« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月31日 (月)

P.Hoffstaedter-Kohn(1991).「Linguistic Competence and Poetic Text Processing」を読む(E.Ibsch,D.Schram,&G.Steen(編),『Empirical Studies of Literature: Proceedings of the Second IGEL-Conference, Amsterdam 1989』,Rodopi)

この論文も大学院生時代に一度読んだものとなります。第2言語学習者の詩の読解プロセスについて調査した研究です。

Hoffstaedter-Kohn, P. (1991). Linguistic competence and poetic text processing. In Ibsch, E., Schram, D., & Steen G. (Eds.), Empirical studies of literature: Proceedings of the Second IGEL-Conference, Amsterdam 1989 (pp. 87-96). Amsterdam: Rodopi.

概要

この論文は12名のアメリカ人ドイツ語学習者を対象とした調査に基づいています。学習者はドイツ語詩を読み、どの語句がその作品のpoeticityに貢献しているかを判断するように指示されています。この論文で主に報告されているのは以下の2点です。

(A)詩の理解プロセスで学習者が直面した問題点の記述と理解プロセスの特徴

(B)言語能力と詩の読解処理発動の関係

●詩の理解プロセスで学習者が直面した問題点の記述と理解プロセスの特徴

学習者が直面した主な問題点として以下の点が挙げられていました。

(1) 多義語の理解(ここではあくまでも辞書に複数の意味が掲載されている語に限られています)

(2) 未知の複合語の理解

(3) 既知語が非慣習的な形で使用されている場合の理解

さらに、学習者の理解プロセスには以下のような特徴が見られたそうです。

(1) なじみのない言語使用に出会うと、統語処理に問題を引き起こす

(2) 学習者は語句の理解が間違っていたとしてもそのことに気づかない

(3) 自分の理解に問題があることに気づいていても、その問題を解決する必要はないと考える場合がある

著者は、特に上記の (3) の特徴から、"it can be quite dangerous for learners to rely on their own judgment on what is necessary for understanding a text, and what not." (p. 89) と指摘しています。

●言語能力と詩の読解処理発動の関係

以下の結果が示されていました。

(1) 学習者は、母語話者が詩的だと考えた語句を母語話者同様に問題なく理解できれば(言語処理できれば)、その語句を詩的と判断することができる

(2) 学習者は、母語話者が詩的だと考えた語句を理解できなかった場合、その語句をそれでもなお詩的だとみなす場合もあれば詩的ではないと判断する場合もある

(3) 学習者は、母語話者が詩的だと考えた語句を母語話者同様に問題なく理解できたとしても、その語句を詩的とは判断しない場合がある

(4) 学習者は、母語話者が詩的だと考えた語句を母語話者同様に問題なく理解し、かつその語句が通常の言語使用の形ではないと認識していたとしても、その語句を詩的とは判断しない場合がある

(5) 学習者は、母語話者が詩的だとは考えない語句を詩的だと判断する場合がある。このことは、学習者がその語句の理解に問題を抱えていようと抱えていまいと関係なく生じる。

(6) 学習者の語句のpoeticity判断は不安定で気まぐれな傾向がある

当初著者は、母語話者が詩的と感じる語句を理解することが詩の読解処理を発動させる必要条件だと考えていました。しかしながら、今回の調査結果から、以下のように研究をまとめています。

(1) 母語話者が詩的と感じる語句を理解することは詩の読解処理を発動させる必要条件とも十分条件とも言えない

(2) 非慣習的な言語使用や文体論的特徴を認識することも詩の読解処理を発動させることに影響を与えると考えられるが、これらのこともその処理を発動させる十分条件とは言い難い

| | コメント (0)

2014年3月28日 (金)

R.ジェイコブズ&P.ローゼンボーム(1971/1972).『文体と意味 変形文法理論と文学』を読む(松浪有・吉野利弘(訳),大修館書店)

以前から気になっていたので読んでみました。本のタイトルからでは分かりませんが、生成意味論の本です(本書では、意味解釈で必要となるような情報が寄せ集まったものを深層構造と捉えており、それが変形規則を適用されて形式(表層構造)として出力されると考えられています)。なお、本書は生成意味論の入門書といった感じで、文学作品の言語に関しては限られた章でしか扱われていませんでした。この記事では文学作品の言語と関連する内容を中心にまとめておきたいと思います。

ジェイコブズ,R.,&ローゼンボーム,P.(1972).『文体と意味 変形文法理論と文学』(松浪有・吉野利弘(訳)).大修館書店.(原著は1971年出版)

●2種類の意味

本書では、基底的意味(basic meaning)と表層的意味(surface meaning)という2つの意味について論じられます。前者は、複数の表層構造が共有している意味のことを指します。後者に関して、著者らは以下のように述べています。

「2つの別な文の一方が、他方のパラフレーズではありえない。どんな文も、その完全な意味の一部は、その文のために選ばれた形式によって伝達される。古いことわざが言うように、「を言うかではなくて、その言い方が問題である。」もし文の基底的意味が、ひじょうに漠然とした意味で「何を言うか」に相当するとすれば、「その言い方」はわれわれの言う表層的意味、つまり作家の文体styleによって伝達される特別の次元の意味を与える。」(p. 4, emphasis in original)

●2種類の意味の関係

著者らは以下のように説明しています。

「同一の基底的意味を持つ2つの文が異なる形式を持った結果として、新しい意味が加わったのである。文体、つまり、ある形式を特に選択することは、重要な種類の意味を与えることがある。これは文の表層的形式に由来するので、本書では表層的意味と呼ぶことにする。基底的意味表層的意味の区別は、ある点では人為的なものであるが、作品を論ずるためにはきわめて有益である。」(p. 6, emphasis in original)

著者らは深層構造に対して変形規則が適用されて表層構造が出力される過程において、以下のような前提に立っています。(p. 7)

(1) 変形規則は深層構造の基底的意味には影響を与えない

(2) 変形規則が深層構造に適用された結果、表層構造において新たに表層的意味が生起する

また、著者らは深層構造は意味を表し、表層構造は形式を表し、両者を変形が結びつけることで形式と意味が関連づけられると考えています(p. 14, 18)。以上の議論は、以下のようにまとめられています。

「要約すると、文は意味と形式との両面を持っており、その両方とも構成要素構造によって表される・・・。文の基底的意味は、その深層構造によって表わされ、文の形式は、表層構造によって表わされる。深層構造は、変形の規則によって表層構造に変えられるが、それは構成要素構造の要素を移動したり、消去したりする規則である。変形は文の基底的意味を変えることはない。しかし、変形は文の基底的意味を変えないとしても、表層の意味には影響を与える。受動文でなくて能動文を選ぶのは、文体論上の問題である。」(p. 26, emphasis in original)

「深層構造は、構成要素と意味解釈に利用される関係とを抽象的に表わしたものである。変形は、意味を保持したまま深層構造を表層構造に変えるもので、通常、次々に変形を適用することによって表層構造になる。」(p. 39)

そして、変形の違いの効果を知ることは、文体が意味に与える寄与(例えば焦点の違いなども含まれます)を知ることであると述べています(p. 27, 46, 77)。ただし、特定の文構造の効果は、変形規則だけでなく、他の言語学的要因やその作品を構成するその他の要因を考慮に入れなければならないとも説明されていました(p. 132、176)。

つまり、本書は文学に関して以下のように考えていると推察できます。

(a) 変形生成文法系の理論(本書に関連づけて正確に言えば生成意味論)は文学研究に有益な示唆を与えることができる

(b) ただしそれだけで文学作品内の文(文体)の意味をすべて説明することはできない

ただし、本書で文学作品の言語が扱われているのは全17章中、第3、5、6、8、13、17章の6章だけであり、統語構造とテーマの関係について(ぼんやりと)論じた17章を除いては、基本的には特定の変形規則の説明に主眼があることから、(a) の示唆はあまり大きなものではないように思えました。

●生成文法系の言語学として興味を持った事柄

最後に、生成文法系の理論の中で生成意味論独自の視点だと感じた箇所を紹介したいと思います。

(1) 話者の世界観が発話の容認可能性を決定することを理論の中に組み込もうとしている点(意味的規則と非文法性を明確に区別する必要はないのかもしれないと考えている点)(p. 57)

(2) 行為遂行文に伴う発語内行為を深層構造に反映させることができると考えている点(p. 69)

(1) については、動物愛好家や植物愛好家が動植物に対して関係代名詞whoを用いる例や擬人法などを引き合いに出して議論されていました。

(2) については、深層構造で疑問文や命令文を表す構成要素 をより意味論的なものに変えるための手段として提案されているものです。あくまでも疑問文のI am asking youと命令文のI order youに限った話ではありましたが、生成意味論独特の考えのように思いました。

●本書の章立て

参考までに本書の章立てを示しておきます。

第1章:言語における形式と意味

第2章:深層構造と表層構造

第3章:構成要素と変形作用

第4章:抽象性と変形の順序

第5章:文のはめ込み、変形、文体

第6章:意味特性と意味表記

第7章:疑問文と意味表記

第8章:簡潔性と言語学的一般性

第9章:英語助動詞の標準理論的変形の記述

第10章:英語助動詞のより意味論的変形の記述

第11章:動詞句と動詞的語句

第12章:制限的関係節

第13章:非制限的関係詞と文体的焦点

第14章:名詞句補文化

第15章:代名詞と代名詞化の神秘

第16章:文法と解釈

第17章:語、文体、統語論、意味、その他もろもろについて

| | コメント (0)

P.Hoffstaedter(1988).「Poetic Texts or Poetic Processing?」を読む(S.Petöfi&T.Olivi(編),『From Verbal Constitution to Symbolic Meaning』,Helmut Buske)

これも大学院時代に読んだ文献なのですが、この度再読しました。とはいえ、先日書いたHoffstaedter(1987)とほとんど同じ内容の論文です(ほぼ全文がHoffstaedter(1987)のコピペです)。この論文ではこの問題についてどうなっているのか分かりませんので、深くは考えないことにしたいと思います。

この論文は、Hoffstaedter(1987)よりも若干調査内容に重点が置かれて執筆されています。Hoffstaedter(1987)よりも調査結果が詳しく記載されている箇所もあります(Hoffstaedter(1987)で省略された部分が省略されずに書かれていると考えた方がいいかもしれません)。Hoffstaedter(1987)とHoffstaedter(1988)で、どちらかひとつを読むとすれば後者の方がいいと思います(ですが入手しにくい文献ではあります)。

Hoffstaedter, P. (1988). Poetic texts or poetic processing? In S. Petöfi & T. Olivi (Eds.), From verbal constitution to symbolic meaning (pp. 415-438). Hamburg: Helmut Buske.

概要

すでに述べたように、Hoffstaedter(1987)とほぼ同じですので、この記事では情報が付け加えられている箇所のみを挙げたいと思います。Hoffstaedter(1987)の記事と合わせてお読みください。

●poeticityとは何かということについて

以下の記述が加えられていました。

"Under certain conditions any text can be processed poetically, and a poem is not necessarily processed poetically on any occasion" (p. 415)

●詩の読解処理の特徴

以下の記述が加えられていました。

"A disruption of the everuday routine of text processing can be a result of (改行) (a) difficulties in the process of text understanding, and/or (改行) (b) specific attention to means of expression, and/or (改行) the perception of topics that appeal to an emotional or imaginative level of processing" (p. 427)

さらに、詩の読解発動を図式化したモデルも示されています。このモデルでは、text、reader disposition、context-based expectationsの3要因がdisruption of the everyday routine of text processingを引き起こし、後者の2要因がさらにpositive evaluation of the disruptionを引き起こし、結果としてpoetic text processingが生じると説明されています(p. 428)

●調査法に関する問題点

著者は "apart from some indirect hints, we received no instructive information on the question as to how a text is processed when it is processed poetically." (p. 428) と述べています。そして、このプロセスをより直接的に眺めることができる方法としてthink-aloudを推奨しています。

●詩の読解処理に関する実証的研究の調査結果

(2') テクストに見られる並行性と意味論的逸脱も詩の読解処理を引き起こす強い要因となるようだ

(6') 全体的な特徴としてはHoffstaedter(1987)の記事で述べたとおりだが、細かく見ていくと次のような違いが見られた。"it seems that the students of literature, guided by their literary experience, tend to direct their attention to specific text properties like equivalemces, syntactic and semantic deviations, and ambiguities. The students of electrotechnic, on the other hand, seem to be less aware of the formal structure of a text. Their judgements seem to be more or less exclusively based on the content." (p. 423)

(12') Type A の読者はテクストのトピックに強い関心を示せば、複雑なテクストに対して解釈を試みるかもしれない

| | コメント (0)

2014年3月26日 (水)

P.Hoffstaedter(1987).「Poetic Text Processing and Its Empirical Investigation」を読む(『Poetics』)

このブログを立ち上げる前(大学院生時代)に一度読んだ論文なのですが、この度再読いたしました。この論文では、オフラインの調査法とオンラインの調査法を用いて詩の読解プロセスについて調査がなされています。著者のこの論文での主眼はどちらかというと(調査結果を示すことで)調査法の有効性を示すことにあるようですが、この記事では主に調査結果にウェイトを置いてまとめていきたいと思います。

Hoffstaedter, P. (1987). Poetic text processing and its empirical investigation. Poetics, 16 (1), 75-91.

