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2014年4月30日 (水)

内藤満(2013).「日本文学を英語で読む―翻訳から学ぶ文学的表現」を読む(吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』,英宝社)

『源氏物語』、『おくの細道』、『雪国』の英訳を用いた通信教育課程スクーリング集中講義での実践報告となります。

内藤満(2013).「日本文学を英語で読む―翻訳から学ぶ文学的表現」.In吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』(pp. 53-61).英宝社.

感想

著者は、以下の理由から上記の3作品を教材として選択することに決めたそうです。

(1) 日本人であれば少なくとも名前ぐらいは知っている

(2) 3作品で広い時代範囲をカバーできる

(3) 出版されている英訳の種類が多い

著者は、複数の英訳を比較させ、以下のことを目的としてこの実践を行っています。

(1) 「文学的」表現とは何かを考えさせる

(2) 表現の違いや考え方の違いを通して異文化理解をさせる

著者は、日本文学の英訳を用いることで、これら2つの目的が同時に達成できるとしています。その理由として、著者は以下のように述べていました。

「英訳者たちは、日本語と日本文化を彼らなりに理解した上で、日本文学を英語で「文学的」に再生しようとしています。学生が彼らの英訳を読むとき、論理的な思考力の他に、想像力も活発に働いているはずです。そうやって、自ずと「文学的」表現に対する理解も身につくことになるのです。」(p. 57)

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寺西雅之・那須雅子(2013).「文学力を表現力へ―詩と俳句を教材として」を読む(吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』,英宝社)

いつもお世話になっている先生方が執筆された大学及び大学院での実践報告の論文です。日本文学の英訳版を活用した実践となります。

寺西雅之・那須雅子(2013).「文学力を表現力へ―詩と俳句を教材として」.In吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』(pp. 43-52).英宝社.

感想

著者らは、ポップミュージックの歌詞、俳句、詩というかたちで徐々に難易度を挙げながら文学作品の中で重要な役割を果たす言語的表現(著者らは「文学性」と呼んでいます)への学習者の意識を高めていく実践を行っています(この論文では、実践の中で俳句と詩を使った活動のみが報告されています)。著者らは、日本文学の英訳を用いることで文学作品を読むために学習者に必要となる背景知識に関する負担を軽減できるのではないかと考えています。また、文学性を意識して、文学的表現を用いることができれば、日常のコミュニケーションの上達にもつながる、という立場に立っています。

著者らの実践の目的は以下の通りです。

(1) 「文学性」が、比喩表現、音韻、形式などあらゆる層において実現されていることを学習者に確認させる

(2) 作品のテーマや作者の意図をテクストの文学的な特徴から類推的に読み取らせる

(3) 上記 (1) (2) のようなボトムアップ的な読みを実践することで、文学テクストを通じて英語読解力を向上させる

(4) 授業で扱った「文学性」を参考に英作文をさせることで、英語での発信力・表現力を向上させる

なお、この論文では詳しくは触れられていませんが、ポップソングを使った実践であらかじめ学習者には比喩表現と二項対立に関して気づきを促しているとのことです。著者らは俳句と詩(戦争・原爆、死を扱った作品)を使った実践に関して、具体的な発問やその発問に対する学習者の回答を紹介しており、とても理解しやすいです。また、詩においては比喩やシンボルが多用されて難解であるため、学習者が自由に意見を出せるような雰囲気づくりが重要であるという点が指摘されていました。さらに、実践の目的 (4) に関連して、学習者が創作した日本の俳句の英訳版が紹介されていました(それ以外に自分で比喩表現を使った英語詩や英語俳句を作った学生もいたそうです)。

この実践から、以下の点が発見として紹介されています。

(1) 学生は詩の授業を真剣かつ楽しみながら受講していた

(2) あえて日本語の作品を英語に置き換えることによって、作品の解釈の可能性が広がった

ただし、学生に直観に頼ってばかりにさせていてはいけません。著者らは最後に、「教師としては、学生の自由な解釈を妨げないよう、共感的な態度をとることが最も大切です。その一方で、英語教育的観点からは、自分の解釈の根拠をテクストに見出すことこそ英語力の向上につながることも忘れてはいけません。学習者の態度や適性を見極めつつ、文学テクストの可能性を最大限に引き出せるようなバランスのとれた指導を心がけたいところです。」(p. 48)と述べていました。

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2014年4月28日 (月)

岡本有里(1993).「中学校の英語科における文学教材」を読む(伊原巧・江利川春雄・林浩士(編),『青木庸效教授還暦記念論文集 英語科授業学の諸相』,三省堂)

先日、同じ著者の文献を読んだのですが、この論文では先日の調査結果をもとに更に議論が展開されています。

岡本有里(1993).「中学校の英語科における文学教材」.In伊原巧・江利川春雄・林浩士(編),『青木庸效教授還暦記念論文集 英語科授業学の諸相』(pp. 130-141).三省堂.

概要

著者は以下の点について議論しています。

(A) 文学教材の意義

(B) 教科書分析の結果の要約

(C) 生徒の心に響く真の教材が備えておくべき条件

(D) 文学教材を授業で取り入れていくための工夫

●文学教材の意義

著者は意義として以下のように述べています。

「文学教材は、英語科教育の言葉の教育・異文化理解を養う教育・感性を育てる教育を包括しているとともに、特に人間教育に深く関わっていると言えよう」(p. 132)

また、前回の論文同様に、中学校で文学教材を扱う意義について以下のように主張しています。

「やはり中学校においてもある程度の文学的解釈は行われるべきである。初歩の段階であるからこそ、将来専門的な学習をしない生徒が多くいるからこそ、生徒の未来における人生を豊かにし、今後につながる発展性を持つ本物の教材を与えていかなければならず、前述の通り文学教材は学校教育が目指す人格形成や人間的成長の目的に沿うものであり、本物の教材となり得るのである。」(p. 132)

また、中学校で文学教材を扱う意義に関して、「高校のようにより専門性の高いレベルで文学教材を扱う必要はないにしても」(p. 132)と述べられており、この点はよく理解できませんでした(特にその理由も書いてなかったので)。

●教科書分析の結果の要約

前回レビューした論文での調査結果が要約されていました。前回の論文にはなかった新たな結果についてのみ挙げておきたいと思います。

(1) 第4期から、詩がひとつの課として独立して扱われなくなった

(2) 第2・3期では、生徒の興味づけを目的として第1学年から文学作品が利用されていたようだ

(3) 面白さに加えて学習者を社会の良き一員に育てるためにAesopなどの道徳的・教訓的な文学教材が用いられたが、改作によって登場人物たちの心理面の複雑さが失われてしまい、結果として生徒の心に訴えかけることができなくなってしまった例が見られた(面白さはあるが、心に深く刻み込まれない)

(4) 感動的な文学教材が用いられたが、善ばかりでかためられており、生徒が魅力を感じたかどうか疑問である(心を和ませてくれながら、一方で社会を風刺するような教材の方が適切ではないかと著者は考えています)

(5) 改作の際に教育的配慮によって(醜悪・性・残虐・社会批判といった内容を削除したことによって)魅力を失ってしまった教材が見られた(Jonathan SwiftのGulliver's Travelsなど)

(6) 最近の教科書では、文学作品は各課や学年の節目に置かれ、復習と応用という意味合いを兼ねた総合的な教材として扱われているようだ

●生徒の心に響く真の教材が備えておくべき条件

著者は、以下の7点を挙げています(pp. 138-139)。

(1) 人間(動物)の生死を扱っているもの

(2) 原文のエッセンスが欠けていないもの

(3) 生徒の発達段階に応じたもの

(4) 文化遺産の伝承につながるもの

(5) 少しの努力で読めるもの(難易度に注意を払ったもの)

(6) 唯一絶対の解釈ではなく、自分なりの解釈の余地を残してくれる柔軟性に富むもの

(7) 簡単に原作が手に入り個人学習に使える発展性があるもの

著者は、(2) に関して、専門的な文学解釈や文体解釈は必要ないし、長い作品を部分的に取り上げるだけで十分であると述べています。

また、(4) に関して、第三世界の作品がもっと扱われていく必要性も指摘しています。

●文学教材を授業で取り入れていくための工夫

著者は以下の工夫を提案しています。

(1) パート毎に読まずにひと通り全文を読んで全体の内容理解をしてから内容吟味に移る(その際、文法説明などは極力避ける)

(2) 必要があれば国語科や社会化と連携する

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D.J.Shook(1996).「Foreign Language Literature and the Beginning Learner-Reader」を読む(『Foreign Language Annals』)

英語母語話者に対する外国語としてのスペイン語教育において、主に入門期の大学用教科書にどのように文学教材が活用されているのか、ということを調べた結果をメインとして執筆されている論文です。また、著者は文学教材は入門期の外国語学習に有益であること、文学教材を扱う際には読解方略を下地とした言語活動を同時に取り入れるべきであること、を主張しています。

Shook, D. J. (1996). Foreign language literature and the beginning learner-reader. Foreign Language Annals, 29 (2), 201-216.

概要

以下の点について述べられていました。

(A) 「文学とは何か」という問いについての著者の見解

(B) 文学教材が敬遠される理由

(C) 入門期の授業で文学教材を扱う際の困難点

(D) 入門期の教科書における文学教材の扱い方の検討

(E) 入門期の教科書に文学教材を取り入れていくための提言

● 「文学とは何か」という問いについての著者の見解

著者はこの問題に関して、読者中心主義的な立場を取っており、"A reader or group of readers will identify a text as literature when it decides that the text is more than just informational in nature, but rather that it is compelling; that is, it makes the reader reflect inwardly, persnally. (p. 202, emphasis in original)と述べています。

また、著者はGalloway (1995) が提示した文学作品の特徴に関する整理をもとに、文学作品を以下のように定義しています。

"compelling to the rader because it is evocative and emotive in both language and message; timeles; projective; striking to the core of shared values and assumptions; containing novelty; extraordinary; evoking something almost indefinable in the reader; memorable" (p. 206, emphasis in original)

そして、この定義から、文学教材を入門期の外国語教育に利用することは潜在的な利益が大いにあると述べています。

●文学教材が敬遠される理由

著者は、入門期のSFL(Spanish as a Foreign Language)の大学教科書15冊を分析対象として、どの程度文学教材が使用されているかを調べたところ、4冊しか使用されていないことが明らかとなりました。そして、著者はこのように文学教材が少ない理由として、以下の点を挙げていました。

(1) 教科書に文学教材を使用するとコピーライト及びその結果として使用料が生じてしまう

(2) 文学教材は "the domain of "advanced" language study" (p. 203) という伝統的な考えが蔓延しており、第3~4学年までその導入が延期されてしまう傾向がある

(3) 教科書作成者が、文学教材を通して言語や文化に学習者を触れさせることの価値を理解していなかったり、文学教材に適切な読解方略を下地とした指導法に関する専門知識を持っていない

(4) 文学教材は伝統的に教師による講義形式の授業及び作品内の文学的特性の分析を通して扱われてきており、言語教育の場からは追いやられ、文学の専門教育の中で扱うべきものと考えられてきた

(5) 上記の (4) と関連して、文学教材を扱う際は、学習者はその外国語の読解能力を十分に身に付けていることが前提として考えられてきた(つまり、読解能力は外国語教育の中で扱い、文学読解は文学教育の中で扱う、といったような言語と文学の分裂が暗黙の了解とされている)

なお、(3) に関して、ここで言う読解方略とは、文学教材の読解に特化したものではありません。原則として、読解一般に当てはまるもので、かつ文学教材の読解でも適用されるべき読解方略について述べられています(この箇所だけでなく、この論文全体がそうです)。

