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2012年9月24日 (月)

小比賀香苗(2007).『英語から現在が見える 英語文化学入門』を読む(大学教育出版)

英語の様々な例が紹介された英語文化学・英語考現学の本です。私自身がかなり苦手としている分野なのですが、とても面白い例が豊富に示してあり、一気に読んでしまいました。英語の教員が授業の合間に小ネタとして使えるような英語トリビアもたくさん掲載されていました。

小比賀香苗(2007).『英語から現在が見える 英語文化学入門』.大学教育出版.

感想:著者は「言語は現実の情報ではあるが、これまでの情報を蓄積して、歴史を変遷してきた物語でもある。(中略)人間なくして言語はない状態が、やがて言語なくして人間はないというダブルバインドになっているのである。(中略)言語の使用なくして言語はなく、人間もないことになり、さらに、言語研究なくして言語はなく、そして人間もないことになるのである。」(pp. 147-148)という著者の立場に基づいて、英語の様々な表現を見ることで人間についての考察がされていました。まさに、職人技といった感じの議論の展開であり、私にはとてもできない(だからこそ、英語文化学・英語考現学系の文献の読解は自分の中で大切にしないといけない)と思いながら勉強させてもらいました。あまりにたくさんの情報があったので、ここでは詳細は省略し、章立てのみ紹介します。

はじめに

第1章:文化サークル

第2章:新語サークル

第3章:誤解と勘違いサークル

第4章:言葉遊びサークル

第5章:発音サークル

第6章:語源サークル

第7章:差異サークル

「サークル」という語が各章に付けられていますが、「に関する事柄」とほぼ同じ意味だと理解しました(すみません、他にもっと深い意味があるのかもしれませんが、私にはその程度の理解しかありません)。著者が長い時間をかけて収集した豊富な事例には、ただただ圧倒されるばかりでした。個人的には、類似した表現がそれぞれどのような微妙な違いがあるのかということについて例を挙げながら述べられていた第7章がとても面白かったです。

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中井久夫(2008).「共感覚者のイメージ世界」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

共感覚についての興味深い論文でした。

中井久夫(2008).「共感覚者のイメージ世界」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 235-244).工作舎.

感想:著者はニューロンはもともとネットワークシステムなので、共感覚は生じてしかるべきであるにもかかわらず、成人はそれを消去したり抑制していると考えています。例えば、耳鳴りなどは、老人になると抑制がある程度緩んだ結果として音が聞こえてしまう(共感覚的に生じてしまう)例もあるそうです。

また、色の識別に関して、人は1000万色まで識別できるそうですが、言語の絶対的貧弱性が原因で、その微妙な色の違いを言語的に言い表すことができないという点も指摘されていました。事実、バーリン&ケイの研究では、320色のうち、基本的な色はせいぜい3~13程度しかなく、それ以外は「~のような色」としか表現のしようがないことが示されています。

次に、著者自身がアルファベットの文字を見た際に生じる色のイメージについて説明がされます。著者自身が共感覚がよく生じる人のようです。そして、言語自体の持つ本来的貧弱性が原因で、著者はその色のイメージを説明するのにとても苦労していました。

最後に、著者は、統合失調症の患者の観察では、患者の発する言語に注目するだけでは不十分であるということを示します。「言語には圧倒的なイメージを減圧する作用があって、単純なことを順を追って関係づけていくことはできても、複雑なことを一挙に提示することはできません」(p. 243)という理由から、統合失調症の患者の回復を見るためには絵や粘土細工などアートセラピーを使用してその回復を観察するということになるそうです。その方が、患者の変化などが理解しやすいとのことでした。

私はいつも言語は豊かであると考えてしまう傾向があるのですが、このように言語は世界を記述するためには貧弱であるという考えも同時にしっかりと理解しておく必要があると思いました。だからこそ、言語の限界を超えようとする文学作品が生じうるのだろうと感じました。いろいろと考えさせてくれるとても貴重な論文でした。

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2012年9月21日 (金)

緑川晶・河村満(2008).「脳損傷による芸術活動の障害と発現-神経心理学の視点から」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

脳の障害が芸術活動にどのように影響を与えるのか、音楽、絵画、書字にしぼって様々な症例が紹介されていました。

緑川晶・河村満(2008).「脳損傷による芸術活動の障害と発現-神経心理学の視点から」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 223-234).工作舎.

感想:著者はまず、脳は機能が局在しているだけでなく、それらが相互に作用しあうネットワークであるということを認識して考える必要があると指摘しています。そして、このことを裏付ける証拠として、音楽、絵画、書字における様々な症例報告がされていました。

音楽に関しては、(1) 基本的に音楽と言語は異なった能力であること、(2) 実際、ブローカ失語を患った人でも8割以上は歌うことができ、さらにその半数以上が歌詞を乗せて歌うことができることから、ともに言葉を発する活動であるにもかかわらず、コミュニケーションの中で言葉を発する場合と音楽の中で発する場合では脳のメカニズムが異なっていること、、(3) 右半球が音楽に強く関係していること、(4) ただし左半球のウェルニケ野も音楽に関与しており、音楽の具体的な活動内容によって関与する脳の領域が異なると考えられること、(5) また音楽活動の内容だけでなく、経験や立場によって機能する脳の部位が異なっていること、(6) 脳に障害を負ったラヴェルが残した「ボレロ」では反復が非常に多いが、これは同じ行動を繰り返したり、同じ考えから抜け出せなくなる保続現象の結果とも考えられ、病気による能力の低下の結果として奇妙な音楽が完成されたのかもしれないという意見もあること、(7) ラヴェルはその保続現象に加えて、前頭側頭型認知症(ラヴェルにはこの症状が生じていたと推測されています)によって右脳の様々な能力の解放現象が生じ、結果として特徴的な音色がその反復に加えられたのではないかという考えもあること、が紹介されていました。ですが、基本的には、脳に障害を負うと、音楽活動が受傷前のようにはできなくなる例が多いようです。

絵画については、右半球の頭頂葉によって生じる半側空間無視と左右いずれかの頭頂葉の損傷で生じる構成障害に言及がなされます。しかし、画家の場合は脳に障害を受けてもほとんどの人が創作活動を続けることができるそうで、受傷後の方が評価が高い画家もいるとのことでした。このことに関して、著者は画家は、「描く」という一般人とは違った活動をしているので、結果として一般人と脳の使い方も違っていて、その結果として視覚関係の部位に障害を負っても創作活動が可能なのかもしれあいと述べられていました。さらに、前頭側頭型認知症の中でも意味性認知症の患者が、発症後に写実的な絵を描き始めた例が紹介され(この患者は、受傷前は絵を描く習慣はなかったそうです)、絵画においても、病気の進行とともに新たな活動が生じることが示されていました。

書字に関しては、左半球の頭頂葉や前頭葉に病変が起こることで障害が起こることが知られていますが、その症例は細かく分類されていて、純粋失語(書字のみに生じる病気)、失読失書(書字と読みができなくなる病気で、日本語では漢字の障害、ひらがなの障害、両方への障害といくつかのパターンがあるそうです)、失文法、空間性失書(紙面の適切な箇所に文字を配置できない病気)、構成失書(文字を適切な形態に書けない病気)、小字症(小さな字しか書けない病気)、ハイパーグラフィア(「書字過多」とも呼ばれ、てんかんから発症する例が報告されています)、が紹介されていました。そして、非常に長大な文学作品を残しているドストエフスキーはてんかんを患っていたことが確認されており、彼の長編作品はハイパーグラフィアの結果かもしれないという考えが紹介されていました。

以上の結果から、著者らは「脳と芸術に関する検討からは、損傷部位=機能障害の図式のみならず、単なる足し算では表現されない脳の各種機能の複合的な関わり合いを垣間見ることができるのである」(p. 234)とまとめられていました。また、音楽と絵画で、病気の進行とともに新たな活動が生じることに関して、「これらが芸術といえるのかどうか、またこれらの技術が新しく獲得されたものなのか、それとも脳に備わった能力が発現してきたものなのか、などに関しては今なお議論が分かれるところである」(pp. 230-231)という言葉はとても興味深く思いました。特に、「これらが芸術といえるのかどうか」という点に関しては、患者は芸術を創っている気などさらさらないのに、それがあまりに健常者の作品と異なっているために、健常者が勝手にそれを芸術を呼んでいる場合もありうると感じました。これまでに考えたことがなかった考え方がたくさん提示され、とても勉強になりました。

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渡辺英寿(2008).「能楽師の脳内鑑賞」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

能楽師の脳活動を調べた研究の結果報告です。

渡辺英寿(2008).「能楽師の脳内鑑賞」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 372-374).工作舎.

感想:能楽師は、無我の境地に入ると、前頭葉の前の方の血流量が低下し、運動野の血流量が増すそうです。これは、運動をしているときの脳内活動の形だそうで、能楽師やスポーツ選手などは頭の中で運動の「かまえ」ができていると考えることができるそうです。そして、「体操などスポーツ選手が無我の境地で演技しているときは良いが、いったん邪念が湧くと体が上手く動かないようなことを耳にする。前頭葉は、スムーズは身体の運動を抑制するのではないか?無我の境地とはつまり前頭葉を鎮めることなのではないか?」(pp. 372-373)という疑問がわいてきたそうで、実際に禅をしている人、トランス状態の人、を使って同様に調査をしてみたそうです。そうすると、禅をしている人が瞑想に入ったときや、トランス状態に入った人は同様に前頭葉の血流量が低下したそうです。とても面白い調査結果でした。

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北浜邦夫(2008).「夢・幻想・芸術」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

夢についてまとめられた論文です。文体も非常に工夫されていて、夢見心地な感じで読むことができとても楽しい読書ができました。

北浜邦夫(2008).「夢・幻想・芸術」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 141-155).工作舎.

感想:この章で面白かったのは、(1) 胎児はすでに子宮の中で夢をみていること(大人が夢見ているときと同じような身体的変化(眼球が動くことなど)が見られることからそのように巻がられているそうです)、(2) 出来事や体験を記憶する海馬は早くても2歳をすぎないと形成されないこと、(3) 動物も夢を見ているらしいこと(大人が夢見ているときと同じような身体的変化(眼球が動くことなど)が見られることからそのように巻がられているそうです)、(4) およそ1400グラムぐらいの重さの脳の中に百数十億という神経細胞があり、それらが作り出す神経回路はかなり天文学的な数に及ぶこと、(5) 目覚めているときと眠っているときと夢を見ているときの脳内活動の違いの図式化(なぜ夢はつじつまがあわないストーリーとなるのかが解説されていました)、(6) 夢を見ているときは感情を担う部位が活動していること、(7) 運動記憶と眠りと夢は連動していること、です。また、夢の世界の探求に挑戦したシュルレアリシスムについても言及されていました。この章を読んで、なんで夢はつじつまがあわないストーリーが形成されるのかとても納得することができました。また、著者の最後に「夜も更けて脳の奥深くに淡い光がともり、神経細胞が照らされて、それらのシナプスが互いに無限につながりあい、こだましあう世界。その世界は華厳の世界に似てはいないだろうか。」(pp. 154-155)という言葉で、芸術と夢と幻想の共通性を主張していました。とても面白い論文でした。

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2012年9月20日 (木)

川村光毅(2008).「音楽する脳のダイナミズム」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

川村光毅(2008).「音楽する脳のダイナミズム」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 117-139).工作舎.

