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2014年2月28日 (金)

森一生(2009).「感動的な物語教材を用いることが高校生の情意面や意見・考えに与える影響」を読む(大下邦幸(編),『意見・考え重視の英語授業-コミュニケーション能力養成へのアプローチ-』,高陵社書店)

感動的な物語教材を英語の授業で使用することで、学習者の英語学習動機が高まるか、学習者の意見・考えが量的に多く・質的に高くなるか、学習者の内面的な成長が見られるか、をアンケートによって調査した研究です。この研究では、これらのリサーチ・クエスチョンに対して肯定的な結果が報告されていました。

森一生(2009).「感動的な物語教材を用いることが高校生の情意面や意見・考えに与える影響」.In大下邦幸(編),『意見・考え重視の英語授業-コミュニケーション能力養成へのアプローチ-』(pp. 188-198).高陵社書店.

概要

著者は、英語科は学習者の全人格的教育を行う必要があると指摘します。そして、脳科学の証拠に言及しながら、感情や感動といった情意面が学習を促進することを指摘します。著者は感動的な文学教材を複数の高等学校検定教科書(ただし、これらの教材は平成18年の改訂時にすべて差し替えられているそうです)から抜粋し、それらを比較的英語が得意な高校3年生英語学習者に対して選択科目『英文学演習』の中で一定の期間指導を行いました。そして、その指導の前後で上記の3点に関してどのような変化が見られたのかがアンケート調査によって検討されています。文学教材の利用促進を裏付けるような劇的な証拠が得られたわけではありませんが、これらの問いに対して肯定的な結果が報告されています。

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2014年2月21日 (金)

R.E.Probst(2004).『Response & Analysis: Teaching Literature in Secondary School』(2nd edition)第9章を読む(Heinemann)

アメリカの中等国語教育での文学教材指導に関する本です。基本的には、Rosenblattのtransaction theoryが下地となっているようです。今回読んだのは、この本の9章(Evaluation and testing)です。文献の詳細は以下の通りです。

Probst, R. E. (2004). Response & analysis: Teaching literature in secondary school (2nd ed.). Portsumouth, NH: Heinemann.

この章では、テストで文学作品とのtransactionを評価することは不可能かつ不適切であり、その評価は原則として教師が日ごろ形成的に評価していく形で実施されていく必要があると述べられています。著者によると、教師は、学習者のディスカッションでのパフォーマンス、レポート、さらにポートフォリオなどから評価を下すべきとのことです。なお、その評価をするためのルーブリック例が提示されています。

また、学習者がどれほど他人の意見(自分と違う意見)に対して寛容であるのかということも重要な評価対象項目として挙げられている点は面白いと思いました。

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2014年2月 4日 (火)

D.Larsen-Freeman(2003).『Teaching Language: From Grammar to Grammaring』を読む(Heinle)

「文法=形式」という定式化を捨て、「文法=形式+意味+使用」という新たな考えを提供してくれる一冊です。このような斬新な考えを取っていながら、その議論は実際の授業実践に根差したものであり、コミュニケーション重視の英語教育の中でいかに文法を指導していくのか、使える文法を学習者に養っていくにはどのように考えていけばいいのか、ということについて多くの示唆を与えてくれる一冊です。理論(言語学、進化心理学、SLAなど)と実践が有機的に結びついています。主に、Chaos/Complexity Theoryに基づいた研究となります。

Larsen-Freeman, D. (2003). Teaching language: From grammar to grammaring. Boston: Heinle.

<第1章:Defining language and understanding the problem

著者は、文法指導について考えていく前提として、いくつかの基本的な事柄を確認しています。この章で指摘されていた事柄は以下の通りです。

1. 外国語教育は、教師の持っている言語観や学習観以外にも、実際の生徒など様々な要因に影響を受ける中で最終的に決定される

2. 英語教育には機能と形式という2分法が強く存在し、前者はコミュニケーションと、後者は文法と結び付けて考えられがちである

3. inert knowledge problem(明示的な文法知識としては知っているが実際の会話で使えないという問題)

著者は、特に上記の2点目を重要な点と考え、本章以降での議論の出発点としています。著者はこれら2分法を乗り越えて、“I will treat grammar as the forms of the form-function dichotomy, even though I acknowledge that there are more forms to language than grammatical forms.” (p. 9) と述べ、本書を通してこのような考えに基づいた指導法を模索していくと述べています。

なお、この章では、先行研究から言語の定義例が合計で10示されています。以下がその定義例です(pp. 1-2)。

1. Language is a means of cultural transmission.

2. Language is what people use to talk about the things that are important to them, for example, occurrences in their everyday lives.

3. Language is a set of sound (or, in the case of sign language, sign) and sentence patterns that express meaning.

4. Language is a set of rules through which humans can create and understand novel sentences, ones that they have never before articulated or encountered.

5. Language is a means of interaction between and among people.

6. Language is the means for doing something – accomplishing some purpose, for example, agreeing on a plan of action for handling a conflict.

7. Language is a vehicle for communicating meaning and messages.

8. Language is an instrument of power (those who know a language are empowered in a way that those who do not are not).

9. Language is a medium through which one can learn other things.

10. Language is holistic and is therefore best understood as it is manifest in discourse or whole texts.

上記の定義の中で、1つ目のものは文学を使った英語教育に大きな影響を与えてきた言語観のようです。この言語観に基づいたシラバスでは、“works of literature, poetry, history, and the vocabulary and grammar structures that constitute them” (p. 2) といった事柄が取り上げられることになるとのことでした。そして、その典型的な活動例は翻訳のようで、やはり文学と和訳というのは強い連想関係があるようです。その他の定義についても、それぞれその定義に基づいた場合の指導内容例や活動例が示されています。

<第2章:Challenging conceptions of grammar

この章では、文法に関してよくなされる言明を12取り上げて、それぞれの言明の問題点を指摘していきます。取り上げられていた言明の内、6つが文法の性質に関するもの、3つが文法の学習に関するもの、3つが文法の指導に関するものでした。

文法の性質に関する言明は以下の6つです。

1. Grammar is an area of knowledge.

2. When we say something is grammatical, we mean that it is accurate.

3. Grammar has to do with rules.

4. Grammar is arbitrary.

5. One good thing about grammar is that there is always one right answer.

6. Grammar has to do with word endings and word order within a sentence and structures, such as word endings or morphology.

