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2014年10月31日 (金)

L.E.Henrichsen(1983).「Teacher Preparation Needs in TESOL: The Results of an International Survey」を読む(『RELC Journal』)

英語教育の中で国際的にいかに文学が阻害されているかを示す資料として1980年代に頻繁に引用された文献です。現在では古い資料となっており、この結果をもとに議論をするわけにはいきませんが、あまりにも頻繁に言及されるため、この度読みました。

Henrichsen, L. E. (1983). Teacher preparation needs in TESOL: The results of an international survey. RELC Journal, 14 (1), 18-45.

感想

Brigham Young Universityのハワイキャンパスにあるthe Communications and Language Arts Divisionが、教員養成課程で指導されるべき事柄としてどのようなものがあるのかをアメリカ内外の教師に尋ねた調査結果の報告となります。大きく分けて8項目(Education、Linguistics、Grammars、Literature、Methods & Materials、Specific Training、Special Skills)、細かく分けて60項目の事柄について、153名の教師または関係者がそれぞれどの程度教員養成課程で指導される必要があるかを回答しています。

細かい点はこの記事では省略しますが、主な結果としては以下の点が挙げられていました。

(1) 一般にmethods、materials、special skills(特にリスニング指導技術)に教師は重要性を感じていた

(2) 8項目の中で文学が最も重要性が低く考えられていた

(3) アメリカ国内の教師よりもアメリカ国外(特にオセアニア地方やカナダ)の教師の方が文学の重要性を高く評価していた

(4) 公立の中等教育の教師は文学を2番目(言語学と同率2位)に重要なものと評価していた

(5) 60項目を重要度が低い順に見ていくと、ワースト10の中に文学関係の事柄が7つもランクインしていた。

(6) 文学関係の項目の中で最も評価が高いのは29位にランクインしたgeneral literary backgroundであった。

(7) 民間外国語学校の教師や政府関係の回答者は文学の評価が特に低かった。

(8) アメリカ国内の教師は国外の教師よりも言語学の重要性を高く評価していた。

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2014年10月29日 (水)

S.J.Shelton-Strong(2011).「Literature Circles in ELT」を読む(『ELT Journal』)

文学を使った英語教育研究で比較的最近よく言及がされるLiterature Circle(LC)について分かりやすくまとめられた文献です。

Shelton-Strong, S. J. (2011). Literature circles in ELT. ELT Journal, 66 (2), 214-223.

概要

この論文では以下の2点が議論されています。

(A) LCという方法の説明

(B) 著者が実践したLCで得られた結果の報告

●LCという方法の説明

著者はLCを以下のように定義しています。

"LCs are defined as small peer-led discussion groups, involved in reading the same piece of literature, and who come together on a regular programmed basis to share interpretations of what they have read. This is primarily achieved through the assignment of various roles, or focused tasks, which each student is given to carry out while they read and which provide a clealy defined reason for reading." (p. 214)

この方法はもともとL1教育の中で1990年代に出てきたもので多くの成功例が報告されているそうですが、近年では特にアジア圏の外国語教育で関心が高まっているとのことです。関心が高まっている理由は以下の通りです。

"Not only do they serve as a powerful vehecle to engage learners in extensive reading, but they are also, by their very nature, a learner-led activity, encouraging a great deal of learner autonomy, an area of considerable importance in ELT today" (pp. 214-215)

なお、LCには以下のようなキー要素があるそうです(p. 215)

1. Students choose their own reading materials.
2. Small temporary groups are formed based on book choice.
3. Different groups read different books.
4. Groups meet on a regular, predictable schedule to discuss their reading.
5. Students use written or drawn notes to guide both their reading and discussion.
6. Discussion topics come from students.
7. Discussion meetings aim to be open, natural conversations about books, so personal connections, digressions, and open-ended questions are welcome.
8. The teacher serves as a facilitator, not a group member or instructor.
9. Evaluation is by teacher observation and student self-evaluation.
10. A spirit of playfulness and fun pervades the room.
11. When books are finished, readers share with their classmates and then new groups form around new reading choices.

しかし、外国語教育でLCを行う場合は、本の選択やグループ編成は教師が行う方がよい場合が多いとします(本の選択に関しては、適度な大きさの図書館など環境が整っている場合は学習者に選ばせても可能としています)。また、違うグループであっても同じ本を読む方がよいのではないかと述べられていました。

また、LCを行う場合は、そのグループの学習者にそれぞれ以下に示した役割を与えることが必要となります(p. 216)。

1. Discussion leader: maintains the interaction of the discussion through questions and invitations to participate.
2. Summarizer: responsible for giving or eliciting an oral summary of the reading.
3. Word master: responsible for choosing new, important, or interesting words and multiword expressions to share, define, and contextualize.
4. Passage person: chooses key passages, explaining reasons for choice, and offers and elicits comment.
5. Connector: makes connections between real-life people and events with the story content and prepares questions to invite similar comments.
6. Cultural collector: looks for cultural similarities and differences between story and own culture and brings them to light, inviting comments through questions to circle members.
7. Artistic adventurer: draws or creates something to represent an element of the story, shareing and communicating the rationale to the group.

著者は経験上、3~6人のグループが最もうまく機能すると感じているそうです。また、各学習者はワークシートを用いてLCの準備をすることになりますが、もし活動が機械的になるという心配があるのであれば、ログを準備して、そこへ自由に書き込みをさせるという形も可能であると述べています(ただし、著者自身はワークシートを用いる形が現実的であると考えています)。

●著者が実践したLCで得られた結果の報告

著者はこれまでに特にベトナムでLCを実践してきたそうで、その中でも原作を使ったLCとリーダーを使ったLCでの調査結果が報告されています。

(1) 原作を使ったLCであっても十分に機能し、しかも学習者は楽しんでいた(LCには多くのscaffoldingがなされるため、このような結果となったと考えられる)
(2) 事前に読んでくる分量は定期的に話し合われる必要がある。また、活動期間中に作品のすべてを読み終わらなくても、その作品の続きを学習者が読みたいと思えば読める状態にしておけば問題はない。
(3) 学習者は、LCを通して、読解スピードと内容理解力、及びスピーキング力が向上したと感じた
(4) 英語力が低い集団にリーダーを使ってLCを実践したところ、あまりしゃべらない学習者であっても徐々に意見を言うようになり、この活動を楽しむことができた(このことは多くの他の研究でも報告されているそうです)
(5) LCを通して、有意味なコンテクストの中で言葉への気づきが多く生起する

また、著者はLCはCLTとTBLTとも相性がよいと述べています。CLTとの共通点については以下のように述べています。

"In LCs, this takes place withing the discussion circle, where natural and meaningful interaction take place and through the negotiation of meaning, correction of understanding, and the use of communication strategies, while learners discuss their reading with peers within the group." (p. 221)

TBLTは、"exposure to rich comprehensible input"、"use of the language to get things done"、"motivation to listen, read, and to speak the language" が重要とされていますが(p. 221)、著者は以下のように述べています。

"Comprehensible input is provided through reading and interaction within the discussions. Peer-initiated feedback to language choice and usage, coupled with teacher-led feedback on task performance, is an important element of LCs and considered vital in the process of language acquisition." (p. 221)

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2014年10月27日 (月)

C.Bellard-Thomson(2010).「How Students Learn Stylistics: Constructing an Empirical Study」を読む(『Language and Literature』)

Bellard-Thomson, C. (2010). How students learn stylistics: Constructing an empirical study. Language and Literature, 19 (1), 35-57.

