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2010年1月29日 (金)

C.Kramsch&O.Kramsch(2000).「The Avatars of Literature in Language Study」を読む(『The Modern Language Journal』)

この論文の詳細は次の通り。

Kramsch, C., & Kramsch, O. (2000). The avatars of literature in language study. The Modern Language Journal, 84 (4), 553-573.

感想:かなり難解な論文でした。著者は、MLJ誌上での議論を中心にして、外国語教育における文学教材の役割の変遷を議論しています。著者らによると、”Literature has been used for the aesthetic education of the few (1910s), for the literacy of the many (1920s), for moral and vocational uplift (1930s-1940s), for ideational content (1950s), for humanistic inspiration (1960s-1979s), and for providing an “authentic” experience of the target culture (1980s-1990s).” (p. 553) と総括できるそうです。この論文が出版された当時は、文学を使った外国語教育研究はMLJ誌上ではほとんど見られなくなってしまったようですが、 “”literariness” in language acquisition research is far from dead” (p. 553)と著者らは考えているそうです。

著者らは文学が外国語教育から消えていった外的な要因として、次のようにまとめています。”The two world conflicts among warring nations have problematized the role that literature, as the cultural heritage of nation-states, has played in the teaching of foreign languages in the United States. The slow but ineluctable demise of philology since the late 1910s, the rise of the social sciences in the 1920s, the triumph of the sciences of education in the 1930s, and the overwhelming influence of linguistics since the 1950s have gradually made literature obsolete as the major discipline associated with language study.” (p. 553) 著者らは、文学がどのように外国語教育から消えていったかを、5つの段階から説明するとしています。その点に関して、”Although literature had played a preeminent role in the teaching of foreign languages until World War I, its ascendancy through the life of the MLJ waned in five successive stages, related to give particular historical events that crystallized the ongoing trends. The first stage began with the end of WWI with its social revolution and the democratic demands of mass education. The second stage began with the Coleman report of 1929 that officially replaced literature with reading education as the primary objective of language teaching. The third phase began with the end of World War II that shifted the focus from reading to speaking and the audiolingual drill. The fourth stage began with the issuance in 1958 of the National Defense Education Act that served to consolidate the split between the teaching of language for defense purposes and that of literature and to replace literature with linguistics as the source discipline for language teaching. The fifth and last period was ushered in by President Carter’s Commission Report in 1979, which led to an emphasis on linguistic and cultural proficiency in which literature qua literature played only a marginal role.” (p. 554)

さて、その第一段階ですが、著者らは1916年から1929年の間に文学からリテラシーに焦点が移ったとしています。この時代、最も多く言及された文学ジャンルは詩だったそうです。著者らは最初に19161918年の間について整理します。1916年は、MLJ誌が発行開始となった年ですが、当時は言語学習と言えば文学学習を意味していました。この当時、アメリカでは、フランス文学とドイツ文学が言語教育という場に大きく幅をきかせていたそうです。フランス文学側は、フランス文学を使えば(フランス流の)道徳観と論理的明晰性をアメリカ人学習者に植え付けることができると考えていたようで、芸術的に優れた作品(言語形式面や文体的に優れているもの)を精読することが役に立つと考えられていました。これに対して、ドイツ文学側は、内容的に優れた文学作品を用いることを強調していました。例えばJulius Sachsは、ダイレクト・メソッドと文法訳読式教授法を批判し、reading approachを提唱しました。Sachsは形式や文体よりも内容や意味を重視したわけです。Sachsは、言語と文学の関係について次のような考えを持っていたそうです。”(a) Mastery of linguistic structures forms the building blocks that pave the way to the reading of literature; (b) literature is the gateway to understanding nations; (c) literature is more than words, it is ideational content; (d) literary content is educationally more important than linguistic form; and (e) literature should be used for moral, not aesthetic education.” (p. 555) 著者らは、19161918年の間に関して、次のようにまとめています。”Up to 1918, literature was viewed as having moral value, but the various national literatures disagreed on the way this value was transmitted. French scholars said it was inherent in the clarity of form and logic of expression of the French language; German scholars saw it enclosed in the edifying content of literary texts. French and German national educational values were seen as heritage values transplanted to America to counteract American materialism and pragmatism.” (p. 555) そして、この2年間の間に既にその後現われる様々な考えの芽が見られるとしています。”In sum, we find in the MLJ of the last 2 years of WWI the opening chords of many of the themes that will be associated with the teaching literature throughout the 20th century: reading for content versus reading for form and style, the moral value of literature, the cognitive and cultural benefits of a literary education, and literature as the embodiment of national pride.” (p. 556)

