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2012年6月20日 (水)

入來篤史(2008).「総論-霊長類知的脳機能の進化」を読む(入來篤史(編),『言語と思考を生む脳』,東京大学出版会)

ヒトの脳の進化について概説的に述べられている章でした。

入來篤史(2008).「総論-霊長類知的脳機能の進化」.In入來篤史(編),『言語と思考を生む脳』(pp. 1-19).東京大学出版会.

感想:脳が拡大し、その機能が爆発的に開花したのは10万年前だそうですが、ここ10万年の間に遺伝子はほとんど変化していないそうです。つまり、ヒトで生じた量的変化はごくわずかであったと言えます。しかし、その質的変化は非常に大きなものであったと著者は指摘します。そして、著者は「ヒトで生じた新たな脳領域で、これまですでに要素的に用意されていた機能が、何らかの新規遺伝子あるいは環境からの触媒作用を受けて、このような知的脳機能が創発したと考えると説明できるのではなかろうか」(pp. 1-2)と著者は述べます。

著者は言語と思考を生物学的に位置づけます。そしてそれらは純粋脳内現象であり、「他の個体の純粋脳内現象とのみ直接共鳴する。共鳴を起こすための媒体が「コミュニケーション言語」である。脳は、物理的自然界を介さない機能を獲得した。」(p. 3)と述べられていました。また、「いわば「自然現象」としての生命活動から、新しく付け加わり乖離逸脱した「内的現象が滲み出した」現象である。つまり、外界に対して直接的な効果を生み出さない。外界にあって、同様に「心」を持つ「主体」にはたらきかけたとき、初めて「効果」を生み出す。その効果は、その主体の内的な現象に対してのみである。」(p. 2)とも述べられていました。

単細胞生物から哺乳類までのほとんどの生物は、その運動の基本は「移動」であり、自然現象の一環として考えられます。それに対して、ヒトの祖先が道具を使用し始めたときに関して、「道具が身体の一部となると同時に、身体は道具と同様の事物として「客体化」されて、脳内に表象されるようになる。事故の身体が客体化されて分離されると、それを「動かす」脳神経系の機能の内に独立した地位を占める「主体」を想定せざるをえなくなる。その仮想的な主体につけられた名称が、意思を持ち感情を抱く座である「心」というものではないか。」(p. 5)と述べられています。そして、「心」を他者にも認めざるを得なくなり、動かす対象に他者も含まれるようになり、心の相互作用が始まったのではないかと述べられます。そして、文化社会が形成され、精神文明が生み出され、さらに科学技術文明が発達してきたのではないかという見解が示されていました。

これまで進化や心の創発については、「自然環境からの要請と選択のみによって説明しようとする、要素還元論的な自然淘汰による、いわゆる「ダーウィン進化論」」(p. 6)が主流だったそうですが、最近では「行動変化が進化の駆動力となっている」(p. 6)というニッチ構築論が定式化されつつあるそうです。ただし、その生物学的メカニズムについては明らかにされていないとのことでした。

次に人は10万年前になぜ過去にないほどに飛躍をしたのかということについて述べられています。著者によれは、その駆動力となったのは道具使用そのものではないと述べます。むしろ、それは「将来を見越して、洞察的・意図的に環境の変化にはたらきかけ、そして自らの変化を積極的要因である「思考」、そして文化の伝搬継承の手段となる「言語」を生み出してコントロールする「こころ」の創発だったのではないだろうか」(p. 7)と述べています。そして、「何らかの要因によって、動物の知的な脳機能とその産物である道具などの環境要因が相互作用し、逐次階層を積み重ねるという方法によって、双方が次第に(しかし加速度的に)複雑化し拡大していったのではないだろうか」(p. 8)と述べられていました。そして、その要因の可能性のひとつとして「「自己」という概念の確立とその「意図」の意識化」(p. 8)があったのではないかとされています。ヒトの爆発的な飛躍以前は、環境に変化が生じ、それに対応するために偶発的に行動などを変化させ、均衡点に到達して安定するというものを繰り返していたのですが(受動的ニッチ構築)、これらが確立されることにより、環境と生物の相互作用が意思によって制御され、立つ続けにニッチ構築を引き起こすメカニズムを確立したと述べられています(意図的ニッチ構築)。このようにして道具を外在化した後に、情報とその処理も外在化させ、絵画、書字、録音、コンピュータなどが比較的最近になって生み出されたとします。そして、情報とその処理を外在化させる際に、「それまで環境の具体的な事物や事象と分かち難く埋め込まれていた情報を、抽象化・象徴化して情報のみを分離して、貯蔵し処理する手段を生み出さなければならな」(p. 8)くなり、言語という新機能及びそれによる思考が生み出され、心の外在化も可能になったとされます。「それらの情報とそれらを担う記号が、複数の個体間で共有されたとき、コミュニケーションが成立し、それを通して、人間社会が形成されたのであろう」(pp. 8-9)と説明されていました。そして、最近になって「ヒトにおいてさまざまな特殊な技能および精神活動を経験すると、主として頭頂葉と前頭葉の一部が拡大・肥大することが示され始めている」(pp. 9-10)そうで、ヒトのこのような発達が脳の拡大を約10万年前に引き起こしたことをサポートするような証拠も出始めているそうです(ただし、まだ多くの研究が必要なようです)。

