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2011年1月31日 (月)

J.C.Richards&T.S.Rodgers(2001).『Approaches and Methods in Language Teaching』(第2版)を読む(CUP)

応用言語学の名著の1つを大学院の授業で院生さんと読みました。それぞれの教授法について色々と考えることができました。特に最初の2章と最終章をとても面白く読みました。

Richards, J. C., & Rodgers, T. S. (2001). Approaches and methods in language teaching (2nd ed.) Cambridge: Cambridge University Press.

<第1章:A brief history of language teaching

まず、著者らは言語教授法は、英語力観の変化や言語理論、言語学習観の変化に応じて変化してきたと指摘します(しかし、常に問題になっている事柄は今も昔も同じだと述べてありました)。そして、全世界の60%以上がマルチリンガルであるという状況において、外国語学習は歴史を通して常に重要な役割を担ってきたと述べます。現在の公用語は英語なわけですが、500年前はラテン語です。ラテン語が廃れて、16世紀にフランス語、イタリア語、英語が重要な言語となると、ラテン語をとりまく状況は大きく変化しました。まず、古典ラテン語は学校の科目となり、文法や修辞法の分析、機械的記憶学習、翻訳といった学習が行なわれるようになりました(Roger AschamMontaigne16世紀に、ComeniusuJohn Locke17世紀にカリキュラム改革とラテン語の指導法の刷新を訴えていますが、やはり学科科目としてのラテン語の地位はとても堅かったようです)。そして、ラテン語学習そのものが目的となりました。スピーキングなどはほとんど重視されず、せいぜい音読程度です。19世紀になる頃には、ラテン語のこの学習法が外国語学習法の基礎となり、文法訳読式教授法が確立し、教科書もこの指導法に応じた作りとなりました。文法訳読式は、ドイツの学問の所産とも言われており、アメリカでは最初はプロイセン・メソッドと言われていたそうです。著者らは、文法訳読式教授法の特徴を7つに分けて説明していました(pp. 5-6)。この教授法は18401940年代にかけてヨーロッパの外国語教授法として非常に流行り、現在でも少し形を変えたものが世界の至るところで見られます。この教授法は、ドイツ語とフランス語が古典的語と同じくらい精密な言語であるということを示すという目的にも利用されたようです。しかし、この教授法には、提唱者はもちろんのこと、基盤となる理論もありません。

19世紀中盤から末にかけて、この教授法に対する批判が現れ始め、Reform Movementが起こります。こういった動きのさきがけとなったのが、C. Marcel(フランス)、T. Prendergast(イングランド)、F. Gouin(フランス)でした。当時、ヨーロッパの国家間でコミュニケーションが増え始め、口頭外国語能力の必要性が高まり、結果として多くの市販の会話教材が出版されていたそうです(読解、文法、文学といったものからスピーキング能力へ求められる言語能力が変化した)。そして、彼らのような言語教育のスペシャリストによって個別に指導法が提唱されました。Marcelは子どもの言語習得が外国語習得のモデルとなると考えて意味の重要性を指摘する一方で、リーディングを他の技能に先立って指導する必要性を述べました。Prendergastは、子どもは文脈や状況における手がかりを使って発話を理解している点とスピーキングでは記憶したフレーズとルーチンを使っているという点を私的して、基本的な構造パターンを中心として指導を行なうべきだという考えを展開しました(構造シラバスの最初の段階で、後の教授法の先取りとなっています)。また、Gouinは子どもの言語習得を外国語習得のモデルとするべきという考えを他の2人と共有しつつ、言語学習は関連したいくつかの行動の連鎖からなるイベントを遂行することによって言語習得がなされるという考えを展開し、学習項目は文脈の中で指導すること、意味を伝達するためにボディー・ランゲージを使うこと、が大切だということを述べました(これは、後のSituational Language TeachingTPRを先取りしていると言えます)。しかし、これらの教授法は個人的に展開されたもので、当時はこのような実践を発表するような体制もできていなかった(応用言語学が確立していなかった)ため、大きな外国語教育改革にはつながりませんでした。

本格的なThe Reform Movementは、1880年代を待たなければなりません。この時代に、科学的な音声学が確立し、それを外国語教育に役立てようという学者が現れます(Henry SweetWilhelm Viëtor)。また、この時代にはIPAも設立されます(1886年)。彼らは科学的な根拠をもって外国語教育という問題に臨んでおり、その点で応用言語学の始まりとも言えます。しかしながら、指導法(method)を確立させることはなく、指導理念のみが提示されたということのようです。なお、The Reform Movementでは、子どもの母国語習得をモデルとして外国語教育を考えるという特徴があり、そのことからnatural methodsとも呼ばれ、その中で最もよく知られたDirect Methodを確立させていくことになります。

例えばL. Sauverは、意味がジェスチャーなどによって直接的に学習者に伝達することができれば、母国語を介さずに(翻訳を行なうことなしに)外国語学習を行なうことが可能であるということを主張し、The Natural Methodを提唱しました。そして、スピーキングが最重要視されます。このような教授法はThe Direct Methodと呼ばれるようになり、フランスとドイツ、アメリカで盛んに実践されました(アメリカではM. Berlitzが商業用言語学校で実践し、Berlitz Methodと呼びました)。なお、The Direct Methodは、正しい発音と文法を重視するという点が、非常に現在の音声中心の教授法とは異なっていて面白いです。The Direct Methodは私学では成功したのですが、公立ではなかなか実践がうまくいきませんでした。流暢に外国語を操る教員の確保の困難さもさることながら、子どもの言語習得と教室での外国語学習を同一視してしまい、現実とかけ離れた教授法となってしまったといったことがその原因として挙げられています。また、しっかりとした理論的基盤も持っていませんでした(しばしばThe Direct Methodは、”the product of enlightened amateurism” (p. 13)と呼ばれているようです)。更に、母国語を使えばすぐに済む場面で、教師が長々と目標言語を話すなど、非効率的な面も見られました。そこで、1920年代に公立学校などではThe Direct Methodの見直しが起こり、フランスとドイツでは、この教授法に文法学習を加えた形の折衷的な教授法が行なわれるようになりました。アメリカでは、The Direct Methodをヨーロッパから受け入れようという動きが一時期高まったようですが、Coleman Reportでその教授法の効果について否定的な見解が示され、さらにその報告が文法と読解を重視する必要性を説いたため、第二次世界大戦までは読解中心の教授法が展開されることとなりました。また、Henry Sweetらは指導原理が確立していないとして、The Direct Methodの限界点を指摘しています。

The Direct Methodがきっかけとなって、教授法についての本格的な議論がその後展開されるようになり、「教授法の時代」に突入していくことになります。様々な教授法が提案されるわけですが、基本的にどの教授法も次の3つの前提を持っていると著者らは指摘します。それらは、”- An approach or method refers to a theoretically consistent set of teaching procedures that define best practice in language teaching.(改行)- Particular approaches and methods, if followed precisely, will lead to more effective levels of language learning than alternative ways of teaching.(改行)- The quality of language teaching will improve if teachers use the best available approaches and methods.” (p. 15)という前提です。言語学習の改善は、教授法の改良によって引き起こされるということが暗黙の前提として存在していたようです。1950年代から1980年代にかけて、様々な教授法が乱立することになります。

<第2章:The natures of approaches and methods in language teaching

本書で最も有名な章ですね。著者らは、まずAnthony (1963) の枠組み(approachmethodtechnique)に言及し、このモデルの問題点を指摘します。それは、 “it fails to give sufficient attention to the nature of a method itself. Nothing is said about the roles of teachers and learners assumed in a method, for example, nor about the role of instructional materials or the form they are expected to take. It fails to account for how an approach may be realized in a method, or for how method and technique are related.” (p. 20) そして、特にAnthonyのモデルにおいて、methodtechniqueのレベルはより明確化されなければならないと述べてありました。そして、著者らは、Anthonyの言うmethoddesignと呼び、目的、シラバス、内容が決定され、教師の役割、学習者の役割、教材の役割が明示されるレベルと捉えなおします。また、Anthonyの言うtechniqueprocedureと呼ばれ、designを実行する段階というより広い意味で捉えなおされていました(designとの関係の明確化)。そして、methodapproachdesignprocedureから構成され、これら3つのレベルの関係について、”a method is theoretically related to an approach, is organizationally determined by a design, and is practically realized in procedure.” (p. 20)と述べてありました。

次に、それぞれのレベルについてまとめてありました。Approachは言語教授法の背後にある言語観および言語習得観です。実際、様々な教授法がありますが、そのapproachは言語理論に基づくものと、言語習得に基づくものがあります。言語理論に基づくものは、structural viewfunctional viewinteractional view3つがあると述べてありました(ただしinteractional viewは現在人気はあるものの、他の2つに比べると十分に整理がなされていないとのことです)。言語習得に基づくものとしては、process-orientedなもの(言語習得はどのような過程で生じるか)とcondition-orientedなもの(言語習得はどのような条件下で生じるか)があるそうです。そして、著者らは次のようにまとめていました。”At the level of approach, we are hence concerned with theoretical principles. With respect to language theory, we are concerned with a model of language competence and an account of the basic features of linguistic organization and language use. With respect to learning theory, we are concerned with an account of the central processes of learning and an account of the conditions believed to promote successful language learning.” (p. 25)

次はdesignのレベルについてです。ここでは、目的、シラバス(学習内容の選択と配列)、学習活動と教育活動のタイプ、学習者の役割、教師の役割、教材の役割、について整理されていました。これらは、approachによって大きく影響を受けることになります。目的については、approachではなくdesignの産物であると著者らは延べていました。シラバスについてはa priori syllabusproduct-orientedな教授法が取るもの)とa posteriori syllabusprocess-orientedな教授法が取るもの)に言及がありました。学習活動と教育活動のタイプについては、”Different philosophies at the level of approach may be reflected both in the use of different kinds of activities and in different uses for particular activity types.” (p. 27)と述べてありました。その他、学習者の役割、教師の役割、教材の役割も、approachdesign内の他の項目に影響を受ける形で決定していくことが説明されていました。

