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2010年11月26日 (金)

野澤俊英(2009).「語彙編」を読む(金谷憲(編),『教科書だけで大学入試は突破できる』,大修館書店)

この章の詳細は次の通り。

野澤俊英(2009).「語彙編」.In 金谷憲(編),『教科書だけで大学入試は突破できる』(pp. 51-97).大修館書店.

感想:この章では、高校と中学校の英語教育の結果として、これらのテキストで出てきた単語だけを学習していればどの程度大学入試問題(長文問題)に解答することができるのか、ということが調査されていました。この章で示された内容として、「①教科書のカバー率は概ね95%以上で非常に高いと言える。/②調査した大学、学部など24(センター試験を含む)の75%にあたる18で、解答可能率が70%を越えた。しかも、東京大学を含む、15大学・学部では80%を越えている。」(p. 96)ということが示されていました。大学入試で70点を取ればほぼ合格と考えると、教科書を地道に学習することが非常に大切であると言えるということが主張されていました。中には、教科書に出てきていない単語を知らないとその解答可能率が50%程度になってしまう入試問題もあるようですが、著者はまずは教科書の語彙をしっかりと学習し、その学習の上に単語帳などで語彙を補うべきであるということが主張されていました。ここでも、大学入試に合格できるかどうかという実際的な問題に関して、明快かつデータに基づいた議論がされていて、とても説得力がありました。

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豊田有紀(2009).「文法編」を読む(金谷憲(編),『教科書だけで大学入試は突破できる』,大修館書店)

この文献の詳細は次の通り。

豊田有紀(2009).「文法編」.In 金谷憲(編),『教科書だけで大学入試は突破できる』(pp. 13-50).大修館書店.

感想:非常に面白く読ませてもらいました。大学入試問題でどのような文法がどの程度出題され、どのような形で問われているのかが分析されていました。調査の方法も丁寧に説明してあるのでとても理解しやすいです。この調査によると、(1) 大学入試では基本的な文法項目の知識が要求されることが多いこと、(2) 細かい文法項目を知らないと解けない問いは少ないこと、(3) 文法項目について直接問うような形の問題がほとんどの大学(有名大学)では少ないこと(1割未満)、(4) 文法項目自体を知らなくても解ける(その項目が直接問いのターゲットとなっていない)問いも少ないこと、(3)と(4)を足しても入試問題全般に占める割合は15%に満たないこと、(5) 長文問題などで間接的に文法項目を問う設問が少しずつ増えてきていること、(6) 難関校になるに従って文法を直接問わずに間接的に問う問題が多いこと、(7) 基本的な重要構文が(間接的な形で)問われる傾向が増えていること、(8) 細かい構文が問われることは時代とともに減少していること、(9) (3)と(4)の割合はかつては1対1ぐらいであったのが、時代ともに後者の割合が増え、前者が減少してきていること、が述べてありました。著者は、細かい文法項目に時間を費やすことを考え直す必要があるのではないかと指摘しています。また、進学校の教師であるほど細かい文法の必要性を重視しており、実際の入試の現状と大きくかけ離れた思い込みを持っている傾向があることも指摘されていました。著者は、「入試で合格点に達するためには、細かな文法の知識を追い求めるよりも、確実に出題される長文問題で確実に点数を取れるような訓練を積み重ねることが重要である」(p. 35)と指摘していました。著者は、細かな文法を知らなかったとしても入試の合否にはそれほど大きく影響しない傾向があること、偏差値の高い大学では特定の文法項目を間接的に問うことでその知識の運用力を検査していると考えられること、文法項目を直接問う問いはいわゆる難関校ではない大学においては有効に機能することが予想されること(ただし、問われる文法項目は基本的なものであると予想されています)、が一連の調査から示唆として導き出されていました。著者は、大学入試で頻出の文法項目はどの教科書であっても登場するような文法項目であるため、検定教科書は大学入試にとって非常に有用な教材であると述べています。また、文法専門の副教材を用意すれば学習がより効率的になることが期待できる一方で、大学入試ではほとんど出題されないような細かい文法項目に時間を割いてしまうおそれもあるという点は注意すべきと指摘してありました。著者は、難関大学を受験する場合は、文法のワークなどは基本編か標準編を採択し、その内容について十分に練習を行い、高度な知識を身につけておくことが必要であると述べてありました。著者の結論としては、「検定教科書+理想のテキスト」で大学入試は十分といえると述べてありました。ここでいう理想のテキストとは、重要構文については豊富な練習問題があり、そうでない構文については程度に応じた練習問題があるようなテキストのことを指しています。

