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2008年12月30日 (火)

B.Sposet(2008).『The Role of Music in Second Language Acquisition: A Bibliographical Review of Seventy Years of Research, 1937-2007』を読む(The Edwin Mellen Press)

本書の詳細は次の通り。

Sposet, B. (2008). The role of music in second language acquisition: A bibliographical review of seventy years of research, 1937-2007. New York: The Edwin Mellen Press.

感想:

1章:Introduction

この章では、本書の目的が述べられています。”The purpose of this work is to present a bibliographical review of seventy years of research on the role of music in second language acquisition.” (p. 1)そして、具体的な目的として、”1) a summary of teaching models utilizing music in the acquisition of a second language; 2) examples of implementation strategies utilized during the introduction of a second language; 3) examples and resources for implementation of the strategies utilized from elementary to adult learning situations; and 4) an analysis of empirical and non-empirical research available on the topic.” (p. 1)が挙げられています。

2章:A rationale for the use of music in the second language classroom

音楽を外国語教育に使うということの理論的背景としては、Krashencomprehensible inputaffective filterというものが指摘されていました。また、グーテンベルグが活版印刷を発明する前は、音楽は教育において最も有効な手段とみなされていたそうです。そして、現在でも音楽が外国語教育の中で用いられているのですが、その有効性を支える研究が列挙されていました。それらは、(1)神経言語学的証拠(脳において言語野と音楽を司る部位は非常に近く、実際に音楽は言語学習を促進するという結果が得られている)、(2)文化的側面からの証拠(音楽は文化間比較やアイデンティティーに関係する)、(3)経験上の証拠(音楽のフレーズは実際に頭の中に残っている)、(4multiple-intelligenceという考え(人間の知能は8分野に分けられ、音楽はそれらを統合しながら発達させることができる)、(5)記憶の促進(脚韻などのおかげで、語彙、音韻、スペル、構造、受容的技能、産出的技能、チャンクなどが記憶に残りやすい)、です。(5)記憶の促進というものを支える理論的背景として、著者は社会文化理論とemotional intelligenceを引き合いに出していました(これらの詳細は本書を参照下さい)。

3章:Strategies focusing on the use of music in the second language classroom

Karimerの研究を引用しながら、著者は20世紀以前の状況をまとめることからこの章を始めていました。中世にあっては音楽と言語学習は非常に強く結びついていたそうです。”Students were introduced to a second language through a chant entitled “Song School”.  After the rhythm and flow of the language had been drilled through the chant, the student then began his/her formal study of the second language, usually Latin.” (p. 9)その後、Alexander BellPeter Guberinaといった学者によって音楽を使った外国語教育は実践され、20世紀に入ってからも、彼らの考え("sounds were presented and/or drilled with a phonological and/or grammatical structure and, when possible, were taught in a context involving some emotional or physical reactions” (p. 9))を継承した教授法が多く残っています。代表的なものとしては、学習者を半催眠状態にする中で展開する学習法と睡眠学習があるそうです。

この章の以下では、具体的な教授法が取り上げられていました。取り上げられていたのは、(1LozanofによるSuggestopedia、(2AntonThe Contemporary Music ApproachCMA)、(3Gouinthe Series Methodを発展させたAsherによるTotal Physical ResponseTPR)及びその更なる発展形であるRayTPR-StorytellingTPR-S)、(5GrahamによるJazz Chants並びにGoodgerによるFun Songs ApproachJazz Chatsの一種)、です。それぞれの教授法の中でどのように音楽が用いられ、その効果や利点及び欠点が簡潔にまとめられていました。各教授方については本書ないしは教授法史関連の文献をご参照下さい。

4章:Implementation of music in the second (other than English) language classroom

この章全体で感じたことは、実践者は音楽をテキストと(文法的観点及び内容的観点から見て)うまく調和して使っているということと、発音指導に力が入れられているということです。この章で取り上げてあった事柄は、immersion(メロディーにストーリーやdaily routine and commandsを合わせていくという活動など)、初等学校外国語教育、中等学校外国語教育(BironPACE approachJazz chants、色によるinput enhancementのことなどが紹介)、高等学校外国語教育(Kramerによる研究、著者自身による研究、Clearyによる研究、Goodwin-JonesによるMP3iPodを使った試みが紹介)、大学外国語教育(ヒップホップやポップ音楽を使った研究、ConradThree-Prong Approach、前章で挙げたAntonCMAOleaによる研究、MP3iPodを使った試みが紹介)、でした。また、Rosell-Aguilar (2007)は歌の様々な教材の有用性や効果などをSLA理論の観点から検討しているそうです。