最後はprocedureのレベルについてです。Procedureは必ずしもapproachによって規定されるものではなく、様々な要因に影響を受けます(approachもそういった要因の1つ)。ここでは、the Silent Waynotional-functional approachにおけるprocedureが例として説明してありました。そして、まとめとして、あの有名な図、”Summary of elements and subelements that constitute a method”が示してありました。著者らは最後に、”The model presented here is not intended to imply that methodological development proceeds neatly from approach, through design, to procedure. … Methods can develop out of any of the three categories.” (pp. 33-34)と説明してありました。

<第3章:The Oral Approach and Situational Language Teaching

Oral Approachは、イギリスのHarold PalmerA. S. Hornbyによって確立されました。彼らは英語教授法をより体系的で科学的にしようと試みました。その成果は指導内容の選択と配列に見ることができます(なお、著者はイギリスでの1950年代までのこの教授法のことをOral Approachと呼び、それ以降の海外での発展に対してはSituational Language Teachingと呼ぶというような使い分けをしたいようなのですが、便宜上両方の場合を含めてSituational Language Teachingという名称を使っています)。この教授法には語彙を重視したこと(頻度などに注目をして語彙リストを作成したMichael Westらの尽力があります)、次第に読解技能の習得が目標とされるようになったこと(語彙はリーディング熟達において重要な要素とみなされていました)、文法を重視したこと(文法を文型と見なしたそうです)、という特徴があります。また、特にアプローチのレベルでの特徴としては、学習内容の選択・配列・提示について体系的な原理を作り上げたこと(ただし、実際の指導手順は人によって異なっていたようですが。またこの体系性はこの教授法とDirect Methodを区別するものであるとも考えられています。)、言語項目の導入において場面が重視されたこと(言語の構造についての考えはアメリカ構造言語学とほぼ同じですが、イギリスの構造言語学は場面という要素を重視したという特徴があり、このことが教授法にも表れています)、習慣形成という学習観に則っていたこと、帰納的学習を重視していたこと(教師による演繹的説明は行なわない)、発展的内容の指導は一般化によって行なうこと、第一言語習得過程をモデルとしていること、といった特徴が挙げてありました。Designのレベルでの特徴としては、4技能の実践的能力を身につけるという目標、言語構造の学習を通してその目標を達成しようとすること、正確さが重視され誤りは除外されるものと考えられたこと、リーディングとライティングの発達には口頭での学習を通して文型を自動化させることが不可欠と考えたこと、構造シラバスと語彙リストから構成されていること(シラバスが場面シラバスではないことに注意。場面が重視されたのは文型の提示や練習などです)、ドリル形式の活動が重視されたこと(”guided repetition and substitution activities, including chorus repetition, dictation, drills, and controlled oral-based reading and writing tasks. Other oral-practice techniques are sometimes used, including pair practice and group work.” (p. 43))、学習者は聞いて反復するという受身的な立場であったこと(学習の後半ではより能動的な活動もされたようです)、教師はモデル・指揮者・操縦者という3つの役割を担うことが求められたこと、教材は学習のガイドとしてみなされていたこと(最も重要なのは教師であったこと)、が述べてありました。また、Procedureのレベルについては、具体的な指導例が紹介してありました。また、この教授法はPPP lesson modelを重視しているということが結論部分で述べられ、これは英語教育界でとても広く浸透することになりました。

<第4章:The Audiolingual Method

この章では、オーディオリンガル・メソッドについて述べてありました。最初に、背景がかなり詳しく記述してあり、Reading Methodが流行していた背景から、informant methodASTP、留学生の増加による神教授法の必要性の高まり(Oral Approachthe Aural-Oral ApproachStructural Approach)、Audiolingual Methodの形成という流れが説明してありました(Friesらの文法観、general formという授業フォーマットについても説明がありました)。そして、アプローチについてはアメリカ構造主義言語学と行動心理学について説明がありました。デザインのレベルについては、短期間の目標と長期間の目標の設定、口頭技能の習熟の重視、文法と語彙のシラバス、ダイアローグとドリルという言語学習活動の徹底、”organism that can be directed by skilled training rechniques to produce correct responses” (p. 62) としての学習者、教師の重要性、学習の失敗は指導手順の失敗とみなされた点(オーディオリンガル・メソッドの指導法自体は批判されなかった)、教材は初期には学習者に与えられないことがあったこと(文字へ最初から接触することはいいことではないと考えられていたため)、学習者が誤りを産出しないように指導を計画する点、などが特に面白いと思いました。また、私の研究テーマとの関係で言うと、オーディオリンガル・メソッドは、文学教材を外国語学習から締め出したという点がよく言及されますが、上級者用にその指導をすることは認めていたという点にとても興味を持ちました(p. 63p. 64)。この章の後半では、オーディオリンガル・メソッドの衰退について述べてありました。1960年代に絶頂を迎えましたが、変形生成文法からの批判、そして学習者が外国語でコミュニケーションを図るようにならなかったこと、の2つが原因となって衰退していったことが述べてありました。特に前者については詳しく述べてありました。また、変形生成文法が代わりの教授法としてCognitive Code learningを提唱したという点とその教授法の簡単な説明が加えられていました。最後に、Situational Language Teachingとの関係について簡単に述べてありました。 “Situational Language Teaching was a development of the earlier Direct Method and does not have the strong ties to linguistics and behavioral psychology that characterize Audiolingualism. The similarities of the two methods reflect similar views about the nature of language and of language learning, though these views were in fact developed from quite different traditions.” (p. 67)

<第5章:Total Physical Response

TPRは、発達心理学、学習理論、人間学的教育学、Harold and Dorothy Palmer1925年に提案した指導手順に基づいています。また、L1=L2という立場を取っています。さらに、命令を元に学習を進めるということ、情意面への関心が強いこと、も特徴です。さて、アプローチについてですが、Asherは、 “He views the verb, and particularly the verb in the imperative, as the central linguistic motif around which language use and learning are organized.” (p. 73) という考えを持っていること、心理学のtrace theoryに基づいていること、リスニングが最初に動作を伴って学習されなければならないこと(その後でスピーキングやその他の技能:Asherは言語学習には生物学的に決められた学習順序プログラムがあると考えていた)、脳の一側化を重視(言語学習は動作を通してまず右脳で学習される必要があり、その後で左脳で言語産出が可能となると考えていた)、ストレスを極力軽減する必要性、形式よりも意味を重視、といった特徴が指摘してありました。デザインのレベルでは、oral proficiencyの発達が目標であったこと(意味理解はそのための手段にすぎない)、語彙と文法を基準とした文単位の構造シラバスであったこと、文法は帰納的に指導されたこと、一度に決められた数の項目が導入されたこと、ダイアローグやロール・プレイは発展的な学習活動とみなされたこと、ロール・プレイは日常生活での場面を想定したこと、学習者は聞き手及び演者とみなされたこと、教師には積極的な役割が求められたこと、教師は最初は誤りの訂正をあまり行わないこと(L1習得がそうであるように後の段階では誤りの訂正を増やしていく)、といった点が指摘してありました。Procedureの段階では具体的な指導の様子が理解できます。結論部分では、TPRはその後も用いられることが多いのですが、その理由は “TPR practices therefore may be effective for reasons other than those proposed by Asher and do not necessarily demand commitment to the learning theories used to justify them.” (p. 79) と述べてありました。あくまでも、他の指導法の補助として便利だからという実践的な理由で用いられているそうです。

<第6章:The Silent Way

Gattegnoは、次の3つのような仮説を学習に対して持っていたようです。 “1. Learning is facilitated if the learner discovers or creates rather than remembers and repeats what is to be learned. 2. Learning is facilitated by accompanying (mediating) physical objects. 3. Learning is facilitated by problem solving involving the material to be learned.” (p. 81) アプローチに関しては、言語の “spirit” をつかませることを重視したこと、言語については構造主義的な捉え方をしていたこと、生徒は提示された構造パターンを帰納的に学習することを求められていたこと、語彙を言語学習の中核と捉えていたこと、L1L2という立場を取っていたこと、artificial approach “based on the principle that successful learning involves commitment of the self to language acquisition through the use of silent awareness and then active trial.” (p. 83))、学習方法の学習を重視したこと、 “It is in the activity of self-correction through self-awareness that the Silent Way claims to differ most notably from other ways of language learning.” (p. 83) という指摘、が述べてありました。デザインのレベルについては、正確で流暢な実践的oral proficiencyの発達を重視していたこと(音素的にも超分節音素的にも文法的にも)、学習者は教師による口頭説明やモデルなしで学習することが求められたこと、学習者には自律性や責任観を発達させることが求められたこと、などが指摘してありました。また、ロッドについては、”Use of rods is intended to promote inventiveness, creativity, and interest in forming communicative utterances on the part of the students, as they move from simple to more complex structures.” (p. 86) という目的が書いてありました。Procedureの箇所では具体的な指導手順が書いてあり、その指導の様子を具体的に理解することができました。

