ピンカー(1994/1995)
本書の詳細は次の通り。
ピンカー,S.(1995).『言語を生みだす本能(上)』(椋田直子(訳)).日本放送出版協会.(原著は1994年出版)
感想:まだ読んでなかったこと自体、とても恥ずかしいことなのですが、本格的に読み始めてみました。
第1章:技能を獲得する本能‐言語本能
著者は、言語に対する間違った先入観として、「言語とは人類のもっとも重要な文化的発明品である。言語は記号を使う能力が顕在化したものである。言語を獲得するという生物学的に前例を見ない出来事によって人類はその他の動物と永遠に袂を分かった。」(p. 19)を挙げ、本書を通してこれらの誤解を問いていくことを約束しています。著者にとっては言語は「本能」であり、文化的人工物などではありません。言語は本能であるという考えを最初に示したのはダーウィンだそうです。また、著者はチョムスキーからの影響を多分に認めながらも、その違いについても明言しています。「チョムスキーは言語を器官と見るにもかかわらず、その起源がダーウィン流の自然淘汰説で説明できるかどうかに懐疑的で、多くの読者の首をひねらせている。一方、私は、言語も目と同様に適応発達し、主要な部分が重要な機能を受け持てるような形になってきた、とするのが実り多いと思う。」(p. 28)という言葉や、チョムスキーの議論を観念的であると指摘している点などが両者の違いを示していると思いました。また、本書の趣旨全体とはあまり関係はありませんが、文学理論に興味がある私としましては、「文字というのは視覚に訴えるいわば包装紙にすぎない。」(p. 16)という著者の言葉がとても印象に残りました。
第2章:おしゃべり‐ヒトのあるところ、必ず複雑な文法あり
著者はまず、言語は普遍的に存在し(どの部族も言語を持っている)、黒人日常英語(BEV)などを例に挙げながら、それらの言語はとても複雑な構造をしていることを指摘します。しかし、このことだけではヒトには生得の言語本能があるということを示す証拠とはなりません。そこで、ピジンのクレオール化(しかも、各地で様々な言語が混成して出来上がったクレオールがお互いにかなりの類似点を示すこと)、ピジン手話のクレオール化について説明がなされます。クレオール化のプロセスなどを見ると、「どんな言語も、文法的ルールに制約されている」(p. 55)ということがはっきりと分かります。次に、知能と言語は別のものであるということを示すために、著者は言語能力障害の事例を見ていきます。著者は、ブローカ失語症と特定言語障害(SLI)の事例を詳しく紹介していくのですが、著者に言わせると、これらの例ではまだ言語を本能によるものと見なすには不十分な証拠だと述べています(言語能力と知能の違いを明確に示すことができないため)。そこで更に、おしゃべり症候群、ウィリアムズ症候群といった、「認知能力は万全ではないが、言葉を話すにはなんの支障もない、という事例」(p. 66)を示し、著者は言語と知能は別物であるということを示そうとしていました。
第3章:思考の言葉‐心的言語
この章では、言語決定論(サピア=ウォーフの仮説)の強いバージョンの考え(言語が思考を支配するという考え)を批判していきます。著者に言わせればこのような考えは全く根拠がないとします。その根拠としては、(1)ウォーフの議論自体に問題点がかなりあること、(2)言語決定論でよく引用されるイヌイットの雪の語彙が膨大であるということも都市伝説に過ぎなかったこと(憶測が憶測を呼んだに過ぎないこと)、実験や経験によって非言語的思考の存在が確かめられていること(赤ん坊やサルを使った実験や、優れた考えが浮かぶときは言葉を解していないと主張する人々の存在)、(4)思考の仕組みについての理論(チューリング・マシン。言語なしで思考が可能であることを示している。)、(5)そもそも言語は思考を決定するには向いていない特徴を備えていること(曖昧さ、論理的明快さの欠如、同一指示、会話や文章の文脈でしか解釈できない言い回し、同意表現)、が示されていました。著者は、「人間は、英語や中国語やアパッチ語で考えているのではない。思考の言語で考えている。思考の言語は、これらすべての言語に多少似ている」(p. 109)可能性は残されてはいるが、と考えています。著者は心的言語を言語差に左右されない普遍的なものと考えており、「ある言語を知っているというのは、心的言語を単語の列に、単語の列を心的言語に翻訳するすべを知っている」(p. 110)と考えるのが正しいと主張していました。
