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2009年6月30日 (火)

大塚英志(2001).『定本物語消費論』を読む(角川書店)

本書の詳細は次の通り。

大塚英志(2001).『定本物語消費論』.角川書店.

感想:元々は1980年代に出版された本ですので少し古いですが、著者自身も認めているように、私は本の内容は現代でも多分に通ずる内容だと思いました。著者は、ビックリマン、マンガ、コミック、やおい本、おまじない、ポエム(少女まんがてき感覚による詩)、宗教、といったものを例に取り上げて議論を展開していました。私自身が特に興味を持った2つの点についてまとめたいと思います。それらは、現代の物語消費のメカニズムについてと都市伝説についての考察です。

まずは物語消費のメカニズムについて。著者はビックリマンシールなどを例にしながら、商品がその背後に設定されたシステムまたは世界(大きな物語)の中で消費されていく様子を指摘していました。ビックリマンシールなどには、シールの背面に小さな物語(システムの断面)が与えてあり、消費者はそれを収集する中でシステムへと近づいていきます(ただし、システム自体を消費することはできない)。最後には、消費者が物語を作り出すという局面を迎える可能性があり、商品の送り手と消費者が同じ立場に置かれる状況に至ると述べていました(つまり、自ら物語ることでシステムへ近づこうとする)。そして、オリジナルと複製が区別がつかなくなり、むしろ複製の方がリアルであると考えられる傾向に陥るという可能性があるということです。結果として、複製はしばしばオリジナルを復活させることに役立ったりすることもあります。かつて(戦前)は物語は共同体(日本という1つの共同体)とセットになっていたそうですが、現代では人は具体的な共同体に帰属していないため、消費者は多量の物語を必要とし(その物語が帰属していることになっている世界へとアクセスするために)、いくら消費してもその飢餓感は満たされない状況となっているそうです。結果、物語ソフトが氾濫した世の中となっています。

次は都市伝説についての考察です。以前は柳田國男などによる民族学で世間話という用語が使われていました。この概念について、著者は「<世間話>の生成メカニズムは、村落共同体が<異物>の親友という事態に直面した時、これを解毒する防衛のメカニズムと一致する」(p. 260)ものであると述べています。しかし、都市伝説と世間話は少し異なっています。後者は農耕という生産活動と関係を持った文脈で生み出されたものであるのに対し、前者は消費社会という文脈で生み出された概念です。また、後者は秩序化の装置であったのに対し、前者は秩序のカオス化の装置として現代社会で機能しているためです(サザエさんの最終回の噂など)。そして、都市伝説は「死」や「精霊」へのアクセスなど、異界との接点を示唆するメッセージとして含んでいるということも大きな特徴となっています(やはり、カオス化の方向性が見て取れます)。そして、都市伝説はメディアをも巻き込んで肥大化していきました。しかし、都市伝説は結局は管理されたものであるということも忘れてはいけないということが指摘されていました。都市伝説も、その根底には物語消費というプロセスの一環として機能しているに過ぎないというのが著者の考えでしょうか。

以上、特に関心を持った部分をもとにまとめてみました。やはり、本書が言わんとしているのは、小さな物語の背後に大きな物語があり、人は大きな物語へとアクセスするために小さな物語を消費し、最終的には自らも生産者の立場へと立つことで、更に大きな物語へのアクセスを試みます。しかし、こういったシステム自体が誰かによって管理されたものであることを忘れてはいけないというのがメッセージなのかなと思いました。とても面白かったです。

この議論をもとにアカデミズムを考えてみると・・・、というのはやめておきましょう。

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2009年6月10日 (水)

E.Nierlich(2005).「An "Empirical Science" of Literature」を読む(『Journal of General Philosophy of Science』)

この論文の詳細は次の通り。

Nierlich, E. (2005). An "empirical science" of literature. Journal of General Philosophy of Science, 36, 351-376.