<第7章:Community Language Learning

この教授法はCharles A. Curranがカウンセリング学習理論を言語教育に応用した教授法です。この教授法はhumanistic techniquelanguage alternationといった言語教育実践の仲間とも言えます。アプローチのレベルについては、言語を構造主義的に捉える一方でlanguage as social processといった考え方や相互作用的言語観も併用しています。前人格的形成を重視しているということもその特徴として挙げられていました。デザインのレベルでは、授業は学習者が話したいと感じたトピックに基づいて展開されること、学習者は共同体の一員で共同体内でのコミュニケーションを通して学習が進むと考えていること、学習者の役割は子どもの発達に見られる5つの段階に応じて変化すること、教師はカウンセラーの役割を担うと同時(実際のカウンセリングも行います)に子どもの発達段階に合わせて修正していくこと(後の段階では学習者の誤りを訂正するといった役割も出てきます)、教科書がないこと(せいぜい学習者が発した文を書き写したりしたものが教材になるといった程度)、が述べてありました。Procedureのレベルでは、初期の学習と上級の学習の場合の具体例が示してありました。この教授法は言語学習をカウンセリングとみなしてよいのか、教師が特別な訓練を受けずにカウンセリングを行ってよいのか、シラバスがないことで教育の効果などがはっきりと分からないのではないか、といった批判がされているそうです。

<第8章:Suggestopedia

この教授法はGeorgi Lozanovによって暗示学をもとに開発された教授法で、本人はその効果を強く信じていたそうです。この教授法はヨガとソビエト心理学にも関係があります。まずアプローチのレベルについてですが、Lozanovは言語について構造主義的な考えをもつ一方でwhole meaningful textの中で(コミュニケーションの中で)学習内容を経験する必要性も指摘しており、立場が非常に分かりにくいです。また、authorityinfantilizationdouble-planednessintonationrhythmconcert pseudo-passivemessというSuggestopediaにおける6つの主要な要素が説明されていました。デザインのレベルでは、まず高度な会話能力を身につけることが教授法の目的であると指摘してありました。また、授業は10ユニットからなり、授業時間数や授業パターンなどはかなり明確に定められています。会話文をもとに授業が展開されますが、それらは新出の語彙や文法を伴っており、またこれらの要素によってどの会話文をどこで導入するかが定められています。この教授法では、従来のような模倣、質疑応答、ロール・プレイを使用する一方で、独特のリスニング活動(背もたれ椅子にもたれかかって先生が読み上げる文をコンサート会場で音楽を聞くかのような気持ちで聞くという活動)があります。また、学習者は教師の権威と活動(ロール・プレイ、ゲーム、歌、運動など)によって子どものような心で学習に臨むことが必要となります。クラスサイズは12名程度で男女比は11がよいとされ、円の形で授業を受けます。教師は学習者が暗示にかかりやすいような雰囲気作りをこころがけ、学習者が肯定的かつ記憶に残りやすいような形で言語材料を提供することが求められます。教材は情意的なもの(ただし否定的な情意が起こるようなものは避ける)で、文学作品のようなもので面白い登場人物が現れるものがよいとされます。教材には母国語による翻訳が併記されています。また、ソファーや飾りなど学習環境も重視されるのがこの教授法の特徴です。この教授法は賛否両論だったそうです。ですが、著者らはその教授法がよいかどうかということよりも他の教授法と上手く組み合わせることができないかどうかということを議論することの方が有用であると述べていました。

<第7章:Whole Language

この語は1980年代のアメリカで母国語の言語芸術(文学など)を指導していた教育者によって作られました。これは、フォニックスやskill-basedな指導法に反対したものであり、言語(あるいはリーディングやライティング)を全体として指導することが必要だと考えています。学習者は文化の成員で知識の創造者とみなされ、教師はプロフェッショナルとみなされます。この教授法は意味理解などを重視する点でコミュニケーション重視の教授法と、母国語習得をモデルとする点で自然法(natural approaches)と共通点が多いです。また、ホール・フランゲージはアプローチなのか、メソッドなのか、哲学なのか、信念なのか、議論が分かれますが、著者はとりあえずアプローチと見なして説明を行っていました。さて、そのアプローチですが、相互作用的言語観を取っていること、言語は自己との相互作用をも行う媒体であるとみなされていること、機能主義的言語観も取っていること、人間主義的学習観と構成主義的学習館を取っていること、が指摘してありました。デザインのレベルでは、文学教材などオーセンティックなテキストが使用されること、リーディングやライティングなども実際的な目的のもとに行うこと、教師はfacilitatoractive participantといった役割が求められること、学習者は協力者・評価者・学習経験を更なる学習の糧とする者・教材の選択者といった役割が与えられること、が指摘してありました。Procedureのレベルでは、この教授法には個別の教師によって様々な実践がなされており、その共通特徴はあまりないということが指摘してありました。また、コミュニケーション重視の教授法と多くを共有しながら、文学の使用という点で異なっていることはとても面白いと思いました。また、その他の文学を教材として使用しようと言う試みと違って、文学教材の使用がその哲学の中に入っていることが面白いと思いました(その他の文学を教材として使用しようという試みでは文学教材はある目的を達成するための手段に過ぎません。しかし、この教授法は言語芸術教育から出発しているので文学教材の使用は当然ですが)。この教授法は特に第二言語で有効かどうかは賛否両論のようです。ですが、幼い学習者には有効であるかもしれないということと、大人の学習者に対しては興味深い教材が多く作られているということが述べてありました。

<第8章:Multiple Intelligence

これはHoward Gardnerによって提唱されたもので、”a learner-based philosophy that characterizes human intelligence as having multiple dimensions that must be acknowledged and developed in education” (p. 115) と説明がされています。従来のIQは単一の知性しか想定していなかったことを大きな問題として取り上げています。さらに、”MI thus belongs to a group of instructional perspectives that focus on differences between learners and the need to recognize learner differences in teaching. Learners are viewed as possessing individual learning styles, preferences, or intelligence. Pedagogy is most successful when these learner differences are acknowledged, analyzed for particular groups of learners, and accommodated in teaching.” (p. 115) と説明が加えられていました。このモデルは、元々は教育一般に対して提唱されたものですが、言語教育にも応用されています。また、Gardnerは、このモデルは文化に関係なく使用できると考えています。このモデルでは、8つの知性が想定され、教師や親はその生徒が最も才能があると判断された知性を鍛えることに力を注ぎます。その結果として、各生徒は独自の方法で知的になります。さて、アプローチについてですが、MIは言語を全体的に捉え、 “a multi-sensory view of language” (p. 117) を取っていると考えることができます。デザインのレベルについては、特に目的は定められていないこと(”MI pedagogy focuses on the language class as the setting for a series of educational support systems aimed at making the language learner a better designer of his/her own learning experiences.” (p. 118)、目標をしっかりと認識したり楽しさを感じている学習者ほど第二言語学習での成功が期待されること、4つの発達段階を想定した上で授業を組み立てること、教師は学習者の目標言語だけでなく知性の発達全体に寄与することが求められること、学習者は言語発達だけでなく知性の発達プロセスの中に自分を位置づけなければならない(教師自身もMIの観点から自己分析及び自己発達に従事しなければならない)、リアリアを使用すること、などが挙げてありました。Procedureのレベルでは具体的な指導方法が挙げてありました。

<第11章:Neurolinguistic Programming

これは、John GrindlerRichard Bandlerによって1970年代にセラピーに代わる方法として提案されました。彼らは、NLP “a system of techniques therapists could use in building rapport with clients, gathering information about their internal and external views of the world, and helping them achieve goals and bring about personal change.” (p. 125)と位置づけています。この方法は、様々な分野に応用されてきました。そして、言語教育にもその応用が期待されています。著者らは、”because the assumptions of NLP refer to attitudes to life, to people, and to self-discovery and awareness, it has had some appeal within language teaching to those interested in what we have called humanistic approaches – that is, approaches that focus on developing one’s sense of self-actualization and self-awareness, as well as to those drawn to what has been referred to as New Age Humanism.” (pp. 125-126) と述べていました。なお、アプローチの箇所で、Neuroは世界が五感を通してどのように表現され、神経学的処理を経てどのように心の中で表されるかということを指しており、脳そのものとは関係ない(むしろ個人の経験が関係しています)ということが説明されていました。Linguisticという語については、コミュニケーションを指しています。Programmingについては、人がよりよいコミュニケーションができるように導くこと、という内容を指しています。そして、この教授法全体としては、”Learning effective behaviors is viewed as a problem of skill learning: It is dependent on moving from stages of controlled to automatic processing” (p. 126) という考えのようです。Designprocedureの箇所では、具体的にこの教授法の展開が説明されていました。この教授法は単に学習者を指導するものではなく、教師自身が成長するという点も重要な要素となっています。

<第12章:The lexical approach

Lexical approachは、基本的に語彙や語と語の結びつきを中心に据えて言語教育を行おうとします。これは、言語学などで次第に語彙というものの重要性が高まってきたこととも大きく関係しています。Approachに関しては、”the lexical view holds that only a minority of spoken sentences are entirely novel creations and that multiword units functioning as “chunks” or memorized patterns form a high proportion of the fluent stretches of speech heard in everyday conversation” (p. 133) という前提があり、同時にコロケーションを重視します。この指導方法としては、リーディングによるもの、コンピューター・コンコーダンスを使用するもの、対照言語学的にアプローチするもの、の3つが考えられているそうです。次にDesignについてです、この教授法は語彙の頻度を中心として指導を組み立てます。WestThorndike & Longeによってかつてなされた研究と非常に似ていますが、コンピューターを使用していることと各指導項目の例示の仕方を工夫するという点でそれらの研究とは異なっていると考えられています。また、指導項目は相互作用や話題、談話における役割に応じて分類されます。教師の役割については、語彙項目の使用方法の見本を見せるという役割、タスクとプラニングとレポートという3つの段階に基づいて指導法を考えるという役割、学習が生じやすいような雰囲気を作り上げる役割、学習者が自立的にパソコンを使った学習ができるようにシステムを整える役割、が指摘されていました。一方、学習者はデータ分析者という役割が与えられ、観察、分類、一般化などを通して語彙項目やコロケーションを発見することが求められます。教材については、いわゆる教具(テキスト、テープ、指導教本、など)に加えて、語彙活動例集、印刷されたコーパス例文集、関連したコンピューター・アプリケーションに言及がなされていました。Procedureでは教師と学習者の具体的なやり取りの例が示されていました。この指導法は、まだ十分な整理がなされておらず、「語彙中心的な言語理論や言語学習理論を具体的な指導に応用することができる」ということを述べているレベルにとどまっており、今後さらなる精緻化が必要であると結論付けられていました。