第4章:言語の仕組み‐生得のスーパールール
本章は大きく2つの部分から構成されていました。それらは、文法が「非連続要素の結合体系」(p. 115)ということを説明する部分と、生成文法の基本的な統語論の考え方の紹介です。前者の箇所については、「言語の膨大さ」(p. 116)と「文法は認知に依存せずに自律した規則として存在する」(p. 118)ことの2点を帰結として導いていました。一方、言語連鎖装置(言語は連続的な結合であるという考え)といった対立する考えにも触れられ、その考えが間違っていることを論証していました。生成文法の基本的な考えの紹介の箇所では、句構造文法、品詞(名詞と動詞)、ヘッド、項、修飾詞、主語(SPEC)、Xバー理論、原理とパラメータ、心的辞書、格標識、機能語、d構造、痕跡、s構造、です。いずれも基本的な事項ですが、その説明の中で特にメモ書きしておきたいと思ったところを列挙していきたいと思います。 (1)「品詞は意味の一種ではない。…一定の形式的ルールに則って機能するトークンの一種である。…品詞の範疇と概念は無関係ではないが、その関係は精妙、かつ抽象的である。」(p. 144)(2)句構造規則の左辺から右辺へと伸びる「→」を削除すればパラメータから原理の規則を手にすることができる(p. 151)(3)「動詞と前置詞は隣のNPに格標識をつけることができるが、名詞と形容詞にはそれができない。「governor California」や「afraid the wolf」は、意味が推測できるものの、文法的ではない。英語では、格標識をつけるために必要だというだけの理由で、意味のない前置詞の「of」を名詞に先行させなければならない。英語の話し手が口にする文は、動詞と前置詞に厳格に管理されている。」(p. 160)(4)「文の意味は、名詞や動詞が明示する意味からストレートに導き出すことができない。文全体にかかって、文を真偽の判定対象になりうる「命題」に変身させる意味要素が存在するはずである。…助動詞は通常、文のツリーの周辺部に位置するが、これは、助動詞がそれ以外の文全体についてなんらかの属性を表現する、という事実を反映している。名詞が名詞句のヘッドであるのとまったく同じ意味で、助動詞は文のヘッドである。助動詞は「インフレクション」、略してINFLともいうので、文をIP(INFL句、助動詞句)という記号で表わすこともできよう。IPの主語の位置には、文全体の主語が置かれる。文とは、その主語について、述語(VP)が真であることを明言するものである、という事実がここに反映されている。」(pp. 161-162)(5)性別のない三人称代名詞を新たな機能語に導入しようという試みがなされてきたが、機能語とは文の骨格を作るものであり、その導入はことごとく失敗している。「また、脳の言語領域に損傷を受けた患者は、「オールoar」や「蜂bee」のような内容語は使えるが、機能語のorやbeは発音が同じなのに、うまく使いこなせない。」(p. 162)(6)「…句構造は、スーパールールによって定義されるもので、これを深層構造とする。深層構造は、心的辞書と句構造の仲立ちをするインターフェイスである。深層構造のレベルでは、putの要求する役割の担い手がすべて、期待どおりに位置している。この深層構造に変形操作を加え、ツリーのなかの、それまで空席だったスロットに句を「移動」させる。こうしてできる新しいツリーが「表層構造」である。」(p. 167)(7)「言語はなぜ、深層構造と表層構造を使い分けるような面倒なことをするのだろうか。それは、使いものになる分を作るには、動詞の要求を満足させる(これも深層構造がすることではあるが)だけでは足りないからだ。一つの概念が同時に二つの役割を担う場合がある。動詞句の同士に割りふられた役割と、動詞とは無関係に、ツリーのべつのレベルから割りふられる役割を、同時に担うのである。