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2009年2月 5日 (木)

G.Hall(2005).『Literature in Language Education』第2章を読む(Palgrave Macmillan)

タイトル:Literature in education

感想:著者は文学テクストの言語学習における言語的な利点として、その言語の幅と創造的な方略を挙げています。その他、著者はEnglishを教える理由としてpersonal growth view、cross-curricular view、adult needs view、cultural heritate view、cultural analysis viewを紹介していますが、この章ではそれらの内、1・4・5番目のものに特に着目するようです。

著者はまず、文学教育のカリキュラムについて歴史的なレビューを行なっています。著者の先行研究のレビューによると英文学と呼ばれる学問は19世紀にインドやその他の植民地で確立され、女性や労働者階級の男性のための役に立つ読書または学習の場として機能したそうです。それは、イギリスで英文学が学問として制度化される前の話だというからとても興味深いです。イギリスでは、19世紀にキャノンという考えが成立しました。英国での英文学学習の確立について著者は次のようにまとめています。"Certainly, with a growing nationalist pride in the vernacular through the eighteenth century, along with the spectacular expansion of the British Empire, it became more respectable for gentlemen to study English, as in other European nationalistic contexts through the nineteenth century (Doyle 1989)" (p. 44)この動きを率先したのはキリスト教(教会)だったそうです。徐々に労働者階級の人々や女性へと広まっていきました。そして20世紀初頭には、女性の学習者が増えていったそうです。また、修辞学が衰退した後は、Englishの学位の言語の部分は古英語のフィロロジー研究に取って変わられ、現在の言語学と文学の対立の始まりを生み出したと述べられていました。さて、学問としての英文学の故郷の1つであるインドでは、1835年(オックスフォード大学で英文学が制度化される60年も前の話です!)に英文学は英語とイギリスの価値観を同時に教えるのによいと認識されるようになったそうです。そして、英語というものは東洋における他者に反するものという形で構築されるに至りました。Pennycookは、英語教育とは大英帝国における産物として捉える必要があると指摘しています(p. 46)

次に、第2言語教育における文学の役割についてまとめられていました。文学は活動の源となる教材としてみなされることが多いのですが、その認識では不十分であるというのが著者の主張のようです。著者は第2言語教育における文学の価値として、affective arguments、cultural arguments、psycholinguistic arguments、を紹介し、より具体的には、expands vocabulary、aids language acquisition in unspecified but general ways、'gives feel for' the language、develops more fluent reading skills、promotes interpretative and inferential skills、contributes to cultural and inter-cultural understanding、literary texts are supposedly particularly linguistically memorable、literature is claimed to be pleasurable、といったことが主張されてきたと述べています(p. 48)。近代の外国語教育及び文学教育はギリシャ語やラテン語などの教育がモデルとなっていると著者は指摘します。しかし、1980年代にCLTが始まると、文学は関係ないもの、またはせいぜい有用なリソース程度の役割しか考えられなくなったそうです。著者はここで、伝統的なアプローチ、コミュニカティブ・アプローチ、「文化」または「ディスコース」という考えを中心に据えたアプローチ、をそれぞれまとめていました。

伝統的なアプローチについては、著者は次のようにまとめています。"deriving heavily from nineteenth-century notions of the canon and a moral agenda for literature, with at best a little New Criticism or elementary sentence-based stylistics thrown in, but with linguistic dimensions opften neglected or assumed.  Typically found in 'foreign language' and higher academic contexts ('humanism')" (p. 49)。"Curricula seem largely intuitive or are justified purely on grounds of tradition with little concern of regard for educational research- or even the expressed desire of students and other stakeholders for a vocationally relevant education. ... The origines lie in the nineteenth-century UK and colonial histories" (p. 50)このアプローチの中では、作者の考えが好きだとか作者に賛成するといった意見は軽視されました。