<第13章:Competency-Based Language Teaching

この教授法はCompetency-Based Educationの言語教育への応用です。“Competency-Based Education (CBE) by comparison is an educational movement that focuses on the outcomes or outputs of learning in the development of language programs. CBE addresses what the learners are expected to do with the language, however they learned to do it. The focus on outputs rather than on inputs to learning is central to the competencies perspective. CBE emerged in the United States in the 1970s and refers to an educational movement that advocates defining educational goals in terms of precise measurable descriptions of the knowledge, skills, and behaviors students should possess at the end of a course of study.” (p. 141) 2言語教育への応用はかなり遅れたそうです。さて、Approachについてですが、機能主義的または相互作用的な言語観に基づいていること、行動主義的言語学習観(ここでは、ある特定の場面に対して特定の言語表現が使用されるという考え)、に基づいており、究極的には “the view that language can be functionally analysed into appropriate parts and subparts: that such parts and subparts can be taught (and tested) incrementally.” (p. 143)という考えに基づいているそうです。またコミュニケーション能力という概念とも関係しているそうです(ただし、その記述は一般的で抽象的になる傾向があるそうですが)。Designのレベルについてはかなり詳しく書いてありました。この教授法について具体的に理解を深めることができます。ですが、Procedureについては具体的な学習者と教師のやり取りの例が示されていなかったので、少し残念です。結論部分では、学習者が身につけるべき能力のリストを作る方法が確立されていないこと、目標言語使用場面に対して規範主義的な役割を担ってしまっていること(学習者は、規範を受け入れることだけを指導され、その規範に対して立ち向かう方法については指導されないこと)、が挙げてありました。特に後者については、近年の批判的応用言語学においてしばしば議論に上る問題ですね。

<第14章:Communicative Language Teaching

この教授法は現在の教授法に大きな影響を与えています。もともとはイギリスの応用言語学者が「機能」や「コミュニケーション」という言語の要素を重視したのが始まりで、CandlinWiddowson、がイギリスの機能主義言語学、アメリカの社会言語学、言語哲学に基づいて、コミュニケーション能力を育成するための言語教育について考え始めたことが始まりです。さらに、時代的に、ヨーロッパ評議会がヨーロッパで大人が生活してくうえで言語学習が必須であると考えたことも後押しをしたようです。まずは、Wilkinsが概念/機能シラバスを考案し、ヨーロッパ評議会が最低限のコミュニケーション能力として敷居レベルを設定しました。その後、この教授法はCommunicative ApproachCommunicative Language Teachingnotional-functional approachfunctional approachなど様々な名称で呼ばれています。現在では、アメリカを始め様々な国に浸透しています。また、応用言語学者は、この教授法をあくまでもアプローチであるとみなしており、それは、” to (a) make communicative competence the goal of language teaching and (b) develop procedures for the teaching of the four language skills that acknowledge the interdependence of language and communication.” (p. 155)という一般的な目的をもっているそうです。この教授法には基盤となるような唯一の研究者や本がないという特徴もあります。ですが、学者によっては、様々な先駆者を見出すこともあるようで、中にはMontaigneや、言語学者(Bronislow MalinowskiJohn FirthMichael HallidayDell Hymes)、アメリカが1930年代に採択したan Experience Curriculum in Englishなどが引き合いに出されることもあるそうです。また、Finocchiaro & Brumfit (1983) によるオーディオリンガル・メソッドとCLTの違いの一覧表は非常に簡潔で分かりやすかったです。さて、Approachについてですが、言語理論については次のような考えがあるようです。”1. Language is a system for the expression of meaning. / 2. The primary function of language reflects its functional and communicative uses. / 3. The structure of language reflects its functional and communicative uses. / 4. The primary units of language are not merely its grammatical and structural features, but categories of functional and communicative meaning as exemplified in discourse.” (p. 161)。言語理論についてはは、非常に議論が盛んですが、言語習得理論についてはあまり盛んではないそうです。まず言語習得が生じやすい環境についての議論としては、はっきりと明言されているわけではありませんが、多くの活動から推測するに、”the communication principle: Activities that involve real communication promote learning.” (p. 161)”the task principle: Activities in which language is used for carrying out meaningful tasks promote learning.” (p. 161)”the meaningfulness principle: Language that is meaningful to the learner supports the learning process.” (p. 161)といった考えがあるようです。また、言語習得プロセスについての理論については、Savignon (1983)Krashenによるモデルa skill-learning model of learningJohnson (1984)Littlewood (1984)などによるもの)に言及がなされていました。次はDesignのレベルについてです。まず、目的については、言語活動は個別の教室や学習者によって変化するので、かなり一般的な内容しか設定することたできないということを述べた上でPiepho (1981)の考えが例示してありました。シラバスについては、CLTでは非常に盛んな議論がなされてきています。その中でも特筆すべきものとして、the Malaysian communicational syllabusが取り上げてありました。ニーズ分析などがなされることでシラバスが作られていくわけですが、結局シラバスは学習者自身が無意識的にでもよいので自分で作り上げなければならないとする考えと、文法を概念・機能・コミュニケーション活動と結び付けたシラバスが必要であるという考えに大きく分けることができるそうです。次は言語学習の型と教育活動についてですが、学習者はnegotiatorとみなされます。一方教師は、コミュニケーションを引き起こすためのfacilitatorと自らもその学習に加わる一人のactorという役割が認められ、このことから更に、organizerguideresearcherneeds analystcounselorgroup process managerという役割が考えられるということが述べてありました。また、教材については、text-based materialstask-based materialsrealiaが挙げてありました。Procedureのレベルについては、典型的な例を提示することは教授法の性質上難しい(どの授業もその場にあわせたものとなるため)としながらも、1例が挙げてありました。活動には様々なものが用いられ、中には伝統的な指導法も使われていることに対して、”Traditional procedure are not rejected but are reinterpreted and extended” (p. 171)と指摘がありました。また、Littlewood (1981)による言語活動の分類と、それに対するSavignonの批判も取り上げられています。さて、結論部分ですが、著者らは、CLTの発展を総括し、次のようにまとめていました。”In its first phase, a primary concern was the need to develop a syllabus that was compatible with the notion of communicative competence. This lead to proposals for the organization of syllabuses in terms of notions and functions rather than grammatical structures (Wilkins 1976). In the second phase, CLT focused on procedures for identifying learners’ needs and this resulted in proposals to make needs analysis an essential component of communicative methodology (Munby 1978). In its third phase, CLT focused on the kinds of classroom activities that could be used as the basis of a communicative methodology, such as group work, task-work, and information-gap activities (Prabhu 1987).” (pp. 172-173) また、Johson and Johnson (1998) は、CLTの特徴として次の5つを挙げています。それらは、appropriatenessmessage focuspsycholinguistic processingrisk takingfree practice、だそうです。この章以降、あるいはこれまでに取り上げてきた多くの教授法はCLTの変形版とも考えることができるそうで、多くの教授法と様々な共通点を持っています。

<第15章:The Natural Approach

この教授法は、ある点では伝統的教授法(“based on the use of language in communicative situations without recourse to the native language” (p. 178))と自らを関係づける一方(例えば自然な言語習得プロセスに基づいている点など)、その違いも強調します。例えば、”it places less emphasis on teacher monologues, direct repetition, and formal questions and answers, and less focus on accurate production or target-language sentences.” (p. 179)”there is an emphasis on exposure, or input, rather than practice; optimizing emotional preparedness for learning; a prolonged period of attention to what the language learners hear before they try to produce language; and a willingness to use written and other materials as a source of comprehensible input” (p. 179, emphasis in original) といった特徴に言及がありました。さて、アプローチのレベルについてですが、言語理論についてはそれほど詳しい考えは提示されていません。しかし、この教授法では、言語の最も重要な機能はコミュニケーションであり、コミュニケーション能力を育てることが言語教育の目的であると考えます。意味を重視し、言語の中では語彙を最も大切にします。また、構造という言葉も使うのですが、この概念については従来の教授法とそれほど大きな意味の違いなく使用しているようです。構造が含まれているインプットを理解することで、その文法の習得が徐々に進んでいくと考えられています。次は学習理論についてです。ここでは、有名な5つの仮説が紹介してありました。あまりに有名ですので、ここでは説明を省略します。次はデザインのレベルについてです。まず、目的は、”for beginners and is designed to help them become intermediates” (p. 184) とされています。そして、具体的な目的は学習者集団の興味などによるとされているようです。シラバスについては、”designed to develop basic communication skills – both oral and written” (p. 185) とされています。そして、その目的はコミュニケーションの状況・言語機能・話題という観点から記述されます(これは、敷居レベルに影響を受けているようです)。一方で、シラバスは学習者の興味によりけりであるとして、一般的なシラバスを提示しない場合もあるそうです。そして、”As well as fitting the needs and interests of students, content selection should aim to create a low affective filter by being interesting and fostering a friendly, relaxed atmosphere, should provide a wide exposure to vocabulary that may be useful to basic personal communication, and should resist any focus on grammatical structures, since if input is provided, “over a wider variety of topics while pursuing communicative goals, the necessary grammatical structures are automatically provided in the input” (Krashen and Terrell 1983. 71)” (p. 185)と述べてありました。次は学習活動についてです。基本的に目標言語の理解可能なインプットを与えることが中心となります。学習者は、目標言語の産出は行わず、別の形での応答が求められます。これは、段階を経て徐々に高度な反応となっていきます。Q&Aの方式も徐々に発展していきます。そして、従来の指導法をかなり多く採用します。このことについて、”What characterizes the Natural Approach is the use of familiar techniques within the framework of a method that focuses on providing comprehensible input and a classroom environment that cues comprehension of input, minimizes learner anxiety, and maximizes learner self-confidence.” (p. 186)と述べてありました。次は学習者の役割ですが、”a processor of comprehensible input” (p. 186)と述べてあります。教師の役割としては、目標言語の理解可能なインプットの源泉(同時に、インプットの理解を助ける様々な非言語的手がかりも与えます。この教授法は非常に強い教師中心性を主張します)、教室の雰囲気作り、様々な活動を組み合わせる、といったことが求められます。教材に関しては、基本的には意味が中心であり、なるべくオーセンティックな教材やリアリアを使うことが求められます。Procedureのレベルについては、TPRの指導テクニックに基づいた指導手順が紹介されていました。