感想

この論文は著者の博士論文のためのパイロットスタディーをまとめたものになります。著者は学習者の文体論学習プロセスに関心があります。ですが、この論文によるとパイロット・スタディーは基本的に失敗(思っていた量のデータが集まらず、しかも集まったデータも内容が薄くて分析ができないという結果)に終わっています。著者は論文の最後で、自身の博士論文の方向性を変えたと述べています。この論文では、文体論学習プロセスについてはほぼ何も情報を得ることができませんが、これから文学を使った英語教育ないしは文体論教育に関して論文を書こうとする人にとっては、研究計画をどのように練ればよいのかということについて得るところは大きいのではないかと思います。

著者は、今後、学習者の文体論の授業での提出物と『Language and Literature』誌に掲載された論文、及びBNCを比較して(前者2つをコーパス化して比較分析)、専門用語の使い方等が学習者と専門家(文体論学者)でどのように違うのか、学習者は学年を経るにつれてどのように文体論学者の談話へと近づいていくのかということを調べたいとのことでした。

他人の失敗から学ぶことができるという点で非常に貴重だと思います。ですが、繰り返しになりますが、文体論学習については得るところはほとんど何もありませんのでご注意を。

なお、この研究で使用された、Edwin Morgan の "The Computer's First Christmas Card" という詩はなかなか面白く、様々な形で授業で使えそうです。

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2014年10月24日 (金)

久世恭子(2011).「文学教材を用いた授業-大学の英語教育における事例研究-」を読む(『言語情報科学』)

大学での文学教材を用いた4つの授業実践をもとに文学教材の英語教育への効果について考察されています。

久世恭子(2011).「文学教材を用いた授業-大学の英語教育における事例研究-」.『言語情報科学』,9,63-79.

概要

この論文では以下の事柄が述べられていました。

(A) 文学教材利用に関するこれまでの教室研究の整理

(B) 調査結果

●文学教材利用に関するこれまでの教室研究の整理

これまでの研究には、「文学を用いた授業や学習者がどのように進んでいくかを調べたものと教師や学習者の意識や反応を調査したもの」(p. 65)があり、さらに後者は「比較的大規模に行われる意識調査と、実際に文学を使った授業を受けてみての反応を調べる研究」(p. 65) に分かれるとのことです。比較的大規模に行われる意識調査では否定的な結果を示す研究が多いそうで、文学を使った授業を受けた反応を調べる研究では肯定的な結果を示すものが多いそうです。文学を使った授業を受けた反応を調べる研究で肯定的な結果が多い理由として、著者はParan (2008) などに基づきながら以下の2点を挙げています。

(1) これらの授業ではもともと学習者自身が文学を使う授業を選択している場合が多く、かつ教師も熱心に指導に取り組んでいること

(2) 学習者が実際に授業を経験して楽しいと感じたり、英語力が上がったと感じることが多いこと

ただし、文学教材が英語力向上に有効であるということを証明しようとする研究は非常に少ないそうです。著者はその理由として以下の点を挙げています。

(1) 短期的に結果が出るものではないこと

(2) 倫理上、統制群を置いて比較実験を行うことが難しいこと

(3) 文学教材と授業実践は密接に結び付いており、切り離して考えにくいこと

著者は、この論文では多数の授業実践例を観察するという方法で文学教材の効果について検証しています。

●調査結果

著者は大学での4つの授業実践に対して、それぞれで異なった研究手法を取って分析しています。これは、それぞれの授業で目的等が異なっているためで、著者はその目的に合わせた分析を行っています。また、すべての実践に関して、授業実践前後でアンケートも実施しています。著者は、今回の調査の結果を総じて、「四つの事例は、文学的な教材を扱う実際の教室でほとんどの学習者がテクストに楽しみながら深く関わり、教師や他の学習者と意味のあるやり取りを行っていることを示している。文学は様々な言語活動を生み出すことができるゆたかなものであることを理論的側面から主張してきた先行研究を支持する結果となった。」(p. 75)と述べています。また、今回の調査から得られた示唆として以下の点が指摘されていました。

(1) 文学教材は様々な教授法や授業手順とともに使うことができる(文学教材を特定の教授法等と固定化して考えるべきではない)

(2) 教師はそれぞれの実践で文学教材の特質を活かそうとしており、特に解釈の幅広さと言語の特殊性に注目していた。学習者もこれらの特徴から文学教材と他の教材との違いを感じ取っており、それぞれに特長があることを認めている。

(3) 文学教材を用いて授業を行うことはやはり教師にも学習者にも要求が大きくなる(このことが文学教材が敬遠される要因の一つになっている可能性がある)

(4) 授業の最後に文学教材の有効性をより高く評価していたのは英文科の学習者ではなく、それ以外の人文系または理系の学習者であった。これらの学習者はそれまで文学教材に触れる機会がなく、今回の実践を通してその楽しさや効果を強く感じたのかもしれない(逆に英文科の学習者はそれ以前にも文学教材に触れており、ある意味馴れていた可能性がある)。

(5) 学習者自身は文学教材を用いた授業を受けると、総合的な英語能力が伸びたと感じるようである。

なお、今回の調査のアンケートでは授業前より授業後の方が文学教材に対して効果的な回答が得られていますが、文学教材そのものの効果と考えることには慎重になる必要があると著者は指摘しています。というのは、やはり教材そのものをその教材が扱われた実践と切り離して考えることが困難であるためです。ですが、同時に「文学教材でもこのように学習者の心をとらえる有効な使い方ができることも事実であり、従って、むやみに排除されるべきではないことを示唆している」(p. 76) とも述べられていました。

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2014年10月23日 (木)

S.Zyngier&O.Fialho(2010).「Pedagogical Stylistics, Literary Awareness and Empowerment: A Critical Perspective」を読む(『Language and Literature』)

著者らは文学の指導については体系的かつ実証的に研究されるべきであり、また読者の情意面と文体論的アプローチを統合していくことが必要であると考えています。そして、その方法として著者らはLiterary Awarenessを提案してきましたが、この論文ではこのアプローチにさらに批判的教育学の考えを融合しようとしています。ただ、個人的には批判的教育学との関連性があまり前面には押し出されていないように感じました。なお、付録にはLangston Hughes (1925) の "I, too, sing America." という詩とこの作品に関する設問(ワークシート)が掲載されています。

Zyngier, S., & Fialho, O. (2010). Pedagogical stylistics, literary awareness and empowerment: A critical perspective. Language and Literature, 19 (1), 13-33.