次にヒトの脳の特性について述べられています。まず、1つ目は概念作用です。ヒトは多くの事象を区別し、分類する中で、全く同一ではないものを同一とみなすような特性を持っています。さらに、直接的には存在しない「性質」や「関係性」を規定し、それに適合するような要素を列挙するということもできます。これらのことに関して、「概念とは、このようにして形成された、抽象的特徴に依拠する具体事象のグループのことであると考えられ」(p. 11)、「このように形成された概念に貼られたラベルが、言語における名称賦与の原型ではないかと思われる。そして、これらの諸概念の構造や関係性を表象する形で統語や文法構造が現れて、その操作によって思考機能がヒト脳に与えられたのであろう」(p. 11)と述べています。

また、「自己」に関して、「感情に突き動かされる行為、「他者」との即時的関係性に依拠する行為、環境からの緊急要請に呼応する行為。これら各種の行為を担う別個の神経系それぞれに、その行為を発動する主体たる「自己」を想定することができる。脳内に分散して表現されていた、各種の自己が、偶発的行為によって、連携し、ネットワークとしての全体的な「統一的自己」を生み出したのではないだろうか」(p. 12)と述べられていました。さらに、ヒトはそれ以外の動物と違い、「行為の主体の「意図」、それを発動する原因となる「状況」と、「行為そのものの「型式」」(p. 13)を分けて記述することができます。そして、私たちの社会ではこの「意図」が重要なものとなっていると著者は指摘します。

最後に、このような基盤によって成立した人間文明環境の特性についてその特徴が述べられます。まず、ヒトは因果を希求する一方で、必ずしも正しくない論理に基づいて行動するという点が触れられていました。人は「AならばB」ならば「BならばA」を、「AならばB」かつ「BならばC」ならば「AならばC」を自動的に真とみなす傾向があります。しかし、実際にはこのことはかならずしも真になるとは限りません。しかし、ヒトは社会や文化によってある程度の安全性が保証されたので、このような必ずしも真ではないような論理性に基づいて物事を考え、一層の安全性を確立する中で科学技術を発展させたのではないかと述べていました。2点目として、芸術について触れられていました。原始生物などでは、「外界情報を検出する感覚器と、それに対する固有の運動を引き起こす効果器」(p. 18)は1対1で結びつければよかったそうですが、ここに進化が進んで身体構造が複雑化する中でこの関係性を維持することができなくなり、汎用処理装置が必要となり、その結果初期の単純な中枢神経が生まれたと著者は述べます。しかし、この段階ではまだ外界の情報しか処理がされず、芸術や美などは対象外です。しかし、情報処理が複雑化すると、外界と脳内が分離し、純粋脳内世界が誕生することになります。その中で夢や幻覚というものが可能となり、これらを見る機能は他の動物のは異なったヒトの脳の特徴であると述べます。そして、「純粋にヒトの脳の内部世界に宿る、究極的融解と現実構造の狭間、はかなくもうつろいやすい超多元的情報世界のゆらぎの中に、そして身体の感覚運動期間を通した摺り合わせの妙味の中に、我々は「美」を見いだす。それを「芸術」と名づけたのであろう。」(p. 19)と述べられていました。

とてもスケールの大きな章で、読み応えがありました。

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コメント

興味深いですね、なぜ人は美を感じるのでしょうね。

投稿: よし@お金持ち研究 | 2012年7月13日 (金) 01時50分

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