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2012年11月30日 (金)

鄭嫣婷(2009).「バイリンガルの脳内言語処理」を読む(東北大学言語認知総合科学COE論文集刊行委員会(編),『言語・脳・認知の科学と外国語習得』,ひつじ書房)

バイリンガルの外国語言語処理について調べた研究です。母語と外国語の文法的な類似性に応じて処理が異なるという興味深い調査結果が示されています。

嫣婷(2009).「バイリンガルの脳内言語処理」.In東北大学言語認知総合科学COE論文集刊行委員会(編),『言語・脳・認知の科学と外国語習得』(pp. 113-123).ひつじ書房.

感想:著者はバイリンガルの脳内言語処理研究は、基本的に習得年齢と習熟度の観点からのものがほとんどであったと指摘します。そのような先行研究の結果の例として、(1) 遅延バイリンガルは早期バイリンガルと異なり、下前頭回での言語の処理が母語と外国語で異なっていること、(2) 習熟度が高くなるにつれて、母語と外国語は同じ脳領域で処理されるようになること、(3) 第2言語の使用頻度が少ない学習者は左半球の中前頭回と頭頂葉の活動が第二言語処理時に有意に高くなること、といった点が紹介されていました。

それに対して、母語と外国語の言語学的違い(または類似性)がどのようにバイリンガルの脳内言語処理に影響をするのかということについてはあまり研究がされてきていないそうです。そこで、著者自身が行ってきた研究の結果が紹介されます。その結果によると、韓国人は韓国語と日本語の文処理においては脳活動に違いが見られませんが、英語の処理の場合は韓国語及び日本語処理時に比べて左半球の下前頭回、右半球の上側頭回、および右小脳が有意に賦活するそうです。下前頭回は統語処理に関与していると報告されている領域だそうで、特に移動に関わる文を処理したり、語順の誤りを判断することに関与すると言われています。また、右小脳や右上側頭回は、「前者が統語的に複雑な分を処理する際に下前頭回を補助すること、右上側頭回の後部が分のプロソディ―処理と関係することが報告されて」(p. 116)いるそうです。韓国語と日本語は共に膠着言語であり、英語は語順を頼りにする言語であるという言語学的な違いから、これらの領域において有意な活動が見られたのではないかと著者は考えています。著者は、この調査結果及び、類似した言語を使いこなすことができるバイリンガルの失語症患者に一方の言語のリハビリをするともう一方の言語にも改善が見られるという調査結果から、以下の2点を結論として導き出しています。それらは、「①母語と第二言語が類似している場合は、母語の処理に関わる脳領域で第二言語を処理すること、②母語と第二言語が相違している場合は、母語処理のネットワーク以外にその相違点の処理に特化した脳領域を必要とすること」(p. 117)というものです。

次に、著者は韓国人と中国人の日本語及び英語処理について調査をしています。その結果、「韓国語母語話者の英文処理は、中国語母語話者より、左下側頭回を優位に活性化させていた。一方、中国語母語話者の日本語処理は、韓国語母語話者より、左下側頭回前部を優位に活性化させていた」(p. 118)という結果となったそうです。左下前頭回は統語処理に関与する領域で、母語とは統語的に異なる第2言語の処理時に活動するということが報告されており、さらに語順から単語の意味役割情報を得る場合に活動が高まることが知られているそうで、「韓国語母語話者は、中国語母語話者より、英語の語順情報から文の意味を理解する処理に負荷がかかった」(p. 119)ためにこのような結果となったのではないかと推察されていました。

著者は本章の結論として、「①バイリンガルの脳内言語処理メカニズムに言語間の類似・相違が影響を与える重要な要因であること、②母語と第二言語の文法的な相違点に応じてその処理に特化した脳機能モジュールが第二言語処理時に必要とされるということ」(p. 120)を提示していました。また、今後は母語と第二言語の類似性・相違性がどのように学習開始年齢、熟達度、使用環境と関わるかという点の研究にも進んでいく必要性が指摘されていました。とても面白い論文でした。

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2012年11月 9日 (金)

R.Forman(2011).「Humorous Language Play in a Thai EFL Classroom」を読む(『Applied Linguistics』)

教室内での教師によるhumorous language playの役割や効果について述べた大変珍しい論文です。基本的にバフチン的と言いますか、社会文化的な枠組みで分析が行われています。また、機能主義言語学の考えもかなり反映されたものとなっています。language playに関する先行研究も豊富であり、language playの研究をする人にとっては必読の文献と言えるでしょう。

Forman, R. (2011). Humorous language play in a Thai EFL classroom. Applied Linguistics, 32 (5), 541-565.