次に第一段階内の2つめの時期である19181929年の間についてです。著者は第一段階よりも前の時代に提案されたダイレクト・メソッドが、第一次世界大戦中に兵士にあまり役立たなかった(兵士のスピーキング能力が向上しなかった)ために、その人気が低迷したと述べています。この時代、文学(または読む能力)は口頭での外国語能力よりも大衆に重要視され、”Literature was seen as a ticket to lifelong pleasure, moral edification, and commerce with the language ant its best thinkers.” (p. 556)と指摘されています。また、貧しい人たちには翻訳式の教授法が随分と人気があったそうです。当時、フランス文学は人気が低迷していたそうですが、依然として文体といった要素を重視した主張がされていたそうです。ドイツ文学は、第一次世界大戦の影響でアメリカでは悪いイメージとなっていたので、ドイツ文学とゲルマンのルーツの結びつきを強調することでイメージ回復をはかりました。ドイツ文学側はこのような感情的側面を強調する一方で、フランス文学側よりも熱心にアメリカに対する愛国心が強かったそうです。ドイツ文学は相変わらず内容面を重視していましたが、この時代、新しい方法が必要であると考え、直観を最重要視する文学批評アプローチが提唱されました(このアプローチがきっかけとなり、フィロロジストと文学批評家が対立することになったそうです)。また、この時代の大きな特徴の1つとして、文学作品と国家が強く結び付けられて考えられたということがあったそうです(たとえば、フランス文学はフランスという国家と強く結び付けられて考えられたということです)。そして、MLJ誌上で国家別に文学特集が組まれ、どのような作家の作品を用いればよいのかというような外国語教育における一種のキャノンが出来上がりました。この時代、フランス文学は詩を重視し、精読を最良の指導法と考えていました。ドイツ文学は経験と感情的側面を最重要視していました。詩だけでなく散文も有用と考えていたようです。また、この時代、スペイン文学(スペイン語)への関心の高まりもあったそうです。ただし、スペイン文学の場合は、スペイン語とスペインが強く結びついていたというわけではなく、単純にアメリカ国内における経済的、実際的(melting pot)な理由から台頭したきたというもので、フランス文学やドイツ文学のようにリーディングと強く結びついているわけではなく、むしろスピーキングやリスニングと結びついていたようです。なちなみにスペイン文学のテストとして、1930年に多肢選択式のテスト方法が始めてMLJ誌上で提案されたそうです(それより以前はエッセーを書くというテスト方法が一般的)。スペイン文学はドラマを重視し、形式よりも内容を重んじていたそうです。そして、わかりやすいユーモアや、誠実的で健全な内容の教材を用いるべきと考えていたようです。この時期に、他に特質すべきこととして、実証的なリーディング研究と文化(small c culture)指導(文学への言及はなし)が出てきたことも挙げられていました。この時代のまとめとして、著者は2つの陣営が現われたとしています。1方の陣営は、”closely linked to the nation-state that engendered it, with its emphasis on the philological and aesthetic value of literary texts, its European orientation, its elite education, and the multilingual cosmopolitanism of that elite.” (p. 559) であり、他方の陣営は、”closely linked to the demands of the American melting pot, its ethical and social imperatives, its Anglo-American orientation, its response to the demands of mass education, and its isolationist tendencies.” (p. 559) 後者は、当時優勢な立場であり、著者らは、”Within this literacy orientation, foreign languages slowly became detached from their national and often nationalistic underpinnings. The trend would become particularly noticeable in Spanish, which, unlike French or German, came onto the scene primarily for its practical, not for its cultural or literary, value” (p. 559) と締めくくっていました。この立場は、さらに議論が推し進められて、学習者が既に知っているストーリーを目標外国語で読ませればよいのではないかという考えも出ていたようです。