次はコミュニカティブ・アプローチです。このアプローチは伝統的なアプローチに対して、文学の学習は全ての学習者にとって必ずしも面白く有意義なものではない、という批判を挙げます。また、伝統的なアプローチのシラバスは技能や能力の発達といった点について何も考慮していません(せいぜい特定の習得知識を挙げているだけ)。更に、文学の学習と言語習得や言語技能との関係についても何も述べていません。一般に、文学を使った英語教育は伝統的な考えから反応のようなhumanisticな考えを経て、現在の他言語ないし多エスニティー共同体における言語使用者の文化ないしアイデンティティーを扱うアプローチへと変化してきているようです(アメリカのModern Language JournalやイギリスのELT Journalではそのように変化してきているそうです)。著者はKramsch and Kramsch (2000)の研究に基づきながら、アメリカでの文学の扱いの変遷を整理していました。

1. Until roughly 1914, a traditional view of literature as the purpose and center of language teaching prevails

2. From about 1918 to 1929: literature as a source of reading potentially accessibloe to all literate Americans

3. From 1929 to 1945, literature increasingly irrelevant, at best a luxury supplementary material for the more advanced students

4. From 1939-1945, literature is offered as a sorece of solace in a troubled world

5. Roughly 1945 to 1957, sees a view of literature developing as 'content and entertainment'

6. A significant reduction in the number of articles even mentioning literature in The Modern Language Journal during the 1950s

7. A more 'Humanistic' phase from 1957 to 1979

8. From 1979 until the end of twentieth century literature comes to be valued in the context of the rise of communicative language teaching, as 'authentic text'

9. 'Literariness', linguistic creativity, play and metaphor in language use, a broad area where literature and language study most obviously come together

という形で発達してきたそうです(pp. 53-54)。イギリスも同様で1950年代は伝統的なアプローチ、1980年代からはコミュニカティブ・アプローチが登場して、"humanistic value of reading" (p. 55)や"reader response"がキーワードとなり、1990年代は「文化」という語がキーワードとなっているそうです。

最後は文化理論などに言及した現在盛んになされているアプローチについてです。humanistic approachはCLTの中で重要な働きをしてきたと提唱者らは主張してきました。それは、"taking the humanistic line, advocates the use of literature because it is intrinsically motivating to talk about death, life, love and the like, larger themes which otherwise escape (purportedly) 'communicative' syllabuses, preocupied, as they tend to be, with timetables, tourism and other exchanges and transations." (p. 57)しかしながら、そういったアプローチには重大な欠点があったと著者は指摘します。"The final failing of the humanistic approach to clt may have been a tendency to move too swiftly to content and response with insufficient attention to the discourses which enable this move - the language in short!" (p. 57)。そういった中で、現在の社会文化理論は次のような考えを示してきているそうです。"The proposal of many today, however, is that to consider literature and culture as discourse offers students more sensitive, practical and precise ways to negotiate foreign language literatures of particular relevance to the language learner, and that to learn a language is to negotiate new positions, not to risk assimilation and annihilation, or at best the devaluation of pre-existing values and skills (including your own language and culture)" (p. 57, emphasis in original)

著者は第2言語習得における文学の役割のまとめの箇所で重要な点を指摘していました。それは、学術雑誌などに載った研究は日々の実践にほとんど影響を与えることがなく、コミュニカティブ・アプローチでの指導実践は体系性に欠けているそうです。また、多くの国ではまだ新批評的な伝統的アプローチを取っている国もあるとのことでした。

著者は、次に文学読解の測定について整理していました。具体的な質問項目もたくさん列挙してあり、とても面白かったです。Indian Civil Serviceが1855年にテストを作成すると、テスト産業が発達しました。1859年にはオックスフォードとケンブリッジで試験が作られたそうです。文学知識、文学能力、読解をどうやって測定するということはいまだ決着を見ていませんが、たくさんの本が巷にはあるれています。しかし、テストでの多くの質問項目は不適切であると著者は指摘していました。