感想:著者は、まずlinguistic creativity、verbal art、language play、verbal humourについて用語の整理を行います。著者は、 "verbal humour is seen as one form of language play; language play in turn is one form of verbal art; and linguistic creativity serves to underpin all three." (p. 542, emphasis in original) という立場で研究を行っています。

著者は、より大きな研究で集めたクラスルーム・リサーチ用のデータの中で1つだけ笑いが飛び交う異色な授業データがあり、そのデータを分析しています。そして、discursive humorとlinguistic humor (language play)に分けてデータが分析されていました。

著者はこの論文で3つのリサーチ・クエスチョンを立てています。1つ目は、How can we describe the humorous language play observed in a class of Thai EFL learners?という問です。著者はHasanによる枠組み(verbal artはverbalization、symbolic articulation(著者はsymbolic representationという語を使用)、theme(著者はdiscourseという語を使用)という3つの層から構成されるという枠組み)でうまく記述することができると述べています。verbalizationとは発話された言葉の音、文法、意味そのものを指します。そしてそれは、humorous languageとして発せられた場合は何らかの特別なsymbolic representationを持ちます(隠れた意味など)。そして、それは最終的にはイデオロギーや文化と関係することになります。また、著者はLin & Luk (2007) に言及しながら、"humor should not be seen as 'merely individual reaction to some isolated, "comic" event' but instead is constituted by 'collective practices of social and ideological critique' (p. 78)" (p. 559) と述べていました。

2つ目のリサーチ・クエスチョンは、What is the role of the teacher in presenting humorous language play?という問です。この問については、"produce L2 input finely calibrated to students' competence, and moreover, which can integrate 'play' moments with 'work' in productive ways" (p. 560) と述べられてます。

3つ目の問は、How does this play appear to contribute to students' language learning?というものです。著者は、情意面、社会文化的側面、言語的側面に分けて述べています。まず情意面に関しては、学習者が学習へ取り組む意欲を高めること、教師と生徒の社会的距離を縮めて両者の立場を逆転させることで学習者の創造性を高めることができること、が指摘されていました。社会文化的側面に関しては、教科書はシラバスといったdominant discoursesから学習者を解き放つことができること、異文化間コミュニケーション能力を高めることができること、ユーモアというどの文化の社会言語学的能力でも必須の側面を涵養できること、が指摘されていました。言語的側面については、言語を様々なレベルで捉えることができること、処理深度が深まること、これらによってより効果的で忘却しにくい学習が生じること、メタ言語意識を高めること(その有標的な形式が学習者の注意を言語形式やその機能に向けさせる)、が指摘されていました。

著者の最後の締めくくりがとても重要と思ったので引用しておきます。"In recent years, language play has been seen as contributing to a broadening of the parameters of communicative approaches, which have come under criticism for a tendency to view language in predominantly 'transactional' ways (Cook 2000, 2007; Carter 2004). While there are many good arguments for opening up what is considered to be communication, special consideration is required in determining the place of humorous languag play in SLL. It is not suggested here that humour be regarded as a necessary part of teaching, for pedagogic style is created out of the teacher7s personal ability and inclination, and attuned to students and context. Moreover, a surfeit of humour across the curriculum, or even within a single lesson, could become counter-productive: a little goes a long way (see Cook 2000: 182; Pomerantz and Bell 2007: 575). It is also important to acknowledge that humour has the capacity to discomfort or even offen; and that in classroom settings, where we have a duty to ensure students' safety, humorous language play needs to be handled with care. However, it may also be said that such humour is a form of verbal art which emerges from creativity, and shades into wit, into intelligence, all of which are dimensions of daily language use; and so the experiences afforded by humour may indeed represent a valuable resources for second language classrooms." (pp. 562-563)

いわゆる「英語授業の達人」と呼ばれる先生方の授業を分析するといろいろと面白いことが見えてきそうな枠組みを提供した論文であると思いました。

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横山悟(2009).「脳内における日本語文理解モデル」を読む(東北大学言語認知総合科学COE論文集刊行委員会(編),『言語・脳・認知の科学と外国語習得』,ひつじ書房)

日本語母語話者の脳内における日本語の処理について調査した研究です。著者のそれまでの研究に基づいた脳内日本語理解モデルが提案されています。

横山悟(2009).「脳内における日本語文理解モデル」.In東北大学言語認知総合科学COE論文集刊行委員会(編),『言語・脳・認知の科学と外国語習得』(pp. 99-112).ひつじ書房.