…誰が誰になにをしたかという動詞句のレベルでは、いずれの文でも名詞が同じ役割を担っている。しかし、文(IP)のレベル―なにが真だと語られているかを示す、主語・述語関係のレベル―では、担う役割が異なっている。」(pp. 168-169)(8)「文法は、耳と口と脳というまったく異なる三つの装置を相互に結びつける仲介者なのだ。どれか一つだけを反映するのではなく、独自の抽象的論理を持っているに違いない。」(p. 171)いずれも基本的な事柄であり、特に新しく学んだことはなかったのですが、その説明の簡潔さはとても勉強になりました。
第5章:言葉、言葉、言葉
この章では語彙について議論されていました。語彙も統語に引けをとらず、非常に複雑なものとして紹介されています(決して単なる語彙リスト的なものではありません)。著者は一般に「英語の単語創造力は、他の言語に比べてかなり貧弱である」(p. 174)と認めた上で、接尾辞や複合語などは英語の語形成を可能にする特性として指摘していました。その後、語彙の世界におけるツリーを示し、そこに見られる規則を紹介しています。「名詞は、名詞語幹と、それに続く名詞活用語尾で構成される」(p. 179)、「名詞語幹は、名詞語幹と、それに続くべつの名詞語幹から構成される」(p. 181)、「形容詞語幹は、語幹と接尾辞で構成されうる」(p. 183)、「名詞語幹は、名詞語根と接尾辞で構成されうる」(p. 185)といった規則が紹介されていました。この章は、以下の(6)にあるように、2つの単語観を中心に構成されており、前半で「統語原子」としての単語、後半で「リスト素」としての単語、それぞれについて重要な点が議論されていました。以下、面白いと思ったところをピックアップしていきたいと思います。 (1)「複合語と句を見分ける簡単な方法がある。英語の複合語は通常、最初の語にアクセントがあり、句は二番目の語にアクセントがある。」(p. 182)ここで示されていた例も面白いです。(2)「語構造の最下、語根と接辞から成る第三層では、形と意味が予見できるような真性のルールが見つからない。語根の一部は心的辞書に、それぞれ特異な意味とセットになって登録されているようだ。こうした複合語根の多くは、ルネサンス以降に作られている。学者がラテン語やフランス語の単語や接辞を、もとの言語のルールを使って英語に取り込んだ。現代の私たちは単語だけを受け継ぎ、ルールは失われてしまった。現代の英語の話し手が、この種の単語を均質な音の連なりと受け取らず、頭の中でツリーとして切り分けるのは、「electiric」と「-ity」のあいだに自然な切れ目があると感じるからだ。同時に私たちは、「electric」と「electricity」が関連することを見抜き、「-ity」で終わるからには名詞に違いないと判断する。」(pp. 186-187)この層の規則は特定の語にしか通用しない(すべての語に通用しない)という点でも、それより上位の層の規則と異なっています。複合語だけでなく、不規則動詞なども同様です。(3)「ときには、類推による変化形が面白いとか、しゃれているなどの理由で、言語共同体全体に拡がることもある。数百年前には、teach/taughtなどから類推されたcatchの過去形、caughtが定着し、現在にいたっている。」(p. 191)(4)「英語では、小さな語から大きな語ができるとき、一番右にある特別な語、つまりヘッドのすべての特性が大きな語に受け継がれる。」(p. 194)「ヘッドの持つすべての情報が、一番上の節まで浮上する、というのが肝心なところである。名詞性や、動詞性や、意味だけでなく、不規則形が格納されていれば、それも浮上する。」(p. 194)「抹消的な疑問もこれで解消できる。「fly out」や「Walkmans」は他の複合語と違って、ヘッドがない。へっどのない単語は、なんらかの理由で、右端の構成要素とは異なる特性を持つという点で、例外的な存在である。たとえば、「low-life(ろくでなし)」はlifeの一種ではなく、ろくでもない生き方をしている人間を意味する。…」(p. 195)。