さて、次は第2段階(1929-1945)です。この時代、文学はモラル教育や社会教育の教材として捉えなおされるようになったそうです。この時代、リーディングそのものが外国語教育の目的となり、文学とセットで論じられることが少なくなりました。そして、文学はモラル教育や社会教育の道具として捉え直されることとなり、文章の内容、歴史的文脈が重視され、結果として古典的作品の縮約版や簡約版が多く出回ることとなりました(言語そのものではなく、内容面や文脈が重視されていたので、難しくてしかも長い原作を使わなくてもよいということなのでしょう)。また、文学作品の翻訳活動にも注目が集まったそうです。

2段階の最初の10年である、1929-1939年の間について最初に整理されていました。1930年代は、文学は基本的な読み書き能力の習得のための教材の1つと見なされるようになりました。この時代(1929年)、Algernon ColemanによるColeman reportThe Teaching of Modern Languages in the USA)が出版されたそうで、最良の外国語学習法はリーディング習得であると考えられるようになりました。そして、リーディングを鍛えるにあたって、翻訳、スピーキング、読解方略など読みの方法そのものの指導で、どの方法が一番効率的かが議論されたそうです。しかし、翻訳を推し進めるべき立場であるフィロロジーが既に力を失っていたので、結局後者の2つの間で議論が交わされたそうです。結果、スピーキングを推進する音声学者と読解そのものの指導を推進する教育心理学者と真理測定学者との間での議論となったそうです。また、その当時文学研究者はこの議論には参加しなかったそうです。どうやら、この時代、文学研究者と言語教師の間の隙間がそれ以前にないほど拡がってしまっていたようです。著者は結果として読解指導は次のように変化したと述べています。”By dissociating literacy from the study of literature, the reading method for teaching foreign languages switched the focus of reading from philological exegeses to the process of retrieving information or content from texts.” (p. 560)。また、キャノンが教育現場から姿を消し、興味、社会的メッセージ、登場人物の価値などに応じて、現代作家の作品から教材が選択されたそうです。とにかくテクストの内容面が重視され、学生の文学の知識を測定するための科学的な測定方法についても研究がされたそうです。文学の教育は、文学批評ではなく、読み書き能力の指導のためのものとなり、アメリカ人外国語学習者は、文学研究ではなく、外国人の精神を学習するために海外へ渡航したそうです(また、この時代のMLJ誌には、外国語が翻訳されないままたくさん論文中に使われていたという特徴があるそうです)。さて、かつてはアメリカの中で大きな力を持っていたドイツ語ですが、依然として外国語のモデルと見なされてはいたそうですが、教育というよりは政治的な理由で重要視されていたそうです。また、ドイツ語はアメリカの中でかつては国際語としての役割も期待されていましたが、その役割はエスペラントに委ねられることとなり、さらにはドイツ語教師がのんびりとしている間に英語が国際語として台頭してしまったと述べられていました。また、当時のMLJ誌には2つの派閥があったそうです。一方は、ヒューマニストで、有名作家の生誕~百周年などを祝っていたそうです。もう一方は、教育心理学者で読解、カリキュラム開発、テストなどの科学的な研究を発表していました。当時のMLJ誌での状況について、”Although the former weemed concerned about the cultural legitimacy of teaching national foreign languages in the United States, the latter seemed intent on giving the teaching of these languages scientific validity.” (p. 561)と整理していました。さらに、この時代には、文学について色々な観点や扱い方が提案されました。いずれも、当時の社会科学の台頭に影響を受けているそうです。例えば、文学は書かれた当時の時代精神を反映しているという考え、文学テクストとそのテクストが書かれた背景を生徒が結びつけることができるように教師が手助けをする必要があるという考え、(依然として精読も有用とされていたが、それ以外に)テクストの内容面を重視した活動の提案(授業の最初に黒板に作品に関する自由英作文や要約を書かせる、文学テクストの内容の小テストを行なう、読みを手助けするような設問をまとめたプリントを配布する)、といったものが出てきたようです。また、この当時、extensive readingが上級学習者の文学授業では有用と考えられました(1時間につき40ページ、2単位の授業であれば合計880ページ程度のextensive reading)。また、名作(特に話の筋に依存した作品)の縮刷版や簡約版の利用の提案がなされました。また、文学の翻訳も重視され、言語と文化と文学を同時に教えることが可能であるとされました。このことに関して、”As a kind of artistic rewrite of the original text, literary translation requires that the students attend to the linguistic and aesthetic features of the text as well as to its cultural connotations. Besides its academic benefits, given the increasing demand for translators in the 1930s, translation was seen as enhancing “the professional and commercial value of foreign language study” (Palfrey, 1933, p. 413)” (p. 562)と述べられていました。