非常に面白く読みました。確かに、入試に合格するということを中心に据えて考えた場合、ここで議論されていた事柄は非常に説得力のある現実的な指摘だと思いました。

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金谷憲(2009).「まじめな入試対策のために」を読む(金谷憲(編),『教科書だけで大学入試は突破できる』,大修館書店)

この文献の詳細は次の通り。

金谷憲(2009).「まじめな入試対策のために」.In 金谷憲(編),『教科書だけで大学入試は突破できる』(pp. 3-11).大修館書店.

感想:ここ10年ぐらいで、「読解問題の長文化」、「文法を直接的に試す問題の減少」、「まとまった英文を書かせる」、「リスニング問題の増加」(pp. 5-7)といった傾向が大学入試には見られるそうです。また、センター試験では130wpmの速読力が必要とされるそうで、大学生でも常時100wpmを越えることが難しいことを考えると、やはり受験者にとっては大変なテストであるということを私は改めて認識しました。受験対策としての英語教育を考えるにあたっては、著者は「①入試問題は、実際どのようになっているか。(敵を知る)/②高校での授業は、生徒にどのようなことを教えているのか。(己を知る)/③高校生は、そのうちどの程度を理解し、定着させているのか。(己を知る)」(p. 8)という3つの情報が必要ですが、本書は①と②に絞って議論を進めるそうです。著者は、大学入試には悪問も少数存在しているのは事実ですが、全体としては「特別な参考書や問題集などを多数こなさなければ突破できないものとも考えない。教科書を地道にこなしてゆくことによって、どこまでやれるかということを示すのが本書の目的である」(p. 11)と述べてありました。

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Y.Shen(1995).「Cognitive Constraints on Directionality in the Semantic Structure of Poetic vs. Non-poetic Metaphors」を読む(『Poetics』)

この論文の詳細は次の通り。

Shen, Y. (1995). Cognitive constraints on directionality in the semantic structure of poetic vs. non-poetic metaphors. Poetics, 23 (4), 255-274.

感想:一般に、詩的言語には規則の逸脱という側面が強調されますが、著者は詩的言語であっても日常言語に見られる規則性にしたがっているということを直喩の分析で示していきます。 "the 'violence' itself (i.e., the rule-breaking) must be 'organized' or regulated, in order to ensure the interpretability of the poetic utterance. It follows, in other words, that even the rule-breaking conduct of poetic language is 'organized', that is, complies with certain constraints." (p. 257) そして、著者は非文学的メタファーにおける規則性を整理していきます。そして、ソースとターゲットの間にある一定の規則性があることを指摘します。その規則については、次のようにまとめられていました。 "A. Whenever the two terms of the metaphor differ in their respective level of abstraction, the direction of mapping is from the concrete to the abstract, and not vice versa. /B. When the two terms do not differ with respect to the concrete-abstract scale, but do differ in their respective degree of salience relative to the shared (explicit or implied) category, the direction of mapping is from the mroe salient to the less salient, and not vice versa." (p. 258) この規則が詩的メタファーでも見られるかどうかが分析されています。著者はヘブライ語の400個の直喩を4つの時代区分から収集し、そのソースとターゲットがそれぞれどの程度具体的(抽象的)か、どの程度比較されている観点において代表的か、を調査参加者による判定によって決定し、それぞれの直喩表現を分類しています。更に、ソースとターゲットの関係を、標準形、第一級違反形、第2級違反形、の3つのレベルに分類して、それぞれのレベルにどの程度の数の直喩が見られるかが調べられていました。その結果、標準形がほとんどであり、第2級違反形は非常に少ないことが示されました。また、第1級違反形については、「具体的ー抽象的」という観点からは非常に数が少なかったのですが、代表性という観点からはとても数が多かったそうです(ソースもターゲットも共に非代表的である事例が多かった)。この理由を説明するものとして、著者は次のような原則を提示しています。 "The 'source' term (the 'vehecle') must /A. be (relatively) concrete, and /B. its salience must not be lower than that of the 'target' term (the 'tenor')" (p. 269) この原則の根源には以下のような認知制約が機能していると著者は考えています。 "A. Our natural tendency is to transform a 'lesser' form into a 'better' one, but not the other way around: a better form will be used as a cognitive reference point (Rosch, 1973) against which a lesser form may be perceived as a variation, but not vice versa. /B. Stimuli regarded as the congnitive point of reference (the 'source' term in a metaphor) must havea minimal degree of perceptual distinctiveness." (p. 270)そして、これらの原則に違反する比喩は実際の分析でも数が少なかったですし、読者にとって非常に処理しずらい表現となります。さらに、実際にそのような表現に読者がであった場合は、その表現を標準的な原則に従うように少し調整して解釈しようとする傾向があるようです。また、一見これらの原則にそむく比喩であっても、そこで使われている語が本来は抽象語であるにも関わらず日常語で広く使用されており、人々にとってイメージしやすいものとなっている傾向があるそうです。