感想:文学の経験的研究のあり方を科学哲学の観点から整理した論文です。文学の経験的研究の初期の研究に多く見られたタイプの論文とも言えます。まず、著者は次のような言葉から論文を始めています。"Let it be clear from the start that I don't want an empirical psychology or an empirical sociology of literature to be my special subjects.  I don't question their justification in principle, but I think that an "empirical science" of literatuyre still has to solve practical problems of its own." (p. 351)

著者は、自然科学とはどのような学問であるのかということを整理することからはじめ、研究結果がpractical relevanceを持っていること、記述よりも説明が重要な要素となること、などを確認していました。

次に"science of literature"(文学の経験的研究)に伴う困難点について整理しています。まず、問題を記述する際に既に言語学的ないし記号論的にコード化されてたオブジェクトが入り込んでしまう点が指摘されていました。しかしながら、自然科学であったとしてもあらかじめpre-paradigmatic descriptive categorizationがなくても研究を行なうことが可能です(まして、science of literatureを行なえないなどということもありません)。

次に著者は"science of literature"が扱わなければならない独特な問題点について明示します。"when they talk about their reading experiences to other readers - and they do it on their own in practice to achieve agreemnt -, these acts are observable and describable and they are hampered by practical problems not of differences in interpretation, but of justifying deverging valuation to other readers." (pp. 358-359) これはscoeice of literatureにとってプラクティカルな問題となり得ます。"it is practical problem to be solved by an empirical science of literature to explain why an individual participant in a reading public cooperates by way of a specific literary valuation to the aim of installing a joint valuation criterion." (p. 359)

また、自然科学などにおいては、構成概念なども単純な実証データに基づいたものでもありません。"All in all you can see that a full-fledged explanatory empirical science as a whole isn't so empirical.  Metaphorically speaking it stands as a theoretical construct on empirical piles in non-scientific human practice, which is still an undifferentiated conglomerate of cooperative actions and joing observations, but also has its innovative effects back on non-scientific practice.  Constructing a hypothetical object of scientific explanation as a kind of quasi-actions by analogy with a kind of practical actions, and empiricization of it by means of subordinate descriptive theories, developed with the help of methods of comparison adopted from practice, this could als be a procedure for developing a practically relevant explanatory theory of an empirical science of literature." (p. 360, emphasisi in original)

以上のことから、文学の経験的研究は、「なぜある読者は作品の評価を他者と共有(あるいは反対)したりするのか」といった問題を扱いますが、それは十分に(実証)科学として機能しうるものであるということが述べられたことになります。また、研究の第一歩として、"The first step towards empirical specification of this construct is achieved when we are able to empirically describe the result of a quasi-action, in our case, of the emergence of a cooperative communicative act of literary valuation." (p. 361)が出来るのだから、文学の経験的研究は可能であるということも述べています("And the practical relevance, which may be achieved with the help of nomological explanations, here doesn't consist in predictions for better practical production os means, direct or indirect, for survival, but in the provision of rational understanding for better practical teaching or criticism" (p. 351)とも述べられていました)。要するに、他者に受け容れられやすいような評価を生みだす方法を予測したりすることではなく、どのように評価が他者と共有されたりされなかったりするのかを記述することにこそ文学の経験的研究の出発点があるということです。

議論が抽象的ですので、最後の箇所で文学の経験的研究をどのように行なえばよいのかが具体的に示してありました。著者はHenry James によるThe Golden Bowlの読者がどのように評価を行なっているか、それをどのように他者と共有しているかを記述し、その過程で文学の経験的研究の行ない方を述べています。p. 364、p. 368などにその要点がまとめてありますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

また、著者は文学の経験的研究と文学の社会学的研究の接点について述べます。"And here a point of possible cooperation looms up between an empirical sociology of literature and an "empirical science of literature" in the described sense: the explanation why and how a new literary valuation criterion is integrated into the context of values of a society." (p. 369)また、著者は実験心理学との接点についても述べています。しかし、共通点のようなものは見出せるとしながらも、著者はこの点についてはあまり明確に書いておらず、著者自身も分らないとの旨を述べて論文を締めくくっていました。つまり、心理学的なアプローチをとった文学の経験的研究については少し懐疑的なようです。