5章:Implementation of music in the second language (English) classroom

本章の冒頭で、著者はアメリカでの非英語母語話者に対する英語教育の変遷をレビューします(音楽とは関係なし)。そして、現在では歌やナーザリー・ライムが子供や大人両方を対象とした英語教育に用いられているということを指摘していました。これらは語彙学習や文化学習に大きく貢献するようです。そして、著者はMedina (2000)100の活動を提案し、それらは歌導入前、歌学習中、歌学習後の3つのタイプに分類)、Murphey (1992)Lems (2001)Griffe (1990)による研究(ビートルズの曲の利用)や、Poppleton (2001)による授業における歌使用についての注意事項が紹介されています。いずれも面白い試みです。詳しくは本書を参照下さい。また、最後にアメリカにおける音楽を使った英語教育の歴史を簡単にまとめています。最古のものは、Meriam (1932)であり、その後様々な研究がされてきたそうです。Reimann2006年に一連の研究のメタ分析を行なっているとのことでした。

6章:Methodology

本章では、次章で著者が行なう調査の方法が簡潔にまとめられています。著者はGlassらによって提案されている古典的なメタ分析を行なうそうです。調査の対象(データ)の母集団は、(1music & grammar、(2music & verbal communication、(3music & writing、(4music & language learning which included listening and writing skills, lexical structure, accent and cultureという4つのトピックに関わる59編の論文です。それらの研究の対象言語は様々であり、また研究のタイプも実験的なものと非実験的なもの両方が含まれているそうです。

7章:Results of the data gathering

この章では、前章で集められた文献の中で音楽と第二言語しゅうとくの関係を扱った23本の研究(19372007年)がベタに記述されていました。個別の研究の記述は本書をご参照下さい。それにしても、実に色々な試みがなされているということに関心したと同時に、男女による効果の違い、音楽を使うと学習者の外国語学習への態度が能動的になること、学習者は音楽を使った指導を楽しいと感じること、などが何度も指摘してありました。この分野に関心のある研究者にとっては非常に豊富な情報が含まれていると思いました。

8章:Summary of the data

ここでは、前章で記述した23の文献を一覧表にしてまとめてありました。第7章と合わせて読むと、議論を見失うことなく読み進めることができると思います。また、音楽の外国語学習に対する効果を示した研究とそうでない研究の数も一覧表にしてあるので、議論の全体像を見ることを助けてくれます。

9章:Discussion

ここでは結果のまとめが行なわれていました。特に重要ないし興味深いという点だけに絞って紹介させていただきますと、(1)音楽は語彙や文法、発音などを指導するために多く使われていること、(2)先行研究のうちの65%が音楽の外国語学習に対する効果を示していること、(318歳以上の学習者には音楽はとても効果があること、(4K-8の学習者には英語以外の外国語学習で最も大きな効果が示されていること、(5)音楽の外国語教育に対する効果を示した研究の内の75%が非実験的な研究であったこと(音楽の効果を示さなかった研究はほとんどが実験的な研究であり、追実験や様々な調査方法が試されるまでは、音楽の効果について結論を示すのは難しそうです)、でした。

10章:Implications for second language educators

調査全体を通して、音楽は発音に特に効果的であると言えそうだと著者は述べます。それ以外に指摘されていたこととしては、(1)男の子の方が女の子よりも音楽によって外国語学習が促進されるようであること、(2)音楽とイラストを組み合わせると更に効果的である(かもしれない)こと、(323本中20本の研究で音楽は学習を楽しくさせると調査参加者が報告していること、(4iPodiTunesなどのおかげで音楽を使った外国語学習の実践が以前に比べて飛躍的にやりやすくなったこと、です。また、Waston (2004)の言葉を引用する形で、”music in the second language classroom can maximize student performance in ways that transform them from passive to active learners (i.e. ACTFL’s communicative competency goal) without ignoring their development in the accuracy and complexities of the language to be used.”p. 92)と述べられていました。

11章:Implications for future research

ここで指摘されていたことは、(1K-12の学年での研究がもっと必要であること、(2)音楽の効果を示した研究について調査方法を変えるなどしながら追調査を行なう必要があること、(3)マイナー言語についての研究も必要であること、(4)第二言語学習のためのmotivational factorという観点から音楽の効果を測定する研究が必要であること、でした。