かつての試験問題は、作品を読んで作者名とその短い要約を求めるようなものであったり、さらに文法問題、曖昧な表現の翻訳、「~を説明せよ」といった形に項目が主流だったそうです。こういったテストには読書の喜びといった側面は一切排除されています。"The emphasis in questions like these is on the factual, literature as hard knowledge- much of which seems to miss the point, or the 'affordances' of literary text and possible literary reading experience." (p. 61)と著者は述べていました。最近の研究では、個人による読みの違いや批判的な読みを扱おうとしてきていますが、量的な測定というイデオロギーの枠内に留まったものになっているようです。Miallが言うように、感情面もこれからは扱っていく必要があると著者は指摘していました。

外国語教育における文学読解力の測定では、しばしばそのテストがライティングテストになってしまって、もはや外国語で文学作品を読む能力を測定することを放棄してしまっているような質問項目も散見されるそうです。著者はもっと質的なアプローチを考えていく必要があると指摘していました。

最後は文学を文化研究の中で扱おうとする試みについてまとめてありました。このアプローチでは、文化を言語プロセス(言語が文化を形作り、そして文化も言語に影響を与える)と考え、文学は文化の一部として扱われることになります。文化は自分や他者について理解するために語られるいくつもの物語(story)から構成されるとされ、主にlinguistic anthropologyで見られるアプローチを参考にしているそうです。また、バフチンの理論がかなり援用されていると著者は述べていました。近年では、いわゆる「境界の文学」を教室で扱うことも増えてきており、言語学習は"acquisition"ではなく"socialisation"という観点から考えられるようになってきたそうです。文化は決して静的なものではなく、常に言語運用と共に変化するものと考えられています。"the move away from an idea of discrete fized national or other cultures (nouns, 'things') to the idea of culture as constituted through creative (primarily linguistic) interactions in social contexts" (p. 76)

また、著者は言語習得をparticipationとみなすLantolfの考えを引いていました。"The idea is one of ongoing social interaction as opposed to connotations of accumulation and possession of language as a material object, or the human being as a computer ('input, processing, and output').  In the Vygotskian perspective, 'human social and mental activity is organized through culturally constructed artefacts' (Lantolf 2000: 1).  This is an important idea because it potentially returns literature to a central role as texts through which language learners can explore who they are and who they are not, and who they might be becoming as they participate in this new language.  Language learning is seen as the deelopment of new ideas and personality, rather than acquisition of a set of new labels for familiar objects or at most of new syntactic rules.  Thinking and languaging are effectively inseparable in practice, so that the very objects, the classifications, ideas and beliefs are no longer the same to be labelled." (p. 77)

また、Kramsch (1993)にとっては、外国語学習とは外国語によって提供され記号(semiotic choices)を意識的にコントロールすることができるようになること、と考えているそうです(p. 79)

一連の研究者は言語的あるいは文化的なプロセスの中で学習者をもっと活動的な参加者とさせることができるような指導法の確立が必要であると考えています。Kramshは文学は学習者を新たなディスコースの中で新しい文化参加者として活動させることを可能にさせる場であると述べているそうです。

現在でも、教師は古典文学を重視し、専門家の意見に尊重するといった姿勢を学習者にも植え付けようとしています。しかし、ディスコースあるいはダイアローグといった考えは代替的な方法を指導にもたらすと著者は述べていました(p. 80)。著者は最後に次のように述べていました。"The literary text should be valued, Kramsh argues, for its own extreme particularity, creativity, linguistic uniqueness.  Literary texts are the most 7double voiced" (after Bakhtin) and so best for promoting enjoyment in and reflection on linguistic form and expression (1993: 131).  Literary text also tend to promote an abbivalent response, or awareness of the complexity of moral issues... and once again interventions ... are suggested as appropriate ways for teachers to promote awareness of alternative perspectives, or (say) use of multiple translations to demonstrate the alternative perspectives that can be taken, and the final impossibility/desirability of literary translation (of all translation).  The strangeness of a poem should be faced head on rather than tidied away." (p. 81, emphasisi in original)

この章はかなり情報量が抱負で、とても勉強になりました。

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