1点目については、grammarは知識のような静的なものではなく、もっと動的であり、いわゆる4技能に続く第5の技能grammaringとして位置づけるべきであると主張しています。2点目については、文法は形式だけの問題ではなく意味とも密接に関係しており、meaningfulnessappropriatenessと関わると主張されています。3点目については、語彙文法や構文文法に基づいて考えれば純粋に規則だけで文法を議論することには限界があることと、学習者には規則それ自体となぜそのような規則となるのかということの説明の両方がないと役に立たないこと、指摘されていました。4点目は、文法は1つの言語体系内で見れば決して恣意的ではない(ある文法現象や文法項目には必ず理由がある)と述べられていました。5点目に関しては、文法はもっと柔軟であり、人は言語を使用する際にその表現の方法をいろいろとチョイスできることを忘れてはならないということが指摘されていました。6点目については、談話文法や話し言葉の文法に言及がされ、その言明の狭さが問題とされていました。

文法の学習に関する言明は以下の3つでした。

1. Grammar is acquired naturally; it doesn’t have to be taught.

2. Grammar structures are acquired in a set of order, one after another.

3. All aspects of grammar are learned in the same way.

1点目については、教師はreflex fallacy(教師の仕事は、教室内に目標言語文化圏の状況を再現しなければならないという誤謬)から自由になり、教室内で効率的に言語学習が進む状況を作り出すことに精を出すべきであると指摘されていました。2点目は、習得の順序に関しては極めて限られた言語項目に対してしか研究がなされておらず教育に応用することは難しいことに加えて、学習は比例的に生じるのではない(新しい項目を学習することで既存の言語項目の使用が退行することもある)という点が指摘されていました。3点目は、どのような言語習得理論もこのような考えに陥りがちであるが(audiolingual methodcognitive code approachUG approachconnectionismsociocultural theory)、言語はひとつの原理でその学習が説明できるほど単純なものではないと述べられていました。

文法の指導に関する言明は以下の3つです。

1. Learners will eventually bring their performance into alignment with the target language; error corrections or feedback is unnecessary.

2. Grammar is boring.

3. Not all students need to be taught grammar. Children, for instance, do not benefit from formal grammar instruction.

1点目については、学習の効率性を高めるという観点に立てば、肯定的証拠だけでなく否定的証拠も活用していくべきだし、その方が学習者のためにもなると述べられていました。2点目については、指導の仕方で変わるし、そもそも教育は学習者を楽しませることが目的ではないと述べています。3点目については、grammarの定義によるとしながらも、年齢が低い学習者であっても学習の効率性を追求する過程で文法指導が有益と判断されるのであれば、積極的に指導していくべきであるとしています。また、上記の2点目について議論する中で、著者は興味深い活動例を紹介しています。学習者に目をつむらせ、その間に教員が服装を含めて5つ何らかの形で変化をし、何が変化したのかを生徒にたずねさせるという活動をしていました。これだと、パターン・プラクティスのように機械的にならずに済むとしています。

<第3章:The dynamics of language (grammaring)

著者は、この章の冒頭で “For the purpose of teaching and learning a language, I suggest that it would be better to think of grammar as a static or dynamic process, something that I have called grammaring rather than a static area of knowledge” (emphasis in original)と述べ、文法はそもそも動的に捉えるべきであり、その方が学習者も楽しく感じるという立場を明言します。そして、この章を通して、文法を動的とみなすことの正当性を支持する4つの証拠を順次提示していきます。それら4つの証拠は以下の通りです。

1. over-time dynamism

2. real-time dynamism

3. organic dynamism

4. the dynamism of interlanguage

1点目に関しては、言語の歴史的変化はしばしば見落とみなされる傾向があるが、言語である以上変化が生じるのは必然的であり、言語共同体がその変化を容認すればその変化に正当性が付与されることになると指摘されていました。

2点目は、実際に私たちは様々な言語外的要因を考慮しながら発話をしているという事実を指しています。

なお、なぜ人は静的な言語記述を好むのかという点についても触れられていました。著者は、ソシュールが言語の状態を分析しようとした際に採用したアプローチが一般化してしまったと考えているようです(著者は、ソシュールは言語の通時的側面の重要性も十分に認識していたと公平に評価しています)。そして、立場が違えども、チョムスキーも同様な立場に立ったと指摘されていました。彼らは、言語の静的側面と動的側面という2分法を設け、共に前者を重視したとされています。

しかし、その後、言語を動的に捉えようとする研究者が多く現われました。著者は、Roman JakobsonDell HymesMichael HallidayDavid BrazilPaul HopperAdele Goldbergの研究を紹介しています。しかし、著者はAdele Goldbergは結局従来的な「静的側面vs.動的側面」という2分法に捕われてしまっていると指摘しています。また、Talmy Givónは、言語にはこれら2側面のどちらも重要であり、従来の2分法の折衷的な立場に立って考える必要があるとしてきました。しかしながら、著者曰く、両者の関係を具体的にどのように扱えばよいのかという点について考察されていないと批判しています。

以上のような背景を述べた上で、著者は3点目について述べます。これは、1つ目と2つ目を融合したもので、“the behavior of the system as a whole is the result of the aggregate of local interactions” (p. 30)“In short, the third meaning of dynamic makes no distinction between current individual use of language (real-time dynamism) and its evolutionary change (over-time dynamism) – they just occur at different levels of scale. As I am writing this and you are reading it, we are changing English. By analogy, at another level of scale, we are not only changing English, we are changing English in ourselves.” (p. 30, emphasis in original) と説明されています。言語学においてこのような立場を取った研究者として、HumboldtSchleicherに言及がなされていました。

最後に4点目ですが、著者は中間言語が非常に変化しやすいものであるということを思い出す必要があると述べています。

<第4章:The three dimensions

著者は、従来の文法指導研究と以下の2つの点で異なる立場を取ることを最初に明言します。

(1) 言語の各要素を非階層的(相互並列的)に相互作用するものとみなすこと

(2) 形態論的および統語論的サブシステムをコンテクストの中で意味を作り出すためのリソースとみなすこと

そして、FormMeaningUseという3つに分けられたパイ図表を提示し、この図表に基づいて各文法項目を分析することを提案します(なお、各側面同士の間には相互作用が認められています)。これら3要素は、以下のように説明されていました。

(1) Form: How is the unit formed?