私も文学の言語に大変興味を持っていますが、ついつい日常言語の規則からの違反という形で一方的に考えてしまう傾向があります。しかし、その逸脱的表現も規則にしたがっているというのは、ロシア・フォルマリストのシクロフスキイが指摘しているところでもあります。今後注意したいと思います。メタファー研究に興味を持っている人にとてもお薦めの論文です。

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2010年11月24日 (水)

山口美知代(2009).『英語の改良を夢みたイギリス人たち 綴り字改革運動史一八三四-一九七五』を読む(開拓社)

本書の詳細は次の通り。

山口美知代(2009).『英語の改良を夢みたイギリス人たち 綴り字改革運動史一八三四-一九七五』.開拓社.

感想:著者の山口先生から直接頂きました。非常に地道な資料収集及びその批判的検討に基づいて執筆されており、本当に敬服いたします。さて、本書の内容ですが、私が初めて知ることがほとんどで、ここで要約すいることはできませんが、読んでいてとても関心を持った事柄について述べたいと思います。

<序章:国民統合の言語から国際語へ>

本書の目的は、「英語書記法の改良を目指した「綴り字改革論者」の言説と運動の分析を通じて、一九世紀から二十世紀のイギリスにおいて特徴的であったひとつの「英語観」を明らかにしようとするもの」(p. 12)と述べられていました。著者は、「それぞれの綴り字改革論の背景にはその時代固有の言語観、綴り字観、言語規範観、読み書き能力観があり、個々の綴り字案や論考は、そうした言語観を具体的に反映したもの」(p. 14)であり、「綴り字改革論自体は、ある意味で少数派による極端な思想であった」(p. 14)ものの、「そこに映し出された英語に関する自意識とコンプレックスは、より一般的な広がりを持つ社会的・文化的背景のもので醸成されたもの」(p. 14)であると指摘しています。1834年は、言語学者ロバート・例サムが綴り字改革についてのパンフレットを出版した年であり、1975年は英語教育に関するイギリス政府の諮問委員会がその報告書として『ブロック・レポート』を出版した年だそうです。この間の140年の間に綴り字改革運動は高まったり停滞したりということを繰り返したそうです。大きな高まりを見せたのは、1870年代後半~1880年代前半、1910年前後、1920年代半ば、1950年前後、1960年代、だそうです。なお、綴り字改革論の基本的な考え方として、表音原則を徹底することと現行正書法の不規則性を減じることの2つがあるそうです。

