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2011年9月 7日 (水)

K.マルクス&F.エンゲルス(1848/2007).『共産党宣言』を読む(大内兵衛・向坂逸郎(訳),岩波書店)

「ヨーロッパに幽霊が出る-共産主義という幽霊である」で始まり、「万国のプロレタリア団結せよ」で終わる非常に有名な一冊です。非常に断片的に書いてあるので(この書き方がその魅力でもあるのでしょうが)、著者らの思想の理解を深めることができませんが(おそらくは『資本論』などを読む必要があるでしょう)、訳もわかりやすく、とてもすらすらと読めました。本書の詳細は次の通りです。

マルクス,K.,エンゲルス,F.(2007).『共産党宣言』(大内兵衛・向坂逸郎(訳).岩波書店.(原著は1848年出版)

感想:本書には様々な版が様々な言語で出版されていますので、まず30ページほど序文が続きます。そしてそのあとで本編が始まります。著者らは、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(p. 40)と述べます。これまでの社会では、その階級構造は複雑であったそうですが、ブルジョア階級が台頭した時代(本書の原著が書かれた時代)にあっては、その階級構造は敵対する二つの陣営、ブルジョア階級とプロレタリア階級、に分かれるという単純な構造をしていると述べます(p. 42)。著者はブルジョアがどのように誕生し、社会の中で支配階級となったのかを工業(産業)の発展と関連付けながら整理していきます(pp. 42-51)。著者らはブルジョアは社会の中のあらゆる関係を金銭的価値に置き換えてしまったと批判します。しかし、過剰生産などによってブルジョアによる社会構造が行き詰まりを見せ始めたとき、彼らがそれまで支配してきたプロレタリア階級がその支配を終わらせる存在となったとしています(p. 51)(著者らは、ブルジョアとプロレタリアの関係を悪魔使い(しかも自分が召喚した悪魔を手に負えなくなった悪魔使い)と悪魔にたとえています(p. 50)。そして、著者はいかにプロレタリアがひとつの階級または政党へと組織されてきたかをレビューしています(pp. 51-56)。著者らは、「現在ブルジョア階級に対立しているすべての階級のうちで、プロレタリア階級のみがほんとうに革命的な階級である」(p. 57)と述べています。プロレタリア階級はこれまでの私的安全や私的保障も含めた「公的社会を形成する諸層の全上部構造」(p. 59)を破壊し、多数の人々の利益を目指した国民的闘争を繰り広げる必要があるとします(p. 59)。ブルジョア階級による「資本の形成と増殖」(p. 60)による社会はもはや存在することができないと述べられていました。

次に、共産主義は何を目指すのかが述べられています。共産主義の当面の目的として、「階級へのプロレタリア階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリア階級による政治権力の奪取」(p. 63)が挙げられていました。共産主義は、「所有一般の廃棄ではなく、ブルジョア的所有の廃業」(p. 63)、「伝統的所有諸関係とのもっとも根本的な決裂」(p. 74)をめざし、「労働者は資本を増殖するためにのみ生活し、そして支配階級の利益が必要としなければ生活することができないという、そんなみじめな取得の生活」(p. 65)、「取得によって他人の労働を自分のに隷属させる権力」(p. 67)を廃止しようとしています。そして、「プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとること」(p. 74)がその革命の主たる目標となるようです。どうやら、これまでの階級闘争(単純に支配階級が入れ替わるだけで社会の所有関係自体は変化しない場合)と違い、プロレタリア階級による革命は社会構造そのものを転換させる革命であると考えられているようです。そして、多くの進歩した国で取られている具体的な政策が10ほど列挙してありました(pp. 75-76)。