感想:この論文で面白かったことは、(1) 魚や鳥も認知と情動の機構が備わっていて互いに感情を込めたコミュニケーションをしていること、(2) 「頭頂連合野を経由して前頭前野に向かう背側経路は「どこか?」の空間情報、側頭葉前部を経由して前頭前野に向かう腹側経路は、「何か?」(形や色;旋律や音色)、に関する情報を処理する。音楽の理解には、言葉を理解するウェルニケ野(39野、40野)と言葉を伝えるブローカ野(44野、45野)が関わっており、とりわけ「響き」は音楽と言語が結びついて成立する」(p. 119)こと、(3) 音の大きさや高さ、音色といった基本的性質を認知しる第一次聴覚野(A1野)の一部であるヘッシェル回はウェルニケ野とブローカ野と隣接していること、(4) 海馬で形成された短期記憶のうち、印象的な曲は大脳皮質の側頭葉に長期記憶として蓄えられること、(5) 演奏家は楽譜をみると聴覚系のウェルニケ野が活動し、記号の流れを音の流れとしてとらえていると考えられること、(5) 側頭葉に保存された記憶の想起は、前頭葉から側頭葉に指示がなされることによって行われること(側頭葉の記憶の想起は前頭葉によって制御されていること)、(6) 芸術を楽しむ上で言語中枢が大きな働きをしていること、(7) 聴覚以外に視覚、体性感覚(皮膚や粘膜も含めて)、内臓感覚などの全感覚が総動員されると感動が生まれること、(8) 運動系(運動のプログラムや遂行)、連合系(認知など)、辺縁系(動機づけ、情動)は相互に関連していること、(9)生物の生命現象は神経回路のみでなく「体内を循環する血液成分、免疫成分、神経伝達物質なども含む液性の(栄養)因子が大きく関わる全身的な営為である」(p. 132)こと、(10) 「扁桃体は快・不快や情動体験の記憶、海馬は一般記憶、空間記憶の保持に関わり、自律系・内分泌系からの内部情報を大脳皮質連合野からの高度な認知情報と結びつけている」(p. 133)こと、(11) 「音楽の聴受と演奏において、高次認識系としての言語表現は液性因子が関与する感情表出系と全身的に不可分に結びついてい」(p. 134)ること、が述べられていました。非常に専門的な内容の章ですが、たくさんの図が示してあり、理解を助けてくれると思います。

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保前文高・多賀厳太郎(2008).「言葉と音楽を育む赤ちゃんの脳」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

赤ちゃんの言語音とその他の音の発達に関する研究をまとめた論文です。

保前文高・多賀厳太郎(2008).「言葉と音楽を育む赤ちゃんの脳」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 101-116).工作舎.

感想:この論文では、(1) 生後半年の乳児は抑揚、韻律情報に敏感であること、(2) infant-directed speechでは単語の数が少なく発音が明瞭でゆっくりとした高めの声で抑揚が大きくつけられるため、乳児にとって捉えやすいものとなっていること、(3) 生後1年で母国語にない音を弁別できなくなること、(4) ある音の組合せが単語の先頭にくる割合は高いのか、単語のアクセントが先頭に来る頻度は高いのか、といったことを生後1年ぐらいの乳児は知っていること、(5) 音韻・韻律的ブートストラッピング(ピッチなどの「音韻・韻律的処理が言語獲得の契機となりほかの要素と相互作用しながら獲得が進んでいくという考え方」(p. 105))による言語獲得、(6) 乳児が韻律情報に敏感なのは、韻律情報から言語情報だけでなく話者の心情や意図に関する情報も得ることができることが理由と考えられること、(7) 生後3か月の赤ちゃんは抑揚のある声を好むこと、(8) 抑揚のある声を聴くと赤ちゃんは右脳の側頭・頭頂領域で活動が大きくなり、すでに音声処理に関しては生後3か月の時点で機能分化が生じていること、(9) ただし、生後10か月の赤ちゃんは抑揚のある声よりも平板な声の方が脳活性が大きくなり、側頭領域及び左右両半球の前頭領域に加えて右半球側頭・頭頂の活動が大きくなること(生後3か月の赤ちゃんと逆の結果。赤ちゃんは聞いた音声の抑揚が自分の母国語の抑揚パターンと合致するかどうかを知覚しているものと考えられる)、(10) つまり、10か月の赤ちゃんは母国語の抑揚パターンを獲得しており、そのパターンにそぐわない音声に対して注意を向けたり、抑揚の変化以外の情報をもとに言語処理をするように発達していること(このことは、話し手の情動についての情報をもたらす抑揚に対して生後3か月から半年の間にずいぶんと敏感になってきていることを表していると著者らは考えているようです)、(11) 赤ちゃんは協和音を好むこと(和音の響きは感情を呼び起こす特性があるようです)、(12) 音楽のルールは言語のルールの獲得に遅れて幼児期後半に進むと考えられていること、(13)音韻・韻律的ブートストラッピングという考え方に基づけば、「ピッチの処理を根底として、乳児における言語や音楽の処理がひとつの基盤を共有したところから始まるという可能性を考えることができ」(pp. 113-114)、「そこから徐々に言語と音楽へと分化していく部分があると考えられる」(p. 114)こと、(14) 乳児の段階ですでに抑揚を記憶するシステムが機能していると考えられること、が述べられていました。また、p. 114に言語と音楽の共通性についての議論をまとめた簡単な図式が示されており、議論の理解を助けてくれました。とても面白い論文でした。

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酒井邦嘉(2009).『脳の言語地図』を読む(明治書院)

言語の脳科学的アプローチについて問答形式で分かりやすく様々な調査結果が紹介されているとても面白い本です。著者自身の研究成果も提示してあり、かつ著者が研究を行う上での前提や立場についても知ることができました。とても勉強になりました。

酒井邦嘉(2009).『脳の言語地図』.明治書院.

<第1章:脳から人間を考える>

この章で私が非常に面白いと思ったのは、(1) 昆虫には神経節といって、体節に小さな脳のようなものがたくさんコピーされていること、(2) ブロードマンの4447番の領野はオランウータンの脳にはないこと、(3) マカクザルの脳では、言語を使うような芽があるのではないかと仮定して4446野の番号が付けられていること、(4) ブロードマンの領域は機能ではなく細胞の模様に従って区分けされていること(この作業はとても難しく、研究者によってつける番号が異なってしまうこともあるそうです)、(5) 生物系統発生的にみると、チンパンジーはヒトと比べるには実際はあまりにも遠すぎること、(6) サルが行ったとされる言語学習は全く違う二つのものを記憶する連想関係の範囲のものであること、(7) 人間の脳は自動化が得意であること、(8) 逆に想定される範囲を超えた大きな変化への対応は人間の脳は苦手であること、(9) 記憶は神経細胞自体というよりそれらのつながり方の中にあり、余分なつながりを捨てることによって自動化が進むこと(捨てることこそが学習であると述べられていました)、(9) 右脳を鍛えると創造性や集中力が伸びるかどうかは全く分かっていないこと、(10) 脳の左右は脳梁でつながっているので一方の半球のみを鍛えることは不可能であること、(11) 両半球とも、幼児期であっても大人になってからでも鍛えることか可能であること、(12) 遺伝子が左右対称に体を作ろうとするので、その結果として脳も左右に分かれており、その構造がよい効果をもっていたので、現在でもその構造をヒトは保っていること、(13) ただし、その中でヒトの脳はブローカ野など左右の非対称性も備えていること、(14) ヒト以外で左右の脳の機能が異なる例はほとんど知られていないこと、(15) ヒトの場合、そのアンバランス差が結果として様々な機能を生み出し、創造性に関わる余地も生み出している可能性があること、です。

また、著者は一番人間らしい機能は、新しいことを生み出すことができるという創造性(芸術も含んでいます)であると考えています。また、(6) に関して、犬は「オテ」の際に言葉(音声)と動作を結び付けて記憶していますが、さらに餌をもらえるという報酬も連想しているそうです。ただし、チンパンジーに関しては、直接的な餌を与えなくても、褒めるという行為だけで報酬になるとのことでした。また、(7) (8) に関して、脳はある程度複雑なものを好む特性があるため言語の習得が可能になるのではないかという考えが提示されていました。ただし、脳は無意識な複雑さの処理は得意なのですが、意識的に複雑さを処理するのは苦手とのことです(p. 35)。

<第2章:脳を知る>

この章で私が面白いと思ったのは、(1) 脳を表すヒエログリフがあり、古代人も脳をいうものを意識していたこと、(2) 脳は一度出来上がってしまうと再生能力をかなり失ってしまい、他の神経とつながらないため、脳の移植は難しいこと(倫理的にも別人になってしまう可能性があり、問題があること)、(3) 人間の感覚で2倍、3倍と強くなったと感じる現象は物理的には対数スケールで倍加していること(10倍、100倍)、(4) 人間は舌が一番敏感で背中が一番鈍いこと(二点でその部位に触れた時、その間隔を狭めていくと、1点に感じるようになるのが一番早いのが背中、一番遅いのが舌だそうです)、(5) このことは体を測っているように見えるが実際には脳を測っていること、(6) 実際、舌の感覚は脳の広い面積で情報処理がされており、その分多くの細胞がその処理に関係していることになるため、このような現象が起こること(また、1つの細胞が担当する受容野は狭くなること)、(7) 繊細な感覚を鍛えるということは脳の対応する場所を広くすることを意味すること、(8) ある絵を見ている人の視覚野の活動を測定し、そこからどんな絵を見ていたかを再現しようとするニューラル・でコーディングという技術、(9) 脳を刺激して視覚を与えるアーティフィシャル・ビジョンという技術、(9) 視覚野の研究で、点、線、手の形、顔(特定の顔)、に反応する細胞がこの順序で発見されてきたこと、(10) 網膜や視床の細胞のひとつひとつは担当している小さな部分しか見ていないため、自分が何に反応しているかという認識はないこと、(11) これら末端の情報は大脳皮質の細胞によって統合され、少しずつどんな視覚刺激なのかが分かるようになり、さらにその情報が上へと挙げられて過去の記憶との照合がなされ、人の意識にのぼってくること、(12) 脳科学における「測る」とは「外からエネルギーを与えて、返ってくるものを見るということ」(p. 61)であること、(13) MRIの仕組み(pp. 61-64)、(14) MRIでは、「神経細胞群の活動を、間接的に血液の流量変化として置き換え」(p. 64)て観察することになること、(15) MEGの仕組み(pp. 64-65)、(16) 実際の測定における留意点(pp. 66-68)、でした。

<第3章:言葉を知る>

この章で面白かったことは、(1) 人間の言語の大きな特徴として文の構造、品詞のカテゴリー、格変化のルールが挙げられること、(2) パラメータの数はおそらく決まっていること(しかも1つのパラメータが決まれば別のパラメータも連動して決まること)、(3) 赤ちゃんの言語習得を説明するためには生得説とパラメータという考えが不可欠であること、(4) 言語において目的語と動詞のつながりがまずあり、そこに主語が付いてくるという形が基本であるため、OSVという文型は作りにくく、かつ主語は省略されやすいこと、(5) 言語の構造において再起性は重要な要素であること(Chomskyもそのように考えています)、(6) 再起性は数学や音楽でも観察されること、(7) 自然言語の規則やパラメータがすべて解明されれば自然言語に近い人工言語を作ることは可能であると考えられること(ただし、その言語の自然さを確かめるには赤ん坊にその人工言語を習得させる実験をしなければならず、それはその赤ちゃんの言語権を侵害することになってしまうので倫理上の問題がつきまとうこと)、(8) 一卵性双生児の間で二人の間でだけ通じるクレオール化が報告されていること、(9) 手話もクレオール化が生じること(当然方言もたくさんあること)、(10) 手話のクレオール化する能力は子供だけが持っていること(最初はジェスチャーをクレオール化していくそうです)、でした。