●入門期の授業で文学教材を扱う際の困難点

著者は以下の点を挙げています。

(1) 複雑な文法や統語構造が現れてしまうこと

(2) 多くの新出語が現れてしまうこと

(3) 外国語の文学教材は、その外国語における文化知識を読者が共有していることを前提に書かれていること

ただし、著者はこれらのことは問題なのではなく、学習者の言語知識と目標言語共同体の文化知識の学習の貴重な機会を提供すると考えています。そして、各困難点を学習のチャンスに変えるための具体的なタスクを提案しています(この記事では省略します)。そして、以下のような利点を学習者にもたらすと指摘しています。

(1) 自然な言語使用に学習者を触れさせることができる

(2) (文化について書かれている論説文とは違って)目標言語共同体の文化を観察し、そのダイナミズムと相互作用させることができる

(3) 外国語における創造的能力を身に付けさせる機会を与えることができる

(4) その外国語またはその言語における文化知識を学習者の頭の中にとどめることができ、後により統合的な知識を獲得することを可能にする

●入門期の教科書における文学教材の扱い方の検討

著者は、文学教材が使用されていた4冊の大学用教科書における文学教材の活用のされ方を詳しくみていきます。この論文で述べられている大まかな結果は以下の通りです(より詳しくは本論文を直接参照ください)。

(1) 詩、短編小説、戯曲、小説の一節が用いられており、詩と短編小説は4冊すべての教科書で用いられていた(作家も様々で、異なる地域出身の作家による作品が掲載されていた)

(2) 4冊のテキストで用いられていた文学作品はすべて、新出語またはそれに関連した語の提示及び復習や既習の文法事項の復習に活用されていたが、2冊の教科書ではこれらが文学教材のメインの役割となっており、もう2冊では文学を通してL1とL2の文化のギャップを埋めることがメインの役割とされていた

(3) 文学教材に付随している言語活動については、文学教材に適切な読解方略に基づいたものが見られた一方で、そういった活動が1つの教科書内で一貫していなかったり、不適切な活動が見られた場合もあった。また、読解方略を下地としていないものの、文学読解においては有益な活動も見られた。

●入門期の教科書に文学教材を取り入れていくための提言

著者は教材選択と言語活動に関して提言を行っています。まず、教材選択については以下のような教材が入門期にはふさわしいと述べています。

"Beginning FL learner-readers need to be exposed to literary texts that relate to the broad, mainstream, superordinate values found within the C2: texts that express themes that are the basic, shared truths and beliefs of the society." (p. 212)

"the texts naturally flow from, or build upon, the knowledge of relevant C1 and C2 values already activated by the readers' interaction with previous text(s)" (p. 212)

言語活動に関しては、先行研究で提示されている読解方略を下地として構築していなかければならないと述べられています。ただし、この論文で提示されている読解方略は必ずしも文学読解に限定したものではなく、広く読解一般に該当するものであることに留意が必要です。

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2014年4月24日 (木)

岡本有里(1992).「中学校の英語教科書にみられる文学作品の変遷」を読む(『KELT』)

昭和22年から平成4年頃までの中学校英語教科書にどのような文学作品が収録されており、どのような特徴がみられるのか、ということを整理した研究です。219冊の教科書に基づいた分析(第1学年75冊、第2学年72冊、第3学年72冊)で、とても価値の高い資料だと思います。なお、著者は多くの子どもと接点があるという点と子どもに与える影響が大きい(子どもはまだ自身の興味や関心が定まっておらず、教科書を通じて広く世界のことを知っていく)という点から、高校の教科書ではなくあえて中学校の教科書を調査対象としています。

岡本有里(1992).「中学校の英語教科書にみられる文学作品の変遷」.『KELT』,8,62-76.

概要

著者は以下の点について述べています。

(A) 文学作品が英語教育に有益であると考えられる理由の整理

(B) 調査の結果報告

(C) 結果に基づいた考察

(D) 中学校に文学教材を取り入れる意義

●文学作品が英語教育に有益であると考えられる理由の整理

著者は以下の点を挙げていました。

(1) 文学作品には心の根底に共通したものを扱っており、クラスの中に様々な興味や関心を持つ学習者がいても、多くの学習者を引きつけることができる

(2) 子どもの成長に応じて何度でも感動を味わうことができる

(3) 様々な解釈が可能であり、お互い(教師も含めて)に学び合うことができる

(3) に関しては、その反面、教師が教材に対して柔軟な考えを持つことが必要になったり、評価が難しくなる、ということも指摘されていました。

●調査の結果報告

著者は、まずこの研究でどの範囲までの教材を「文学作品」とみなすか定義しています。著者は、ギリシア神話、聖書物語、短編物語、小説(純文学小説、推理小説、空想小説、科学小説、冒険小説)、随筆、劇、詩、歌、童話、民話を文学作品とみなして考察しています。ただし、歌と詩は特に教科書の巻末などに来た場合は、原則として分析対象から外しているそうです。逆に、今回「文学作品」のカテゴリーに入れなかったものは、伝記、逸話、日記、書簡文、記述文、論説文、となります。

また、著者は各学習指導要領期別に文学作品の占める割合について考察していきますが、「文学作品の占める割合は、教科書の全ページに対する文学作品を扱っているページの比」(p. 75)で表し、「写真や絵が1ページを占めている場合のみそれらを除いて考慮している」(p. 75)とのことです。以下、今回の調査結果を示しておきます。

(1) 第1期(昭和22(1947)~23(1948)年):文学作品は第1学年では扱われない、文学作品は第2学年で集中的に使われている、第3学年では詩のみが扱われている

(2) 第2期(昭和24(1949)~27(1952)年):Aesopの作品が多用されている、詩が多用されている、文学作品の占める割合は教科書によってかなりばらついている

(3) 第3期(昭和28(1953)~36(1961)年):教科書の本文に詩や歌が使用されている、ひとつの課として独立して詩が扱われている、道徳的・教訓的な内容の文学作品が多い、文学作品の占める割合は教科書によってかなりばらついている

(4) 第4期(昭和37(1962)~46(1971)年):実用英語の要請が高まったにもかかわらず文学作品が減少していない、各教科書の文学作品の占める割合が均一になった、英米色(特にアメリカ色)が薄れた、日本文学の英訳が登場した

(5) 第5期(昭和47(1972)~55(1980)年):音楽的要素が増加した、第1学年では文学作品は歌のみが扱われた

(6) 第6期(昭和56(1981)~平成4(1992)年):教訓的なものが減少した、楽しいもの・感動的なもの・平和的なものが増加した、1学年で扱われる文学作品は歌がほとんどとなった、物語・小説・詩は第3学年で扱われていた

著者は各期の文学作品の占める割合をグラフとして示していますが(p. 65)、歌を扱っていること、あくまでも平均であること、第2・3期から第4期へ移行する際に教科書の課数が減少していること、第2・3期では教科書によるばらつきが大きいのに対して第4期では均一化されていること、を考慮に入れながらデータを見る必要があると述べています。

●結果に基づいた考察

著者は、今回の結果から以下の点を指摘していました。

(1) 全体としては文学作品は決して少なくなっていない

(2) ただし、最近(この論文が書かれた当時の「最近」です)では各課や各学年の節目に文学作品が置かれているケースが多い

上記の (2) に関して、著者は学習内容の復習と応用をさせるという目的があるのではないかと考えています。

●中学校に文学教材を取り入れる意義

著者は、英語の初歩段階である中学校において文学作品を取り入れることの意義について以下のように述べています。

「恐らくその理由は、文学作品が学校教育の目指す人格形成や人間的成長の目的に沿うものであることは前に述べたが、むしろ初歩の段階であるからこそ、将来専門的な学習をしないであろう生徒が多くいるからこそ、本物の教材を与えていかなければならないからなのではないだろうか。この本物の教材とは、生徒のその未来における人生を豊かにしてくれるもの、今後に繋がる発展性のあるもの、つまり文学作品こそがこの役割を果たすひとつであると言いたいのである。」(p. 74)

さらに、以下のようにこの論文をまとめていました。

「ただ明らかに言えることは、素晴らしい作品に出会って、個々人がそれぞれに抱く思いを大切にした教育がなされる為にも、教科書という限られた範囲ではあるが、その中に文学作品を取り入れることはとても大切なことだということである。しかも一方向のみに偏ったものばかりでは十分な効果は期待できない。その精選が叫ばれるのはそのためである。」(p. 74)

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I.Yaron(2003).「Mechanisms of Combination in the Processing of Obscure Poems」を読む(『Journal of Literary Semantics』)

再読になります。先日まとめたYaron (2002) と同一の調査に基づいていると考えられます。Yaron (2002) では、調査参加者はどのような語を頼りに作品を理解するのか(頼りとする語のselection)ということに重点が置かれていましたが、この研究では頼りにした語を元にどのように理解を発展させていくのか(combination)という点を中心に結果がまとめられています。

Yaron, I. (2003). Mechanisms of combination in the processing of obscure poems. Journal of Literary Semantics, 32 (2), 151-166.

概要

この論文では以下の点について述べられていました。

(A) Yaron (2002) の結果の総括

(B) 調査結果の報告

●Yaron (2002) の結果の総括

著者は不明瞭詩内の語彙に関して以下の点を挙げていました(詳しくはYaron (2002) についてまとめた記事をご参照ください)。

(1) strange wordsは半分以上が再生された

(2) resonant wordsは3分の1以上が再生された

(3) ordinary wordsは8%しか再生されなかった(ちなみに、比較的理解がしやすい詩ではordinary wordsの26%が再生された)

●調査結果の報告

著者は2002年での論文で行った、strange words、resonant words、ordinary wordsに加えて以下の2カテゴリーを新たに設けています。

・stereotypical words: "those which maintain strong relationships with [strange words or resonant words], that is to say, words which seem very close to this item and belong to the same semantic field" (p. 153)

・associated words: stereotypical wordsよりもつながりが弱いがそれでも特定のテーマ(strange wordsやresonant wordsが想起するテーマ)と関係していると考えられる語

なお、著者はその作品において中心的な働きをしていると予想される特定のstrange wordstとresonant wordsに注目し、それらの語に関するstereotypical wordsとassociated wordsをあらかじめ抽出(予備調査で調査参加者にテクストから抽出してもらっています)し、それらの語がどのように再生されるのかが調査されています。今回の調査では以下の結果が得られたそうです。

(1) 読者はまずいくつかのstrange wordsまたはresonant wordsに着目し、そこからテクスト内で現れる場所がどこかということに関係なくstereotypical wordsへと注意を移す。つまり、"the sequential reading gives way to a semantic reading; the reader progresses according to elements in the text which form part of the conspicuous scheme to the detriment of linearity" (p. 156)

(2) 読者は最初は、strange wordsやresnant wordsに注目し、その作品のテーマを考えようとする。その際、通常では見られないような語のコンビネーションにも注目をする傾向がある。ただし、処理が進むと、読者が注目している語と通常では見られないコンビネーションを為す語にはあまり注意を払うことはなくなり、むしろその語に通常関連するような語を模索し、テクストの理解をしようとする傾向がある。(この調査では、読者はdreamhorseというstrange wordsに注目し、かつhorseという語と通常は共起しにくsmilesやwalk airという表現にも最初は注意を払っていましたが、処理が進むにつれてこれらの表現には注目されなくなり、最終的にはhorseにとってstereotypicalと考えられる語へと関心を移し、作品の理解を行おうとしていることが報告されていました)。

(3) 読者にテクストを読むように指示し、一度再生をしてらもい、再度テクストを読んでもらい、もう一度再生をしてもらうという形でデータを収集したところ、2回目の方がassociated wordsの再生が多い(処理が進むにつれて、読者はよりassociated wordsに頼って理解をしようとする)