<第1部 基礎教育の効率化をめざした綴り字改革論者たち -読み書き能力獲得と国民統合の一九世紀>

第1部では、「一八七〇年の基礎教育法制定以降、「読み書き算数」を中心とする基礎教育の中央集権化が進み、教育を通じた国民統合が社会的関心事となっていた時代に、「読み書きの習得が難しい」とされる英語の正書法を問い直す議論が一定の関心を集めるようになっていく様子」(p. 19)が描かれます。第1章では、アイザック・ピットマンについて記述がされていました。彼はフォノグラフィーという表音式速記法の考案者であると同時に表音式拡大アルファベット「フォノティピー」を普及しようとした人物で、19世紀を代表する綴り字改革論者です。彼が生きた時代は、識字率があがったり、スペリング・ビーという綴り字コンテストが流行した時代でした。ピットマンは、フォノグラフィーの表音原則(1つの音に対して1つの記号を対応させるという原則)を重視し、発音通りに単語を綴ることができるフォノティピーを提唱しました。これにより、読む能力の習得が容易になり、英語の発音もより正確になると考えていたそうです(彼は、このアルファベットを用いてたくさんの本を出版しています)。フォノティピーは、1847年にアレクサンダー・ジョン・エリスと協働し、改訂されることになります(母音が19文字、子音が21文字)。これには新たなアルファベットが用いられましたが、1870年代に綴り字改革運動が広まるにつれて、他の人と足並みをそろえるために現行アルファベットだけを用いたファースト・ステージ」を目指すようになったそうです。ピットマンの運動は失敗に終わりましたが、その後の綴り字運動には大きな影響を与えたそうです。それらは、「第一に、表音主義を徹底的に追求したという点、第二に、読み書き教育の改善のための綴り字改革という目的意識を強くもっていたという点、第三に、速記普及運動で形成された人的ネットワークを活用し、綴り字改革運動のネットワークを作り上げたという点」(p. 53)です。ただし、1点目については、ピットマンの独創というわけではなく、すでに近代初期からこのような考えはあったそうです(p. 56)。2点目については、当時、「読み方能力=書記言語を音声言語に直す能力」、「書き方能力=音声言語を書記言語に直す能力」として測定されたそうです(p. 60)。

第2章は、ロンドン学務委員会による運動についてです。「1870年代におけるイギリスの英語綴り字改革運動の一翼が、公的初等教育普及のための地方教育行政機関であった学務委員会によって担われていた状況と背景」(p. 64)が明らかにされています。この意義として、「第一に、ロンドン学務委員会という地方教育行政機関、つまり公的機関が中心になって綴り字改革運動を行ったことで、綴り字改革運動がより社会的な広がりを見せるようになった」(p. 67)こと、「第二に、「公権力の承認を得て公的初等教育のなかに綴り字改革を導入する」という運動の方向性が打ち出されること」(p. 67)になったこと、「第三に、…請願運動のために組織されたネットワークを母体にして・・・一八七九年には英語綴り字改革協会が結成された(pp. 67-68)こと、が挙げてありました。ただし、この改革運動は具体的な改革案は検討しておらず、「綴り字改革が基礎教育にとって必要であることを公的に証明することを目標としていた」(p. 68)そうです。中心人物は、物理化学者ジョン・ホール・グラッドストンでした。

第3章は、「綴り字改革についての王立調査委員会設置を求める請願運動への支持を表明して、世論を盛り上げること」(p. 112)を目的として開催された綴り字改革公開会議(1877年)についてです。この公開会議は、基本的には「「ロンドン学務委員会の請願運動を支援すること」であり、具体的な改革案の検討は行」(p. 113)いませんでした。この章では、この会議にどのような人が集ったのかが整理されていました。基礎教育関係者、言語研究者、速記関係者、急進主義者、自由党支持者、政治家ロバート・ロウ、音楽教育家ジョン・カーウェンについて説明されています。また、綴り字改革公開会議から2年後の1879年に発足された英語綴り字協会の活動についても説明されていました。この協会では様々な改革案が持ち寄られ、検討されたそうですが、案を統一することはなかったそうです。、また今日の言語学から考えると、当時の改革案は素人の域を出ないものであったそうです。

