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2013年4月26日 (金)

M.Bygate(2001).「Speaking」を読む(R.Carter&D.Nunan(編),The Cambridge Guide to Teaching English to Speakers of Other Languages,CUP)

スピーキングに関して整理がなされています。

Bygate, M. (2001). Speaking. In R. Carter & D. Nunan (Eds.), The Cambridge guide to teaching English to speakers of other languages (pp. 14-20). Cambridge: Cambridge University Press.

感想:スピーキングの研究はまだ歴史が浅いそうです。なかなか研究が発達しかなった理由として、(1) 文法訳読式教授法の影響でコミュニケーションスキルの指導が周辺に追いやられていたこと、(2) テープレコーダーが出来るまでは気軽にネイティブの発話を聞くことができなかったこと、(3) スピーチはあくまでも指導を行うための手段であり指導すべき対象とは考えられていなかったこと、が指摘されていました。その後、オーディオリンガル・アプローチが流行しますが、この教授法の反省の中で、言語と意味の関係や言語が機能と結びつく文脈が考慮されていないという問題が指摘されるようになったそうです。結局、スピーキングのスキルやパターンといったことについてはほとんど注目がなされないまま進んできたということが述べられていました。

次にスピーキングの特徴について調べた研究が紹介されていました。この章ではLeveltによる発話産出のモデル(conceptualization、formulation、articulation、self-monitoring)、スピーキングの文脈・状況に関する研究、スピーキングで必要になる発話の調節に関する研究、が紹介され、"The implication for teaching is that oral skills and oral language should be practised and assessed under different conditions from written skills, and that, unlike the various traditional approaches to providing oral practice, a distinct methodology and syllabus may be needed." (p. 17) と述べられていました。また、スピーキングの発達を調べた先行研究もレビューされ、その中でタスクの形が、正確さ、流暢さ、発話の複雑さに影響を与える点が確認されていました。特にタスクを繰り返すことで、学習者の注意をスピーキングのある側面から別の側面へと移動させる(例えば正確さから流暢さへの移動)ことができるという点はとても面白いと思いました。

スピーキング指導の実践についてもこれまでの成果がまとめられていました。これまでの研究によると、スピーキング指導に関して、"A range of different types of interaction need practicing" "The conditions of oral tasks need to differ from those for written skills" "Improvised speech needs practice, but around some content familiarity" "Overt oral editing skills need to be encouraged, including the use of communication strategies" "Oral language processing requires integration of accuracy, complexity and fluency" "For learners' oral abilities to develop, courses need to vary the emphasis on fluency, accuracy and complexity" (いずれも p. 18) ということが言えるとのことでした。そして、教科書編纂における業績、流暢さと正確さを統合しようとした指導法に関する業績などが紹介されていました。

最後に、今後の検討事項として、スピーキングのタスクは学習者にとっていったい何ができるのか(特定の言語項目(特定のタイプのディスコースのパターンなど)に習熟させることができるのか、など)洞察を深めること、タスクが学習者の言語処理技能にどのように影響をするかを調べること、口頭言語に習熟するためのシラバスの構築、正確さ・流暢さ・複雑さをいかに統合していくか考察すること、が挙げられていました。スピーキングに関しては専門外なので、とても勉強になりました。

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2013年4月17日 (水)

M.Rost(2001)「Listening」を読む(R.Carter&D.Nunan(編),The Cambridge Guide to Teaching English to Speakers of Other Languages,CUP)

リスニングに関して包括的な解説がなされています。

Rost, M. (2001). Listening. In R. Carter & D. Nunan (Eds.), The Cambridge guide to teaching English to speakers of other languages (pp. 7-13). Cambridge: Cambridge University Press.

感想:著者によると、19世紀末のReform Movementにより、"the spoken language became the definitive source for and means of foreign language learning. Accuracy of perception and clarity of auditory memory became focal language learning skills." (p. 7)という認識が高まったそうです。著者は、リスニングが重視される契機となった事柄として、このReform Movement以外に、アメリカ構造言語学(Bloomfield)、ロンドン学派(ファース)、ハイムズによるコミュニケーション能力、ヨーロッパ評議会、に言及がなされ、"In the late 1960s and early 1970s, applied linguistics recognised that listening was the primary channel by which the learner gains access to L2 'data,' and that it therefore serves as the trigger for acquisition." (p. 8) という認識が確立したとのことでした。

次に、リスニングが教育の中でいかに取り入れられたかということに関して影響を与えて研究分野が解説されます。ここでは、第二言語習得論(クラッシェンのモニターモデル、ピカらによる方略調節の研究)、発話処理研究(二重経路モデルと音声学・音韻的特徴及び方略の転移)、相互作用分析(異文化間語用論、会話分析、L2学習に必要なスキルの研究)、リスニング方略の研究、が紹介されていました。なお、発話処理研究の解説の箇所では、"the best aid to comprehension is to use normal speaking speed with extra pauses inserted." (p. 10) ということが多くの研究で示されているということが紹介されていました。

次にリスニングの指導実践に関してこれまでの研究成果が列挙されていました。ここでは、単に指導法に関することだけでなく、トレーニング方法、教材、授業時の使用言語(instruction language)についても言及されていました。

最後に現在およびこれから重要になる研究トピックとして、個別学習者のリスニングプロセスの解明、音韻方略の研究、input enhancementの研究、academic listeningの研究、が挙げられていました。また、リスニングに影響を与えるテクノロジーにも触れられ、授業とはまた異なった形でリスニング学習に貢献することになるであろうと述べられていました。

部分的にかなり専門的な内容が盛り込まれていましたが、リスニングに関して包括的に扱われていました。

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M.ウルフ(2007/2008).『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか』を読む(小松淳子(訳),インターシフト)

読書と脳の関係について、多面的に考察した非常に面白い文献です。もともとは一般向けの本なので、非常に読みやすく書かれています。

ウルフ,M.(2008).『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか』(小松淳子(訳)).インターシフト.(原著は2007年出版) 

感想:

<第1章:プルーストとイカに学ぶ>

著者は、読字の能力は遺伝によって伝達されるものではなく、各個体がそれぞれ脳内の既存の回路(これらは遺伝によって伝達されます)を再利用することで、獲得しなければならないものであると指摘します。具体的には、「文字を読む脳はどうも、本来、視覚専用としてではなく、視覚を概念形成機能および言語機能と結びつけるために設計された、古いニューロン経路を活用しているように思われる。(中略)読み書きや計算などの機能の発明という作業に取り組むことになった時、私たちの脳は、独創的な三つの設計原理、つまり、古くからある構造物間に新たな接続を形成する能力、情報のパターン認識を行うために成功に特殊化された脳領域を形成する能力、そして、それらの脳領域から得られた情報を自動的に採用して関連づける能力を、意のままに使いこなした。読字の深海、発達および障害のいずれの根本にも、この三つの脳構造の原理が何らかの形で働いている。」(p. 29)と述べます。同様に、「人間の祖先は生来の認識システムを順応させ、物体認識を担当する脳領域を使って人類史上初の初期言語の記号や文字を解読したらしい。しかし、厳密に言えば、人間の脳生得の数種の能力、つまり、順応する能力・特殊化する能力・新しい接続を形成する能力が相乗して、視覚領域と、初期言語に不可欠な認知プロセスと言語プロセスに携わる脳領域とのあいだに新しい経路を形成できるようにしたのである。」(pp. 30-31)とも述べています。そして、「それぞれ文字と文字パターンの認識を担当している細胞ネットワークが、“同時発火”することを学習すると、どちらも、それまでよりもはるかに迅速に検索できる資格情報を表象するようになるわけだ。」(p. 31)と述べ、読字のプロセスが自動回路として働くようになる能力を説明していました。