<第4章:脳の言語地図-ことばをつむぐ脳>

この章では、(1) 脳活動の基礎は電気的な活動で、神経細胞内外のイオンの流れによって電位の変化を生み出していること、(2) その電位の中には「どのニューロンが活動したか」「その活動がどの条件で起きたか(起きなかったか)」「その活動がどのタイミングで起きたか」「その活動がどのくらい大きかったか」という4つの情報が含まれていること、(3) 活動の大きさは電位や電流ではなく発火(活動)の頻度で測ること、(4) 脳の研究では活性している(興奮性出力)という情報と同様に活性していない(抑制性出力)という情報も重要であること(特に大脳皮質を作っていうる神経細胞では、両者のバランスが重要であること)、(5) 実際の脳活動は、ほとんどの細胞が抑制されている中でぽつぽつと発火が起こるという程度のものであること、(6) 子どもの言語の発達においては文法と音韻がまず発達し、その後で単語や文章理解が発達すると考えられること(著者はこれら4つをもとにした言語地図を提唱しています)、(7) ヒトは眠っている間に情報を処理しており、学習直後よりも1晩眠った後の方が記憶や技術が向上していることがあること、(8) 見慣れた文字と見慣れない文字では脳で活性化する部分が違うこと、(9) バイリンガルは基底核で言語の切り替えを行っているのではないかと考えられていること、(10) 基底核が障害すると交互対抗性失語症という使用できる言語が交互に代わるという症状が現れることがあること、(11) 脳は二つの言語を完全に同時に使うことはできず、複数の方言を入り混ぜて使用している人はそれらを1つの言語として使用していると考えられること、(12) 言語を使っているときは、言語の情報以外に視覚的な情報や聴覚的な情報など、様々な情報が行き交っていること、(13) 可塑性によってある部分が別の部分の代理をする場合、後者は前者と神経細胞でつながっている場合が多いこと、(14) 言語情報は右脳にも来ているが右脳の使用は抑制されていること、(15) 言語障害になったときに一時的に右脳のブローカ野に対応する部分が活動することがあること、(16) 通常は右脳は言葉に心や感情をこめることをコントロールしていること、(17) 言語中枢がだいたい同じ位置に形成されるのには、遺伝子以外にも何らかの環境的要因が影響していると予想されること(遺伝子が決めているのは、見ることや言語を使うことなど基本的な機能で、繊細な感覚を鍛えたり実際にどの言語を話すか決めるといったことは環境によって決まるそうです)、(18) サヴァン症候群の人はすぐれた才能に抑制がかかっていないこと(脳損傷を患った人にもそれまで抑制がかかっていた部分の抑制が取り除かれて優れた才能を発揮するようになることがあるそうです)、(19) 脳科学は今後は個性や創造性を明らかにする方向へ向かうと考えられること、にとても関心を持ちました。また、著者は、言語学習は子供のころから行うのがよいと考えているようです(p. 127)。

<第5章:脳から英語学習を考える>

この章で関心を持ったのは、(1) 初心者であっても日本語と英語で脳の同じ部位を使用していること(ただし、初学者は上級者よりも文法中枢に加えていろいろな部位を合わせて使用する傾向にあるそうです)、(2) ただし、細胞レベルで同じかどうかはまだ分かっていないこと、(3) 英語を学ぶときは文法中枢を中心としてそれ以外の部分(文法中枢の少し前の部分、右脳、右の小脳)が活性化すること、(3) 不規則動詞の方が規則動詞よりも難しいので、学習する際には前者の方が文法中枢で活性化する部分が広くなること、(4) 不規則動詞の学習で新たに活性化した部位は規則動詞にはない何らかの処理を行っていると考えられること(ただし、それが文法的なものなのか、記憶の検索を行っているのかは現段階では不明)、 (5) ブローカ野は記憶ではなく文法に関わること、(6) 英語の知識が全くない状態だと英語に関する言語課題もそうでない課題も脳活動に全く差がないこと、(7) 新しいことを学習して成績が向上するにつれてブローカ野の脳活動は比例して増加すること、(8) しかし、6年ぐらい経つと脳活動は減少し、特に成績が高いほど脳は活動しなくなること(これは言語処理が自動化し、ネイティブの脳活動に近くなったと考えることが可能だそうです)、(9) この傾向は、同じ年齢の学習者であっても英語学習歴が6年以上あるかどうかで英語力とブローカ野の活性が正の相関(英語学習歴1年程度)を示すか負の相関(英語学習歴6年以上)を示すかが異なってくること、(10) ただし、ネイティブのような英語脳を作るには年間400時間程度英語に触れる必要があること、(11) 現在の小学校英語教育がどの程度有効なのかは現段階では分からないこと、(12) 中学校1年生が英語を学習するのに遅すぎるわけではないこと(重要なのは6年間の英語学習)、(13) 英語母国語話者の場合、仕事でつかえるレベルにまで外国語が上達するのに必要な時間は、フランス語で600時間、ドイツ語で750時間、ロシア語で1100時間、日本語などアジア系の言語で2200時間程度と考えられていること、(14) 日本人が英語を仕事で使える程度にまで上達させるには2200時間必要になると予想されること(6年間で学習するとなると、週に10時間程度の学習が必要になること)、(15) バイオリンはプロ並みに弾けるようになるには1万時間の練習が必要であり、才能よりも小さなころからどれだけ練習するかという要因の方が重要であるという研究報告、(16) 英語学習歴が短い(1年程度)の学習者は時間をかけた読解であるほど文章理解の中枢の負荷が高まるのに対して、英語学習歴が長い(6年以上)学習者は短時間での読解であるほどその中枢の活動(負荷)が高まること、(17) 習得機関や年齢を問わず、文法課題の成績と左右の半球の大きさの非対称性に共変関係が見られること(文法中枢の下前頭回の部分または45野が特に右脳の相当部分よりも大きくなる傾向があるようです)、(18) たまたま人間の脳で左右の脳のバランスが崩れ、左脳に余裕ができた分言語野として使用できるようになったと予想されること(そして、右脳はあまり言語に関係しないことをやっていた方がよさそうだと判断し、機能が分化していったと予想されること)、です。また、将来的には、MRIに入れば英語力の評価ができるようになるかもしれない、という考えはとても面白いと思いました。

<第6章:言語脳科学のこれから>

この章で面白いと思ったのは、(1) 一定の制約があるからこそ芸術が成立するという考え、(2) 人間の創造力は文学ではなく言語の中にこそ観察できるという考え、(3) 将来英語のチップを頭の中にいれれば英語ができるというようなことは、脳が複雑なシステムであるからこそ基本的に不可能であると考えられること(せいぜい脳科学から得られたデータに基づいて個人向けの教育プログラムを提供することぐらいであろうと述べられています)、でした。また、著者は辞書を引かずに読むという方法には懐疑的で、辞書を引くことによって単語の意味に関する勘が働くようになり、今度は文章の中に明示的に書かれていな情報の中に深い意味があることも分かるようになり、行間が読めるようになるなどさらに深い言語処理が可能になると考えています。そしてこのことが詩や文学などにつながっていくのではないかと述べられていました。

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2012年9月13日 (木)

J.Zipes(編)(1993).『The Trials & Tribulations of Little Red Riding Hood』(第2版)を読む(Routledge)

口承文学としてのThe Story of Grandmotherをペローがどのように書き換えたのか、それをグリムがさらにどのように修正したのか、なぜペローとグリムはそのような修正が行ったのか、『赤ずきん』は様々な作家によってどのように書き換えられてきたのか、そこにはどのような社会的背景があるのか、ということについて社会歴史的観点から考察されています。さらに、本の最後には赤ずきんの挿絵についても考察がされており、なぜそのような構図や色使いになっているのかが、テクストの分析と合わせて検討されていました。

Zipes, J. (Ed.). (1993). The trials & tribulations of Little Red Riding Hood (2nd ed.). New York: Routledge.

感想:著者は、この本を通して "literary fairy tales were consciously cultivated and employed in 17th-century France to reinforce the regulation of sexuality in modern Europe. I also tried to demonstrate that the discourse on manners and gender roles in fairy tales has contributed more to the creation of our present-day social norms than we realize. A tale like Little Red Riding Hood was my case in point. Its unique history can reveal to what extent the boundaries of our existence have evolved from male phantasy and sexual struggle for domination. As part of our common heritage, the tale and its reception through history indicate the hidden power of the commonplace that we neglect or tend to repress. My book was an attempt to recall a repressed history in the hope that we will explore alternatives for the future." (p. xi) ということが主張されます。赤ずきんが魔女狩りや狼男伝説と関係していること、赤ずきんを通して女性をだまされやすくて男性なしでは自立できない存在(男性をたくましい存在)に仕立て上げていったこと、フェミニズムの台頭でこの考えを批判するようなバージョンの話もたくさん書かれていますがそれでもこれらのイデオロギーが依然として強くあること、このような女性像は作品だけでなく挿絵などにも反映されていること、など非常に面白い分析がなされていました。本書では、著者による論考が3つと38篇の『赤ずきん』(これらに加えてペローが参照したThe Story of Grandmotherが著者の論考中に引用されています)、1993年までの『赤ずきん』のリスト、が収められています。著者による論考の1つ目は導入、2つ目は様々なバージョンの赤ずきんの変遷を社会的歴史的観点から検討したもの、3つ目は挿絵を同様に検討したものとなっていました。この本を読んで、『赤ずきん』がいかに政治的・宗教的目的で利用されてきたのかということが非常によくわかりました。とても面白かったです。また、『赤ずきん』も色々な作品があり、間テクスト性という現象について色々と考えることができました。

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2012年9月12日 (水)

金沢創・山口真美(2008).「赤ちゃんの運動視の発達からみた「物世界」の起源」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

言語や文学とはあまり関連はしないのですが、自分の子供が誕生時にどんな世界を見ていたのか知りたくて、読みました。赤ちゃんの視覚の発達について、近年の研究の成果がまとめられています。

金沢創・山口真美(2008).「赤ちゃんの運動視の発達からみた「物世界」の起源」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 85-100).工作舎.