(2) Meaning: What does it mean (its essential meaning)?

(3) Use: When and why is it used?

そして、いくつかの文法項目を例としながら、これら3つの側面に基づいた分析が提示されています。

また、文法項目をこのパイ図表によって分析することの外国語教育上の利点も指摘されています。著者が指摘していた利点は以下の通りです。

(1) 同じ1つの文法項目であっても各側面によってその学習方法が異なるということを理解することができる

(2) 教師は各文法項目に関する自分の知識を整理し、理解が不足している点などを明らかにすることができる

(3) 教師は、学習者がどの側面が一番学習に苦労するかを予想することができる(著者は、このことをchallenge principleと呼んでいます)

<第5章:Rules and reasons

この章では、著者は文法の規則を教えるだけでなく、なぜその規則が存在しているのか、なぜその規則がそのような動きをするのかといった理由を指導することが重要だと指摘しています。さらに、文法的理由を教えることは、学習者にいくつかの利点があると述べています。著者が指摘していた利点は以下の通りです。

(1) 文法の合理性を理解できる

(2) 機械的な外国語学習を改善できる(学習者が言語と向き合うことができる)

(3) 文法が意味論や語用論と関連していることを理解できる

(4) 母語話者同様に、外国語学習者も文法の適格性を判断できるようになる

(5) 他言語の話者の思考を理解できる(他言語の話者の世界観を理解できる(異文化理解))

(6) 文法の内在化を補助する

(7) 外国語をいつまでも他人からの借り物とするのではなく、学習者自身のものとし、自分の自己表現のための使用を促進できる

(8) 学習者の探求心をかきたてることができる

著者は、文法は動的であることを踏まえると、静的な言語記述である「規則」は充分ではなく、また「規則」では例外を説明することができないと指摘します。著者は、文法指導においては、初級クラスであったとしても、規則に加えて理由を提示することを主張していました。

また、著者が提示しているthere is構文の指導法は非常に興味深かったです。私たちは、1枚の絵をクラス全体に見せて、机の上に何があるのか、椅子の下に何がいるのか、といったことをthere is構文で学習者に答えさせがちです。しかしながら、there is構文は、本来は新情報の導入のために用いられるものであり、教師と学習者が了解している1枚の絵に対してこの言語形式を使用するのは間違っています。そこで、著者は学習者をペアにして、それぞれに別の絵を渡し、間違い探しをさせることを提唱します。そうすれば、聞き手にとっての新情報をthere is構文で産出させる活動を成立させることができます。ある構文を学習させる際に、その構文の言語形式面、意味面だけでなく、語用論的側面も適切なものであるかどうかは常に確認をしながら考えていかなければなりません。

<第6章:The grammar of choice

この章では、文法選択における語用論的側面の重要性を指摘する目的で、特に社会的な要因に起因する文法選択の問題が議論されています。著者は、言語使用における唯一の正しい文法使用というものは存在しないとし、あるのはただ文法項目のチョイスとそれに起因する異なる結果であると述べます。どのような言い方をするかによって人は無意識のうちに他者から評価されます。特に学習者の場合は、母語話者から無礼であると評価されてしまうことがあります。しかし、学習者にただ丁寧な表現を教え込めばいいというものでもありません。学習者であっても否定的な感情を表現することは必要であり、時には他者に対して言葉を無礼に響かせることも必要になります。著者は、何よりもまず学習者に文法的な選択が存在するということを意識させることが必要になると考えています。

次に、著者は語用論的に適切な文法選択を教える際の留意点として以下の3点を挙げています。

(1) 規範的になることは避けるべきではあるが、ある文法選択を特定の文脈で行った場合、それがどのように受け取られるのか、ということについては情報を提供すべきである

(2) ある文法選択が特定の文脈で行われた場合、それをどのように解釈すればよいのか指導すべきである

(3) パラ言語学的要素またや非言語的な要素によって言葉の意味(特に語用論的意味)を変えることはいつでも可能であるということを教えるべきである

著者は更に、以下の点もその留意点として挙げていました。

(4) 学習者は必ずしも母語話者の規範に100%合わせる必要はない(特に、英語の場合は世界共通語になりつつあるので、他の言語に比べてこの点は特に重要である)

(5) 教師は学習者に語用論的側面に関する意識を高揚させることが重要である

また、著者は具体的な例を挙げながら、言語表現の変更に関わる語用論的特徴として、態度、権力、アイデンティティーに分けて具体例が示されていました。態度の箇所で、元カノの所持品のことを現在形で表すか、過去形で表すかによって話者が元カノに対してどのような態度でいるのかが異なってくるという例はとても面白いと思いました。また、アイデンティティーの箇所で紹介されていたLoi Toubonというフランスの法律(フランス語で表現できるにもかかわらず外来語を使用した場合は罰金または禁固刑に処されるという法律)の話も大変興味深かったです。

著者は、外国語を学習者が自分のものにする上で、その言語での文法選択に関する理解を深めることは不可欠であると考えています。

<第7章:The grammar of discourse

6章に引き続いて、言語使用レベルにおいて文法が重要な働きをしている例として、談話文法が取り上げられています。著者は、談話レベルにおける文法の具体的な働きとして、cohesioncoherencetextureco-occurring structures in discoursediscourse function、について具体的な事例を基に説明しています。ここでの説明で私が面白い指摘であると感じたのは、以下の点です。

(1) 話し言葉では、たとえ非文法的になるとしても、文内での新たな主題の理解を助けるために、背景的な情報が主題に先だって与えられることがある(This friend of ours, his son’s gone to Loughborough University.