概要

この論文では以下の事柄が述べられていました。

(A)poeticityとは何かということについて

(B)詩の読解処理の特徴

(C)調査法に関する問題点

(D)詩の読解処理に関する実証的研究の調査結果

●poeticityとは何かということについて

著者は伝統的にはpoeticityはテクストの内在的特性とみなされてきたとしながら、この論文では文学の経験的研究に広く見られる考え方に則って議論をするという立場を表明します。

"my assumption is that poeticity is a property of a certain type of text processing which takes place under specific text and context conditions and depends also on specific dispositions of the reader." (p. 75)

●詩の読解処理の特徴

著者は以下のように述べます。

"The poetic processing of texts is seen as a creative process which can take place when the everyday routine of text processing is disrupted. A further condition for the occurrence of poetic text processing is that factors leading to such a disruption do not result in a total breakdown but provoke the reader to attempt to bridge the disruption on a 'higher' level of interpretation." (p. 75)

そして、"It is assumed that certain text properties, reader dispositions and specific context conditions may lead to poetic text processing." (p. 75) と述べていました。

●調査法に関する問題点

これまでの研究は読解プロセスの結果(またはproduct)を通してそのプロセスを推察するという手法が取られてきました。著者は、think-aloudという方法もそのプロセスの結果(product)であるが、その他の方法よりもより直接的にそのプロセスを眺めることができるのではないかと考えています。

●詩の読解処理に関する実証的研究の調査結果

ここでは調査結果のみを列挙します。調査方法等の詳細は直接この論文をご参照ください。この論文では以下のような結果が報告されていました。

(1) 詩の読解処理が生じやすいテクストとそうでないテクストが存在する(多くの読者が詩的と感じるテクストがある一方で、多くの読者が詩的ではないと感じるテクストも存在する)

(2) 統語的な逸脱や統語的反復、更に詩の省略的構文は詩の読解処理を引き起こす強い要因となるようだ

(3) テクストの有標的言語表現を無標的言語表現に書き換えると、詩の読解処理は生じにくくなる

(4) 読者は「このテクストは詩だ」と説明された場合の方が「このテクストは新聞記事だ」と説明された場合よりも詩の読解処理を引き起こしやすい(調査では、このコントロールに加えて、前者の場合にはテクストのレイアウトも詩的にし、後者の場合にはテクストのレイアウトを新聞的にしています)

(5) "the influence of the context condition depends on whether certain text properties occur which may cause poetic text processing. If, for instance, there are many properties which potentially contribute to a poetic processing, then the context information has little or no influence, i.e. the text is processed poetically in any context. For a text without these kinds of text proerties, however, it is more likely that the context-based expectations significantly influence the processing of this text." (p. 80)

(6) 文学部の学生の方が電気工学部の学生よりも敏感に反応する言語表現も見られたが、調査全体としては文学経験が詩の読解処理の発動に強く作用するという証拠は得られなかった

(7) 母語話者(ドイツ語母語話者)の方が学習者(ドイツ語学習者)よりも特に逸脱的表現に敏感に反応しており、前者の方が後者よりも詩の読解処理を発動しやすい

(8) 学習者は反応する言語表現が無標的なものであったり、詩的と感じる表現に一貫性が見られないなどの特徴が見られた

(9) 上記 (8) の特徴は目標言語能力が低い学習者であればあるほど顕著になる

(10) 読者内の要因としては、文学経験よりも言語能力の方が詩の読解処理発動に強く作用する

(11) (ドイツ語)詩を英訳させる活動中のthink-aloudは、詩の読解プロセスを調べる調査には向いていない(詩の内容理解活動や有標的表現を無標的表現に書き換える活動中のthink-aloudの方がよい)

(12) 読者は次の3つのタイプに大別できる。それらは、(Type A) 単純なテクストを好み、複雑なテクストに面してもあまり深い処理を行わず表層的にのみ理解することを好む読者、(Type B) 複雑なテクストを好み、その複雑な構文を何とか理解・解釈しようとする読者、(Type C)複雑なテクストを好むが、その複雑な構文等をすべて解決しようとするわけではない読者、である。

(13) テクストは次の3つのタイプに大別できる。それらは、(Type A)一見単純で理解につまずくことがないテクスト、(Type B)統語的な逸脱によって理解に困難を引き起こすテクスト、(Type C)意味論的逸脱を伴うテクスト、である。

(14) Type Bの読者は、Type Aのテクストに対してはあまり深い処理を行わず、表層的な理解にとどまる傾向がある

(15) Type Bのテクストは一歩一歩何度もゆっくり繰り返しながら読むことで解釈を作り上げることが求められるが、どの時点またはどのレベルの解釈でその読解を終えるかは読者のタイプによって異なる

(16) Type Cのテクストは、ゆっくりと読まれ、パズルのようにテクストの様々な部分を組み合わせていくことが求められる。その読解処理は象徴をゆるく結びつけるというものになると予想される。

(17) テクストのトピックも詩の読解処理発動に影響を与える。読者がそのトピックに興味を持つかどうかということが大きく作用する。

上記の (1) から (10) の結果を導き出した調査では、調査参加者は、以下のタスクを行うように指示されています。

(a) どの程度そのテクストが詩的または非詩的かを全体的な印象から5段階評価で解答する

(b) テクストの中で詩的だと思う表現があれば下線を引く

(c) 詩的な表現を非詩的な表現へと書き換える

また、上記の (11) 以降は、4つのテクストを2名の調査参加者に読ませる最中にthink-aloudプロトコルを採集した調査の結果を著者の知見と組み合わせて述べられている事柄であり、今後検証されるべき事柄と理解するべきです(著者自身がこのように考えています)。著者は、(11) 以降の点をまとめる形で、"The hypothesis then is that different types of texts are processed differently and that a text - or a certain type of text - may be processed differently depending on the type of reader who is doing the processing, and on the attraction that topic of the text has for the reader." (p. 86) と述べていました。そして、このことをより具体的に今後の研究で調査していくことが必要であること、さらにthink-aloudはテクスト処理プロセスを調べる上で有効な方法であること、を指摘してこの論文を終えています。

| | コメント (0)

2014年3月25日 (火)

M.ヤゲーロ(1981/1997).『言葉の国のアリス あなたにもわかる言語学』を読む(青柳悦子(訳),夏目書房)

言葉遊びを出発点として言語学について解説していくというかなり変わった本です。言語学の入門書ではあるのですが、概念や分野を解説する順序は一般的な言語学の入門書とは少し異なっています。ですので、言語学になじみがない人が言語学を理解しようとしていきなりこの本を読むと少し混乱してしまうかもしれません(ただし、言語学とはどういう学問なのか少し触れてみようという人にとっては大きな問題にはならないと思います。要は本格的に言語学を学ぼうと考えている言語学初心者にはあまり向いていないように思います。)。また、言語学にかなり精通している人であってもいろいろと発見のある一冊だと思います。原著はフランス語ですので、正式にはフランス語学の本ということになると思うのですが、訳者が日本語の例を豊富に注に書き加えてくれているので、とにかく言語に関心のある人であれば誰でも楽しむことができる構成となっています。訳者は本書の理論的背景に関して以下のように述べています。

「本書の傾向としては、ソシュールを出発点とし、ヤーコブソン、バンヴェニストによるその発展と修正を基軸としたヨーロッパ(大陸)系の言語学の潮流を中心としていることが指摘できます。ここに、オースチン(イギリス)の言語行為論、サピア&ウォーフ以来のアメリカ構造言語学、そして今や言語学のなかでも一大領域を占めるチョムスキー(アメリカ)の生成文法などの議論を積極的に織りこむことで、フランスにかたよることのないバランスの良いパノラマが得られています。」(pp. 304-305

ただし、著者は生成文法についてはチョムスキーよりもA.キュリオリの研究をその基盤としている(p. 300)箇所があるため(特に第14章)、生成文法の一般的考えからは少しずれたような記述も見られたように思いました。

また、著者ヤゲーロは社会言語学も専門としており、訳者はその観点が本書の所々で見られると指摘しています(p. 305)。さらに、訳者は多元主義(言語や社会は均質ではないという考え)の姿勢と大衆文化へのまなざしも本書を通底していると指摘しています(p. 306)。

この記事では、本書を通して面白いと感じた箇所を列挙していきたいと思います。

ヤゲーロ,M.(1997).『言葉の国のアリス あなたにもわかる言語学』(青柳悦子(訳)).夏目書房.(原著は1981年出版)

<序章:まあ、言語学をなさっているんですか>

(1) 理論言語学は「人文科学」であるという劣等感を数学的公式をふりかざすことで隠ぺいしようとする傾向があまりにも強い(そもそもそのような劣等感を抱いていること自体理論言語学の本質を見誤っている)(p. 10

(2) 本書が言葉遊びを出発点として言語について考えていくというスタンスを取る理由:「語を用いた遊びは、無意識のメタ言語活動にもとづいており、話す主体の言語能力を明らかにする。したがってまた、遊びを通して、わたしたちは〔言語の〕詩的機能というものを仮定することができ、さらにこの詩的機能には、言語活動の多種多様な機能のなかで中心を占める遊戯的機能というものが結びつく。――なぜなら、人間のコミュニケーションとそれ以外のコミュニケーションとのちがいは、前者がかならずしも情報伝達を目的とはしないという点にこそあるからです。」(pp. 15-16

(3) 私たちはしばしば、気の利いた文句や語呂合わせや洒落をつくる能力に優れている点では自分の言語が一番であり、他のいかなる言語もこれに及ばないというように思い込んでしまいがちである(pp. 18-19

<第1章:言語活動はなんのためにあるのか:言語活動の多様な機能>

Jakobson6言語機能モデルにおける各言語機能について解説されています。さらに、言語の詩的機能(遊戯機能)が具現している例として、類音の連続、宣伝文句、諺、聖書の言い回し、本のタイトル、新聞の見出し、かぞえ歌の例が紹介され、これらの中で類音、対句、反復、脚韻、頭韻などが豊富に使用されていることが示されていました。

(1) 言語活動を純粋な音素材のレベルに帰す文字主義や音響詩を除いては、メッセージから一切の指示的価値が剥奪されるのは稀である(p. 22

(2) 一人称と二人称は、バンヴェニストは「談話の転移語」と呼んでおり、英語ではshifterと呼ばれている(p. 23

(3) 自身を表現する働きのある一人称は抒情詩と、他者に働きかける働きのある二人称は哀歌と、指示対象を指す働きのある三人称は叙事詩と関係がある(p. 27

(4) 命令法、呼格、宗教的または魔術的ことば、赤ちゃんがかまってもらいたくて上げる泣き声、そして行為遂行文はすべて他者に働きかける働きがある(二人称的である)(pp. 29-30

(5) 言語とは自由と拘束がせめぎ合う場である。子どもは最初は言語活動においてもっぱら自由が保障されているが、言語習得が進むにつれて徐々に拘束がかけられることになる。詩や言葉遊びは言語における自由の生き残りの姿である。(pp. 38-39

(6) 「語を用いて遊ぶということは、言語活動にたいして距離をとること、すなわち自分自身にたいして距離をおくことです。」(p. 40

(7) 「言語活動はそれ自身のうちに、おのれの転覆を内包しています」(p. 40

(8) 赤ちゃん言葉や保育者言葉は二元的な語(「ぽんぽん」のように同じ音構造を2回繰り返す語)が多く用いられる

(9) 大人の語彙でも何らかの愛着をあらわすような意味を伴う語、例えば恋愛関係の語などにおいては上記の (8) で見られるような小児的退行が見られる(p. 49

(10) 普通の言葉でも「てんでんばらばら」のような二元的なリズムを持つ語があり、これらは音で遊ぼうとする話し手の自然な傾向の痕跡が語彙の中に固定されたものと考えることができる(pp. 49-50

(11) 純粋な詩と宣伝文句の違いは、前者では指示的機能や動能的機能に比べて詩的機能が絶対的な優位性を持っていることである。宣伝文句の場合、詩的機能は表面的な現象であり、手だてに過ぎない。また、詩と純粋な言葉遊びの違いは、前者はコミュニケーションの意図が残っているという点にある。(p. 50

(12) 子どもは言語活動において、全く自由な状況から徐々に拘束される状況へと変化していく。そして、言葉遊びには言語活動の自由に基づいたもの(詩、洒落、語呂合わせ)と拘束に基づいたもの(アナグラム、クロスワード・パズル、スクラブル)がある。(p. 50

(13) 言語遊戯との関わりを通して地位が定められる社会(トルコの若者たち、アメリカのゲットーに住む黒人青年たち、マダガスカル)もある。言語対決、舌戦、謎かけ、儀式的罵倒などが行われる。(pp. 50-51

(14) 西洋は、指示性、純然たる情報、実用性といった事柄に没しつつあり、詩人やことばの魔術師の社会の中での地位は奪われてしまった(p. 51

<第2章:バベルの塔:ひとつの言語活動、複数の言語>

この章は以降の章の導入となっていて、ラングのもつ普遍的な特性と特色が列挙されていました。具体的には、冗長性、恣意性、曖昧さ、非対称性、不規則性、有限の記号で無限の文を作るという特性、言語変化、言語が発明・創造性・意味のずれ・修辞的文彩・遊びを許容すること、言語が音・文法・意味の3つのレベルで構造をなしていること、メッセージの線状性、言語単位の離散性、です。以下の章でこれらの点についてそれぞれ扱っていくこととなります。