感想:赤ちゃんの運動視の発達は以下のようにまとめられています。「①2か月までの乳児は皮質下で制御されており、その知覚世界は運動と直結した直接的なものであり、明確な知覚世界は存在しない。②2か月から3か月ごろの乳児は、視覚やなどの皮質が少しずつ発達してくることで方向性をもった運動刺激などを知覚できるようになるが、静止画から遮蔽関係や立体の情報を取り出すことができず、その知覚世界は、いわばランダムドットの中におかれたランダムドットのように形や構造をもたない。③4か月から5か月にかけて、立体視の成立、運動透明視の知覚発達、などを生じ、運動からの構造復元や運動情報からの遮蔽関係などの知覚が可能となる。いわば、この段階になり、乳児ははじめて、空間に静止し配置された「物体」という存在に気づくのではないか、と考えられる。」(pp. 97-98)

①の段階に関しては、まず皮質下制御のもとで、3週齢ごろにいったん運動視の感度が現れます。しかし、大人の視覚とはかけはなれたもので、非常に不思議な特徴がみられます。生後1か月頃の乳児は、単眼の耳側から鼻側への動きに関しては視運動性眼震が生じるそうですが、逆の方向に対しては生じないそうです。また、遠ざかるもの(縮小するもの)よりも近づくもの(拡大するもの)に敏感で、近づくものまたは拡大するものに対して3~4週ぐらいで防御反応を示すようになるそうです。ただし、これらの反応は2~3か月で消失します。その理由として「皮質下の制御が、皮質性の制御に切り替わるからではないか」(p. 88)と考えられているそうです。また、乳児の運動視は遅い運動を処理するシステムが先に発達し、2週間ほど遅れて早い運動を処理するシステムが発達するそうで、乳児は当初は遅い運動には反応できますが、早い運動には反応できないそうです(なぜこのようなことが生じるのかはまだわかっていないとのことでした)。

②の段階に関しては、「少なくとも3か月齢の乳児にとって、「動いているものがどう動いているか」はわかるのだが、「止まっている物体のたとえば遮蔽関係やつながりなど」は近くできない(中略)。言ってしまえば、そこには「動きの塊」といったものはあるが「物体」という概念はなく、単に変化のパターンとして世界があるのだろう。いわばそれは、すべてがつながった2次元の1枚絵のような世界であり、この頃の乳児は、奥行きもグローバルな形も見えないが、動けばそれがある程度わかるという不思議な世界に住んでいると思われる」(pp. 91-92)とまとめられていました。これは、大人が擬態している生物が動いて初めてその存在に気づくといった状態と似たものでないかと説明されていました。乳児はこの段階で大人が見ているのと同じような動きが見えるようになるようです(p. 90)。

③の段階に関しては、事実5~7か月ごろの赤ちゃんが物体を触ろうとするリーチング行動がみられるようになるという点が指摘されていました。

自分の研究トピックとは少し離れた内容でしたが、非常に面白かったです。

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2012年9月10日 (月)

高橋勝忠(2011).『英語学基礎講義 英語学ってどんな学問?』を読む(現代図書)

後期の授業で英語学の概説の授業を担当するので、何か新しいネタはないかと本書を読ませていただきました。本書では、英語史、言語習得、統語論、音韻論、形態論、意味論、語用論、の7領野が扱われています。そして各領域のテーマは、著者が過去数年間の受講生を対象に行ったアンケート結果から精選されています。基本的には、英文法の様々な事例を出発点とし、その現象がなぜ生じるのかを英語学的に解説していくというスタイルです(特に本書の後半)。かなり高度な文法現象が扱われており、私個人としては、英語学というよりも英文法の理解を深めることができたように思います。したがいまして、本書では通常の英語学概説書で出てくるような理論はほとんどできてきません(少しは出てきますが、アンケートに基づいて内容が精選されていますので、それらは、かなり局所的かつ高度な考え方でした)。例えば、語用論などでは、発話行為論や協調の原理などは出てきません。ここでは、特に私自身が興味を持ったことのみを取り上げています。

高橋勝忠(2011).『英語学基礎講義 英語学ってどんな学問?』.現代図書.

感想:英語史の箇所では、ケルト人について「紀元前500年頃から600年頃にイギリス諸島全体にヨーロッパ大陸から移動してきた。彼らは背が高く金髪で、音楽や詩を愛した。鉄をもたらしたのも彼らである」(p. 1)という記述がありました。英語史でケルト人の来歴について触れてあるのは珍しいと思いました(たいてはローマ帝国の侵攻ぐらいから話が始まることが多いですね)。また、ローマの侵攻については、ブリトン人の女王ボアディケアによる抗戦が紹介されていました。

形態論では、複合語の解説の中で、Allen (1998) のIS A Condition(語の右側に意味の中心となる形態素が来るという考えで、たとえば水鉄砲vs鉄砲水やhouseboat vs boathouseなど)と、Williams (1981) の右側主要部の規則(right-hand head rule:語の右側に来る形態素が全体の品詞を決定するという考え方で、「経済的」や「kindness」など)が紹介されていました。また、形態的・音韻的変化をもたらす「レベル1」の接辞(-ityなど)と、そのような変化をもたらさない「レベル2」の接辞(-nessなど)が紹介されていました。レベル1は-ousや-ity、in-などラテン系のものが多く、レベル2は英語本来の接辞であることが多いそうです。また、基体に接辞を付加して派生語を作る場合、レベル1+レベル2の順序付けや許容されますが、その逆は許容されないというレベル順序づけ仮説(Level Ordered Hypothesis)も紹介されていました。

意味論では、自動詞と他動詞の違いが検討されます。そして、両者は直接目的語を取るか取らないかという点では決定できないこと、一見直接目的語を取っていそうな他動詞や他動詞+副詞の構造(Tom got on his hat. やTom got his hat on. など)でも受身形が不可能な場合があること(The hat was got on by Tom.はやはり不自然です)、が言及され、意味論的な観点からの区別が必要であると述べます。そして、位置変化動詞・状態変化動詞vs働きかけ動詞、という区別で考えることが提案されています。前者は対象に働きかけ、その対象に何らかの変化(surpriseやfearなど心理動詞も含みます)をもたらすことを意味する動詞です(break、cutなど)。後者は、目的語に働きかけますが、変化をもたらすかどうかは分からないというものです(push、pull、など)。前者は目的語を主語として自他交替ができます(Tom moved the stone. からThe stone moved.へ)。それに対して後者は自他交替ができません(Tom pushed the desk. から生じたThe desk pushed.は意味を成しません)。また、前者は過去分詞形にして名詞を前置修飾し、完了の意味を表すことができます(the moved stone「動いた石」)。ただし、後者のタイプの動詞はこのことは不可能です(the pushed desk.「押した机」とは言えません)。なお、the moved deskのmovedはあくまでも完了形容詞の意味となりますので、「動かされた石」というように受身的に訳さないように気を付ける必要があります。「動かされた石」と言いたいときはthe stone moved by Tomというように表現します。なお、後者の動詞でもthe desk pushed by Tomと表現できます。

また、働きかけ動詞が副詞と結びけて複合動詞にすることで結果の状態の変化を表現できるようになることが確認されます(push+outや「押す」+「出す」=「押し出す」など)。次に、動詞の意味をさらに細かく見る考え方として語彙概念構造(Lexical Conceptual Structure)が紹介されています。著者は、何かを意図的、無意識的に行う「活動動詞」(laugh、talkなど)、前置詞句などが付くことによって行為の完了状態を表現できる(ナル型動詞になれる(Tom went to the station.)。ただし、ここには主語の意図は欠落する(駅にに向かうことは意図的であるが、駅へ到着することは意図的ではない))「移動動詞」(前置詞句が付かなければ、意図的にある行為を行うスル型動詞になります(Tom went toward the station.))、(一瞬の)状態変化を表す「変化動詞」(途中の状況よりも変化後の状況を述べるため、ナル型動詞となり、主語の意図は含まれない(Tom appeared suddenly.))、対象に働きかけるもののその対象に変化をもたらさない働きかけ動詞(push、kickなど)、対象に変化をもたらす使役動詞(break、openなど)、など自動詞や他動詞という区別では不十分であること、さらに変化動詞もさらに下位区分できること、などが示されていました。さらに、この動詞がどのタイプかによって、自他交替、動能構文、派生語、完了形容詞、などが可能になるかどうかが変わってくるということが示されていました。自他交替では、使役動詞は可能ですが、働きかけ動詞では不可です。動能構文(Tom kicked the door.から派生されるTom kicked at the door.という文です)では、働きかけ動詞は可能ですが、使役動詞は不可です。-ableなどをつける派生語では、移動動詞と変化動詞は不可ですが、働きかけ動詞と使役動詞は可能です。完了形容詞は、使役動詞は可能で、変化動詞は状況によりけり、その他は不可となります。動脳構文は、「基本的に動詞に移動・接触の両方の意味概念が含意されている時に成立する」(p. 51)そうです。動詞の区分についてはp. 49に図式されています。

次は語用論の観点からつなぎ語が検討されています。著者は、「とうとう・ついに」とat lastの違いを取り上げます。「日本語の「とうとう、ついに」は、ある事態の成立・不成立の両面を表現できるのに対し、英語のat lastはある事態の成立のみを表現できる。いわば、at lastは待ち望んでいたことが最終的に実現するときに使う。」(p. 54)と説明されます。したがって、日本語では「とうとう試験に落ちた」と言えますが、英語では "At last he failed in the examination." とは言えないということになります。英語では、in the endを使用すれば、事態の不成立を表現できるようになります。また、finallyは日本語の「とうとう、ついに」と同じく、自体の成立と不成立両方を表すことができます。

似たような事例で、at firstも注意が必要です。この表現は、「"What is true in the beginning turns out not to be true later" の意味が含意され」(p. 55)ます。したがって、卒業論文のIntroductionで、論文構成を述べる際にこの表現を使用することは変です。やはり、順序を表すfirst(ly)やfirst of allを使用する必要があります。同様に、at lastも「最後に」の順序を述べる表現ではありませんので、結論部分で使用しないように気を付けなければなりません。lastlyやlast of allという表現を使用する必要があります。

最後に、日本語の「来る」「行く」と英語の "come" "go" の違いについても説明されていました。著者は「英語のcomeは話し手(to Spk)・聞き手(to Adr)の両方のところに言及することができるが(e.g. Come here. I'll come to you)、日本語の「来る」は話し手のところにしか言及できない(e.g. 「ここに来なさい」「あなたのところに来るでしょう」)。一方、英語のgoは話し手・聞き手以外の第三者のところや場所(to Far)に言及し(e.g. I'll go there. I'll go here.)、日本語の「行く」は、このto Farの場所に加えて聞き手(相手)のところにも言及できる点が英語と異なる(e.g. 「すぐに彼のところに行きます」「すぐにあなたのところに行きます」)。」(pp. 59-60)。したがいまして、英語では、「ちょっと手伝って」と言われたときに、 "I'll come soon" は手伝うことを表すのに対して、"I'll go soon" と言ってしまうと、手伝うことができない(すぐに外出しなくてはならない)、ということを表してしまうことになります。

また、日本語の「行き来する」「あれこれ」「あちらこちら」が英語では "come and go" "this and that" "here ant there" と順番が逆になることについて、「英語では話し手に関する表現が先に来て話し手以外の表現(Neg-Spl)は後に来る」(p. 60)と説明されていました。さらに、「comeはnormal stateを表現するのに使われ、goはabnormal stateに言及するときに使われる」(p. 60)(例えば、This fruit goes bad easily. vs. All their dreams come true. The patient's temperature went up today. vs. The patient's temperature came down today. など)ということが説明されていました。

薄い本ではありましたが、しっかりとした中身があり、とても勉強になりました。自分の英語学の授業にもこのような事例をたくさん取り入れることができたらと思いました。

最後に、本書の章立てを載せておきます。

英語史1 英語はどこから来たの?

英語史2 デーン人とノルマン人の攻撃

言語習得3 人間の頭の中に普遍文法がある。

統語論4 文の生成過程とは?

統語論5 助動詞の構造

統語論6 文の要素が移動する?

音韻論7 Smogはどのように出来たの?

形態論8 ゴジラはゴリラと鯨の混成語。

形態論9 ライスカレーとカレーライスの違い

形態論10 京都女子大学は京都・女子大学か京都女子・大学のどっち?

意味論11 自動詞と他動詞の違いは何?

意味論12 机を「押した」と「押し出した」の違いは何?

語用論13 英語ではとうとう試験に落ちたと言えないのは何故?

語用論14 「行き来する」がgo and comeとならずcome and goとなるのは何故?

