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2010年8月31日 (火)

靜哲人(2009).『英語授業の心・技・体』を読む(研究社)

本書の詳細は次の通り。

靜哲人(2009).『英語授業の心・技・体』.研究社.

感想:本書は、発音指導を中心に据えて、英語の授業の3形態(一斉形態、ペア形態、グルグル形態)が解説されています。授業を英語で行なうか否かということが問題となっている昨今において、とても重要な指摘が多くなされていました。特に私が重要だと感じた点は、(1)流暢さには正確さが伴ってなければらないこと(p. 18)、(2)カタカナ英語は練習しなくても学習者はすでに身についていること(p. 19)、(3)発音などで顔が下向きになる学習者に対して「スピーキングになるから顔を上げてごらん」と指示するとうまくいくことが多いこと(p. 123)、でした。また、様々な指導助言(合格基準などに関して生徒から求められても妥協しないこと、など)や活動例(ポンポン・メソッドなど)が示してあり、とてもためになりました。更に「靜流英語授業道 心・技・体 十五戒」もとても重要だと思いました。最近は、「発音はアイデンティティーの問題だから」など、発音を重視しない立場も多く見られますが、色々と考えさせられる一冊でした。

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2010年8月30日 (月)

脇阪豊(1986).「テクスト研究」を読む(『ドイツ文学』)

この文献の詳細は次の通り。

脇阪豊(1986).「テクスト研究」.『ドイツ文学』,76,199-206.

感想:この文献は日本独文学会1985年秋季研究発表会で行われた2つのシンポジウム「テクスト研究の諸相」(司会:川島淳夫・柿沼義孝、報告:菊池武弘・大矢俊明・下川浩・日置孝次郎・藤井文男)と「テクスト研究の現実的諸問題」(司会:植木迪子・脇阪豊、報告:丸井一郎・能登恵一・高橋由美子・川島淳夫・Götz Wienold)の報告と討議の要約です。ドイツ文学研究の中で「テクスト」という語が様々な意味やレベルで用いられるようになり、その拡がりを把握した上で今後の研究に役立てようという趣旨のシンポジウムであったようです。テクストというものへの取り組みとして様々な発表があったようで、読んでいてとても面白かったです。現在では、インターネットなどの進展によって、当時以上に「テクスト」という概念が多様化していると思いますが、このようなシンポジウムがあれば参加してみたいと思いました(おそらく既にどこかでこのような試みは多くなされているのでしょうけど)。

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大瀧敏夫・曽田鉱二・田村光彰・松村保寿(1981).「シュミット理論によるA. Stramm研究」を読む(『ドイツ文学』)

この論文の詳細は次の通り。

大瀧敏夫・曽田鉱二・田村光彰・松村保寿(1981).「シュミット理論によるA. Stramm研究」.『ドイツ文学』,67,114-125.

感想:日々の仕事などに追われて、随分と文献研究を怠けてしまいました。今日から再始動です。この論文は、文学の経験的研究の初期の研究法を用いた論文で、当時の考え方を大雑把に理解することができます。ドイツ語の引用がかなりあり、お恥ずかしながらドイツ語ができない私には細かいところはあまり理解できていませんが、当時考えられていた研究方法については把握することができると思います。文学の経験的研究に対する当時の情熱が感じられる一本です。

まず、S. J. Schmidtの提唱する文学の経験的研究の考え方(文学を社会コミュニケーションの1形態とみなす考え、そして文学は文学生産(者)、媒介(者)、受容(者)、加工(者)、という4つのプロセスないし参加者から成り立つという考え)が要約されます(S. J. Schmdtの文学理論の考え方を本格的に理解するにはこの論文の既述では十分ではなく、このブログで紹介した彼の論文を読むことが必要でしょう)。次に、A. Strammの詩作を例としてS. J. Schmidtの提唱する文学理論に基づいた分析が実践されています。この論文で面白いと思ったのは、「社会的存在としての一個人が自己の存在証明を得るためには、少なくともある特定の社会層からの承認が必要であり、それは言語的な相互作用を拠り所としている。逆に、否定的な形でしか存在証明を築き上げられない者は、容易に非伝達的な傾向に陥っていく。」(p. 116)という指摘(これはこの論文の筆者らの考えというよりはS. J. Schmidtの考えです。要は、社会の中で自己の確立が難しい作者は結果として逸脱などの非日常的表現が作品内に増えるという考えです。)と、生産者(作者)について研究する場合は受容者(読者)や媒介者などの期待も常に考慮して研究すべきであること、の2点です。

現在の文学の経験的研究は本論文とは随分と異なっていますが、当時の考え方について改めて色々と考えさせられました。

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