これらは、Walkmanの複数形がWalkmenではなく、Walkmansである理由を説明しているのですが、ここで示されている例はとても面白かったです。(5)子供の頭の中に語構造の論理が作りこまれていることを実証したゴードンの研究が紹介されていました。彼は不規則的な複数形からは複合語ができるのに、規則的な複数系からはできないという点(mice-infestedとは言えるのに、rats-infestedとは言えないという点など)に着目して実験を行なったそうです。「語構造の理論から見れば、この現象は容易に説明がつく。不規則な複数形は、特異な存在で、ルールによって生成できないから、語根または語幹として心的辞書に格納される必要がある。心的辞書に独自の項目として格納されている以上、既存の語幹と、べつの既存の語幹をつないで新しい語感を作るルールにインプットすることができる。一方、規則的な複数形は語幹ではなく、したがって、心的辞書にも格納されていない。規則形は必要が生じるごとに、語形変化のルールにしたがって作られる複合語なのだ。語根から語幹へ、語幹から語への組立ラインに乗れるのは、心的辞書に見出しとして格納されている単位だけで、規則的な複数は最初から出遅れているのである。」(p. 200)ゴードンの実験結果は、「大人が無意識のうちに持っているルールを、同じ形で子どもたちも持っていること」(p. 201)と「言語の基本的な仕組みのうち、語形態にかかわる部分もまた、生得であること」(p. 201)の2点を示していると著者は述べていました。(6)「単語」の意味(定義)として2つ述べられていました。1つは統語ルールが適用できなくなる「統語原子」(p. 202)(「統語ルールではそれ以上分割しえない言語単位」(p. 203))という意味です。もう1つは、「リスト素」(p. 203)というもので、イディオムなども1つの単語と見なす考えかたです。(7)平均的なアメリカ人は、「リスト素」という考え方で行けば、六万語は知っているそうです。(8)子供は新しい名詞を聞くと、すぐにそれを「中間サイズの範疇と見なす傾向がある」(p. 215)そうです。また、「言語がなぜ、単語をケチって、たくさんの意味を結びつけるのかは誰にもわからないが、子どもはこの事実を予期しているよう」(p. 215)です。著者はこれらのことを裏付ける実験結果を紹介しています。(9)「ここまで見てきたように、名前には重要な意味がある。語形態ルールの産物としての「名前」は、何層ものルールによって組み立てられた複雑な構成物で、一見、奇妙なものも法に則っている。リスト素としての「名前」は純粋な記号であり、子どもの精神と、大人の精神と、現実の様態が調和しているからこそ、膨大な数が素早く習得できる。」(p. 216)
第6章:サウンド・オブ・サイレンス
この章は音声についてです。音声の発音メカニズムは、音声認識プログラムのことなど面白い情報がたくさん書いてありました。また、本章の最後では、文字などについても扱っていました。特に面白く感じたところをリストアップしていきます。 (1)人は映像や前もって与えられた情報によって実際とは違う音を聞き取ってしまう(pp. 218-219)。マッガーク効果、オロニムなどの例もありました。(2)人間はかなり桁違いに高速で音素を聞き取っている(p. 222)。普通の会話でも毎秒10~15音素だそうです。(3)「人間の言語は、意味のない音を組み合わせて意味を持つ形態素を作る体系と、意味を持つ形態素を組み合わせて意味を持つ単語、句、文を作る体系に二分されている。」(p. 223)。ホケットは、パターン形成の二元性と呼んでいるそうです。(4)「話し手は、非連続の信号の連なりを連続音の流れに、つまり、デジタル信号をアナログ信号に変換し、聞き手は連続した言語音声を非連続の信号に、つまり、アナログ信号をデジタル信号に変換しているのである。」(p. 224)。言語本能の音素モジュールの機能として紹介されていました。(5)「舌の位置と母音の音色が関係しているために、英語をはじめ多くの言語で、音声象徴と呼ばれる現象が発生する」(p. 228)。