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川畑秀明(2008).「脳内の時空処理」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

絵画や彫刻などの視覚芸術を対象に、「脳は何に美しさを感じるのか」、「脳はどのように美しさを感じるのか」、「脳はなぜ美しさを感じる必要があるのか」という3つの問が検討されていました。

川畑秀明(2008).「脳内の時空処理」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 71-84).工作舎.

感想:著者によると、「美とは、芸術作品や自然などの対象に対して、快く感じられたり、感嘆の念を感じられたりするような、直感的な評価や価値の高い状態」(p. 72)となります。そして、人はなぜ美に見せられるのかという問は、古代ギリシャ時代い(プラトンやアリストテレス)、近代哲学(カントやヘーゲル)、18世紀(美学という学問体系の形成)を通じて検討され、現在では脳科学がこの問いに取り組み始めました。

著者はまず視覚の脳内処理について説明します。そこでは、風景がを見ると海馬傍回が、静物画を見ると第3次視覚野と側頭葉が、肖像画を見ると紡錘状回(顔に対して選択的に応答する部位だそうです)や扁桃体が、活動を高めることが示され、視覚処理の部位が視覚芸術の処理の基盤となっていることが確認されていました。

次に、「脳は何に美しさを感じるのか」という問が検討されます。ここでは、対称性や黄金比を持つ対象の視覚処理の調査結果が報告されていました。対称性では視覚野が、黄金比では島皮質(感情の処理と密接に関わる部位で、表情の認識やいとしい人の写真を見ているときに活性するそうです)が活発に活動したということが紹介されていました。

「脳はどのように美しさを感じるのか」という点については、(1) 美しさを感じているときは前頭眼窩皮質(顔を魅力的と感じたり音楽に感動するときにも活動が高まるそうです)の活動が高まること、(2) 前頭眼窩皮質は報酬系の1部であること、(3) 前頭眼窩皮質に加えて右脳の扁桃体も活性すること、(4) 醜さを感じているときは左脳の運動野(恐怖顔や怒り顔を見るときに活動が高まるそうです)が活性化すること、が紹介されていました。(2) の報酬系とは、「欲求が満たされたとき、あるいは満たされることがわかったときに、活性化する神経系である。報酬系が活動を高めると、快の間隔を伴う。美しさと報酬系とが深い関係にあるということは、芸術に美しさを感じることが、脳にとってのご褒美なのだということもできる。美しいものを見たり聞いたりするときの脳の働きと、おいしいものを食べて満足したときの脳の働きとでは、脳の活動は共通している。」(p. 81)と説明されていました。また、(4) に関しては、「醜いものを見るとき、私たちはそれを自分から押しどけたい、遠ざけたいという思いになるのではないだろうか。そのことが、運動野を活性化させているようにも思える。」(p. 82)という考えが述べられていました。最後に、この問いに関する調査結果をまとめる形で、「脳は自分自身を喜ばせようとして美しさを感じるのであり、そのメカニズムは報酬系やさまざまな感情を世紀させる神経系であるといえよう。また、美は脳を陶酔させ、醜は緊張させるものだと言い換えることもできる。人は美へと欲求を駆り立てる存在なのだ。」(p. 82)と述べられていました。

最後に、「脳はなぜ美しさを感じる必要があるのか」という点が検討されていました。なお、美に魅せられていたのは現代人だけではありません。この性向は、すでに150万年前のホモ・エレクトスの石器にも観察することができます。そして、ホモ・エレクトスの石器から、「性淘汰の圧力が高い社会にあって、大型で見事に精緻化された握斧には、作成者自らの生産力や能力のアピールとしての社会的機能が含まれていた(省略)。それだけの美しい石器を作ることが、彼らが属するコミュニティにおいて、十分な権威の誇示となっていたということであろう。」(p. 83)と述べられていました。そして、「美とは、社会の中で何が重要か、アピールしているものを見逃さないようにするための基準であり、機能であったのではないだろうか。美のメカニズムが報酬系であることからも、社会において欲しいものに対するセンサーとして、脳は美しさを感じる必要があったのだ。」(p. 83)とまとめられていました。

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入来篤史(2008).「脳内の時空処理」を読む(小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』,工作舎)

著者の論文は以前にも読んだのですが、芸術に対する主張が簡潔にまとめられていました。主に、絵画や彫刻など、視覚芸術にまつわる議論がされていました。

入来篤史(2008).「脳内の時空処理」.In小泉英明(編),『恋う・癒す・究める 脳科学と芸術』(pp. 68-70).工作舎.

感想:芸術的な作品では、「時間・空間・意味・価値……などの数限りない多くの「次元」が、渾然一体と溶け合い、結びつき、混ざり合いながら同居して」(p. 68)います。そして、この美の世界は現実世界には決して存在せず、ひとたび現実世界の中でその美の世界を再現しようとすると、それは狂気として移ります。また、芸術家は、現実世界の法則に拘束されているため、そこから芸術世界を創り出す際には生みの苦しみを味わうことになります。芸術家は、「しばしば、視点を変えて空間を重ね合わせ、時間を旅して畳み合わせ、流れる時間をバラバラにして組み立て直し、色彩を抽出し、空間を歪めながら、脳の中の多次元世界を、現実のキャンバスに、石の塊に、写し取ろうとする。かくして、「美」の名称を賦与するに相応しい作品を仕上げてゆく。」(p. 68)ことになるそうです。

神経系で最も原始的な構造は、外界情報を検出する感覚器と、それに対応するための固有の運動を引き起こす効果器が1対1で直接結びついている形です。しかし、進化によって動物の身体構造が複雑化するにつれて、複数の感覚器と複数の効果器の対応で情報処理がされるようになり、中枢神経系が生まれました。著者は、「神経系での情報処理が、複雑になって階層化し重畳しはじめると、情意の階層で扱われる情報は、外の現実世界と直結した下位の階層から乖離しはじめる。最初は、下位の階層の「状態」をひと纏めにして任意に標識するなどの象徴化からはじまり、次第にこの階層だけに閉じた、独自の世界を構築することができるようになる。純粋脳内世界の誕生である。この世界は、外界の様々な現実的拘束を受けない。情報は、内発的要因によって生起し、現実世界の法則から自由に浮動する。ここで活動する神経細胞のひとつひとつが独自の次元を構成する、超多次元情報空間を形作ることができるのだ。この世界を現実世界の理屈で説明しようとするとき、極端な情報圧縮を余儀なくされ、われわれはそれを「夢」「幻覚」と呼ばざるを得なくなる。そしてそれは、あるいは「芸術」である。」(p. 70)とまとめていました。

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萩原裕子(1998).『脳にいどむ言語学』を読む(岩波書店)

少し古くなってしまった本ではありますが、基本的な事項の説明が非常に丁寧で、言語の脳科学的アプローチを勉強する上では必読文献であると感じました。また、生成文法の知識がないと読むのが少し難しくなるのではないかと思う箇所が部分的にありました。

萩原裕子(1998).『脳にいどむ言語学』.岩波書店.

<プロローグ>

まず、プロローグでは、脳研究の歴史について紀元前四世紀のヒポクラテス学派の医師たちから、ガル、ブローカ、ウェルニッケという流れが示されていました。次に、精神分析でその才能を発揮する前にフロイトが言葉の構造や使用の点から神経構造の仕組みを推測していたというあまり知られていない事実が紹介されていました。フロイトは「「語」の構造が精神の基本単位であり、各々の語は、視覚、運動のイメージからなる「連想」でなりたっていると仮定した。そして言語は脳内では一箇所に集まって存在しているが、その領域は視覚、聴覚、触覚、運動機能の領域と隣り合っているのではないかと推測した」(p. 5)そうです。ウェルニッケも同様な考え方をしたそうで、「話すという行為は、耳から入った音により語のイメージが想起され、それが発話をつかさどる運動領域に伝達されることにより、行われると考えた」(p. 5)そうです。こういったアプローチとは反対に、脳について分かっていることからことばの仕組みや使用について考察した人に、イギリス神経学の基礎を築いたジョン・ヒューリング・ジャクソンがいるそうです。ジャクソンは、階層性という概念を中心に研究を進めたそうですが、このことはロマン・ヤコブソンに影響を与えることになったそうです。ヤコブソンは『失語症と言語学』という著書を残していますが、この本の中で「幼児の言語獲得と失語症の言語崩壊のプロセスが、正確な「鏡像関係」にある」(p. 9)と主張しています。ヤコブソンは主に音についてこのことを研究したのですが、最近では文の単位でも同様なことが見られることが分かってきているそうです。ヤコブソンは「近代神経学の先駆者ジャクソンが提唱した、より複雑なものから単純で原始的なものへの退行現象という仮説を、言語の崩壊にみられる順序について吟味し、言語習得を世界の諸言語の構造規則に関係づけることこそ、まさに言語学者の意図していることである」(p. 9)という言葉を残しているそうです。次に、アメリカでチョムスキーによる生成文法が提唱されたのと同じ時期に、脳神経科学では第一次認知革命が起こっていたことが指摘されていました。生成文法は、まずは失語症の研究に影響を与え、「失語症では「言語運用」は失われているが、「言語能力」は保たれているのではないか」(p. 11)と考えられるようになったそうです。「しかし唯一の例外として、ことばについての行為全般にわたって障害があらわれている失文法失語患者では、「言語能力」はどうなっているのだろうとの疑問がわき起こり、以降さまざまな形で、文法の障害が注目を集めることとな」(pp. 11-12)ったそうです。

<第1章:ことばの仕組み>

次に第1章ですが、この章は基本的な生成文法の考え方の説明がされています。主に原理とパラメータのアプローチに基づいた説明がされています。生成文法を勉強したことがある人であれば、比較的基本的な内容でしたので、ここでは省略したいと思います。ですが、日本語と英語両方の豊富な事例とともに説明してあるので、生成文法に詳しい人でも読んでとても面白いと思います。実際に、私もとても楽しく読みました。

<第2章:ことばが失われる>

第2章では、まずヒトの脳の構造について簡潔な説明がされます。それらは、(1) 成人の脳は12001500グラムであること、(2) 左右二つの半球は脳梁で連結されていること、(3) 細胞体が集まった部分を灰白質と呼び、大脳全体を覆っている灰白質の薄い層が大脳皮質と呼ばれていること、(4) 皮質の下には神経線維が束になって走っていて、白質と呼ばれていること、(4) 大脳皮質は新皮質と古い皮質に分けられ、新皮質の厚さは23ミリであること、(5) 新皮質は140億個の神経細胞から成り立つこと、(6) 皮質は六層に分かれていて、その層構造の違いに応じてブロードマンが皮質を52の区域に分けていること、(7) 大脳皮質の表面には、コラムと呼ばれる、脳の内部へ垂直方向に六層を貫いて配列された細胞があること、(8) コラムは脳における情報処理の最も基本的な構造的・機能的単位と考えられていること、(9) 後頭葉は視覚に深く関わっていること、(10) 側頭葉は聴覚や記憶に関わること、(11) 頭頂葉は体性感覚と空間認知に関わること、(12) 前頭葉は様々な記憶や感覚に基づいて運動をコントロールすること、(13) ヒトで格段に発達したとされる前頭連合野は思考・意志・予測・判断・創造といった、最も人間らしい高度な機能を担うこと、(14) どの脳葉にも低次な領域(外界からの感覚刺激が受容器を通じて初期に到達する領域で聴覚野・視覚野・体性感覚野などが相当)と高次な領域(様々な領域から送られてくる情報を統合する連合野)があること、(15) 言語機能と密接な関係があるのはブローカ野(4445野)であること、が述べられていました。