本書には膨大なAppendixがついており、音楽を使った第二言語教育を実践しようとする場合にはとても有益な情報が詰め込まれています。論文の書き方や引用などには少し不備が目立った気がしたのですが、音楽と外国語教育の関係についての研究をここまでまとめたものはそうはないと思いますので貴重な文献だと思います。特に英語教育学では、卒論などでこのトピックは散見するんですが、いつも学部生が文献がなくて困っているのを大学院生時代に見かけました。この本はそういった学生に紹介するものとしてはとても役立つと思いました。

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2008年12月29日 (月)

J.László&R.Viehoff(1992).『Genere-specific Knowledge and Literary Understanding: Some Empirical Investigations』を読む(Lumis-Publications)

本書(本冊子?)の詳細は次の通り。

László, J., & Viehoff, R. (1992). Genere-specific knowledge and literary understanding: Some empirical investigations. Siegen, Germany: Lumis-Publications.

感想:文学の経験的研究の研究を久しぶりに読みました。著者らは、まずジャンルとはどのようなものであるのか、文学の経験的研究の立場を明言します。とても分かりやすいので、そのまま引用します。"Genres are, however, fuzzy categories.  They are based on family resemblance rather than constituted by necessary and sufficient features.  Whereas in genre theory typical attributes of each genre are treated as textual qualities, even if these attributes are particular modes of modelling the world, and are derived from textual analyses, in the Empirical Study of Literature (ESL) genre knowledge is part of literary knowledge.  It is acquired in the process of literary socialization (cf. Viehoff, 1982) and its forms should be empirically studied with literary recepients.  Thus, genres are conceived of as cognitive schemata which regulate the reference mechanisms of utterances in specific discourse as well as the intersubjective (pre)selection of topics, stylistic devices, and rhetorical standards (Schmidt, 1991).  Genre knowledge, therefore, plays an important role in literary interpretation." (p. 5)そして、これらの全体に立った先行研究(Olson, Mack and Duffy, 1981; Burgert, Kavsek, Kreuzer & Viehoff, 1989; Viehoff & Burgert, 1991)がレビューされていました。これらのレビューでは、例えばジャンル知識と文学解釈の関係について、"genre knowledge helps the reader to decide what intentions, actions, and beliefs are possible in the world of a geven story, or what is the conventional value of the stylistic devices or rhetorical standards. Thereby genre knowledge should contribute significantly to the interpretation." (p. 12)ということなども指摘されています。また、本書で扱われるリサーチ・クエスチョンは、"whether differences in readers' knowledge of a particular genre entail corresponding differences in their cognitive representation of a text which belongs to that genre, and whether these differences are reflected in readers' evaluations" (p. 6)です。

本書では、condensed short story(Kurzgeshichte))とanti-taleというジャンル(2つともモダン・テクスト)のテクストが1つずつ利用されています(各ジャンルの説明はここでは省略します)。そして、各テクストの改作バージョン(それぞれtaleとshort storyという伝統的でシンプルなジャンルに書き換えられています)も用います。改作においては、各ジャンルの顕著な特性を組み込み、テクスト全体をオリジナルのものよりもシンプルに書き換えています(後者については、こうすることで、オリジナルのテクストを複雑でモダンなテクストとして目立たせることができます)。また、具体的な書き換え方法については、"a) omission of a text element characterisitic of a stylistic, rhetorical, or thematic (world-) convention of the given genre, b) addition of such an element, and c) modification of such an element" (p. 6)が施されているそうです。

調査参加者らのジャンル知識の有無は、4つのテクストのジャンルを選択肢(7択)の中から選ばせるという作業によって調べたそうです。次に彼らの認知表象の状態を調べる方法として、学習者は2つのテクストを読みます。それらは、本書で用いられる2ペアのテクストの内の1ペアを読むというもので、最初にオリジナルか改作バージョンかどちらかを読み、次にもう一方のバージョンを読みます。2つ目のテクストを読む時、テクスト内に「omission」、「addition」、「modification」の3つを指摘していきます。この前提として、"It was assumed that in the first reading genre knowledge would help to organize the processing and representation of text-information.  Information that contradicts this organization, i.e., follows the contentions of another genre, would be better recognized in the text read second.  This hypothesis is consistent with the results of text-memory studies suggesting that deviations from a scheme receive more attention and are better remembered than schema-conforming elements (Graesser, Woll, Kowalsky, & Smith, 1980)" (p. 7)です。最後にevaluationの調査方法ですが、5つの5段階リカート・スケール("How did you like the story?" "How difficult was it to understand the story?" "Would you include the story into a "Reader of Literature"? "How meaningful was the text for you?" "Did some features of the text help you to understand its meaning?" (p. 8))で調べられています。ここでの前提としては、(1)テクストの評価はそのテクストの解釈に依存すること、(2)モダンジャンルに慣れ親しんでいる読者はそうでない読者よりもそのテクストに複雑な解釈を与える傾向があること、(3)モダンジャンルに慣れている読者は単純な解釈しかもたらさないシンプルなテクストよりも複雑なテクストの方を高く評価する傾向があること、(4)モダンジャンルに慣れ親しんでいない読者はモダンジャンルのテクストの理解に困難を覚えること、(5)モダンジャンルに慣れていない読者はシンプルなテクストの方を高く評価すること、という事柄です。調査参加者は、40人の人文系大学生です。テクストはドイツ語で、調査参加者はドイツ語母語話者です。