<第2部:言語の科学的研究を志した綴り字改革論者たち -十九世紀の言語学者・音声学者を中心に>

第2部では、言語学者による19世紀の綴り字改革運動がまとめられていました。「言語学者が綴り字改革を支持することに対しては、「言語学(フィロロジー)の専門家ならば、言語の歴史と成長に関心を持つべきであるのに、その彼らが表音式綴り字を熱心に支持するのは、理解に苦しむ」といった批判的な見方もあったが、彼らには彼らの動機と論理があった」(p. 130)と著者は述べていました。第4章では、ロバート・レイサムの活動が整理されています(レイサムの研究は、クワークによる発言がきっかけとなって近年様々な文脈で再評価がされてきているようです)。レイサムはデンマークの言語学者ラスムス・ラスクから大きな影響を受けているそうです(ラスクもデンマーク語の正書法改革論を熱心に展開しています。しかし、後の彼の綴り字改革論ではラスクの影響について述べた箇所などが削除されることもあったそうです。)。彼は、比較言語学的アプローチを取り、一音一字対応の原則を重視して論を展開しました。しかし、彼が用いた綴り字は彼自身の考察によるものではない可能性があるということが指摘してあり、とても面白かったです(p. 141)。この章では、彼の執筆した書物での綴り字改革論が詳細に検討されています。また、レイサムのように綴り字改革論に関心を寄せた言語学者として、サンスクリット学者マックス・ミューラーとアッシリア学者アーチボルド・セイスに言及がなされ、彼らの綴り字改革支持について詳しく記述されています。

第5章は、言語学会(フィロロジカル・ソサイエティ)が公認した英語綴り字の部分的修正案について整理されています。この時代、言語学会はOEDを編集していました。この学会では、2度綴り字改革について取り組む必要性が議論されましたが、2度目にその改革案が決定され、学会の刊行物でも一時改革案が用いられたそうです。ただし、1880年代後半にはほとんど用いられることはなくなったそうです。また、OEDの第一版ではマリーは独自の発音表記システムを使用したそうですが、第2版では国際音声記号に取って代わられました。この章では、イェイツ、フライ、ゲストによる初期の綴り字改革論考、フライとエリス(「グロシック」)の綴り字改革論、アメリカ言語学協会による部分的綴り字改革案、ヘンリー・スウィートの部分的修正案(表音原則を徹底していない、語源への配慮をしている、といった特徴が挙げられていました)、が挙げてありました。また、部分的修正案の言語学会内での受け入れ状況として、表音主義者エリスによる批判、学会誌での使用状況の減少、が挙げてありました。

第6章は、19世紀のイギリス音声学と綴り字改革論の関係についてまとめてありました。著者によると、綴り字改革論は音声表記に関わる実際的な議論が進められたため、音声学の発展に貢献したそうです。また、ヘンリー・スウィートの精密ローミックと簡易ローミックについても詳しく説明されていました。当初は、ともに「語と語の協会を無視した表記になっている点」(p. 214)と「話し言葉において弱形で現れそうな語は弱形の音で表記されている」(p. 214)という特徴があったそうですが、簡易ローミックには、語と語の境界を意識した形のバージョンも存在します。また、リフォーム・ムーブメントについても言及がされており、「表音式綴り字で綴った教科書を用いることが重視された」(p. 218)ということが指摘してありました。当時は、音声学と綴り字改革論は密接な関係がありましたが、音声学が専門分野として整備されていくにつれ、綴り字改革論や表音式綴り字をめぐる議論が音声学の発展に貢献することはなくなっていったそうです(ただし、綴り字改革論に関心をもつ音声学者がいなくなったというわけではありません)。