次に、様々な社会主義・共産主義が批判的に検討されています。当時は、社会主義や共産主義という言葉はかなり流行語であったようで、様々な考えがあったようです。まず、封建的社会主義について検討されていました。これは、貴族階級が自らが失った社会での支配を取り戻すために民衆とともにブルジョアに対して展開した運動のようです(著者らはこの運動は非常にくだらないものであったと考えているようです)。2つ目は、小市民的社会主義で、ブルジョア階級とプロレタリア階級の間に誕生した小市民層がプロレタリア階級側に立ってブルジョア階級を批判した運動のようです。この社会主義は、近代的生産諸関係を鋭く分析したのですが、古い所有関係を維持することにこだわったため、著者らはあまり評価していないようです。3つ目は、ドイツ社会主義(「真正」社会主義)と呼ばれるものです。これは、フランスでの文献がドイツに入ってきたときに、フランスの諸関係をドイツの諸関係に置き換えることで生じたそうです。しかし、当然フランスとドイツでは状況がかなり異なっていたそうで、フランスの原文にドイツの哲学的良心や調和をこじつけるといった事態となったそうです。そして、「真の社会に関する人間の本質の実現」(p. 83)のための考えといったかなり抽象的なレベルのものとなり、ドイツの小市民(プロレタリアではなく)に都合がよいように作り上げられてしまったもののようです。次は保守的社会主義(ブルジョア社会主義)が取り上げられています。これはブルジョア社会の存立のためにブルジョア階級によって展開されたものです。この社会主義の中では、根本的な社会変化は考えられておらず、あくまでもブルジョア的所有関係を保持した上での些末な変化のみが議論され、「ブルジョアはブルジョアである-労働階級の利益のために」(p. 89)というレトリックで進んでいるものを指しています。最後は、批判的・空想的社会主義(共産主義)です。この種の社会主義に則っている人々は、労働階級の利益となるように支配階級に働きかけるのですが、革命的な行動を起こすことは拒否し、階級闘争を調停しようとし、労働者階級が革命的な行動をとろうとするとそれに反対するという形をとるそうで、著者らはユートピア的であると評していました。つまり、それまでにあらわれていた社会主義(または共産主義)の中には真に革命的であると呼べるようなものは1つもなかったようです。

最後の章では、「共産主義者は、労働者階級の直接当面する目的や利益を達成するために闘う。しかし共産主義者は、現在の運動のなかにあって、同時に運動の未来を代表する。」(p. 95)と述べ、各国の共産主義者が現在どのように逃走しているかが簡単に述べられていました。そして、「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。」(p. 97)と述べられていました。

また、訳者である向坂さんはエンゲルスによる『共産党宣言』の序文から、本書を貫いて根本思想が説明されている箇所を抜き出しています。それは「経済的生産およびそれから必然的に生れる社会組織は、その時期の政治的ならびに知的歴史にとって基礎をなす。したがって(太古の土地共有が解消して以来)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち、社会的発展のさまざまの段階における搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級のあいだの闘争の歴史であった。しかしいまやこの闘争は、搾取され圧迫される階級(プロレタリア階級)が、かれらを搾取し圧迫する階級(ブルジョア階級)から自分を解放しうるためには、同時に全社会を永久に搾取、圧迫、および階級闘争から解放しなければならないという段階にまで達した。」(pp. 119-120)という箇所でした。

最初にも書きましたが、本書を完全に理解するためには『資本論』はもちろんのこと、他の多くの文献とともに読まないと分からないと思います。私はあくまでも本書がどんな本なのかに興味を持ったので手に取ったというレベルです(ですので、私は本書を100%理解しているわけではありません)。本格的にマルクスに取り組もうとされる方は他の専門書ご参照ください。

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2011年9月 5日 (月)

J.McRae(1996).「Representational Language Learning: From Language Awareness to Text Awareness」を読む(R.Carter&J.McRae(編),『Language, Literature & the Learner: Creative Classroom Practice』,Longman)

representational languageを通して言語意識を高めるための指導について、具体的な提言やCan-doリストが示されている教育学的文体論(pedagogical stylistics)の論文です。論文の中身は、現在ではすでに新しさを失ってしまっている内容なのですが、大切な事柄がまとめられています。本論文の詳細は以下の通りです。

McRae, J. (1996). Representational language learning: From language awareness to text awareness. In R. Carter & J. McRae (Eds.), Language, literature & the learner: Creative classroom practice (pp. 16-40). London: Longman.