(4) 上記 (3) と関連して、stereotypical wordsは、2回目の方が1回目よりも再生が少なくなる。

(5) 処理に労力を要する語は処理に労力を要しない語(stereotypical wordsとassociated words)よりも処理に時間がかかる

(6) 読者は特定の目立つ語(strange wordsかresonant words)を理解するためにstereotypical wordsを収集する(the activity of widening)。そして、その収集具合によってその特定の目立つ語へ注目することは適切なのかどうかを確認している(the activity of confirmation)。このことはさらにassociated wordsについても同様であり、関連したassociated wordsを集めると同時に、特定の目立つ語への着目が適切なのかどうか確認をしている(p. 163)。

著者は、上記 (1) (2) に関して、"This movement is characterized by a process of reconstruction; gathering together the elements linked to the horse, the readers reconstruct its scheme. The text processing is characteterized then by an attempt to extricate units belonging to the scheme. In a second stage, the reader reintegrates these units in the scheme of the "horse", thus leading to its reconstruction." (p. 156) と述べています。また、結局不明瞭詩の理解においては読者が持っているextra-textual knowledge of certain semantic fieldに基づいて処理がなされることになるという点も指摘されていました(p. 162)。

著者は、上記 (3) (4) に関して、"once the stereotypical units are assimilated, the reader turns toward elements whose relationships with [strange or resonant words] are weaker (the associated elements). The reader progresses thus from the units characterised by strong and stable relationships with the themes ... to the elements characterised by weaker relationships with the same themes." (p. 161) と述べています。著者は、stereotypical wordsはその詩のテーマの重要な要素としてすでに読者の頭の中で統合されているため、2回目の再生が少なくなるのではないかと考えています。

また、もしstereotypical wordsの数がもっと多かったなら、2回目の再生でもstereotypical wordsはたくさん再生されたであろうと予想しています(今回の調査で用いたテクストでは、stereotypical wordsの数は多くありません)

最後に不明瞭詩の理解について著者が簡潔にまとめていた箇所を紹介してこの記事を終えたいと思います(p. 161)。

"1. The first consists in assimilating conspicuous elements (strange and resonant); it thus demonstrates the activity of selection mechanisms."

"2. The second tendency is expressed by the progression from conspicuous elements to stereotypical units. It demonstrates that the selection mechanisms interact with combination mechanisms."

"3. The third tendency manifests itself in the reader's progression from stereotypical emements toward those which are sementically associated with them. The more the readers progress in their processing, the more they choose elements whose relationships with the conspicuous and stereotypical units are weak. The progression of the obscure thext processing is characterised then, by the continuing action of combination mechanisms. Thus the reader is guided by the semantic field(s) of the items previously assimilated rather than by linearity."

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2014年4月22日 (火)

石川淑子(2000).「教育的文体論」を読む(『相模英米文学』)

WiddowsonとCarterによる教育的文体論の要点が簡潔にまとめられている論文です。彼らの研究の要点をさっと知りたい方にお勧めの論文です。

石川淑子(2000).「教育的文体論」.『相模英米文学』,18,39-46.

感想

著者は、WiddowsonもCarterも、「文体論とは文学をディスコースとして扱う分野」と考えており、学生のディスコース・リテラシーの涵養に関心がある、という点を指摘しています。なお、Widdowsonは、文学をテクストとして扱うのは言語学、文学をメッセージとして扱うのは文学批評であると考えています。

また、著者はCarterの考える教育的文体論についてまとめる中で、彼の目標について以下のようにまとめていました。

「テクストをディスコースとして教えることは、種々のディスコースを見分け、それに反応する能力をつけることであるとされており、これはディスコース・リテラシーの養成につながることになる。研究の原理が生かされた教材の開発は大切なことで、その中では、文学的と非文学的な面で連続性のある配列にも配慮が必要である。読解ばかりでなくcreative writing、interpretationへと進み、色々な異種のテクストの比較分析を学生自身が能動的に行うことによって、言語に対しての確かな眼力を身につけることが目標となる。」(p. 44)

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A.Maley(1989).「A Comeback for Literature?」を読む(『Practical English Teaching』)

著者は、"Literature is back - but wearing different clothes." (p. 59) と述べ、外国語教育に文学教材が以前とは違う形で戻ってきたということを指摘しています。

Malay, A. (1989). A comeback for literature? Practical English Teaching, 10 (1), 59.

概要

著者は、過去5年(つまり、1984年頃から)の間に、外国語教育の中で文学教材がどのような役割を果たすのかということの議論が再び関心を集め始めたと述べています。著者はこのことには以下の2点が関与していると考えています。

(A) 文学(文学に関する研究)の発展

(B) 外国語教育における文学への期待の変化

●文学(文学に関する研究)の発展

著者は、文学に関して少なくとも以下の3つの発展が生じていると述べています。

(1) 文学とは何か、読者とは何か、といった問題に関して議論がなされてきた

(2) テクストはいかにして文学として機能するのかということや文学の言語の関する研究が進んだ(文体論)

(3) コモンウェルス文学や女性文学など、様々な作品が文学というカテゴリーに含まれるようになった

●外国語教育における文学への期待の変化

(1) CLTが台頭する中で文学教材にこそ向いているような指導技術がたくさん開発された(インフォメーション・ギャップやオピニオン・ギャップなど)

(2) 指導法の刷新が求められる中で(humanisticな指導法が模作される中で)、学習プロセスへの個人的な反応の重要性が指摘され、読者反応を自然に引き起こす文学教材が注目された

(3) 文学教材はnon-trivialであり、読者に本当の意味での興味を引き起こし、個人的解釈をもたらしたり、異文化理解の足掛かりとなったりするという意味で、非常にrichな教材であると考えられるようになった

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2014年4月21日 (月)

I.Yaron(2002).「Processing of Obscure Poetic Texts: Mechanisms of Selection」を読む(『Journal of Literary Semantics』)

この論文は再読となります。L1での不明瞭詩(obscure poems)の読解プロセスを調査した研究です。読解が比較的簡単な詩との対照実験が行われています。

Yaron, I. (2002). Processing of obscure poetic texts: Mechanisms of selection. Journal of Literary Semantics, 31 (2), 133-170.

概要

この記事では以下の点についてまとめたいと思います。

(A) 議論の前提

(B) 不明瞭詩の読解に関する著者の予測

(C) 調査結果の報告

(D) 今回の調査から伺える不明瞭詩読解プロセスの特徴

(E) 本研究が与える示唆

●議論の前提

著者は、議論の前提として以下の点を指摘しています。

(1) 他のジャンルのテクストの読解と異なり、そもそも詩の読解においてはそれがどのようなテクストであっても一般に読解の難しさが容認される(p. 134)

(2) 不明瞭(obscure)を "Not expressing the meaning clearly or plainly ... not clear to the understanding" という意味で用いる(p. 135)

(3) obscurityとは "a high degree of difficulty" (p. 136) を意味し、難しさ(difficulty)とは「人の心的処理において多くの努力と労力を要すること」を意味する(p. 135)

●不明瞭詩の読解に関する著者の予測

著者は以下のような予測を立てています。

(1) 不明瞭詩の読解においては、読者は前から後ろへ向けて順にテクストを理解するという処理が阻害される。そして、その理解は断片的でテクストの流れに沿っていないものとなる(比較的簡単な詩では順次テクストの流れに沿って理解される)。

(2) 不明瞭詩の読解では、読者にとって目立つ要素(それらがテクストのどの位置にどのような順番で出てきたかということは影響を与えない)を足がかりとしてテクスト理解がなされる

(3) 不明瞭詩における「目立つ要素」には、読者にとって理解可能である要素と奇妙(strange)である要素が含まれる

●調査結果の報告

著者は、まずテクストに含まれる語を以下の3つのカテゴリーに分類します(p. 141, resonant wordsの具体例についてはpp. 139-140を参照ください)。この分類は、英語母語話者で人文学・芸術史を専門とする学習者(文学が専門ではありません)によって行われました。

・strange words: those we do not really know(作家による造語などが該当します)

・resonant words: those rich in significance, frequent in literary texts and in general, those which seize our attention(skyなど自然に関する語や文化や宗教に関わる語、テーマや感情に関わる語、beautifulといった形容詞など、読者が理解の足掛かりにしやすい理解可能な語を指します)

・ordinary words: those which do not belong to the preceding categories. i.e., all the other elements in the poem

調査では、英語母語話者で人文学・芸術史を専門とする読者(文学が専門ではありません)に、不明瞭詩か比較的理解が容易な詩のどちらかを読解するように指示し、覚えていることを再生(筆記)し、更に詩の説明(全体及び特定の箇所)を求める形(筆記)でデータが収集されています(この調査参加者は語の分類には関わっていません)。不明瞭詩にはe. e. cummingsの作品が使用されましたが、作品内の書記素論的逸脱や文法的違反は標準的な形に書き換えられています(この調査では、どの語を頼りに不明瞭詩を読解するのかということを調査することに関心があるため、語彙以外で読者の注意を引きつけてしまうような要素はあらかじめ排除されています)。著者は2回調査を行い、1回目で見られた結果が、テクストと調査参加者を変えた調査(2回目)でも再現されるかどうか追試験しています。

調査結果は以下の通りでした。

(1) 不明瞭詩においては、strange wordsとresonant wordsが再生された(しかも、テクストでの登場順を全く無視する形で)(p. 145)

(2) 比較的理解が容易な詩でもresonant wordsは再生されたが、それはresonantであるがゆえの再生というよりも、テクストの順次的理解の過程の中で再生されたにすぎないようであった(p. 148)

(3) 所定の詩の読解において順次的な理解プロセスが阻害されることが分かると、調査参加者は他の理解手順を探した(p. 154)

(4) 不明瞭詩を読む際には、文化的意味内容が豊かであると予想される要素(resonant words)がその作品の意味理解において重要であると考えて処理を行った(p. 155)

(5) 不明瞭詩の理解においては、ordinary wordsは重要ではないとみなされ、記憶や理解プロセスからほとんど除外される(p. 157)

著者は、得られた結果に基づいて以下のようにまとめています。

"... the reader of the obscure poem approaches it by extrinsic means, that is via their knowledge of the (semantic) weight of these words in other texts. Furthermore, comparison between the processing of the obscure poem and of the non-difficult poem confirms that the intertwined functioning delinear reading, on the one hand and the intelligibility factor, on the other is specific to very difficult poems. It indicates also that mechanisms of selection operate significantly in the processing of an obscure poem, expressed, inter alia, by the tendency to leave aside ordinary elements (a phenomenon which was not observed in the processing of the non-difficult poem)" (pp. 151-152)

●今回の調査から伺える不明瞭詩読解プロセスの特徴

著者は、今回の調査結果から不明瞭詩読解プロセスに見られる傾向として以下の点を指摘しています。

(1) 不明瞭詩読解においては推論プロセスが機能不全になる(通常の読解であればほぼ自動的になされるような解釈ですらなされない場合がある)(p. 159)

(2) 不明瞭詩読解においては情報が統合されることはなく、読者はテクストに出てきた語をほぼ正確に再生する。一方、比較的理解が容易な詩においては、情報が統合され、再生が不正確になる(テクストで使われていた通りの表現ではなく、ややアレンジが加えられたものが再生される)。(p. 159)

(3) 通常のテクスト読解と異なり、不明瞭詩であろうと比較的理解しやすい詩であろうと新奇的な表現についてはその表層記憶が強く形成され、喪失しない。(p. 163)

(4) 比較的理解がしやすい詩では表層情報レベルと意味レベルの2レベルで処理がされる(p. 164)