(2) used toはこれから語る過去の出来事のフレームを設定するのに使用され、そのフレーム内での詳細な事柄はwouldによって表現される(The bad thing was they used to laugh at us, the Anglo kids. They would laugh because we’d bring tortillas and frijoles to lunch…

(3) 現在形は背景情報を提示するのに使用され、過去形は前景情報の提示に使用される(Yesterday I went to the market. It has lots of fruit that I like. I bought several different kinds of apples…

(4) 現在完了形は、ある事物についての過去の状態と現在の状態を結び付ける働きをする

(5) 過去完了形は、談話内で述べられているメインの事柄を説明する目的で用いられる(背景情報を提示するために用いられる)

著者は、文レベルではなかなかとらえきれない文法現象であっても、談話レベルで考えれば分かりやすくなり、文法指導に役立てることができると考えています。

また、しばしば書き言葉の文法と話し言葉の文法が対比されることがありますが、両方の文法を学習者に指導しなければならないというわけではありません。Leech (2000) によると、両者は同じ文法項目を共有しています(ただし、その使用頻度は異なっています)。また、Leech (2000) は、話し言葉に見られる特性は異なる言語間であってもある程度共通しているため、学習者は自分の母語で培った方略を目標言語に対しても使用することができると述べています。

最後に、著者は学習者コーパスなどを使って談話レベルから学習者の誤りを分析することによって、その誤りの原因を発見することができると述べています。この時、教師は学習者の母語に関する知識を持っていれば、大きな助けになるであろうと指摘されていました。

<第8章:Learning grammar: insights from SLA research and consciousness-raising

この章では、そもそも言語学習はどのように生じるのかということについて理解を深めることを目的としています。著者は、よく尋ねられる10個の質問への回答を示すことで、このことを達成しようとしています。また、この章を通して、著者の本書を通しての主張の妥当性を高めることが目指されていると感じました。

1. What does SLA research say about the process of grammar acquisition in general?

著者は、UGアプローチとenvironmental/empiricist approachを引き合いに出し、いずれの立場に立とうともinferencingという認知プロセスが必要になるということを指摘しています(これが意識的にされるか無意識的にされるかは別問題です)。ただし、アプローチによってどのようなinferencingプロセスが伴うかは異なっており、前者のアプローチではdeductionが、後者のアプローチではinductionが求められると述べられていました。

2. Is the SLA of grammar always a matter of figuring out the rules?

著者は、コネクショニスと・アプローチを引き合いに出し、学習は時に肯定的証拠に基づいた自己組織化のプロセスであると述べます。このプロセスには、U-shaped leaning curveが伴うとされています。さらに、chaos/complexity theoryにも言及し、中間言語の再構築やパターンの類推が生じる点も指摘されていました。しかし、これらのモデルでは、人間の持つ能動性、志向性、目標性、意識といったものを扱うことができないので、あくまでも暗示的学習に対するモデルであるということを踏まえておく必要があります(しかし、これらのモデルは第2言語習得におけるインプットの頻度の重要を示していると著者は指摘しています)。したがって、The Natural Approachだけではだめで、教師はより効率的な指導法について考えていく必要があると述べられていました。

3. What about patterned sequences or lexicogrammatical units?

私たちは言語のチャンクを頭の中に多く蓄えており、それらを使用しているからこそ言語使用の流暢さが生まれるとされます(私たちは、言語規則をその都度いちいち適用しているわけではありません)。そして、何人かのSLA研究者は、学習者はまずこれらのチャンクを習得し、それを後に分析することで規則を発見するのではないかと主張しています。著者は、Skehan (1994) の考えを参照しながら、言語習得プロセスについて以下のようにまとめています。

“grammar acquisition may be first characterized as a period of lexicalization, in which leaners use prefabricated sequences or chunks of language, followed by a period of syntacticization, in which learners are able to infer a creative rule-governed system. The sequence may conclude with a period of relexicalization, in which learners, like native speakers, use patterned sequences to produce accurate and fluent speech.” (p. 83)

ただし、以下のような点も付け加えられています。

(1) 学習者によってはある学習段階で止まってしまったり、その段階に長くとどまる者がいると予想される。

(2) 複数の学習段階が学習者の中間言語の中で共存している(Jaeger et al (1996) による脳科学的研究によると、過去形に関しては、不規則形は、lexicalization処理であり、規則形はsyntacticization処理であるとされています。ただし、N. Ellis & Schmidt (1998) はコネクショニスと・モデルに基づけば両者は共に連想学習であると言えると述べています。)

4. How are patterned sequences reconfigured to produce new forms?

ここでは、Peirceによるabuductionに言及がなされています。これまで、inductionに基づいて言語習得を説明しようとするenvironmental/empiricist approachに対して、Chomskyは限られた時間の中で子どもはどのようにありとあらゆる文法規則を検証することができるのかという疑問を投げかけていました。そこで、著者はinductionという処理にabductionを説明に加えることによってこのアプローチはChomskyの疑問点に答えることができるのではないかと主張しています。

5. My students’ language seems to be constantly fluctuating; one day they seem to have it, the next day they don’t

著者は、中間言語は可変的であり、変化のスピードも速いと指摘します。また、発達の仕方も比例的ではなく、1つの発話に対しても複数の文法要素が関係していたり、学習者のその時の言語処理への処理労力の分配状況によってパフォーマンスが大きく変わりうることを指摘しています。また、確かに形態素の習得順序はありますが、個々の形態素の発達自体が段階的です。学習者は一見その言語項目を正しく使えているように見えても、語用論的な要素とのマッピングがうまくできていなかったりなど、その完全な習得には時間がかかることを銘記しておく必要があります。このようなことから、著者は中間言語を目標言語からの欠陥として見るのではなく(Bley-Vroman (1983) はこのことをcomparative fallacyと呼んでいるそうです)、発達的に見ることが必要だと述べています。

