大塚(2001)
本書の詳細は次の通り。
大塚英志(2001).『定本物語消費論』.角川書店.
感想:元々は1980年代に出版された本ですので少し古いですが、著者自身も認めているように、私は本の内容は現代でも多分に通ずる内容だと思いました。著者は、ビックリマン、マンガ、コミック、やおい本、おまじない、ポエム(少女まんがてき感覚による詩)、宗教、といったものを例に取り上げて議論を展開していました。私自身が特に興味を持った2つの点についてまとめたいと思います。それらは、現代の物語消費のメカニズムについてと都市伝説についての考察です。
まずは物語消費のメカニズムについて。著者はビックリマンシールなどを例にしながら、商品がその背後に設定されたシステムまたは世界(大きな物語)の中で消費されていく様子を指摘していました。ビックリマンシールなどには、シールの背面に小さな物語(システムの断面)が与えてあり、消費者はそれを収集する中でシステムへと近づいていきます(ただし、システム自体を消費することはできない)。最後には、消費者が物語を作り出すという局面を迎える可能性があり、商品の送り手と消費者が同じ立場に置かれる状況に至ると述べていました(つまり、自ら物語ることでシステムへ近づこうとする)。そして、オリジナルと複製が区別がつかなくなり、むしろ複製の方がリアルであると考えられる傾向に陥るという可能性があるということです。結果として、複製はしばしばオリジナルを復活させることに役立ったりすることもあります。かつて(戦前)は物語は共同体(日本という1つの共同体)とセットになっていたそうですが、現代では人は具体的な共同体に帰属していないため、消費者は多量の物語を必要とし(その物語が帰属していることになっている世界へとアクセスするために)、いくら消費してもその飢餓感は満たされない状況となっているそうです。結果、物語ソフトが氾濫した世の中となっています。
次は都市伝説についての考察です。以前は柳田國男などによる民族学で世間話という用語が使われていました。この概念について、著者は「<世間話>の生成メカニズムは、村落共同体が<異物>の親友という事態に直面した時、これを解毒する防衛のメカニズムと一致する」(p. 260)ものであると述べています。しかし、都市伝説と世間話は少し異なっています。後者は農耕という生産活動と関係を持った文脈で生み出されたものであるのに対し、前者は消費社会という文脈で生み出された概念です。また、後者は秩序化の装置であったのに対し、前者は秩序のカオス化の装置として現代社会で機能しているためです(サザエさんの最終回の噂など)。そして、都市伝説は「死」や「精霊」へのアクセスなど、異界との接点を示唆するメッセージとして含んでいるということも大きな特徴となっています(やはり、カオス化の方向性が見て取れます)。そして、都市伝説はメディアをも巻き込んで肥大化していきました。しかし、都市伝説は結局は管理されたものであるということも忘れてはいけないということが指摘されていました。都市伝説も、その根底には物語消費というプロセスの一環として機能しているに過ぎないというのが著者の考えでしょうか。
以上、特に関心を持った部分をもとにまとめてみました。やはり、本書が言わんとしているのは、小さな物語の背後に大きな物語があり、人は大きな物語へとアクセスするために小さな物語を消費し、最終的には自らも生産者の立場へと立つことで、更に大きな物語へのアクセスを試みます。しかし、こういったシステム自体が誰かによって管理されたものであることを忘れてはいけないというのがメッセージなのかなと思いました。とても面白かったです。
この議論をもとにアカデミズムを考えてみると・・・、というのはやめておきましょう。


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