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2009年4月 5日 (日)

A.A.レオンチェフ(1970).『言語の発生とその展開 ソヴェート言語学序説』を読む(広岡延夫(訳),未来社)

本書の詳細は次の通り。

レオンチェフ,AA.(1970).『言語の発生とその展開 ソヴェート言語学序説』(広岡延夫(訳)).未来社.(原著は何年か不明)

感想:本書は、主にソヴィエト言語学の観点から言語の系統的な発生を考察した一冊でした。その考察は修辞学的なものではありますが、大変興味深かったです。

●訳者序

本書はスターリン言語学とマール主義言語学が否定された後のソヴィエト言語学になります。しかしながら、マルクス主義の言語学への援用自体を否定したのではなく、むしろ、「言語が人間の歴史に関係がある以上、史的唯物論の成果は十分汲みとられるべきであろう」(p. 1)という当時のソヴィエト言語学の立場で執筆されています。当時のソヴィエト言語学は、(1)連邦内の後進民族の言語に平等な権利を与え、それらの正字法(アルファベット制導入)や文法を定めたり、(2)標準語を選択すること、(3)死語の言語記録や文法研究、(4)それらの言語の辞書編纂、(5)音声理論の発展(アルファベットを定める必要性から発展した)、に大きく貢献したそうです。特に、ソヴィエト言語学は、イラン系言語やコーカサス系諸語の研究をしたのですが、それらは特徴的であり、印欧語を基礎とした言語理論では間に合わず、言語学者は新たな理論的根拠の構築に努めたそうです。さらに、マール主義言語学とは違った形でマルクス理論を言語学に取り入れる方法も模索されました。当時のソヴィエト言語学の研究の方向として、3点指摘されていました。それらは、「言語社会学の問題点とする類型関係に留意しながらも、言語の構成面に注意を怠らない。」、「同時期的素材を分析する際にも言語過程の運動に注意を払い、言語内部の系統関係の説明を常に考える。」、「言語史の研究に際しては、その言語を話す民族の歴史との関連において行なう。」(いずれも、p. 3より)、です。西欧言語学では言語の起源の問題はタブーとされていますが、ソヴィエト言語学ではこの問題を避けて通ることはせず、「自分の持つ言語理論の切れ味をためす、試金石として受け止めている」(p. 3)と述べてありました。

●原著者序

著者は、言語学には3つの大きな進歩があったと述べています。第1の進歩は、哲学からの言語学の分離であり、フンボルトの言語形態に関する学説が大きく寄与したと述べています(「初めて言語の形態的分類がなされ、言語分析の系統的方法がとられ、比較言語学的方法が樹立された」(p. 10))。第2の進歩は、言語概念を記録するための記述的方法による音韻学説の確立であり、アメリカ学派などが大きく寄与したそうです。しかし、歴史過程を無視する態度は問題だと述べています。ちなみに、19世紀は言語の起源について大きな成果を得ましたが、20世紀に入ってからはこの分野での優れた研究は提出されていないそうです。第3の進歩は、言語学が人種誌学や心理学などその他の人間学と同等に独り立ちできるほどに発展した点であり、ボードアン・ド・クルテネによって予言されたと述べています。言語学の前途に関しては、クルテネ学派(カザン学派)のシチェルバによると、言語の担い手である人間を愛し、観察することを主張しています。このことに加えて、著者はヴィゴツキーの見解(「人間と社会との関係ウを歴史的唯物論の立場で解明」(p. 11))すれば、その前途は明るいと考えています。また、言語の起源について考察することに関しては、言語学の方法論の試金石とみなしています。

●第1章 思考と言語の起源

この章では、著者はまず動物は人間の言語を学ぶことはできないということを確認します。確かに生物的必要刺激物を与えることで、情報を理解しているかのように見えることもありますが、それは条件反射の一環であり、交信の可能性は人間に比べると非常に限られたものです。また、蟻や猿などの動物が集団で生活していることもありますが、それは生物的原因から共同しているだけであり、共同体内での労働活動は社会的労働ではないと主張しています(この点に関しては、現在では批判の余地があるかもしれませんが)。チンパンジーもこの手の議論でよく引き合いに出されますが、チンパンジー自身は労働行動の下人と結果、目的と方法を選択する能力はないと述べています(人間がそのように解釈しているに過ぎないと著者は考えているようです)。「動物は概して周囲の対象を純粋に生物的意味という見地から「主観的」に受容する」に過ぎないと著者は考えています。

