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2009年10月30日 (金)

鈴木孝夫・田中克彦(2008).『対論 言語学が輝いていた時代』を読む(岩波書店)

本書の詳細は次の通り。

鈴木孝夫・田中克彦(2008).『対論 言語学が輝いていた時代』.岩波書店.

感想:言語学の重鎮2名が、言語学について思いの丈を語ってくれていました。中にはかなり過激な発言もありましたが、とても楽しく読むことができました。随分前に読み終わっていたのですが、異動などでバタバタしていて、アップするのが非常に遅くなってしまいました。

1章:回想の言語学者たち

この章では、著者お二人がまだ学生ないしは駆け出しの言語学者だったころの、日本での言語学の話がなされていました。服部四郎先生が、アメリカ構造言語学の研究手法をマスターされましたが、意味の問題になると不満を持っていた、有坂秀世先生に対抗心を燃やしていたのかもしれない、といった様々なエピソードが指摘されていました。また、日本がローマ字をもてはやしたのは、戦後のGHQの政策に端を発している点、戦後のロシアでは弁証法的唯物論の関係であらゆる観念論を廃して音声だけに収集したこと、といった点も指摘してありました。この章ではあまり専門的な内容は出てきませんでしたが、とても面白いと思いました。

2章:言語と文化

人間の言語は、シニフィアンとシニフィエの間に本質的な関係がありませんが、そもそも対象物の構造を記号に反映する動物の言語とは非常に異なっています。人間は本能を失い、代わりに文化で生きてきたと述べられていました。そこで、文化の研究が必要になります。人間は現実に対して独立しているので、欲望は文化という非常に縛りのゆるいものによって抑制しています(動物は本能という非常に強固なものによって統制しています)。また、人間は地球上の様々な環境に住んでいますが、分化することなく単一の種として生き残ってきました。これは、環境と人間の間に文化が介入しているからであり、文化が環境に応じて変化することによって、人間は種としての同一性を保ってきたと述べられていました。これはヴァイスゲルバーの言う中間世界(ツヴィッシェンヴルト)に他ならないと指摘されていました。世界中に多様な言語があるのも、まさにこのことと関連しており、それぞれの環境に応じて言語(文化の1つであるとされている)が変化したと述べてありました。また、この章の後半では、エスペラントについて述べてありました。エスペラントは、特定の言語に得点を与えることなしに国際語を作るという理想主義の中から生れてきたとしてます(2つの世界大戦の間が最も盛んだったそうです)。1920年代は、工場労働者がエスペラントに熱心で、エスペラントと左翼の労働組合運動の関係が偏見を持たれたこともあったそうです。