6. What can my students learn from each other?

ここでは、主に社会文化的アプローチに基づきながら、学習者は会話または相互作用を通して徐々に統語構造を発達させるという点が指摘されていました。Hatch (1978) による会話に見られる子どもの発話のvertical structuresの変容の研究、ヴィゴツキー的アプローチをとる研究者によるscaffoldingZPDという考え方に言及されていました。また、Wood, Bruner, & Ross (1976) をもとに、言語熟達度の低い学習者が熟達度が高い学習者との相互作用で学びを生じやすくする条件が列挙されていました(p. 88)。

7. What does the evidence say about the value of teaching grammar in accelerating or complementing the natural process?

ここでは、Krashenの考えを反駁する中で、explicit learningの有効性を支持する証拠が多く挙げられていました。特に、Norris & Ortega (2000) のメタ分析や、Lightbown & Spada (1993) の研究(コミュニケーションの中で文法を指導することの有効性を示した研究)、White (1987) によるincomprehensible inputの重要性を示した研究が、その証拠として示されていました。これらは、いわゆるfocus on formの研究で、本書の著者も一連の研究を支持する立場を取っています。しかし、この用語自体に対しては批判的です。というのは、この用語では、「文法の学習=言語形式の学習」(意味や言語使用は無関係)という誤った考えを導く恐れがあるためです。

8. What pedagogical practices for grammar teaching are substantiated by research findings?

現在のところ、言語産出活動よりもconsciousness-raisingタスクの方が重視されています。この語は非常に広い概念であり、“broad enough to embrace a continuum ranging from mere exposure to grammatical phenomena at the one end to explicit pedagogical rule articulation at the other.” (p. 91) とされています。著者が示していた具体的な研究は以下の通りです。

(1) noticing

(2) consciousness-raising tasksgrammatical consciousness-raising tasks

(3) input processing

(4) collaborative dialogues

(5) instructional conversations (prolepsis)

(6) Community Language Learning Dialogue

(1) に関しては、consciousnessdetectionattention、など類似した概念がたくさんあり、更にnoticingには何種類ぐらいあるのかなどといったことは研究者間で見解の統一が取れていませんが、それでもnoticingは言語学習を促進し、inputintakeになる(言語学習が生起する)ための必要条件と言えるという点では意見が一致していると述べられています。また、関連した考え方として、primingtraceという概念にも言及されていました。

(2) に関しては、Fotos & Ellis (1991) を基に、具体的な活動例が示されています。

(3) については、VanPatten (1996, 2002) Doughty & Williams (1998) を基に具体的な考え方が示されています。なお、input processingでは、intakeという概念が通常とは異なる意味で使用されますので、注意が必要です。

(4) については、Swain (1985) や、Swain & Lapkin (1998) を基に、相互作用を通した言語産出が学習者に言語形式への注意を促すという点が指摘されていました。このアプローチにおいては、相互作用は本当の意味でのコミュニケーションであると同時に学習のプロセスでもあるということが強調されます。

(5) については、教員が学習者と相互作用をする中で、学習者に文法規則の理解や発見を誘導することの有効性が示されていました。

(6) については、CLLを一種のconsciousness-raisingタスクとして評価し直すことが提案されていました。この考え方は私にとってはとても新鮮で、非常に興味深く思いました。なお、CLLの読み書き能力養成版はthe Language Experience Approach (LEA) と言うそうです。

9. Should I give my students explicit rules?

これまでのところ、簡単な規則の場合には規則を与えることが有効であると考えられているようです。複雑な規則の場合は、例文を与えたり、規則と例文を両方与える方がよいとされます。ただし、複雑な規則であったとしても、学習者が誤りを犯した直後であれば規則を与えることは有効であるということを示した研究もあります。他にも、L1L2L2の方がより有標的な規則を持つ場合、L1L2の語用論的違い、lexicogrammatical units、コロケーションなども明示的な指導が有効であると考えられています。また、明示的指導は、帰納的な学習はもちろんのこと、教師と学習者の協同的ダイアローグ、チャート、公式、絵などと合わせて用いることが推奨されていました。

10. Should I use linguistic terminology (metalanguage) with my students?

このことはまだはっきりとは答えは出ていないそうです。ただし、実際の指導でどの程度文法用語が用いられるかは、教員の信念やメタ言語を使った指導に対する好み、学習者のメタ言語知識、学習者の学習スタイル、といった要因に影響されるようです。ただし、「メタ言語の指導=言語の特性や機能の指導」という定式化をしないように気を付けなければならないと著者は注意を促しています。

著者は、以上のように述べてきた後で、awarenessは文法習得のスピードを速めると主張します(著者は、このことは研究者の間で意見の一致をみていると考えています)。ただし、意識的になるまでの注意が必要なのかどうか、言語産出活動をするべきなのか、ということについては意見の一致はまだみていません。

<第9章:Output practice and production

著者は、コミュニケーションの中で文法を使えるようになるためには、何らかの形でのoutput practiceが必要だと考えています。著者はoutput practice “using the target patterns or structures in a meaningful, hopefully engaging, focused way” (p. 100) という意味で用いています。なお、consciousness-raisingと比べると、output practiceの研究はほとんど行われていません。これにはいくつかの理由があると著者は指摘しています。その理由としては、以下の点が指摘されていました。

1. output practiceはオーディオリンガル・メソッドのmeaningless drillと同一視されがちであり、最近では研究者の関心を集めていない

2. オーディオリンガル・メソッドの時代のプラクティスが前提としていたstrong interface positionに反する報告(プラクティスを行ってもすぐにコミュニケーションで使えるようにならない)がたくさんなされている