<第16章:Cooperative Language Learning

CLLCollaborative Learningとして知られる一般的な教授法の下位部分と考えられています。この教授法は、John Deweyの研究などをその先例と見なすことができます。CLLは一般教育と第2言語(外国語)習得と両方にまたがった教授法と言えます。アプローチについては、人は話すために生れてきており、多くのトークは会話であり、その会話はグライスが言う公理に基づいており、人はその言語文化内でその公理がどのように機能するかを知っており、人は第2言語でもその公理の機能の仕方を知る必要があるという考えです。そして、”CLL is used to support both structural and functional models as well as interactional models of language, since CLL activities may be used to focus on language form as well as to practice particular language functions.” (p. 194) とも述べてあり、かなり柔軟な言語観を持っているようです。一方、言語学習観についてですが、Jean PiagetLev Vygotskyの考えにかなり依存しているそうです。また、communicative competencecritical thinking skills、教室内での協同、の3つを重視しており、これらを発達させることが大切であると考えているそうです。デザインについては、目的としては競争よりも協同を重視すること、特にシラバスについては規定がないこと(大事なのは、”the systematic and carefully planned use of group-based procedures in teaching as an alternative to teacher-fronted teaching.” (pp. 195-196))、が述べてありました。また、学習・教育活動については、(1) 集団としてformal cooperative leaning groupinformal cooperative learning groupcooperative base group3つのタイプの集団を考える必要があること、(2) positive interdependencegroup formationindividual accountabilitysocial skillsstructuring and structures5つの要素がグループ学習で重要な要素であること、(3) Coelho (1992) Olsen and Kegan (1992) の活動タイプの説明、の3点が示してありました。学習者と教師の役割については、ほぼこれまでの記述から想像できる通りですので省略します。また、教材の役割については活動に合わせての使用が重要であるということが示してありました。Procedureの箇所では、ライティングについての授業の進め方の例が示してありました。結論部分では、CLLはこの効果を支持する研究結果が多く出されているが、L2での研究は少なく、問題点も提起されているということが示してありました。

<第17章:Content-Based Instruction

この教授法は、アウグスティヌスまで遡ることができるそうで、考え方自体はかなり古くからあります。まずは、CBIの具体的な例として、Language across the curriculumImmersion EducationImmigrant on-Arrival ProgramsPrograms for Students with Limited English ProficiencyLanguage for Specific Purposes (LSP)が挙げてあり、それぞれが簡単に説明されていました。さて、この教授法のアプローチですが、”People learn a second language more successfully when they use the language as a means of acquiring information, rather than as an end in itself” (p. 207)”Content-Based Instruction better reflects learners’ needs for learning a second language.” (p. 207) という考えが前提としてあるそうです。そして、その言語観については、”Language is text- and discourse-based””Language use draws on integrated skills””Language is purposeful”、といった考えが共通しているそうです。また、言語学習観については、”People learn a second language most successfully when the information they are acquiring is perceived as interesting, useful, and leading to a desired goal.””Some content areas are more useful as a basis for language learning than others””Students learn best when instruction addresses students’ needs””Teaching builds on the previous experience of the learners”といった考えが共通しているとのことでした。次にDesignのレベルについてです。目的としては、内容に基づいて作り上げられ、言語自体は付随的に学習されることを意図しているタイプと、言語をあくまでも中心と考えるtheme-based instructional modelがあるそうです。後者のモデルについては、言語的、方略的、文化的な側面から目的が定められます。シラバスについても、上記の2つのタイプのCBIで異なってくるそうです。学習活動や教授活動のタイプとしては、様々なものが提案されているそうですが、知識の構造という観点からこれらを整理しているMohanのモデルがとても人気があるようです。学習者の役割としては、自律的で協働的で実際にやってみて学習をするということが求められますので、かなり積極的な役割を担わないといけません。具体的には、 “Learners are expected to be active interpreters of input, willing to tolerate uncertainty along the path of learning, willing to explore alternative learning strategies, and willing to seek multiple interpretations of oral and written texts.” (p. 213) ということが示されていました。しかしながら、このような積極的な役割を担う学習になじめない学習者がいること報告されており、学習者の中にレディネスが備わっているかどうかがとても大切になります。教師の役割については、言語教師であると同時に内容についても詳しくないといけないということが指摘されていました。また、分かりやすい説明を心がけたり、教材を選択したり、ニーズ分析を行なったり、学習者中心の授業を作り上げるなどといったことも求められます。また、教材についてですが、オーセンティックなものが求められる一方で、必要に応じて学習者が理解しやすいように修正を行うことも必要となります。次に、大学レベルと初等・中等教育レベルのCBIのモデルが提示してありました。大学レベルでは、theme-based language instructionsheltered content instructionadjunct language instructionteam-teach approachskills-based approach、が紹介されていました。初等・中等教育レベルのものとしては、theme-based approachadjunct approachの紹介がされていました。また、いわゆる英語学校などでもCBIは見られるということが述べられていました。最後はProcedureについてです。基本的にCBIはアプローチと見なされるべきものであるため、決まったprocedureというものはないのですが、ここではその1例としてスペイン語の授業の例が示されています。

<第18章:Task-Based Language Teaching

TBLTの具体手例としては、the Malaysian Communicational Syllabusthe Bangalore Projectが挙げられます。この教授法は、SLAからも支持を得ており、”Engaging learners in task work provides a better context for the activation of learning processes than form-focused activities, and hence ultimately provides better opportunities for language learning to take place. Language learning is believed to depend on immersing students not merely in “comprehensible input” but in tasks that require them to negotiate meaning and engage in n naturalistic and meaningful communication.” (pp. 223-224)という考えが根底にあります。ただし、本格的に大規模な実践例や報告はあまり多くないそうです。また、この教授法は元々は軍隊の教育プログラム(task analysisに基づいて軍事教育コースを作成すること)に起源を持つそうで、もともと言語理論から生れたものではありません。TBLTのタスクは、以前は個人によるタスクが多かったそうですが、次第にティームタスクやコミュニケーションタスクを取り入れることが盛んになってきました。一般に、この教授法は職業に関するタスクが多いのですが、現在ではアカデミック・タスクに基づいた指導も盛んになりつつあります。さて、アプローチについてですが、言語理論的には、”language is primarily a means of making meaning” (p. 226)”Multiple models of language inform TBI” (p. 226)”Lexical units are central in language use and language learning” (p. 227)””Conversation” is the central focus on language and the keystone of language acquisition” (p. 228)という考えが根底にあるそうです。学習理論については、”Tasks provide both the input and output processing necessary for language acquisition” (p. 228)”Task activity and achievement are motivational” (p. 229)”Learning difficulty can be negotiated and fine-tuned for particular pedagogical purposes” (p. 229)、という考えが根底にあるそうです。ここでは、focus on formとの関係についても触れられていました。次はデザインのレベルについてです。目的は、基本的には学習者の実生活でのニーズの分析結果に基づいて決定されることになります。シラバスについては、語彙や機能などの学習内容よりは、学習プロセス(pre-task活動、post-task活動、など)に重きが置かれます。Nunanは、シラバスには学習者の実生活と関わるような実生活タスクと学習上便利な教育用タスクの2つが含まれるとしています。その他、シラバスに含まれるタスクの分類について、the Bangalore Projectによるものと、Norrisらによるものが紹介されていました。著者は、かつてのSituational Language Teachingが行ったような直観に基づいた分類とさほど大差はないようだと考えています(p. 232)(つまり、それ以前の教授法よりも優れた分類とはあまり言えない、と考えているようです。これから更に改良される必要があるということでしょうか)。また、シラバスにおいてはタスクの配列が問題となりますが、タスクの難しさを規定すること事態とても難しいと指摘されてありました。次はTBLTのタスクに含まれると思われる学習活動や教授活動について細かな分類がされていました。これも何人かの意見が紹介してありましたが、タスクということについて統一された見解がないため、そこに含まれる活動はそのタスクによって大きく異なることになります。次は学習者の役割についてです。著者らは、group participantmonitorrisk-taker and innovator、といった役割を学習者は担わなければならないと考えています。教師については、selector and sequencer of tasksという役割を担う他、preparing learners for tasksconsciousness-raising、といった事柄を指導において行う必要があると述べられていました。また、教材の役割はTBLTでは非常に重視されます。というのは、タスクは教材に基づいて作成され、学習者によって遂行されるものであるためです。様々な教育用教材があるほか、新聞・テレビ・インターネットなどを含んだリアリアも積極的に利用されます。Procedureのレベルについては、Richardsによる指導例とWillisによる指導例が示してありました。TBLTの最大の特徴はタスクに全面的に依存した教授法であること(その他の教授法と違って体系的な文法指導や言語機能の扱いはありません)です。この点がCompetency-Based Language Teachingなどと大きく異なると著者は述べます(しかし、focus on formなどについて言及があることから分かるように、言語への関心が皆無というわけではありません。あくまでも体系的な指導がされないということです。)。しかし、その効果などについては今後検証されることが必要で、現在ではまだ1つのイデオロギーのレベルに留まっているといわざるを得ないと著者らは述べていました。