現在は文学の経験的研究も多様化しています(著者が自分の研究テーマにしたくないと言ったような社会学的な研究や心理学的な研究もあります)。しかし、著者はここで今一度原点に返り、文学の経験的研究の在り方を考え直しているように思えました。私自身は文学の経験的研究の中の心理学的な研究を読むことが多いのですが、文学の経験的研究は分野全体としては科学としてあるべきだ(このことを中心に据えて研究を行なうべきだ)という著者の主張を強く感じ取りました。ただし、この論文は少し議論の余地があり、文学の経験的研究の研究者全員が賛同することはできないだろうなと思いました。

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2009年6月 9日 (火)

J.K.Hall,A.Cheng&M.T.Carlson(2006).「Reconceptualizing Multicompetence as a Theory of Language Knowledge」を読む(『Applied Linguistics』)

この論文の詳細は次の通り。

Hall, J. K., Cheng, A., & Carlson, M. T. (2006). Reconceptualizing multicompetence as a theory of language knowledge. Applied Linguistics, 27 (2), 220-240.

感想:SLAのモデルの中で僕が最も不勉強なモデルの中の1つです。時間を見つけて読んでみました。このモデルはV. J. Cookによって提案されたモデルで、生成文法などのモデルの問題点として "the fact that most individuals know more than one language" (p. 221)を見落としているという批判を出発点としています。Cook (1991)は、このmulticompetenceを"the compound state of mind with two grammars" (p. 112)と定義しています。実際にこのモデルは様々な分野の研究成果をその証拠として利用してきました。それらは、バイリンガル研究、中間言語研究、L2システムのL1システムへの影響を調査した研究、です。multicompetenceモデルの貢献として、著者らは次のように述べています。"It has done so largely by bringing to the foreground a view of L2 users as 'successful multicompetent speakers, not failed native speakers' (Cook 199: 204), with differences in the L2 users' language knowledge perceived to stem not from any deficiency in the L2 user as a nonnative speaker, but rather from differences between the multilingual and monolingual minnd." (p. 222)

しかしながら、著者らはこのモデルは言語知識とはどのようなものであるのかということについての理解を変えることができていないということを指摘しています。その大きな理由として、multicompetenceモデルが3つの前提に固執しているためだと指摘しています。それらは、"the treatment of L1 and L2 language knowledge as distinct systems" (p. 222)、"the presumption of a qualitative distinction between multicompetence and monocompetence" (p. 222)、"the assumption of homogenity of language knowledge actoss speakers and contexts" (p. 222)です。

そこで著者らは新たに使用基盤モデルの枠組みでmulticompetenceモデルを捉え直すことを提案します。使用基盤モデルについて、著者らは次のように述べています。"They also demonstrate that individual understandings of language do not stand apart from, but rather arise from language use.  In other words, rather than a prerequisite to performance, language knowledge is an emergent property of it, developing from its locally-situated uses in culturally-framed and sicursively-patternedcommunicative activities.  Language strutcutes, as conventionally conceptualized, are simply post-hoc observations of the continually shifting patterns and schemas we employ to negotiate specific contexts of action." (p. 228)

使用基盤モデルに基づくことによって、multicompetenceモデルは次のような利点があると述べます。"First, it makes a fundamental move from the view of language knowledge as static, internally coherent and uniform systems, and  instead, takes the dynamism in language knowledge of multilinguals to be the inherent nature of all language knowledge and not simply a product of certain destabilizing forces, for example, multilingualism.  More specifically, it reveals multiple language users' knowledge to be essentially flexible, comprised of dynamic constellations of resources the shapes of which are emergent from interaction between internal architectures and cognitive processes on the on hand and social experiences on the other as a species-specific means 'to serve the many complex goals of human society and culture' (Bates 2003: 243)" (p. 229)、"A second way a usage-based view of language knowledge helps to transform the theoretical underpinnings of multicompetence research is by making clear that all language knowledge is socially contingent and dynamic no matter how many language codes one has access to.  The differences across users based not on number of languages, but on amount and diversity of experiences and use." (p. 229, emphasis in original)

また、著者らは使用基盤モデルに基づくことで生じる、multicompetenceモデルの今後の課題を指摘していました。それらは、専門用語や概念を作り上げること(著者らは一例として、"communicative expertise"という概念を応用して"multi-contextual communicative expert"といった概念などを提案しています)、研究目的の再考、研究方法の再考、などが挙げられていました。"we seek to understand the means by which language users' and learners' involvement in the various constellations of their practices is constituted and the particular forms of language knowledge that emerge from such activity." (p. 234)がとても重要な課題となるようです。