本書で示されたことは次の通りです。(1)ジャンル知識を持っている調査参加者はテクスト読解時(解釈時)にその知識を活用することができ、その効果はthematic conventionに対して強力に作用し、stylistic and rhetorical featuresについてはあまり作用しない(ただし、今回はペアごとでその作用の大きさは異なっていたが)、(2)evaluationについては5つのスケールの背後に「Liking」と「reading process and understanding difficulties」という因子が潜んでいるようであること(クォーティミン回転を使った因子分析によって因子負荷量が産出されています。ただし、その相関行列は弱く、テクストごとに若干事情が異なっています。そして、著者自身、この結果については結果の記述にとどめ、深い検討は避けています。ですので、あまりこの結果は本書では重要視するべきではないようですね。)、の2点でした。

久々に文学の経験的研究の論文を読みました。とても面白かったです。同時に、文学の経験的研究にしばしば寄せられる、「あまりにも単純で当たり前のことを説明するために(無駄に)多大な労力をかけている」という批判(ホルムズなどによるものなど)をふと思い出したりもしました。

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2008年12月23日 (火)

D.Badran(2007).「Stylistics and Language Teaching: Deviant Collocation in Literature as a Tool for Vocabulary Expansion」を読む(M.Lambrou&P.Stockwell(編),『Contemporary Stylistics』,Continuum)

この論文の詳細は次の通り。

Badran, D. (2007). Stylistics and language teaching: Deviant collocation in literature as a tool for vocabulary expansion. In M. Lambrou & P. Stockwell (Eds.), Contemporary stylistics (pp. 180-192). London: Continuum.

この論文にはRonald Carter先生による前書きがあり、そこでは、この論文にはdata-driven learningとworking with collocationという2つの重要なトピックが関連しており、非常に高い評価を与えています。この論文自体は、詩のコロケーションに着目させることで、学習者の語彙知識の拡充を図ることについて議論した、外国語教育の論文です。

著者は文学(性)の定義の議論から始めます。文学(性)は、a structural continuum、a functional continuum、a chronological / traditional continuum、a reader-response continuumのいずれとも、そしてそれらの相互作用に依存すると述べます。しかし、その中でも最後の点をかなり重要視しているようです(p. 182)。一方、styleという語については、"in the absence of styleless discourse, style would, at best, be a redundant notion." (p. 183)と述べています。

著者はこの論文の目的について次のように述べています。"In this chapter, my argument is that through close conscious analyses of such deciations (collocational deviations) in literature (particularly poetry), linguistic awareness (and vocabulary acquisition) can be raised to a level unachievable through other means." (p. 184)。また、語彙指導研究をレビューする中で、次のように結論づけます。"... the most promising and potentially reliable means for eventual vocabulary expansion and retention are: multiple exposures to, as well as conscious, dynamic and varied interaction with, the language.  And I argue that literature, more specifically poetry, provides one of the most economically feasible channels for all that to be developed and achieved." (p. 184, emphasis in original)

文学が効果的であると述べる根拠としては、(1)特に第二言語学習者の文学読者は読解に多くの時間をかけ、更に表層情報を他のジャンルよりもよく記憶していること(Hallによる指摘)、(2)文学テクスト独特の逸脱から生じる曖昧性に読者の注意や時間や労力が多く費やされているという事実、(3)曖昧性は多様な解釈可能性を浮き彫りにし、読者に動的なinvolvementを行なわせることで肯定的な言語学習の結果が得られる(限られた枠組みの中での多様な解釈(p. 186)と著者は述べており、ここで簡単な活動例が示されています)、(4)語の様々な側面に注意が払われた方(senamtic elaboration)が新語の保持の可能性が高まること、の4点です。