一方、人間は動物と違って自然と直接衝突することはしません。人間の行動は社会的であり、その労働は共同的で社会的です。人間は、それ以前の原始人との違いを、生物的特徴よりも道具の変化に見ることができ、道具という遺産を先代から受け取り、次世代に伝えるようになりました。もはや生物的法則に従う必要もなくなり、生存のために一人で自然と戦う必要もありません。しかし、動物とは違う別の必要が出てきたと言います。それは、「最大限の利益を社会、人類にもたらすこと、自分の個人的生物的利益だけでなく、社会の利益を考えること」(p. 41)の要求です。著者は、「社会的利益と個人的利益との調和が、人間の頭脳なかに反映したことは人間叡智の、人間自覚の、最初の閃光というべきであろう」(p. 41)と述べています。しかし、これで全てが終わったわけではありません。著者は述べます。「しかしこれだけで社会の援用が終った訳ではない。これで生存競争が終ったのではない。彼等は互いに伝達することが出来ない。世代から世代へ道具の使用法、いや道具そのものを伝えることが出来ない。そこに全く新しい重要なファクターが生れた。彼はそれによって簡単な道具の習熟から、人間知識及び思考のどんな成果をも伝えることが出来たのだ。それが即ち言語である。」(p. 41

●第2章:思考の発生と言語の発生

猿が人間に変化した時期はオーストラリア・ピテックスの時代と当時は考えられていたそうです。その行動には、労働活動(道具の使用)と集団生活(群)の最初の兆し(あくまでも兆しです)が見られるそうです。しかし、それはあくまでも動物界での進化であり、現在の人類とはまだ遠い存在です。著者は、人間へと近づく原始人の段階として、ピテカントロプスとネアンデルタール人を挙げています。その後にくるクロマニョン人はもはや原始人とは言えないほどに発達していたそうです。つまり、当時のソヴィエトの人類学者は、(1)オーストラリア・ピテックス、(2)ピテカントロプスやネアンデルタール人のような原始人、(3)クロマニョン人以降の現代の人類、という3つの段階を想定しており、一つの段階から次の段階への移行は漸次的ではなく、飛躍的だったと考えられていました。(1)から(2)への移行は、「社会的合法則性の最初の現れ」(p. 53)であり、(2)から(3)への移行は、「完全で自由な終局的支配」(p. 53)の獲得という質的適合が見られるとしています。このことから分かるように、原始人の段階では、まだ生物的意味と社会的意味両方の合法則性に支配されていました。それが次第に社会的意味の重要性を増していくことになります。「「労働活動による身体的変化の後代への遺伝という造物主から与えられた、これらの優位はすべて生物的法則によって行なわれたに過ぎない。ところが古代人類が労働用具を生産し得るや否やそれは生産力を発達させ、一路社会化の方向へ完成して行った。そして道具を造った集団に、その生物的条件に関係なく、莫大な利益を与えた。この現象は全く新しく現われた社会的合法則性によるものである。」そこで社会的伝統に結びついた人類の特性は生物的遺伝にではなく、社会的合法則性の作用の範囲に依存するようになった。」(p. 54

思考活動の発生については、具体的外部的形式(行動や具体的な活動)が引き金となって発生したという説を採っていました。言語以前の音声交信については、情緒的叫び声(それによって状況を指示するだけ)の段階(オーストラリア・ピテックス)を経て、音声を社会的に使用する段階(原始人)に至った(集団的規制行動の手段として音声を用いる)としています。この2つの段階の差異は音声的特徴が豊かになったという点にあるのではなく、その社会的役割や機能という側面に求めることができると著者は考えています。

次は最古人類(ピテカントロプスなど)の思考について考察しています。その過程は「労働行動がその対象から分類する」(p. 64)ことで生じたと考えられていました。その過程は音声や動作の模倣→様々な具体的労働行動の発生→行動が労働状況と分離されて行動そのものが結果を予想する段階、と述べられていました。しかし、労働用具そのものから結果を予測する段階には至っておらず、条件反射的段階を抜け出すことはできていないという見解が示されていました。次に、狩猟などをしていくうちに、その行動(マンモスの狩猟など)は社会的労働の過程によってなされるという観念が出てきます。その労働作業が成功するほど、観念は強化され、ここに来てやって労働用具に労働作業が結び付けられ、道具を通じて労働経験を伝達するメカニズムが発生します。「以前は原始人には客観的に各種の加工品、道具といったものを区別出来ず、その心理への反映も同一であったが、今や道具加工の現実が分離を可能にし」(p. 69)、「頭脳と思考のなかに人間の手の分離と定着を、またこれらの道具によって生産される、その労働生産物の対象化の前提を造り出した」(p. 69)と著者はまとめていました。更に、次のようにも述べます。「先ず彼は労働作業と労働対象とを還元するため、それを分離せねばならぬ。しかしこれは行動の知能化の第一歩を保証するに過ぎなかった。第二は行動の完全な還元と「音声」への転写に関連してくる。行動は終局的に知能化され、音声形態の外形的表現のなかに残される。」(p. 70)「初め「思想」の担い手であった労働活動即ち社会的なものが、個人的行動に転移し、対象から省略され、還元されて、疎隔された行動そのものを人間は音声と同一視することが出来たのである。原始人の心理には一定の労働状況と一定の音声が緊密な反射関係を結んだ。」(p. 71)こうして、ネアンデルタール人の段階へと進んでいきます。