3章:日本人にとっての日本語と英語

この章では、最初に国立国語研究所の設立の経緯について触れてありました。国立研究所はアメリカの占領軍の命を受けて設立したため、当初からローマ字と関係が強かったそうです。戦後の日本では、日本語のローマ字化を目指しており、日本人がローマ字に慣れ親しむまで暫定的に漢字を用いるという「当用」漢字という考え方が強かったそうですが、徐々に漢字を認める勢力が盛り返し、「常用」漢字という考え方が主流になり、ローマ字論者はいなくなったそうです。また、日本語にとって漢字は言語の構造上必要であると指摘されています。日本語には音の数が少ないため、音節をいくつも重ねて話さなければなりません。そうすると、どうしても一語が長くなりがちで、縮約する。そうすると、たくさんの同音語ができてしまいます。そこで漢字による表記が必要になると述べられていました。「つまり、ある視点からの同じ性質をもつものを音でくくっておいて、もうちょっと小分けしたい、詳しく一歩踏み込みたい人は字をみてくださいというふうに、音と文字でファンクションが分かれている」(p. 132)のが日本語であり、あまり科学には向かない傾向になると指摘してありました。漢字があったおかげで、日本語は助かったというわけです。実際に明治以降に漢字語が飛躍的に増えたそうです。ただし、両者は漢字の数は少ないに越したことはないと考えているようです。また、漢字は中国のものと日本語のもので別物であるという点にも触れてありました。われわれは文字を略すことが多いですが、中国では音的側面に基づいて、日本語は字面によって文字を略すそうです。こういったことにも両国の漢字が異なったものであるということが現われていると指摘してありました。次に、英語に発信機能を持たせることの重要性について触れてありました。日本語を世界の知的交流言語として定着させるのには相当な時間がかかります。そこで、最も通用度の高い英語を日本の発信の道具として用いることが重要であると述べられています。このためには生活の中に英語を用いることが重要ですが、著者らは国民規模で英語を第二公用語として定めるのは大きな間違いであると述べてありました(つまり、必要な人が必要な場面で英語を用いるという形でよいということでしょう)。また、イングリックということについても触れてありました。英語を話していると考えると、母国語話者に引け目を感じてしまいますが、英語から大量に借用した人工語であるイングリックを話していると考えれば気持ちも変わるであろうという、心構えに関する話でした。また、習うプロセスは素材を日本のものにすることが重要であるという点も指摘してありました(「こんにゃくを英語で何と言うのか」、など)。また、われわれ日本人自体も、複数の日本語を認めていくことが必要であるということが指摘されていました(ローマ字日本語も含めて)。日本語が国際化によって崩れると考えるのではなく、多くの変種が出来るという風に考えようということですね。現に英語は、World Englishesという形になっています。そうすれば、日本語はもっと国際的に広まっていくのではないか、というのが著者達の考えでした。