(5) 不明瞭詩では、理解は表層レベルにとどまり、それ以上のレベルの処理は行われない傾向がある(p. 164)

(6) 不明瞭詩では、一般のテクスト理解においては重要とされる意味レベルの処理(マクロ構造とミクロ構造の間の相互作用)が阻害される(p. 164)

(7) 不明瞭詩に含まれる比喩に関しては、正確に再生されたのはその表現に含まれるresonant wordsのみであり、その比喩に含まれているordinary wordsについては不正確(アレンジが加えられた状態で再生されるなど)である場合が多かった(pp. 163-164)(比喩については意味レベルの理解が他の技巧よりも強く関与する可能性がある)

(8) 読者は、詩においては読解上の難しさが生じるのは当然であると考えており、処理における難しさに寛容な態度を取る(p. 165)

●本研究が与える示唆

著者は本研究が与える示唆として以下の点を挙げています。

(1) 今回観察された結果は、難しい詩であればどの詩でも生起すると予想される(p. 165)

(2) 難しいテクストと理解しやすいテクストではテクスト処理様式が異なる(pp. 165-166)

(3) resonant wordsは他の文学テクストで重要な働きをして様々な意味をもたらすと読者自身が考えている語(つまり、間テクスト性が関連している)であるため、難しいテクスト処理においては間テクスト性といった文学的慣習がその処理に影響を与えることになる(p. 166)

(4) テクストにおいては、常に一定の語が他の語よりも目立つ状態にある(特定の語がどのテクストでも常に絶対的に目立つというのではなく、所定の語が所定のテクストで他の語よりも相対的に目立つ)(p. 166)

(5) 極めて難しいテキストであっても完全に誤解されるわけではない。異なる読解処理法によって対処がなされ、断片的ではあるものの部分的な理解がなされる。(p. 167)

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2014年4月18日 (金)

小林夏子・大村彰道(1988).「読解における文章形式の効果―事典的形式と詩的形式の比較―」を読む(『東京大学教育学部紀要』)

これまで見落としていた論文です。今更ながら読ませてもらいました。L1の研究ですが、調査方法について多くの示唆を得ることができました。

小林夏子・大村彰道(1988).「読解における文章形式の効果―事典的形式と詩的形式の比較―」.『東京大学教育学部紀要』,28,307-316.

概要

この研究では、文章の形式(事典的形式vs.詩的形式)が読者の読解に与える影響について調査されています。なお、「読み手が事典あるいは詩だと認識すること及びその認識の作用を含めて形式の効果と考える」(p. 308)という前提での調査となります。

この記事では、以下の2点に絞ってまとめたいと思います。

(A) 調査の方法論上の工夫

(B) 調査結果

●調査の方法論上の工夫

この研究が用いている調査方法で非常に関心を持ったのは以下の点です(詳細は本論文を直接ご参照ください)。

(1) テクストの題材を、読者が知らない題材ではあるが見当がつかないわけではないもの、かつ興味をそそるような情報があるもの、としたこと(この調査では、コサメビタキという鳥とゴマシジミという蝶の生態についてのテクストが使用されています)。

(2) まず事典的形式の文章を百科事典より抽出し、その文章に擬人法を加える(コサメビタキとゴマシジミによる一人称の語りに書き換える)ことで詩的形式の文章を作成したこと(このことにより意味内容や分量に事典的形式と詩的形式の文章で違いが出ないようにしたこと)

●調査結果

今回の調査では、調査参加者に文章を読ませた直後に感想を書かせ、さらに3週間後に読んだ文章に関して思い出せることを書かせ、その記述内容が事典的形式と詩的形式で異なっているかどうかが検討されています。また、半分の調査参加者には、課題提示にイメージ化教示を行い、もう半分の調査参加者にはイメージ化教示を行わない、というデザインとなっています。ここで言うイメージ化教示とは、「一語、一語について、できるだけイメージをわかせながら読んでください」(p. 309)という指示を与える操作を指しています。

今回の調査では以下のような結果が得られています。

(1) 2つの文章の間で、その感想に関して、名詞・形容詞などや直喩の数、主語や形容詞などの種類については違いが見られなかった

(2) 文章の内容を繰り返したり、それにコメントを加えたような感想は、形式の違いとイメージ化教示の有無に関係なく同程度観察された

(3) 文章の意味内容は繰り返さないもののそれでもなお文章の題材に関することについて書いてある感想は、事典的形式よりも詩的形式で多く見られた

(4) イメージ化教示がされない場合、文章の意味とは直接関係ないような一般論を述べている感想は、文章形式の違いに関係なく同程度観察された

(5) イメージ化教示がされると、文章の意味とは直接関係ないような一般論を述べている感想は、詩的形式でより多く観察された

(6) イメージ化教示がされると、事典的形式において、文章の意味内容は繰り返さないもののそれでもなお文章の題材に関することについて書いてある感想は増加する

(7) イメージ化教示されると、詩的形式において、文章の意味内容は繰り返さないもののそれでもなお文章の題材に関することについて書いてある感想は減り、文章の意味とは直接関係ないような一般論を述べている感想が増加した

(8) 事典的形式の文章の感想は理性的な視点(題材を外部から見る視点)に立ったものが多く、詩的形式の文章の感想は感性的視点(題材に感情移入するなど内側からの視点)に立ったものが多かった

(9) イメージ化教示をされると上記 (8) の傾向が一層強まった

(10) 「事典的形式の感想は材料文と同じ意味領域内にとどまるが、詩的形式の感想は個人の感性によって様々に異なる領域へ展開」(p. 315)していた

(11) 詩的形式の文章の方が事典的形式の文章よりも、感想において様々な型の文章を産出させていた(今回の調査では、感想文型、エッセイ型、物語型、語りかけ型、ひとりごと型、羅列型、その他、混合型、が観察されたが、詩的形式の文章の感想の方が、これらの中でより多くの型が観察された)

(12) 3週間後のデータでは、形式およびイメージ化教示の有無に関係なく、調査参加者は文章をあまり記憶していなかった。

著者らは最後に上記の (10) (11) に基づいて、以下のように述べていました。

「文章を読むということは、その文章の持っている視点を読み手が共有することと深く関わると思われ、本実験の場合、事典的形式では材料文の持っている「外側からの観察者」という視点を共有するが、それは読み手のために誂えられた指定席に座ることに例えられよう。座るべき場所を決めておくことによって、事典的形式は案にはみ出すことを禁ずる制限のサインを出しているのではないだろうか。それに対して詩的形式では、材料文の「一人称で自らを語る」という視点を共有するために、読み手は読み手としての自分を脱し、語り手と同化することになる。ここに立場の飛躍的な転換があり、一旦そうさせることによって詩的形式は解放のサインを出していると考えられる。」

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2014年4月17日 (木)

市場史哉(2013).「Jane AustenのPride and Prejudiceにおける会話文の理解」を読む(吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』,英宝社)

Jane Austenの名著 Pride and Prejudiceを用いた授業実践です。

市場史哉(2013).「Jane AustenのPride and Prejudiceにおける会話文の理解」.In吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』(pp. 34-42).英宝社.

感想

著者は、実践的なコミュニケーション能力を養成する上で小説は大変有用であると考えています。その理由として、以下のように述べています。

「小説では登場人物に関する詳細な設定があり、それを理解した上で会話文を読めば、そこに込められた登場人物の真理をより理解しやすくなります。会話文から登場人物の心理を理解する能力は、実際のコミュニケーションで相手の意図や感情を理解する能力につながり、さらに自分の感情や位置を英語で伝える能力を身につける基礎となります。」(p. 34)

この授業実践で私が大変面白いと思ったのは以下の点です。

(1) 学習者は指定された会話文を2回訳す。1回目は普通に訳し、2回目は感情のこもった自然な日本語となるように訳す。

(2) 2回目の訳をさせる前にDVDでこの作品の該当箇所近辺を鑑賞させ、その口調や表情に注目させる(この時、英語字幕を提示する設定とし、日本語の字幕は出さないようにする)

(3) 学生同士で2回目の訳を比べさせる

(4) 出版されている翻訳を複数集めて学生に提示すると同時に学生自身の訳と比べさせる

なお、(1) に関して、訳させる会話文は容易に直訳できるものである方がこの授業の目的には合致しているそうです。

また、「必ずしもTOEICの点数が高い学生がいい翻訳をするとは限らず、小説や英語などに興味を持つ学生、日本語でのコミュニケーション能力の高い学生がいい翻訳をしています。翻訳者の訳は実際に生身の人間が話している感じがするのに対して、自分の訳は生身の人間が話す日本語には見えないと書いている学生もいました。」(p. 38)という結果は非常に示唆に富んでいると思いました。

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奥村真紀(2013).「味読の楽しみ―英文学作品の原書を使った精読」を読む(吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』,英宝社)

Charles Dickensによる "A Christmas Carol" の原書を使用した授業実践の報告です。

奥村真紀(2013).「味読の楽しみ―英文学作品の原書を使った精読」.In吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』(pp. 25-33).英宝社.

感想

授業の目的から試験や評価方法、学生アンケート結果の内容まで非常に詳細な情報が提供されています。この記事では特に私が個人的に面白いと思った点を列挙したいと思います。

(1) 学生主体の授業を運営し、次週の予習プリントも学生が作成した

(2) ディスカッションを主とした授業運営とし、学生同士で質問(予習で分からなかった点などの質問)及びその回答を行わせた

(3) 文化的な側面も重要視し、教師が第1回目の授業で作品の背景等について解説を行った

(4) 学生は予習として、英文で分からなかった箇所を調べてくることを義務付けられた(次週に授業で扱う部分の和訳ではないことに注意)

(5) 期末テストでは辞書とテキストの持ち込みが許可された

(6) 予習段階で翻訳の使用が許可された

なお、この授業の目的は以下のように設定されています。

「1) 原典でのイギリス小説の精読を通して、学生の読解力を高めること、2) 歴史的、文化的理解を深め、書かれたものへの批判的態度を養いつつ、小説を味読する」(p. 26)

また、今回の実践では「文学作品の精読は、学習者の文法力、文脈を読む力、単語の推測力を高め、またグループワークでの学習者の主体的な取り組みを介して、学習者が授業に積極的に参加することに大きな役割を果した」(p. 25)という結果を得たとのことです。

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A.Maley(2001).「Literature in the Language Classroom」を読む(R.Carter&D.Nunan(編),『The Cambridge Guide to Teaching English to Speakers of Other Languages』,Cambridge University Press)

文学を使った英語教育について概観した論文です。読んだのは3回目なのですが、記事を書いていなかったので、この度まとめました。

Malay, A. (2001). Literature in the language classroom. In R. Carter & D. Nunan (Eds.), The Cambridge guide to teaching English to speakers of other languages (pp. 180-185). Cambridge: Cambridge University Press.

