると指摘しています。

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2015年11月 5日 (木)

高嶋稔(1970).「構造言語学と成層文法」を読む(『人文研究』(小樽商科大学))

新ブルームフィールド学派の考えと成層文法の関係性が議論されています。

高嶋稔(1970).「構造言語学と成層文法」.『人文研究』(小樽商科大学),40,59-72.

概要

LambとHockettはお互いに批判し合っていますが、それでも両者には強い関係性があり、Hockettの考えは成層文法の発展に大きく寄与していると著者は指摘します(p. 71)。

著者は、以下の点で、新ブルームフィールド学派は成層文法に影響を与えていると指摘しています。

  1. 新ブルームフィールド学派における音素と形態素の関係
  2. 新ブルームフィールド学派における言語モデルの行き詰まり
  3. HockettによるPortmanteau morphとEmpty morph
  4. Hockettによる慣用句の問題の検討

著者は、上記1点目に関して、成層文法はこの考えを出発点として成層の区分を発展させたと述べます。p. 66には、新ブルームフィールド学派の層の用語と成層文法の成層に関する用語の対応表が記載されています。

上記2点目に関しては、新ブルームフィールド学派の研究では言語を加算方式モデルまたは過程方式モデルとして捉えようとしましたが、行き詰まりました。そこで成層文法は、新しいモデルを生み出すことはせずに、言語内では各要素が必ず何らかの形で他の要素と関係を持ってつながっているという考え(「関係」という観点からの言語へのアプローチ)を前面に押し出しました。

上記3点目については、これらの概念を参考にして、LambはPortemanteau realization、Empty realizationという概念を生み出したとしています。

上記4点目については、Hockettは慣用句の問題を検討するためには形態素とは別のもっと上のレベルで考えることが必要だと述べました。この考えを発展させる形で、LambはHypersememicという層を生み出すことになったのではないかと著者は指摘しています。

なお、成層文法に関する日本語の文献は非常に少ないですが、私が知る限り、最も詳しい記述は、以下の文献の(第7章「その他の諸研究」のI-2)にあるかと思います。

林栄一・小泉保(編).(1988).『言語学の潮流』.勁草書房.

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木下浩利(1968).「成層について―成層文法序説―」を読む(『西南学院大学英語英文学論集』)

成層文法の考えを紹介する論文です。成層文法に関する日本語の文献はあまりないため、貴重な論文です。かなり詳しく具体的な説明がなされていると思います。

木下浩利(1968).「成層について―成層文法序説―」.『西南学院大学英語英文学論集』,8 (2),85-103.

概要

著者は、成層文法が近寄りがたい理由として以下の点を挙げています。

  1. Lambは入手しにくい雑誌に論文を発表している
  2. Lambは、アメリカ構造言語学、言理学、プラーグ学派、選択体系機能文法、生成文法の説を取り入れており、その背景が非常に広い
  3. Lambの理論は、音声学、音韻論、形態論、統語論、意味論にわたっており、これらを1つの体系に収めようとしているため、かなりの専門的知識が必要となる
  4. 成層文法自体がまだ十分に固まっていない

次に、Lambの理論の特色が指摘されます。Hockettの理論にかなり負っているようですが、従来よりも多くの成層を認め、成層組織について精密な規定を与えたとしています(p. 87)。著者は、新ブルームフィールド学派による成層の考え方をレビューしながら、Lambの成層の規定がいかに複雑なものであるか説明しています。ただし、Lambは成層組織の区分及び用語に関してたびたび考えを変えており、注意が必要です。著者は成層組織の区分の変遷を一覧にまとめています(p. 97)。

また、Lambは各成層で、上位の単位と下位の単位の結びつき方を規定しており、その関係が1対1にならない場合として、以下の6つを挙げています(詳細はこの論文を直接参照ください。例と共に分かりやすい説明がなされています。)

  1. 多様化
  2. 中和
  3. 複合実現
  4. 折衷実現
  5. ゼロ実現
  6. 空実現

そして、この関係の背後には以下の3つの二項対立が認められるとしています。このことについては辞書等での成層文法の記載にもよく言及されることであるため、ここでは説明は割愛します。また、おなじみの8つの型が提示されています。

  1. 上側 vs. 下側
  2. 結合 vs. 選択
  3. 有順序 vs. 無順序

なお、Lambは機械翻訳の面でも重要な貢献をしているそうです(p. 85)。

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2015年11月 4日 (水)