概要

著者らはこの論文の目的を以下のように説明しています。

"we aim at creating a link between stylistics, critical pedagogy and Literary Awareness as an attempt to show how individual readers in an EFL environment can respond to the emotional impact of specific linguistic patterns and leave the possibility open for their being personally changed by the reading experience, aspects which remain foreign to many classrooms." (p. 16)

また、著者らは2つのワークショップの報告を通して以下のことを示したいと述べています。

"Our intention is only to readdress the need to promote critical and autonomous readers within an environment that faclitiates students' more collaborative and genuine participation, one in which they reflect upon their lives in the world." (p. 16)

著者らによると、1つのワークショップはグループ活動を多く取り入れるなどして学習者間での相互作用がかなり多かったものだそうで、もう1つのワークショップは伝統的な教師主導型だそうです。2つのワークショップはともに以下のことを目的としていたそうです(p. 21)が、1つ目のワークショップは時間が足らなくなり、学習者は授業時間中に作品を作ることができず、自宅で完成させたとのことです。

(1) realized the effect of time/tense contrast in a poem

(2) responded to a poem using linguistic evidence to support their interpretation.

(3) discussed the issue of racial discrimination.

(4) produced their own text with time shift patterns and explained what they did.

(5) reflected on the relevance of the experience to them.

(6) sugested changes.

学習者(それぞれのワークショップに21名参加しており、2つ目のワークショップの学習者の方がやや英語力が高いようです)はワークショップの翌日に詩とその詩及び詩作プロセスについてのコメントを提出するように指導されています。著者らはこれらのデータ及びワークショップのビデオや記録メモ等から、テクスト産出の時間が足らなくなった1つ目のワークショップの学習者の方が多くの異なった解釈を生み出したり、自身に変化を感じたり、授業自体を楽しんでいたという結果となりました。

また、この調査から英語力と言語の創造性(知覚と産出両方を含む)の間に直接的な関連があるわけではないということも示されていました。

なお、著者らはLiterary AwarenessとFreireのCritical Pedagogyについて簡単な解説をしていますが、この記事では割愛したいと思います。論文を直接ご参照ください。

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2014年10月20日 (月)

田島宏(1999).「いまなぜシャルル・バイイか?-フランス文体論再生の動き-」を読む(『文体論研究』)

フランス文体論は1969年にアリヴェによって死を宣告されましたが、この論文が書かれた1999年頃に再生の動きがあったそうで、特にバイイが着目されたようです。この論文では、なぜバイイが着目されたのかが考察されています。

田島宏(1999).「いまなぜシャルル・バイイか?-フランス文体論再生の動き-」.『文体論研究』,45,10-17.

概要

フランスでは、文体論の死が宣言された後、詩学や記号論が台頭しますが、文体論が再度注目されることになったのには以下の事柄が理由として考えられるそうです。

(1) 詩学や記号論があまりに難解であったこと

(2) フランスの国語教育でテクスト解説が重要な役割を果たしており、文体論がその方法として利用できると考えられたこと(←この点は、イギリス文体論とも共通していて大変興味深いと思います)

しかし、バイイの文体論はいわゆる文学的文体論ではありません。しかも、彼の後継者であるマルゾーとクレッソには中途半端な形でしか受け継がれませんでした。しかしながら、バイイの理論はことば全体を情意という特殊な角度から分析したことば全体の共時的な研究であり、このことがこの時代に再度注目される原因となっていると著者は考えています。著者は、「言語理論の進展によって文体論の〈理論的〉な見直しが求めら得た結果、・・・文体論は、再出発にあたって、その原点をやはりバイイに求めざるをえなかった」(p. 15)と述べています。特にバイイの理論の以下のような点が際注目されているようです。

(1) 聞き手の重要性を主張している点(言語に新しいものを持ち込むのは話者ではなく聞き手であると考えられているそうです)

(2) 話し言葉と書き言葉の関係を認めている点(話し言葉が常に上位に置かれ、しかも話し言葉と文学語の類似は否定されていますが、作家の文体上の創造と自発的な言葉の創造の間に親近性を認めているそうです)

(3) 思考と言語、内容と形式という問題に正面から取り組んでいる点

また、バイイは文学的文体論における「文体」を扱っていないという批判があるかもしれませんが、言語理論の進展等によって、「文体」という概念自体がかなり変化してきてしまったため、このような批判もあまり意味がなくなっているとも指摘されていました。結局「文体」という意味が変わってしまったため、「そこでもう一度、20世紀初頭に執筆されたというハンデをわきまえながら、創始者バイイに戻ってみようというのが最近のフランス文体論の一つの動き」(p. 16)とのことでした。

なお、バイイはバンヴェニストに先立って発話行為に関する理論を提唱しているそうです。お恥ずかしながら勉強不足で知りませんでした。

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2014年10月19日 (日)

田口純(1997).「バイイの「言語学的文体論」再考」を読む(『鳴門英語研究』、鳴門教育大学)

田口純(1997).「バイイの「言語学的文体論」再考」.『鳴門英語研究』(鳴門教育大学),11,201-210.

感想

バイイの提唱する言語学的文体論の解説と著者自身の今後の研究の課題が提示されています。

バイイの言語学的文体論に関しては、話者は聞き手に応じて、無限に異形を持つ類似表現から表現を選択しており、そこには必ず話者の心的状態を表す感情的要素が入り込むと解説されていました。

著者は、バイイのこの考えに基づいて研究をしてきており、さらに特定の表現が持つ感情的要素がその言語固有のものなのか、その言語が属す語派のものなのか、語族全体のものなのか見出せないかということを考えているそうです。また、言語によって、異なった感情的要素が顕在化している可能性があることも指摘されていました。著者は、動詞と助動詞の感情的要素の考察を今後の課題として挙げていました。

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2014年10月18日 (土)

R.Carter(2010).「Issues in Pedagogical Stylistics: A Coda」を読む(『Language and Literature』)

『Language and Literature』誌の教育学的文体論特集の最後のまとめの論文です。文体論のこれまでの発展の軌跡とこれからの期待が整理されています。

Carter, R. (2010). Issues in pedagogical stylistics: A coda. Language and Literature, 19 (1), 115-122.