洞窟時代に道具の型や量は急増しました。それは、従事する仕事の量と種類が急激に増えたと考えられるためです。そして、そういった道具は個人から個人へ、世代から世代へと伝わることになりました。また、洞窟時代の初期の頃から原始人は労働の成果を認識していたと考えられ、道具と作業は分離し、道具は観念として定着していたと著者は主張します(原始人たちは原型に近いように道具を造ろうと努力していたと考えられます)。しかし、行動そのものはまだ観念化していなかったと著者は考えています。また、著者は原始人の頭蓋骨などの形状を元に、「ネアンデルタール人は既に外部的影響を統一し、その結果を次に伝達することが出来た――つまり労働作業を個々の段階に分離することが出来た、と想像してもよいであろう」(p. 81)と述べています。しかし、彼らの言語に関しては、「現代人類に特徴的な、言語を調整する機能を殆ど持たなかったと考えてよい」(p. 81)と述べており、その原始的言語について考察を展開していました。まず、周囲の品物が名を持ち始めたと考えられます。しかし、道具も作業も品物も同一の名で指されていたと推測されています。「正確にいうならば同じ労働作業に含まれるものはすべて一つの名を持った」(p. 82)。第2に、音声の専門化が起こったと推測されています。古代人類が信号に役立てた音は猿の観察から考えると、せいぜい1015種類しかなく、それらの音声では多様化した労働を伝達するのに対応できなかったと考えられています。そこで、「その方法は音節によって分たれた音声へと移ることである。そこで以前は発音に殆ど役に立たなかった、口腔内の機関(主として舌、軟口蓋及び唇)が主要な機能的役目を果し、種々の音声を保証するようになった。」と主張されていました。ただし、単音節であったと予測されています(p. 85)。ただし、母音に関しては、「彼はまだ種々の母音を発することが出来ず、すべて「単調」で、正確にいえば任意の音を彼は自由に発することが出来ず、不安定な音声即ち母音的音声を発した」(p. 86)。また、「彼は音声的なものと一緒に不調和な金切り声や舌打音を発した」(p. 86)とも推察されていました。まとめとして、著者は「ネアンデルタール人の音響的区別は普通の動物と左程変らなかった」(p. 90)、「多分ネアンデルタール人の声は比較的かん高く、その声帯構造に相応していたためではなかろうか」(p. 90)と述べていました。