3. プラクティスで学習しても、その効果は持続しない

4. output practiceは文法の知識発達自体には直接的な働きはないという考えが広まってきている

2点目に関して、最近ではweak interface positionという立場を取る研究者が増えてきているようです。この立場は、“instruction draws learners’ attention to language features and permits them to develop knowledge of those features, but that learners wll not incorporate such features into their interlanguage until they reach the requisite developmental stage.” (p. 103) と説明されています。

3点目に関しては、Processability Theoryに言及がなされ、学習者に習得する準備がまだできていない項目を練習させると、習得ができないばかりでなく、間違った規則が中間言語体系内に構築されてしまうといった問題が起きかねないという意見があることが紹介されていました。

4点目については、産出練習をしなくても高い言語能力を獲得したという事例が多数報告されていることが指摘されていました。

しかし、研究者はoutput practiceが全く無意味だと言っているわけではありません。以下のような役割が認められているようです。

1. Moves learners from semantic to syntactic processing; encourages syntactic analysis

2. Promotes noticing, especially of what learners do not know

3. Learners can test hypothesis and gain negative feedback through which to modify their hypothesis

4. May help learners gain more comprehensible input or better access to the developing system

ただし、これらの例が示しているように、あくまでも明示的な言語知識の発達や言語処理の効率性への貢献であって、文法習得に本質的なものとは捉えられていないという特徴があります。著者によると、output practiceが言語習得において本質的な役割を果たすという立場を取っているのはSwainなど一部の研究者に限られるとのことでした。

以上の議論を受けて、著者はoutput practiceは言語処理の流暢さだけでなく文法知識体系の構築自体にも本質的な働きをするという立場を取ることを明言します。そして、この立場をサポートする証拠が関連分野の先行研究から挙げられています。具体的に言及があったのは以下の領域です。

1. Information-processing

2. Connectionism

3. Chaos/Complexity theory

1つ目の領域については、automaticityAndersonによる「宣言的知識→手続き的知識→手続き的知識の自動化」という知識発達プロセスについてのモデル)とrestructuringschemataconstructionsprptotypesinstance-based theoryに言及がありました)に関する研究結果が紹介されていました。そして、これらの結果から、既に列挙されたoutput practice4つの働きに加えて以下の3つの働きが提案されていました。

5. helps leaners develop fluency through the control of formulaic speech

6. increases automaticity, which in turn frees up attentional resources

7. leads to restructuring, which modifies and reorganizes underlying representations

2つ目の領域については、implicit learningunconscious associative leaningに起因させるといった基本的な考え方が説明されています(詳細はここでは省略します)。その後、学習者のパフォーマンスの向上と(一時的な)低下についてすべて、“the continual adjustment of patterns of connectivity in response to the continual processing of examples” (p. 110) という1つのプロセスで説明することができるため、information-processingよりも利点があると指摘されていました(information-processingではそれぞれ自動化と再構築という2つの考えが必要となります)。しかし、どちらかというとL1習得向きの理論であることと、社会的側面について考慮していないことがその問題点として指摘されていました。

3つ目の領域については、このアプローチの重要概念であるmorphogenesisemergentismを引き合いに出し、They “allow output production and practice to contribute to the creation of new language forms; they are not limited to imitation and rehearsal of previously learned material. They also account for the acquisition of grammar as different from the acquisition and application of rules and, finally, they unite the cognitive with the social.” (p. 113) とこの理論の利点がまとめられていました。

最後に、これら3つの立場がどのような点においてpracticeに対して肯定的であるかがまとめられています。“From an information-processing perspective, practice activities are essential in language teaching because they encourage automaticity, which frees learners’ attention to be directed elsewhere, and they may contribute to restructuring learners’ grammars. From the perspective of connectionism, practice strengthens the connections among the nodes in a neural network, accelerating future access. From the perspective of C/CT, practice may even lead to the creation of new language forms. And from a C/CT and sociocultural perspective, practice (of the right sort) and learning are synchronous.” (pp. 116-117) ただし、Chaos/Complexity theoryの最後の点(practice and learning are synchronous)については、ある特定の項目を自在に操れる程度の習得レベルに到達するには練習が必要にはなることは言うまでもありません。

次にアウトプット活動を作成するための留意点が検討されています。著者は以下の2点をその留意点として指摘していました。

1. Be meaningful and engaging

2. Focus on the learning challenge, be it form, meaning, or use

特に2点目については、具体的な活動例が提示されており、formの場合にはfrequent usemeaningの場合にはassociationuseの場合にはchoice(適切な言い方を選ばせること)という要素を重視した活動とすることが提案されていました。また、これらの要素を重視した活動例が市販の教科書から抜粋されています。

また、前述のthe inert knowledge problemを克服するためのポイントとして、活動での心理的プレッシャーや負荷度を実際の言語使用でのそれと同程度とすることを提案しています。“in order for transfer to occur, the practice activity has to be “psychologically authentic: The activity should be designed to allow learners to experience some of the normal psychological pressure felt by people engaged in real communication” (Gatbonton and Segalowitz, 1998: 486)” (p. 120). Johnson (1994) は、両者の心理的プレッシャーや負荷度をあまりに違えすぎたためにAudiolingual Methodは失敗したと指摘しています。そして、著者は、活動は機械的なものからコミュニカティブなものへと移行させていくのではなく、meaningfulでないものから心理的にオーセンティックなものへと移行させていくことが重要なのではないかと指摘していました。つまり、プラクティスはコミュニカティブなものでなかったとしても言語学習に効果的になることがある(プラクティスをすべてコミュニカティブなものにする必要はない)ということを銘記しておく必要があります。

ただし、著者は非常に慎重であり、この章で提案したプラクティスが学習者全員に有効に機能するわけではないし、現在の学習者の中にはAudiolingual Methodを好んだり合っている学習者もいることを忘れてはならないと指摘しています(pp. 115-117)。