R.カーター,S.アルドリッジ,M.ペイジ,&S.パーカー(2009/2012).『ブレインブック みえる脳』(第7章:「言語とコミュニケーション」)を読む(養老孟司・内山安男・柚﨑通介(訳),南江堂)

言語に関する章を読みました。カラーが豊富で非常に読みやすい文献です。

カーター,R.,アルドリッジ,S.,ペイジ,M.,&パーカー,S.(2012).『ブレインブック みえる脳』(養老孟司・内山安男・柚﨑通介(訳)).南江堂.(原著は2009年出版)

概要

以下の点はとても面白く感じました。

  • 何かを物語っている眼や身振り等も上側頭溝にすべて記憶されている。また、扁桃体は情動に注意を払い、眼窩前頭皮質がその情動を分析する。(p. 142)
  • ボディー・ランゲージと身振りが一致しない場合、人は前者を重視して理解する(p. 142)。
  • 身振りには比較的普遍的な文法があるようで、主語、目的語、動詞の順に伝達される(p. 143)。
  • 言語理解において、左半球は言語の発音、言語の理解、単語認識を扱う。右半球は、音の認識、リズム・アクセント・イントネーションの認識、話者に対する認識、身振りの認識を行う。(p. 144)
  • カナリア諸島の1つであるラ・ゴメラ島では口笛からなる言語であるシルボがある。この言語の処理は言語野で処理されている。なお、この言語は深い渓谷を超えてコミュニケーションを取る必要から発達したと考えられている。(p. 144)
  • 慣れ親しんだ言葉で話しかけられると左脳の様々な部位が活性化するが、意味のない連続した子音を聞いた際には右脳の小さな領域しか活性化しない(p. 144)。
  • アマゾンに住むピラハ族の言語には2より大きい数に相当する名詞がない(p. 145)。
  • 私たちの祖先が直立歩行を始めたことで咽頭と喉頭に変化が生じ、バラエティーに富んだ複雑な音を作り出すことが可能となった。このことが言語の進化の鍵を握っていると考えられる。(p. 145)
  • 角回と縁上回を合わせてゲシュヴィント領域と言うことがある(p. 146)。
  • 「ウェルニッケ野が聞こえてきた音をその意味と照らし合わせる。ゲシュヴィント領域の特殊なニューロンは言葉のさまざまな要素(音、文字、意味)をつなぎ合わせ、完全な理解をもたらす助けをしていると考えられている。自分から言葉を話すときは、これと逆のことが起こる。ウェルニッケ野が言おうとする内容に合った言葉を選び出すと、弓状束を介して(あるいはゲシュヴィント領域経由のより遠回りな経路をとる可能性もある)、その言葉はブローカ野へと運ばれ、舌、口、顎が適切な位置に動くと同時に喉頭が働いて、言葉が音となる。」(p. 146)
  • ブローカ野は前部は言葉の意味理解に関与すると考えられており、後部は口の運動による発語と関連している(p. 146)。
  • ウェルニッケ野では、見聞きした言葉がここで理解され、また自分から表現するときにはここで言葉の選択がなされる(p. 146)。
  • 言語が意味に変換された時にだけ言語野が機能する。単に記号列として眺めている際には視覚野などしか活性化しない。(p. 146)
  • 言葉を聞くとき、頭の中でその言葉を発音するため、結果としてブローカ野が機能することになる(p. 146)。
  • 幼少期から2つの言語を使いこなしていると、認知能力が向上するため、認知症や言語能力の低下を防ぐことができる。これは第2言語を使用することでニューロン間の接続が増えることがその原因である。特に5歳以前に第2言語を習得したバイリンガルの脳では、左半球前頭葉下部の灰白質(この部位では言語やコミュニケーション能力がコントロールされる)が肥厚していた。(p. 147)
  • 言葉を聞く際の脳内処理プロセスのミリ秒単の記述(p. 148)
  • 言葉を発する際の脳内処理プロセスのミリ秒単位の記述(p. 149)
  • 言葉を読み書きする際の脳内処理プロセスのミリ秒単位の記述(p. 150)
  • 文字の区別には、視覚野の脳領域が再利用されている(p. 150)。
  • バイリンガルの脳において、それぞれの言語は脳の中で別の場所に格納されており、使用時には別々のニューロンが働く。幼児期に獲得した言語は、その後から学んだ外国語よりも強く広範な関連領域を持っており、母語で文章を読む際には外国語の場合よりもより活発な脳内活動が観察される。つまり、母語で読むときには、様々な領域と連携して、より強烈で深い経験をしていると考えられる。(p. 151)

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