概要

この論文では以下の事柄が述べられていました。

(A) 外国語教育における文学教材の扱いの変遷

(B) 文体論の変遷

(C) これからの発展が期待される事柄

●外国語教育における文学教材の扱いの変遷

著者は、Hall (2005) と Kramsch & Kramsch (2000) を参考に以下のようにまとめています。

(1) "in the early part of the 20th century, learning a foreign language meant a close study of the canonical literature in that language." (p. 116)

(2) "In the period from the 1940s to the 1960s, literature was seen as extraneous to everyday cmmunicative needs and as something of an elitist pusuit and was replaced by more functional concerns." (p. 116)

(3) "in the 1970s and 1980s the growth of communicative language teaching methods led to a reconsideration of the place of litarature in the language classroom with recognition of the primary authenticity of literary texts and of the fact that more imaginative and representational uses of language could be embedded alongside more referentially utilitarian output." (p. 116)

なお、(3) に関しては、Kramsch & Kramsch (2000) は、proficiency movement とこの現象を呼んでいます。このことについては以下のように説明されています。下記のような考えが外国語教師に広く行き渡ったとされています。

"literature, since it had continuities with other discourses, could be addressed by the same pedagogic procedures as those adopted for the treatment of all texts in order to develop relevant skills sets, especially reading skills, leading in particular to explorations of what it might mean to read a text closely." (p. 116)

また、この特集号に寄稿しているPrieto (2010) によると、アメリカでは依然として言語教師と文学教師の間に溝があり、文体論教育の導入を阻んでいるとのことです。

●文体論の変遷

著者は、文体論はその理論的基盤がソシュールからバフチンに移行することで、徐々に文学への読者の反応を重視するようになったとしています。さらに、"the notion of culture seen as increasingly dynamic and co-constructed interactively, as an emergent and specifically linguistic process rather than as a completed product" (p. 116) という考えから文学以外のテクストも扱うようになりました。また、テクストが理解される過程にも関心が及ぶようになり、文体論は解釈が構成される過程を明示化するのに役立つと考えられるようになったそうです。

1990年代になると、文体論はバフチン的な枠組みで言語全般を扱う語用論と談話分析にその立場を脅かされるようになったそうです。さらに、社会科学や人文科学全体が言語的転回を経験することになり(例えばエスノメソドロジーなどは、言語の分析をその中心に据えているように思われます)、その立場はますます脅かされることとなりました。

同時に特にイギリスでは海外から高い学費を払って学びに来る学習者のために授業をより魅力的にしていく過程で教育文体論が発展することとなりました。そして、今度は文体論が社会言語学や認知言語学及び記述言語学の影響下にあった英語研究を促進し、the ownership of Englishという問題についての議論を活性化し、さらに文体論はどの変種の英語を対象とすべきなのかということについても議論がされるようになったそうです。

●これからの発展が期待される事柄

著者自身は、学習者に解釈過程を意識させることができる点を文体論の教育への重要な貢献と考えており、以下の事柄が今後の課題と述べています。

"Major challenges for the future are to give this work even deeper roots in epmirical classroom research (answering valid charges made by Edmondson, 1997) and to develop ... ways of encouraging students to continue not to see texts as simply neutral and decontextualized stylistic constructs, but as uses of language intimately tied to social and political inflections, purposes and ideologies." (p. 118)

また、ここ30年の教育学的文体論の発展を鑑みて、特にこれから発展が期待される事柄として以下の3点を挙げていました。

(1) transformative text analysis: "using comparative text analysis by means of processes of rewriting from different angles and positions by 'translating' the text from one medium to another along an axis of spoken to written, verbal to visual, textual to dramatic" (p. 118)

(2) new rhetorics: logos(言葉)、pathos(情意)、ethos(社会)の統合を目指す研究

(3) Cyberspace classroom: ネットなどを活用した遠隔授業の実践研究

上記 (1) は精読をよりactive readingにすることを目指して考案されたものだそうで、言葉への気づきを引き起こすことが期待されています。また、この活動には、rewriting ("making use of a different range of linguistic choices" (p. 118))、transformation ("the manipulation of some key design feature of the text such as its narrative organization" (p. 118))、re-registration ("a more distinctive shift so that the same content is cnveyed in a different genre" (p. 118)) などが関わるとされています。著者は特にre-registrationを取り上げ、このことは "no single word or stylistiuc feature will be barred from admission to a literary context" (p. 119) ということを意味しており(ただし、もちろん伝統的により文学的な表現は存在していますが)、"This process sensitizes students, particularly those at more advanced levels, to the subtleties of the texture of the text" (p. 119) と述べています。

また、上記 (3) を少し脱線する形ではありますが、新たにマルチメディアという環境の中での「文学性」について考えていく必要もあると述べられていました。

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2014年10月16日 (木)

大浜博(1993).「フランス文体論の一動向」を読む(『言語文化研究』,松山大学経済学部)

フランス文体論は1969年にLangue Français誌で死が宣告され、その後詩学、記号学、ナラトロジー、文彩理論に文学作品の分析の道を譲ったかに見えましたが、1980年代後半にフランス文体論の新しい研究が立て続けに発表され、20年の沈黙を破ったと述べられています。著者はその中でもクセジュ文庫の1冊として出版されたモリニエの『文体論』という書籍を取り上げ、その要点を紹介しています。

大浜博(1993).「フランス文体論の一動向」.『言語文化研究』(松山大学経済学部),12 (2),181-198.

概要

著者によるとモリニエはこの書籍の中で「全く新しい方法の提言というよりも、ヤコブソンの詩学を文体研究の原理的な出発点として既存の関連諸分野を再構成しようとするもの」(p. 183)と言えるそうです。さらに、この書籍では主に以下の3点がその柱として挙げられるそうです(p. 183)。

(1) 「文体論の死」の見解に対する意義申し立て

(2) 文体論を、文学を文学たらしめている文学性の言語的諸条件の研究と定義し、読者に感知されない文体的事実は存在しないのも同然とする立場から、とりわけ作品の受容の側面を重視する。

(3) 文体論とは何よりもまず実践である。

この書籍は三部から成るそうで、第一部は文体論の歴史、第二部は文体論の方法とその中心問題、第三部は文体論の現場となっているそうですが、上記の3点がそれぞれの部の基調となっているとのことです。著者は第一部のポイントとして以下の点を挙げています。