<第19章:The postmethod era

この章では、これまでの教授法史のまとめと、「教授法」という考え方の良い点と問題点について整理し、今後の展望が述べてありました。著者によれば、ここ100年教授法の歴史とは、”characterized by a search for more effective ways of teaching second or foreign languages” (p. 244) と考えられ、「教授法」というのは”the era of so-called designer or brand-name methods, that is, packaged solutions that can be described and marketed for use anywhere in the world” (p. 244)とも言えると述べます。つまり、1つの教授法が生れるために、流行のように世界中に広がり、その教授法の問題点があらわになると、また別の教授法が拡がっていくという構図を何度となく繰り返し、現在ではCLTが世界各国で実践されています。また、本書では、アプローチとメソッドについて扱ってきましたが、こういった概念に基づいて外国語教育を進めていくことには限界があることが明らかになってきました(著者はメソッドの方が具体的で教師には分かりやすい半面、アプローチは曖昧であり、個人が自由に実践できてしまうということを指摘していました(しかし、その抽象性ゆえにメソッドよりは廃れるのに時間がかかります))。著者が言うには、1990年までには教授法という概念は外国語教育においてあまり有効なものとは考えられなくなり、現在はpostmethodの時代に入っていると述べます。そして教授法の問題点を指摘していました。それらは、トップダウン性(学習者中心性や教師の創造力を抑圧してしまう傾向があること)、文脈を考慮せずに画一的になる傾向、カリキュラム全体で物事を考えていないこと、研究基盤や証拠に乏しいこと、実践レベルでは教授法の違いはあまり問題とならないこと(異なる教授法を用いていると思っている2人の教師であっても、授業を観察するとほとんど同じような実践を行っているということ)、などが挙げられていました。しかし、様々な教授法を勉強することはとても意義のあることです。初任者であれば、様々な教授法を学ぶことによって知識基盤を作ったり、どうやって授業をすればよいのかを理解することもできます。また、ベテランであっても、自分の教育実践に対して自覚的になることができ、自分の教育実践を高めていくこともできます。最近では、教授法を提案するのではなく、教育実践で必要な項目を列挙し、必要に応じてその項目の中のいくつかを実践に反映させるという方法が好まれているようです。本書ではBailey (1996) の教育実践の原理が例示してありました。最後に、今後の外国語教育を左右する要因が列挙されていました。それらは、government policy directivestrends in the professionguru-led innovationresponses to technologyinfluences from academic disciplinesresearch influenceslearner-based innovationscrossover educational trendscrossover from other disciplines、でした。

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2011年1月14日 (金)

京極昌三(2006).『英語科教師のマニュアル』を読む(大阪教育図書)

これから英語教師になる人のために執筆された授業のヒント集といった感じの本でした。英語史的な内容が所々に散りばめられていて、学習者の興味を惹きつけるような面白い情報が多く含まれていました。

京極昌三(2006).『英語科教師のマニュアル』.大阪教育図書.

感想:本書では、まず第1章でverbal communication、著者の言葉で言い換えれば"communicative activities with the skills of hearing, speaking, reading and writing" (p. 4) の指導法について4技能別に考えが提示されていました。「日本人は読み書きは出来るがリスニングやスピーキングは苦手である」としばしば言われますが、著者は実際には日本人英語学習者は読み書きも出来ていないと指摘します。そして、本書では特にリーディングに最も重点が置かれています。著者はアウトプットをするためには十分にインプットを受けることが必須であるということと、多読・黙読・速読という学習習慣の定着が大切である、ということを特に強調していました。

第2章は英語史の概略です。4ページととても短いのですが、その変化の大まかな流れを理解することができます。また、T. R. Lounsburyによる近代英語を3区分する考え方が紹介してありました(1550~1660、1660~1783、1783~1800?)。1660年はスチュアート家の王政復古の年、1783年はパリ条約によってアメリカの独立が承認された年です。

第3章は、英語教師が学習者から受けるかもしれない英語に関する質問について整理されていました。ここでは、英語史的な内容も適宜取り入れつつも、基本的には英語教師が学習者に対して返答する際の参照枠とでもなる基礎知識が整理されていました。特に専門的な内容ではなく、初めて聞くような内容は書いてはなかったのですが(英語史に基づいた内容以外には特別な知識はなく、あくまでもある程度の英語力のある学習者であればほとんどが知っている内容)、それぞれ重要な項目ではあります。面白いと思ったのは、aとanの区別についての箇所で、英語については23~24個の母音(二重母音を含む)があるので、初級者に指導する際は、「日本語のアイウエオに近い音、あるいは、似ている音の前ではanをつけなさい」(p. 38, emphasis in original)と指導することをすすめている点でした。確かにそのほうが英語を英語として学習者に指導する上で有効かもしれませんね。この章では、英語史的な説明もいくつかの言語項目に対して加えてあり、個人的には最も興味を持った章でした。

第4章は、著者が英語教師であれば是非しっておいてほしいという諺が多く紹介されていました。私はあまり諺は知らないので、お恥ずかしながらほとんどが初めて知るものだったのですが、こういった諺を知っていれば授業の中のちょっとした合間に学習者の英語文化への興味を喚起できるのではないかなと思いました。

本書の背景には2002年、2003年の学習指導要領があるのですが、その内容は今度変わる学習指導要領においても通用する内容です。私としては、本書は少し多読活動と文化面に偏っているようにも感じたのですが、指導の幅を広げるためにはとても役立つと思います。

最後に、本書の目次を挙げて起きます。

第1章:言語学習とは

第2章:英語史の概説

第3章:学習者からの質問とその解答

第4章:英語の諺150選

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2011年1月 7日 (金)

白畑知彦・若林茂則・村野井仁(2010).『詳説第二言語習得研究 理論から研究法まで』を読む(研究社)

最近の第二言語習得論について、特に文法的側面に注意を向けた概論書です。著者らは、第二言語習得研究の意義として、「人間の持つ認知能力の本質を明らかにできるところ」(p. iv)、「人間の認知メカニズムの一端を説明できる」(p. iv)ことを挙げていました。本書の詳細は以下の通りです。

白畑知彦・若林茂則・村野井仁(2010).『詳説第二言語習得研究 理論から研究法まで』.研究社.

感想:本書は非常に専門的な議論をとても分かりやすく提示してくれているので、第二言語習得研究の知識をかなりもっている人にとっても、初心者にとっても楽しめる一冊です。

第1章では、転移、第二言語習得の初期状態、発達段階・習得順序の存在、習得の不完全性(化石化など)、が扱われていました。これまでの研究によると、第二言語習得において、母語の影響は無視できないこと、共通した発達段階が存在すること、習得が不完全に終わってしまうこと、が共通して見られるということが明らかとされてるそうです(p. 2)。また、第二言語習得の初期状態についての説明では、普遍文法に基づく様々な考えが説明されていました。これまで他の書物でこのことについて勉強したことはあったのですが、本書の説明が私にとっては最も分かりやすかったです。また、部分転移・UG完全利用モデルが最小樹形モデルと呼ばれていること、完全転移・UG完全利用モデルが現在まで最も支持を集めているモデルであること、を初めて知りました。また、発達順序・習得順序の箇所では、「基本的な発達順序は存在するのであるが、そこにはさまざまな特性を持つ学習者の母語からの転移が複雑に入り込んでくる」(p. 11)こと、母語の転移によってはその母国語話者独特の段階である副次的段階が発達順序の中に入り込んでくることがあること(p. 12)が示してありました。

第2章では、第二言語習得研究の歴史が代表的な研究とともに概説されています。著者らは、最も広く受け入れられている考え方に従って、第二言語習得研究の所期を1960年前後としています。そして、その初期の研究として対象分析仮説が、1970~1980年代の研究として創造的構築仮説が(ただし、CorderやSelinkerの言述を見る限り、人間は生得的な言語習得装置を持っているという考え方は1960年代からすでにあったそうです)説明されていました。対照分析仮説の研究が進められる中で、徐々に「学習者は、自らが受ける第二言語のインプットを基に、何らかのシステムを使って体系的に言語習得をしれいるらしいことが徐々に判明してきた」(p. 22)ために、このような理論の交替が起こったそうです。創造的構築仮説とは、「第二言語学習者が、母語とは独立した新しい言語体系を作り上げていくという仮説」(p. 26)であり、「この考え方によれば、学習者の誤りは本質的に発達上(developmental)なものであり、母語の影響はほとんどないか、あるいは、非常に限られていることになる」(p. 26)そうです。しかし、この研究の問題点として、「母語の影響を軽視し過ぎているテント、文法形態素習得順序が存在するのはなぜかという問題をほとんど扱ってこなかったこと」(p. 27)が挙げてありました。しかし、この仮説は、「第二言語習得を、ある心的システムの構築過程であると捉えざるを得なく」(p. 28)し、研究の方向性を「「母語話者との比較」から「独立した認知的存在」へ」(p. 28)視点を移動させたことと、第二言語習得にも規則性が存在していることを明らかにした、という意義があります。この章では、Krashenのモニターモデルも取り上げ、その説明、問題点などが整理されていました。