<第3部:「世界語」に完璧を求めた綴り字改革論者たち-二十世紀の展開>

第7章は、1908年にロンドンで設立された簡略綴り字協会の活動を中心として、「この時期の綴り字改革運動が、「国際語としての英語」という視点を前面に打ち出して展開された様子」(p. 226)が明らかにされていました。まず、デイヴィッド・クリスタルの綴り字改革不要論が取り上げられています。彼は、既に地球語としての地位を確立している英語は綴り字を変える必要はないし、そもそも変えることは不可能であると述べました(ただし、英語の不規則な綴り字を望ましくないものとは考えているようです)。これに対して、クリストファー・アップワードは反論し、「英語が国際語としての地位をより確実にしていくためには、不規則で学びにくい綴り字を改革しなければならない」(p. 231)と考えていました。このように、この時期は国際語としての英語という視点が前面に出ています(ただし、読み書き能教育効率化のための綴り字改革という考えもまだ残っています)。著者は、この考えは「今日なお唱えられている「英語は言語的に優れているから国際語となった」という考え方と、表裏一体をなすもの」(p. 231)であると指摘し、当時の綴り字改革論者は英語について「優越感と共に劣等感も併せ持って」(p. 231)いたということが指摘してありました。また、イギリスの簡略綴り字協会はアメリカの簡略綴り字委員会と協力して改革を進めようとしたようです。この背景には、「英米の英語の音と綴り字が、看過できない違いを見せていたこと、そして人々がそれを意識していたこと」(p. 238)があるそうです。また、第一回帝国教育会議では、入植植民地として始まった自治領に限定してではありますが、綴り字改革が議論されたそうです。また、この時期はエヂソンによる蓄音機の発明がなされ、大英帝国内では、英語だけでなく諸言語の音声への学問的関心が高まった時期だそうで、蓄音機は言語研究及び綴り字改革論に大きな影響を与えたそうです。第一回帝国教育会議では簡略綴り字の重要性を認める決議がなされたそうですが、「一方では、読み書きを簡単にして英語話者を増やすという拡大の思想があり、また他方では、拡大による英語の変質を防ごうとする保守の思想が強く働いていた」(pp. 257-258)と著者は指摘します。後者の点については、入植植民地が本国イギリスから独立の度合を強めていった背景があると述べられていました。また、この時期の綴り字改革運動でダニエル・ジョーンズが大変活躍した様子もまとめられています。そして、1940年に簡略綴り字協会が、1911年以来協会が用いてきた簡略綴り字を改訂し、ニュースペリングを出版したことについて説明がされていました。この改訂に携わったアーサー・ロイド=ジェームズについて、「綴り字改革論者は、一方で、言語の本質は音声言語であるという信念のもとに書き言葉を話し言葉に近づけようとして、表音式綴り字の導入を求めてきた。しかし同時にもう一方では、綴り字が音をコントロールできる、つまり書き言葉が話し言葉を規程できるとも、主張していたのであった。本章第一節で見た二十世紀末のアップワードの英語の将来についての不安と、綴り字改革によってそれを防げるという考え方は、二十世紀半ばのロイド=ジェームズにも強く意識されていたことがわかる」(p. 282)ということが述べてありました。

第8章はイギリス労働党下院議員モント・フォリックによって提出された綴り字改革に関する法案の審議について説明されています。モント・フォリックらは、わざとこの法案を取り下げる代わりに大臣の(一定の?)支持を得ることに成功しています。そして、この支持を最大限に利用して活動を続けることになったそうです。しかし、その活動の中心となったのは、アイザック・ピットマンの孫にあたる、ジェームズ・ピットマンでした。

第9章は、バーナード・ショーの綴り字改革についての関わりが整理されていました。ショーが『ピグマリオン』を執筆した頃は、「表音式綴り字の導入によって、誰もが標準英語を話せるようにすること」(p. 308)が目的だったそうです。ショーの遺言執行に関する議論が詳しく記述され、英国キングズリー・リードの案が「ショー・アルファベット」または「シェイヴィアン」が『アンドロクレスとライオン』の出版に使用されるに至る経緯が説明されていました。こうした一連の事柄でも、ジェームズ・ピットマンが活躍したそうです。