次は、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの発展についてです。ネアンデルタール人は住む環境によってその経験が異なり、そういった様々な経験が各地域で脳へと固有な様式で集結したため、様々な変形を生んだそうです。そういった中、ネアンデルタール人は、亜定型ネアンデルタール人と定型ネアンデルタール人に分かれます。前者は「脳皮質の各部が統一され、一つの機能体系をとり、その隣りの部分の脳皮質の作用に」(p. 91)取って変わった種族で、「未来に対する潜在的可能性-殆ど無限尾発展が約束され」(p. 92)ました。後者は、脳皮質を次々と重ねていき、脳の容量が次第に大きくなり、担い手の生活的活動を圧迫するほどにもなった種族で、死滅したそうです(しばしばネアンデルタール人の方が現代人より脳が大きいのはこのためです)。亜定型ネアンデルタール人は、手の構造も変化し、多くの労働量とより複雑な作業が可能となりました。そして、群れの中の生産関係も変更し、分業が可能となったようです。言語については、「労働作業はただ一つの条件、つまり社会的実用性のある、非常に有用な品物が、言語によって名づけられた場合、各成員間に分割することが出来た。それは言語が社会的実用性を満たす過程にある品物を、更に他の機能に「品物化」するのに役立った」(p. 95)と述べています。また、音声については、以前は単なる刺激物でしかなかったのですが、記号として機能するようになったと述べています。そして、人間は音声ではなく、その音声(言葉)の意味に反応するようになりました。また、集団における自覚(自制的行動を行なう能力)も現われ、自己の思想の発生の可能性も高まりました。著者は述べます。「自制的行動を行なう能力は脳の前頭葉の発達に関係がある。この能力が周囲の事物を再生する要求を知覚に提出する。それは記号の発生をうながし、現代的人間の前提を予報する。人間は思い出すことが出来るし、(知覚が視覚または他の感覚によって呼び起す)自由に任意のものを回想する。(任意の時にそのものを再生出来る。)だから記号の助けにより前以て意味づけ出来るのだ。記号zによって道具zの客観的特質を彼の知覚の中に、本来の道具として浮び上らせる。しかも、ある一定の原型としてでなく、z的特質を持った、一連の豊富な図式を有する「骨格」として観念されるのである。ただし個々の細部においては個人的な感情、経験が盛られたであろう。」(pp. 99-100)。また、ネアンデルタール人の言語は単音節であったと考えられていますが(つまり、母音の区別にはかなり時間がかかった)、それも徐々に変化していったと考えられています。「短母音的語句が子音毎に区切られ、母音の音色によってでなく、音調の高さによって区別されたということは確かである。音調的区別はネアンデルタール段階の終りに起り、(但し彼等は個々の音声は用いたが、もちろんその区別は意識しなかった。)Homo sapiensが機能的な音声聞き分けシステム形成の基礎を置いたのである。そしてこのシステムが発達するにつれ音楽と言語との区別が生じ、叙述調がメロディー調に移り、上質の一定の音調を探り出し、発生の音域を広げたと考えられる。意味を違えるための音調利用が必要でなくなった時、情緒的な意味が生じ、音楽が発生したのではなかろうか。」(pp. 104-105

●第3章:言語の前史

この章では、まず最初にエス・トルストフの原始的言語体系の仮説が紹介されていました。その仮説は次のようなものです。「その閉鎖的な経済生活にあって各血族が自己特有の言語を持ったことは極めて自然である。しかし異った血族との結婚という基盤にあって、各血族の人々は可能なかぎりの相互理解を必要とする。血族間の共同体化の過程で血族的言語は相互交換、相互理解の途をたどった。その結果数千年の歴史の後、原始的血族間にはいわゆる「原子的言語体系」といったようなものが出来る。言語はお互いに隣り合った近親的地方的血族集団のものとなる。地方的血族集団が遠くへ移動するにつれその近親さは減少する。しかし永く消えない。特に重要なことは領域の切れ目で、その近親性は消えずに保存されることである。何故ならその周辺では注意深くその地方的血族言語を取扱い、相互理解に使用するからである。断絶した言語境界というものはない。すべての原始言語は、後の方言あるいは会話の状態に、その近親さの程度を残すであろう。しかし距離の非常に遠い場合は相互理解は次第に消え去る。この場合現代的理解による方言をいっているのではない。何時も経済的自足圏の武器となる「自立的言語」をいっているのだ。これなくしてどんな言語も存在しないであろう。どんな血族または血族間の疎隔も、たとえきょりは短くても原始的言語体系は破壊される。」(pp. 110-111)しかし、この仮説は多くの反対意見を呼んだそうです。ここでは主に2つの反対意見が紹介してありました。それらは、血族的言語が一つの源泉から出たことを否定しているように見えること、そして、二つの言語の相互の後輩、影響は必ずしも第三の言語を生まない、ということでした。

次は、音韻的発展についてです。既に紹介したように、かつては単音節は構造的に分割されることができず、それが1つの完全な音韻的単元として機能していました。そして、意味を作るのは子音とか母音ではなく、音節の位置や音の高さでした。ここでは、まず三つの原始的音節が表れ、それが音響面(聴覚による聞き分け)と音調面(調音的対立)の発達によって現代の言語の形になったという説が紹介してありました。そして、特定の音声が出現する順序についての研究方法として、心理学的方法、言語学的方法、解剖生理学的方法が紹介されていました。それぞれの方法によって考察した結果、最初が鼻音ということでいずれも共通し、次は破裂音か硬口蓋摩擦音、3番目は軟口蓋摩擦音か歯茎摩擦音、4番目は鈍い音か響く音、で分かれる結果となったと述べています。

次は構文構造の発達についてです。「先ず人間は彼が完成したか、あるいは完成するか、完成するであろう労働行動と品物について語ることを欲するであろう」(p. 125)と著者は述べ、次に労働以外の本来的な行動自体を名づけることも必要になってきたそうです(特に洞窟時代)。そして、Homo sapiensの時代には、「労働行動+行動の目的」、「行動の客体+行動(非労働の)」という2つの表現型が存在したのではないかと述べられていました。そして、自意識が確立されると、「我/非我」という対立も構文に反映されたと推測されています(つまり、最初は誰が所定の行為をしたか分からなかったということです)。