概要

この論文で述べられていたのは以下の点です。

(A) 文学と外国語教育の関わりについての変遷

(B) 「文学を教える」ということに含まれるいくつかのジレンマの紹介

(C)文学教材を用いる意義に関する緒論の紹介

(D)文学を使った外国語教育に関する近年の動向の紹介

(E)今後発展が期待される方向性の紹介

●文学と外国語教育の関わりについての変遷

文学と外国語教育の関わりについては以下のように変遷してきたと述べられています。

(1) ヨーロッパの古典語(ギリシャ語やラテン語)を学ぶためには文学作品から学ぶしかなく、言語学習と文学教材の間に強い関連性が形成された

(2) 外国語教育学が言語学習のメカニズムについて様々な知見を発表し始めた

(3) 少数のエリートを養成するよりも、言語に堪能な多くの学習者を産出することに教育の重点がシフトした

(4) (2) と (3) の影響から、文学教材は外国語学習に無関係か有害なものとみなされるようになった

(5) 文学教材擁護派(この文学教材とはキャノンに属す教材を指す)と言語構造・言語機能重視派の間で文学教材を巡って論争が繰り返されるようになる

(6) 文学教材の価値が見直される

なお、(6) に関して、依然として文学教材の役割は不明瞭であるし、人によって主張する役割が異なっているという問題があることが補足されています。

また、近年では文学教材の範囲を広げて、キャノン以外の様々なものを取り入れていくという動きが見られることも指摘されていました。

●「文学を教える」ということに含まれるいくつかのジレンマの紹介

ここで挙げられていたのは以下の4点です。

(1) focus on teaching language vs. focus on teaching literature

(2) language learning purpose (pragmatic focus) vs. academic/analytical purpose (intellectual focus)

(3) linguistic orientation (stylistics) vs. literary critical orientation (the new criticism, post-modernigs, etc.)

(4) leaning how to study literature vs. studying literature (p. 181)

上記の (4) に関して、Widdowson (1975, 1992) は以下のような点を指摘しています。大変重要な指摘だと思います。

"students are frequently exposed to literary texts as if they already knew how to tackle them. This often results in demotivation and a kind of pseudo-literary competence, with students merely parroting ideas based upon received opinion. By contrast, students can be progressively introduced and sensitised to the devices through which literature achieves its special effects before they embark upon a fully-fledged study of particular literary works." (p. 181)

●文学教材を用いる意義に関する緒論の紹介

ここでは、以下の4つの考えが紹介されていました。

(1) 文化的知識発達によいとする主張

(2) 言語的知識発達によいとする主張

(3) 学習者の人格形成によいとする主張

(4) 言語学習の動機づけによいとする主張

●文学を使った外国語教育に関する近年の動向の紹介

(1) 研究においては、理論的研究、実践報告、実証的研究、がなされている

(2) 上級レベル用及び中級レベル用の活動例が数多く発表されている

(1) に関しては、理論的研究では文学教材が有益であるということを実証的な証拠なしに前提として議論が進められている、実証研究は学位論文の中で小規模な調査が行われるレベルにとどまっている、という問題が指摘されていました。特に、実証研究に関してはなかなか公表されない、一般化が難しい、という問題もあります。

(2) に関しては、様々な活動が提案されているものの、たいていは、文学教材を言語分析させる活動か、他の活動へ発展させるための準備段階として文学教材を活用する活動か、のどちらかに該当するそうです。

●今後発展が期待される方向性の紹介

ここでは、以下の6点が紹介されていました。

(1) 口承文学やストーリー・テリングの活用

(2) 文学作品を実際に演じる活動

(3) 外国語教育での使用を最初から意識した上での文学作品の創作

(4) local literatureの活用

(5) cross-cultural explorationのための文学教材の活用

(6) 批判的言語能力を育成するための文学教材の活用

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2014年4月14日 (月)

O.da Costar Fialho(2007).「Foregrounding and Refamiliarization: Understanding Readers' Response to Literary Texts」を読む(『Language and Literature』)

読者がL1における文学読解において、前景化された表現にどのように対処するのかを実証的に調査した論文です。

Fialho, D. da C. (2007). Foregrounding and refamiliarization: Understanding readers' responses to literary texts. Language and Literature, 16 (2), 105-123.

概要

この論文では、以下の2点が主に議論されています。

(A) 本研究の理論的背景の説明

(B) 調査結果の報告

●本研究の理論的背景の説明

この研究は、以下に説明するLinguistic-psychological-aesthetical cycle of refamilirizationが実際の読者の読解においても観察されるかどうかが焦点となります。Linguistic-psychological-aesthetical cycle of refamilirizationについては以下のように説明されています(詳しくは、p. 107参照)。

(1) 読者は読んだ内容に関して理解をし(Comprehension 1)、感情を生起させる

(2) 読者は前景化された表現に出会い、異化作用を引き起こす

(3) 異化作用によって新たな感情が生起し、読者はテクスト内の他の箇所や個人の記憶、世界に関する知識の中で、生起した感情と似た感情を持っているものはないかどうかを探し始める

(4) 上記 (3) によって収集した情報を基に解釈を行い、前景化された表現を日常と結びつけ、refamiliarizationへと至る

(5) 上記 (4) の過程で、テクストに対して新たな内容理解を獲得する(Comprehension 2)

(6) その作品の効果を評価する

なお、著者は "psychological" という語について、"'Psychological' refers to any aspect that does not relate to the physical. It apprehends both cognition and affect. The term 'cognitive' refers to the intellect, to perception, thought, knowledge, or memory, and has to do with mental construction" (p. 107) と説明しています。つまり、Linguistic-psychological-aesthetical cycle of refamilirizationとは、言語表現に触れることで (1) ~(5) の心理的なプロセスを経て、(6) のような美的観点の評価がなされる、というrefamiliarizationの処理についてのサイクルということになります。なお、著者はこのサイクルに関して、以下の2点を補足としてつけ加えています。

(1) 処理は上記の (6) で完結するのではなく、"it may occur recursively during reading" (p. 107)

(2) 読者はこのサイクルを通して新たな観点や物の考え方を獲得することになるため、"the reading will modify the readers" (p. 107)

●調査結果の報告

今回の調査では、15名の人文学系の上級文学学習者と15名の工学系の学習者が調査参加者となっています。調査参加者は、個別に調査に参加しています。調査参加者は短編小説を母語で黙読するように指示され、読解の最中に立ち止まることがあれば、"(1) locate the element or segment that caused impact, underline it and read it aloud; (2) relate to the interviewer the reason why the element or segment drew their attention; (3) if the pause in their reading was caused by any problems that they had to resolve, they were asked to try to 'think aloud' while they looked for a solution." (p. 110) という指示または操作がなされたそうです。

なお、短編小説についてはあらかじめ文ごとに前景化の程度が定められています。さらに、調査参加者の発話を分析するにあたって、調査参加者のrefamiliarizationの程度を判定するための枠組みと調査参加者の感情を評価するための枠組みも作られています。また、発話時のパラ言語学的要素についても書き留めておき、分析に活用されています。この論文の具体的な実験デザインや各枠組みの構成法等については論文を直接ご参照ください。

この論文の結果として、以下の事柄が述べられていました。

(1) 前景化の程度が高い箇所は読者の注意を引きつけていた

(2) 前景化に注意が引きつけられると、読者はuncertaintyを感じていた

(3) 読者はテクストの構造やその構成要素についてコメントする際に、joyを感じていた

(4) 前景化に触れることで生じるanxietyは、読者の感情をconfusionからsatisfaction(またはjoy)へと変容させる上で重要な働きをしていた

(5)  作品の効果を評価する段階へと至ることができた読者は、その段階において喜びを感じていた。同時に、作品と自身を関連づけて新たな観点を獲得していた。

(6) refamiliarizationを十分に行うことができた者は人文学系と工学系両方の集団ともに少なかった(前景化された表現に注意を向けることはできたが、それをrefamiliarizationすることはできなかった)

(7) refamiliarizationを十分に行うことができなかった読者は発話時にnervous laughter、sighing、frowningといったパラ言語学的行動を伴っており、refamiliarizationを行うことができた読者はsimple and delighted laughterやsmilingといった行動が伴っていた

(8) 人文学系の調査参加者は工学系の調査参加者よりも様々な方略を駆使しており、そのプロトコルは長くなる傾向があるが、それでも結局は前景化への反応の仕方はliterary trainingとは独立していた(literary trainingの有無はrefamiliarizationができるかどうかということに影響を与えなかった)

以上の結果を受けて、著者は論文のまとめとして以下の点を指摘しています。

(a) 読者の前景化への反応は、基本的にLinguistic-psychological-aesthetical cycle of refamilirizationで予想された通りに進む(refamiliarizationの段階に到達できるような読者はこのサイクルで予想された形で処理を進めていく)

(b) "aesthetic feelings (producing textual comments while experiencing satisfaction or joy) seem to intiate changes in readers' grasp of textual meaning and motivate attempts of revision and reconstruction of the interpretive shemata." (p. 120) )

(c)  "The role of literary education might be to enable students to be better equipped to develop more complex refamiliarization strategies, but it does not seem to be solving the critical and emotional distance of readers towrads literary reading." (p. 121)

(a) は、(1) ~ (5) に基づいて述べられています。

(b) は、特に (5) に基づいており、更にこの結果はMiall & Kuiken (2002) の主張を裏付けるものであると主張されていました。

(c) は、特に (8) に基づいています。また、関連して、文学教育が学習者の文学読解向上に貢献していないという問題がブラジルやカナダで報告されていることが紹介されていました。著者は、Schmidt (1983) の a plea for a 'literary erotics' という概念を借用しながら、文学教育は読者に感情を伴った状態で文学テクストを処理させて解釈の増殖を刺激しなければならないと述べていました。

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2014年4月10日 (木)

野口ジュディー(2013).「文学テキストへのESPアプローチの応用」を読む(吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』,英宝社)

文学作品を教えるにあたって、ESPの方法を応用することを提案した論文です。

野口ジュディ―(2013).「文学テキストへのESPアプローチの応用」(齋藤安以子・幸重美津子(訳)).In吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』(pp. 9-19).英宝社.

概要

この論文で特に私が興味を持ったのは、以下の2点です。

(A) 英米における文学と言語教育の関係の変遷

(B) 文学教材指導へのESPの方法論の応用法の提案

●英米における文学と言語教育の関係の変遷

このことについては様々な文献がありますが、著者も他の文献と同様にその流れを以下のように素描しています。

(1) 19世紀終わりに英米の大学が英文学を専門とする教師に学生の必修科目である作文のクラスを担当させ、結果として文学テクストが使用される授業が増えた

(2) オーディオリンガル・メソッドの導入などによって文学教材は授業から追いやられた

(3) 文学教材は、オーセンティックな談話を学習者から引き出すことができると考えられ、再び教材として使用されるようになった

しかしながら、文学教材の使用は以下のような課題を抱えていることも紹介されていました。

(1) 現実社会での言葉の習慣を学ばなければならない少数言語話者の学習者にとっては、教材が文学作品である必要はない

(2) 学習者が文学作品について作文する場合、必ずしも学習者の興味にそぐわないようなディスコース・コミュニティ向け(つまり文学研究というコミュニティ)の習慣を習得することに時間をかけることになってしまったり、逆にどのディスコース・コミュニティーにも適合するような文章を書こうとして結果としてどのコミュニティーにも不十分な文書を書くことになってしまう危険性がある

(3) 文学作品を用いるのかどうか、用いるならどのような方法を用いるのか、という根本の問題に関してまだ議論が十分されていない

文学教材指導へのESPの方法論の応用法の提案

著者はESPの方法論である以下の (1) を 第2言語での読解処理である研究の成果である以下の (2) と組み合わせて、文学作品の指導を再考することを提案しています。

(1) OCHA(observe、classify、hypothesize、apply)によって、文章または談話のPAIL(purpose、audience、information、language features)を識別すること

(2) Grabe (2009) によって提案された、第2言語における読者の認知処理・言語処理

著者は、まず (2) に沿って文学教材の指導を行い、適宜 (1) を活用していくことを提案しています(詳細はp. 13を参照下さい)。また、このことを更に補うツールとして、Librivox(文学作品の音声ファイルを提供しているサイト)、Project Gutenberg(文学作品の原文を提供しており、更にコーパス言語学的分析も可能なサイト)、AntConc(コンコーダンスソフトウェア)が紹介され、これらを使って文学作品の言語を分析することで、文学という「ジャンル」についてどのようなことが分かるのかが示されています。著者は、このようなツールによって明らかにされた情報を活用して、指導をより充実させることができるのではないかと考えています。最後に著者は、「ESPは、私たちを刺激して人生を豊かにする文学と関わり合うための概念とツールを提供できる」(p. 16)と述べて、この論文を終えていました。

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斎藤兆史(2013).「新時代の英語教育と文学―本ハンドブックの推薦文に代えて」を読む(吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』,英宝社)

いつもお世話になっている先生が執筆された論文です。本書の序言として書かれているもので、文学と英語教育に関して様々な接点が紹介されていました。

斎藤兆史(2013).「新時代の英語教育と文学―本ハンドブックの推薦文に代えて」.In吉村俊子・安田優・石本哲子・齋藤安以子・坂本輝世・寺西雅之・幸重美津子(編),『文学教材実践ハンドブック―英語教育を活性化する―』(pp. 5-8).英宝社.