第3章は、特にミニマリスト・プログラムの枠組みにおける生成文法理論に基づいた第二言語習得研究の紹介がされていました。第二言語学習者にとって、ある文法項目が他の文法項目よりも習得が困難になることを説明しようとした仮説として、Representational Deficit Hypothesis(第二言語習得になるとある素性の習得そのものが難しくなるという仮説)とMissing Inflection Surface Hypothesis(素性の習得自体は可能だが、他のモジュールで問題が生じるために習得が遅れるという説)、があることにとても興味を持ちました。また、生成文法理論に基づく1990年代以降の第二言語習得研究の成果として、様々な仮説が紹介してありました。説明は本書にありますので、省略するとして、この章で挙げてあった仮説をリストアップしますと、機能素性欠陥仮説(the Failed Functional Features Hypothesis)、表示欠陥仮説(Representational Deficit Hypothesis)、表層屈折要素欠落仮説(the Missing Surface Inflection Hypothesis)、インターフェイス仮説(the Interface Hypothesis)、不安定仮説(the Flunctuation Hypothesis)、素性組立仮説(the Feature Assembly Hypothesis)、語彙学習・語彙転移仮説(Lexical Learning/Lexcial Transfer Hypothesis)、が紹介してありました。この章は、ミニマリスト・プログラムの知識がないと少しきついかもしれませんが、具体例とともに解説してあるので、私はとても理解しやすかったです。

第4章は、処理可能性理論に基づく第二言語習得研究で、多次元モデルとの相違点から説明が始まり、その理論的枠組みの解説がなされていました。処理可能性理論は、多次元モデルよりも反証可能性と予測力が強く、また「目立ち度」という概念を使わないという点が大きな違いとして指摘してありました。処理可能性理論について読んだのはほとんど初めてだったので、とても勉強になりました。私にはあまりにも新しい情報が多いので、ここで詳しい要約をすることは避けたいと思いますが、このモデルがLeveltの言語産出モデルと同様な考えを言語処理装置について持っていること、語彙機能文法の考えを理論的枠組みにしていること、6つの発達段階を想定していること、「学習者の発話において、ある構造が初出された時点で、その構造に必要な文法知識は習得されたと見なす」(p. 79)こと、「母語の特性は発達段階には影響を及ぼさない。つまり、ある形態統語が初めて使用される順序は母語にかかわらず一定である。しかし、もう一方で、いったん習得がなされた構造や文法形態素がどれぐらいの割合で正しく使用されるかという点においては、影響を及ぼす可能性があるということ」(p. 87)、「第二言語習得における発達段階には変異性は存在せず、一見、すでに習得していると考えられる文法や形態素の使用に見られる変異性は、語彙の使用が原因だと考えている。また、学習者の現在の(発達)段階を超えたレベルの統語構造を使用しなければならないコンテキストでは、その段階の第二言語知識によって産出可能な範囲で、目標言語とは異なる構造を産出する場合もあると提案されている」(p. 91)こと、このモデルでは第二言語習得は初期に出来上がったシステムの上に順次重ねて構築されて進むと考えているので、どこかの段階で目標言語とは異なる構造が出来てしまった場合には完全な言語習得は不可能となると考えていること、が面白いと思いました。特にLeveltの言語産出モデルとの類似性は、言語産出に関する4つの見解に見て取れると著者らは述べます。その見解とは、「(1)言語処理部門は、他の認知システムからほぼ独立した自律システムであり、その操作はほぼ自動的に行われる」(p. 77)、「(2)言語処理は漸進的(incremental)である」(p. 77)、「(3)処理機構からの出力は線的(linear)であるが、線的順序にしたがってその根底にある意味に置き換えられているとは限らない」(p. 77)、「(4)文法処理は、文法記憶装置にアクセスする」(p. 78)というものでした。また、この理論がどのように評価されているのか、他の理論的枠組みとの関係はどのようになっているのかということについても触れてあり、とても興味深かったです。

第5章は認知的アプローチに基づいた第二言語習得研究で、特に認知言語学や認知心理学に影響を強く受けている研究が整理されていました。「認知的アプローチに基づく第二言語習得とは、第二言語の使用に見られるパターンに学習者が気づき、その使用のためのパターンを構成していく過程であるとみなすことができる」(p. 98)そうです。そして、「認知的アプローチにおける言語知識とは、話者が世界をどう捉えるかを、そのまま言語に移し替える仕組みであると言えよう。実際には、どこまで詳しく、どの範囲で、どういう視点から、世界を捉えているかによって、言語表現が変化してくる。言語表現には、話者自身と世界との関係を含め、あらゆる要素が関わってくる。逆に言えば、言語表現はパターンであるから、人は言語の持つパターンに合わせて、世界を理解していると言える」(p. 101)と分かりやすくまとめてありました。この章では、プロトタイプ理論、構文文法、用法依拠モデル、エマージェンティズム、コネクショニズム、という考えが紹介され、このアプローチの典型的な研究としてGoldshneider & DeKeyer (2001)が紹介してありました。

第6章は、教室における第二言語習得研究で、フォーカス・オン・フォーム、インプット処理理論、インタラクション、アウトプット、明示的学習と暗示的学習、について非常に分かりやすい形で整理がなされていました。この分野は非常にごちゃごちゃしていて混乱してしまうことが多いのですが、本章を読めばその全体像を明確に理解することができると思います。特に私はインタラクションの研究について、考えを整理することができました。「以前は、第二言語学習者は、まず言語構造を身につけ、次第にその数を増やし、その後でそれらを談話(discourse)の中でどのように使うのかを学ぶと考えられていた。しかし、Hatch (1978) などは、実はその逆の順序で第二言語習得は発達すると主張した。つまり、学習者は、まずどのように相手と対話をするかを学び、それから、ことはを使用してどのように相手と関わるかを学ぶのだと唱えた。相手とのインタラクションの中から統語構造が発達すると主張するのである。もう少し具体的に言えば、学習者は第二言語の語彙や決まり文句(formula)を用いて、相手と対話を行い、その対話を通して語と語のつながりなどの言語知識を身につけていくとHatchらは考えた。つまり、他者とのインタラクションが言語発達に及ぼす役割を重視しているのである。」(p. 146)という説明は、私の理解を深めてくれました。また、インタラクションと意味交渉について扱ったセクションでは、Nelson (1997) の認知比較、Swain (1995, 1998) のギャップの気づきに類似した考えとして、Saxton (1997) の直接対比仮説というものが紹介してありました。また、インタラクションの指導効果の研究では、「多くの研究者が、インタラクションが常に効果的であると捉えるのではなく、学習者のレディネスや作動記憶の容量などの学習者要因の相違によって、その効果は左右されるという前提に立っていること」(p. 149)が紹介してありました。

第7章は年齢と第二言語習得の関係についてでした。年代別に議論が整理してあり、この研究分野がどのように発展してきたのかを理解することができます。1970年代までの結論として、「a. 第二言語を習得するために費やす時間が同じであるならば、習得の初期段階では、成人学習者の方が統語形態領域で習得が速く進む。(改行)b. 第二言語を習得するために費やす時間が同じであるならば、習得の初期の段階では、年長の子どもの方が、年少の子どもよりも統語形態領域で習得が速く進む。(改行)c. 第二言語が日常的に話される環境(いわゆる、自然な習得環境)で第二言語習得し始めた子どもは、最終的到達度において、あらゆる領域で同一の環境の成人学習者よりも習熟度が高い。」(p. 174)とまとめてありました。その後、1980年代以降の研究としてJohnson & Newport (1989)、外国語学習環境での研究としてMunoz (2006)、普遍文法の観点からの研究としてJohnson & Newport (1991)とWhite & Genesee (1996) 、化石化の観点から吉村・中村(2010)他、がレビューされていました。一連の研究を見る中で、著者らは「全ての面で母語話者と代わらない程度の言語能力を身につけるためには、目標言語圏に早い時期、おそらく5~6歳までに移り住み、当地で学校教育を受けるなどして、日常的に十分な量の言語インプットを受ける必要があるだろう。そして、学習者の移住年齢がその人の最終的な第二言語能力を予測する重要な要因となりそうである。よって、外国語学習環境では、どんなに早期から学習を始めたとしても、すべての面で母語話者と同程度のレベルに到達するのはほぼ不可能ということになる。」(p. 198)と述べていました(ただし、上級者になることは可能です)。また、成人学習者の最終的到達度の調査のためには、当該言語圏に少なくとも10年間住んでいて、日常的に当該言語のインプットを受けている人を研究対象としなければちゃんとしたことは分からないだろうと指摘されていました(外国語学習環境で臨界期仮説や最終到達度の可能性について議論するのは、学習者が受けるインプットが十分ではないために、適切ではないと述べられていました)。また、短期間の教育では年長の子どもの方が年少の子どもよりも習熟度が高くなることについて、教室で行われる明示的学習法が前者により向いているものであることが原因になっているのではないかと指摘されていました(暗示的学習法が力を発揮するためには大量のインプットが必要であり、短期間でそのようなインプットを学習者に与えることは不可能である。したがって、短期間の教育では年長の子どもの方が長けている)。また、化石化が起こりやすい領域として、生成文法で言うところの音声部門の可能性が指摘されていました。この章では、調査の方法などによって大きく研究結果が変化する危険性が強調されており、年齢と第二言語習得の関係を調査することの難しさを理解することができると同時に、次の章への伏線ともなっていました。