次は第2段階の後半で、19391945年の間についてです。第二次世界大戦の影響で、国内ではドイツ語への風当たりが強くなったそうですが、それでもドイツ語教師は、ドイツ語はアメリカの文化と生活様式を豊かにするという立場を崩しませんでした(第一次世界大戦の時の二の舞は避けたいということです)。そして、戦時中は、文学は慰めやモラルの拠り所として機能し、戦争によって惹き起こされた幻覚から逃れさせるものとしても考えられていたそうです。文学はアメリカナイゼーションの確立にも一役買ったそうで、ファシズムや共産主義からの逃避や人民の啓蒙などに役立ったそうです。他には、文学作品の分析(作者の視点、比喩の選択、主観的バイアスの分析)を通して批判的な判断力を養うことができるとも考えられていたとのことです(これにより他のイデオロギーに染まることを避けることができたと考えられていました)。また、文学は商品の流通を促し、経済的にも役立つと考えられていたそうです。また、徐々にドイツ語と距離をおき始め、ラテンアメリカの文学を読むことが強調されたそうです。ラテンアメリカ文学を読めば、国内の他の人種の人たちをよく理解することができ、アメリカ国内が平和的になると考えられました。文学を読む目的は、この時代、とても実用的なものであったと著者は指摘していました。しかしながら、それにもかかわらず、文学の立場は厳しいものでした。というのは、第二次世界大戦中の軍での外国語教育(ASTP)が言語学に基づいてなされることが決定したためです。第一次世界大戦のときもそうだったのですが、文学の感覚的側面が外国語教育にとってはあまり重視されず、むしろ言語学のような科学的な基盤が大切にされたようです。また、この当時心理学の台頭が大きく、文学も心理学の影響を受けるようになったと言います。当時、文学は他の民族の精神や文化を映す鏡であり、文学を読むことで、その作品が書かれた文化と時代をよく理解することができると考えられていました。さて、戦後になりますと、MLJ誌では外国語教育の価値について活発な議論がなされるようになりました。結果としては、世界の中の1市民として、外国語学習は重要であるという結論に至ったそうです。また、文学については、”Literature and culture were recognized as essential components of foreign language education with its goals of making foreign languages more intelligent, hence more respectable, as academic subjects, not, as in earlier times, of learning and benefiting from other peoples’ achievements.” (p. 563) と考えられるようになりました。ちなみに、MLJ誌ではそれまでの国際的な雰囲気はなくなり、アメリカ国内の教育研究や教育実践が中心となったそうです。