そして、私たち人類がネット社会へと突入したことによって、人類が築き上げてきた読字の能力を失ってしまうかもしれないと著者は危惧しています。私たちは読字能力を手に入れたことでインターネットを生み出すことができたわけですが、インターネットがそれを生み出した人類の読字の能力の存在を脅かすおそれがあるというのです。著者は「読字能力が別のスキルに取って代わられてもおかしくない状況にある今だからこそ、私たちが失いたくないと望んでいる読字能力によって向上する知的スキルの真価がはっきりと見えてくる」(p. 43)と述べ、次章以降で読字と脳の関係について議論をしていきます。

<第2章:古代の文字は、どのように脳を変えたのか>

この章では、人類が文字を確立していく過程を歴史的に追っていきます。クレイトークン、キープ、人類最初の言葉を突き止める過去の試み、楔型文字、シュメール人による楔形文字の読字教育、シュメール人による標準語と上品な言葉の使い分け、アッカド語及びそのバイリンガル語彙リストによる学習(シュメール語は口語としては死語となりつつあったため、当時の読字者はアッカド語とシュメール語の対訳式語彙リストで学習をしていたそうです)、アッカド語の表記体系(一般的で重要な語を表す語に対しては一部シュメールの表語文字を残し、残りは音節文字で書き表すという表記体系)、ヒエログリフ(かつては、シュメール語の表記体系から派生したものと考えられていたそうですが、最近の発掘によってその歴史はシュメール文字よりも古く、かつ独自に発達したという可能性が出てきているそうです)、ヒエログリフが文字を蛇行式に書き記す牛耕法を採用していたこと、が紹介されていました。

また、「世界各地で発見されている証拠からすると、書字は紀元前四〇〇〇年紀の終盤に少なくとも三回、その後もさらに三回にわたって、世界のあちこちで発明されたようだ。」(p. 76)と述べ、最初の三回は、エジプトのヒエログリフとシュメールの楔形文字、および紀元前2500年ごろまでに発達したインダス文字(まだ解明されていないそうです)、を指しています。また、後の三回(3箇所)は、紀元前2000年頃にクレタ島で作られたクレタ文字(線文字B及びヒエログリフから進化した線文字A)、メソアメリカ全土で使用されたロゴシラバリーの文字(もともとはザポテク人が発明し、マヤ人とオルメカ人が使用した記録があるそうです)及びインカ帝国のキープ、そして中国の竜骨に刻まれた文字が該当します。また、中国の竜骨に刻まれた文字に関しては、基本的に表語文字ですが、女性たちだけが使う女書というものがあり、これだけは音節文字であったということが紹介してあり、とても興味深かったです。

なお、この章では、クレイトークンとシュメール語を使用していた人々の読字用脳内回路がそれぞれ提案されている点もとても面白かったです。

<第3章:アルファベットの誕生とソクラテスの主張>

この章では、まずアルファベットが誕生するまでの文字に関して、これまでに発見されているものが紹介されています。まず、音節文字からアルファベットへの移行期の文字の候補として、ワディ・エル・ホル文字、ウガリット文字が紹介されます。なお、原カナン文字になり、それがフェニキア文字、ギリシャのアルファベットに変化したという通説があるそうですが、原カナン文字はウガリット語が変化したものである可能性も示唆されていました。このことに続いて、アルファベットの定義としていくつかの考えが紹介されています。

次にギリシャのアルファベット誕生について議論が移ります。紀元前15世紀頃に使用されはじめ、紀元前1211世紀に消失した線文字Bについて説明がされた後、「原カナン文字→フェニキア文字→ギリシャのアルファベット」という通説が紹介されます。しかしながら、アルファベットの発達過程についてはきちんとした系統はまだ研究で確認されていないとのことでした(p. 94)。

次にアルファベットこそがあらゆる文字の頂点に立つ者であるとする考えがあるそうで、この考えについて検討がなされます。この考えには主に3つの具体的な主張があるそうです。1つ目は、「アルファベットは効率性であらゆる書記体系を凌いでいる」(p. 96)という主張です。著者は、英語、中国語、日本語の脳内の読字プロセスを比較し、次のように指摘します。「図3-1に示した三タイプの文字を読む脳の複合図を見れば、効率性のタイプが言語によって異なっていることがわかる。アルファベットを読む脳は、一部の脳領域において必要とする大脳皮質の場所が少なくなっている点で、アルファベット登場前のロゴシラバリーの読み手の脳とは著しく相違している。具体的に言うと、アルファベットの読み手は左半球の後頭領域の特殊化した領域に大きく頼っている一方で、これらの視覚領域を両半球にわたって賦活させることはほとんどない。それとは対照的に、中国人(とシュメール人)は、両半球の多数の領域を特殊化した自動プロセスのために動員することによって、流暢さを獲得しているのである。」(p. 97)また、日本語の脳内読字プロセスを調査した研究に言及しながら、この1つ目の主張は成り立たないことを示していきます。「日本語の読み手は、漢字だけを読む時は、中国語の読み手と同様の経路を使う。一方、規則性が高く平明な仮名文字を読む時は、むしろアルファベットの読み手に近い経理を使うが、まったく同じというわけではない。注目して頂きたいのは、日本語の読み手の場合、前頭前野がそれほど賦活していない点だ。」(p. 99)、「漢字と仮名の単語解読に用いられるそれぞれ別の解剖学的経路が存在するうえに、左側頭葉後部周辺には、漢字と仮名から成る文章を読む時に活性化する大きな皮質系があることが示されている」(p. 99)、「視覚的な五十音図による仮名文字の指導方法のおかげで、膨大な量にのぼる音韻処理の必要がなくなり、日本の子どもたちは視覚をベースにした代替ストラテジーを取れるらしい」(p. 100)、「効率性を概念化するなら、アルファベットだけがなし得た功績ではなく、どの書記体系もが少しずつ異なる形で獲得した」(p. 100)、「共通の三大領域が書記体系によって使い分けられている(中略)。第一の領域、つまり後頭―側頭野(リテラシーのための“ニューロンのリサイクリング”の中枢があるとされる領域)では、どの文字を読む場合も、私たちは熟練した視覚のスペシャリストになる。第二の領域、ブローカ野を取り巻く前頭連合野では、二種類のスペシャリスト、つまり、単語の音素と意味を認知するスペシャリストになる。第三の領域、上側頭葉とこれに隣接する下部頭頂葉にまたがる多機能領域では、音と意味の複数の要素の処理を補助する追加領域を動員する。これはアルファベット体系と音節文字体系にとって、とりわけ重要な領域だ。」(p. 101)、汎用読字システム(=「前頭葉と側頭―頭頂葉と後頭葉の諸領域を接続するシステム、言い換えるなら、脳の全四つの脳葉から必要な領域を選択するシステム」(p. 101))の像、「いかなる言語であろうと、文字を読むことは脳全体の再編成につながる。」(p. 101)、「流暢に理解するための経路は複数存在し、それぞれが、書記体系によって異なる形をとるものの、すべての書記体系に共通する連続体と言うべき効率性を備えている。書記体系の効率性と固有の回路には、書記体系のシンボル数、音声言語の音の構造、書記言語の規則性の程度、抽象化の程度、文字習得への運動スキルの関与度など、さまざまな要素が影響してくる。しかも、これらの要素は、読字初心者にとっての読字習得の難易度をも左右する。現に、音節文字である仮名は兵庫文字である漢字よりも速く読めるし、ギリシャ語やドイツ語などの規則性の高いアルファベットを学ぶ子どもたちは、英語のように規則性の乏しいアルファベットを覚えようとする子どもたちより早く、流暢さと効率性を身につけるのだ。」(pp. 101-102

