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2011年8月22日 (月)

P.C.Hogan(1997).「Literary Universals」を読む(『Poetics Today』)

比較文学研究におけるliterary universalsを探求する研究プログラムの方向性について論じた論文です。文学という現象はすべての文化にあり、人間の作り出したものである以上は、何らかの普遍的性質を備えているはずであるという考えが前提となっています。本論文の詳細は次の通りです。

Hogan, P. C. (1997). Literary universals. Poetics Today, 18 (2), 223-249.

感想:最近の文学理論は "historical and cultural particularities" (p. 224) ばかりに注目をしており、 "cultural differentialism" に基づいた研究が進められていると著者は述べます。そして、これらの研究は文学という現象の普遍性を研究することを批判してきました。というのは、普遍性の研究は特定の1つの文化を規範とし、他の文化の特徴を覆い隠してしまう危険性がある(あるいは他の文化は基準となった文化よりも劣ったものと考えられる危険性がある)と考えられたためです。著者はこのようなタイプの研究は "hegemonic absolutism" (p. 225) と呼び、彼自身が目指そうとしているliterary universalsの研究とは区別しています。それに、そもそも普遍性の研究と個別性の研究は相反するものではないとも著者は述べます。両方の研究が必要で、お互いがお互いを支え合う関係になると著者は述べています(p. 226)。

次に著者が考える普遍性について詳しく説明がされます。 "The first important point about universals is that they are not necessarily properties of all liteary works. Indeed, such properties are rare, and often trivial... Rather, literary universals are properties and relations that are found across a range of genetically and geographically distinct literatures, which is to say literatures that have arisen and developed separately at least with respect to those properties and relations. More exactly, a propertiy or relation may be considered a universal only if it is found in distinct bodies of literature that do not share a common ancestor having that property or relation." (p. 228) そして、absolute universalとstatistical universalという考え方が提示されます。 "An absolute universal is merely a special case - a property or relation that occurs across traditions with a frequency of one. Universals with a frequency below one are referred to as statistical universals. On the whole, we should expect to find a limited number of hierarchies of statistically universal properties and relations, ordered according to abstraction and thus according to frequency (again, an abstraction increases, frequency can only increase or remail the same), with a few absolute universals at the apex of these hierarchies." (p. 228, emphasis in original) つまり、literary universalsとはいくつかのabsolute universalsを頂点とする階層構造をしており、一般的な内容になればなるほど多くの文化的伝統で見られ、より特殊な内容になるとその現象が見られる伝統の数は少なくなるというイメージで考えられています。また、著者は "a repartoire of techniques" (文学的技巧)は "nontechnical correlations" (人間の一般的な認知能力)の観点から説明がされなければならないということも主張します。また、ジャンルにはスキーマがあり、お互いに分離して考えることが可能であるということと、文学的技巧には、あるジャンルのスキーマにおいて必ず用いる必要のあるもの(obligatory)と用いることが可能であるもの(optional)があるということも忘れてはいけないと述べられていました。さらに、literary universalsとは indexical universalsでなければならないということも述べられています。indexical universalsについて、 "Indexical universals are those that are in part defined by reference to the particulars in which they are instantiated." (p. 236) と説明されています。つまり、様々な形で具現することができる特性をliterary universalsと考えているようです。

literary universalsの研究を進めるにあたって、著者はまずsecondary principleの抽出が必要であると述べます。 "A first step in an explanatory research program would be to abstract some sort of principle from this list [a wide renge of genetically distinct traditions - assonance, alliteration, parallelism, and so on], a principle that indicates what these items share and what pattern they form - ideally, in such a way as to relate this pattern to more general structures and purposes of verbal art. We could call such an abstraction from empirically observable patterns a "secondary principle."" (p. 237, the square brackets by the author of this blog) また、文学的技巧の機能についても定式化を行います。"a wide variety of formal literary techniques (alliteration, assonance, foreshadowing, circularity, etc.) function to maximaze relevance or patterning across encoded properties or relations with a normative limit at the point where such maximization would surpass the threshold of forced attentional focus." (p. 240, emphasis in original) 文学的技巧は日ごろ私たちが言語処理をしている特性などのパターンを極限まで高めますが、一定以上に使用されると芸術的価値を失います(より詳しくはpp. 239-240)。また、その「一定以上」というのは文化や個人によって異なりますが、著者は認知的な要因によってある程度は統制されているはずであると考えています。また、その文化的技巧がどの程度芸術的とみなされるかは、その技巧自身の特性以外に、知覚者自身の特性やコンテクストにも依ることを忘れていはいけません。最後に、著者はなぜ多くの文化的伝統の中で、詩の1行は5~9語となっているのかということについて考えます(1行あたりの語数に関するliterary universalについて考えます)。著者は、これは人間のrehearsal memoryの処理容量というnontechnical correlativeによって説明できるのではないかと述べます。しかし、実際には9語以上の文化的伝統や5語以内の文化的伝統もあり、多くの例外が存在します。その例外をうまくrehearsal memoryのような人間の認知能力の観点から説明し続けていくことでliterary universalsという研究プロジェクトは進んでいくと述べられていました。

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岡秀夫・金森強(編).(2009).『小学校英語教育の進め方-「ことばの教育」として-』(改訂版)を読む(成美堂)

小学校英語教育を研究する上での優れた概論と聞き、読みました。小学校英語教育のことが、理論と背景、実践で必要となる事柄、指導案や教材、に分かれて説明がされてあり、理論から実践まで広く学ぶことができました。本書の詳細は次の通りです。

岡秀夫・金森強(編).(2009).『小学校英語教育の進め方-「ことばの教育」として-』(改訂版).成美堂.

感想:小学校英語教育について非常に幅広く扱ってあります。特に私が関心を持った箇所は、(1) ことばへの「気づき」を促す英語指導 (pp. 50-52)、(2) 小学校英語教育では、「表現を「覚えねばならない」とか「まちがってはいけない」という意識ではなく、「覚えたら、うまく伝わる」という楽しさを軸に「外国語が役に立つという実感」を高める工夫が大切」(p. 67)であること、(3) 小学校から高校までを通して育てる資質や能力の表(p. 71)、(4) 「教師が言葉や文化に関する知識やスキルを教え込むのではなく、「体験的な理解」や「気づき」を重視した指導が期待されていること、児童が興味・関心を持って活動に取り組み、友達や先生、ALT等と関わり合いながら、外国語・言語のおもしろさ、コミュニケーションの楽しさや意義に気づかせる手立てが求められること」(p. 81)、(5) 外国語教育を通して育む第内別異文化コミュニケーション能力の資質(p. 84)、(6) 「コミュニケーション能力=人と関わる力」の育成が目標であること、(7) 文法への気づきを促すピクチャー・カードの使い方(p. 183)、(7) 音声指導は「聞かせる→考えさせる(イメージさせる)→見せる」の順で行うこと、(8) 真実の口という活動(p. 248)、です。具体的な活動や教材が多く収められているので、とても勉強になりました。また、小学校英語教育に関連した行政的資料や音声・歌を収めたCDもあり、小学校英語教育を勉強する人と実際に行う人両方にとってとても意義のある一冊だと思いました。私は小学校英語教育についてはほとんど知識がないので、これが最初の一冊となります。これを機にこの分野についても少し勉強してみようと思います。非常に細かく章わけがされていますので、今回は章立ての紹介は省きたいと思います。

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