次は第3段階です。この時代は1945年から1957年にかけてで、文学は内容科目ないしは授業の中でのおまけのような扱いになったとされています。著者はこの時代を次のようにまとめています。”The swing back to the oral and the success of the audiolingual method, together with the rising influence of linguistics on the acquisition of foreign languages at the lowest levels, pushed literature more and more out of the lower division programs and associated it with the advanced levels of language instruction. Literature became the ideational content to which one acceded only after one had mastered the linguistic structures. The ability to read literary texts was seen as following from the ability to speak the language. If used at the lower levels, literature was taught neither for its cultural nor even for its functional value but as entertaining supplement to audiolingual drills. In the pedagogy of literature this supplement took the form of a renewed attention to the wording of texts, and, in the face of declining enrollments at the upper levels, a turn toward teaching foreign literatures in translation.” (p. 563) 文学教材の周辺的な扱いは、どうやらこの時代にほぼ現在の形になったようですね。この時代、ASTPの影響で言語学習はスピーキングによって進むという考えが現れたこと、実生活(real-life)を重視する教育観が高まる中でスピーキングが注目されたこと、などが原因となり、文学はかなり立ち位置が厳しくなったそうです。それでも、文学は「文化」という観点から何とか生き残り、 “world literature” という考えも提唱される中で、フランス語やイタリア語、ドイツ語に加えて様々な言語の文学が読まれ、MLJ誌上にも様々な言語の文学作品のレビューが掲載されることとなりました。しかし、やはり1950年代になると文学に関わるような記事はMLJ誌からは姿を消し、小学校外国語教育、会話クラス、外国語教授法、といった内容に関する事柄が誌上をにぎわすことになりました。また、Coleman report以来重視されてきたリーディングに対しても批判されるようになり、外国語学習はスピーキングとの関係で語られることになりました。この当時は、文学指導法には統一した考えはなく、韻律やライムなどテクスト分析を重視する研究(ただし、従来と違ってこれら言語構造に関する多くのQ&Aの問題が出題され、学習者はその設問に答えていく中でテクストの構造を理解するという形式)、外国文学を通して外国の精神を学習するという文化的アプローチ、文学を歴史や地域的なコンテクストの観点から扱う研究、自由に解釈を考えさせるような研究、がなされたそうです。また、文学を専攻する学習者を増やすために、翻訳の活用ということについても多くの研究がなされたそうです。文学は、この時代には再び内容面が特に注目されたようです。

4段階は、19571979年の期間です。この時代は、文学は人間学的な実践(humanistic practice)と捉えられたようです。著者は次のようにまとめています。”Fictional canonical literature might have been perceived as irrelevant to the arms race at the height of the Cold War, but it was still respected as humanistic practice. Nonfictional literature and cultural readings of various sorts (including noncanonical Chicano literature) were seen as important motivating complements to foreign language instruction. … The pedagogy of foreign literatures in this period drew insights from various other disciplines, including humanistic psychology, and was the focus of creative ideas and innovative practices.” (p. 565) この時代の文学の扱い方は、第3段階の時期とそれほど大きくは変わらなかったそうです。文学者は、歴史的ないし神話的思考の価値や永遠の真理の表現としての文学の価値を言語教師に思い出させようとしたのですが、アメリカ人学生にとっては社会との関係で文学のそのような価値を見出すことは難しく、また実際に文学作品を読もうとしても多くの背景的知識が必要となったため、なかなか定着しなかったそうです(このことには、the National Defense Education ACT (NDEA) が大きく関わっていると著者らは考えています)。また、この時代、extensive readingが翻訳に取って変わったそうなのですが、授業におけるその扱いが十分に確立できず、あまり効果的な指導はなされなかったようです。この時代は、The American Council on the Teaching of Foreign Languages (ACTFL) が設立した年でもあります。ACTFLの設立によって、外国語学習と文学が完全に分離し、その分離が今日まで続いていると述べられていました。1970年代には、生成文法や多文化教育などの影響で外国語教育研究は専門化していき(皮肉なことに日常的なコミュニケーションとの関わりは薄くなっていきましたが)、その分離は一層強固なものとなりました。この時代に、外国文学者は外国文学教育を真剣に考え直そうとしました。実際に、MLJ誌には、19301970年の間に文学教育の論文が28本しか発表されておらず、飛行に研究不足の状態に陥っていると考えられたようです。そして、講義型でなく活動中心の指導方法、文法とテーマを結びつける指導、文学以外の様々なメディアの芸術の利用、など多様な指導法が模索されたそうです。また、1970年代は人間中心的なアプローチの教育実践がなされたそうです。