第8章はデータ収集法についてです。様々な調査法が紹介され、その調査法のいい点と悪い点がフェアに記してあるので、特に第二言語習得研究初心者の人にとっては必見でしょう。まず調査における基本的な事柄として、縦断的研究と横断的研究、学習者のレベル分け、実験群と統制群、パイロットテスト、指導の効果を見るための実験デザイン、質的データと量的データ、インフォームド・コンセント、が説明されていました。次に具体的なデータの種類(または収集法)が網羅され、それぞれの特徴と長所、短所が説明されていました。具体的には、産出データ(自然発話データ、筆記産出データ、日記・ジャーナル、誘引タスク)、認識・理解に関するデータ(アクトアウト法、絵選択タスク・絵を用いた真偽値判断タスク、真偽値判断タスク)、実験心理学的手法によるデータ(コンピュータ等による刺激提示に対する反応の測定、プライミング、自己ペースによる読解/聴解)、神経生理学的データ(眼球運動、事象関連電位、PET/fMRI/光トポグラフィー/事象関連fMRI)、メタ言語データ(文法性判断タスク/受容度判断タスク)が紹介されていました。また、神経生理学的データについては、その注意点が明確に書いてありました。脳という言葉が出てくると何かすごいデータという感じがして、ついつい批判的に眺めることができなくなってしまいがちですが、私たちは他のデータと同様に冷静に対処する必要があります。また、事象関連電位の箇所で、母語においては意味的な逸脱に対してはN400が、統語的な逸脱に対してはLANとP600が紹介してありました。

第9章は論文の書き方についてです。特に量的研究(実験を行ってその結果を統計手法を用いて分析する研究)に基づいた最も典型的な論文構成に沿って、各セクションでそれぞれどのようなことが必要なのかが書いてありました。また、統計にちいても簡単な説明がされています。

とても面白い一冊であり、あっという間に読みきってしまいました。少し専門的な記述が多いですが、他のより基本的な入門書と合わせて読むといいのではないかなと思いました。また、動機づけなど個人的要因と第二言語習得の関係などについては本書では扱っていないため、本書一冊で第二言語習得の分野全般を理解できるわけではありません。ですので、やはり他の第二言語習得論の書物と合わせて読むとよいでしょう。ここまで専門的な議論を紹介している第二言語習得論の日本語の本はそうは多くないと思いますので、貴重な一冊です。

最後に本書の章立てを載せておきます。

第1章:第二言語学習者の特性

第2章:第二言語習得研究の歴史

第3章:生成文法理論に基づく第二言語習得研究

第4章:処理可能性理論に基づく第二言語習得研究

第5章:認知的アプローチに基づく第二言語習得研究

第6章:指導と第二言語習得

第7章:年齢と第二言語習得

第8章:第二言語習得研究でのデータ収集方法

第9章:第二言語習得に関する研究論文の書き方

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2011年1月 6日 (木)

M.マトゥラーナ&F.バレーラ(1984/1997).『知恵の樹 生きている世界はどのようにして生れるのか』を読む(管啓次郎(訳),筑摩書房)

初期の文学の経験的研究でよく引用された文献です。オートポイエーシスの本としても有名な一冊ですね。

マトゥラーナ,M.,&バレーラ,F.(1997).『知恵の樹 生きている世界はどのようにして生れるのか』(管啓次郎(訳)).筑摩書房.(原著は1984年出版)

感想:本書では、「すべての行為は認識であり、すべての認識は行為である」(p. 29)、「いわれたことのすべてにはそれをいった誰かがいる」(p. 29)という点を鍵として、人間とは何かということについて議論されていました。そして、「知ること」について考えるためには、知る人の生物としての組織について考察していかざるを得ないというように指摘します。そして、「生物は絶えず自己を産出しつづけるということによって特徴づけられている」(p. 51)と述べ、このことをオートポイエーシス(自己創出)と呼びます。したがって、生物とは著者らによってはオートポイエーシス組織とみなされます。このことが生物の大きな特徴と見なされます。著者らによれば、「生物にかんして特別なのは、その組織が生みだすただひとつのものはその組織自身だということ、生産者と生産物のあいだに分離がないということだ。オートポイエーシス単体の<存在>と<行動>はひとつであり、それこそ生物特有の組織化のモードなのだ」(pp. 57-58)ということになります。著者は、まずこの現象が細胞単体レベルで見られるということを示していました。

著者は、次に構造的カップリングという概念を導入します。これは、細胞単体のようなオートポイエーシスシステム同士が相互作用を繰り返すことを言います。一方のシステムにとってもう一方のシステムは、「環境」ということになります。両者の関係について、著者は次のようにまとめていました。「この構造的適合の中での、生物と環境との相互作用において、環境からもたらされる攪乱は、生物に何が起きるのかを決定しない。生物の中でどんな変化が起きるかを決定するのは、むしろ生物の構造のほうなのだ。」(p. 109)、「生物とその環境との、相互作用の結果としての変化は、攪乱する動因によってひきおこされるものではあるが、それを決定するのはかく乱されるシステムの構造だ。」(p. 109)つまり、環境は生物にとって攪乱の引き金を引くものであって、変化を指示するものではないということです。」つまり、「おたがいに状態変化をひきおこしながら、攪乱をもたらす相手としてふるま」(p. 114)い続けることが構造的カップリングとなります。

さて、著者は細胞単体同士のレベルのことをファースト・オーダーと呼びます。そして、細胞単体同士が凝集して出来上がったメタ細胞をセカンド・オーダーと呼び、このレベルもオートポイエーシス組織として機能していると主張されていました。著者は、どのレベルであろうとも「生物におけるあらゆる構造的変化は、そのオートポイエーシスの維持によって、かならず限界づけられている。そして生物において、オートポイエーシスの維持と両立する構造的変化をひきおこす相互作用は<攪乱>と呼ばれ、そうでないものは<破壊的相互作用>となるのだ。オートポイエーシスの維持をともなった、生物の進行的構造的変化は、各瞬間ごとに、連続的に、同時にいくつものやりかたで、起こりつつある。それこそすべての生命の、脈動そのものだ。」(p. 115)と述べてありました。

さて、このセカンド・オーダーのメタ細胞に神経細胞が加わったものはサード・オーダーとされます。神経は、感覚表面のポイントと運動表面のポイントをカップリングしています。この神経システムについて、著者らは「メタ細胞体の作動に、その有機体の構造的変化をあるていどの限度内におさめるメカニズムとして、参加する」(p. 190)と述べています。この意味で、作動的閉域をもっているとも言えます。しかし、その閉域から飛び出ない範囲ででは様々な変化をメタ細胞体にアクティブに起こし、その有機体が取りうる可能性を拡大していくダイナミックなネットワークです。ちなみに、有機体によってこのように創出される変化は、外部の存在から見えれば行動(ふるまい)に見えます。しかし、それはあくまでも外部からその現象を見た場合の話であって、実際のオートポイエーシス組織内では、環境からもたらされた攪乱によって引き起こされた構造的変化に過ぎず、そこには何ら主体性は認められません。

さて、サード・オーダーのカップリングとは、まさに人間と人間の社会コミュニケーションの次元の話となります。著者は、このレベルのカップリングで生じる現象を社会現象と呼び、サード・オーダーのまとまりのことを社会システムと読んでいます。そして、「社会的カップリングにおいて生ずる行動をコミュニケーション的と呼び、その結果としてぼくらが観察する行動の調整のことをコミュニケーションと呼ぶ」(p. 230)としています。また、「ある社会環境内でのコミュニケーション的ダイナミクスにおいて個体発生的に獲得され、何世代にもわたって安定したものでありつづけてきた…行動パターンのことを、文化行動と呼ぶことにしよう」(pp. 242-243)と述べていました。

通常、私たちは言語を使って様々な言語的調整をしているわけですが(昆虫が栄養交換をしているのに対して、人間は言語交換をしている)、時として自らに立ち返り、言語的調整それ自体について言語的調整をすることがあります。そこで初めて自意識が生まれます。そして、ものごとの観察、知ることについて知ること、が可能になると著者らは述べていました。

著者は、言語こそが人間が人間であるための最も重要な特徴であると考えています。言語によって、人は際限なく、描写、想像、物語が可能になったのです。著者らは、人間の相互的ライフスタイルが言語を出現させたという言語起源説についても考えを披露していました(pp. 264-270)。著者らは、言語は世界を表象するために生じたのではなく、言語が生じることで世界または世界の認識が生じたと考えています。

著者らは、最後に、「生物学がぼくらに教えてくれるのは、人間であることの独自性は全面的に、<言語する>ことをつうじて起こる社会的構造的カップリングにある、ということだ。そのカップリングによって生みだされるのは、つぎの二点だ。(a)人間の社会的ダイナミクスに固有のさまざまな規則性、たとえば個人のアイデンティティや自意識。(b)人間としてのぼくらがもいつ世界は他人とともに-かれらのことを好きだろうと嫌いだろうと-作りだす世界だけだ、ということをわからせてくれるような反省的思考を必然的にともなう、リカーシヴな社会的ヒューマン・ダイナミクス。(改行)生物学はまた、ぼくらは認識を拡大することもできるのだということを、教えてくれる。」(pp. 298-299)

アダムとイブが知恵の樹の実を食べたことで、自分たちが裸であることが恥ずかしいと思うようになりました。つまり、認識または知ることを開始したのです。まさに、知恵の樹の実とは言語であったと言えるでしょう。

この本は、生物の円環的な特徴が積み重なることでいかにして人間のような創造的な存在が可能となったのかということを説明してくれていました。また、本の書き方もそのことを意識してか、非常に円環的で、やっと最終章に辿り着いたかと思えば、そこは第1章に立ち返ったような議論となっていました。本書であ使われている生物学の内容については私は判断することはできないのですが、オートポイエーシスと言う考え方自体はかなり理解できたのではないかなと思います。

最後に、本書の章立てを記しておきます。

序文-知恵の樹 (浅田彰)

第1章:<いかにして知るのか>を知る

第2章:<生きていること>の組織

第3章:歴史-生殖と遺伝

第4章:メタ細胞体の生活

第5章:生物のナチュラル・ドリフト

第6章:<行動域>

第7章:神経システムと認識

第8章:<社会>現象

第9章:<言語域>と人間の意識

第10章:知恵の樹

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