4章:《エネルゲイア》としての言語

この章では、ヴァイスゲルバーやポルツィヒなど「意味の場」の理論について考察したドイツ意味論学派(新フンボルト学派)、その考えを下地にして議論を発展させたライズィ、ドイツ意味論の源流であるフンボルトについて語られていました。フンボルトは、言語学者であると同時に外交官であり、弟は地理学者だったのだそうです。フンボルトは大学の自治と学問の自由という、権力や設立金を歳出した人からも干渉されない理想的な大学を作ることを目指した人でもあるそうです。ヴァイスゲルバーを初め、ドイツ意味論学派は、言語の研究の中心に意味を置きました。「素材としての混沌を、秩序ある人間の観念の世界にするのは、実は言語の働きだ、だから言語が違えば同じ素材の違う面を違うように組み立てしまう」(p. 189)という考えがなされ、アメリカ大陸ではサピア=ウォーフの仮説として扱われることになりました(ただし、アメリカ構造言語学ではあまり熱心に扱われませんでしたが)。当時はあまりフンボルトという名前を聞くことはなかったようです。しかし、チョムスキーが引用したことで、再び注目されるようになったそうです(ただし、その引用の仕方は誤解に基づいていると著者らは考えています。ちなみにフンボルトは、言語はエルゴンではなくてエネルゲイアであると述べたのは有名ですね)。「言語は出来上がった作品ではなくエネルギーであり、エネルギーというのは、絶えずつくりつうあるものである。したがって、言語には完成というものがなく、絶え間ない生成の過程にある、というのがフンボルトの考えなのです。このエネルゲイアをチョムスキーが使ったんですよ。生成文法の「生成」とはエネルゲイアのつもりらしい。しかしチョムスキーの使い方ははずれているしちょっとずるい。チョムスキーの言語にはじつは生成も発展もない。変化すらないのだから。(改行)現実から人間が抽象したものが論理でしょう。それで、ギリシア以来、現実を論理によって把握してきた。ところがフンボルトは、言語は現実をありのままに映し出すような、写真機のようなものではないと考えた。つまり現実を把握するのは論理ではなくて言語であって、それは論理とは別のものである。言語独自の世界、言語的中間世界があるというんですね。要するに、言語は現実を中間世界の中で処理するのだと。」(p. 190)つまり、言語によって人間が認識可能な人間的現実が作り上げられ、その現実は言語によってかなり色合いが違うということになります。この中間世界は意味の世界であると言えます。非常に面白い考えだったのですが、ドイツ意味論学派ではその後、少し残念な出来事が起こってしまいました。「その後、このフンボルトをさらに発展させたというか、曲げて、ちょうどナチズムの時代に合わせた、国粋主義的な言語学になってしまった。言語を研究するということは、自分の話をしている、そこにその魂が宿っている言語共同体固有の思惟方式を考えるということになる。これは戦後ドイツ以外の言語学界では憎まれて制裁を受けることになるんですが」(p. 191)。著者らは、言語と論理が違うということを再度強調した後、言語論に感性を扱うことの面白さと重要性に議論を移していきました。ここでフォスラーの言語美学が言及されていました(シュピッツァーも言及されています)。言語学には、言語の中に表現されている人間の喜怒哀楽といったものに関係するような要素を排除していく傾向がありますがそれではあまりにも面白みにかけるのではないかと述べられていました。諸民族はそれぞれが異なった感性を持っていて、それが言語に反映しているためです。しかし、このようなロマンティシズムが政治的な色合いをもって高まり過ぎると、危険であることも指摘してありました。また、私が面白いと思ったこととして、チョムスキーの言語理論には神が一つしか言語を作らなかったというユダヤ神秘主義が読み取れるという指摘と、共産圏でチョムスキーが大流行したということが指摘してありました(共産圏といえばマルクス主義という感じがして、進化論や歴史主義というものが重要な役割を果たしますが、生成文法のようなある意味、無時間の理論の中に進んでいったと著者らは指摘しています。その例として、東ベルリンのビアヴィッシュが挙げてありました)。また、言語学の大きな流れについて、興味深いことが述べられていました。19世紀の言語学は、哲学や論理学から手を切ろうと努力し、ソシュールがまず歴史と手を切りました。次に、言語学は論理や理性とも手を切ったのですが、チョムスキーがあっさり言語を理性と再び結びつけてしまったという図式です。著者らは、チョムスキーが求めている言語と私たちに必要な言語はかけ離れているということを指摘しています(著者らはやはりチョムスキーには懐疑的なようです)。最後に、マルについてその意義が述べられていました。彼は色々と悪名高いヤフェティード言語学を作りましたが、言語学をインド・ヨーロッパ比較言語学を中心にして考えるのではなく、カフカス諸語を中心にして考えようとしたそうです。そして、その研究について次のように要約してありました。「(鈴木)最も言語の混沌としているコーカサス地方ね。(田中)それで、すべての言語の最も始原の状態をカフカスのヤフェット諸語が代表している、というヤフェティード理論というものを出してきた。印欧語のように屈折語に発展する以前の混沌をいちばん豊かにたたえている言語がヤフェット語である。地中海に印欧語族が広まってくる前にヤフェット語の言語基層があって、それにつながる西の果てにバスク語があった、と言うのです。こうした考え方は民族を前提にしていない。それによって民族・エトノスを解消しようとしたんです。そうして、次はマルクス主義的な普遍的な階級理論をそこへつなげていく。(鈴木)つまり、マルクス主義の世界伝播の地ならしを言語学の面で準備したわけだ。ところが、それをスターリンが、こともあろうに否定したから、ソビエト言語学は困ってしまったわけだな。」(p. 210)とても面白い章でした。実は、私はこの章が読みたくて、本書を買ってしまいました。ドイツ意味論とかヤフェティード言語学とかはあまり出版物とかも多くないので、こういった貴重な文献は大事にしていきたいです。