ここで、著者は語彙指導を具体的に考えていく上で、コロケーションという観点に立ちます。その理由としては、(1)コロケーションは意味の本質的な部分であること、(2)コロケーションについて考えることはsemantic elaborationに直結すること、(3)逸脱的なコロケーションには多くの注意が費やされ、効果的なsemantic elaborationを生み出し、語彙の保持率を上げること、の3点が挙げられていました。

次に、著者は具体的な活動例を示しています。その活動の目的として、"... the purpose of this exercise is to raise the students' critical awareness and consciousness regarding 'familiarized' phrases as well as increase their sensitivity towards providing more accurate, specific and therefore expressive descriptions and evaluations.  The exercise is aimed more at fine-tuning existing word knowledge for it to become more actively used rather than simply increasing the size of students' passive vocabulary." (p. 188)と述べられています。こう述べるのは、学習者は語彙の産出においてはCarterが述べるcore vocabuary(非常に初歩的な語彙)しか産出できないという問題と、テレビなどで見聞きしたフレーズがあまり考えることなく鸚鵡返し的に使っているレベルに留まっているという問題を重要視したためです。

活動の流れは次の通りです。(1)いくつかの名詞をを提示し、それらの名詞の前に置く形容詞を考えさせる。(2)詩('Awake' by The Doors (Jim Morrison))を提示し、(1)で使った名詞の前にどのような形容詞を入れればよいか考えさせる(著者は「文脈化」と呼んでいます)。(3)学習者の形容詞選択の適切性を議論する(テクスト全体の流れなどを考えながら)。(4)議論を経て、再度学習者にどのような形容詞がよいかを考えさせる。(5)詩で実際に使われていた形容詞(逸脱的)を提示し、その形容詞を辞書で引かせ、その意味を確認させる。(6)意味のメタファー的な側面を意識させる。こうすることで、学習者は既存のコロケーション知識を発展させ、さらに各語の意味の多様性に触れることができると著者は考えています。僕であれば(5)の段階は飛ばしてしまいそうなのですが、あくまでも語の周辺的な意味をしっかりと認識させるという点ではとてもいい活動ではないかと思いました。

最後に著者は、文学を文体論的にアプローチすることで、thematic level、linguistic level、literary level、critical levelにおいて豊かな相互作用を学習者に与えることができると述べています。

この論文は、よく文体論研究者が様々な場で外国語教育についての意見を言う際によく言われることを論文の形にまとめたものだと思いました。ですので、主張自体にはあまり斬新性は感じなかったのですが、こういったものが論文という形で示されたことは大変大きな意義があると思いました。語彙学習のために詩の逸脱的なコロケーションを使うということは語彙の保持と既存の語彙知識の拡充を図る上でとても面白くかつ効果的な方法ではないでしょうか。

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2008年12月22日 (月)

J.Searle(1994/1996).「Literary Theory and Its Discontents」を読む(W.V.Harris(編),『Beyond Poststructuralism: The Speculations of Theory and the Experience of Reading』,The Pennsylvania State University Press)

本論文の詳細は次の通り。

Searle, J. (1996). Literary theory and its discontents. In W. V. Harris (Ed.), Beyond poststructuralism: The speculations of theory and the experience of reading (pp. 101-135). University Park, PA: The Pennsylvania State University Press. (Original work published 1994)

ちなみに、元々は、New Literary History, 25 (3), pp. 637-667. に1994年に掲載された論文です。読んでいて、デリダ=サール論争の第4ラウンドという感じがしました。

本論文では、3つの文学理論のアプローチが扱われます。それらはFish(テクストの意味は読者の反応の中にあるという考え)、Knapp & Michaels(テクストの意味とは作者の意図のことを指すという考え)、Derrida(意味とは決定不能であるという考え)、です。著者に言わせれば、文学理論は厳密な議論をしておらず、更に言語学や言語哲学の知見も疎かにしているので、テクストの意味についての議論が不毛なもの(本当はお互いに全く別の問いに対する答えであるにもかかわらず、議論が厳密さを欠いているために、それらが競合してしまっているという状況)になっていると指摘します。著者はポスト構造主義の文学理論がより厳密な議論へと発展するために有用な8つの概念を言語(哲)学から提案しています。それらは、(1) The background of interpretation(Searleが得意の"all meaning and understanding goes on within a network of intentionality and against a background of capacities that are not themselves part of the content that is meant or understood, but which is essential for the functioning of the content." (p. 105)という考え)、(2) The distinction between types and tokens、(3) The distinction between sentences and utterances、(4) The distinction between use and mention、(5) Compositionality、(6) The distinction between sentence meaning and speaker meaning、(7) The distinction between ontology and epistemology、(8) Syntax is not Intrinsic to physicsという考え、です。これらはいずれも言語哲学的にはかなり常識となっていますが、文学理論の中ではあまり意識されていないのではないかと著者は考えています。