(1) 修辞学から慣用語方研究への移行

(2) 作家考証から文体研究への移行

(3) 構造主義革命

また、第二部ではモリニエが提唱している歴史的文体論が解説されているそうです。歴史的文体論について著者は以下のように説明しています。

「過去の芸術作品は、時間とともに累積した幾重もの文化的な既成イメージが遮蔽物を構成し、その理解が極めて困難なものとなっている。従って当該の作品を生んだ過去の時点に立ち帰り、当時の言語使用の状態における様々な慣用についての歴史的調査を行い、同時代の人々の受容を再構成するという手順を践まねばならない。過去の芸術が我々に与える美的な違和感を乗り越え、時代を隔てる時間的、文化的障壁のゆえに、ありもしない観念や実態を捏造してしまうという危険を避けるために、言語学的、歴史的、社会的な知見が総動員されねばならない。こうして得られた「内的」な受容体系をもとに、今度はそれに対して時代を隔てた我々自身の「外的」な受容体系、すなわち現代の我々に固有の感受性に照らしても有意味とされるような受容体系が構成されるのである。このような歴史の層を一つひとつ読み解くことによって到達できる美的言説の図式は、地理的歴史的に異なる環境下にあっても、類似のタイプの文化的条件に触れれば再現可能なものとして存在している。」(pp. 187-188)

モリニエの歴史的文体論の中で鍵となるのが行為項という概念です。この概念については以下のように説明されています。

「基本的に当該の言説の交換に際してなんらかの機能を担う拠点のことであるが、具体的な「物語」のなかでは発話paroleの能力を持つと見なされる全ての登場人物が、行為項の部位を占める可能性を持ち、これら様々なレベルで交わされるメッセージが複雑に編みなされ、文学作品固有の層と深みを醸成している」(p. 189)

そして、モリニエによると行為項は三層の構造をなしているそうです。第Ⅰ層は、語り手と読者がその行為項となり、行為はつねに語り手から読者への一方向となります。第Ⅱ層は登場人物が行為項となり、行為は相互的になされます。そして、もう一つレベルαという層があります。この層では作家の書くという行為と潜在的読者の市場がその行為項として存在します。レベルαが最も根源的な層であり、その上に第Ⅰ層、そしてその更に上位に第Ⅱ層が存在すると考えられています。なお、著者によると実際の作品には各層を飛び越えるなど複雑な関係が存在しており、これらが文学性の深みを作り出していると考えることができるそうです。また、モリニエの理論全体には語用論的視点が通底しているとのことでした。

第三部に関しては、系文体論という概念が紹介されています。著者は「ある特定の時代の、特定の対象に関しての等質な文献的事実の系を操作することによって、関係性の束の構築を目指すもの」(p. 195)と説明していますが、それ以上には詳しく論じられてなかったので、モリニエの『文体論』そのものを読む必要があると思います(幸い、この書籍には邦訳があります)。

最後に、著者はモリニエの緻密な枠組みを高く評価しつつも、旧態然たる伝統的二元論的思考が見え隠れすることが気になると、その問題点も指摘していました。

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M.Burke(2010).「Why Care About Pedagogical Stylistics?」を読む(『Language and Literature』)

『Language and Literature』誌の教育学的文体論特集号の序言にあたる論文となります。著者とは現在一緒に本を執筆させていただいており、個人的にはとてもお世話になっております。この論文では、教育学的文体論がもっと盛んに研究されるべきであるということが主張されていました。

Burke, M. (2010). Why care about pedagogical stylistics? Language and Literature, 19 (1), 7-11.

概要

著者は今日の大学で文体論を指導することは学習者にとって教育上非常に有益であると述べます。そして、文体論を指導することは教育学的文体論という営みと等しい行為であると述べられています。

"Knowledge gained in such courses assists our undergraduate and graduate students in understanding how languge, grammar and rhetoric function in texts. The knowledge they acquire leads them first to comprehend the basic grammatical and rhetorical concepts. This is followed by a second level of 'practical' knowledge, whereby students are able to analyse texts with the tools they have acquired at the first stage. The third stage is when students go into a mode of synthesizing all they have learned, which, in turn, allows them to move on to the production stage. Such a process is valuable, for example, in the contemporary university creative writing classroom. It is important to note that the process described here is not simply literary stylistics, but fundamentally pedagogical stylistics." (p. 7)

文体論を指導する上では必然的にテクストの精緻な分析が必要となりますが、このことの教育上の重要性を過去の教師は十分に心得ており、古代ギリシャ期、古代ローマ期、ルネッサンス期、初期近代で教育の中でテクスト分析が取り入れらていたという記録が残っているそうです。しかし、現在の文体論ではテクスト分析の教育上の重要性が十分に認識されていないようであると著者は苦言を呈しています。著者によると、1980年代に教育文体論の重要な研究が発表されましたが、文体論の中で、教育という問題ないしは教育文体論という分野が主流とはなっていないとのことです。著者は、この特集号を通して、"pedagogical investigations into stylistics are not only valuable for our students, but also for the goal of research itself" (p. 8) ということを示したいと考えています。著者は文体論研究者は必ず教育文体論に何らかの形で取り組むべきであると述べていました。

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2014年10月15日 (水)

E.Wright(1968).「The Other Way Round」を読む(『TESOL Quarterly』)

著者は文学を言語としてみるという立場はありふれているものの、言語を文学とみなすというアプローチは稀であり、この論文では後者の立場から第2言語教育の中で文学を扱う際にどのようなことを踏まえておく必要があるか論じるとしています。ただし、著者自身、このアプローチに徹しておらず、論文全体としては前者のアプローチに立って議論が進んでいるように思いました。

結論として、著者は文学は文化の中で作り上げられるものですが、その構造は言語パターンに基礎づけられているため、まずは学習者に言語を分析するための方法(これによって文学作品の文体等に適切に対処することが期待されています)を指導し、それに学習者が精通してから文学作品を読ませるのがよいと主張しています。

Wright, E. (1968). The other way round. TESOL Quarterly, 2 (2), 101-107.

概要

著者は教師は文学作品の内容がすべてと考えがちであるが、その伝達手段である言語に着目することは非常に重要であると述べています。そして、言語による構築物である文学を、文化との関係で以下のように特徴づけています。

"Literature is language, but it is a selected anthology of the language whose items are valued because of their institutional value or their pleasure value or the mixture of the two. The culture, then, is the context of situation in which literature occurs; literature is a linguistic reaction of a special sort to the context." (pp. 101-102)

また、レジスターとの関係では以下のように述べています。

"Our reading of literature depends very much on our ability to distinguish registers as we read, and of course on the writer's ability to record them accurately. This ia a very sophisticated linguistic feat, one that is normally beyond the scope of even a well-advanced second-language student."