次に第二の主張、「斬新な思考を生み出すことにかけては、アルファベットに勝るものはない」に関しては、「この書字の歴史全体を客観的に検討してみると、人類の歴史において知的思考の発達を促したのは、最初のアルファベットでもなければ、改良を繰り返してきたアルファベットですらなく、書字そのものであることが見えてくる。二〇世紀のロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーが言ったように、語られた言葉と語られなかった思考を文字に置き換えるという行為が思考を解き放ち、その過程で思考自体を変化させるのだ。人類は、自分の思考をよりいっそう正確に伝えるために書記言語を用いることを学ぶなかで、抽象的な思考と斬新な発想を生み出す能力を伸ばしてきたのである。」(p. 104)と述べ、その主張を否定します。

第三の主張「アルファベットは音声に対する意識を高め、読字の習得を促進する」に関しては、口承文化を重視したギリシャ人だったからこそアルファベットを作り上げることができ、かつギリシャ人が意識して行った音声の分析は幼いギリシャ語の生徒たちが無意識のうちに行うことができ(アルファベットを使うので)、それが彼らのリテラシーの獲得を容易にしたと述べており、この主張は支持しています(なお、著者は「シュメール人が知られている限りで初の言語学者であり、サンスクリット語の学者たちが最初の文法学者であるとすれば、ギリシャ人たちは最初の音声学者と言って然るべきだ。」(p. 107)と述べています)。しかし、面白いことに知識階級のギリシャ人は口承文化の方が文字文化よりも優れたものと考えていたようで、特にソクラテスは「実に雄弁な口承文化擁護者にして、実に精力的な文字文化否定者だ」(p. 108)ったそうです。そこで著者はソクラテスがアルファベットを否定した理由に話を映していきます(なお、プラトンの記述によると、ソクラテスはマンネンティア出身の女性哲学者であった可能性があるそうです)。

ソクラテスは「書き言葉は社会に深刻な危険をもたらすもの」(p. 112)と考えていたそうです。その理由として、「書き言葉は柔軟性に欠ける」「記憶を破壊する」「知識を使いこなす能力を失わせる」という考えがあったそうです。なお、書記言語を批判したのは他に紀元前五世紀のインドで活躍したサンスクリット語の学者たち(「知識と精神の成長につながる本当の媒体として音声言語を重視していた」(p. 122)そうです)がいるそうで、その理由は「自分たちのライフワークである言語分析を省いてしまいかねない文書に依存することに疑問を抱き、糾弾した」(p. 122)のだそうです。

<第4章:読字の発達の始まり―それとも、始まらない?>

この章では、子どもの読字発達について追っていきます。著者は子どもが読字を発達させる上での理想的な環境と悲劇的な環境の2つのケースを取り上げる中で、子どもの読字発達についてこれまでに分かっている事柄を紹介していきます。

まず、理想的なケースを語る中で私が個人的にとても面白いと思った点を列挙していきます。それらは、(1) 子どもは生後18ヶ月ごろにすべてのものにそれぞれ名前があるということに気づくこと、(2) 物語は他人を理解する能力を養うこと、(3) 十分な読み聞かせをしてもらった子どもはそうでない子どもに比べて、「自分の話をするのに、書物特有の“文学的”な表現を多用しただけでなく、洗練された統語形式や長い言い回し、関係詞節まで使ってみせたのだ。これが重要な意味を持つのは、自分の言葉で表現する時に多様な単語の意味と統語形式を使いこなせる子どもたちは、他人の音声言語と書記言語を理解することにも長けているからである。この言語力と認知力は、数年後、子どもたちが自分自身で物語を読むようになった時に、数々の読解スキルのまたとない基盤となる。」(p. 135)ということ、(4) 「幼い子どもが行う対象物の命名と文字の音読を比較してみると、リテラシー獲得前後の脳の進化に関する、かなり意外な“獲得前青写真”と“獲得後青写真”が見えてくる。単純なレベルで言うと、対象物を認識して名前で呼ぶのは、子どもたちが基礎となる視覚野を、言語処理を司る脳領域と接続するために、初めて使用するプロセスである。やがて、スタニスラス・デハーネが言うニューロンのリサイクリングのようなプロセスにおいて、文字の認識と音読がこの同じ回路の特別な部分を動員するようになるため、最終的には、書かれたシンボルを大変な速さで読めるようになるわけだ。」(p. 141)ということ、(5) 「四、五歳に達する前から子どもに読み方を教えようといくら努力しても、多くの子どもたちにとっては生物学的に時期尚早であるどころか、逆効果を招くおそれさえある」(p. 145)、(6) 子どもは45歳になると独自に綴りを発明する(たとえば “Are you deaf” を表す綴りとしてRUDFなど)が、それを自分で読み返すことにはとても苦労する(読もうという意志はある)こと、(7) 「簡単な押韻の訓練を受けた子どもたちの音素認識力が群を抜いて発達していたこと、そして、何よりも重要なことだが、読字を易々と習得したこと」(pp. 151-152)、(8)「言葉のやりとりやジョーク、歌に含まれている脚韻、頭音および尾音と計画的に戯れさせることが、子どもの読字レディネスに大きく貢献すると確認されている。詩や音楽の楽しみ方を子どもに教えるのは、子どもに真剣な遊びを与えることになるのだ。」(p. 152)、です。

もう一方の悲劇的なケースを述べている箇所で私が関心を持ったのは、(1) 貧しい言語環境で育った子どもの中には平均的な子どもよりも3200万語も五歳までのインプットが少ない子がおり(語彙の貧困)、そのような子どもは三歳の時点でそうでない子どもよりも使える単語数が半分以下であること、(2) 家庭に本が何冊あるかということが語彙の貧困と相関していること、(3) 語彙発達とその後の読解力とが相関しているために、幼児期の語彙増加の後れは、不運な一事象としてとらえた場合に思われるより、はるかに不吉な前頭となる」(p. 156)こと(幼児期の語彙発達が遅れると、普通の子どもにその後決して追い付くことができず、しかも年々その能力の差が広がることになるそうです)、(4) 夕食時の団欒の長さがその後の読字に大きく影響すること、(5) 「中耳炎を治療せずに放置すると、語彙の発達と音韻の認識という、読字の最も大切な前段階のうちの二つに影響がおよぶ」(p. 158)こと、(6) 「頻繁に中耳炎にかかりながら治療を受けずにいる子どもたちは、後に読字障害に陥る可能性が著しく高いこと」(p. 159)、(7) ローラ・アン・ペティットらの研究グループによると「早い時期(三歳前)に二言語に触れさせることには好ましい効果があり、表現も読字もモノリンガルの子どもたちに匹敵するようになる」(p. 161)こと、(8) 同研究グループによると幼い時期からバイリンガルだった成人の脳はモノリンガル同様に同じ箇所で言語処理をするのに対して、学校に入ってから第二言語を学び始めたバイリンガルの成人は脳の両半球が賦活するパターンを示すこと、(9) 認知神経科学的には特に早い時期に第二言語に触れたバイリンガルな脳は素晴らしく、言語の柔軟性と多重課題に関してはモノリンガルの脳よりも認知的に有利であると考えられること、です。