また、この章ではCLTPPPPresent-Practice-Produce)に与えた影響について解釈がなされていたのですが、その解釈がとても面白かったです。著者によるとCLTはこの順序を逆にしたと指摘します。CLTの影響により、まず学習者はタスクの中で何らかの言語産出を行い、次にそのタスクを実世界で達成できるようにするためのプラクティスが行われ、最後に特定の言語項目に対してconsciousness-raisingが行われるという順に変化したと指摘されていました。

<第10章:Feedback

この章では、feedbackという語は、“evaluative information available to learners concerning their linguistic performance” (p. 123) という意味であり、error correctionよりも広い概念として用いられています。著者はこの章では、特にnegative feedbackの有効性について議論しています。以下でも、著者にならい、feedback negative feedbackという意味で用います。

Feedbacknegative feedback)に対する立場は様々です。生成文法系の研究はfeedbackの有効性に対して懐疑的である一方、行動主義心理学系の研究はfeedbackを必須であるとしています。また、両者の中間的な立場にある研究としては、学習者がインプットからでは決して知り得ない情報に対してfeedbackを与えるべきという認知的立場もあります。

著者は、feedbackは必須であるという立場に立っています(ただし、行動主義心理学的立場からではなく、Chaos/Complexity Theoryの立場からです)。そして、“affectively supportive, nonjudgmental, judicious, focused feedback that helps students say what they wish to say is vital to successful teaching” (p. 126) と述べています。教師は、comparative fallacy(前掲)とreflex fallacy(前掲)に捉われずに、学習者の誤りをdeficiencyではなくdevelopmentと見なすこと(規範の番人ではなく、学習者の言語発達のnurturerとして学習者と接すること)が必要であると指摘されています。

しかし、研究者の中にはfeedbackを与えることに対して批判的な立場もあります。著者は、まずは批判的な立場を列挙していきます。まず、feedbackは無駄であるという立場を取り上げ、その主な主張として以下の3点が指摘されていました。

1. feedbackの効果についての研究では、効果があるとする研究と効果がないとする研究が混在している

2. 学習者が習得する準備ができていない項目に対してfeedbackを与えることになりかねない

3. 化石化したものに対しては、feedbackは無力である

次にfeedbackは有害であるとする立場が取り上げられます。主な主張は以下の2点です。

1. avoidance strategyを助長してしまう

2. 言語学習は難しいものであるという錯覚を学習者に助長してしまう(特にpositive feedbackを与えると、生徒は自分のやっていることがとても難しいことを行っている、つまり言語学習とは難しいことなのだと感じてしまう)

次は、feedbackは曖昧であるとする立場です。主な主張は以下の点です。

1. recastを与える目的で学習者の発話を教師が繰り返すことがあるが、その繰り返しが何を意味するのか学習者に曖昧になる場合がある(誤りが含まれているということを意味しているのか、学習者の発話は正しく適切な文であると認められたことを意味しているのか)

最後にfeedbackは一貫性に欠けるという立場です。主な主張は以下の2点です。

1. 教師のfeedbackの与え方は一貫していない(ただし、著者は一貫していなかったとしても、個々のfeedbackは合理的であり、繊細な教育的決定に基づいたものであると述べています)

2. 教師が何に対してfeedbackを与え、何に対して与えないかということが一貫していないため、学習者は混乱してしまう

以上のような反論に対して、著者は以下のように述べます。

1. Feedbackに懐疑的な立場を取る研究は、すべてfeedback一般の話をしている。しかし、feedbackとはもっとローカルなレベルで議論すべき問題である

2. Feedbackは化石化が起こる可能性を低くすることができる

3. L1L2に違いがあるとき、インプットからだけでは学習者が気づけない事柄もある

4. Feedbackには、仮に今は直接の効果がなくても、将来のpriming効果を引き起こしうる

5. 学習者が無駄な仮説検証を行う手間を省くことができる

6. Feedbackの効果を報告している研究があることも事実である

7. 化石化が起こったとしても教師は学習者がそれを克服するのを援助すべきである

次に、著者はfeedbackの役割について述べます。著者は主に以下の2点を指摘しています。

1. 具体的な場面において個別の役割を果たす

2. 中間言語体系の中に学習者が新しい言語形式等を創造することを助ける

更に、どのようなfeedbackがよいのかということについて議論しています。著者は、“I will take a stance that argues for the value of feedback when done judiciously, using appropriate techniques, appropriately focused, in an affectively supportive, nonjudgmental manner” (p. 130) と述べています。そして、個々のポイントについて詳しく述べていきます。まず、judiciousという点に関して、feedbackを無駄であると主張する立場の2点目と3点目の論点を取り上げて、教師にそのことを判断させることはあまりにも荷が重すぎるということを述べた上で、以下の留意点を示しています。

1. Attend to errors that show that a student is ready to learn.

2. Work on errors, not mistakes.

3. Work with errors where students show that they know what they want to say, recognize that they do not know how to do so, and try anyway.

4. Deal with errors that are committed during accuracy activities.

5. Give feedback on errors where learners need negative evidence in order to eliminate a hypothesis.

特に5点目については、学習者が過剰一般化を行った直後が効果的であるとしています(Tomasello & Herron (1988) はこのことを “garden path” techniqueと呼んでいるそうです)。

次にappropriate techniquesappropriate focusedという点については、以下の点が指摘されています。

1. 一般には誤りは他人に修正してもらうよりも自分で修正させる方がよい(かといって、教師も必要に応じて誤りを明示的に訂正すべきである)

2. 教師が誤りを訂正する場合は、批判ではなく援助としてその訂正を行っているということを学習者に認識させるべきである

3. 他の学習者からの誤りの訂正も有効である

4. recastは、学習者それぞれが教師が発したrecastに注意を向けており、かつその授業のメインとなる目標言語項目に対して向けられたものであり(したがって学習者がそのrecastから利益を得る準備ができており)、強調がなされたもの、である場合に最も効果が大きい