しかし、一番大切なのは文化やレジスターに取り囲まれた状態で実際になされる語の選択であり、これは言語一般と関わり、こういった言語の一般的特性が文学をも支えていると述べています。(著者はこのことについてかなりページを費やして述べているため、おそらくこのことを言語を文学とみなすアプローチ」と呼んでいるのだと推測されますが、いまいちしっくりきませんでした)

"the choice of words will control these connotations, and ... this ability to control the power of words by placing them in the context of other words which limit their range of reference is a language art and builds up from the normal use of language."

学習者は文学作品を鑑賞するには、結局 "(a) the effects that a language use can create, and (b) the means used to create those effects, or, to use psycholinguistic jargon, the affective and the effective aspects of language." (p. 105) に対処しなければならないということになります(著者は、(a) と (b) を合わせた概念を「文体」と呼んでいます)。

したがって、学習者にいきなり文学作品を読ませるような行為は慎むべきであり、以下のような事柄が必要であると述べています。

"Instead we should examine the manner in which particular language uses operate, so that stylistic principles such as those of register, syntactic patterning, and collocations are both theoretically understood and can begin to be applied in practice. We theorefore should think of teaching ... principles of language analysis applicable to style, and then to work out ways of extending the range of language use to exemplify them." (p. 106, emphasis in original)

"That anyone handling literature in the second-language context should be aware of linguistic principles and their relation to the analysis of style." (p. 106)

著者は結論として以下のように述べます。

"Literature is a convention, both in the widest social or cultural sense and in the narrower linguistic sense; it is a convention, or rather a system of conventions, that we have to learn. This means that we have to work at the language conventions, to move first through the stage of knowing the components of the language and then the range, potential, and possibilities for choice among the components, before we move through language into literature." (p. 106)

また、個人的に大変考えさせられたのが以下の2点です。これまでのように「英語文学=英米文学」と単純に考えることができなくなってきており、今後これらの英語文学作品にも適切に対処していく術を身に付ける必要があるとされます。しかし、著者はおそらくawareness of linguistic principlesがその鍵となると考えているものと思われます。

(1) 他言語を母語とする作家が書いた作品に標準英語では見られないような特性が確認された時、それをどのように評価すべきか(p. 104)

(2) 英語の新たな変種(コモンウェルス系英語)で書かれた作品をどのように評価すべきか(p. 106)

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2014年10月 9日 (木)

R.Gower(1986).「Can Stylistic Analysis Help the EFL Learner to Read Literature?」を読む(『ELT Journal』)

しばしば引用される論文です。この論文は、あくまでも文学を使った英語教育に文体論的手法を用いることを疑問視しているものであって、文学作品を英語教育に使用すること自体に反対しているのではないことに注意が必要です。

Gower, R. (1986). Can stylistic analysis help the EFL learner to read literature? ELT Journal, 40 (2), 125-130.

感想

著者はまず文体論からいくつか引用をする中で、"They claim that stylistics will help students 'appreciate' literature more, because 'linguistic analysis' helps make 'intuition' conscious, which will then help them talk about literature more articulately." (p. 126) という考えが文体論学者の間にあるようだと指摘します。しかしながら、これは大きな飛躍であること、実際に生徒を補助するということを考える際にはこのような言語分析は学習者を読解という作業からかえって遠ざけてしまうこと、が指摘されていました(2つの具体的な指導手順をもとにこのことが述べられていますが、この記事ではその詳細は割愛します)。さらに、確かに読解過程で分析が生徒の助けとなることがありますが、それはもはや文体論が述べる言語分析とは別のものであるとも述べられていました。

現在は文体論も随分と発展したので、この論文への反論は十分に可能だとは思うのですが、教育学的文体論を英語教育に応用する際、常にその設問や活動は学習者の文学読解を助けるものなのかということは自問し続ける必要があると思います(ひょっとしたら、英語教育ではなく英語文体論教育になっているという危険性もあるので)。

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田島宏(1974).「文体論・詩学・記号学・修辞学-フランス文体論の盛衰-」を読む(東田教授還暦記念論文集出版委員会(編)、『東田千秋教授還暦記念論文集 言語と文体』,大阪教育図書)

三省堂から1966年に出版された『文体論入門』の中で著者が執筆した「フランスの文体論」の続編とも言うべき論文です。しかし、この論文では文体論が極めて厳しい立場にあることが指摘されています。イギリス文体論とは随分と異なる歴史を持っていることがよく分かりました。

田島宏(1974).「文体論・詩学・記号学・修辞学-フランス文体論の盛衰-」.In東田教授還暦記念論文集出版委員会(編)、『東田千秋教授還暦記念論文集 言語と文体』(pp. 397-406).大阪教育図書.

感想

1969年に創刊されたLangue Françaisという雑誌の第3号が文体論の特別号だったそうなのですが、その冒頭で「文体論はほとんど死滅したかのように思われる」という発言があるそうです。またメショニックは文体論という語はあまりにも様々なものを指すため、もはやその変革は不可能になっていると述べているそうです。さらに、文学作品の言語的事象を分析し、それを集積しても、作品の本質とは何ら関わることができなかったということもこのような発言の背景にあるようです。

デュプリエスやリファテールが文体論の変革を試みているそうですが、それと同時にフランスでは詩学(ヤコブソンの理論に基づく文学性の研究)、記号学(バルトなどの研究)、修辞学(グループμなどによる新しい修辞学)が発達しました。著者自身は、文体論はもはや再起不能かもしれないが、これら3領域が結局文体論と同じ問題を取り扱っているため、これら3領域で言語学的文学研究が進展してくれればよいと考えているようです。

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2014年10月 8日 (水)

A.Hirvela(1990).「ESP and Literature: A Reassessment」を読む(『English for Specific Purposes』)

ESPの教材として文学作品(SF作品)の有効性を主張したとても有名な論文です。

Hirvela, A. (1990). ESP and literature: A reassessment. English for Specific Purposes, 9 (3), 237-252.