<第3章:ピンクのゾウたち:言語活動における冗長性の役割>

(1) 詩的なテクストは、冗長性を破綻させ、思いがけない仕方で語を結び合わせる(p. 61

(2) 冗長性はコミュニケーションを円滑にするという明確な機能がある。ノイズがあるなど伝達の条件がよくない場合に、話し手も聞き手もたえず注意を凝らしていなければならないという必要を省き、曖昧さや誤解が生じることを抑えている。なお、伝言ゲームでは冗長性を担う要素が徐々に抜け落ちていくために、最後には全く別の内容が伝達されることになる。(p. 63

(3) 「冗長性は、いわば誤謬の予備修正システムをなしています。外国語を完全に習得するということは、その言語の冗長性の体系をすっかり身につけるということにほかなりません。」(p. 63

<第4章:ニワニワニワ・・・:どうやって言連鎖を切り分けるか、言語分析のさまざまなレベル>

メッセージを理解するためには、私たちはそのメッセージを意味単位に切り分ける必要があります。しかし、言葉遊びではこのことを困難にすることがたびたびあります。本章では、そのような事例をいくつも紹介していました。

(1) 完全韻の詩句(異なる二つの読みが可能である詩句。不完全韻ではあるが、例えば「シンブンガクニュウモン」は「新文学入門」「新聞学入門」という2つの読みが可能)(pp. 65-6877-78

(2) 音位転換表現「鉄コン筋クリート」など。ただし、日本語にはあまりなじみがない。また、本来は卑猥な表現を想像させる表現でないと高く評価されない。(p. 74

<第5章:毛・痛!異論(語を伐る):語と形態素>

(1) He walks around. -sは「現在」と「三人称」の2つの意味単位を含むが、それぞれを別々に切りとることはできないので、融合形態素と呼ばれることがある(p. 91

(2) 異形態は結合変異体とも呼ばれる(p. 91

(3) 日本語では「士」のつく職業は男性を前提としている。これらの職や「作家」「画家」などの職に女性が就く場合は「女性」「女流」という形容辞を付ける。女性が「人夫」「坑夫」の職に就く場合や、男性が「看護婦」「家政婦」「助産婦」「保母」「受付嬢」の職に就く場合には、新たな名称が必要となる。(p. 98)←この問題は、本書が出版された時代と現在ではかなり変わってきています。時代の移り変わりを感じたので、メモとしてこの記事で記載しておきます。

(4) 変形借用とカバン語の日本語の例(p. 101)。これらは語の形態論的な構成を大きく揺るがす(p. 100)。

<第6章:豚と言ったのかい、札と言ったのかい?:音素>

(1) ABC書法(アクロスティック)(それぞれの段落、あるいは詩節、あるいは詩句、あるいは語がアルファベット順に違う文字で始まるような文章を書くこと)の日本語と英語の例(pp. 110-111

(2) 忌字法(リポグラム)(アルファベットの文字のどれかひとつを使わないようにするもの)の日本語の例(p. 112

(3) 倒言(アナシクリック)(前から後ろへ、後ろから前へとどちらの方向へも、ただし異なる意味で読むことができるような語や語の連なりを探す技法)の日本語の例(p. 112

(4) 回文(パランドローム)の日本語の例(p. 113

(5) アナグラム(変綴)の日本語の例(p. 113

(6) スクラブル、ディアミノ、ボグル、ジゴマール、タブレットといった書き言葉のゲーム(pp. 113-114

(7) 語呂合わせ、言葉あてクイズ、判じ言葉、音位転換術といった話し言葉の言葉遊び(pp. 113-115

(8) 幼児に幼児の不完全な発音を真似て話しかけるのは有害である(幼児は音の区別はできているが、発音できないだけである)(p. 118

(9) 発音の区別が難しい音素対立については、多くの文化圏が遊戯的かつ教育的なものとして早口言葉を持っている(p. 118

<第7章:丸出だめ夫:もしも語が記号であったら>

(1) 語と名前の関係を考えさせてくれる例として、アリスおよび『ガリバー旅行記』のバルニバルビ島の学者たちに言及(pp. 132-133

(2) 固有名詞は記号ではない。しかし、コノテーションは含まれている。(p. 139)ただし、固有名詞も一般名詞化すれば記号となる(p. 140)。

<第8章:オレンジとスパゲッティ:記号の恣意性と象徴性>

(1) 「バンヴェニスとは、ソシュールの恣意性の概念を批判して、記号の二つの面のつながりは動機づけをもたないにしても必然的だということを示しました。このつながりそのものが記号の一部をなす、というのがその根拠です。記号は〔シニフィアンとシニフィエとの〕このつながりのないところには成立しません。本当に恣意的なもの、非必然的であるものは、言語と世界とのつながり、語とそれがさす現実との、記号と指示対象とのつながりです。そしてまさにこの欠如したつながりを、話し手たちは、素朴にも、正当化し合理化しようと努めるのです。」(p. 151

(2) 「ミル」と「マル」(サピアによる実験)、「マルマ」と「タテテ」(クラーによる実験)について(p. 158

(3) 音の象徴性(sound symbolism)の例:激しい突然の音を表す語(擬音語)は閉鎖音で始まること、徐々に大きくなる音や持続する音は摩擦音(つまり継続音)で始まることが普遍的に見られる(p. 159

(4) 表意音の例:英語では、glという結合は光と関係のある語の冒頭によく現われるが、このことは普遍的ではない(p. 160

(5) 模倣的調和:詩を自然音の模倣とみなし、意味内容に即した音を持つ語を使用することをさす。この考えは世界中で見られる。(p. 160

<第9章:意味の漸進的横滑り>

(1) 「テクストにあらわれる語のひとつひとつを、任意の国語辞典のなかでその語から数えて七番目にくる名詞と入れ替える」(p. 167)といった実験的な詩作が行われた例がある

(2) 稀にしか使われない語、卑語、古語、造語などは日常でよく使われる語と比べると意味が不明確であり、結果として使用されると潜在的な意味を発揮する(大きな喚起力がある)ことになる。意味の予測が難しくなり、冗長性が少なくなる。(pp. 167-168

(3) 「詩においては脚韻が意味の拡散の現象に拍車をかけます。類似したシニフィアンどうしを関係づけることによって、脚韻はシニフィエどうしの類似を暗示し、包括的な意味の構築におおいに貢献します。」(p. 169

(4) 「ヤーコブソンは、詩的な文章を特徴づける文法的な平行性がどれほど意味に影響をおよぼすかを論証し、「文法の文彩」というものが存在すること、そしてそれが「文体の文彩」〔修辞的文彩〕と対立をなし、またその上に重ねあわされることを明らかにしてみせました。文法的平行性を基盤として意味の「対結合」が生みだされます。これはとりわけ聖書の詩的表現にみられる手法です。」(p. 169

(5) M.ジュースによると、人間は左右相称的であり、このことは人間に普遍的な二元的リズムの実践を引き起こしている。一般に、これらの表現は対立と比較の二つの型に大きく分けられる。(pp. 170-171

(6) R.クノーとJ.バンの実験によると、意味は文章のなかに均等に割り振られているわけではなく、意味の冗長性は語によって大きく異なる。

(7) G.スタインは、道具語(単独であらわれることのできない語:前置詞、接続詞、冠詞、小辞)を高く評価し、名詞や形容詞といった語を極力締め出すような文学実践を行っている。(p. 173

(8) 分断詩によるメッセージの暗号化の実践例(pp. 175-176

(9) 隠喩やシュールレアリシスムの作品では、意味は偶発的な結合によって突発的に生じる。マリファナ吸飲者の言葉も同様である(ただし、コミュニケーションの意図がない点が隠喩などと異なる)。また、失語症患者のことばは、見た目はマリファナ吸飲者のことばと似ていたとしても、コミュニケーションの意図があるという点で異なっている(たとえ、その言葉が意味をなさなかったとしても)。(pp. 177-178

(10) A.ミショーは、大麻が知覚や言語に及ぼす影響を実験を交えて研究した(p. 178

(11) 「意味は話し手の意図―それは指示作用とコミュニケーションへの目的意識があることを前提とします―とは別のところに存在することが可能であり、その裏返しとして、まさにこの話し手の意図から無=意味とは、意味のもうひとつのかたちにほかなりません。意味は多形倒錯的です。」(p. 180

(12) ポリヴァノフによれば、詩は散文とことなって音素材の戯れでなければならず、意味自体本来的にはどうでもよいことであるとされる。このような無=意味性への傾向は、ザウーム、タダ、文字主義などで観察される。(p. 181

(13) トドロフは上記のような無=意味性への動きに反対の立場を取っており、詩が音素材を重視するのは事実であるが、人間同士の融合を何らかの形で可能にするものでなければならない(意味理解が可能でなければならない)としている。関連してハイドンは、「語が停止するところから音楽が始まる」と言っている。(p. 182

(14) ボードリヤールは、儀式の決まり文句は、語を純粋な音素材に変形させることを狙っていると指摘している。「語も身ぶりも、倦むことなく反復され、強く拍子に区切られることによって、その意味が空虚になるだろう。無のシニフィアン、空虚な用語から純粋な誘惑を解放するために、意味を疲弊させ、消尽させ、消耗してしまうこと、それが儀式的呪術と呪文との力である。」神がかりの状態では、右に述べられているような特徴をもつ声によるお告げがきまってあらわれますが、その場合にはもはや神秘と幻覚と疾病とのあいだに境界を引くことは不可能です。」(pp. 183-184

(15) 音楽家たちが声楽に向かうのは、理解不能なものにひきつけられるからである。言葉は合理的で、音楽はそうではない。声は、音楽と言葉の収斂する場である。(p. 184

(16) 図形詩の例(p. 185

<第10章:「笑う牛」現象:言語活動は無限の結合体である。ラング/パロール、言語能力/言語運用>

(1) 「チョムスキーは創造力を言語能力(再帰性の法則)と言語運用(個人的な逸脱)の両面に仮定したのにたいして、ソシュールの方はそれをパロールのなかにしか認めませんでした」(p. 196

(2) チョムスキーの言語能力とは、ソシュールのラングの能力よりも広く、いわば言語活動(ランガージュ)の能力と言える。したがって、チョムスキーは、ポール=ロワイヤル学派の系譜を引き継いでいると言える。(p. 197

(3) わたしたちは、話し手同士の社会的関係の分析に基づく、ある特殊な能力を使って言語を使用している。この特殊な能力は、言語能力やラングとば別の能力である。(p. 201

(4) 言語運用の領域では、言い間違いという無意志的な現象とことば遊びという意志的行為が同じあらわれかたをする。このことに関して、バンヴェニストの主張などを参考にしながら、「無意識は、ラングを通過せずにパロールのなかに映しだされるのです。意志的であれ無意志的であれ談話の創造活動は、ラングにはなにも負うていません。これは言語活動とは―パロールのなかで現実化される―ラングの体系を通じて顕現するということを思いだすなら、たしかに矛盾している。」(p. 208)と主張している。著者は、「言語運用の創造力」の名のもとにまとめられるすべてのものは、言語活動から生じるのであって、話し手はそうしたこと(談話の創造活動)を行うようにあらかじめプログラムされていると指摘している。さらに、著者は「話し手は自分の属する共同体から、「ラングの体系」を「使用法」付きというだけでなく「逆使用法」付きで受けとるのです。この「逆使用法」は〔正規の〕使用法の習熟をも同時に確認させてくれるものです。たとえば曖昧さを利用した遊びは、区別を知らないかのように装いながら、区別の再確認をおこないます。というのも曖昧さを意識していなければ滑稽さの効果は得られないからです。」(p. 209)と述べている。(pp. 206-209

(5) 著者は、ソシュールの用語よりもチョムスキーの用語の方が話し手の活動をうまく説明することができ、用語として優れていると考えている。(p. 209

<第11章:エスキウズ・ウス、マ・ヴィー・ジント・ロスト:文法性と非文法性、文法を構成する三つの層>

(1) 言葉遊びの1つとしての仏英語と英仏語の例(p. 216

(2) 「詩は、意味を侵犯することによって、意味の限界まで達し、ときにはそれをつき抜けさえします」(p. 221

(3) 文法的であろうと非文法的であろうと、重要なのはその表現を通して意味を生もうとする意図があるかどうかということである(p. 222

(4) 「話し手というのは意味の空白を嫌悪するものですから、わたしたちはいつでも、何がなんだかまったくわからない文にさえ、どうにかして意味をみいだそうとします。また一方、意味論的な侵犯をバネとして、数々の修辞的文彩が生まれます。これらはいったん語彙化されると、語の意味の進化をひき起こします。」(p. 226

(5) 意味の異常には、主に3種類ある。1つ目は、詩における語の捏造であり、語が存在しないがゆえに文章が意味を持たない場合である。このことと対応する疾患に、ジャーゴン失語がある。2つ目は、文章が、前提、含意、両立不能性の論理と矛盾を起こす場合である。「白い暗闇」といった前後矛盾文がその例となるが、これらは伝承文化の中では重要な位置を占めている。また、詩句、映画・本・歌のタイトル、新聞の見出し、ことわざ、慣用表現でも独特の意味効果を生むことを目的として用いられている。3つ目は、シュールレアリストやウリポが取ったもので、創作の偶然に任せたり、ある体系的な方法を取ったりすることで、一見文章として体を成しているようであってもそこに全く脈略のない言葉を寄せ集めるという方法である。(pp. 226-236

(6) 統辞には、意味的に両立不能な語どうしの結合は排除しようとする選択規則が含まれているようであり、したがって統辞は意味的な選択規則も包含すべきではないか。(p. 236