また、4点目に関して、recastは学習者のnotice the gapに有効に機能すると述べられています。いずれにせよ、recastは何を問題としたものであるのかが学習者に明確に理解できるものでなければなりません。また、教師と学習者が協働的であると更によいとされています。ただし、著者が指摘するように、recastが成功したからといってすぐに学習者のパフォーマンスが向上するというわけではないことは銘記しておく必要があります。

最後に、affectively supportive and nonjudgmentalという点については、以下の点が述べられていました。

1. positive feedbackを与えること(必要以上に褒めすぎること)によって、必要以上に言語学習が難しいという印象を学習者に作り出さないように気を付けなければならない

2. 褒める場合は何を褒められているのか明確に分かるようにすべきである

3. 学習者にはnonjudgmental mannerで彼らの言語パフォーマンスに対してnegative cognitive feedbackを与え、同時に彼らのその言語パフォーマンスとそのパフォーマンスを行った労力に対してpositive affective feedbackを与えるのがよい

<第11章:Teaching grammaring

著者はこの章でこれまで述べてきたことをまとめていきます(著者はgrammaringはこう教えるべきという規範的な議論になることを避けるために、重要点を復習するという形でのまとめ方を故意に選んでいます)。まず、言語の定義を示しています(著者は、第1章で挙げた10の定義すべてを含むとしながらも、それでは議論を進める上で不都合であるため、次の定義を示しています)。

Language is a dynamic process of pattern formation by which humans use linguistic forms to make meaning in context-appropriate ways. (p. 142, emphasis in original)

続いて、文法についても定義を示しています。

grammar(ing) is one of the dynamic linguistic process of pattern formation in language, which can be used by humans for making meaning in context-appropriate ways. (p. 142, emphasis in original)

以下では、著者は次の項目に分けてこれまでの議論を整理していました。

1. grammaringとは何か

2. grammaringをいつ行うか

3. grammaringをどのように教えるのか

4. grammaringを誰に教えるのか

まず、1点目についてです。著者は、そもそも文法というものの捉え方を変えなければならないと述べます。著者は、文法は動的で、学習者をエンパワーするものであり、4技能同様に技能(知識ではなく)である(つまり、grammarではなくgrammaringである)、ということを認識する必要があると述べます。そして、grammaringは、経時的な言語変化、リアルタイムの言語使用、両者の有機的統合、学習、言語活動への参加、のすべてに関わるということを銘記することが重要であると指摘していました。著者はgrammaringという概念について以下のようにまとめています(少し長いですが、そのまま引用します)。

Grammaring is the ability to use grammar structures accurately, meaningfully, and appropriately. To help our students cultivate this ability requires a shift in the way grammar is traditionally viewed. It requires acknowledging that grammar can be productively regarded as a fifth skill, not only as an area of knowledge. It may be that the fifth skill is intimately interconnected with the other skills; nevertheless, mindful practicing with grammatical structures, and using them for one’s own purpose(s), will hone the grammaring skill. Innovation, as opposed to imitation, will also be facilitated if our students are grammatically awareaware not only of rules, but also, importantly, of reasons. The rules and reasons may not need to be stated in metalinguistic terms, but they should always inform the nature of the pedagogical activity. As the specific nature of the learning challenge will shift among the three dimensions of form, meaning, and use, due to the inherent complexity of the target structure and the characteristics of the studentsfor example, their native language and target language proficiencythe learning challenge will always have to be determined anew. (p. 143)

さらに、文法学習は線状(linear)ではないこと(私たちは、文法項目の指導順序を考える時には、文法を線状に考えがちです)、言語習得プロセス(morphogenesis process)と指導を調和させること、も極めて重要であると述べています。

次に2点目に移ります。ここでは、以下の事柄が述べられていました。

(a) A responsive approach:教師は学習者の発話に着目し、ある文法項目が指導可能な瞬間を見分けなければならない(学習者の学習状況が指導を決定するのであって、その逆ではない)

(b) A proactive approach:目標言語項目が用いられるようにあらかじめ計算してタスクを設計すべきである(仮にその言語項目がその段階で学習可能でなかったとしても、将来の学習のプライミングが期待できる)

(c) 文法指導手順ではなく、文法指導のためのチェックリストを作成する(そして、適宜状況に合わせて必要なチェックポイントを指導に組み込んでいく)

(d) その都度で文法のどの側面を対象としているのか明確にする

(e) 指導によって学習者の時間を節約できるようにする(学習者が既に知っていることを説明することに時間を費やしたりしないようにする)。例えば、ある項目の指導が別の項目の学習も促進するような場合は、積極的に指導を行う。

(f) 指導計画を「水平的」に考える(ある特定の文法項目について一度にすべて教えて次の時間に別の文法項目に移るというではなく、1つの文法項目のある時はこの側面のみ、ある時はこの側面のみ、といった感じで一定の時間を置きながら何度も適宜必要な側面を指導し、徐々にその文法項目の習熟を達成させる)

(g) 文法項目同士を関連づけさせる(文法項目同士を関連付けるのは難しいが、ひとたび結びつくと飛躍的に学習が進む)

3点目については、以下の点が指摘されていました。

(a) 明示的な指導も有用であることを忘れてはいけない

(b) 学習者のengagementを高める

(c) 学習者が持つ「文法」に関する考え方をgrammaringという考え方に変える

4点目については、以下の2点が指摘されています。

(a) 学習者同士の違いを忘れてはいけない

(b) 学習者の情意面も考慮に入れて指導する

以上で、本書は終わりです。1冊を読み終えて、著者はChaos/Complexity Theoryという新しい理論に基づいていながら、非常に現実的かつ謙虚な姿勢で議論を進めているという感想を持ちました。著者は、自身の研究がすべての学習者に有益であるとは限らないことや、オーディオリンガル・メソッドのような古い教授法が有効に機能する学習者が今でもいることを忘れてはいけないこと、など、極度に自身の議論を一般化することを避けていました。外国語教育学を専門とする研究者として非常に重要な姿勢であり、私も日々注意していきたいと思います。

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