概要

本論文で挙げられていた英語教育と文学の接点は以下の通りです。

(1) 開隆堂が戦後間もなく出版した高等学校用英語教科書のHigh School English: Step by StepのUnit2-3に、Charles DickensのDavid Copperfieldの原文が載っていた(つまり、当時の高校生は高等学校修了時までにこのような洗練された英文に振れる機会が与えらえられていた)(ただし、当時の高校3年生が全員このような英文を読みこなすだけの英語力を身に付けていたとは考えにくいということも著者によって補足されています)

(2) 英語達人は、どこかで英語文学作品を多量に読む時期が必ずある

(3) 終戦直後に日本政府とGHQの間で外交の仕事を行ったアメリカ人の中には日本文学・文化研究家がいた

(4) JACETの初代会長は英文学者であり、「文学的素養と実践的英語運用能力の有機的連関、そしてそのような連関を学習者の中に作り上げる大学英語教育の方法論の模作こそがJACETの減点であった」(p. 6)

(2) と (3) と関連して、著者は「外国語の文学作品を原文で読むことは、その言語の運用を極めるための必要条件であると言えそうだ」(p. 6)と指摘しています。

また、CLTが日本に導入された後、「伝統的な英語教育のせいで日本人は英語ができない」という言説が作り上げられたことも指摘されていました(そもそも日本国内では環境的にも学習時間的にも英語学習は困難です)。その言説というのは、「今までは文法や読解を中心としていたから失敗だった、英米の文化を受容するだけの受け身の英語教育だったからまずかった、英文科出身の教師が教えていたから駄目だった、そして何より英文学作品などを読んでいたから英語がうまくならなかった、などなど」(p. 6)というものです。

非常に短い論文ではあるのですが、日本国内における文学教材と英語教育の関係に関する問題が簡潔にまとめられており、大変勉強になる文献だと思います。

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2014年4月 9日 (水)

R.de Beaugrande(1985).「Poetry and the Ordinary Reader: A Study of Immediate Responses」を読む(『Empirical Studies of the Arts』)

この論文も再読したものです。著者は、一般的な読者が母語で即興で詩を読む際にどのような発話を行うのかということを調べ、そのことを通して一般的な読者による詩の読解プロセスのヒントを得ようとしています。

de Beaugrande, R. (1985). Poetry and the ordinary reader: A study of immediate responses. Empirical Studies of the Arts, 3 (1), 1-21.

概要

この論文では主に以下の2点が述べられています。

(A) 本研究が寄って立つ立場の説明

(B) 調査参加者の詩の読解プロセス中の発話の分析結果

●本研究が寄って立つ立場の説明

本研究は以下のような考えに基づいた研究となります。

(1) 詩の読解について明らかにされるべきは、専門家の読解プロセスではなく、その数が圧倒的に多い一般的な読者の読解プロセスである(p. 1, 16)

(2) テクストは読者と関わりを持つことで初めて意味をなす(テクストは出来事として存在する)(p. 2)

(3) 詩の教育においては専門家の読みがよく参照されるが、一般的な読者であっても十分に作者と同じような解釈へと至ることができる。したがって、学校教育や大学教育における詩の教育でも、もっと一般的な読者の読みを活用す(注目を払う)べきである。(p. 4)

●調査参加者の詩の読解プロセス中の発話の分析結果

調査参加者は一人ずつこの調査に参加しています。まずは詩を音読するように指示され、詩を回収した上で、記憶からその詩を記述したり要約するように指示されます。次に、今度は詩を見ながらその詩が何を伝えようとしているのか("what it's about")記述または要約するように指示されます。調査参加者が立ち止まった場合は、著者が "what images stick in your mind?" "how do you think the title relates to the rest of the poem?" といった質問を投げかけて、課題の遂行を促したとのことです。(p. 8)

なお、この論文では、残念ながらなぜこのような調査方法を取ったのかは明らかにされていません。また、結果報告でも、どの段階で得た発話データなのかが区別されていませんでした。

著者は、今回得られた発話には以下の7つのoperationが見られたとしています。

(1) staging

(2) hedging

(3) citing

(4) key-word association

(5) paraphrasing

(6) normalizing

(7) generalizing

(1) は、"the first thing that I got from it was" といった表現のように、発話を導入する際に用いられるものです。

(2) は、"it seems" といったように、自身の発話内容には不確かさがあることを表明するものとなります。

(3) は、作品内の表現をそのまま引用するものとなります。なお、Hanauer (2001) は、このタイプの発話が生起することを根拠として、詩の読解は言語形式への気づきを引き起こすということを主張しています。

(4) は、詩の中から1~2語の表現を抽出し、それを詩の外部の物事と関連づける操作となります。

(5) は、作品内の表現を意味を変えずに言い換える操作となります。

(6) は、作品内で見られる表現をより身近な表現に変えて、自身の経験等と関連付ける操作となります。

(7) は、作品から一般的なメッセージを抽出する操作となります。

著者は、(4) (6) (7) は詩の読解において重要な操作であるが、同時に注意もしなければならないと述べています。その理由は以下の通りです。

"the typical respondent strategies of associating, normalizing, and generalizing are helpful up to a certain point, but readily distract from or dilute a text-centered experience."

著者は、実証的な調査によって、これら3つの操作が有益に機能するのはどこまでなのかを明らかにしていく必要があると述べています。

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2014年4月 8日 (火)

J.Shimron(1980).「Psychological Processes Behind the Comprehension of a Poetic Text」を読む(『Instructional Science』)

この論文も10年ほど前に読んだのですが、この度再読しました。L1での詩の読解プロセスを調査した研究です。ただし、6人のグループによるグループ・ディスカッションの中での読解プロセスですので(個別の読解プロセスではないので)注意が必要です。

Shimron, J. (1980). Psychological processes behind the comprehension of a poetic text. Instructional Science, 9 (1), 43-66.

概要

この論文では主に以下の4点が述べられています。

(A) 詩の読解の特殊性について

(B) 詩の読解モデル

(C) 調査結果の報告

(D) 調査結果を踏まえた上での詩の読解の特徴づけ

●詩の読解の特殊性について

著者は詩の読解プロセスに関して以下のように考えています。

"The specific contribution of this work is in the attempt to find out how far a model of reading a regular text can go to explain processes involved in reading poetry. In other words, what must be added to the reading model of a regular text so that it can be used to describe the reading of poetry?" (p. 44)

著者は、詩の読解を記述するためには、一般的な読解処理モデルを拡張することが必須であると考えています。このことの理由として、以下の2点が挙げられています。

(1) "the meaning of poetry is not only derived from the words and sentences themselves, but also from the structure of the text." (p. 44)

(2) 詩の読解にはその他のテクストの読解にはない特殊なpsychological dispositionがあり、"A person who reads poetry, for example. looks for symbolic meanings and makes special attempts to understand words or strings of words that are not clear at first glance, and which would be considered nonsensical in a non-poetic text." (p. 45) という事態が生じる

●詩の読解モデル

著者は、詩の読解には以下の8つの段階が含まれると考えています(ただし、この順に処理が本当に生じるのかどうかということについては自信がないそうです)。

(1) recall of schemas from memory

(2) hypothesis concerning major themes in the text

(3) test of relevance

(4) integration

(5) discovery of parallel structures

(6) comparisons

(7) drawing inferences

(8) test of correspondence

(3) は、読解中に想起された様々な情報を、そのテクストの主テーマに照らし合わせて選定していく処理となります。関連があるとされた情報は (4) において統合されることとなります。

(5) は、その作品が並行関係を形成していそうな他の作品や出来事を発見する処理(類推処理)となります(著者は、この処理はメタファーの理解における処理と同類の処理であると考えています(pp. 57-58))。そして、実際に (6) においてその並行関係が吟味されることとなります。この論文では、調査参加者は強制収容所へ連行される人々を扱った詩が、聖書でみられる人間関係と並行関係を形成しているのではないかと考えています。

(8) は詩の読解プロセスの最終段階であり、自分の頭の中に形成された表象が目の前の詩に十分に対応したものであるかどうかを確認する処理となります。

●調査結果の報告

この調査では、6名のべブライ語母語話者が、6人で一緒にヘブライ語詩を理解していくプロセスが記述されています。なお、作品のタイトルも含めて、調査参加者には詩が順次1行ずつ与えられ、各行が提示された時点でそのグループでどのような発話がなされているのかが記述されています。そして、著者が示した詩の読解モデルを裏付ける結果(詩の読解にはすでに挙げた8つの段階が確認されるという結果)が得られていました。

以下では、個人的に面白いと感じた著者の指摘を挙げておきたいと思います。

(1) 詩の読解プロセスは、その読者がどのような知識を持っているかによってスピードが速まったり、異なったりする(今回の調査では、ホロコーストに関する知識を読者が持っていたため、調査で用いた詩に対してすぐにその観点から読解を開始した(詩にはホロコーストの観点を促すようなヒントはほとんどないにもかかわらず))(p. 54)。

(2) 調査参加者は、他の情報と照らし合わせながら想起された不要な情報を削除していた(p. 54)

(3) 特殊な知識(ホロコーストに関する知識)によって、通常であれば理解不能な語の組合せに対して意味を見出すことができていた(p. 55)

(4) )詩の読解では、通常であれば矛盾とみなされるような事柄に対して寛容になるようだ(p. 55)

(5) "... the name Eve would be just another female name if met by a newspaper reader, but it connotes primarily the biblical figure to the reader of poetry" (p. 57)

(6) "It seems that when the reader is predisposed to extract information from words of poetry, (s)he adopts two kinds of operations: The first is a search for communality - a possible relationship between words in the text that are not usually semantically related. The second would involve bending, or even cancelling out, one or more of the common semantic rules which is generally applied more rigidly." (p. 57) これら2つのoperationはtest of relevanceの段階(上述)と関連している。

(7) 詩の読解はテクストを最初から最後まで1回だけ通読して終わるわけではない。以降の読解では、必ずしも1回目の読解プロセスを繰り返すわけではない。今回の研究では、「脱文脈化」とでも呼ぶべき処理が行われていた。この処理は、"the process by which the specific facts of the situation described are disregarded in order to gain a wider perspective of the whole event" (p. 63) であり、詩から一般的なメッセージを読み取るものとなる。そして、そのメッセージを自身の経験と結びつける(p. 64)。

調査結果を踏まえた上での詩の読解の特徴づけ

著者は、詩の読解に関して以下のように特徴づけていました。

(1) 詩の読解は、部分的には一般的な読解プロセスと共通している(最初の3段階)

(2) 詩の読解は、一般的な読解プロセスでは見られない処理段階を有している(5、6、7段階)