<第5章:子どもの読み方の発達史―脳領域の新たな接続>

この章でも引き続き、子どもの読字発達が追われていきます。この章では、①まだ文字を読めない子ども、②読字初心者、③解読に取り組んでいる読み手、④流暢に読解する読み手、⑤熟達した読み手、という5つの段階のうち、最初の3つの段階についてそれぞれ段階を追って特徴を見ていきます。

まだ文字を読めない子どもに関しては「生まれてから五年のあいだに、“大好きな人のひざ”に座って、たくさんの音や単語、概念、イメージ、物語、活字との触れ合い、リテラシーの教材、普通のおしゃべりといったすべてのもののなかからサンプルを集め、学んでいく。」(p. 174)と特徴づけられていました。

読字初心者に関しては、(1) 音韻・音素の認識の発達(「大きな単位なら聞き分けて分割することができる。やがて、もっと小さな単位、つまり、音節と単語に含まれている音素も聞き取って、巧みに使うことを覚えていく。この能力が、読字学習の成否を予測する最良の判断材料のひとつとなる。(中略)読字能力のレベルが低い四年生の八八%は、一年の時、単語読解力に難があったというのだ。」(p. 178)という点が面白かったです)、(2) 自動化できるようになる表象への変換(綴りの読みを自動で行えるようになるという意味です)、(3) 語意味の発達、(4) 「単語が解読できた」≠「その単語の意味を理解している」という点、(4) 意味を引き出す力と文脈を把握する力、(5) 意味の多義性への理解(「幼い駆け出しの解読者たちは、活字になった言葉も、ジョークやしゃれで使う話し言葉同様、複数の意味を持ちうることを悟ると、理解力を深める。単語の多義性という概念は、読んだものから推論し、より多くの意味を読み取ろうとする姿勢を読字初心者に植え付ける。これが読字の次のレベルの素材となるのだ。」(p. 189)という点が面白かったです)、が述べられていました。

また、最も初期の段階の文字を読む脳についても詳しい説明(pp. 189-192)がされています。著者によると、子どもも大人の汎用読字システム同様に、三つの大きな脳領域が活躍するそうです。幼児は読む中で脳内でその三領域を接続する作業を行っているそうです。そして、第一の領域については次のようにのべられています。「子どもの脳の場合、大人の脳とは違って、最初に賦活される大きな領域は、後頭葉(つまり、視覚野と視覚連合野)と、後頭葉の奥深く、側頭葉に隣接している、進化に重要な役割を担う脳野、すなわち紡錘状回の、大人よりもはるかに広い領野におよんでいる」(p. 190)そうです。そして、左右両半球の活動が大人よりもずっと活発な状態であるそうです。これは、まだ子どもの脳に読字用のニューロン経路が整備されておらず(スキルの脳回路における特殊化及び自動化がされておらず)、「多大な認知処理と運動処理、そしてそれを支えるニューロン領域を必要と」(p. 190)しているためです。

2の領域についても、両半球にまたがっているそうですが、活動は左半球の方がやや活発だそうで「側頭葉と頭頂葉のさまざまな領域を包含している」(p. 190)とのことでした。ある報告によると「子どもはいくつかの特定の領域を大人よりも多用すること、なかでも特筆すべきが、音韻処理と視覚処理、綴り処理および意味処理の統合に重要な役割を担う二つの重要な脳の構造物、角回と縁上回であることを確認した。子どもの場合は、側頭葉であるウェルニッケ野と呼ばれる言語理解の中枢の一部も著しく賦活された」(p. 190)そうです。」ただし、大人でも難しい単語を読まなければならない場合には小児期のような方法をとらざるをえず、子ども以上にウェルニッケ野の一部を活用しなければならないことになるそうです。

3の領域はブローカ野だそうです。また、「子どもと大人のどちらにおいても積極的な役割を演じているのは、脳の下層部に位置するその他の領域だ。例として挙げられるのが小脳と、多目的に活躍する視床である。」(p. 191)、と述べ、これら以外の領域にも重要な働きを行っている部位があることが指摘されていました。

解読に取り組んでいる読み手に関しては、(1) サイト・チャンク(視覚的チャンクとも言い、「単語を構成する文字パターンと母音の対」(p. 195)と説明されています)とサイト・ワードの獲得、(2) 流暢さの獲得、(3) 流暢さの獲得よる考える時間の獲得、(4) 感情面の重要性(「感情の関わりが、読書生活に飛び込むか、それとも、読字は他の目標に到達するための手段でしかない小児期の泥沼に踏み込んだまま終わるかを分ける転換点になることは珍しくない。小児期の読解力の発達には、想起し、予測し、推論した後に起こることがきわめて重要な影響をおよぼす。すなわち、感じ、確認し、その過程でより完全に理解し、ページをめくるのがもどかしくなるといったことが、読解力を伸ばすのだ。十分解読できる段階から流暢に解読する段階へと移行しつつある子どもには、さらに難しい読字教材に挑戦する意欲を起こさせる、学校の先生や家庭教師、親の心からの励ましが必要である。(改行)しかし、感情の次元には、別の一面もある。『シャーロットのおくりもの』にでも、そのほかのどんな物語や本にでも、完全に没入できる能力、“徹底したどん欲さ”[が必要である]。文字と解読の規則をすべて習得し、単語の表面上に息づいているものを把握し、さまざまな読解プロセスを展開させ始めた子どもたちを、読書に正面から向き合わせ、生涯にわたって読書に熱中させるのも、流暢に読解する読み手になる能力を育むのも、読むことによって導出される感情である。この流暢な読解力という、いつまでも色褪せることのない能力が、アドリエンヌ・リッチの言う“超越に向けて踏み切る”ための基盤を、そして、私たちの多くを今の自分に成長させてくれた読字発達の次の、そして最後の段階の基盤を形成するのだ。」(pp. 202-203

<第6章:熟達した読み手の脳>

この章では、第5章で取り上げなかった残りの読字発達段階について扱っていきます。まず、流暢に読解する読み手の段階についてです。著者は、読み手は流暢な解読者から戦略的な読み手へと徐々に変化すると述べています。リチャード・ヴァッカの言葉を借りると戦略的な読み手とは、「読む前、読んでいるあいだ、読んだ後に予備知識をどのように働かせればよいか、文章のなかで何が重要であるかをどうやって判断するか、情報をどのように合成するか、読んでいるあいだと読んだ後にどうやって推論を導き出すか、どのように質問するか、そして、いかにして自己モニターを行い、読解に欠陥があれば修復するかを知っている読み手」(p. 211)となるそうです。