(7) 「あの野郎はトンカチだ」「あの野郎は本当の下女だ」という表現のように、生物から無生物、男性から女性といった対立間で意味の転移が生じる場合がある。これらの表現では、たいていの場合侮蔑的な意図が働いている。(pp. 239-240

(8) 「意味の異常は話し手に解釈の能力を要請し、イメージと文彩の戯れへの途をひらきます。ちょっとその気になりさえすれば、どんなものでも解釈することができるのです。転移の規則のおかげで、意味構造はそのつどつくりなおしがきくように思われます。つまるところ、意味の異常というものは存在しないのです。」(p. 242

(9) シニフィエと指示対象の関わりから文脈的な意味が生じるが、その文脈的な意味がみんなに使用されるようになると、シニフィエが変化する(パロールからラングへの跳ね返り作用が生じる可能性がある)(p. 243

(10) われわれは、言語は一方では意味を産出する文法的な文章を生み出しながら、もう一方で言語の規範または構造の侵犯を行うことができるのはなぜなのか、それはどういうメカニズムによるのか、ということを考えなければならない。逸脱や構造の侵犯といった問題はパロールの領域に追いやられてしまいがちであるが、このような言語的攪乱はまちがいなく原理として言語能力またはラングの中に書き込まれている。つまり、「言語の体系は、意味構造の侵犯を許すとともにそれを司るような規則をふくんでいるのです」(p. 245)。

<第12章:時間の殺害者:文彩のはたらき>

(1) 換喩と提喩は冗長性を利用した技法であり、隠喩は冗長性に対する挑戦となる(ただし、隠喩が常套句として固定化されている場合を除く)。したがって、一般に隠喩は大きな表現的価値を持っている。(p. 249

(2) 文彩が効果を発揮するためには、話し手たちがその意味効果が逸脱的であるということを認識し、かつその意図(詩的意図、遊戯的意図など)を捉えなければならない。一般に、異常の解読は二段階の操作で行われると考えられる。「1.異常の知覚。連辞の軸(隣接の関係)に両立不能性が確認される、つまり選択の規則が侵犯されていることが確認される。2.第二段階として、範列の軸(類似の関係)を調べて、容認しえる置換表現を発見する。」(p. 250

(3) 新しい意味は使い続けられるとシニフィエの一部となり(パロールからラングへの跳ね返り作用)、辞書に入れられることになる。「偏差が偏差として感じられなくなると、いいかえれば偏差が個人的な創造からありきたりの用法になると、言語に変更が生じ、その意味構造に変化がもたらされます。この場合、文彩は「死んだ」もの(これもちょうど死んだ隠喩の例です)となり、その「埋葬」場所が辞書となります」(p. 251)。

(4) 隠喩と換喩は意味の拡張の主要なメカニズムであり、言語の進化においても主要な働きを果たしている(p. 253

(5) 「比喩的に用いられた語を、その同義語かなかば同義的な語〔類義語〕で置き換えると滑稽に感じられるようになったら、文彩の語彙化が完了したと考えることができます」(p. 253

(6) 文彩については、(a) 強勢された文彩および語彙化された自由な文彩(これらは、認知意味論で議論されるような概念メタファーが具現化されたメタファー表現に該当するものと考えればよいでしょう)、(b) 依然として文彩として感じられはするものの常套句の価値を担っているようなもの、(c) 詩人のみに許されるような発見的文彩、の3種類だけは区別しておく必要があるのではないか。(pp. 258-259

<第13章:セミとアリ:言語活動は相反する力の戯れである>

(1) 多義性は記号の節約となっているがその代償として曖昧性という危険がつきまとう(p. 261

(2) 異義複用法(「はやく手を打たないと手が足りなくなって、手も足もでなくなる」など、同じ語を異なる意味で集中的に用いる技法)(p. 262

(3) 日本語のくびき語法の例(p. 264

(4) 二重語(doublet)(同一の語源から生じた、形態と意味の異なる語のことで、hospitalhotelなど)の例(p. 266

(5) 洒落は、話し手と聞き手が疑似的な曖昧さを利用することで機能する(洒落で問題になるのは実は意味の曖昧さではなく、意味の両義性であることに注意)(p. 270

(6) 言語には多義性と同時に同義性も含まれており、後者は前者によってなされた節約を帳消しにする(p. 270

(7) 同義語とは「そのさまざまな意味の全体が漠然と対応しあうけれどもぴたりと重なりあうことはない語どうし」(pp. 274-275)と定義することができる。「もっとも技術的でもっとも狭く専門化されているような語が、最大限の同一性を示す」(p. 275)と予想される。「同義語のもつおもしろい特徴のうちのひとつは、文化共同体にとってある概念領域がかきたてる関心が強かったりそれがもつ重要性が大きかったりすればするほど、この概念領域から多くの同義語が生みだされる」(p. 275)。

(8) コノテーションは、指示対象だけでなく話者の指示対象に対する態度も反映する。(p. 280

(9) 日本語では目下の者を、その役職名や地位で呼ぶのは侮辱にあたる。たとえば、平社員が上司を「部長」と呼んでも何の問題も生じないが、上司が平社員を「平社員」と呼べば侮辱にあたる。(p. 280

(10) 「コノテーションとは、語の生みだす、象徴的価値、イデオロギー的価値、および観念連想のすべて、感情や評価や価値判断のすべてをさします。コノテーションは、いわばラングのなかへのパロールの闖入なのです。ラングはデノテーションしか、いいかえればシニフィエのなかで表される概念的価値しかふくまないと考えることができます。逆に、社会的な差異や摩擦を反映するものであるコノテーションは、ラングが想定するところの均質性にたいしてここでもまた疑問を投げかけます。また他方では、文彩がラングに跳ね返りの効果をおよぼすのと同じように、コノテーションはデノテーションを進化させ、したがってやはり言語の進化の、つまり語の意味の変化の動因となるのです。」(pp. 281-282

(11) 同義語の間に絶対的な等価性が存在しないのと同様に、反義語の間にも絶対的な対立は存在しない。(p. 283

(12) 「コノテーションは現実の反義性を消去することができる」(p. 284)。例えば、「黒い考え(=憂鬱な思い)があなたに白い夜(=眠れぬ夜)を過ごさせる」という文では、「白」と「黒」が比喩的に用いられていて、両者のデノテーションと「白vs.黒」の反義性が消去されている(p. 283)。

(13) 辞書とは「語の位置を体系のなかで画定しようとする試み、つまり言語外的な現実とのかかわりによってではなく、ほかの記号との相対的な関係によって画定しようとする試みなのです。辞書がときに同語反復的で循環的な性質をもつのは、記号というものは、言語という自律的な体系のなかでその記号と固く結びついているほかのさまざまな記号との関係を通じて、相対的にしか定義されない、ということの必然的な帰結なのです。」(p. 290)ただし、辞書内で構築されているラングと現実のラングを全くの同一物と考えることには問題がある(p. 292)。

<第14章:伯爵夫人よ、あなたの美しい瞳に:統辞論の手始めとして>

(1) 「関係の組織化をつかさどる意味論的構成要素こそもっとも「深層」のものであると考えられます。その次の段階として、統辞論的構成要素が、変形操作を通じて、この基本的な関係を各言語固有の統辞法にしたがって構造化する役目を負います。最後に文章はその物質的なかたちを、形態論的=音韻論的構成要素(音の配置)によって得ます。」(p. 295

(2) They can fish. という英文は「彼らは釣りができる」と「彼らは魚を缶に入れる」の2つの意味の間で曖昧であるが、この曖昧性はこの文を構成する語が多義的であることから生じている(統辞構文がその原因ではない)(p. 298)。

| | コメント (0)

W.van Peer,A.Mentjes,&J.Auracher(2007).「Does Reading Literature Make People Happy?」を読む(C.Martindale,P.Locher,&V.M.Petrov(編),『Evolutionary and Neurocognitive Approaches to Aesthetics, Creativity and the Arts』,Baywood Publishing)

著者らは、文学読解には人を幸せにするという機能があり、それは健康と協力に貢献し、さらに生存の可能性を高めてきたという立場に立っています。そして、文学読解が実際に人に幸福感を与えているという実証的証拠を提示しようとしています。

van Peer, W., Mentjes, A., & Auracher, J. (2007). Does reading literature make people happy?  In C. Martindale, P. Locher, & V. M. Petrov (Eds.), Evolutionary and neurocognitive approaches to aesthetics, creativity and the arts (pp. 47-63). New York: Baywood Publishing.

概要

この論文で議論されているのか以下の点です。

(A)文学に対するプラトンとアリストテレスの態度の対称性

(B)「幸せ(happy)」の概念分析

(C)チクセントミハイによるフローの概念の解説

(D)人は文学読解で幸せを感じるのかどうかを調べた調査の結果報告

●文学に対するプラトンとアリストテレスの態度の対称性

両者はともに文学は情に訴える娯楽であるという点では意見が一致しています。しかし、プラトンはこのことが兵ひいては国家を弱体化するとして、『国家論』の中で文学を追放しようとしています。それに対して、アリストテレスは文学は人の心からうぬぼれを取り除いたり、国家の保護能力を高めたり、私たちを圧政から守るとして、『詩学』の中でその重要性を説いています。著者らは、プラトンは文学は人に不幸をもたらすと考え、アリストテレスは人に幸福をもたらすと主張していると解釈することができるとまとめています。そして、著者らはこの論文でアリストテレスの立場の方が現実に即しているということを示そうとしています。

●「幸せ(happy)」の概念分析

著者は、以下の3点がこの概念には含まれていると指摘しています。

(1) 個人の力でこの状態に達することができること

(2) 数秒から数時間に及ぶものまでその状態が継続する長さは様々であること

(3) 社会とは関係なく個人で感じることができること

(1) に関しては、幸せを人生の目標とみなすアリストテレスと社会での義務を果たすこととみなすカントの考えが合わせて紹介されていました。

(2) に関しては、幸せとは長期間にわたるものであるとするアリストテレスとカントの立場と、束の間のものであるとするエピキュロスの立場が紹介されていました。

(3) に関しては、幸せとは個人が社会とつながっていて初めて経験できるものとするアリストテレスらの考えと、社会とは関係なく個人で経験できるとする考えが紹介されていました。

●チクセントミハイによるフローの概念の解説

チクセントミハイによるフローの概念(及びその調査方法であるExperience Sampling Method(ESM))が解説されています(この記事では、この概念自体の解説は省略します)。チクセントミハイ自身が、人にフローの状態を経験させるものとして、宗教、スポーツ、芸術と並んで文学作品の読解を挙げている点が指摘されていました。また、Noelle-Neumann(1995)による、「あらゆる年代、あらゆる教育レベル、研究対象となったすべてのグループで本を読んでいる人の方が本を読んでいない人よりも幸せを感じている」という調査結果も紹介されていました。

●人は文学読解で幸せを感じるのかどうかを調べた調査の結果報告

著者らは、今回の調査対象者は教育レベルが高く、読書への愛着が強いという点で一般的な調査サンプルではないとしながらも、彼らにオンラインとオフラインの2つの調査を行い、文学読解と幸福感の関係について調査しています。ここでは、調査の詳細は省略し、この2つの調査で示された結果のみを列挙しておきたいと思います。

(1) 調査で調べた活動項目の中で読書が最も強く人に幸福感を与えていた(ただし、他にも音楽、他人との会話、スポーツ、性交を通しても人は幸福感を感じる)

(2) 日頃フローの状態が高い人は低い人に比べて読書中にフローをより頻繁かつ強く感じる

(3) フローを感じている人は日常生活への満足度も高い

(4) 日頃フローを感じている人は日常生活への満足度も高いが、必ずしも読書を通してフローを感じているわけではない(ただし、読書を通した彼らのフローは日頃のフローが低い人が読書中に感じるフローに比べるとその程度は高い)

(5) フローの状態が高いと読者は読書を続けたく感じ、読書を続けたいと感じているときはフローの状態が高い

(6) フローは作品内の楽しい出来事はもちろんのこと暗い内容の事柄によっても高まり、読者の幸福感を高めていく

上記の (1) ~ (4) はESMを応用したオフラインの調査によって得られた結果です。これらの結果から、"people have many leisure time activities at their disposal, most of which can also provide opportunities for flow experiences, though reading is, as we have seen, one of the best such opportunities" (p. 58) とまとめていました。

上記の (5) と (6) は実際に調査参加者に小説を読んでもらうというオンラインの調査によって得られた結果です(制限時間を設けない調査方法(調査参加者によって調査終了までの時間が1日~2ヶ月にわたっています)が取られており、文学読解に関する実証的な調査を行う上では非常に参考になる調査デザインです)。これら2つの調査結果から、"the experiences of flow, of reading delight, and the motivation to read on are not triggered by happy events in the story, but must be ascribed to psychological mechanisms involved in the processing of literary artworks" (p. 62) とまとめられていました。

また、これら6つの調査結果から "Apparently literature contributes to some kind of happiness" (p. 62) という結論を導き出しています。

なお、この論文では、カール・ポッパーが人の進化の歴史を鑑みながら述べた「道具を持っていない社会でさえも文学は持っていた」、という言葉も紹介されていました。ただし、これが正しいのかどうかということには触れられていませんので、注意が必要です。

| | コメント (0)

2014年3月20日 (木)

D.Miall(2009).「Neuroaesthetics of Literary Reading」を読む(M.Skov&O.Vartanian(編),『Neuroaesthetics』,Baywood Publishing)

文学読解に関して神経科学的にはどのようなことが明らかにされているのかをまとめた論文です。ただし、著者は冒頭で以下のように断っていることに留意しておくことが必要です。

"While there is, as yet, no explicit body of neuropsychological research on literary reading, a number of studies provide suggetive parallels: these focus on questions about memory, insight, empathy, feeling, and language, and provide a framework for examining some of the constituents of the aesthetic response to literary narrative and poetic language." (p. 233)

つまり、現在のところ文学読解に関する直接の神経科学的研究はほとんどなく、他の関連したトピックを扱った研究から推察しなければならないという状況があるようです。この論文では、特に前景化への反応、登場人物への感情移入と虚構世界への入り込み、という2点を文学読解に特徴的なものと見なし、これらの下地となっている神経科学的メカニズムについて議論されています。

Miall, D. (2009). Neuroaesthetics of literary reading. In M. Skov & O. Vartanian (Eds.), Neuroaesthetics (pp. 233-247). New York: Baywood Publishing.