(3) しかし、上記のような特殊な処理段階が詩の読解のすべてではなく、他にもまだ特徴があると考えられる(例えば一般的なメッセージの読み取りやそれを読者の経験に関連づけることなど)。詩の読解は、その他のテクストの読解とは質的に異なる情報処理であると言える。

そして、論文のまとめとして、以下のように述べて本論文を終えています。

"What characterizes the predisposition of a poetry reader is (a) the tendency to process a maximum of information from memory schemas that are evoked during reading; and (b) the reader's readiness to process information expressed similarly to metaphors. That is, to process pieces of information whose meanings would not be considered consistent if taken literally." (p. 64)

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2014年4月 7日 (月)

V.M.デ・アギアル・エ・シルヴァ(1977/1981).『言語能力と文学能力―生成詩学の可能性について―』を読む(谷口勇(訳),溪水社)

 

本書では、著者は生成詩学(本書では生成文法の考えに基づいて文学能力モデルを確立しようとした研究を指します)を徹底的に批判していきます。著者は、これらの研究が生成文法を首尾一貫した形では応用していないこと(ある部分は生成文法を応用して、また別の部分では生成文法とは相い入れない仮定をしてしまっていること)、文学能力には確かに言語能力のような生物学的要素は関係しているが同時に歴史的―社会的要素も強力に関係していることを見落としていること(生成文法的であろうとして、文学という現象の本質を見落としている)、といったことをその問題点として挙げています。

 

 

著者は、まず生成文法の考え方をレビューし、次に生成詩学がどのような問題を抱えているのかを指摘するという形で議論を進めています。なお、本書で言うところの「生成詩学」ですが、Zholkovskyらの生成詩学とは基本的に関連性はありません(前書きでは訳者がZholkovskyの研究に言及はしていますが、著者自身は本書の中では一切言及を行っていません)。

 

 

デ・アギアル・エ・シルヴァ,VM.(1981).『言語能力と文学能力―生成詩学の可能性について―』(谷口勇(訳)).溪水社.(原著は1977年出版)

 

 

 

<第1章:チョムスキーの言語能力の概念>

 

この章では、Chomskyの考えが、主にその理論的背景(言語哲学と科学哲学)を中心にまとめられています。生成文法をあまり読んだことがない人はおそらく理解にかなりの困難を要すると思いますが(専門用語を多く使用した説明がなされています)、知識のある人であれば簡単に読めます。生成文法に関しては多くの書籍が出ていますので、ここではこの章の概要を示すことはせずに、著者が生成文法に対して行っているコメントの中で個人的に興味を持った点のみを列挙します。

 

 

(1) Chomskyをはじめとした生成文法はソシュールのラングとパロールという2分法に関して少し思い違いをしている(ただし、このことが生成文法の重要性を減じたり、ヨーロッパ構造言語学の正統性を大きく高めたりするとは著者は考えていません)。デ・マウロも指摘するように、ラングは無数の記号を産み出すことのできる規約として提示されているということ(ラングは単なる記号の静的体系ではない)、文はパロールだけでなくラングの次元での現象でもあること、を認めなければならない(pp. 32-33)。

 

(2) 「チョムスキーは言語の創造性に二種類―規則を変える創造性(rule-changing creativity)と規則に支配された創造性(rule-governed creativity)―を区別している。前者は言語運用の水準で検出できるもので、文法規則の総体を変える。後者は言語能力に特有のもので、文法の総体を不変のままに残すし、そして、繰り返し的性質(つまり、文法規則が無限に適用されうるという特質)によって特徴づけられる。上述の理由から、生成文法は規則に支配された創造性にかかわる。」(p. 35)。

 

(3) 社会言語学やコミュニケーションの民族史による生成文法への批判の内容を考慮すると、「記号作用の生物学や、人間の意味作用・コミュニケーションの歴史的-社会的過程や仕組を、十分に、かつ科学的厳密性をもって表明する理論の定式化の方向で、かれ[Chomsky]の理論を再考すること」が必要と考えられる(p. 61)(現に、Chomsky自身このような研究の可能性を弁護している(第2章参照))。ただし、このことを認めたとしてもChomskyの試み自体にそれほど大きな問題を引き起こすわけではない(つまり、Chomskyはこれまで通り言語能力を対象に研究を進め、その他の研究者が他の新たな事柄を生成文法的なアプローチに則って研究すればよく、その上で両者の研究を関連付けていけばよい)

 

 

 

<第2章:文学能力の概念>

 

Chomsky自身は、「人間の認識および創造性の他の領域に関する説明的仮説を、言語能力の仮説に類似した述語で定式化する可能性」(p. 103)を弁護し、それらを生得的に考えることについても賛成の意を表しています。そして、事実、生成文法の言語能力の考え方に基づいて様々な研究が行われてきました。しかしながら、Chomsky自身これら実際になされた研究についてはたして本当に生成文法の考えに即したものとなっているかどうか疑問を持っているようです。この章では、著者は特にBierwisch、生成韻律学、van DijkCullerの研究を取り上げ、それらがいずれも問題を抱えているということを指摘していきます。次章で明言されますが、著者は生成文法に依拠して文学能力について研究することには極めて懐疑的です。

 

 

(1) Bierwischは、何の根拠も示すことなく詩的規則も文法規則同様に直観的能力の要素であると主張してしまっている(p. 109

 

(2) 生成韻律学は、生成文法と同様に韻律に関してこれまでの韻律論で暗黙とされていたような規則を明示的に列挙することでもって満足してしまっている(確かに、生成文法はすべての文法的な文を、厳密かつ明示的に列挙して定義しようとするが、このことがそのすべてではない)(p. 115

 

(3) 韻律規則体系は歴史的―社会的要因との機能的結びつきなしでは説明することはできないのに、生成韻律学はこのことを扱おうとしない(生成文法的であろうとするあまりに韻律という現象の重要な側面を見落としている)(p. 117

 

(4) Chomskyが人間の認識及び創造性を扱う上で否定したにも拘らず、Bierwischは帰納主義的方法で議論を進めている(生成文法的な理論としてはもはや破綻している)(p. 118

 

(5) 文学能力は、その言語共同体内で社会文化的に構築されてきた知識や技能が関わるが、van Dijkは生成文法的であろうとするあまり文学能力のこういった歴史的-社会的側面を見落としている(p. 122128

 

(6) van Dijkは文学能力は学校教育などを通して後天的に学習されるということを認めてしまっている(生成文法的にするために歴史的-社会的側面を無視することを自身で決めたのに、別の箇所でこのように述べているため、理論としてすでに破綻している)(p. 123, 126

 

(7) van DijkBierwischらの同様に、「文学テクストは、すべて、それを書くのに用いられた言語の生粋の話し手たちの言語能力でもって規定された文法性に比べての、大なり小なりの偏差によって特徴づけられるという原理」(p. 130)を前提としているが、文法的不規則性を用いればそのテクストが文学になるわけではない(文法的不規則性のない文学作品も多く存在している)。結局、文学という現象には他の諸規則(例えば、歴史的―社会的諸規則)が作用している。それに、文学テクストに生成文法を応用すれば、言語的逸脱に関する手に負えぬ数の規則を認めなければならなくなってしまう。(pp. 130-131

 

(8) Cullerは文学能力に対して生得的な考え方を採らずに研究をスタートしたが、途中から生成文法的な概念を徐々に導入していき、結果として理論的に破綻している(研究当初の前提とは相いれない考えを次々に導入してしまっている)(pp. 132-134

 

 

 

<第3章:むすび>

 

著者は生成文法に基づいて文学能力を説明するような学問の構築には極めて懐疑的です。そのことは、以下の言葉に明確に現われています。

 

 

「それぞれの文学テクストの固有言語は、文学的記号作用の特殊な“メカニズム”によって可能になった具体的なメッセージに相当する。このメカニズムは、疑いもなく生物学的記号作用の“メカニズム”と結びついており、しかも、普遍的有効性のある論理学的範疇を同時に含んでいるが、しかしそれは、歴史的-社会的現象として構築され、機能し、作用する。したがって、それが一部分として参加している、歴史的-社会的全体―抽象的な歴史性ではなく、はっきりした歴史的-社会的全体―との相関において分析された場合にはじめて、適切に記述されせつめいされうるのである(このことはつまり、詩学が適切に記述的・説明的な理論として建設されるのは、共時的にも通時的にも、社会詩学が将来実際に行われる場合においてだけだと主張するに等しい)。」(p. 148

 

 

 

<付論:“文学能力”の概念について>

 

これは本書の原著がスペイン語に翻訳される際に付論として付け加えられる予定となっているもので、1979年に執筆されています。ここでは、第2章で扱わなかった他の研究者による文学能力論を取り上げ、本書で既に述べたことと同じ問題点が見られることが指摘されています。著者は、まず以下のように述べます。

 

 

「科学的合理性を腐食させる、ごく頻繁な過程のひとつは、たとえ何らかの観点では特定の研究領域と関連があるにせよ、異なった研究領域で理論上構築され、作業上テストにかけられた諸概念の名称を、特定の研究領域において使用することである。すなわち、問題は諸概念の移動ないし適用にあるのではなくて、単に名称だけを移動させ、その結果として、かかる名称で媒介された諸概念の理論的効力、発見術的能力、および強度を空洞化させることにあるのだ。」(p. 152

 

 

相変わらず、文学能力論に対して厳しい批判を行っています。この章で挙げられていた先行研究への具体的批判は以下の通りです。

 

 

(1) Di GirolamoChomskyの言語能力から「能力」という語を借りているが、その語に何ら生得的な特質を認めておらず、その上で「文学能力」という語を使用している(生成文法を誤解した上で自身の研究に用いている)(pp. 152-153

 

(2) Mignoloは生成文法の考えをそのまま文学能力に置き換えることには問題があるということを十分に認識しているのであるが、韻律能力を純粋な生物学的能力と見なしてしまい、韻律の歴史的―社会的側面を見落としてしまっている(pp. 154-155

 

(3) Riffaterreは、Chomskyの名前こそ出していないが、自身が歴史的―社会的なものと見なしている「文学能力」という概念を説明する上で、Chomsky用語をたくさん用いている(社会的な現象を生物学的な方法で説明しようとする矛盾)(p. 156

 

(4) 文学言語は標準言語に対する偏差と特徴づけられてきたが、これらの研究で行われているのは生成文法の枠組みを使って文学言語を記述するレベルにとどまっており、その生成を説明することはできていない

 

(5) 文学言語を標準言語の文法とは別の独立した文法と見なす研究があるが、作家によって文体が大きく異なっているため、作家ごとでそのような文法を作り上げなければならなくなる(これは研究上大きな問題と言える)

 

(6) van Dijkは、1972年の研究ではかなり厳密に文学能力を特徴づけようとしているが、文学という現象には歴史的―社会的側面が関係しているということを見落としている(pp. 159-161

 

 

最後に、著者はThomasの以下の言葉を紹介し、生成詩学の構築は難しいだろうという旨を再度確認して本書を終えていました。「生成詩学が高度な専門性を有するほかに、その証明や意図に保証の外見を授けるためにそれ固有の基盤を問題にし得ないという、生成詩学の置かれている状況からすれば、われわれが序文の中で指示したように、なぜ生成詩学の初期の多数の支持者たちが、この詩学によって自分たちが閉じ込められていた抽象的な理論的枠組を放棄して、諸コンテクスト(主体/社会的)の言語外的寄与を再評価しつつ、詩学の定義の諸条件を再考慮しようとしたのか、その理由が説明できる。」(p. 53 cited in p. 162

 

 

ただし、Thomasはこれらの研究に一定の意義(ただし、本書の著者自身はかなり小さな意義と考えているようですが)も認めており、「彼らがしばらくの間維持した方法論的幻想は、しかしながら、ひとつの業績を生み出したし、そして、言語学と詩学とを結ぶ、常に活動的な関係をよりよく理解するのに大いに寄与したのである。」(p. 53 cited in p. 163)と述べています。

 

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2014年4月 2日 (水)

C.Svensson(1987).「The Construction of Poetic Meaning: A Developmental Study of Symbolic and Non-symbolic Strategies in the Interpretation of Contemporary Poetry」を読む(『Poetics』)

この論文も大学院時代に読みましたが、この度再読しました。年齢(解釈共同体への帰属度)が詩の読解(L1)に与える影響を調査した論文となります。

Svensson, C. (1987). The construction of poetic meaning: A developmental study of symbolic and non-symbolic strategies in the interpretation of contemporary poetry. Poetics, 16 (6), 471-503.