著者によると、流暢に読むためには脳の経路の切り替えが必要になると言います。文字を読む脳にはパターンの認識、ストラテジーの計画、そして感じること、という3つの重要な役割があるそうです。特に3つ目の役割に関しては、「流暢に読解する読み手の脳画像には例外なく、私たちの情動生活の中枢である辺縁系とその認知システムに接続する経路の活動が活発化する(中略)。脳の皮質最上層の真下に位置するこの辺縁系が、読んだものに応じて喜びや嫌悪感、恐怖、昂揚感などを感じ(中略)る能力を支えているのだ。(中略)私たちが読んだものすべてに優先順位を付け、価値を見いだすことにも、この辺縁系が一役買っている。この情動面の寄与度によって、私たちの注意プロセスと読解プロセスは喚起されることもあれば、不活発になることもある。」(p. 215)と述べられています。子どもは既に「左右両半球の視覚野の皮質の大部分を必要とするうえに、視覚野から側頭葉上部と頭頂葉下部を経て前頭葉の領域に至る経路の処理速度が遅く、効率も悪」(p. 216)いこと(つま解読に多大な労力と時間をかけている)が知られています(背側経路と言う名称があるそうです)。しかし、この低速のおかげで、「幼児は単語に含まれている音素を組み立てる時間がとれるのだ。また、単語に付属しているさまざまな表象すべてを“検索”する時間を余分に作れるというのも、この低速経路ならではである。」(p. 216)そうです。それに対して、流暢に解読する読者の場合は、子どものような労力は要せずに、「特殊化された脳領域が重要な視覚・音韻・意味情報を表象し、これを電光石火の速さで検索することを学習し」(p. 217)ているそうです。エール大学ハスキンズ研究所のグループによると、「子どもたちが流暢さを獲得するにつれて、若い脳は両半球の賦活から、左半球のより効率のよいシステム(腹側経路または下側経路とも言う)へと切り替えていくのが普通だそうだ。この流暢な読字経路は、幼い子どもたちが使用する脳領域よりも集中的で能率化された視覚野と側頭頭頂領域に端を発し、下部および中部側頭葉を経て前頭葉に至る。ひとつの単語を十分に理解した後は、手間のかかる分析は必要なくなる。そこで、左半球を中心に記憶した文字パターンと単語の表象で、より高速のシステムを賦活させるわけだ。」(pp. 216-217)ということになるそうです。つまり、「脳が発達して、基本的な解読プロセスを左半球の特殊化された領域に任せてしまう、つまり、左半球優位に移行することで、両半球は今まで以上に意味プロセスと読解プロセスに専念できるようになる」(p. 217)ということになります。このように、解読プロセスを自動化してしまえば、脳は時間的余裕を手に入れることになります。さらに、脳は「隠喩、推論、類推、情動と言うバックグラウンドを経験から得た知識を統合させて、そのたびに時間を一ミリ秒ずつ縮めることを学ぶ」(p. 217)そうで、ついには思考と感情を別々に処理することができるまでの時間的余裕を手に入れることになるそうです。

次にいよいよ熟達した読み手について取り上げられています。著者は、ヒューイによる先行研究に基づきながら、2分の1秒という時間で読字を支える脳神経回路網の働きについて整理を行っていきます。著者はまず0100ミリ秒の間に起こることについて解説します。この時間内に「①ほかにしていたこといっさいから注意を逸らす、②注意を新しい焦点に移す(文章に着目する)、③新しい文字と単語に注目する、という三つ」(p. 221)の作業が行われます。この作業を著者は「注意の神経回路網の方向付け」と名付けています。この三つの作業には異なる脳領域が関わっているそうで、「注意の開放に関与するのは頭頂葉後部の脳領域、注意を移すのは中脳の眼球運動を司る部分(上丘という)、何かに注目させるのは視床と呼ばれる脳内配電盤の一部で、これは脳の五つの層すべてから送られる情報の統合を行う」(p. 221)と述べられています。また、著者は注意の実行を司る神経回路網についても説明しています。この回路網は読字の全段階できわめて重要な働きをするそうです。この回路網について「前頭葉の奥深くに位置するこの実行システムは、両半球の二つの前頭葉のあいだにある深い溝の下にある、かなり広い領域(帯状回という)を占めている。この領域のもっと前方の部分は、読字特有の機能に深くかかわっている。ここで言う読字特有の機能とは、視覚システムの注意をある文字または単語の特定の視覚的特徴に集中させる機能(たとえば、読字初心者は“bear”の“b”の向きによく注意しなければならない)、特に、言語の意味を理解できるように意味処理するために、前頭葉の他の領域から送られてくる情報を統合する機能、そして、作業記憶と呼ばれる特定の種類の記憶の用途を制御する機能である。」(p. 222)と説明されています。さて、ここではさらに記憶に関して簡単に説明がされ、エピソード記憶、意味記憶、宣言的記憶、手続き的記憶、作業記憶、連想記憶(「自分が初めて手に入れた自転車やファースト・キス、その他の印象深い初めての物事など、長期間覚えている情報を思い出すための記憶」(p. 223))が説明されていました。

次に50150ミリ秒の間に起こる現象、特に認識の自動性に寄与する要素について取り上げられています。まず、1つ目の要素としてセル・アセンブリという概念が説明されます。そもそも、「読字学習は脳の視覚皮質を変化させる。視覚システムは物体認識と特殊化の能力を備えているため、熟達した読み手の視覚野には、文字、文字パターンおよび単語の視覚映像を担当する神経細胞の回路網が整備されたことになる。熟達した読み手の場合、これらの領域がものすごい速さで機能する。」(p. 223)ことになるそうで、「個々の細胞が協調することを学ぶ、言い換えるなら、独自の“機能単位”を形成することを学習するというのである。これらの機能単位は使えば使うほど強固になって効率を増し、やがて、入力データをほぼ瞬時に処理できる小さなニューロン回路となる。熟達した読み手が一般的な文字パターン、つまり、“bear”のような単語を目にすると、その単語は、文字を構成している直線や斜線、円を認識する膨大な数の無関係な細胞を個別に賦活するのではなく、独自の神経回路網を始動させるというのだ。この動作原理は、“同時に発火する細胞は常に一緒にある”という生物学的公理の実例であり、脳全体に分布する神経回路網のシステムにセル・アセンブリを結合させて、より大きな回路を構築していく脳の基本的手段である。熟達した文字を読む脳は、視覚野綴りのパターンの表象から音韻表象に至るまでの脳全体のあらゆるタイプの心的表象を生成する、こうした神経回路網の正真正銘のコラージュだ。」(pp. 223-224)と説明されていました。2つ目の要素としては眼球運動が取り上げられます。著者は「私たちが中心視覚(中心窩視覚)から情報を収集しているあいだ、眼球は絶えずサッカードと呼ばれる小さな運動を続けており、その合間にごく瞬間的に、停留と呼ばれる眼球がほぼ停止する状態が起こる。読んでいる時間の少なくとも一〇パーセントは、戻り運動という、すでに読んだところに戻って、前の情報を拾い上げる運動に割かれる。大人が読む時にサッカー度でとらえられる文字数は八文字程度で、子どもはそれより少ない。私たちの目には素晴らしいデザイン特徴があり、そのおかげで、傍中心窩領域と、さらには、文章の行に沿って周辺領域までも“先読み”することができる。今では、英語を読む場合は、実際には固視の焦点から右へ一四文字~一五文字、ヘブライ語を読む場合は左へ同じ文字数、先を見ていることが確認されている。(改行)このように、中心窩情報と傍中心窩情報を利用しているので、常に先にあるものを下見していることになる。こうして下見できることで、数ミリ秒後に行う認識が容易になり、自動性がいっそう高まるのだ。」(pp. 224-225)と説明されています。しかも、目と脳は密接に結びついているそうで、「多くの視覚と綴りの表象プロセスは50ミリ秒~150ミリ秒のあいだで起こる。次いで、150ミリ秒~200ミリ秒までのどこかで前頭葉の実行システムと注意システムが賦活される。実行システムが次の眼球運動に影響をおよぼすのはこの時だ。実行システムは、文字と語形に関する情報が十分あるので、250ミリ秒の時点で新たなサッカードを起こしてもよいか、それとも、まだ情報が不足しているので戻り運動が必要かを、ここで判断する。」(p. 225)そうです。また、眼球運動はもう1つ別の形で認識の自動性に寄与するそうで、「文字群が英語として成り立ちうるパターンを構成するか(“bear”か“rbea”か)、また、英語として成り立ちうる単語が実在の単語か否か(“bear”か“reab”か)を認識する能力にかんけいしている」(pp. 225-226)そうです。「時間軸の150ミリ秒前後では、側頭頭頂領域(神経科学者は37野と呼ぶ)の重要な一部が大切な役割を担う。(中略)研究者スタニスラス・デハーネとブルース・マカンドリスは、子どもが読字を習得すると、この脳領域にある一部のニューロンが特定の書記体系の綴りパターンを専門に扱うようになると主張している。彼らの説によると、この能力は物体認識回路から進化したらしい。(中略)デハーネとその研究グループによれば、蛇や鋤、月の認識に用いられているのと同じ脳領域が、文字の認識にも使われるようになるのだそうだ。こうした視覚の特殊化という変化が、読字習得前には存在しなかった回路を視覚皮質に装備した熟達した読み手において、最高潮に達する。」(p. 226)とのことです。また、まだ決着がついていない論争として、「37野が視覚性単語形状領野となり、どんな文字群でも150ミリ秒前後でそれが本当の単語を形成する者かどうか判断できる」という説と「37野が単語の形状に関する情報を意識にのぼらせるより先に、前頭野が文字情報を音素にマッピングしうる」(pp. 226-227)という説が紹介されていました。特に後者の説は、次の100ミリ秒~200ミリ秒に関する記述を覆す可能性もあり、注目に値します。