さて、いよいよ最終段階(1979-1999)です。この時期について、著者らは次のようにまとめています。”The report of the President’s Commission on Foreign Languages and International Studies once again awakened the American public to the importance of foreign languages for national security (Perkins, 1980). From 1979 to 1989, the concepts of “usable skill” and of “communicative proficiency” superseded all other concerns in FL education in this country. Literary text were associated with lowercase culture; they fell under the rubric “authentic texts,” whose meaning could be retrieved with the appropriate skimming and scanning techniques, advance organizers, and information-processing strategies. The proficiency movement saw in literature the opportunity for vocabulary acquisition, the development of reading strategies, and the training of critical thinking, that is, reasoning skills. The few articles devoted to the teaching of literary texts qua literature were based on contemporary research in psycholinguistics and discourse analysis.” (p. 567) この時代は、外国語の必要性が高まり、再びリーディングが重要視された時代です。また、私自身面白いと思ったのは、この時代に色々な概念が提出されましたが(target languagereadability formulasreading strategiestacticsinformation-processing techniquestexts as comprehensible inputcoherent programmingteaching routines)、軍事用語(冷戦の影響)やコンピューター関係の語(科学技術発達の影響)が多く使われているという指摘でした。さて、本題に戻ります。この時代、リーディングが再度重視されるようになりましたが、1920年代にようにキャノンを読ませることでアメリカ人の読み書き能力を向上させるということを目的にしているわけではありませんでした。この時代には、リーディングはコミュニケーション能力の1要素と考えられ、文学は “culturally authentic artifacts” (p. 567) とみなされたそうです。また、この時代には読者の能力、興味、背景知識などを指導の中で重要視し(テクストを改作したり、タスクを学習者のレベルに合わせて調整したりするという試みが多くなされたようです)、さらに学習者が文学テクストを効果的に読むための技能を指導しようという試みがなされたそうです。スキーマ理論や談話分析の知見が大いに活用されたとのことです。当時の研究者は、”All saw “reading for meaning” as relating text to the student’s experience and to cognitive processes in the reader, not to reading and writing conventions in the foreign culture” (p. 568) というような考えを持っていたそうです。この時代は、文学理論ではポスト構造主義が流行りましたが、作者、読者、解釈などの実在性を前提としている外国語教育には有益な示唆をもたらすことができなかったそうです。また、この時代、文学教材の指導は、これまで20世紀で現われた様々な文学教材に対するアプローチが競合する場となったそうです。“At the end of the Cold War, the teaching of literature was the site of “competing paradigms” (Swaffar, 1989) that summarized its role throughout the century: (a) national cultural canon to be upheld with respect, (b) cognitive content to be processed with the appropriate reading strategies, (c) stylistic form with communicative function, and (d) thematic illustration of social and political issues such as ethnicity or gender. At the end of the century, literature in language teaching served many causes but it was used mostly as an authentic window on a foreign culture and society, not as the unique expression of an artist’s vision of the world.” (p. 568) さらに、この時代は、ベルリンの壁崩壊を契機として、アメリカ国内の言語多様化と文化多様化が進んだそうですが、MLJ誌で優勢であったのは心理学と心理言語学であり、文学と文化的人類学ではなかったそうです。”In the last decade of the 20th century, literary research and the pedagogy of literature were conspicuously absent from the pages of the Journal. References were made to cultural studies (Rampton, 1997), film studies, gender studies (Bugel & Buunk, 1996) and everyone was keen on “bridging the gap” between language and literature in foreign language departments (Shanahan, 1997).” (p. 568)