概要

この論文で扱われていたのは以下の点です。

(A) 文学読解に関してこれまで示されている事柄の整理

(B) 文学読解に関してこれまで示されている事柄に今後つけ加えるべき事柄

(C) 著者が特に重要と考えている先行研究の紹介

(D) 前景化への反応に関する研究成果の整理

(E) 登場人物への感情移入と虚構世界への入り込みに関する研究成果の整理

●文学読解に関してこれまで示されている事柄の整理

この論文で挙げられていたのは以下の事柄です。

(1) "Typically, readers take longer to read segments that contain a number of such stylistic features, and when asked to judge their effects they report that the segments are striking and that they experience elevated levels of feeling (Miall & Kuiken, 1994)." (p. 234)

(2) "in the terminology of discourse processing, readers construct a situation model through which they track the unfolding events of the story (Zwaan & Radvansky, 1998). Over the course of a narrative... readers follow the unfolding plot, experiencing the vicissitudes of the main characters' actions and desires, often emphasizing with a character; they may feel suspense, curiosity, or surprise." (p. 234)

(3) "readers tend to form an implicit relationship with the narrator (Bortolussi & Dixon, 2003, pp. 72-77). During the reading or after it is over, readers may reflect on ways in which the meaning of the story resonates with their own experiences, such as their autobiographical memories, their values, or the narrative's cultural significance." (p. 234)

(4) There are two standard claims about what makes our reading literary: that it is triggered, first, by our encounter with a rich, organized array of stylistic features (Miall & Kuiken, 1999), or, second, by the (usually empathic) engagement with characters in literary narratives (Oatley & Mar, 2005)." (p. 235)

●文学読解に関してこれまで示されている事柄に今後つけ加えるべき事柄

(1) conflicts of feeling

(2) defamilialization-reconceptualization cycle

(3) Theory of Mind(empathy)

(1) に関しては、"Conflicts of feeling often seem central to the aesthetic complexity of literary texts: they focus the reader's attention in successive episodes and organize the reader's understanding of the issues at stake (Miall, 2004). In addition, readers may experience insight into the meaning of their feelings and undergo a shift in understanding as a result (Kuiken, Miall, & Sikora, 2004). Although this may not be a frequent occurrence while reading, such gains in self-understanding can be the most valuable experiences whe acquire from literary reading." (p. 235)と説明されていました。

(2) に関しては、"At the encounter with a stylistically rich passage that is found striking, the reader's accustomed achemata may be inadequate for comprehension; we surmise that the feelings evoked by the passage provide an alternative perspective directing the reader's search for a new understanding. The resulting reconceptualization occurs downstream from the initial encounter (perhaps several segments further on)." (p. 235) と説明されていました。

(3) に関しては、"A literary text, unlike other narratives, can provide priviledged access to the minds of characters, building on the capacity that we possess for reading others' minds (Zunshine, 2006). Literary reading thus facilitates investigation of Theory of Mind, providing support for the simulation account father than the theory-theory account (Carruthers & Smith, 1996). This capacity also provides an important framework for considering empathy, our ability to experience another's feelings as though they were our own." (p. 236) と説明されていました。

●著者が特に重要と考えている先行研究の紹介

(1) Kane (2004)

(2) Mar (2004)

(1) の研究は、右半球が詩に特徴的な言語処理(具体的にはimagery、alliteration、synaesthesia、synecdoche & metonymy、paradox、irony、prosody(emotional toneなど)、story relationshipなど)を主に統轄していると指摘しています。Miall (1995) も感情という観点から右半球の重要性を指摘しています。

(2) の研究は、ナラティブに関与すると考えられる神経心理学的メカニズムを列挙しています。具体的には、Baddeleyによるエピソード作業記憶(語りの仮説的シナリオを構築するための枠組みとして機能しうる)、Beemanらによる右半球の「荒い」意味コーディング(Kaneが挙げた詩に特徴的な言語処理が右半球で行われていることを説明してくれるかもしれない)、心の理論(物語中の登場人物に関する推論は右半球のいくつかの構造に局所化されている可能性がある)、について考察しているそうです。また、この研究は脳のイメージングが文学読解研究に大きく貢献するであろうという予測も示しているとのことです。

しかし、いずれにせよこれらの研究は、何が文学読解を文学的にしているのか、何が非文学的読解と異なるのか、ということを十分に説明していないと指摘しています。というのは、ここで紹介されている2つの研究が挙げている事柄は、文学読解のみならず非文学読解にも関与するためです。

●前景化への反応に関する研究成果の整理

著者はdefamilialization-reconceptualization cycleの議論を深めていきます。なお、著者は前景化の理解に関しては、defamilialization→驚きなどのfeelingの生起→reconceptualizationという順で進むというモデルを考えており(p. 239)、ここではこのモデルに関係すると思われる神経科学的な研究成果を紹介しています。そして、以下の12点を指摘していました。

(1) このプロセスはKaneが指摘したように右半球の言語処理に依存していること

(2) "what makes it distinctively literary appears to be the richness of response―the number of potential meanings sensed within the short timespan of normal reading―and the evocation of feeling with the power to instantiate a subsequent shift in meaning for the reaqder (the reconceptualization process)" (p. 237)

(3) このプロセスの最初の段階(その表現が前景的であると気づくこと)は扁桃体が関与している。

(4) このプロセスの最初の段階(その表現が前景的であると気づくこと)での反応は、その経験に意味を賦与する枠組みを提供するような記憶(この記憶は様々なemotionに満ち溢れた記憶である)と結びつけられる。

(5) 上記の (3) の処理は意識にのぼる前に生じており、その処理中で生じる驚きといった感情の生起は非常に複雑なものであると予想される

(6) 500mm秒頃にやっと前景化への反応が読者の意識にのぼるが、このとき読者はすでに起動している意味内容の豊かさ(これらの意味内容は読者にとって不慣れで解決されないままになっている意味内容をさらに引き起こしている可能性もあるが)を経験するであろう

(6) 右半球は左半球と比べてdistantly related meaningを扱うのが得意である(文学読解ではむしろこのようなdistantly related meaningを処理する必要があるため、このことも文学読解における右半球の処理の重要性の証左と言える)

(7) 右半球の意味処理は7~15秒後というように時間的にタイムラグを置いた上で行われる

(8) ジョークの理解で必要となるようなframe shifting反応は右半球処理に帰属している

(9) 右半球は様々な解釈を探っているが、各解釈が簡単には出力されないレベルの活性に活動が抑えられており、このことが最適な解釈を探させることを可能にしている(この間、左脳の処理は一時的に抑止されている)

(10) タイムラグがあるおかげで、前景化された表現に出会うことで生じる感情(驚きなど)は、仮説検証などをしながらその前景化を理解するのに最も適した文脈を探すことが可能となっている

(11) 文学読解では状況モデルに情意的次元が含まれる

(12) 文学読解では感情が前景化表現の解釈を導く

著者は、前景化への反応に関して以下のようにまとめていました。

"Foregrounding thus appears to initiate a rich response prior to awareness: as early as 155 msec, the detection of unfamiliar stylistic features may initiate a response process that includes prosodic, affective, as well as semantic aspects. This is followed by an inhibitory phase during which feeling is contextualizing the unfamiliar, leading to emergence of new meanings of shifts in perspective a number of seconds downstream from foregrounding onset." (p. 240)

●登場人物への感情移入と虚構世界への入り込みに関する研究成果の整理

著者は以下の点を指摘していました。なお、著者は前景化への反応が登場人物への感情移入と虚構世界への入り込みの基盤となっていると考えています(p. 244)。

(1) こういった経験は心拍、発汗、筋肉の緊張といった身体的変化を引き起こすほど強烈なインパクトを読者に与える

(2) 文学読解のこのような特徴はミラー・ニューロンが関係していると考えられ、読解中に生じる感情移入では感情だけでなく、触覚や運動野のシミュレーションも行っていると考えられる

(3) 文学読解では、読者は多主観的に(multisubjective、つまり「自己」/「登場人物」というような区別のない状態で)虚構世界に身を置く(ミラー・ニューロンは実際に行動しなくても、他者が行動をしているのを想像したり、その行動を表す動詞を目にしただけで関連する部位が発火します。ゆえにミラー・ニューロンの中では自己と他者といった区別がない状態で物事が経験されていると予想されます。)。そして、その物語の含意を考える。さらに、後程読者はその読解を通して得た文学経験を自分自身の意図、目標、感情と関連づけることがある。

著者は以下のようにまとめていました。

"the mirror-neuron framework thus helps provide an account not only of how the body is implicated while reading, or how empathic responses to character are possible (thus pointing to a solution of the problem of how we can have real feelings for fictional characters), but also seems to provide a foundation for the disinterested response to literary art, not by explicitly pointing away from the self, as Murdoch claims, but by presenting experience without agency. Experience only later, downstream, becomes a token for explicit self-reference through activating the reader's feelins, and (perhaps) the reader's autobiographical memory. While the implications of disinterestedness remain to be worked out in more detail, they provide another avenue for considering how literary response may be diistinctive." (p. 244)

なお、この記事では割愛していますが、著者はミラー・ニューロン自体についても詳しく説明を行っています(pp. 241-243)。

| | コメント (0)

J.H.カートライト(2001/2005).『進化心理学入門』を読む(鈴木光太郎・河野和明(訳),新曜社)

進化心理学の入門書です。進化心理学の重要トピックである、性行動、心の病、人類の知能の発達、を中心として、様々な仮説が紹介され、かつ各仮説の長所と短所が分かりやすく解説されています。また、本書の最後には、進化心理学専門用語集があり、学習を助けてくれます。

カートライト,J.H.(2005).『進化心理学入門』(鈴木光太郎・河野和明(訳)).新曜社.(原著は2001年出版)

非常にたくさんの情報が含まれているのですが、この記事では特に私が個人的に面白いと感じた点のみを列挙します。

(1) ヒトがリンゴを味わう際に甘く快い感覚を持つのは、リンゴがミネラルやビタミンCといった必須要素を含んでいるからであり、この快感が私たちの祖先にリンゴや他の果物を食べさせる動機づけとして機能した。反対に自分でビタミンCを生産できる猫は、リンゴはそれほど好きではない。(p. 11)

(2) 「動物は、ライバルと競争し、食べ物を探し、捕食者を避け、配偶相手を見つけなければならない。ダーウィンの考えた自然淘汰とは、動物がこうした通常のプロセスをうまくやれる身体的・行動的特徴を備えるようになる、ということである。したがって、生き物のほとんどの特徴には、生存競争の中で真価を発揮するなんらかの適応的機能がある。」(pp. 35-36)

(3) ダーウィンは自然淘汰の力が性淘汰の力によって補完されているに違いないと考えた(p. 37)

(4) 進化論は美(オスとメスによって魅力的とみなされる特徴)は遺伝子の中にあると考えている(p. 56)。美とはうわべの問題ではない。(p. 73)

(5) 私たちヒトが種として経験してきた進化はおよそ妥協的なものである(だからこそ、心の問題をはじめとして多くの様々な問題を私たち人間は抱えている)。「自然淘汰は現在までの35億年間に驚くべき偉業をなしとげてきたものの、完璧な生物を作り出してきたわけではない。」(p. 109)

(6) MacLean(1972)の脳の三位一体モデル(ただし、著者自身このモデルは明らかに単純化しすぎていると指摘している)

「・爬虫類の脳(中心部)―基本的欲求や反復的で儀式的な行動を受けもつ脳領域。階層を形成する「生得的な」傾向にも関わっている。また、学習された行動の記憶にも関与することがある。

・古い哺乳類の脳(大脳辺縁系)―闘争、採食、防衛、社会性、子どもに対する愛情に関わる多くの脳領域を含む。

・新しい哺乳類の脳(新皮質)―比較的最近に進化をとげた脳領域。発達した新皮質は高等な哺乳類だけに見られる。目、耳、体表からの情報を受けとる。高次の心的機能を受けもち、霊長類、とくにヒトで発達している。」(p. 171)

最後に本書の章立てを示しておきます。

第1章:進化―自然淘汰と適応―

第2章:2つの性による繁殖

第3章:性淘汰

第4章:人間の性を解明する

第5章:心の原型―適応反応としての恐怖と不安―

第6章:心の病を進化から説明する

第7章:脳の大きさの進化

第8章:知能の進化

| | コメント (0)

2014年3月14日 (金)

J.Carroll(2007).「The Adaptive Function of Literature」を読む(C.Martindale,P.Locher,&V.M.Petrov(編),『Evolutionary and Neurocognitive Approaches to Aesthetics, Creativity and the Arts』,Baywood Publishing)

人間の適応の1つとしての文学の働きと進化心理学的アプローチの有効性について議論されています。なお、著者はこの論文の中で "literature" という語を "literature and its oral antecedents" (p. 32) という意味で使っています。また、この論文中では、「芸術=文学」と読み替えて理解していけばよいようです。

Carroll, J. (2007). The adaptive function of literature.  In C. Martindale, P. Locher, & V. M. Petrov (Eds.), Evolutionary and neurocognitive approaches to aesthetics, creativity and the arts (pp. 31-45). New York: Baywood Publishing.