概要

この論文では以下の点が議論されています。

(A) ESPで文学教材の意義を考える理由

(B) 外国語教育における文学教材への再注目について

(C) ESPと文学教材の接点

●ESPで文学教材の意義を考える理由

著者は、pedagogical opennessがESPの発展には不可欠であり、"A willingness to look closely at literature would keep ESP fresh and on its pedagogical toes." (p. 238) と述べています。さらに、以下のようにも述べられていました。

"a reassessment of literature will allow ESP to more effectively examine the question of how to better serve those learners who are currently marginally helped by ESP methodologies." (p. 238)

●外国語教育における文学教材への再注目について

かつての外国語教育では文学教材は以下のように美的(及び文化的)側面が重視され、しかもそれが外国語教育の中心であり目的と見なされていました。

"This approach featured the study of literary texts as literature, with students expected to develop their literary skills and knowledge through interaction with the texts. Improved language ability was generally assumed to be a byproduct of that activity." (p. 238)

しかしながら、近年では外国語教育の手段と考えられるようになってきており、特に文学作品の言語に着目がなされていると指摘されています。そして、以下のように述べます。

"literature is an amalgamation of the multitude of language registers and communicative functions which native (as well as nonnative) speakers of a language resort to (including those utilized in ESP courses)."(p. 239)

"In reading literary texts, language learners encounter the target language in nearly every guise or manner in which it can be used, from the most pedestrian to the most enchanting. It is for this reason that literature is especially being examined in the light of communicative language teaching methodologies. Because literature imitates life, and therefore the discourse of life, students in language classes can likewise imitate the real-life situations they are expected to be able to converse in by interacting with literary texts." (p. 239)

●ESPと文学教材の接点

著者はWiddowson (1983) の考えに基づいて議論をしています(有名なので、この記事では詳細は省略します)。Widdowsonによると、ESPには特定の目的に向かって突き進むtrainingといった側面と、一般英語教育のような教育的側面(広く豊かな知見を養成する側面)があります。著者は、文学作品は一般には後者の側面に大きく貢献するのではないかと考えています。そして、Literature for Specific Purposes(LSP)を提唱します。例として、ここではJohn Wyndham (1965) のStitch in TimeというSF作品の有効性が議論されていました。なお、前者の側面を扱うには科学の教科書の記事が有効だと考えられています。

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2014年10月 7日 (火)

C.M.Hurlbert(2003).「'From Behind the Veil': Teaching the Literature of the Enemy」を読む(『The Canadian Modern Language Review』)

著者自身は異文化理解という観点で文学の使用について議論しているのですが、これから自国が戦争をしようとする相手国の作家による作品を使用し、しかもその国の理解を深めようとしている点で極めて特色のある研究です。

Hurlbert, C. M. (2003). 'From behind the veil': Teaching the literature of the enemy. The Canadian Modern Language Review, 60 (1), 55-68.

概要

1990年の秋セメスターに、Indiana University of Pennsylvaniaの「EN121 Humanities Literature」(英米文学を専攻としない母語話者のための文学入門の授業)で The Graywolf Annual Six: Stories from the Rest of the World を使用した授業実践が報告されています。なお、著者はたまたまこれらイラク人ないしアラブ人作家による作品集を教材に選んだのであり、その後実際の学期中に湾岸戦争の気運が高まり、授業終了後に事実その戦争が勃発したとのことです。

著者は、学習者に作品を読んだ際の自身の反応や感想などをノートにまとめるように指示していたそうですが、特にDhu'l Nun Ayyoub作「From Behind the Veil」とMohammed Khudayyir作「Clocks Like Horses」について書いている者が多かったそうです。著者は、このノートの記述とテストの設問への解答を元に質的な分析を行っています。この分析によると、当初は学習者は自国の視点に立ってしか物事を考えることができなかったそうですが、学期を通してディスカッションを重ねていく中でイラクへの憎しみが軽減されたり、政府から押し付けられたイラクに対する偏見に抗すことができるようになったと報告されていました。

また、著者自身が教師としてこの授業実践を行ったそうですが、著者は反戦の立場を取っており、自身と異なる立場の学習者あるいはどちらの立場でもない学習者との関係を構築・維持するのが大変難しかったということも報告されていました。

著者は、2003年のアメリカのイラク進攻に伴い、 "a global anti-imperalist movement" (p. 67) に抗するような教育カリキュラムを作り上げる必要性、特に他者のことについて考えられる学生を育てるような教育カリキュラムを作り上げる必要性を感じており、文学作品の使用がそのようなカリキュラムにおいて重要な役割を果たすことになるだろうと述べていました。なお、この論文の最後で文学作品の活用について以下のように述べていました。

"We may create courses that help students explore how literature expresses authentic experience to which we are bound through obligation and responsibility, how individual experience connects with national and international events, and how we are all surrounded in the network of obligations that connects us. Learning literature is, in this perspective, truly critical." (p. 67)

この授業の履修者の中には兵士としてクウェートへ派遣される予定の人もいたそうで、戦争というものがかなり身近に感じられていたようです。私自身も英国留学中にイギリスが戦争を始めたことがあったのですが、この論文を読んでその時のことを思い出しました。非常に独特な雰囲気が人々の間に漂っていたのを覚えています。色々なことを考えさせられる論文でした。

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能登恵一(1986).「文体論とテクスト言語学-コセリウ(1980)との連関-」を読む(岩手大学人文社会科学部(編),『思想と文化』)

コセリウ(1980)のテクスト言語学に基づいた文体論とはどのようなものとなるのかが分かりやすく説明されています。

能登恵一(1986).「文体論とテクスト言語学-コセリウ(1980)との連関-」.In岩手大学人文社会科学部(編),『思想と文化』(pp. 507-520).岩手大学人文社会科学部.

概要

この論文では以下の内容が述べられていました。

(A) 文体及び文体論の一般的定義とその課題

(B) コセリウのテクスト言語学の解説

●文体及び文体論の一般的定義とその課題

著者は、以下の点を挙げていました。

(1) 「文体」という概念は一般に芸術作品についての価値判断が含まれ、結果として文体論は文学テクストの解釈を扱う

(2) 文体は、テクストを精算するためのいくつかの対立する選択肢の中から特徴的なものが選び出された結果であり、テクスト生産者の意図的なコントラスト、テクスト内に含まれる言語的コントラストによって生まれる

(3) 文体論はテクスト生産者の意図的表現の効果とテクスト受容者が得る印象的効果を調査する

(4) 文体論は、作者が意図したものの中で最も意識的なもの、意図されたものを伝える特徴、しかもその特徴がそのテクストに大きな意味を持つものを選び出すことがその任務となる

(5) 文体は、言語の総体からの個人的選択によって生じる

これまで文体論は逸脱に着目してきましたが、著者は文体論は「その視点を「逸脱」そのものではなく、このおもてに現れた逸脱内部の規則性に向けなくてはならない」(p. 509)、とその課題を述べていました(このことはコセリウも指摘しているそうです)。

●コセリウのテクスト言語学の解説

コセリウは、話すという行為一般、個別言語、一定の状況下で実現される発話行為、の3段階で言語を捉えますが、テクストは発話行為という段階に据えられています。コセリウの提唱するテクスト言語学の特徴として以下の点が挙げられていました。