感想:著者はまずfMRIでなぜ脳機能が測定できるのかを簡単に説明しています。細胞に酸素を供給し終わった還元ヘモグロビンが磁性体で、まだ酸素を供給していない酸化ヘモグロビンが非磁性体であり、両者の割合に伴う磁気的変化をfMRIは捉えているのだそうです。

次に、著者がこれまでに提案した、モデルが紹介されます。著者は文理解と記憶に関しては類似の脳機能データがみられるため、両方の処理は共通の神経基盤を使用していると考えられるそうです。そして、その考えに基づいたモデルが提示されています。著者によると、「文を構成する単語情報から文としての意味へ統合する処理は、その処理に特異的な神経基盤は存在せず、記憶処理を担っている神経基盤によって行われていると考えることが妥当であると思われる。特に、文処理・統語処理として報告されていた脳領域である、下前頭回・後部中側頭回は単語理解及び単語情報の短期保持として、運動前野・上・下頭頂小葉は保持された情報の操作処理として、それぞれ活動が見られた。よって、先行研究での知見を含めた、現時点における脳内での文理解モデルとしては、3段階の記憶に関連する処理によって文理解が行われると考える。まず初めに、単語理解を行うまでの間に上・下頭頂小葉にて入力された音韻情報を短期的に保持する。次に、下前頭回・後部中側頭回にて単語の理解及びその情報の保持を行う。最後に、その保持された単語情報を基に運動前野において文構造を構築させ、最終的な分全体の意味を得る。この文理解に関連する一連の作業は、音韻情報保持、単語情報保持はもとより、保持された情報の操作処理が作業記憶モデルにおける中央実行系の処理を担う神経基盤と共通という点で、全てが記憶に関連する神経基盤上で行われる。」(pp. 104-105)と考えられています。

次に、著者は自身の日本語文理解研究の結果を列挙します。それらは、「後部中側頭回は、動詞・名詞間の意味的な情報量の違いが反映されており、下前頭回・運動前野は受動形態素の文の処理が反映されている」(p. 106)、「左半球の下頭頂小葉における脳活動が、文理解時に特有の活動として観察される」(p. 106)、「左半球運動前野、下前頭回、下頭頂小葉、島において、日本語の受動文理解時に能動文理解時よりも活動に上昇が見られた」(p. 106)、という結果が紹介されていました。

著者は以上の結果から、日本語理解に関して「1. 単語理解においては、左下前頭回・中側頭回の関与が見られたが、両者は異なる役割を持つ(改行)2. 単語理解時にも運動前野の関与がある(改行)3. 文理解のみ下頭頂小葉の関与が見られ、単語理解時には関与していない」(p. 107)という点を導き出しています。1点目に関しては、さらに「単語の形態素構造計算処理時に運動前野と下前頭回が、単語単体の処理時に中側頭回が、それぞれ関与しているという役割の違いがある」(p. 107)と述べています。また、2点目については、「実行系処理を担っている運動前野は、文構造計算時・単語構造計算時の双方に共通して関与する、構造計算を担う部位であると考えることができる」(p. 108)と述べています。また3点目に関しては、「下頭頂小葉は音韻情報保持と文構造計算時に関与しているということがわかる」(p. 108)としています。これらは、著者がこれまでに提案したモデルと食い違っているそうで、著者はこれらの点を含めた上でモデルのさらなる改良を行っています。具体的には、「1. 単語理解における下前頭回・中側頭回の役割の違いがある、2. 語彙認知においても中央実行系を担っている運動前野へのアクセスがある、3. 文構造計算時に音韻情報の参照を担う下頭頂小葉へのアクセスがある」(p. 108)という点がモデルに反映されていました。実際、そのモデルには「単語理解時の下前頭回・中側頭回の役割については、中側頭回がより単語自体の情報へのアクセスに関与しており、一方下前頭回は単語の情報アクセス後の実行系計算処理に関与していることを反映させている。また、音韻情報保持の後、単語理解時に中央実行系が関与することを反映させている。最後に、文の構造計算時における中央実行系に、音韻情報からのアクセスがあることを反映させている」(pp. 108-109)という改良がなされていました。

