寺澤(2009)
本章の詳細は次の通り。
寺澤盾(2009).「中世の英詩を読む-定型性と創造性-」.In斎藤兆史(編),『言語と文学』(pp. 7-30).朝倉書店.
感想:この章では、特に『ベーオウルフ』など古英語で書かれた作品を中心に、議論が展開されていました。古い時代のテクストには定型句が多く用いられるそうですが、その理由としてMagounによる口承定型句理論(パリー・ロード理論)がまず言及され、その限界点も指摘してありました。この理論は、テクストを口承詩と見なし、「口頭による即興的な作詞を容易にするために定型句が用いられた」(p. 10)という仮説ですが、著者は書記詩にも定型句が多く用いられていることから、この仮説には限界があるとしています。「口承文化時代の遺産が非口承文化においても受け継がれたものである」(p. 11)というのが現在の主流の考えのようです。
しかし、定型句が多いからといって決して古英語詩が独創性を欠くわけではありません。著者はこのことを指摘していきます。まず、定型表現は定型組織(「1つの鋳型から潜在的に生み出される可能性のある多様な定型表現群」(p. 12))であり、「詩人は韻律的な要請や修辞的効果のためにそれに変化を加えることで、新たな表現を生み出」(p. 13)していたことが指摘されていました(例えばメタファーの産出や頭韻の要請)。また、戦の場面に大鴉、鷲、狼が現われるという常套的描写(定型主題)や、それらが登場する前に喚声が描写されることなどについても指摘されており、それが作品の中で極めて柔軟かつ独創的に用いられていることが指摘されていました(交差配列やアイロニーなど)。
最後に中世英詩のテクストが現代に何を示唆するのかということが議論されていました。最近は印刷技術のおかげで、オリジナルというものが大きな力を持っており、著作権といった概念が生じています。しかし、写字生がオリジナルの写本を作っていた時代は、「「著者による唯一無二のテクスト」という意識、またそれを一語一句は言うまでもなく句読点の細部に至るまで尊重しようとする意識があったであろうか。また、そもそも作者自身に自らのテクストを確定させようとする意図はあったであろうか」(p. 28)というとても興味深い問題提起がなされていました。最近では写字生による加筆などを逸脱とは考えずに、パフォーマンスと考える研究の立場も増えてきているそうです。そんな中、最近のインターネット社会では誰が作者か分らないテクスト(Wikepediaなど)が多数存在し、こういいた文化におけるテクストの諸問題を考える上で、中世の時代のテクストが何か示唆することができるかもしれないと著者は締めくくっています。
フィロロジーの論文は普段はあまり読むことはないのですが、とても面白く読みました。事例も豊富で、すごく勉強になりました。また、最後の部分の指摘ですが、『電車男』の作者が結局「中野独人」とされていることなどを思い出したりして、色々と考えさせられました。


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