次は100ミリ秒~200ミリ秒です。この時間帯では、文字と音(綴りと音素)が接続されます。なお、「脳がアルファベットの原理を再現するたびに高速のフィードバックとフィードフォワードのメカニズムが働いている」(p. 227)ことになるそうです。これまでの研究によると、文字と音の結びつきを獲得した人(つまりリテラシーを持つ人)とそうでない人の間には脳に構造上の違いが出るということが分かっています。先行研究によると、後者は話し言葉に含まれる音素を見つけ出したり、意味をなさない単語を繰り返すのに苦労するといった行動が見られるそうです。さらに、前者は側頭葉の言語やを使って言語を処理していたのに対して、後者は前頭葉の脳領域を使っていたなど、言語処理の仕方に大きな違いが見られます。最近の研究によると、「150ミリ秒~200ミリ秒のあいだに生じるこれら[文字と音を対応付ける作業]のプロセスのために、前頭野、側頭野および頭頂野の一部を含む複数の皮質野と右小脳の活動が増大することが解剖学的に確認されている」(p. 228)そうです。しかし、読字で用いられる音韻スキルは、読み手の熟達度、読む単語(使用頻度や規則性など)、その言語の書記体系によって左右されるそうです。特に最後の書記体系の違いに関しては、初心者の段階時に、読み手が文字の音素表象を組み立ててそれを融合させて単語群を獲得するまでにかかる期間の長さにかなり影響を与えるそうです(規則性の高い書記体系は規則性が低い書記体系よりも1年以上早く単語群が確立できるようです)。また、「規則性の高いフィンランド語、ドイツ語およびイタリア語のアルファベットを読む者は実際、英語やフランス語の読み手と比べて、側頭葉の領野に情報を伝達するのが速く、これらの領野を広範囲にわたって使用する。一方の英語とフランス語の読み手も側頭葉の領野を使用するが、むしろ、仮説上の視覚性単語形状領野にある単語識別専用の領野に頼りがちであるように思える。おそらく、英語とフランス語では音素と不規則語(たとえば“yacht:ヨット”)のほうに重点が置かれるために、この100ミリ秒~200ミリ秒のあいだには視覚表象と綴り表象に関する知識が余計に必要になるためだろう。中国と日本の感じの読み手にも同じ一般原則があてはまる。この二つの書記体系の読み手たちは、ほかのどんな言語を読む成人よりも37野を中心とする左半球の後部側頭頭頂領域を幾分多用するうえに、右半球の後頭領野も使用するのだ。中国語の読み手の場合、この100ミリ秒~200ミリ秒のあいだの音韻領域の活動はそれほど活発ではない。」(p. 230)と述べられていました。

次は意味処理が関わる200ミリ秒~500ミリ秒です。これまでの事象関連電位による研究によると、「標準的な読み手の場合、まず200ミリ秒前後に意味情報の検索が行われること、もうひとつは、意味が予測と食い違う場合には特に400ミリ秒付近で情報の追加を続けること」(p. 231)が分かっているそうです。また、「単語に関する知識が確立されてくるほど、その単語を正確かつ迅速に読めるようになる」(p. 231)、「どんな単語であれ、読む速さは、その単語がきっかけとなって引き出される意味知識の質と量によって大きく左右される」(p. 231)、「音韻処理と意味処理の両方にかかわっている側頭葉上部の領域は、この知識[道から熟知に至るまでの単語の知識]の連続体の“確立された”方の端に位置する単語を読む時のほうが速く活性化する。しかも(中略)、意味的“隣接語”(単語の知識に寄与する連想語と意味)が“豊富”であるほど、単語を速く認識できるのだ。(中略)ある単語をよく知っているほど、そして、知っているということをよく承知しているほど、その単語を読む速さは速くなるのだ。また、こうした結びつきが十分に行われている確立された語彙、つまり意味ネットワークを備えていると、それが物理的に脳にも反映される。200ミリ秒~500ミリ秒までの時間枠において意味の開放的な流通が行われるのは、音韻処理の多様性と、精緻化された意味ネットワークが誕生しつつあることを示しているのだ。これらのネットワークが活性化されるほど、脳の単語を読む効率は全面的に向上するのである。」(p. 232

また、200ミリ秒を過ぎると統語情報も利用されるそうです。「意味プロセス同様、200ミリ秒を過ぎると、ブローカ野をはじめとする前頭領域や左側頭領域、それに右小脳からの脳と情報も、自動的に利用されるようになるらしい。統語プロセスは脈略のあるテキスト(文や文章の一部)に用いられることが最も多く、(中略)フィードフォワードとフィードバックの操作をしばしば必要とするうえに、作業記憶も少なからず活用する。“bear”や“bow”といった単語には統語的にあいまいな情報が含まれているので、より多くの情報を伝えるために、句や文の脈略を必要とする。統語情報は本質的に意味知識と語形情報の両方と結びついており、200ミリ秒~500ミリ秒の範囲ではこれらの集合システムが連携できるため、効率が向上するのだ。(中略)どんな単語であれ、その実態を深く知るほど、さまざまな脳領域から得られる情報が積み重なり、集束して、その単語をうまく、速く読めるようになるのである。」(pp. 233-234

さらに、熟達した読み手の脳では、右半球の言語システムが大いに機能するそうです。「熟達した読み手はさまざまな読解プロセスを用い、さらには意味プロセスおよび統語プロセスと、それぞれの対応する皮質領域をすべて駆使して、文章を読み解く。たとえば、読み手が文章の意味を推論している時は、左右両半球のブローカ野周辺の前頭領野が賦活される。さらに、使われている単語が意味的、統語的に複雑である場合は必ず、この前頭領野が側頭葉のウェルニッケ野と頭頂葉の一部、それに、右脳とも相互作用する。次に、これに劣らず重要なことだが、熟達した読み手がこうして立てた推論をほかの予備知識と統合する時は、右半球の言語関連のシステムをそっくり使用するらしい。この第二段階で行われる一連の推論プロセスでは、駆け出しの読み手が最初に行う解読作業の場合とは比べものにならないほど、右半球の言語システムが大活躍する。右半球の言語システムは読字発達の段階で激変し、左半球の言語野に劣らぬ拡張性を獲得して、右角回を含む複数の側頭・頭頂領野と右小脳の関与が増大する。」(p. 243)また、読書において重要なことですが、「文章と人生経験の動的相互作用は双方向的だ。私たちは自分の人生経験を文章に持ち込み、文章は私たちの人生における経験を変化させる。」(pp. 241-242)ということも指摘されていました。