第10章は、第8章と9章でその活躍ぶりが指摘されていたジェームズ・ピットマンによる初期指導用アルファベット(イニシャル・ティーチング・アルファベット、i.t.a.)です。これは1960~70年代のイギリスで小学校に実験的に導入された44文字からなる拡大アルファベットです。このアルファベットには現行アルファベットからqとxを除き、新たに20の新字を加えたものだそうです。その特徴として、「(一)一音一字対応に近い表記が可能になるような拡大アルファベットである点と、(二)読み書き教育の入門期のみに用いる教育的アルファベットで、いずれは現行正書法に移行することが前提になっているという点」(p. 320)です。子どもは4~7才まで書記指導用アルファベットで学び、7~11才に進むまでに通常のアルファベットに移行するそうです。1961年9月から21校で実験的に使用が開始されたそうですが、1970年代になると支持されなくなり、母語としての英語教育に関する政府諮問委員会報告書『ブロック・レポート』(1975年)でその効果が疑問視されたことでその衰退は加速しました。更に1982年に所期し同様アルファベット財団が解散したため、この運動は終わったそうです。さて、この初期指導用アルファベットは、その効果を実証するための実験が1961年から行われています。この実験の背後には「一音一字対応の原則に則った規則的な初期指導用アルファベットを用いて英語の読み方を学び始めた子どもたちは、普通綴り字で読み方を学び始める子どもたちよりも、早く英語が読めるようになるというものであった。そしてそれだけでなく第二の仮説として、一旦、初期指導用アルファベットで英語の読み方を習得した子どもは、その後普通綴り字へと困難なく移行することができ、また移行後の理解度も、最初から「普通綴り字」のみで学んできた子どもたちよりも優れているというものがあった」(p. 328)そうです。さて、この実験には更に細かい仮説が設けられていますが、すべてが初期指導用アルファベットを支持する結果とはならなかったそうです。更に、その後ジョン・ダウニングが第二実験を行ったのですが、その結果では初期指導用アルファベットの効果を疑問視せざるを得ないような結果が出てしまい、ピットマンとダウニングは対立していくことになったそうです。著者によると、ピットマンは結論さきにありきであり、とにかく初期指導用アルファベットが有用であるということを示すことがその実験の目的であったようです。なお、イギリスでは初期指導用アルファベット以降、大規模な形で実験された綴り字改革運動は起こっていないそうです。その後の綴り字案として、かっとスペリングが簡単に紹介してありました。これは、余剰な文字を取り除くことで英語の綴り字を現代化するというものだそうですが、その変更は最小限に押さえられているそうです。

<結びにかえて>

さて、本書を読んできましたが、最後に著者は「特に綴り字改革論者にとって重要な鍵となったのは、国民教育確立期の読み書き教育の普及(第一部)、言語科学成立期の音声表記体系の探求(第二部)、国際語としての英語の勢力拡大(第三部)であった」(p. 346)と本書をまとめています。そして、綴り字改革の動機として、「読み書き教育効率化、音声表記体系の考案、国際語としての英語」(p. 348)がありますが、著者はそれらの現代においても動機として成立するかどうかを議論しています。1点目については、読み書き教育は依然として重要な課題ではありますが、それはもはや綴り字改革の必要性には結びつくことはないだろうと述べています。また2点目については、音声学が進歩したり技術の進歩によって音声の正確な記録が可能になったことによって、綴り字改革の動機とはならないであろうということが指摘してありました。3点目については、デイヴィッド・クリスタルが主張したように、もはや英語は国際語としてゆるぎないものとなっており、綴り字の不規則性がその地位を脅かすとは考えにくいと述べてありました。著者は、一連の綴り字改革は失敗であったと述べながらも、綴り字改革は人々の言語に対する好奇心や探究心を刺激するものであるため、これからも消えることはないだろうとして本書を締めくくっていました。

さて、私は自分が特に興味をもったことのみを羅列しました。したがって、このブログで漏れている情報は多々あります。あまりにも私にとって新しいトピックであり、すべてを理解できた自身はありません。しかしながら、このようにしっかりとした資料分析に基づいている研究書を読むと、とても勉強になりましたし、とても刺激を受けました。お薦めの一冊です。

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2010年11月 8日 (月)

S.J.シュミット(1986/1987).「テクスト理解-テクスト解釈」を読む(杉谷眞佐子(訳),『独逸文学』)

この論文の詳細は次の通り。

シュミット,S.J.(1987).「テクスト理解-テクスト解釈」(杉谷眞佐子(訳)).『独逸文学』,31,168-203.関西大学独逸文学会.(原著は1986年出版)