次に、様々な失語症の症例が、実際の患者による発話データと共に提示してありました。ここでは、ブローカ失語(言葉がうまく話せない)、失文法失語(失文法)(外国人の日本語ように助詞などがうまく使えなくいなる。ブローカ野を含む広範囲の梗塞で発症し、ブローカ失語の下位タイプ)、ウェルニケ失語(意味のわからない発話になってしまう)、新語を作りながらわけのわからない発話を続けてしまう症例(右半球前方と左半球後方の皮質下に1つずつできた病変により発症したそうです)、語義失語(ことわざや比喩を文字通りの意味でしか理解できなくなってしまったり、漢字の読み書きに独特の障害が現われる日本語特有の失語症で、欧米では超皮質性感覚失語と呼ばれているもの。左側頭葉中下回から内側面にかけての障害で発症)、が紹介されていました。

<第3章:言語理論からみた失語症>

3章では、失文法失語の文法障害が言語理論の観点から検討されています。そして、「失文法患者では、脳損傷のために、文の処理に使われる作業空間が限られている。そのため、小さい構造は大きい構造より扱いやすく経済的である。したがって、小さい構造をもつ文は、大きい構造をもつ文より、失文法患者にとって、話したり理解したりしやすい。」(p. 70)という見解が示され、失文法患者は言語知識は保持されているが、その使用に問題が生じていると述べられていました。また、失語症から回復するときも、生成文法の階層構造で言うところの低い位置の語彙から順番に回復するそうです。また、ブローカ失語患者は、100%理解できる構文と50%前後しか理解できない構文がはっきりと分かれるのに対して、ウェルニッケ失語患者では個人差が激しいという結果が出ており、このことは「ウェルニケ領域ではなく、ブローカ領域が、純粋に構文の演算処理に直接かかわっていることを示している」(p. 76)と述べられていました。また、文法によっては規則として保持されているものと、不規則形のようにメンタルレキシコンに一つ一つ記憶しなければならないものがあります。そして、両者の文法処理は異なっていること、前者はブローカ野で処理されている可能性があること、左側頭葉中下回から内側にかけての領域で語のアナロジーに基づいた処理がされていること、を示す調査結果が紹介されていました。

<第4章:文法の障害と遺伝子>

4章では、特異性言語障害について整理されています(いわゆるFOXP2に関しての話題です)。この障害は、「聴覚、調音、認知能力には障害がなく、自閉症でないにもかかわらず、たいていの子供が四歳から五歳までには習得できるような、時制、格、人称、性、数などといった文法のある側面にかぎって常に間違えてしまう障害」(p. 84)です。この障害にはいくつかの下位タイプがあるということが分かっています(p. 88)。この障害の発生率は、全人口の約3%と言われているそうですが、イギリスのある家系ではその発症率が53%であり、調査が行われています。この家系のように家族内でこの障害が生じた人が複数いる場合は、特に家族性言語障害と呼ばれるそうです。この障害を持った人は、John wash the dishes yesterday.The little girl is play with her. といった発話をするそうです。この障害を持つ成人は、健常者に比べて「左前頭部、特にブローカ領域に萎縮が確認され」(p. 87)るそうです。また、家族性言語障害の家族歴をもつ胎児では、「妊娠二四週から二八週において左半球の前頭葉下部と側頭葉の成長率が、健常な胎児に比べて著しく低く、たとえば、前頭葉下部ではこの時期の健常胎児の成長率が平均六〇%であるのに対して、家族性言語障害の胎児では〇%であった」(p. 87)という報告もあるそうです。また、文法の生産的な規則が使えず、単語の内部構造を理解することなしに、11つをメンタルレキシコンに丸暗記して登録しているそうです。日本語の特異性言語障害の場合は、動詞の時制や文法格助詞、統語の理解、などに問題が生じるそうです。著者は特に家族性言語障害に話を特化しながら、「家族性言語障害では、レキシコンや語順は保たれており、障害されているのは動詞の時制や名詞の数の一致という現象である。もし家族性言語障害の人たちに共通した染色体上の遺伝子の欠失があるとすれば、それは少なくともレキシコンに影響をおよぼすものではない。たぶんそれは…規則にもとづいて文法演算処理を行うという側面に害をおよぼすものではないかと推測できる。そして、その欠失した部分には、脳の特定の領域、…左前頭葉下部ブローカ領域を含むシルビウス溝周辺の脳の成長に胎児のときから影響をおよぼす遺伝子も含まれているものと考えられる。もしかしたら、そのような遺伝子は、レキシコンにかかわる遺伝子とは別の染色体上に位置するのかもしれない。文法、さらに広く言語一般にかかわる遺伝子は、いったいいくつあるのだろうか」(pp. 88-89)と述べていました。また、遺伝性疾患と言われている読字障害では、「音素に関する認識(音素を識別したり、語を音素に分割したり、音素を並べて語にすること)という表現型には第六染色体がかかわり、実在後の音読という表現型には第十五染色体が関与している可能性が高い」(p. 88)という調査報告が紹介されていました。

<第5章:言語活動の瞬間をとらえる>

5章は、調査機器の革新についてまとめられていました。主に事象関連電位の説明が中心となっています。事象関連電位の波形には複数の脳内システムが活性化することで生じる電位が含まれているそうで、「寒いとか痛いというような抹消受容器での受容、その間隔の中継地点の脳幹、大脳皮質一次感覚野での感覚、一時感覚野から連合野、前頭皮質にかけての注意や知覚、辺縁系から連合野が総合的に活性化される認知、予測などに関連した微細な電位すべてが重なり合ったものと考えてよい」(pp. 98-99)と述べられています。また、「一般的には、潜時が100ミリ秒よりも短い成分は、外的刺激の物理的特性をとらえているもので外因性電位とよばれる。それに対してより長い成分は、被験者の脳内から能動的に発生してくる内因性電位とよばれて、被験者の経験や意欲や意志決定といった心理的要因を反映しているといわれている」(p. 99)ことも説明されていました。しかし、事象関連電位の弱点として、「磁気共鳴画像法が得意とするような空間的な情報は十分には得られない。脳内で生じる電位は、電気伝導率のそれぞれ異なる脳脊髄液や頭蓋骨、皮膚などに影響されるため、拡散されゆがんで頭皮上にあらわれる。したがって、脳波の記録から脳のどこから電流が発生しているのかを決定するのは難しい」(p. 100)という点が指摘されていました。著者は、電極のチャンネルを増やしたり、電流の発生源や流れを画像化したり、統計的な手法に工夫を加えることで、この弱点の克服を試みているそうです。また、N400について説明があり、視覚提示か聴覚提示かにかかわらず、意味的におかしな語彙項目が文内に含まれていれば、それが文中のどこに含まれていようとも観察され、意味的な逸脱が大きいほどその振幅は大きくなるという調査報告が紹介されていました。N400は、左半球側頭部がその発生源ではないかと考えられているそうです。次に、普遍文法に関する事象関連電位の研究が紹介されていました。句構造規則違反と下接条件違反の文を使った研究で、「句構造規則違反の文に対しては、左半球前頭部にN125、左半球潜時約400ミリ秒の陰性波、左右半球対象にP600という成分があらわれ、下接の条件違反にたいしては、P200およびP600が前頭部あたりで認められた」(p. 105)ということが紹介されていました。しかし、この結果をもたらした研究の方法にはいくつかの大きな問題点があるため、これらの成分をそのまま普遍文法独自の事象関連電位成分と結論付けるには時期尚早であると述べられていました(p. 106)(しかし、その語著者が行った数量詞の移動の研究では、下接条件の違反の結果と酷似した結果が得られており、P200P600は文法演算処理に係わっているかもしれないとの見解も示されていました(p. 114)。

また、著者らが行った研究で興味深い結果が紹介されていました。「文は語彙範疇の項目と機能範疇の項目が一定の順序で積み重なって作られている。失文法患者は、階層上低い位置にある語彙範疇の要素および否定や時制の間違いは、容易に気づくことができたが、高い位置にある補文辞や疑問詞の間違いは、なかなか気づきにくかった。事象関連電位のデータをみてみると、もっとも低い位置にある名詞や動詞について扱っている選択制限からは、はっきりとしたN400があらわれている一方で、もっとも高い位置にある補文辞からは、目立った成分はあらわれなかった。その中間にある時制からは陽性ではあるが、N400とは異なった成分があらわれている。N400が意味的な処理にかんする成分であることを考慮すると、節の階層構造は、下から意味情報量の多い要素の順番で積み上げられているといえるかもしれない。(改行)事象関連電位成分の強さ、意味情報量の多さ、文の階層性の三者に相関関係が認められ、かつ、それは、失文法患者の発話の中でのあらわれ方や文容認性に対する敏感さの度合いとも、偶然に一致する。言語学で仮定されている階層構造という概念が、もし脳の中の活動に対応づけられているとすれば、実に驚くべきことである。」(pp. 111-112)。このような結果を見ると、やはり生成文法の考えというのは理にかなっているのかなと思えますね。

<エピローグ>

最後に、エピローグの箇所で、著者はことばの脳内での処理の仮説としてこれまで提起されてきた内容を整理します。まず、話しことばの場合は、「耳から入ってくる音は、左右半球の第一次聴覚野に入り、つぎにはほとんどの人では左半球のウェルニケ領域、角回、縁上回でことばとして理解される。話しをするためには、さらに弓状束をへて、前頭葉のブローカ領域にわたり、発話のためのプログラムが駆動して、それが運動皮質に送られ、発音器官の中枢からの指令で、唇、舌、喉頭などの筋肉が活動して話すという行為が行われる。その際、運動の準備段階で補足運動野がかかわっている。」(p. 115)とまとめられています。書きことばに関しては、「左右両視野から入った信号が、後頭葉の視覚野から視覚連合野に伝えられ、文字の視覚パターンを認知する。それが角回につたえられると文字が音に変換されて意味をもつ。側頭葉下部につたえられると文字の意味は想起されるが、音との結びつきはなされない。第2章でみたように、この部分に損傷をうけた語義失語患者は、仮名は読めるが、漢字の音読みと訓読みを誤ったり、意味を無視して音のつながりだけで漢字の書き取りをしてしまう。」(pp. 115-116)と述べられています。また、音読(文字を声に出して読むこと)に関しては、「角回と側頭葉下部の両方から入ってきた情報が、ウェルニケ領域で聴覚的な情報と結びつけられて、さらに弓状束をへてブローカ領域、さらに運動野につたえられる」(p. 116)と考えられているそうです。しかし、このような目に見える行為や活動はあくまでも言語運用であり、運用を可能にする言語知識または普遍文法での心的演算処理に関しての研究が行われる必要があると述べられています。

言語知識に関する心的演算処理には2種類あると考えられています。1つは、「抽象的なレベルでの「規則の適用による文法演算処理」」(p. 117)です。この処理を行うのは「おもに左前頭葉の下部にあるブローカ領域およびその周辺の皮質、皮質下の神経構造と回路網が慣用していると考えられる」(p. 119)そうです。ブローカ領域は「かなり早い時間帯での自動的な直列文法演算処理を行うための資源を提供している機能的モジュールのありか」(p. 119)と捉えられています。もう1つの処理は、「音と意味による「パターン連想処理」」(p. 122)で「並列的な多重結合ネットワークによる処理方法で、連想記憶やそれにもとづいたアナロジーにかかわるもの」(p. 122)と考えられています。この処理は、左半球側頭葉の広範囲が関与していると考えられていますが、まだほとんど検討されていないため、今後の研究を待つ必要があるようです。

最後に、ウィリアムズ症候群という遺伝性疾患が紹介されていました。この患者の症状では、「視覚的空間的認知能力に障害がある一方で、ことばについては驚異的な能力を発揮するという。とくに並外れた語彙能力をもち文法にも何も異常がない。(中略)この疾患は一対の第七染色体のうち片方で遺伝子の一部が欠けていることにより生じると言う。さらに、面白いことに、この遺伝子の欠失は、脳の視覚領域の成長に影響をおよぼす一方で、前頭葉や側頭葉などといった部分には害をおよぼさないという。」(p. 126)という特徴があるそうで、「一般認知能力はそのままで、文法のある側面にかぎって障害のある家族性言語障害とはみごとに対照的である」(p. 126)と述べられていました。

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2012年9月 8日 (土)

友永雅志(2008).「コミュニケーションと社会-チンパンジーの認知発達からみた社会的相互交渉の進化」を読む(入來篤史(編),『言語と思考を生む脳』,東京大学出版会)

私の研究とはそれほど関係しないんですが、言語学の本なんかを読んでいると必ずチンパンジーに言語を教えるという試みの話が出てくるので、最近の研究はどうなっているのかが気になり、読ませてもらいました。この章では、私が今まで考えたことがなかった比較認知研究というものが紹介されており、勉強になりました。読んでよかったです。

友永雅志(2008).「コミュニケーションと社会-チンパンジーの認知発達からみた社会的相互交渉の進化」.In入來篤史(編),『言語と思考を生む脳』(pp. 163-191).東京大学出版会.