<第7章:ディスレクシア(読字障害)のジグソーパズル>

この章から葉、議論の視点が変わり、読字障害について議論がされていきます。まず、著者は、読字ということについてこれまで述べてきたことを再度整理します。「脳には読字専用の遺伝子もなければ、生物学鄭構造物も存在しない。それどころか、文字を読むためには、本来、物体認識やその名称の検索など、他の作業のために設計され、遺伝子にもプログラムされている古くからの脳領域を接続し、新しい回路を形成することを、一人一人の脳が学ばねばならないのだ。そうしてみると、ディスレクシアが脳の“読字中枢”の欠陥と言った単純な問題であるはずがない。そもそも、“読字中枢”など存在しないのだから。ディスレクシアの原因を突き止めるには、脳の以前からある構造物と、それらの幾重にも層を成すプロセス、構造、ニューロンおよび遺伝子に目を向けなければならない。これらすべてが急速に同期して、読字回路を形成するからである。」(p. 251)と述べます。また、「こうした文化的発明は、言語や視覚のように、子どもに“誕生の贈り物”として与えられることはない。そして、それを一番つかみ損ないやすい立場にあるのが、幼い読字初心者なのだ。」(p. 253)とも述べられています。次に、ディスレクシアの原因について次のように整理されています。「本書では、文字を読む脳を進化という観点から見ているわけだが、その出発点となったのは、脳が最初のトークンを読めるようにした、三つの設計原理である。すべての書記言語に言えることだが、読字の発達には、古くからある構造物を再編成して新しい学習回路を形成する能力、これらの構造物内に存在するニューロン群を情報の表象形成用に特殊化する能力、そして、自動性―つまり、これらのニューロン群と学習回路がこの情報を自動的とも言える速度で検索・統合する能力―が必要である。これらの設計原理を読字障害にあてはめてみると、ディスレクシアの基本的原因と思えるものがいろいろと浮かび上がってくる。これは次の四点にまとめられる。①言語または資格の基盤となる脳の構造物に発達上の、おそらくは遺伝子にかかわる欠陥がある(たとえば、それらの構造物内で特殊化することを学ぶはずのニューロン群の障害など)。②自動性を獲得する上での問題―つまり、特定の特殊化したニューロン群内での表彰検索がうまくいかない、回路内の構造物の接続がきちんとできない、あるいは、その両方。③これらの構造物間の回路接続の障害。④特定の書記体系に使用されていた従来の回路から、まったく異なる回路が再編成される。読字障害の原因のなかには、すべての書記体系に共通してみられるものもあれば、特定の書記体系に固有と言えそうなものもある。」(pp. 253-2540)そして、①から④にかけてそれぞれ詳しく解説がされていきます。なお、④のケースに関する解説では、「典型的な[正常者の]読字神経回路の発生に関する研究では、右半球の大きな視覚認識系が単語の読みに“しだいに関与しなくなる状態”が時とともに進む一方で、左半球の前頭、側頭及び後頭側頭領域の関与は強まってくることが確認されている。これは、左半球が発達するにつれて単語処理の役割を担うようになるという、オートンの見解を裏付けるものだ」(p. 274)、「ディスレクシアの脳は、視覚連合野と後頭側頭領域はもとより、右角回、縁上回、側頭領域に至るまで、一貫して、左半球より右半球の構造物を多用しているのである。きわめて重要な役割を担っている前頭領域は両側とも使用しているものの、その賦活にも遅延が見られる。」(p. 275)、「もし、ディスレクシアでは右半球優位の読字回路が働いているという、この新しい考え方が一部の子どもたちには当てはまるとしたら、そうした子どもたちのディスレクシアの脳は、綴り、音韻、意味、統語、推論のプロセスを普通よりゆっくりと見、聞き、検索し、統合しているだけではなく、それらすべてを、時間的な精度とは無縁に設計された脳半球にある構造物から成る、普通とは大いに異なる回路を使って行っていることになる。(改行)(中略)左半球は人間の音声言語と文字言語に必要とされる絶妙な精度とタイミングを処理できるように進化した。一方、右半球は、創造性やパターン推測、文脈認識スキルのように、規模の大きな作業を得意とするようになった。」(p. 277)ということが紹介されていました。また、言語によって障害の現れ方が異なるということについても解説がなされていました。最後にディスレクシアの歴史について触れられていました。

著者は「少数の遺伝子が独自に必要な構造物におけるニューロンの発達パターンに異常をもたらし、その結果として、本来は文字を読むためのものではない、効率の悪い新しい回路が丸ごと構築されてしまう」(p. 284)と述べつつも、「もし私が正しければ、ディスレクシアは脳が代償のために用いた戦略の素晴らしい例だと判明するだろう。脳がひとつの方法で機能を果たせない場合は、文字通り、別の方法を見つけるために自らを再編成するのだ。」(p. 290)と指摘し、第8章へと話を移します。

<第8章:遺伝子と才能とディスレクシア>

著者はディスレクシアの症例のなかに右半球に過度に依存する患者が見られることを鑑みて、「実にさまざまな左半球の弱点が、右半球の類似した領域を使用せざるを得ない状況に脳を追い込むことを物語」(p. 302)っていると述べています。そしてゲシュヴィンとの論理に沿った仮説を立てます。それは「右半球増強の基盤を形成する遺伝子は、文字を持たない社会でこそきわめて生産的であったかもしれないが、その同じ遺伝子が文字社会で発言すると、右半球の構造物に、時間に縛られる正確な読字の機能を背負わせることになるのだ。すると、読字の機能は、左半球の制度が高くて時間効率のよいやり方ではなく、右半球ならではの方法で果たされるようになる。読字の場合、そうした状況はいや応なく障害につながるのだ。」(p. 302)というものです。著者によると、エジソン、ダ・ヴィンチ、アインシュタインはディスレクシアであった可能性があり、右半球を使わざるを得ない状況が創造性を開花させたのかもしれないと述べています(p. 295)。著者は、最後にディスレクシアを研究する意義に関して、「普通とは違う方法で読み方を学ぶ子どもたちに関するこうした研究はすべて、私たち全員の読字習得に関する知識を広げる」(p. 310)と述べていました。

<第9章:結論―文字を読む脳から“来るべきもの”へ>

本章では、インターネット社会において、「文字を読む脳が次の再編成へと移行してしまう前に今の脳から失われないように全力をあげて守るべきものは何か、よく考えて答えを出す」(p. 316)ことを目的としています。著者は、英語力(国語力)が低下している生徒に関して、「こうした生徒たちは、読み書きできないわけではないものの、本物の熟達した読み手になることはまずあるまい。読字発達の過程で批判のスキルが引き出され、形作られ、訓練され、磨かれる時期に、完全に発達した文字を読む脳の究極の能力、つまり、自力でものを考える能力を引きだそうとしなかったのではないだろうか。」(p. 330)と述べています。さらに、「発達の途上にある読み手について検討を続けるなかで私が得た最大の結論は、警告である。今の子どもたちの多くはまさに、ソクラテスがそうなって欲しくないと思ったもの、つまり、自分には知識があると錯覚しているために知的潜在能力を伸ばせずにいる情報解読者集団になる寸前ではないかと心配なのだ。私たちがしっかりと指導さえすれば、そうならずに済む。これはディスレクシアの子どもたちについても言えることである。」(p. 331