概要

この論文で議論されているのは以下の点です。

(A) 著者が考える文学の適応的意味

(B) Geoffrey Miller (2000) の考えの批判

(C) Steven Pinker (1997) の考えの批判

(D) 人間性について理解する必要性及び進化心理学的アプローチがこのことを可能にするのではないかという展望

●著者が考える文学の適応的意味

著者は、精神及び文学は人間にとって適応的意味を具えていると考えています。そして、文学の適応的意味として以下のように述べています。

"The most general purpose that literature fulfills is that of creating emotionally charged images of our experience in the world. By means of such images, we orient ourselves to the world, organize our own sense of values and motives, and thus regulate our behavior. Our linguistic communities form spheres of action. Through the medium of verbal imagination, literature makes vividly present to us both the nature of those communities and our own place within them. " (p. 32)

"The function of literature and the other arts is to fashion an imaginative universe in which the forces at work both in the engironment and inside human beings are brought into subjectively meaningful relations to one another. That is not the same thing as providing practically useful information or providing an objectively accurate map of the external environment. A subjectively meaningful cognitive map can directly influene motives and values, but more broadly it provides points of reference within which humans can adjust their sense of the relative value and significance of all the emotionally and motivationally significant aspects of their experience. Literature and the other arts are devices of orientation, like compasses, sextants, and sonar, and they are vital to personal development, to the integration of individual identities within a cultural order, and to the imaginative adjustment of the individual to the whole larger world in which he or she lives." (p. 37)

また、文学とそれ以外のもの(科学など)との違いについて以下のように述べています。

"In previous publications (Carroll, 1995, 2004), I have identified literature as a form of "cognitive mapping," meaning that literature is a special case of the general function of intelligence―that of orienting the individual organism to the environment. The kinds of verbal representations we call literature differ from science and other forms of cognitive mapping that are purely factual in orientation. Unlike science and practical records, plans, and directives, literature is not impersonal. It incorporates the subjective, emotional, or qualitative aspect of human experience in two specific ways. First, whatever the subject of a literary representation might be, that subject is seen from a perspective that is imbued with passion and value. It is made meaningful to human needs, to desires, fears, and the sense of wonder. Second, very often human beings are the subjects of the representation. Even when the subjects are mythical creatures or animals, they are almost always anthropomorphized in such a way that they are only slightly displaced versions of human creatures―creatures acting with recognizable human passions and perceiving the world with sense organs, affective responses, and conceptual categories much like our own." (p. 32)

加えて、文学が適応行動であるとする理由を以下のように述べていました。

"Because they have vital adaptive functions, literature and the other arts are themselves motivated as emotionally driven needs. The need to produce and consume imaginative artifacts is as real and distinct a need as hunger, sex, or social interaction. Like all such needs, it bears within itself, as its motivating mechanism, the impetus of desire and the pleasure and satisfaction that attend upon the fulfilling of desire. That kind of fufillment is not a parasitic by-product of some other form or pleasure, nor merely a means toward the end of fulfilling some other kind of need―sexual, social, or practical. Like all forms of human fulfillment, the need for art can be integrated with other needs in any number of ways. It can be used for sexual display or the gratifications of sexual hunger or social vanity, and it can be used as a medium for social bonding, but it is nonetheless, in itself, a primary and irreducible human need." (p. 37)

また、この論文中では他の研究者による以下の2つの考えも紹介されています。

(1) "What makes humans unique, perhaps more than anything else, is that we are a linguistically adept story-telling species. That is why so many different forms of mythology have captivated our cultural imaginations since the dawn of recorded history (Panksepp & Panksepp, 2000, pp. 126-127)" (p. 31)

(2) ""There was not enough time for human heredity to cope with the vastness of new contingent possibilities revealed by high intelligence. ... The arts filled the gap" (Wilson, 1998, p. 225)" (p. 36)

●Geoffrey Miller (2000) の考えの批判

この理論は、芸術は性淘汰のために存在するという考えです。著者は、この考えに対して、以下のように反論しています。

"Most art in its origins is probably closely bound up with religious ceremonies and rituals; it is collective, public, and communal. The subjects of art prominently include sex and mating, since they involve all matters of intense emotional concern among humans; but they also involve parenting, friendship, the forces of nature, war, spiritual awe, death, and any number of other possible human concerns not notably identified with sexual excitation. The audience for art is the human race―males and females, children, adolescents, young adults, the middle-aged, and the elderly." (p. 33)

●Steven Pinker (1997) の考えの批判

この理論は、芸術を "a parasitic by-product of other cognitive functions that are themselves adaptive" (p. 32) とみなす考えです。まずPinkerは、脳に関して以下のように考えています。

(1) 脳は人間が適応上の重要な問題を解決するために作られた情報処理システムである

(2) 脳は食べ物、危険、性、社会的相互作用などに関する情報を処理する

(3) 脳はその効率性を高めるためにその作業を自動化している

(4) その結果、「空腹になる→略奪・狩猟行動を引き起こす」「年頃の女性を目にする→配偶するための行動を引き越す」「自身と同種物が現れる→何らかの社会的相互作用を行おうとする」というような形で、ある種の刺激を受けると関連した行動を自動的に取らせる形が形成されている

(5) 人はこのような結合が形成されており、適応上直接の利点が何もないような刺激に対してもその行動が引き起こされてしまう

著者は、(5) に関して、"For instance, pornographic images can stimulate sexual response mechanisms. Sexual excitement not directed toward effective reproductive activity would be a parasitic by-product of a proximal mehanism originally "designed" for adaptive purposes." (p. 34) という例を提示して、説明を行っていました。

さて、Pinkerは芸術を他の適応的行動の副産物と考えているわけですが、同時に芸術に "conveying practical information" (p. 34) という働きと "serving to stimulate pleasurable fantasies as a form of hedonistic self-exploitation" (p. 34) という働きがあると述べています。著者はこのようなPinkerの議論に対して以下のような点を問題点として指摘しています。

(1) 議論に不手際がある

(2) Pinkerが挙げた2つの働きだけでは芸術の機能の理解としては不十分である

(1) に関してですが、著者は具体的には以下の点を問題点として指摘していました。

(a) Pinkerは芸術は適応的行動の副産物と述べておきながら、同時にconveying practical informationという働きをするということを認めている。Pinkerはutilitarian information processingを適応と考えているため、芸術は直接適応と関係していると考えることも可能ではないか(そもそも脳はナラティブという形で情報を処理するということも鑑みると、芸術(特に文学)は適応と直接に関係していると考えてもよいのではないか)。

(b) 芸術を適応行動の副産物と考えるのであれば、芸術は適応のために人が発達させてきた認知処理や言語といったものを乗っ取って存在しているということを指摘すればよいだけである(Pinkerが指摘している芸術の2つ目の働きがどのように副産物とする議論とかみ合うのか釈然としない)。

(c) 仮に芸術が他の適応を乗っ取って存在していると考えたとしても、芸術が本質的に適応であるという可能性を否定することはできない

(2) に関してですが、以下の点を問題点として指摘していました。

(a) Pinkerが指摘した2つの機能は芸術の働きのほんの一部にすぎない

(b) 文学作品内の情報の大半は実用的なものではない

(c) 情報の伝達の効率性から考えると文学よりもはるかに効率のよい伝達方法がある

(d) pleasurable fantasiesを刺激するというのは芸術ではあまりメジャーなことではない

(e) 悲劇が説明できない

●人間性について理解する必要性及び進化心理学的アプローチがこのことを可能にするのではないかという展望

文学は人間の経験を表現し、語ります。著者は、文学の働きについて理解するには、文学を生みだす源たる人間性(human nature)について洞察を深めることが必要だと述べます。しかし、「人間性」には様々な事柄(楽しいこと、辛いことなど)が含まれており、非常に混沌とした概念です。古来より人は人間性について語ってきました。文学や哲学は人間性について積み上げられた民間的知識を語ってきました。ダーウィンは19世紀に進化論的な観点から人間の動機や心理を語らなければならないということを指摘しましたが、その具体的な手段がないまま長い時間が過ぎました(文学理論では様々な研究方法が提示されてきましたが、それらは人間性というものを十分に扱うことができなかったと著者は考えています)。著者は進化心理学の登場によって、はじめて人間性を客観的で実証的に議論することが可能になったと考えています。著者は進化心理学に基づいた方法(a Darwinian understanding of human nature)の強みについて、以下のようにまとめていました。

For the purposes of literary study, what a Darwinian understanding of human nature can provide is a framework of analysis that is concordant with the phenomenal or phenotypic surface of representations in literary texts but that is more adequate, as causal explanation, than any single depiction of human nature in any literary work, or any single depiction of human nature in the mind of any individual author. The Darwinian understandinf of human nature is more adequate, as causal explanation, than the explanations within literary works because it is more general, more complete, more analytical, more ideologically neutral, more empirically grounded, and more adequately integrated with the total body of scientific knowledge." (p. 41)

また、以下の点も指摘されていました。

(1) 文学作品は "intentional structures of meaning" (p. 42) であり、意味は作者と読者の両方に属していること

(2) 批評家は(進化心理学的アプローチに立つことで)天才的な作品を科学的な観察と方法によって分析し、みんなが共有できる知識を確立していく必要があること

(3) 意味を考える上で視点(point of view)が鍵となると考えられること

最後にこの論文のまとめとしての著者の言を紹介しておきます。

"Whatever their other motives might be, characters, authors, and readers share one fundamental motive: the need to affirm a certain understanding of the world. All human beings have that need, and satisfying that need is the central, irreducible motive in all literary art. In the absence of instinctive, stereotyped response, humans are compelled to locate their action within some imaginative context, and literature is one of the chif forms through which such contexts are created. All individual literary representations instantiate an emotionally charged understanding of the world. Articulating that understanding satisfies the mind of the artist, and the primary motive readers have for reading is to participate in that understanding and to share in that satisfaction. As common readers, Darwinian literary critics enjoy and appreciate literature in this primary way. As scholars, they also seek to encompass literary works within the explanatory context derived from an adaptationist understanding of human nature." (pp. 43-44)

| | コメント (0)

2014年3月12日 (水)

E.Dissanayake(2007).「What Art Is and Art Does: An Overview of Contemporary Evolutionary Hypotheses」を読む(C.Martindale,P.Locher,&V.M.Petrov(編),『Evolutionary and Neurocognitive Approaches to Aesthetics, Creativity and the Arts』,Baywood Publishing)

芸術の存在理由(人間は何のために芸術というものを持っているのかということ)についてこれまで提起されている仮説が紹介され、それらに著者独自の仮説が加えられています。主に進化心理学的アプローチに基づいた仮説が中心です。学術的ロマンを感じさせる論文です。

Dissanayake, E. (2007). What art is and what art does: An overview of contemporary evolutionary hypotheses.  In C. Martindale, P. Locher, & V. M. Petrov (Eds.), Evolutionary and neurocognitive approaches to aesthetics, creativity and the arts (pp. 1-14). New York: Baywood Publishing.

概要

この論文で述べられているのは以下の点です。

(A) 芸術が人間の進化の過程での適応であると考えられる理由

(B) 芸術に関する進化心理学的アプローチの現状

(C) これまでに提起されている芸術の存在意義に関する仮説

(D) 文学を他の適応の副産物と考えるアプローチ

(E) 著者自身が考える芸術の存在理由

●芸術が人間の進化の過程での適応であると考えられる理由

著者は以下の5つの理由を挙げています(p. 1)。

(1) the arts are present in every culture that is or has been known

(2) in most traditional societies, individuals and groups devote an excessive amount of time, energy, and material resources to the arts, far more than would be expected for a superfluous activity

(3) the arts attract attention and invite participation and indeed provide enjoyment and pleasure

(4) very young children are predisposed to make and enjoy the arts

(5) the arts are usually concerned with biologically important subject matter

著者は、さらに "capacities to engage in the arts are biologicaly predisposed, and I suggest that a "behavior of art" can be considered a biological adaptation" (p. 2) とも述べています。

●芸術に関する進化心理学的アプローチの現状

そもそも進化心理学では次の点が研究者の間で意見の一致をみています。

"the ultimate function of any adaptive behavior is to positively affect inclusive fitness; that is, the individual's survival and reproductive success. Contributions to fitness may not be obvious, and most individuals rarely, if ever, consciously reflect on the ultimate motivation behind their "proximate" actions and responses or the reasons they give for behaving and responding as they do." (p. 2)

しかし、芸術に関する研究は遅れており、しかも研究者はこと「芸術」ということに関して、しばしば自身の個人的考えを前提に議論してしまっています。さらに、研究者ひとりひとりが以下の事柄について異なった考えを持っていることも研究を遅らせる大きな要因となっています(pp. 2-3)。

(1) differences in what the witer takes to be "art"

(2) different ideas about the ways in which fitness is positively affected; that is, its proximate manifestations

●これまでに提起されている芸術の存在意義に関する仮説

著者はこれまでに挙げられている8つの仮説を紹介しています。これまでの研究では、人間が芸術というものを持っているのは、以下のような機能を果たすことに理由があると考えられてきました。