次はその他様々な言語的特性についてです。原始的な文句が現われてから言語区分や文法的なものが現われたと推測され、名詞と動詞は最も古い言語区分と述べられています。そして、形容詞が名詞から生じたとされます(ポテプニヤは大半の形容詞が名詞から生じたことを明らかにしています)。また、人称については、1人称と2人称は古くからあり、その後で3人称が現われたという推測がされています。「代名詞は社会との関係を示す小さな鏡であ」(p. 133)り、1人称と2人称しかない時代はそれで間に合うような社会であったと考えられます。この2つの人称が現われたのは、洞窟時代の終わり、オリニャック期の初めには、人間の自覚が芽生えが成立した時期と推測されていました。その他、数詞は指で計算することから発生している、補語は単語から生じる、文法上の性は品物の能動的または受動的機能によって定まった(汎印欧語では、前者は活性でありその後男性と女性に分化し、後者は非活性であり中性に変化した)、名詞の数は集合名詞をもとにして生じた、格は遅くになってから発達した(主格、役格、所有格が最も古いと考えられる)、動詞の人称は行動の名称+物主代名詞という形から生じた、動詞の時制は態と同時に起こった(最初は分化していなかった)、未来形は過去と現在に遅れて生じた(未来は現在形を使用することで表現するようになった)、などの推測が紹介してあります。著者はまとめとして、「しかし十分の自信をもって言えることは文法構造の形成は音韻システムの形成に先行したということである。即ちネアンデルタール人から現代への境界線で人間は既に文句をしゃべり、言葉となった音声を発したのであろう。…晩期のネアンデルタール人は希望、呼びかけ、達し等を表現したばかりでなく、何かの通信をしたであろう。そのためには既に、二節の言葉、正確に言えば、二つ以上の融合した音節を持った、言葉が必要である。」(p. 138)と述べていました。

また、思考の発達についても触れてありました。著者は述べます。「社会生活の無限に増大する役割が「等具体的思考」から演繹的思考へ、観念から理解へ移る第一の条件となった。今や人間には莫大な量の、あらゆる種類の知識、習慣、規則、標準といったものが押し寄せてきた。初めは感覚的具体的判断で十分であったが、やがてその方法すべての経験を蓄積することを止めねばならぬ時期がやってきた。それが「現代」の思考に移る第一の条件となった。ことがらは本質的に変わり、労働作業は多様となり、社会的実践の形態は仕方も数量も多くなった。特に春には大麦をまき、秋にはそれを収穫するというような労働の形態が現われ、季節によって結果が分れた。これが第二の条件である。」(pp. 148-149)人類は推理が可能となり、彼らの理解は感覚的具体性ないしは等具体的判断を持った論理的判断を伴うことになったそうです。

最後の箇所では、言語の進化についての言語研究について総括してありました。言語学者は言語学を自然科学の一部と考えてきたそうですが、1880年代になってやっとポーランドのカール・アペールが言語学を社会の学問として位置づけたそうです。しかし、言語学は言語の担い手である人間を忘れてしまったそうです(そういった中、ボードエン・デ・クルテネだけは例外だったそうで、言語における社会と個人との正しい関係を発見することができたそうです)。また、ポリワーノフ(音韻学に分析的方法を持ち込んだそうです)は、言語は労働活動として研究すること、個人的にではなく集団的に研究すること、の2点を主張しています。著者は言語には3つの基本的機能があると述べます。それらは、伝達機能、交信機能、表現(表出?)機能、の3つでした。著者は最も重要なものとして伝達機能を挙げています。また、言語進化のメカニズムについては、3つの段階があるそうです。それらは、個人的新造語の創出、その新造語が特定の社会群によって使用される段階(新造語が社会的要求を満たすものとして社会の中で承認されている)、新造語が一般に使用される段階(全言語集団の強勢語となり、言語システムに入る)、です。

以上、この本を読んできましたが、かなり難解な本で、読んでまとめるのにかなり時間がかかってしまいました。また、推測の域を出ない議論が多いので、現在では否定されてしまっているような議論がなされているかもしれません。言語の発生については最近の文献も読む必要があると思います。また、ソヴィエト言語学でのボードエン・ド・クルテネの影響力の大きさも再確認しました。また、言語の発生について真剣に取り組んだのは当時としてはとても珍しく、評価されるべきだなとも思いました。大変勉強になりました。

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