感想:著者は、チンパンジーら類人に言語を教えるという試みの研究の変遷を分かりやすく説明してくれます。基本的には1970年代で最盛期となり、1980年代には下火となったそうです。1970年代の研究の成果は、大雑把に言えば類人はヒトのような言語能力を有していないということになるそうですが(p. 170)、意味論や語用論の観点からの視点が抜け落ちていることや、チンパンジーらが習得した語彙はヒトが用いる語彙と同じだったのかどうか十分に検討されていないなどの課題も残っており、もっと冷静に実証的な研究を行う余地は大いに残されているようです。しかし、1980年代後半から、比較認知研究(チンパンジーの認知をヒトの認知の観点から評価しようとするのではなく、チンパンジーから見た世界そのものを探ろうとする研究)や社会的認知研究(いわゆる「心の理論」に基づいた研究で、チンパンジーは「他者が心を持つということを前提に他者の行動の理解と予測を行っている」(p. 163)かどうかを調査する研究)が発達し、再び類人研究が盛んになってきているそうです。

著者らは、特にチンパンジーに注目し、彼らの認知発達はヒトの認知発達とどのように異なるのかを調査し、その結果が報告されていました。私は、ここでの記述を見て、チンパンジーとヒトの認知発達に共通点がとても多いことに驚きました。ここでは、本章で強調されていた、チンパンジーとヒトの違いについてのみ紹介します。ヒトとチンパンジーの乳児は、母親と見つめあいを通して「わたし」と「あなた」という2項関係を作り上げます。しかし、ヒトは、さらに「わたし」と「あなた」の間に「もの」を介在させて、3項関係を気づくことができます。乳児は自分が興味を持ったものを指さし、母親にもその対象に注意を向けさせ(共同注意)、その行動の中に巻き込むことになります。これは、「他者の心を理解する能力である「心の理論」に至るヒトの社会的認知の発達の中でも非常に重要な役割を果たす」(p. 180)そうです。ちなみに、チンパンジーの場合は、興味のある対象が視界に入ってきたときは、そこに母親を巻き込むことはせず、「もの」と「わたし」という新たな2項関係を築くのみだそうです。つまり、ヒトは2項関係のみならず3項関係という形で相互交渉を行うのに対し、チンパンジーは2項関係でしか他者と相互交渉しないという違いがあるそうです。ただし、注意すべきは、だからといってチンパンジーが他者の心的状態を理解できないということを意味するわけではないということです。著者は、チンパンジーにはチンパンジーなりの他者理解の方法があるはずであると予想しています。

また、個人的に面白いと思ったのは、ヒトは生後1-2ヶ月ごろからは社会的微笑みができるようになり(ちなみにチンパンジーの新生児も同時期にこのことができるようになるそうです)、他者との相互交渉が始まることになりますが、大人はそんな新生児の微笑みを引き出そうと一層子供に働きかけるようになります。つまり、相互交渉の機会が増えていくわけです。本当にうまくできているものだなと感心しました。ちなみに、生まれたてでも赤ん坊は笑いますが、それは反射の一種であり、笑っているように見えるだけです。したがって、情動は伴っていないとのことでした。

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2012年9月 7日 (金)

千葉克裕(2012).「第2言語学習者の語彙処理過程に関する研究-脳機能画像法による検証-」を読む(『JACET言語教師認知研究会研究収録2012』)

L2学習者の語彙処理過程が、熟達度の違いによって異なるかどうかをMEGという装置を使用して分析しようとしている研究の経過報告です。

千葉克裕(2012).「第2言語学習者の語彙処理過程に関する研究-脳機能画像法による検証-」.『JACET言語教師認知研究会研究収録2012』,45-49.

感想:著者は、「初級学習者が第2言語の語彙を第1言語の翻訳を通して理解しているか、上級学習者は翻訳を介さず直接L2を理解しているか」(p. 45)ということを調査しようとしています。そして、先行研究では、fMRI、EEG、MEGの計測装置別にL2の意味処理プロセスに関する先行研究が整理されていました。ここで示されていた先行研究の結果のみを羅列しますと、(1) 初級学習者は左下前頭回と左下頭頂小葉が賦活するのに対して、上級学習者は賦活しないこと、(2) 上級学習者は左中側頭回が賦活するのに対して初級学習者は賦活しないこと、(3) N400はL1よりもL2で強く現れること、(4) L1からL2への翻訳でのみN400に強く影響を与えること(逆方向はなし)、(5) 文章と単語でN400は同様に観察されること、(6) 文処理では250ms前後の前側頭葉の活動が活発化すること、などが紹介されていました。

著者の調査方法や調査材料に関する有用な情報が掲載されており、特に刺激語と非英単語の選択で参考にした資料はとても便利だと思いました。自分の研究の参考にさせてもらいたいと思います。

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入來篤史・山﨑由美子(2008).「概念形成と思考」を読む(入來篤史(編),『言語と思考を生む脳』,東京大学出版会)

サルのF5野と7b野で見られたミラーニューロンの働きを調べた研究が整理され、それが少しずつ活動を変化させたことで、ヒトに特有な概念抽象能力が生まれたのではないかという可能性が示唆されている、非常に興味深い論文でした。

入來篤史・山﨑由美子(2008).「概念形成と思考」.In入來篤史(編),『言語と思考を生む脳』(pp. 135-161).東京大学出版会.

感想:著者らは、概念とは何かということから議論を始め、サルのミラーニューロンの特性を調べた研究をレビューする中で、これらの働きが徐々に柔軟性を帯びることでヒトは「概念」(さらには言語(p. 150))を持ち得たのではないかという主張がされていました。パッと見は大胆な考えではあるのですが、この章で豊富に示されている調査結果などを見ていくと、最後にはその可能性を強く感じるようになりました。動物にもヒトと近いような思考ができる種があるようですが(サルやアシカ、セキセイインコなどの事例が紹介されていました)、やはりヒトの概念形成の力は圧倒的なようです(p. 155)。

著者らは、サルのF5野と7b野に関しては、次のようにまとめていました。「F5野のニューロンは、動作主が異なっても、重要な結果へと導く一連の行動に対して反応を示し、7b野のニューロンは、一連の同じ動きであっても、もたらされる結果によって反応を変えていることから、両者のはたらきによって、機能的な動作と結果が分節化されている可能性が示されている。サルの7b野は先のF5野と双方向の連絡があることから、F5野と7b野のミラーニューロンが似たような反応を示しつつも、異なる特徴を持つということは、驚くべきことではないといえよう。」(p. 151)

なお、ヒトが持つとされるミラーシステムに関しては紹介のみされていました。ニューロンという極めて小さな対象についての論文であるにも関わらず、その示唆するところは非常に大きく、思考が非常に刺激されました。こういう論文を読むと、自分がそれまでにあまり考えていなかった思考に触れることができ、ありがたいです。

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2012年9月 6日 (木)

横山悟(2010).『脳からの言語研究入門 最新の知見から研究方法まで』を読む(ひつじ書房)

脳と言語に関する研究は欧米主導で実践されており、英語による文献がほとんどであるという理由から、本書では専門用語を日本語と英語で併記してあり、とてもreader-friendlyです。fMRIを使用する研究に特化した話が全体としては多いのですが、言語の脳科学的アプローチの入門書として非常に有用な本だと思いました。

横山悟(2010).『脳からの言語研究入門 最新の知見から研究方法まで』.ひつじ書房.

感想:

1部:脳からの言語研究における準備

<第1章:脳についての基礎的な知識>

1章では、まず脳の大まかな構造として、大脳、脳幹、小脳の解説がされています。近年では、小脳も言語能力に関係するという報告があるそうですが、まだあまり明確に解明されていないそうです。次に、大脳に関してもう少し詳しく説明がされます。まず、両半球に関して、基本的には左右対称の形と大きさをしているそうですが、個人差も大きく、人によっては左右が対称でない場合もあるそうです。また、4つの葉、それぞれの大まかな機能が解説されます。前頭葉は、言語、短期記憶、認知作業のための統括機能、思考、想像、身体の制御、といった機能が述べられていました。側頭葉は、カテゴリーに分かれた情報の記憶、出来事の記憶(側頭葉の内側に位置する海馬との関係で)、聴覚、が紹介されていました。また、海馬の「損傷すると新しい出来事を学習・記憶することができなくなるが、言語の学習能力は維持される」(p. 7)という点はとても興味深いです。頭頂葉は、体性感覚、空間情報、短期的な記憶、が挙げられていました。後頭葉は視覚について言及がありました。ここには、脳から見て目と耳がどのあたりにあるのかという写真もあり、とても面白いです。また、基本的には言語に関して左半球が優位半球とされますが、右利きで数%、左利きで3050%、言語の優位半球が右半球という人もいるそうです。また、仮に優位半球が左脳だったとしても、右脳でもその活動は左脳よりも弱いものの、同等の部位で同様な活動パターンが観察されるといった報告もあるそうです。

次に、4つの葉を更に詳しく見ていきます。基本的には、「上・中・下、葉の名前、回・溝、の組合せによって言い分けられている」(p. 11)ということがよくわかりました(一部、角回や縁上回など例外はあります)。更に、脳の内部の図も示され、そこでは紡錘状回、舌上回、楔部、楔前部、など、近年の言語との関係が報告されている部位が分かりやすく改札されていました。この章では、4つの葉の細部、さらに脳の内部について分かりやすく解説されており(なかなかここまで詳しく書かれている入門書は一般にはないのではないかなと思いました)、とても助かります。

<第2章:脳の調べ方>

2章は、脳の調べ方についてです。最初に脳の研究方法の歴史が概観されています。ガルの骨相学(これは20世紀に大脳生理学の発展により否定されることになったそうです)、ブローカの研究、ウェルニッケの研究、と簡潔に説明がされています。一般には、脳の損傷例の研究がいちばん有力な情報を提供すると考えられがちですが、「脳の損傷例は仮説を一般化できるほどの数が集まるわけではない、という弱点がある。また、損傷する場合は脳の局所のみを損傷する例が少なく、大きく複数の部位を広く巻き込むことが多い。また損傷例の報告では、そもそも「健常な人間では脳はどう動いているのか」という質問に答えることが難しい。」(p. 16)という問題点があるそうです。そして、その結果として脳機能の計測用装置が開発されてきたそうです。