感想:著者は、 "representational language teaching" (p. 17) の素案を提案しています。また、 "Where representational language learning differs from purely referential language learning is that the rules are questioned, played around with, and put to different uses as part of that ongoing process of language acquisition." (p. 17) と述べ、referential languageとrepresentational languageを対比させていました。著者は、representational languageは決してreferential languageとは独立した段階であったり、高次元レベルの言語、贅沢な言語ではないため、外国語学習の早い段階から指導すべきという考えを述べています(p. 20)。

また、いわゆる4技能に加えて5つ目の技能としてthinkingを加えることを提案します(p. 23)。そして、representational languageを通して言語そのものについて考えさせることも外国語教育の中で取り組まれるべきであると主張します(p. 23)。そして、学習者の言語意識やテクスト意識を学習の早い段階から養成していくことが必要だと述べていました(p. 24)。事実、この基準がないから、教師はrepresentational languageを扱うことに躊躇してしまう(従来の4技能ではrepresentational languageを扱った際のの学習者の反応や議論を評価しにくいと著者は考えています)(p. 22)。

次に、段階的に言語意識、テクスト意識を高めていく方法について提案されていました。一番最初の段階については、 "at the earliest level the focus will be on language - what is happenieng, how it is different from what learners have already acquired or learned, how familiar / unfamiliar is this particular example of language use, why is something being done with language in this way, who is doing it and to what effect?" (p. 26) ということから始めるように著者は述べます。次の段階として、最初の段階よりも長く、複雑で、様々な変異(方言、レジスター)を含んだrepresentational languageを使用し、言語意識を高めます。そして、最終段階として、テクストを他のテクストと比較して評価するなど、テクスト意識を持たせることを可能にするそうです(p. 26)。

また、representational language teachingで有用な発問のタイプが分類されていました。基本的にはCarter and Long (1991) による分類に基づいているようで、 "those which help in the understanding of the text, that is questions of comprehension and clarification (wh- questions are usual here); those which can be cosidered low-order questions, examining literal, referential levels of meaning, the propositional content of the text (questions on individual lexical items or paragraph cohesion can be considered of this kind)" (p. 28)が紹介されます。そして、著者はこれらに加えて "Then come the higher-order questions. which move beyond the referential or propositional level and on to response and interpretation, evaluation, and comparison with other texts. These questions involve inference, the evoking of the reader's own experiential baggage, cultural awareness, maturity, reading frame of reference, and so on." (p. 28) があるとし、これらは正答・誤答のはっきりしないオープン・クエスチョンの形を取るとしています。

なお、representational language teachingで大切なのはrepresentational languageを指導することそれ自体や文学性の指導ではなく、様々なテクストがどのように機能しているのかということを学習者に理解させることだそうです(p. 20, 28)。

そして、結論として、 "Learners are therefore being encouraged not to learn and repeart examples of language, but to develop their own thinking skills, and to acquire the language, and thereupon to organise the language and ideas into presentable spoken or written forms. It is never monochrome language, but rather language that reflects multiplicity of point of view, the possibility of several interpretations, a moving beyond the referentiality of facts and data - which, of course still retain their primary significance, but as part of language learning rather than as the be-all and end-all." (p. 30) と述べられていました。

本論文の残りの箇所では、representational language teachingに関連する概念がアルファベット順に列挙され、それぞれdo'sあんどdon'tsが整理されています。個人的には、現在関心を持っている文学教材のtestingとevaluationについて述べてあった箇所は興味を惹かれました。McRae (1991) に基づいたもののようですが、 "the ability to make connections and cross-references; the ability to quote and summarise contructively; the ability to balance arguments and reach conclusions; the ability to take subjective standpoints and relate them to objective criteria; the ability to contextualise;" (p. 37) を測定しなければならないと述べられていました。

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