最後に著者らは、未来の展望について述べます。この箇所で、最初にこれまでの議論の層まとめがなされます。非常に優れたまとめでしたので、少し長いですがここに引用しておきます。”Throughout the 20th century, literature has been given many purposes in language study. It has been used for the aesthetic education of the few (1910s), for the literacy of the many (1920s), for moral and vocational uplift (1930s-1940s), for ideational content (1950s), for humanistic inspiration (1960s-1970s), and finally for providing an “authentic” experience of the target culture (1980s-1990s). These changes in the use of foreign literatures are not gratuitous; they have been driven to a large extent by the U.S. domestic and international commitments and responsibilities during and after two World Wars and during and after the Cold War. Nor are they unique to the teaching of literature. What has been at stake since the early part of the 20th century is the future of liberal humanistic education, the relative value of nomothetic (experimental positivistic) versus hermeneutic (interpretive) forms of knowledge, and the tectonic shifts in the disciplines – that is, the rise of the social sciences, and the linguistic turn in the humanities. The split between the study of language and that of literature and the association of language study with the social sciences in the last 30 years – for example, psycho- and sociolinguistics, second language acquisition, and applied linguistics research (see Byrnes, 1998; Kramsch, 2000) – have kept language study insulated from the poststructuralist trends in literature and from the larger epistemological debates surrounding postmodernism that were paradoxically brought about by the linguistic turn in the humanities (Berman, 1994). (改行)During the life span of the MLJ, literature has consistently provided the cultural backbone and, very often, the intellectual legitimation for the teaching of foreign languages. It has served as the scholarly basis for the creation of foreign language and literature departments at academic institutions (e.g., Rudolph, 1977). Yet coexistence of the two activities in the same department has not in itself established a link between them. Although the teaching of foreign literatures in translation has been co-opted by English departments and departments of Comparative Literature, the teaching of foreign literatures in the original has been more vulnerable to geopolitical swings of fortune than other aspects of language study. It has remained fragmented into national language groups and professional bodies, where language teachers and literature scholars occupy distinct positions in the academic hierarchy. Literary scholarship has forged alliances with history, political science, sociology, critical theory, and anthropology and found an enriched raison d’être in Cultural Studies (e.g., Berman, 1994; Daniel & Peck, 1996). But its link to the study of language itself has gradually waned since the demise of philology and the onset of the communicative turn in language learning and teaching.” (pp. 568-569) さて、著者は外国語教育学が専門化するにつれて、MLJ誌に掲載される論文の分野がかなり限定されてしまったと指摘します(SLAがほとんど)。そして、MLJ誌以外の雑誌で、詩学、文体論、記号論、言葉遊びなどが取り上げられるようになったと述べています。Jakobson (1960) のモデルで言えば、もはやreferential functionmetalinguistic functionしかMLJ誌では扱うことがなくなってしまったと述べます。しかしながら、その他の言語機能についても扱っていくことの必要性を強調していました。”The MLJ, as the organ of language teachers and learners, should feature research on the acquisition of the representational, poetic functions of language as well.” (p. 569) また、著者は文学性という言語の内在的一側面は決して見捨てられたわけではなく、(広い意味での)応用言語学では盛んに研究がんされるようになってきています(例えば、認知言語学や文体論など)。また、インターネットの発達により、”a renaissance of the literary as the multimodal creation of virtual worlds” (p. 569) という側面への可能性も開けてきました。まさに、文学性とはMLJ誌が今後本格的に扱っていかなければならない必要性が出てきていると著者らは述べています。以下の言葉が、この論文の結論と言えるでしょう。”Literature has appeared throughout the century in many avatars – as the god of national greatness, as the patron of the written word, as the guide to moral conduct, and as the warrant of cultural authenticity. But the poetic function of language that undergirds these various manifestations of the literary – namely, its literariness – has remained largely invisible up to now. The time has come for the MLJ to show how crucial this poetic dimension is to language learners, to language teachers, and to the linguistic individuals (Johnstone, 1996) that we all are.” (pp. 569-570)

非常に情報量が多く、かつ凝縮して書かれていましたので、読破するのに大変苦労しました。時間的に余裕のない方は、最後のセクションだけでも十分に読む価値があると思います。大変勉強になりました。

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コメント

凄く助かりました。
これを参考にエッセイを書かさせていただきました。
僕もこの論文を1週間で読まされ、感想を書かされた時にはとても大変でした。

投稿: Hirosuke Ohara | 2010年5月12日 (水) 06時33分

コメントありがとうございました。大変難しい論文ですよね(笑)。

投稿: | 2010年5月12日 (水) 08時07分

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