次に、具体的に脳機能計測装置について説明がされます。まず、神経細胞が発する微弱な電気的・磁気的な信号を捉えるものとして、MEGEEGが紹介されています。これらは時間解像度には優れているのですが、頭皮の表面上の信号しか捉えられないというデメリットがあります。しかも、そのデータから脳の中の活動を推定しようとすると、難解な数学的計算を行う必要があり、しかも精度が落ちると言われているそうです。次に、神経細胞が活動する際にそれに伴って生じる血流や代謝の変化を見る装置として、fMRIPETNIRSが紹介されています。fMRIPETは空間解像度に優れているそうです。ただし、これらの装置は神経細胞の活動自体を捉えているわけではなく、しかも実際の神経活動と血流・代謝の変化には約6秒のタイムラグが生じ、神経細胞の活動がいつ生じたのかということについて議論するのは難しいそうです。なお、NIRSに関しては、空間解像度もそこそこ、時間解像度もそこそこだそうで、これを便利ととらえるか、中途半端と捉えるか、ということで意見が分かれると思います(装置の特徴の一覧表がp. 20に示されています)。最近ではMMG/EEGfMRI/PETを組み合わせて使う研究も行われているそうです。ただし、PETは放射線の被ばくが伴うので、何度も同じ人に調査に参加してもらうことが難しいという点は注意が必要です。それ以外(NIRSも含めて)は、電磁波を浴びることになりますが、これが健康に害を及ぼすことは報告されていないため、現在は非侵襲的とされているそうです。

また、機能局在説を取り上げ、これまでの脳機能研究は、現在の研究も含めて、ほとんどが機能局在説に基づいて研究がされているそうです(実際に、視覚野や聴覚野など、機能と領域がきれいに対応する部位が分かっています)。

次に、調査方法の前提として、差分法が詳しく解説されています。そして、「研究上で差分が行われた統計解析結果としての図を見ると、ある特定の部位のみが活動があったように見えることが多い。しかしそれは、関連のある特定の部位以外の部位の活動が差分によって引かれているということを意味している。さらには、統計的な域値を決めて、その域値を超えている活動のみを画像化しているだけであるため、差分の効果以外にも、活動はしているが見えていない、ということを理解する必要がある」(p. 25)と指摘さていました。この指摘は非常に重要だと思いました。

この章では、最後に最近の脳機能データに対する考え方の変化が紹介されています。まず、Natureなど科学界最高峰の学術雑誌では、機能局在仮説に基づいた論文が掲載されなくなりつつあるそうです。というのは、機能局在ではなく脳内をネットワークとしてとして、functional connectivityeffective connectivityというものが提案されてきているそうです。前者の考えに基づいたfMRIデータ解析法には、Psycho-physiological Interaction、後者の考えに基づく方法にはDynamic Causal ModelingGranger causalityなどがあるそうです。また、従来の研究とか考え方を逆転させ、「「この脳活動の場合はどのような行動を行っているのだろう」というように、脳機能データから実際の人間の思考や行動を読み取る」(p. 26)という考え方に基づく研究も行われており、Multi-voxel pattern analysisというデータ解析方法も提案されているそうです。ただし、これらの新しいデータ解析方法はとても困難であるため(統計や脳機能データに関する高度な知識が求められるそうです)、使用する際には専門家の指導を受ける必要があるそうです。

<第3章:脳機能研究のための準備>

3章では、脳機能研究のための準備について整理されていました。調査を実際に行うというかなり具体的な状況において役立つ情報が満載でした(たとえば、装置の設置してある施設の利用方法についてなど)。主にfMRIを使った調査が主眼ではありますが、その他の計測機器を使用する場合で考慮に入れておくべき重要な点が解説されていました。個人的には、(1) fMRIデータ解析用のソフトウェアと刺激提示ソフトの紹介、(2) ブロックデザインとイベントリレイテッドデザインの違い及びそれぞれの長所と短所、(3) fMRIデータの統計的分析についての基礎知識、(4) 実験用刺激の選定に関する注意事項、がとても勉強になりました。

特に (2) に関しては、自分が実際にNIRSを使って調査する場合でも、事前に各デザインの特性を踏まえた上で慎重に検討する必要があると思いました。ブロックデザインは、同一刺激に対する脳活動の検出にはすぐれていますが、その刺激の中に含まれてしまった特定の異質な刺激反応を検出するのには向いていないそうです(例えば、正誤判断をさせるような課題で、正答と誤答が混じっている場合、前者の反応から後者の反応を切り離すのは難しいそうです)。さらに、プライミング効果が生じやすいという点も指摘されていました。それに対して、イベントリレイテッドデザインでは、正答だったものと誤答だったものの区分けには向いているのに対して、同一刺激への反応を捉える力はブロックデザインに劣るようです。また、言語について調べる場合は、30問程度の問題数を設定することが多いということも紹介されていました(p. 37)。

(3) に関しては、ソフトによってはT検定で片側検定、F検定で両側検定になるというものもあるそうですので、慎重にならなければならないなと思いました。また、差分法で得たデータをどのように統計処理すればよいのかということも説明してあり、とても勉強になります。また、特にSPMというソフトを使用する場合は、uncorrected(統計的な誤りの確率に関する補正をしていない)のp.001という基準を使用することが多いそうです。なお、多重比較補正を行ったp.05という基準が求められることもあるそうですが、これは実際にはかなり厳しい基準であり、要求されることは減ってきているとのことでした。この基準に代わって、「uncorrected p0.001かつ脳活動の広さがある程度あれば容認する」(p. 39)という考え方も出てきているそうです。

(4) に関しては、プライミング効果、頻度効果、心象性(イメージのしやすさ)、言語表現の自然さや不自然さ、といった要因が脳活動に影響を与えてしまうので、刺激を作成する際にはこれらの点に注意する必要があるということが説明されていました。また、fMRIでは、時間解像度と空間解像度がトレードオフの関係になっていて、調査をする際にはどちらをどの程度重視するかを十分に考慮してパラメータの設定を行わなければならないということが述べられていました。また、fMRIを使用した調査での注意点はとても重要だと思います。一般的な英語教育学の調査のつもりでこの装置を使用すると大参事が起こりかねないと感じました。

<第4章:脳における言語理解研究>

4章では、fMRIを用いた言語理解研究について、最新の情報が分かりやすく紹介されています。著者は、まず単語理解の研究について紹介します。最初に音声によるインプットと文字によるインプットの処理の違いが説明されていました。具体的には、(1) 一次聴覚野の特に前側が言語音に特化して処理すること、(2) 一次聴覚野の後部は音韻と意味との間のインターフェイスとして働いている可能性があること、(3) 文字によるインプットの場合は、まず視覚野で物理的な視覚情報処理がなされ、その後で言語特有の文字として紡錘状回で処理されること、(4) ただし、紡錘状回は文字そのものや綴りの処理というよりは、その先の語彙や意味情報の処理につながる入口としての役割を果たしている可能性があるという考えが優勢になりつつあること、(5) 音声によるインプットであろうと文字によるインプットであろうと、単語理解処理中の音韻情報処理や語彙・意味処理は共通であること、が述べられていました。

次に、作業記憶の実在性に関する調査報告がまとめられています。(1) 音韻情報の保持には左半球の下前頭回前側と縁上回が関係しており、これらの部位が音韻情報の短期保持システムを担う神経基盤と考えられていること、(2) 縁上回では短期的な音韻情報保持そのものを担い、下前頭回前側は短期的に保持した音韻情報をリハーサルすることで、より長い時間保持しようとする処理と関係していること、が述べられていました。

次に、語の意味処理に関して整理されます。ここでは、(1) 下前頭回はこれまで意味処理の中心的な役割を担っていると考えられてきたが、実は意味処理における認知負荷によってその活動が引き起こされている可能性があること(つまり意味処理そのものではない可能性があること)、(2) ただし、下前頭回を細かな下位構造に分けて考えると、その下側に位置する眼窩部は単語の意味処理に特有の機能を有しているという報告があること、(3) 側頭葉の中側頭回・下側頭回が意味情報を意味的なカテゴリーに分けて貯蔵・記憶し、長期記憶として機能していること、(4) ただし、意味情報に関与する感覚野・運動野にも、運動や感覚の刺激を受けた段階で記憶が残り、その単語を読んだり聞いたりするだけでその部位が活性することが報告されていること(「単語情報の意味的な記憶は、側頭葉のみに全てがカテゴライズされて貯蔵されているのではなく、運動野感覚自体を担う部位も運動や感覚の経験による記憶を通じて関与している」(p. 56)、(5) 単語の文法的なカテゴリーに応じた処理の違いについてはこれまで調査結果が一貫していないこと、が紹介されていました。

次にメンタルレキシコンの神経基盤についての報告がまとめられていました。(1) 規則に基づく形態的変化を伴う語の処理は規則による処理が行われ、手続き的記憶として記憶されているのに対して、不規則変化を伴う語の処理は存在せずにそのまま全体の形でメンタルレキシコンに貯蔵されている(宣言的記憶として記憶されている)という考え方があること、(2) 少なくともこれら2つの脳内処理は異なっているだろうとする結果が出ていること、(3) ただし、(1) を明確に指示する結果がまだ出ていないこと、(4) 手続き的記憶に関与するとされる脳部位は前頭葉や脳の基底核(内側部)である一方、宣言的記憶は側頭葉が関与しているという考え方が一般的であり、そのことを支持する結果も出ているが、この通りの結果になっていない調査もあり、いずれにせよまだ研究の数が少ないので、今後の研究を待たねばならないこと、が述べられていました。

最後は、脳内での文理解についての結果です。統語処理と関係しているとされるブローカ野の研究がこれまで盛んにされてきて、まだ最終的な結論は出ていないものの、「ブローカ領域は統語処理というよりは、言語処理時に必要となる想定される作業記憶やその他の認知処理との関係が強そうだ、という結論に向かいつつある」(p. 59)そうです。また、ブローカ領域以外でも文理解や統語処理の働きを研究した調査もあります(ただし、活動が報告されている部位は異なっているそうです)。いずれにせよ、文理解の研究はまだそれほど進んでいないのか、あまり記述が多くありませんでした。また、ここでは作業記憶が人間以外の動物にも備わっていることが指摘されていました。最後に、コラムでは、まだ研究の成果が少ないので何とも言えないというこが断られつつも(特に母国語習得過程に関するデータが不足しているそうです)、母語と外国語の発達・習得過程は脳科学的には異なっているということが言えそうであるということが書いてありました(p. 63)。外国語学習では、学習が進むにつれて脳活動が盛んになり、あるピークを過ぎるとその活動が下降するという仮説がSakai他(2005)によって提案されていますが、まだこのことを裏付ける証拠が少ないということと、学習が進むにつれて脳活動が増加し続ける(減少しない)という報告もあるということが触れられていました。

2部:fMRIデータの解析方法

<第5章:fMRIデータのコンバートから、被験者群の解析結果提示まで>

この章は、SPM8というソフトを用いた場合の具体的な分析マニュアルです。私はこのソフトは使用したことがないのですが、パソコンで提示される画面とともに丁寧な解説が付けられていますので、fMRIを使った研究でこのソフトを使ってデータ分析をする人にはとても有用だと思いました。

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