また、ディクレシアについては、「ディスレクシアの本当の悲劇は、優れた知能に恵まれているのに、しかも、それが人類にとってきわめて重要なタイプの知能であるにもかかわらず、年を重ねても屈辱的なことに読字を習得できずにいる子どもたちに、彼らがディスレクシアであると公然と告げる者がいないことだ。また、子どもたちのクラスメートに、ディスレクシアのことを説明する者もいない。こうした姿勢は、ディスレクシアを抱えるすべての子どもが読字学習において直面する問題を最小限に食い止めることにはならない。むしろ、ディスレクシアの子どもたちが社会にとっていかに大切な存在であるかということ、彼らの普通とは異なる編成の脳に読み方を教えるよりよい方法を見つけ出すのは私たちの責任であることを、彼らに告げることが重要なのだ。」(p. 333)、「私たちの社会にとって最大の利益となるのは、社会に貢献してくれる可能性があるディスレクシアの子どもたちの潜在能力を守ることだ。」(p. 333)と述べています。

さて、この章の目的に関してですが、「知識を伝えるうえで、将来の子どもたちと教師が、本か画面か、新聞かインターネットの要約版のニュースか、あるいは、活字か他の媒体かといった、二者択一を迫られるようなことがあってはならない。私たちの後を継ぐ世代には、いったん足を止めて、最も優れた熟考する能力を働かせ、思いのままにあらゆるものを駆使して、来るべきものの形成に備える機会がある。それをとらえさえすればよいのだ。分析と推論ができ、自分の考え方で文字を読む脳に、人間の意識を形成するあらゆる能力と、敏捷、多機能、視聴覚を含む複数のコミュニケーション・モードを利用するマルチモーダル、情報統合を特徴とするデジタル思考の能力が備われば、排他的な世界に住み着く必要はない。私たちの子どもたちの多くは二つ以上の音声言語のあいだでコード切り替えする術を学ぶ。私たちは彼らに、書記言語の異なる表象間、異なる分析様式間の切り替えも教えてやればよい。紀元前六〇〇年に見られた、シュメール語の筆記者がアッカド語の筆記者の隣で根気よく楔形文字を刻むという印象的な光景のように、私たちも二つのシステムの能力を保存し、それぞれが貴重である理由を正しく評価できるようになれるはずなのだ。」(p. 335)と述べられていました。

著者は最後に本書を締めくくりとして、「ソクラテスは読字の核心を成す秘密、つまり、文字を読むことによって脳がそれまでよりも深く思考する時間が生まれることを知らなかったのだ。プルーストはそれを知っていたし、私たちも知っている。超越して思考する時間という不思議な目に見えない贈り物は、文字を読む脳の最大の功績だ。この天与の数ミリ秒が、知識を向上させ、徳について熟考し、かつては表現できなかったことを明確に表現する能力の基盤を形成する。そうして表現された時、それは新たな土台を構成する。私たちはそこから深遠なる淵に潜ることもできれば、高みへと舞い上がることもできるのだ。」(pp. 335-336)と述べられていました。

個人的には第6章が自分の研究と最も関係していたのですが、とても面白く、読字ということについて多角的に理解することができました。もともとは一般向けの本ということもあってか、文体もとても軽やかで、一気に読み通しました。とても勉強になりました。

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2013年4月10日 (水)

R.Carter&D.Nunan(2001)。「Introduction」を読む(R.Carter&D.Nunan(編),The Cambridge Guide to Teaching English to Speakers of Other Languages,CUP)

この文献の詳細は次の通りです。

Carter, R., & Nunan, D. (2001). Introduction. In R. Carter & D. Nunan (Eds.), The Cambridge guide to teaching English to speakers of other languages (pp. 1-6). Cambridge: Cambridge University Press.

感想:大学院の科目で本書を読むことになりました。少し古い文献となりますが、英語教育について広範囲に網羅されています。さて、本書の導入部を読みました。この章では、TESOL、ESOL、ELT、EFL、EAL、EWL、ESP、EAP、ESLといった略語を紹介しつつ、学ぶ対象としての「英語」の多様性が記述されています。また、英語または英語教育に関わる社会文化的な側面についても強調されていました。12年前の文献とは言え、その内容は衰えてはいません。非常に啓発的な導入であったと思います。

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2013年4月 3日 (水)

M.フーコー(1973/1992).『これはパイプではない』を読む(豊崎光一・清水正(訳),哲学書房)

頭の体操をしようと思い、挑戦してみました。ルネ・マグリットによる『これはパイプではない』という絵画(この作品の標題も含めた上での絵画)の解釈を中心に据えて、絵画とその標題の間で人々が長年無意識の間に実践されていた記号作用を明るみに出し、その上で『これはパイプではない』という絵画の意味が解釈されています。この絵は、絵の情報にパイプらしきものが浮遊し、その下にカンバスが描かれており、その中に上で浮遊しているパイプらしきものそっくりの絵が描かれています。そして、さらにカンバスのその模写らしきものの下に「これはパイプではない」とフランス語で書かれているという作品です。具体的な文献情報は以下の通りです。

フーコー, M.(1992).『これはパイプではない』(豊崎光一・清水正(訳)).哲学書房.(原著は1973年に出版)

感想:著者は、15~20世紀の間に西欧絵画には2つの支配的原理が存在したと指摘します。ひとつは造形的要素(絵)と言語記号(標題)は分離して存在すべきであるという原理(そして一方が他方を規整するという従属関係が生じること)、もうひとつは、類似と肯定=断言との等価性という原理(絵画に描かれている内容があるものに似ていれば、そこに表象=再現のつながりがあるという無意識的前提)です。それに対して、マグリットは両者の間に新しい関係を作り出し、言葉と物との間の関係性の性格を明るみに出しています。特に著者は、マグリットは類似ではなく相似を用いることでこのことを行っていると指摘します。著者は「類似には一個の「母型」というものがある。すなわちオリジナルとなる要素であって、それから取り得る、だんだんに薄められてゆくコピーのすべてを、自己から発して順序づけ、序列化するものだ。類似しているということは、処方し分類する原初の照合基準を前提するのである。相似したものは、始まりも終わりもなくどちら向きにも踏破し得るような系列、いかなる系列にも従わず、僅かな差異から僅かな差異へと拡がってゆく系列をなして展開される。類似はそれに君臨する再現=表象に役立ち、相似はそれを貫いて走る反復に役立つ。類似はそれが連れ戻し再認させることを任とする原型に照らして秩序づけられ、相似は相似したものから相似したものへの無際限かつ可逆的な関係として摸像を循環させる。」(pp. 73-74)と指摘します。著者は、相似は、「何も肯定=断言せず何も表象することなしに絵の平面を走り、増殖し、拡がり、応え合う転移の戯れを創始するのだ」(p. 86)と述べています。

本書では、冒頭で『これはパイプではない』という作品が掲載されているため、その絵を見た上で著者の議論を追うことができます。今まで全く考えたことがなかった事柄について深い洞察を得ることができました。また、本書で展開されている議論を踏まえて、文学作品とそのタイトルの関係について考察してみることも面白いと思いました(もう文学の専門家の方はポスト構造主義が流行した時代に既にこのようなことは実践されているのかもしれませんが)。そして、最後に著者の考えで言えば、この記事自体も西欧の絵画を支配してきた2つの原理に基づいてた言語行為となるということを断っておきます。

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