5章:言語学はどうなるのか

まず、言語学は方法に従属してしまい、なかなかその方法から外に出ることができない状態に陥ってしまっていると嘆かれていました。また、ソシュールなどは非常に早い時期から翻訳もなされて、日本語で読むことができる状態であったのに、日本の言語学者はそれを消化することはできるが、発信すること(あるいは理論の発展をすること)ができていないと述べられていました。日本の言語学者は「それはあそこに書いてあったよ」ということはよく知っているが、「俺は認めない」といった結論を出すことは怠ってきた(本の著者との直接対決を避けてきた)という傾向があるそうです(また、チョムスキーの枠組みから外に出ることができなくなった学者もたくさんいると著者らは指摘していました)。そういった中、ソシュールに反旗を翻した研究として、亀井孝先生の「共時態の時間的構造」という論文が紹介してありました。海外で、ソシュールに反旗を翻した研究者として、コセリウが紹介されていました。コセリウは、なぜ言語は変化するのかという観点からソシュールを覆したそうです。その革新性について、「今日までの言語学は青年文法学派からソシュールにいたるまで全部、言語変化を原因主義で説明している。言語はどういう原因で変化するか。ところが、何か原因があって変化するのではなくて、コセリウの言語学批判の眼目は、話す主体が目的をもって変化させるのだという目的主義なのですよ。すごく革新的でしょう。」(p. 239)と述べてありました。つまり、ことばは原因で説明することはできず、目的で説明しなければならないという考えです。「言語の構造が条件をそろえる。だからその点では彼は構造主義者なのですよ。だけど、目的をもってそのなかから変化の芽を選択するのは、話している人間だというのが彼の結論なのですよ。」(p. 242)とも述べてありました。コセリウは、書斎に言語美学の本がたくさんあったそうです。「人間は美的な感覚を実現するために、自分の欲求を実現するために言語を話すのだから、その美的な感覚を求めるところで言語を創造して変化させるという。」(p. 242)というように、コセリウは言語美学にかなり影響を受けた言語論を展開したようです。コセリウが興味を持っていたことの一例として、ラテン語の複合未来系がどのように生じたのかということがあるそうです。「これは、彼の考えによるとキリスト教の影響なんです。つまり、神に対する自己という存在の意識が生じてきた。それが文法をつくり変えたと彼は言う。だから目的論なのです。ラテン語をつぶして、ロマンス語をつくってきたというのは、信仰を求める民衆がラテン語をつぶして自分のことばをつくったということです。彼がそこまで言い切っているかどうかわからないが、ラテン語には冠詞がなかったのに、なぜロマンス諸語に冠詞が発生したかという問題もここから来ている。」(p. 250)ちなみに、日本人の学者は海外の大物言語学者に対して、「これについてどう思いますか」という質問はするが、「私はこう思うけど、あなたはどう思うか」というタイプの質問は少ないと喝がいれてありました。私も肝に銘じて気をつけたいと思います。最後に、本書の締めくくりについて。トワッデルの言に、言語を言語をもって研究するのは「木でできたストーブのなかで薪を燃やすようなものだ」という比喩があるそうです(p. 234)。言語は、とても面白い言い方だなと思いました。言語学は「自然と人工の両方に跨った、世にも奇妙で絶妙な、最も人間らしい矛盾に満ちた領域を扱っている。だから言語学はなかなかやりにくい。」(p. 255)また、常に変化しているエネルゲイアが研究対象なわけですから、「記述する=動きが止まる」ということで矛盾にも満ちた分野でもあります。そこで、田中先生は「人類の歴史の中で、言語がもつ意味、言語の価値、言いかえれば人間が言語するということの意味は、歴史をとおしていつも一定ではないということ」(p. 256)を仮定し、研究を進めているとのことです。この中で言及されていたのが、マルの片腕であったV.アバエフの論文で「治術としての言語とイデオロギーとしての言語」(1934)でした。「それによると言語の意味の中核をなすのは技術的な意味であり、それを外から被って包み込んでいるのが、呪術的・宗教的な意味である。人類の近代は、技術的な中核が肥大して、刻々と呪術的・宗教的意味を失わせる過程にほかならない」(p. 257)と述べられているそうです。

本書では、一見シニカルな言が結構目立つのですが、両言語学者の日本語、言語、そして日本の言語学への愛を感じることができました。とても面白く読むことができましたし、ドイツやロシアの言語学についても色々と情報を得ることができて、とても勉強になりました。

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