僕自身はmulticompetenceモデルはほとんど知識がないのですが、とても理解しやすく書いてあり、勉強になりました。それにしても、使用基盤モデルとかemergenceとかは、どの分野でも注目されている概念となってきましたね。

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2009年6月 1日 (月)

N.Groeben(1980).「Empirical Methods for the Study and Interpretation of Literature」を読む(『Discourse Processes』)

この論文の詳細は次の通り。

Groeben, N. (1980). Empirical methods for the study and interpretation of literature. Discourse Processes, 3 (4), 345-367.

感想:日本英文学会@東京大学駒場キャンパスに行く途中に読んだ論文です。文学の経験的研究の黎明期の論文ですので、今読んでも特に新しいことはないかもしれません(ただし、統計分析などにあまりなじみのない人にとっては新しい情報があるかもしれません)。冒頭の部分で述べられていることは、反証可能性の大切さ、間主観性の重要性(ただし、ここで述べられているのは実証的なデータに基づいているという程度の意味です)、主体と客体の区別、読者と調査者の区別、といった点が説明されていました。また、著者自身が考える、文学の経験的研究の概要についてもまとめてあります(p. 347)。

また、文学の経験的研究の扱う事柄として、"This undertaking demands further, more comprehensive explanations regarding the conditions of literary communication, e.g. structures of the artistic personality, author intentions, reader variables, questions of effects, and many more." (p. 348)と述べ、Schmidt (1981)の考えに賛成しているようです。

また、著者はpolyvalenceということをキーワードとして研究してきています。以前は、polyvalenceが強く機能しているテクストが文学の中で社会的にも歴史的にも最新であり、大部分であるということを一般的な方法で示そうとしてきたそうですが、現在は体系的な研究方法に基づいて示そうとしてきています。著者は述べます。"Literary works are to be viewed as a constant integration of two opposing tendencies: indeterminacy vs. determinacy, certainty vs. uncertainty, fulfillment vs. violation of aesthetic norms, entropy vs. redundance, or however they be called. ... Polyvalence is a cenessary condition of aesthetic experience, as has been experimentally confirmed.  ... It is a particularly crucial condition because it represents the most complex case (e.g., the maximally polyvalence text), so that simpler cases can be covered by reduction - whereas the reverse (working on complex cases with simple conceptions) is not feasible.  Thus, the central role of polyvalence is justified on systematic methodological grounds." (p. 348)

次は研究方法についてです。これは、調査系の研究になじみのある人にとっては現在ではかなり当たり前の話になってしまっていますので省略したいと思います。大雑把に言えば、文学作品の解釈を実証的に調査するためには、どういう手順で研究を行なっていけばよいのか、どういう問題点について考える必要があるのか、どういう調査方法を採用すればよいのか、といったことが整理してあります(p. 350)。論文内では表にしてまとめてありますので、興味のある方はご参照下さい。

最後は文学の経験的研究の研究例が示されています。ここでは調査方法の例示に重きがおかれていますので、調査の内容自体はあまり深く言及されていません。クラスター分析と相関分析が例示してありました。そして、これらの統計分析法を使いながら、あるテクストに対してどういった読み方(形式主義的、人間学的、精神分析的、マルクス主義的)が一番妥当と言えるのかが議論されています。いくつかの研究が簡単に整理されているだけですので、この論文だけでは少し調査の内容が把握しづらいのが残念なところではあります。現在の文学の経験的研究では、このような分りにくい書き方はすることはないですが、研究分野の初期の論文ですので仕方がないことかと思います。

文学の経験的研究の創始者の1人ですので、興味のある方は一読してみるのもいいかもしれません。ただし、この論文を読む際は、Groebenがどのようなことを考え、文学の経験的研究という文学理論の1分野をどういった研究体制にしていこうと構想しているのか、という点に重きを置いて読んだ方がいいと思います。具体的な作品解釈の研究としてどうやって研究デザインを立てればいいのかということについては現在の他の論文を読んだ方がいいと思います。

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