感想:この論文は現在では既に古くなっていますが、文学の経験的研究が目指しているテクスト理解及びテクスト解釈についての研究方法をよく理解することができます。著者は、最初にテクスト理解のモデルを列挙します(ここではリーディング研究などではおなじみにモデルが一つ一つ簡潔に説明してありました)。次に、著者は構成主義の立場からテクスト理解を議論することが必要であると述べ、その一方で解決されていない方法論と理論の問題点を列挙します。方法論の問題点については、理解プロセスをモデルとして提示することが可能かどうか定かでないこと、何を持って理解プロセスの妥当な実証と見なすか定まっていないこと、どの記憶モデルを用いればよいか定まっていないこと、調査は特殊な状況下での間接的方法でしか行うことができないこと、調査が知的側面のみに限られている傾向があること(関心や意図、動機、情緒的要因なども調査対象として全体的に考察していくことが必要である)、より質的研究法を採用することでかえって解釈上の問題が増加したこと(これらの収拾ができていないこと)、研究が基盤としているスキーマ理論がまだ十分に厳密なものではないこと、調査で苦労するわりに調査の結果自体はつまらないものであることが多いこと、限られた形態のテクストに対してしか調査が行なわれてきていないこと、が挙げてありました。理論上の問題点としては、テクスト理解を情報処理という観点からしか見ることができていないこと、記憶を貯蔵という観点からしか見ることができていないこと(このことが正しいかどうかが結論が出ていないにもかかわらず)、テクスト処理をテクストと受容者の相互行為プロセスと決め付けていること(このことが正しいかどうか結論が出ていないにもかかわらず)、テクストとテクスト外の現実との関係を指示意味論的にのみ考えていること、受容と処理の区別ができていないこと、が挙げてありました。次に従来のテクスト理解研究に対して構成主義という立場から批判がなされていました。ここでは、まず自己生産体制理論という観点から物事を考える必要性、テクスト理解をコミュニカートの生産という観点から考える必要性(従来の「意義」に加えて情緒的要素をも含む概念としてコミュニカーとは使われています)、記憶を再認という観点から捉えなおす必要性、実際の理解プロセスと報告者によって報告される理解プロセスは異なるものであるということをより深く捉えることの必要性、が述べてありました。著者はコミュニカート形成プロセスを明らかにすることこそがテクスト理解研究であると考えており、その基本的な前提(または仮説と言ってもいいでしょう)がリストにしてありました。また、テクスト解釈という、文学研究が長い間取り扱ってきた問題についても、構成主義的立場からその仮説が列挙してありました。

文学の経験的研究について初めて読む場合は、この論文は何を述べているのか理解しにくいかもしれません。ですが、文学の経験的研究がテクスト理解とテクスト解釈についてどのような立場を取っているのかが端的にまとめてあるので、ある程度この文学理論に馴染みがある人であれば頭を整理するのによい論文であると思いました。

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2010年11月 2日 (火)

野内良三(2002).『レトリック入門 修辞と論証』を読む(世界思想社)

本書の詳細は以下の通り。

野内良三(2002).『レトリック入門 修辞と論証』.世界思想社.

感想:本書は修辞学についての概説書です。第1章では、修辞学衰退の歴史が記述されていました。しかしながら、著者は衰退という側面に注目して本書を執筆したのではなく、勢力は衰えつつも生きながらえて現代へと至っている点に注目して本書が執筆されています。そして、どのように現代に修辞学が復活するに至ったのかが説明されていました。第2章では、レトリック復活において大きな影響を与えたJakobsonの失語症の研究の意義と問題点が述べられたあと、堤喩、喚喩、隠喩において帰納する認識を説明し、「文彩」という概念について詳しく述べてありました。そして、「議論法が知性に働きかける説得(論証的説得)だとすれば、文彩は感情や想像力に働きかける説得(修辞的説得)である。その要諦は「わざとらしさ」と「本当らしさ」(自然さ)の微妙な按配(配合)にある。」(p. 52)という見解が示されていました。本書では、文彩と議論法を分けて説明し、前者については堤喩、喚喩、隠喩の3つを中心に説明がなされていきます。第3章では、堤喩、喚喩、隠喩の3つの文彩についてその原理が説明されていました。前章で、堤喩は類似性、喚喩は結合性、隠喩は異なるカテゴリーに属する2つのものの意外な類似性、という原理を元に機能するということが述べられていましたが、それぞれの文彩について例を交えながらより具体的な説明がなされていました。第4章では堤喩系列と喚喩系列の文彩について様々な技法が紹介されています。第5章では隠喩系列の文彩とその他の文体的技法に関わる文彩が紹介されていました。第6章では、論証的説得についてその前提的事項が説明されています(理論編とでも言いましょうか)。第7章では、論証で用いる様々な議論の型が紹介され、それぞれの型を打ち崩すにはどのようにすればよいのかということも説明してありました。修辞学については古い本が多く、なかなか読みにくいものが多いのですが、本書はとても新しいので非常に読みやすいです。とても勉強になりました。なお、例はほとんどが日本語の作品から取られています。

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