概要

この論文では主に以下の3点が述べられています。

(A) 論文の理論的背景の説明(文学読解への社会構成主義的アプローチ)

(B) 調査結果の説明

(C) 結果に基づいた考察

●論文の理論的背景の説明(文学読解への社会構成主義的アプローチ)

著者は、Bleich、Fish(interpretative community)、Culler(literary competence)らの考えに基づいて、以下の点を本研究の前提として提示しています。

(1) 読者はその共同体の中で社会化していくプロセスの中で、詩から詩的意味を構築するための読解方略を身に付けていく

(2) その読解方略にはいくつも種類があり、しかも各読解方略は更に複数の下位の読解方略に分けることも可能である

(3) "To be in a situation is to be permeated by its interests, values, norms, goals and understood practices. To be in a poetry-reading situation ― to have defined or identified the text before one's eyes as a poem (and this is done with the aid of pragmatic indicators like typographic arrangements, semantic density, etc.) ― is to become heir to a system of intelligibility (the literary system) made up of categories (norms, strategies, etc.) which constitutes inter alia poetry. The poetry-reader is in possession of a number of norms or goals that determine the properties to be ascribed to poems, such as complexity, unity, and central insights. He also has access to the corresponding intepretive strategies, or practices that effect such proerties. Thus, he looks for latent ambiguities, for overtones and subtle shades of the meaning, for connections between the words, and between the words and the central insight (for which he also looks) and, thus he has been attentive to unifying features as well." (p. 478)

(4) "Symbolic reading, obviously, is an interpretive procedure well suited to bring out such proerties [=ambiguities, overtones and subtle shades of the meaning] in a text. But, put the other way around, these norms and strategies (as well as others implied by them) may also be said to constitute conditions for the interpratation of literary symbols." (pp. 478-479)

(5) "A poetry-reader is characterized by a readiness for intensive processing of the text. He is predisposed to be active and cooperative, that is, to take up an interpretive or 'subjective' attitude (not a descriptive or 'objective' attitude). This more general appropriateness condition of literary (poetic) communication is met by virtue of the strategy of looking for (that is: creating) enigmas and gaps, to solve and fill out respectively. Such a willingness to promote the completion of the communicative act probably facilitates the actualization of the semantically unchained spheres of notions and associations that encompass the symbolic objets." (p. 479)

(6) "The assumption that poems deal with essentials, express central insights, brings about the application of a strategy which implies the creation of non-trivial meanings by means of focusing generalizable elements (objects, images, actions). This conferment of wider significances turns the elements in question into either types or symbols, depending on which meaning is generalized ― that of the normal or that of the symbol creating (e.g. aesthetic, mythical, or religious) contexts." (p. 479)

上記の (6) で述べられている2つのケースについては以下のように説明されています。

(6a) "Approaching a text, say a poem, which seems to be platitudinous or dealing with banalities, the reader reacts by asking himself if this is really the entire message. His standard expectations are troubled, and he says to himself, that this cannot of course be all that there is. The text must refer to something over and beyond itself, that is, represent symbolic objects (cf. Furberg (1982: 224)). The kind of symbolism that results from this mechanism is called disguised, i.e. the text or the painting can be interpreted both realistically and symbolically (= can be sttributed a coherent meaning also on a literal level (Panofsky (1953))." (p. 479, emphasis in original)

(6b) "The other class of symbols, the so-called open symbols, is the product of quite a different norm or assumption, which states that poems are coherent and consistent, logical and meaningful (i.e. it is possible to give them that kind of interpretation, cf. Culler's 'convention of thematic unity'). When coherence and logic (realism and knowledge of the (everyday) world) are challenged by anomalies (e.g. metaphors and hyperboles) the reader can either reinterpret these in relation to the context (in a broad sense) or reinterpret the context in relation to the deviant elements. The latter strategy is operative particularly in aesthetic, mythical and religious situations." (p. 479, emphasis in original)

また、(5) に出てくるenigmaやgapという概念は "any unwritten implication apprehended by the reader on the basis of what is explicitly expressed (= the proposition)" (p. 489) と説明されています。

さらに、詩の詩的意味解釈プロセスを実証的に調査した研究がいくつかレビューされています。

●調査結果の説明

この調査では、11歳、14歳、18歳の計72名の読者に母語でスイスの有名な現代詩人の作品を4つ読ませ、"What do you think this poem is about?" "You said this poem is about... Why do you think so? Could it be about something more or about something else?" "You said this poem is about ...(symbolic interpretation). What makes you think it is about and not ...(non-symbolic interpretation)?" という質問に対して答えを求めることでデータを収集しています。なお、4つの詩は、以下の点で統制が取られています。

(1) 長さがほぼ同じ

(2) 脚韻を踏んでいない

(3) 子どもにも分かりやすい文体で書かれている

(4) スイスの文化圏であれば簡単にそこから象徴を見出すことができるようなモチーフが、少なくとも作品内に1つは含まれている

(5) 象徴的にも非象徴的にも解釈が可能である(つまり、上述のdisguised symbolism)

著者は、この調査を通して以下のような結果が得られたと指摘しています。

(1) 性別は今回の調査には影響を与えなかった(pp. 485-486)

(2) 調査参加者の解釈は、literal descriptive、literal interpretive、mixed literal-thematic、thematic、mixed literal-symbolic、symbolicという6つのカテゴリーに分けられた(pp. 486-487。なお、各カテゴリーの定義はここでは省きます。論文中で詳しく説明されていますのでそちらを参照ください。)

(3) 年齢が上がるにつれてliteral interpretiveのデータが少なくなっていく(ただし、18歳の集団でも数は少なくなるがこのカテゴリーのデータは確認される)(p. 487)

(4) 年齢が上がるにつれてfigurative(これは、mixed literal-thematic、thematic、mixed literal-symbolic、symbolicの4つを指します)のデータが増えていく(ただし、11歳の集団でも数は少ないがこのカテゴリーのデータは確認される)(p. 487)

(5) 年齢が上がるにつれてsymbolicのデータが多くなる(p. 488)

(6) 読者は最初に自分が構築した解釈に固執する傾向がある(p. 488)

(7) symbolicというカテゴリーは、さらにquasi-symbol、conventionalized symbol、particularized symbolという3つのレベルに分けることができる(ここでも各カテゴリーの定義は省略しますが、particularized symbolが最も高度なものと考えられています)(p. 492)

(8) 年齢が上がるにつれてparticularized symbolのデータが多くなる(ただし、11歳の集団でも数は少ないがこのカテゴリーのデータは確認される)(p. 493)

(9) 18歳の集団の中には自身の解釈プロセスをメタ認知したり詩の読解に関する社会的慣習を元に自身の読解を考えたりすることができる者もおり、彼らはその上で意識的に特定の解釈方略を適用していた(p. 497)

なお、上記の (1) (3) (4) (5) は、集団間で統計的有意差が確認されたことを根拠として述べられている結果となります。また、(2) 及び (7) で挙げられているカテゴリーは詩をどのように読むかということに関する方法、つまり詩の解釈方略、とみなされています。

●結果に基づいた考察

著者は、今回得られた結果に基づいて、以下のことを主張していました。

(1) 詩の解釈方略はその読者の共同体(Fishの言うところの解釈共同体を指します)へ同化していくプロセスで獲得され、その共同体への同化の度合いによって用いることができる解釈方略は異なる(同化の度合いが強いほどsymbolicな解釈ができる)(p. 498)

(2) a schematic model of the process of symbol interpretation in the reading of poetry: "The identification of genre activates certain basic assumptions and corresponding interpretive strategies. Having identified the sequence of squiggles as poetry the reader acts in accordance with the system of intelligibility actualized in the situation. This system, specific for the literary community, includes norms, strategies and bodies of knowledge that ebable the reader to 'find what there is' once he has defined the situation as a poetry-reading situation. He knows that poems usually deal with essentials, and, consequently, he cannot accept as platitudinous and trivial. his expectations, based on his assumptions of what poems are, are not met, and therefore he employs one of the strategies that enable him to construct a poetic meaning more remote from the meanings of the normal contexts, namely, the strategy of symbolic reading, of thematic reading, or of literal interpretive reading." (p. 498)

(3) "Data show that readers with access to figurative strategies more than one strategy, and that often a poem that was given a symbolic interpretation by one reader, was given by another, with access to the same set of strategies, a thematic or literal interpretation. This seems to imply that there is room for individual application of the various norms and strategies, due probably to differences in relevancies and bodies of knwoledge. The individual's performatory activities within the different universes of meaning are not goverened entirely by institutionalized rules but also by his unique biographical situation." (p. 499)

(4) "Data show that to some of the youngest readers not even figurative language or stanzas were regarded as standard equipment of poetic discourse, whereas the more experienced readers obviously took such features for granted and sometimes even objected to an experienced platitude or other more subtle properties ascribed to the text. And the most advanced readers perhaps applied as a general strategy the looking for elements possible to generalize into symbols, irrespective of previously troubled standard expectations. And only when this strategy emerged as unsuccessful against the background of the basic norms, did they consider the strategies of thematic or literal-descriptive reading. In other words, it is likely that they had acquired a more elaborate conception of poetry, perhaps including different sub-genres, but that on the basis of previous experiences they found it appropriate to attempt to create symbolic meanings once the sign-matter was identified as poetry. Analogiously, less experienced readers, or readers exposed particularly to realistic poetry (which seems to be one of the dominating genres in collections of poetry for children, at least in Sweden), led by their assumptions as to what poetry is, applied non-symbolic strategies." (p. 499)

(5) "socialized poetry readers seem to base their symbolic interpretations on conventionalized motifs, whereas less experienced readers perhaps rely more on experienced platitudes and anomalies as indicators of symbolic meaning," (p. 499)

(6) "... what is a conventionalized meaning to one reader, might be an innovatory meaning to another, literarily less experienced reader." (p. 500)

(7) "Symbol interpreters employ more than one symbolic strategy, probably due to the same differences in the degree of socialization into the literary community. If symbolic interpretations of poetry are dependent on conventionalized motifs they require from the reader a set of invariant meanings more or less specific for the literary community. The practicing of the strategy of quasi-symbolic apprehension might be understood as an effect of the reader's failure to find such an entrance to the symbolic level, or, once it is found, to ascribe to it a meaning appropriate to the context in question. (Symbols are per definitonem plurisignificative.) This latter problem is probably also reflected in some readers' use of the strategy of employing conventionalized motifs without particularization. This strategy might, however, also be the result of a norm which prescribes that weaker meanings must be pushed into the background in favour of stronger, that is, more abstract and integrating, meanings. And some readers perhaps found it less problematic to meet the demands of the principle of thematic unity if they retained the more general meaning of the conventionalized motifs." (p. 500)

(8) "It is probably the case that devices like analogical reasoning and hierarchical integration are forcefully operative in the process of extending knowledge of a medium and of the perceptual world in general, including the aesthetic enclave of meaning." (p. 500)

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