(1) to aquire a deeper knowledge of them (=the constant, lasting, essential, or enduring features of objects, surfaces, faces, or situations) / to enhance, transcend, or even distort or caricature reality and thereby help a viewer to solve preceptual or cognitive problems (p. 3, emphasisi in original)

(2) promotes selective attention and positive emotional responses to components of the environment that lead to "good" (adaptive) decisions and problem solving (p. 4, emphasis in original)

(3) art as creativity and/or virtuosity that contributes to mating opportunity (p. 4, emphasis in original)

(4) honest signals of commitment (p. 5, emphasis in original)

(5) provides risk-free practice for later life when similar circumstances might arise (p. 5, emphasis in original)

(6) manipulate and control other people (p. 6, emphasis in original)

(7) enhance cooperation and social cohesion and continuity (p. 6, emphasis in original)

(8) contribute to higher thought and intelligence (p. 6, emphasis in original)

(1) は、神経認知科学的アプローチの研究で提起されたものであり、残り7つが進化心理学的アプローチの研究で提起された仮説です。(1) と (2) は似ていますが、神経認知科学的アプローチでは焦点を視覚芸術に絞る傾向があるのに対して、進化心理学的アプローチの研究では美といった一般的な概念を取り上げる傾向があるとのことです。また、(2) ~ (5) の研究は、特に文学に重点が置かれた主張とのことです(ただし、(6) ~ (8) も文学が関わっています)が、作品内容に着目し、作品内の形式面は考慮しない傾向があるそうです。

(3) に関しては、クジャクが派手な羽を相手に見せるのと同様に、人間も服装をオシャレに着飾ったり、歌や詩を相手に捧げたりしてきたことが指摘されていました。

●文学を他の適応の副産物と考えるアプローチ

この立場は、主にPinkerが取っているもので、芸術自体は何ら適応的価値はないとするものです。Pinkerは人間はなぜstrawberry cheesecakeを持っているのかということを引き合いに出し、自身の主張を以下のように説明しています。

"The canonical example of this view is the analogy with strawberry cheesecake, which humans have evolved to like because during the Pleistocene, when sugar and fat were scarce, it was advantageous to consume high calories when they became available, rather than to continue ingesting tubers or leaves (Pinker, 1997, pp. 524-525). Like sugar, fat, alcohol, recreational drugs, masturbation, and pornography, the arts exploit cravings that in other contexts are or were adaptive. They allow us "[to press] our pleasure buttons" (Pinker, 1997, p. 525)." (p. 7)

さらに、Pinkerは2002年の研究で、芸術は以下の適応の副産物であると述べています(p. 7)。

(1) the hunger for status

(2) the aesthestic pleasure of experiencing adaptive objects and environments

(3) the ability to design artifacts to achieve desired ends

●著者自身が考える芸術の存在理由

著者は、芸術は適応であるという立場です。したがって、Pinkerとは反対の立場です。しかし、同時にこれまでの8つの仮説は芸術を部分的にしか説明していないとしています。著者は、芸術を説明するためには、以下の点に注意しなければならないと述べています。

(1) 芸術を、その下位カテゴリーに様々なものを含む"superordinate or prototypical behavioral category" (p. 8) と捉え、そのような抽象的なカテゴリーとしての「芸術」を説明しなければならない。

(2) 個人の社会的または情意的協調という側面(それらがひいては生存や生殖と関連する)を考慮に入れる必要がある。

(3) 芸術を技能や創造性といった事柄で説明しようとしても、世界には芸術とは関係性のない技能や創造性がある。したがって、芸術を技能や創造性といったその他の関連概念で説明する場合は、芸術的な技能や創造性は非芸術的な技能や創造性に対して、"what additional capacity selection could have acted upon" (p. 8, emphasis in original) ということを考える必要がある。

(4) 偉大な作品やいわゆる名作のみに基づいた研究は避けるべきである

なお、(1) に関して、「芸術」に含まれる様々な下位カテゴリーは、もし「芸術」という言葉がなかったならなぜ同じカテゴリーに入っているのか皆目見当もつかない不思議なカテゴリーとなるであろうという主張は大変面白いと思いました。

さて、著者は主に上記の (1) に関連して、芸術とは何なのかということについて自身の立場を以下のようにまとめています。

"My own view differs from others not only in suggesting that the arts originated and developed in association with "religion"―specifically its behavioral manifestation, ritual ceremony―but viewing art itself as being not an entity or a quality but a way of doing or treating something; that is, a behavior of art, or "artification." When "artifying," I suggest, one intentionally makes ordinary reality extra-ordinary through certain operations: formalization, elaboration, repetition, exaggeration, and (sometimes) manipulation of expectation, or surprise." (p. 9, emphasis in original)

著者が挙げる操作のうち、最初の4つは他の動物では""ritualization" of communicative displays" (p. 9) と呼ばれているそうで、目立たせるという働きがあるとされています。そして、人間についても特に大人は新生児や幼児にartifyingを行っていると指摘しています(音を強調したり、繰り返したりといったマザリーズがその典型例です)。また、時として魔術や古語によるartifyingでは確かにメッセージを異常にして目立たせることはできますが、その後の具体的な行動に結びつかない(そのメッセージが何を言っているのか理解できないので)といった事態が起こり得るということも認識しておく必要があります。

次に、上記の (2) とも関連しますが、芸術は何のために存在するのかという仮説(既に紹介された8つの仮説に代わる仮説)を提起します。

(9) relieving tension and anxiety and instilling a sense of coping with uncertainty by making individuals feel part of a group and even connected to a higher power" (p. 10, emphasis in original)

この仮説の裏には以下のような著者の考えがあります。

"Hormones released during prolonged stress are debilitating to a wide range of somatic functions, including immune system activity, mental performance, growth and tissue repair, and reproductive physiology and behavior (Sapolsky, 1992). Individuals who engaged in anxiety-reducing group ceremonies would likely have been more fit than those who went their own isolate, anxious ways." (p. 10)

著者は、宗教と芸術が強く結びついているのもまさに芸術が (9) という働きを持っているからに他ならないと考えています。著者は自身の仮説の強み(他の8つの仮説に対しての強み)として以下の点を指摘していました。

"My hypothesis of ceremonial artifications that promoted group coordination and reduction of individual stress seems to me to fit the facts of what is known about the arts in small-scale societies more comprehensively than others. Additionally, it provides a plausible origin for a general behavior/motivation (to artify) from which individual arts could emerge and eventually assume other functions and characteristics." (pp. 11-12)

また、著者の仮説の帰結として以下のような推測も行っています。

"My hypothesis emphasizes movement, rhythm, repetition, formalization, and the psychological effects of temporal organization as primary, suggesting that visual arts (e.g., ornamenting bodies, artifacts, and surroundings) may have evolved separately and were added to temporally constructed artifications in order to provide additional emphasis." (p. 12)

現在、英語教育は文学教材を必要以上に排除していますが、この論文によると文学というものは人間にとって本質的なものです。進化心理学的文学理論は、現在の英語教育の行き過ぎた実用主義の問題点を指摘する1つの重要な根拠となるかもしれません。

| | コメント (0)

2014年3月 7日 (金)

山田佳代子(2013).「英語の授業における文学作品の教材化:高等学校「英語Ⅱ」の授業を例に」を読む(『英語教育学研究』)

よくお世話になっている先生の論文を読ませていただきました。Pro-vision English Course II(new edition)のLesson 5 "The Beech Tree" を基にした実践です。

山田佳代子(2013).「英語の授業における文学作品の教材化:高等学校「英語Ⅱ」の授業を例に」.『英語教育学研究』,4,21-26.

概要

この論文は大きく以下の2点について述べられています。

(A) 指導手順

(B) 学習者の反応

●指導手順

著者は、以下の指導手順を提案しています。

(1) プレ・リーディング活動として、ブナの木について図鑑等の資料で調べさせる

(2) 登場人物と場面設定、プロットを読み取らせ、新出語と文法項目を確認したのち音読を行う(この音読はあくまでも語の発音やフレーズの区切りなどを確認するためのもの)

(3) まとまりごとにTF問題を課し、内容理解の確認を行う

(4) 伝達動詞を抜き出させ、場面が進むにつれて使用される伝達動詞にどのような変化が生じているかを考えさせる。さらに、なぜそのような変化が生じているのかを考えさせる。

(5) オーラル・インタープリテーションを行う。また、どのような調子で読めばいいか、本文の解釈を行いながら考えさせる。

なお、この教材は前半は教育実習生が指導を行ったそうで、著者が実際に行ったのは指導手順 (3) と (4) とのことです。

●学習者の反応

この活動を通した学習者の反応としては、以下の点が指摘されていました。

(1) 学習者はこの指導手順を通して深い読みに到るプロセスを楽しんでいた

(2) 学習者は非文学的なテクストに対しても、この表現が使われているのはなぜか、その効果は何か、といったことを考えながら読むようになった

●その他

私は著者の以下の指摘に非常に共感を覚えました。

(1) 文学教材を扱う際は、1時間1パートという読ませ方ではなく、全体を何度も様々な角度から読ませる形がふさわしいのではないか(p. 22)

(2) 改作がなされているとしても、学習者が目にするのは教科書の英文であり、その英文を文学作品として取り扱っていく姿勢が必要なのではないか(p. 24)

文体論に基づいた指導(指導手順(4))や解釈をさせる活動(指導手順(5))が高等学校というコンテクストでも十分に有意義に機能するということを見て、とても勇気づけられました。

| | コメント (0)

小泉英明(2011).『脳科学の真贋:神経神話を斬る科学の眼』を読む(日刊工業新聞社)

(脳)科学と疑似科学(神経神話)の違いを明確にし、後者に惑わされることなく、前者を追求していくことによって人間の理解がどのように高まっていくのか、ということについて分かりやすくまとめられています。実は脳科学は人文系の学問が抱える問題と大きく関わっており、両者はお互いに連携をして研究を進めていく必要性が説かれていました。話題は非常に多岐にわたっています。脳科学の秘めた可能性の大きさを感じさせてくれる一冊でした。

 

小泉英明(2011).『脳科学の真贋:神経神話を斬る科学の眼』.日刊工業新聞社.

 

以下では、私が特に興味を持った点のみを列挙していきます。

<第1章:脳科学の現在>

(1) 脳科学はこれから人文社会科学の個別分野と融合していく必要があること(p. 25

(2) 脳科学は疑似科学(≒神経神話)が生まれやすいので、注意する必要があること(p. 26

 

<第2章:脳ブームの発生メカニズム>

(1) 「脳科学」という語は日本で誕生し、それが「ブレインサイエンス」と訳されて世界に広まっていったこと(p. 32

(2) 疑似科学としての脳科学は宗教と似ていて、証拠を積み上げて発展していくというよりも、教祖のような脳科学者がまだ証明されていない事がらについて宣言をしてしまい、それが世間に広く浸透してしまうという構造を持っていること(p. 47

 

<第3章:脳はどこまでわかってきたか>

(1) チンパンジーと人間は、DNA上は1%強しか配列差がないが、前頭極の脳全体に占める割合は人間の方が2倍ほど大きい(実質の大きさで言うと、人間の方が6倍大きい)(p. 54

(2) 人間は言語を獲得したからこそ未来について考え、現実に近い形で感じることができるようになったと考えられる(他の動物はおそらく未来については考えることが出来ないのではないかと著者は考えています)(p. 54, 60

(3) 人間は過去の出来事をありありと思い起こすことができるが、これも人間しかできないかもしれない(このようなイメージ能力は人間にとって重要な能力と著者は指摘しています)(p. 61

(4) ディスレクシアは遺伝の問題ではあるが、その症状がどのような重さとなるかはその患者の言語に影響を受けているようだ(p. 63

(5) 言語は意識下で思考を司っているようだ(p. 64

(6) 失語症が出ると人は最初に未来時制が話せなくなる(p. 66

(7) 「言語によって人間は予測の時間が延ばせ、かなり遠い未来まではっきりとイメージできる能力が持てた。すると、たとえば10年後のことでも自分が満たされることをイメージできれば、それが嬉しさや満足感、幸福感につながる。」(p. 73)(著者が考える幸福感のメカニズムです。まだ仮説だそうです。)「言葉の介在が人間の心理を複雑にし、未来を予測したことで幸福感を生み、逆に不安も生んだのではないか」(p. 74

(8) 憎しみを持つのは人間だけらしい(チンパンジーが自分の子どもをボス猿に殺された際、自分の子どもに愛着はあるものの、ボス猿に対して憎しみを抱くことはどうやらなさそうとのことです。著者は、憎しみはかなり高次な機能と指摘しています。)(p. 75

 

<第4章:人間の脳活動を観る>

(1) fMRIで脳活動が観察できる原理(p. 120

(2) 血流を計る方法として、脳血管の位相変化を計る方法と、デオキシヘモグロビンの反磁性を利用して局所磁場の不均一性を計る方法がある(pp. 121-122

(3) 神経活動とは神経の細胞膜の内側と外側で電位変化が起こることを指す。具体的には、神経細胞間のシナプスを神経伝達物質(ニューロトランスミッター)が通って、隣の神経細胞に入り、その神経細胞内で今度は後シナプス電位が起こり、その電気がその神経細胞の表面を伝播し、次のシナプスを神経伝達物質が通り・・・という形で進む。(p. 121

(4) 脳科学によって人の主観がある程度計測できるようになったものの、例えばリンゴの色が2人の人に全く同じ色に見えているかといった問題(哲学で言うところのハードプロブレム)は計測装置で計るすべは今のところない(p. 126