著者は、今回の研究では比較的単純な文(3文節からなる文)を使った研究を基にしているため、モデルの構築については今後も検討し続けていく必要があるとしています(ただし、関係節を持つような複雑な文でも類似の結果が得られているとのことでした)。短い論文ではありましたが、情報も非常に豊富でとても勉強になりました。

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2012年11月 5日 (月)

C.F.Hockett(1958).「Chapter 62: Writing」を読む(『A Course in Modern Linguistics』,Macmillan)

しばらく時間が空きましたが、8月20日に続いて、文字について述べている章を読みました。

Hockett, C. F. (1958). A course in modern linguistics. New York: Macmillan. (今回読んだのは、Chapter 62: Writing)

感想:著者は、morphemic writing systemとphonemic writing systemについてまとめています。両者は実際にはかなり複雑にまじりあっており、個別の言語の表記体系が純粋にどちらかのタイプになるということはないと考えられています。また、両者には省略、各文字の長短、音と文字が1対1の関係になっていない、という特徴があり、これらの特徴が標記システムをより複雑にしていると述べます。次に、著者は文字の歴史を見ます。ここでは、どのように絵から表音文字が生まれたのかということが、主に判じ絵原理の考えに基づいて解説されていました(著者自身は「判じ絵原理」という語は使っていませんが)。また、人は言語に比べて文字に対しては保守的であるため、言語が変化しても文字を変化させなかったことから、現在のような文字と言語が1対1で対応しないという状況が生じていると指摘してます(p. 545)。 著者は、最後に文字の特徴について列挙します。まず、その欠点としては、言語を文字化する過程でかなりの情報が欠落してしまうという点が指摘されていました。それに対して、言語(音声言語を意味します)と比べて優れた点として、時空間を超えたコミュニケーションを可能とすること、外部記憶として機能すること、作用域を明示化できること(括弧を伴うような複雑な数式では、4×(6-1)というように4を乗ずる作用域を明示することができます)、2次元に情報を配置できること(言語には線状性があるので、このことは不可能です)。また、言語では表現しないような情報を示すことができるという点(字体や大文字・小文字など)も指摘されていました。特に最後の点については、 "We see, thus, that the linguist's emphatic generalization about writing―that it is merely a record of what people have said―is not strictly the case" (p. 549) ということが指摘されています。ポスト構造主義文学理論では、構造主義言語学は書記体系をパロールの複写とみなしてしまったということから、脱構築を行いますが(特にジャック・デリダなど)、アメリカの言語学には書記体系と言語体系を独立して考えている研究者もいたのだということを知ることができ、大きな収穫でした。同時に、言語学にとって文字とは基本的には研究の対象外であるということも認識しました(この章は文字について書いてあるので、話の中心は文字ですが、基本的に著者自身も文字は言語学の外の問題という立場のようです)。

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金情浩(2009).「日本語短距離かき混ぜ文の脳内処理機構」を読む(東北大学言語認知総合科学COE論文集刊行委員会(編),『言語・脳・認知の科学と外国語習得』,ひつじ書房)

日本語のかきまぜ文(OSVの語順の文)理解時における脳の賦活を調べた研究です。

金情浩(2009).「日本語短距離かき混ぜ文の脳内処理機構」.In東北大学言語認知総合科学COE論文集刊行委員会(編),『言語・脳・認知の科学と外国語習得』(pp. 85-97).ひつじ書房.

感想:これまでの研究で、かき混ぜは統語的移動の一種と考えられているそうです。このことは理論言語学、心理言語学、神経言語学(失語症研究)でも支持されているとのことでした。著者が調査を行ったところ、かき混ぜ文は言語であるため、基本語順の文同様にブローカ野とウェルニッケ野が賦活したそうです。また、かき混ぜ文の処理に固有な部位として左脳の下前頭回と左脳の背側前頭前皮質の賦活が確認されたとのことでした。著者は、統語的移動のタイプや個別言語の違いを超えて、複雑な統語処理では普遍的にブローカ野が活動するのではないかという主張がされていました。自分の研究と照らし合わせて言うと、詩の言語処理でもどうような反応が見られるのかどうかとても興味があります(ただし、詩の言語の場合は言語運用のレベルの問題であるため同様な反応は見られないのかもしれませんが)。

この論文の結論も非常に興味深いのですが、個人的にはその調査方法もとても勉強になりました。かなり詳しく書いてあり、とても参考になりました。

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