(1) テクストの分析(テクスト言語学)には、発信者と受信者、発話内容、発話状況、発話の対象を考慮に入れなければならない

(2) テクストは個別言語のレベルとも関わるが、それはいわば文を最終単位とした分析では分からない文法現象を扱うテクスト文法の研究となり、テクスト言語学とは区別される

(3) いわゆる「意味」は、表示(その言葉が指す世界の事態)、意味(その言葉がその言語内の他の表現との関係で具現する意味)、意義(そのテクストで作者が意図した意味)の3つに区分して考えることができる(これらはそれぞれ、先に挙げた、話すという行為一般、個別言語、発話行為、の3つの側面に対応していることに注意)。

(4) 意義は文学テクスト以外にも生じるし、文学テクストで必ず逸脱が生じるというわけでもない

(5) テクスト言語学では、「ある発信者のテクストがいかなる意義を形成して、テクスト意義を持つか、すなわち受信者においてテクストの意義がいかに受取られるかを解明する」(p. 513)というコミュニケーション理論的テクスト・モデルに従う

(6) ヤコブソンやビューラーの研究ではテクストが美的または詩的になるのは表現それ自体の問題であるとされたが、コセリウは何を伝達するのか、つまり「伝達内容」という要素の観点から美的または詩的ということについて考察した

(7) テクストに意義をあたえるのはコンテクスト(言語外コンテクストとテクスト内の言語的コンテクスト両方を含む)以外の何ものでもない(コンテクストのより詳しい詳細がpp. 514-515に図式化されています)

(8) 各節、各章の意義が全体となってテクスト全体の意義(テクスト生産者の意図)を構成する

また、このようなコセリウの考えを受け、著者は以下のように述べています。

(1) 「文学テクストは生産者と受信者間の一種の美的コミュニケーションとして位置づけられ」(p. 518)る

(2) 「個々の文体は、言語表現という普遍性に立ちながら、同時に個性的なものの顕現である。こうした言語表現の主観的側面を可能な限り客観的にその基準をたて、文学テクストにその文体特性を対象化していくことが、言語学的文体論の仕事でなくてはならない。」(p. 519)

(3) 「文学テクストはテクスト生産者の意図と言語の美的機能そしてテクスト受容者の立場を抜きにしては考えられない。言語学的文体論はテクスト生産者の意図と言語表現というレベルから探ろうとするもので、それはどこまでも客観的でなくてはならない。しかしそれが客観的であろうとするあまり現象の分類作業にとどまることはもはや許されない。」(p. 519)(つまり、テクストのテーマにもとづいてその文学作品を解釈するものでなくてはならない)

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2014年10月 5日 (日)

中山えつこ(1998).「ジュネーヴ言語学派の傾向とカルツェフスキー」を読む(『Slavistika : 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』)

中山えつこ(1998).「ジュネーヴ言語学派の傾向とカルツェフスキー」.『Slavistika : 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』,13,225-237.

感想

カルツェフスキーの伝記的情報がかなり詳しく説明されています。カルツェフスキーはプラーグ学派とジュネーヴ学派両方にまたがっており(ジュネーヴ学派との関係で言えば、ソシュールから直接言語学を習っており、ジュネーヴ学派の学会及び学会誌の立ち上げにもかなり貢献したそうです)、ソシュールの理論を独自に発展させたと述べられていました(ただし、ソシュールの理論を独自に発展させたという点ではその他のジュネーヴ学派の研究者であるバイイ(カルツェフスキーの指導教官にあたるそうです)、セシュエ、フレエも同様だそうですが)。

著者は、言語のゆれに関するバイイとカルツェフスキーの考えの違いを簡潔にまとめています。

「バイイは、言語のゆれの原因を個人のパロールの心理的な側面に求め、その結果、必然的に言語のゆれをネガティヴに評価することになった。これに対してカルツェフスキーは、言語構造そのものに言語の共時的なゆれの原因を求め、言語のダイナミズムを言語が本来帯びている性質の一つとみなし」(p. 233)た。

さらに、カルツェフスキーの代表的論文「言語記号の非対称的二重性」に関しては以下のように簡潔に説明されていました。

「この理論は、言語記号と、その記号によって表される意義とが、非対称の二重性を持つという理論で、言語における、表わし手の記号と表わされ手の意味とは、対として安定してはいず、相互に一対多数のペアであり、かつ、「現実の傾向」に触れてはそのペアが揺らぎ変化する動的な構造を持つ・・・。このように、非対称的な二重性を持つ記号と意味とは、つねに相克しているので、(通時的にではなく共時的に見た)言語のゆれ、曖昧性が生じる・・・。」(pp. 233-234)

カルツェフスキーとジュネーヴ学派の関係について非常に詳しく論じてあったため、とても勉強になりました。

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2014年10月 3日 (金)

M.Met(1991).「Foreign Language: On Starting Early」を読む(『Educational Leadership』)

Met, M. (1991). Foreign language: On starting early. Educational Leadership, 49 (1), 88-89.

感想

アメリカで当時広がりつつあるFLES(Foreign Language in the Elementary School)(数週間から1年間というように一定期間のみ実施される小学校英語教育のプログラムだそうです)について、その期待と課題が整理されています。この論文の中で、カナダのイマージョンについて紹介されているのですが、文学の読解についての記載があったので読みました。典拠が明らかにされていないのがとても残念です。

"immersion students consistently perform as well as or better than controls on measures of achievement in reading language arts, mathematics, and science, even though immersion students generally learn these subjects in a foreign language." (p. 88)

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2014年10月 1日 (水)

D.H.Cohen(1969).「Word Meaning and the Literary Experience in Early Childhood」を読む(『Elementary English』)

先日レビューしたCohen(1968)では、社会的に不利な境遇にある学習者が教師による文学作品の音読を聞くことで語彙力が増したという報告がなされていました(L1の研究です)。この論文では、このような効果をもたらした要因として、音読された作品における語(学習者にはなじみがないと予想される語)の扱われ方が考察されています。

Cohen, D. H. (1969). Word meaning and the literary experience in early childhood. Elementary English, 46 (7), 914-925.

概要

著者によると、学習者になじみがないと予想される語は以下のような形で扱われており、学習者が作品を聞きながらその語を学ぶことができたのではないかと予想されています。

(1) Piling up examples to illustrate meaning

(2) Description of a function or procedure in detail

(3) Building up mood and anticipating action or feeling

(4) Meaningful context clarifies individual words

(5) Contrast and comparison

(6) Sometimes the whole story capitalizes on the meaning of a word, often the word in the title

(7) Simile

(8) Linking familiar experiences to give meaning to the unfamiliar word quarrel

(9) Explanation woven directly into the story, sometimes frankly, othertimes less so

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