(5) 脳機能の全体論と局在論は融合されつつある(p. 127

(6) おばあさんの顔を見たときに反応する「おばあさん細胞」、「唇を観たら反応する細胞」、「特定の人の顔を観たら反応する細胞」などが見つかり、これらは一見局在論に有利な証拠とも言えるが、その細胞は神経活動の1つの通過点に過ぎない可能性があり、全体論と局在論の議論は慎重に進める必要がある(pp. 127-128

 

<第5章:神経神話とは何か>

(1) 神経神話は早期教育を売り込むための商売道具に使われている(p. 136

(2) 「昼間に保育士がきちんと教育したうえで、母親が夜働いて帰ってきて十分なスキンシップをすれば、母親が一日中べったりと赤ちゃんに付き添って育児をする場合と同じか、それ以上に教育効果が現れるという結果が明らかになってき」ている(p. 138

(3) 英語教育の問題は神経神話が生まれやすい(p. 140

(4) 赤ちゃんは最初、自分に話しかけられていると錯覚してニュース番組に興味を示す(ちょっかいを出したりする)。しかし、自分が合図しても相手は何の反応もしないため、次第に興味を失い、次に自分と同じような赤ちゃんが出てくる番組に関心を示すようになる(p. 141

(5) 人間の発達には双方向性が必要であり、乳児期や幼児期には一方向で情報を与えるのは子供の発達を阻害してしまうことが分かっている。したがって、大人になってから英語をペラペラにするために、小さい頃から一方的に英語のインプットを与え続けるということは大きな問題がある。(p. 141

(6) イマージョン教育は乳児に行っても無意味であり、ある程度大きくなってから行わないと効果がないという脳科学研究結果が報告されている(pp. 141-142

(7) 最近の研究によると、ドーパミン系の神経回路が記憶や覚醒に直接関与しており、意欲があることによってこの神経回路が活性化することが分かっている(p. 143)。意欲を高めることには報酬系が関与しており、具体的な物をもらう形の報酬と人に褒められるなど精神的な意味での報酬では報酬系は同じように働く(pp. 144-145)。

(8) 北米神経科学学会が2011年に選んだ神経神話8つとOECD2007年に選んだ神経神話8つが紹介されている(pp. 148-150)。前者の神経神話については、その問題点等が具体的に示されています。

 

<第6章:左脳と右脳>

(1) 右脳人間・左脳人間という考えは間違いだというよりはまだはっきりと分かっていないと言った方が正しい (p. 152)

(2) 情緒的なものが右脳で働いていると断言することはできない(p. 153

(3) 旋律(音の高さ)のようなものは右脳が処理している(p. 153

(4) イントネーションは右脳が関係しているらしいと神経言語学では言われているが、歌詞を見ながら歌う場合は左脳の言語野が動く(p. 153

(5) 言語は左脳が扱うが、左脳が壊れて動かなくなると右脳が代わりに動くことが分かっている(p. 153

(6) 右脳は活動を抑えられているらしいという説がある(p. 153

(7) 左脳と右脳は脳梁繊維と前交連という組織が結んでいる。両半球の分かれ目の部分は縦裂と言われているが、その部分は脳脊髄液で満たされている。脳は外側では分かれているが内側ではつながっている。ただし、なぜ分かれているのかはまだ分かっていない。(pp. 153-154

(8) 人間の視覚は半交叉(左右の眼の右視野は左脳へ、左視野は右脳へ信号が送られること)である(ちなみにオタマジャクシは全交叉であるが、カエルになると半交叉となる)。運動や体性感覚(皮膚の感覚など)も同様である。つまり、左右二つの脳へ、一部は同じで一部は異なる信号を同時に送り込んでいる。このことは、脳は並列処理を得意とすることと関連があるのかもしれない。ただし、あまり研究が進んでおらず、交叉する神経束と交叉しない神経束の比率もまだ分かっていない。(p. 155

(9) 近年では、「左右がそれぞれ局在化しているのだけれども、その局在化された各機能領域がさらにネットワークで緊密につながっている。それで全体システムができあがっているという考え方」が主流となってきている。だからこそ共感覚という現象も生じると考えられている。(p. 156

(10) 「左の脳は「元々あるつながっているものを切っていく信号処理を担う」役割を持ち、一方、右の脳は「切れているものをつなげていう信号処理を担う」のではないか」という著者の仮説(つまり、左脳は微分的処理、右脳は積分的処理を担っているのではないか)(p. 157

(11) 上の仮説に基づけば、文節を基本とする言語が左脳で処理され、旋律が右脳で処理されるのは説明がつく(p. 158

(12) 現在のところ、扁桃体が右脳の大脳皮質により強く照射しているという事実はない(p. 159

(13) 現在のところ、右の脳で「マクロ観を持って見る」、左の脳で「ミクロに分解しながら見る」という傾向があるということぐらいしか言うことができない(p. 159

 

<第7章:男女の脳の違い>

(1) 解剖結果を統計的に処理したところ、女性の方が男性よりも脳梁繊維の本数が男性よりも2割ほど多いことと、女性の脳の方が男性の脳よりも平均容量が小さいことが分かっている(p. 162

(2) 最近の研究結果から、女性の方が男性よりも左右の脳がよく連結しているということが確からしいというような兆しが出始めている(ただし、まだ断言することはできない)(p. 162

(3) 胎児の脳は最初はすべて女性の脳になっているが、男性ホルモンが胎児の血液中を流れると男の脳が形作られる(男性ホルモンが中途半端にしか照射されないと性同一性障害になりうる)(p. 165

(4) 人間の見かけや性差は比較的染色体で決定されるが、心に関する部分は脳とホルモンの関係で決まる部分が大きい(p. 165

(5) ハエのホモセクシュアルは遺伝の問題である(ただし、人間については慎重に論じる必要がある)(p. 167

(6) 最近では、環境によって子供に受け渡される遺伝子までもが変化するという考え方が出始めている(p. 167

(7) 生体の内部ではダイナミックな遺伝子の変化が起こっており、かりに問題のある遺伝子を持っているかどうかだけで疾病が発現するわけではない(まったく別の遺伝子がその問題のある遺伝子をカバーすることもある)。つまり、疾病は遺伝子の組み合わせによって生じると考えなければならない。(p. 169

 

<第8章:脳科学と社会>

 

<第9章:人間の本質を探る>

(1) 主要なところが突然変異をするとその生物は生き残れない。突然変異で進化しているのは実は末端のあまり本質的ではないところであり、逆に言えば末端のところが少しずつ変化している種だけが現在生き残っている。(p. 191

(2) 人間は未来を考えることができ、それを現実に近い形で感じることができるため、不安が生まれ、様々な精神疾患を患うようになったのではないか。(p. 193

(3) 人間は高度に精神が発達したが、快を感じる部分がサルと同じであるなど、間違いなく進化の歴史を引きずっている。(p. 196

(4) 人間は本来生存に有利なことやものに対して「快」を感じるように方向づけられている。人間は精神的なことからも快を感じることができる。なので、生存に結び付かないにもかかわらず快をもたらしてしまう麻薬は大きな問題がある。(pp. 197-198199

(5) 人間は幸せな未来を予測することで快を感じる(幸福感を得る)ことができる(ただし、同時に不安や死の恐怖も感じるようになってしまった)。(p. 198

(6) 人間は未来を知った結果として、死の恐怖を抱くに至った。そしてその恐怖に対処するために、宗教を持つにいたったのではないか。(p. 199

(6) 人間は美しいものを見たり感じたりすると、報酬系が動き、快を感じる。この理由は、美しいものは生存に有利に働くことが多く、逆に醜いものや汚いものは生存に対して不利に働くケースが多いということに由来しているのではないか。(pp. 203-204

(7) 感動とは、身体反応が伴うため、身体と脳の共鳴現象(相互作用)と考えることができる。涙が出ると、涙が出た自分を認識して、それによってさらに涙があふれて感動が強まるというように、体と脳がお互いにフィードバックし合い、相乗効果を生み出している(これらは、ダマシオ先生の見解)。また、感動すると一時的に体温が下がることが分かっており、だからこそ急に寒くなった時と同様に一瞬鳥肌が立つのだと考えられる。(pp. 205-206

(8) 宗教は人に憎しみの連鎖を断ち切ることを説いてきた。しかし、誰もがこのことを宗教によって成し遂げられるわけではない。そこで、脳科学に基づいた教育を小さい頃から施すことによって、価値観を育み、憎しみの連鎖を断ち切れるように人を教育することができるのではないか。宗教と脳科学はお互いに手を取り合って、人間の幸福の追求のために尽力していなかければならない。(pp. 207-211

 

| | コメント (0)

2014年3月 4日 (火)

Council of Europe(2002/2004).『外国語教育Ⅱ:外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠』を読む(吉島茂・大橋理枝・奥聡一郎・松山明子・竹内京子(訳),朝日出版社)

現在の英語教育研究でCEFRは非常に重要な位置を占めています。この度、文学教材の扱いについてはどのような記載があるのかを調べてみようと思い、読ませていただきました。ですので、この記事では、文学教材と関連のある記載があった箇所のみを列挙したいと思います。CEFRの背後にある考え(複言語主義・複文化主義など)についてはここでは記載しません。他の文献をご参照ください。

Council of Europe(2004).『外国語教育Ⅱ:外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠』(吉島茂・大橋理枝・奥聡一郎・松山明子・竹内京子(訳)).朝日出版社.(原著は2002年出版)

文学教材の扱いに関する記載

(1) 小学校では、言葉遊びの側面を含んだ教育課題のリストを作ることができるであろう(p. 27)

(2) 読むことのB2「現代文学の散文は読める」、C1「長い複雑な事実に基づくテクストや文学テクストを、文体の違いを認識しながら理解できる」、C2「抽象的で、構造的にも言語的にも複雑な、例えばマニュアルや専門的記事、文学作品のテクストなど、事実上あらゆる形式で書かれた言葉を容易に読むことができる」(p. 29)

(3) 言語使用の目的としての言葉遊び(pp. 58-59)と美的言語使用(pp. 59-60)の中で、どのようなものを学習する必要があり、何があればこれらの側面に関する言語能力をその学習者は有していると認められるのか、議論する必要性がある

(4) 創作に関する共通参照レベルの例示(p. 66)(簡単な詩を書くことはA2、物語を書くことはB1、文学作品の評論を書くことはB2、読者を意識した創作文を作ることはC1、ジャンルに応じた文体の使用と読み手をテクストに引き込むことはC2)

(5) 包括的な聴解に関する共通参照レベルの例示の中で、B1に「短い物語も含めて、仕事、学校、余暇などの場面で普通出会う、ごく身近な話題について、標準語で明瞭に話されたものなら要点を理解できる」(p. 70)

(6) 包括的な読解に関する共通参照レベルの例示の中で、B2に「適切な参考資料を選択して使いながら、さまざまな目的やテクストの種類にあわせて、読むスピード、読み方を変えながら、独力でかなりのところまで読み解ける」、C2に「抽象的で構造的に複雑な、もしくは口語表現の非常に多い文学、および文学以外の書き物を含めて、書かれた言葉のあらゆる形式を実質的に理解して批判的に解釈できる。(改行)意味や文体の微妙な違いを味わい、明示的な意味と同時に暗示的な意味も味わいながら、幅広い分野にわたって、長い複雑なテクストを理解できる」(p. 73)

(7) 書き言葉での仲介活動において、文学の翻訳に言及(p. 91)

(8) 非言語コミュニケーションにおけるパラテクスト的特徴において、印刷上の特徴に言及(p. 95)

(9) コミュニケーションの言語処理における受容・読むための言語処理において、メッセージを解釈するための能力(コンテクストの中でのメッセージの解釈)に言及(p. 95, 96)

(10) パラ言語は通常は書き言葉では示されないが、小説や劇ではそれらへの言及がなされるため、注意が必要(p. 99)

(11) 正式な言葉遣いやより親しい言葉遣い(それぞれ中立的な言語使用域から丁寧さ・親しさの点で少しずれている言葉遣い)は特に小説などを受容することによって初めて触れることになり、まずは受容的能力として学習者の中間言語の中に定着する(p. 134)

(12) 文法、文学、外国の文化的特徴についての知識は、叙述的知識(savoir)に含まれる(p. 149)

(13) 第二言語・外国語の学び方の選択肢の1つとして、「編集や難易度の調整、加工を加えていないテクスト(新聞・雑誌・物語・小説・標識・お知らせなど)を読む」に言及(p. 156)

(14) 教師の役割の1例として、「学生の文学鑑賞を理解し、育成する能力」に言及(p. 157)

(15) 学習者の理解を問う課題の難易度に影響を与える要因の1つとして、テクストの特徴があるが、そこでの記述「例えば、具体的な描写や指示、、物語(特に適当な視覚的補助教材があるもの)は、抽象的な議論や説明よりも難易度が低くなることが多いだろう」(p. 179)

(16) 小学校外国語教育の目標の1例として、数え歌や唱歌で言葉遊びをして外国語(特にその音声的・韻律的特徴に)に親しませるという目標への言及(p. 184)

(17) カリキュラムの実例1で、音楽、韻律、他言語の美的要素について言及がある点(p. 185)

(18) 小説や文学を読み、理解する能力を測るための能力記述を開発する上で、教師側の反応(学習者の解釈に対する反応)に揺れが出ることが大きな足かせとなる(p. 231)

| | コメント (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »