斎藤(2009)
本章の詳細は次の通り。
斎藤兆史(2009).「文体論の歴史と展望」.In斎藤兆史(編),『言語と文学』(pp. 201-235).朝倉書店.
感想:いつもお世話になっている先生が書かれた章でした。この章は、まさに「20世紀文体論史」とでもいうべき章で、なかなかその発展の流れが捉えにくい文体論の歴史が包括的に記述されていました。著者は冒頭で「文体の研究、あるいは言語と文学をつなぐ分野の研究が、20世紀に入って言語研究と文学研究が発展した結果として生まれたものではないことは、はじめに確認しておきたい」(p. 201)と述べることからこの章を始めます。文体論の歴史というと、ついついプラーグ学派とイギリスの実践批評だけをレビューしがちなのですが、著者はフランスの文体論とドイツの文体論もカバーしてあり、非常に広い視野を持つことができます(実際、フランス文体論とドイツ文体論はあまり文献がなく、私も院生の頃はとてもマニアックな文献にどんどんと入っていくことでしかあまり勉強することができなかったように記憶しています)。
フランス文体論に関しては、それがstyleという語を初めて学問の名前につけたこと、及びそれがあくまでもラングのレベルでの文体論であったこと、ヤコブソンとレヴィ=ストロースによる研究を契機として「文学言語の特徴を科学的に記述すること」(p. 203)が始まったこと(しかしこういった分析は当時のフランスでは詩学や記号論と呼ばれた)、バルトによって「文学を動的な言説の場と捉える」(p. 204)視点が現われたこと、が指摘されていました(しかし、フランスでの「文体論」という語の意味合いは注意が必要なようです)。フランスで起こった研究のうち、伝統的なフランス文体論は「伝統的なテクスト解釈学(explication de texte)の流れを汲みつつ、文学的言説の修辞構造を再び関心の中心に据えるようにな」(p. 205)り、構造主義的なアプローチは文学批評と合流したと述べられていました。
次はロシア・フォルマリズムからプラーグ学派へと続く流れについてです。この流れについては、様々な文献でよく解説される箇所ですが、著者によるこの流れの説明は非常に丁寧で分りやすいと思いました。
次はドイツの文体論です。フォスラー、シュピッツァー、アウエルバッハ、について説明されていました。著者はドイツ文体論の特徴として、「ドイツの文体論は、一群のテクストの中に一貫した精神性や思考パターンを探ろうとする」(p. 209)、「ドイツ文体論は、最初のテクスト読解に当たっての直観主義、分析に当たっての精神主義あるいは観念論的アプローチ、さらにテクストを言語共同体と文化的伝統の中に位置づける集団主義的解釈に特徴がある」(p. 209)といった点を指摘していました。
そして、いよいよイギリス文体論です。ここでは、なかなか議論が整理されることがない、リチャーズから文体論が登場するまでの動き、及び初期の文体論の特徴、がまとめてあり、とても貴重な記述がたくさんありました。まず、リチャーズの実践批評が扱われ、文体論にとって両義的(文体論にとって肯定的な側面と相反するような側面)にその発展に一役買ったことが指摘されます。リチャーズは実践批評というものを生み出した点では文体論にとって肯定的な貢献をしたのですが(ただし、彼はあくまでも理論的な手引きを生み出したのであり、具体的な分析の手続きに応用したのは彼の弟子になるリーヴィスやエンプソンになるそうです)、「詩がもっとも高い倫理的価値を有するとの信仰」についてはアンチテーゼとなりました。リチャーズに関して、「文学」の脱神秘化を目指したこと、テクストそのものに注目を払うこと、読解や創作の心理的過程を重視すること、などが文体論との関係での意義として指摘してありました。また著者は、1958年の文体学会でのリチャーズによる文体論の基本理念についての引用を行い、これをもってしてイギリス文体論の出発点としたいと述べていました(p. 213)。
次にリーヴィスについて説明されます。彼は決して文体論学者ではないそうですが、文体論に対してアンチテーゼを提供したという点で文体論史において避けては通れない人物であると著者は述べています(p. 213)。リーヴィスはリチャーズから文学に倫理的価値があるという考え方を引き継ぎ、実践批評的な分析方法は「批評的感性を鍛えるための精読へと形を変えた」(p. 213)と著者は指摘しています。また、彼は英文学研究の地位を高め、「人文教育の中心に据えた」という貢献をした人物でもあるそうです。リーヴィスに関する確認事項として、著者は、(1)(リチャーズは詩の質よりも感性を育てる読みの過程を重視したが)文学作品自体の倫理性を重視したこと、(2)言語に興味は持っていたものの文学を言語的に分析することには不賛成の立場であったこと(彼は実践批評をかなり偏った形で引き継いだそうで、言語分析を重視したエンプソンに対しては批判的だそうです)、(3)彼はある基準にしたがって教材となる文学教材を選びましたが、その基準が直観主義的であったこと、が指摘されていました。そして、Carterらの実践文体論の格好の標的となったそうです(ただし、その批判の対象は技術的な問題というよりも、リーヴィスが確立した英文学の正統性というイデオロギーに向けられていたそうです)。
次は文学的文体論についてです。これは1930年代から1960年代までの文体研究と1970年代の文学研究志向の文体論を指しています。著者は総じて、「この時期の文体研究の業績はほとんど単発で発表されており、イデオロギー的な共闘関係で結ばれたものではないが、全体に共通する傾向を見出すのはさほど難しいことではない。①まず、文体学者たちはみな多かれ少なかれ実践批評を意識しており、自分たちの文体分析の工夫をその理論との比較において論じようとしていること、②分析の手続きが実験的で、多くの場合、その場限りのものであること、③関心の対象が詩から散文に移り、同時に分析の枠組みがより複雑で全体論的になっていること、などである。」(p. 216)としています。ここでは多様な研究者に言及がされていて、Empson、Davie、Brooke-Rose、Nowottny、Lubbock、Watt、Lodge、Page、Pascal、Holloway、が扱われていました。それぞれ丁寧に解説がしてあります。私個人としては、話法の研究の発展に貢献したPageの研究には大変関心を持ちました。なお、1960年代後期からは、文体論とは何かを論じる研究が増加したことも触れてありました。
次は言語学的文体論についてです。イギリスで最初の一般言語学の講座をもったファースが言語の文体的側面について研究して以来、彼の状況的脈絡という概念とあいまって、文体論発展の基礎が作られました。「イギリスの言語学と文体論は、言説が発生する状況やその文脈的な意味を中心的な関心事としてきた」(p. 222)と著者は評しています。そして、ハリデーやカーターによる文体論が展開されることになりました。しかし、「二人の研究には、議論の方向性、分析の目的において決定的な違いがある。ハリデイは、まず言語学的な道具をずらりと並べてから分析を始め、もっぱらテクストの言語的特徴の記述に集中するが、カーターはまずテクストへの直観的な反応から議論を始め、その反応がテクストの細部の言語事実によって裏づけられるかどうか、物語の解釈という形で敷衍できるかどうかを関心の中心に据えて分析を行なっている」(p. 223)と指摘してありました。これは、ハリデーが言語学者として、カーターが文体論者として知られているという点と関係があるのだと思いました。その他、昨年お亡くなりになったシンクレア、クワーク、ファウラーに言及がしてありました。ファウラーの研究の変遷(生成文法を使ったアプローチ、言語的批評、など)が簡単に示してあり、個人的にとても面白く読みました。
次は教育的/実践的文体論です。ここではウィドソンの有名な研究についての簡単な説明がなされ、リーチ、私のランカスター大学大学院時代の指導教官だったショート、カーター、などに言及されていました。この学派の特徴として、「まさに「学派」と呼ぶにふさわしい集団を形成し、共通の方法論、イデオロギーの下に多くの共(編)著書を世に送り出しているということ」(p. 226)が指摘してありました。その中で、リチャーズ流の心理主義やシュピッツァー流の直観主義に再び注目することになったそうです(文体論の原点回帰(ただし、単純な古い文体論への回帰というわけではなく、フィッシュによって批判された言語学的文体論の過度の科学的思考への反動と捉えるべきだと著者は指摘しています(p. 227)))。1990年代に入ると、教育的/実践的文体論は2つの方向に進んでいくことになりました。1つは学理の理論的な整理であり、もう1つは実践用の教材作成という方向だそうです。
最後は最新の文体論事情についてで、認知文体論とコーパス文体論について触れてありました。
この章は、あまり描かれることのない文体論の歴史を、包括的かつ詳細に描いており、とても貴重だと思いました。特に、フランスとドイツの文体論について触れていること、イギリスにおけるリチャーズから古い文体研究への流れについても詳しく説明してあること、古い文体研究について整理がされていること、言語学的文体論や教育/実践的文体論について詳しい説明がなされていること、など、いずれも詳しい文献があまりない事柄について詳細に記述してあり、とても勉強になりました。文体論という分野について、その全体像をつかめるという点で非常に重要ですし、文体論をこれから志す人たちにとってはとても有用な文献だと思いました。
なお、この章をもって、本書を読み終えました。とても面白く、一気に読み終えてしまいました。いずれも非常に貴重な文献であり、これが日本語で出されたこと、言語学のシリーズ本の1冊であること、など、今後の文体論発展においてとても意義深い本であると思いました。何度も読み返したい本です。


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