(6)ジグザグやディンドンなど、舌を前方の高い位置に置いて発音する母音のほうが舌を後方の低い位置に置いて発音する母音より先になる理由。「第一は、「自分・いま・ここ」を暗示する単語は、「自分」から離れていることを暗示する単語に比べて、下を前方の高い位置に置く母音が使われる傾向が強い、という現象である」(p. 229)。「第二に、「自分・いま・ここ」を暗示する単語は、「自分」(たまは、総称的な意味での話し手のプロトタイプ)から文字どおり、あるいは比喩的に距離がある単語より先になる傾向がある。「here and there」、「this and that」、「now and then」。」(pp. 229-230)(7)「現代の英語で、「bad」は「悪い」を意味し、「baaaad」と伸ばすと「パワフルな」とよい意味になる」(pp. 230-231)(8)「邪魔の程度の軽い子音で始まる単語がかならず、邪魔の程度のひどい子音で始まる単語より先になる」(p. 233)。Razzle-dazzleとは言うのに、dazzle-razzleとは言わない理由。(9)母音と子音の組み合わせや、弱と強の組み合わせにもそれらの組み合わせを生成するためのルールがある(pp. 237-238)。(10)「「形態素は、最終的に発音されるのと異なる形で心的辞書に格納される場合がある」というのは、現代言語学の大発見の一つだ」(p. 243)。(11)「音韻ルールは音素ではなく素性に注目し、音素ではなく素性を調節する。また、世界各地の言語は先に触れたように、弁別的素性をさまざまに組み合わせて音素のリストを作っている。これらの事実は、脳に格納され、操作される言語音声の「原子」が音素ではなく、素性であることを示している。音素は素性の束にすぎない。つまり、言語は弁別的素性という最小単位にまで。結合の体系を採用しているのである。」(pp. 244-245)(12)音声認識コンピュータを作れない理由。人により発音が違うし、癖もあるし、速度が違えば違って聞こえるし、すっ飛ばされる音素もある。また。同時長音という現象もコンピュータ作りを困難にしている。(13)「現在知られているあらゆる文字体系は、形態素、音節、音素のいずれか一つに対応する」(p. 258)。(14)「アルファベットは音声に対応していないし、対応すべきでもない。心的辞書で定義される音素に対応するのが限界である。」(p. 259)(15)「英語の綴りは音素にだけ対応するのではない。対応することもあるが、ある形態素に特定の文字列が対応する場合もある。」(p. 260)electricityとelectricは、文字列electricのおかげで関連している語だと読み手に知らせることができる。
第7章:トーキング・ヘッズ‐文を理解する心的プログラム
最初は文の処理の話だったのですが、本章の後半では発話の理解というような語用論の話題も取り上げられていました。生成理論系の本でこういった話題はあまり目にしないので、とても面白く思いました。 (1)「人間のパーサーを悩ませるのは記憶の量ではなく、記憶の種類なのだ」(p. 279)。(2)Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo. という文が有意味な文であるということ(pp. 283-284)(3)人間は単語レベルでは横幅優先検索(とりあえず該当するもの(しかしいずれは捨てられるもの)全てを抱え込む)を行い、句レベルでは深度優先検索(妥当な構造にだけ注目する(それが不適切だと分かると新たな構造に着目する))を行っている(p. 284)。(4)一般的知識は文の理解を助けるが、一定の限度を超えることはない(p. 292)。やはり、パーサーは独立したモジュールのようである(著者はパーサーには惰性と倹約という傾向があると述べていました)。(5)「実験手法が進歩したおかげで最近は、人間の心や脳のなかで変形処理らしきものが行なわれているのを検知した、という報告が心理言語学の関心を集めるようになってきた」(p. 296)。束縛理論も指摘されていて、聞き手は痕跡のあり方に制限を設けられることによってかなり助かるという機能主義的な指摘(p. 299)が面白いとおもいました。


コメント