« 千野栄一(1975).「プラハのヤコブソン-プラーグ学派の成立まで-」を読む(『言語』) | トップページ | R.J.Gerrig(2011).「Individual Differences in Readers’ Narrative Experiences」を読む(『Scientific Study of Literature』) »

2012年3月 5日 (月)

P.Dixon&M.Bortolussi(2011).「The Scientific Study of Literature: What Can, Has, and Should Be Done」を読む(『Scientific Study of Literature』)

文学の経験的研究の成果、これからなされるべきこと、研究方法、文学の経験的研究が作り上げるべき理論、について整理してある論文です。詳細は以下の通り。

Dixon, P., & Bortolussi, M. (2011). The scientific study of literature: What can, has, and should be done. Scientific Study of Literature, 1 (1), 59-71.

感想:著者はまずこれまでの文学の経験的研究がもたらしてきた重要な点について説明していきます。それは "the object of literary studies should be the investigation of the interaction between reader and text, rather than simply the interpretation of texts or analysis of their style." (p. 60) という点で、著者はテクストと読者の相互作用のことをliterary processingと呼び、文学研究とはliterary processingの研究であるということを明確に示したことが挙げられていました。2点目は、literary processinの研究を認知面と情意面に分けて、それぞれの領域で研究を進めてきたことが挙げてありました。認知面については、読みの目的や文学読解を行うという期待がliterary processinに影響を与えることを示してきましたし、テクストのテーマはテクストと読者の相互作用の結果として、読者が多くの推論を行ったり、世界に関する知識を活用したり、一貫したメンタルモデルを構築することによって読者の中に心的に作り上げられる、ということを明らかにしてきました。情意面に関しましても様々な研究が行われてきています。このようなliterary processingの研究は、さらにこの処理が読者の特性によってどのように異なるのか、社会システムとどのように関係するのか、といった研究にも発展してきています。

次は、これから何がなされるべきか、ということについてです。まず、文学教育などのようなsocial conditioningがliterary processingにどのように関係するのかということがほとんど研究されておらず、このことについて今後研究が急がられると述べられていました。次に、文学の受容とその文脈の関係についてもまだあまり研究されていません。現在、その文脈についてはポスト・コロニアリズムやフェミニズムなど様々な観点が提案されていますが、ある特定の観点がいかにしてあるテクストの特定の読みを生み出すのかという点が研究されなければならないと述べられていました。また、このことを行うためには、まず文脈的要素の中のどの要素が科学的に研究できるのかということも見極める必要があるとも述べられていました。第3に、テクストの記憶についても調べる必要があると述べられています。一般的な談話処理研究ではテクストの記憶研究は盛んに行われていますが、こと文学読解になると研究がほとんどありません。この理由は、文学理論が理想的な文学読者のモデルを中心に研究を進めてきて、理想的な読者はすべての関連したテキスト情報を知覚、想起、処理できるはずであるという前提から研究が進められてきたことによるのではないかと著者らは分析しています。文学の経験的研究は実際の読者の読みについて研究するため、このような理想モデルに基づいた研究に固執するわけにはいきません。また、読みの期待が読解に果たす役割や文学読解の感情的側面についてももっと研究が重ねられなければならないと述べられていました。

次は研究手段についてです。テクストを理解するための研究手段、読者を理解するための研究手段、文脈を理解するための研究手段に分けてその手段が列挙されています(かなりありきたりの内容でしたので、このブログでは割愛します)。

また文学の経験的研究は理論を構築していく必要があります。どのような理論を作り上げる必要があるのかということについて、著者はrelational description(文学読解にかかわる様々な変数の関係の記述)、processing models、sociological accounts、authorship theories、models of reading in context、の5つをその例として挙げていました。

|

« 千野栄一(1975).「プラハのヤコブソン-プラーグ学派の成立まで-」を読む(『言語』) | トップページ | R.J.Gerrig(2011).「Individual Differences in Readers’ Narrative Experiences」を読む(『Scientific Study of Literature』) »

コメント

私は、文学の理論について初めて深遠の海底まで考えました。机上の空論も、生業も縄張りも・・・全ては頑なに取れない難しいものです。どういうことか?と問われますと、机上の空論すなわち砂上の楼閣と混同の言葉。我々は何をするにも頭で考え、動く。宇宙の神秘も小さな頭の中で考察していると考えられるのでは?生業だって頭の考えから生活を送る。そして・・・縄張りか。いつも群れをなし、固まろうとする。群れとは家族であり、固まるとは家を意味する。そんな家が何軒もそびえ建つこの世界。縄張りとは、怯えた者達が必死で身を守る手段なのだ。・・・ここまでの文章、理解できますか?できませんよね?つまりはそういうことなのです。例え文学、・・・そう、使っている文字が同じでも意味不明に羅列して並べたり、無闇に単語を述べても誰も理解できない!考えても繋がらない!言葉のカーニバルにしかならない!論文はそれらを綺麗にまとめて見やすくしたもの。だからといって、駄文は蛇足なのだろうか?否!そもそも無駄骨、無駄足なんてのは他人が決めていいものではない!私は・・ただそれだけが言いたくて、今日ここまで生きてきたわけではないが、少なくとも今、この瞬間はここにコメントするために生きていた。それだけは、わかってほしい。それだけは・・・。最後になりますが、この素晴らしい読書日記にコメントさせていただいたこと、厚く御礼申し上げたい。イタズラではありません。そんな下らない、取るに足らない感情ではここまで書けません。どうか気を悪くなさらずに。なにせ・・・明けない夜はないんだから・・・。何かあっても朝日が「なにをあくびしている?今は朝の6時。君が起きる6時間前から一日はすでに始まっているのだ。さあ、ゆけ!!成せばなるぞ!」と叱咤激励してくれる。長々と長文コメント失礼いたしました。では、お元気で。コメント削除しても構いません。

投稿: ITO KUN | 2012年3月 6日 (火) 16時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 千野栄一(1975).「プラハのヤコブソン-プラーグ学派の成立まで-」を読む(『言語』) | トップページ | R.J.Gerrig(2011).「Individual Differences in Readers’ Narrative Experiences」を読む(『Scientific Study of Literature』) »