著者は先に挙げたテクストの意味についての3つの立場などについて、"In many cases the different answers are not competing answers to the same question, but non competing answers to quite different questions. (p. 121)"と指摘しています。また、文学理論の大きな問題点として次の点を指摘します。"The problem, however, is that in the literature on this subject, very strong claims are made on behalf of these different answers, and these claims tent to exceed what has in fact been proved." (p. 122)(私も同感です。文学理論を勉強し始めた頃に、様々な考えに一気に触れて、混乱したのを覚えています)。

論文の後半では、Derridaの議論の問題点を(本当に論文なんでしょうかと思うぐらい相当な程度に辛辣に)指摘していきます(Limited inc.. abcの反撃でしょうか)。著者は、特にDerridaが意図を理想的な自己充足と考えている点と反復可能性という概念に大きく的を絞って議論をしていきます。1点目に対しては、彼のThe background of interpretationという考えを示し、それ以上は議論されていません。2点目については、Derridaは著者が先に挙げた区別や考えを踏まえていないために、"a massive tissue of confusions" (p. 126)を生み出してしまっていると批判しています。Derridaは発語行為論を批判しますが、その批判も誤解に基づいたものに過ぎないと述べています(p. 127)。

そして、デリダが犯している最も大きな3つの誤りとして、(1) 文の解釈は決定不能としていること(the background of interpretationという中では文は決定的な意味を持っている)、(2)文の意味と話者の意味を混同していること、(3)解釈学的な議論を存在論的な議論へ摩り替えていること(例えば作者の意図が後から復元できないということから、作者の意図は(実際の作者の側から見ても)決定不能であるという結論を下すこと)、を指摘しています。これらは、著者が挙げた8つの言語哲学の考え、及びFrege以降の言語哲学の発展を踏まえていない(全く知らない)ことが原因で生じていると著者は考えています。

困ったことに文学研究者はしばしば言語哲学や言語学の議論を踏まえずに言語についての論考を書き、それが権威を得てしまうことがあります。その結果として言語哲学や言語学から見ると不可解な議論が横行するのだと著者は考えています。そもそも文学理論は言語学や言語哲学とは交流が少なく、またそれらの分野の発展の歴史を知らないために、議論が暴走していると著者は考えているようです。また、著者はDerridaに限定して、「衝撃的なテーゼの提案→つまらないほどに常識的な証拠の提示→それらの証拠の証人→元々の衝撃的なテーゼの承認」というレトリックを使って、不可解な議論を横行させていると考えています。著者に言わせれば衝撃的なテーゼとして提案される日常的な証拠が、実は全くもって証拠とは足りえておらず、さらに、その証拠の承認は決して元々の衝撃的なテーゼの承認を導くことはないと考えています。Derridaは、このレトリックを使って、「エクリチュールはパロールに先行する」、「意味は決定不能である」、「テクストの外部には何も存在しない」といったテーゼを世に広めてきたと著者は指摘しています。

大学院生時代、デリダ=サール論争に関する論文はすべて読みましたし、Frege以降の言語哲学の代表的な論文も授業で読みましたので、著者の議論も非常によく分かる一方、両者の議論自体が、実はさっき引用した"the different answers are not competing answers to the same question, but non competing answers to quite different questions. (p. 121)"という状態になっているということも痛感します。それにしても、DerridaがAustinを誤解的に批判したお陰で、英米系言語哲学と大陸系哲学の交流が生まれたのですから、文学理論上並びに言語哲学上、非常に有意義な議論なのではないでしょうか。読んでいる最中、両者の違いと共通点など様々なことを考えることができました。

言語哲学的には特に新しいことは何も出てこないのですが、とても楽しく読むことができました。また、デリダ=サール論争の文献を一通り読まれた方だけでなく、文学理論に知識のある方であれば、言語学や言語哲学が文学理論をどのように見ているのかが分かって面白いと思います。

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2008年12月12日 (金)

J.M.Schultz(1995).「Making the Transition from Language to Literature」を読む(M.Haggstrom,L.Z.Morgan,&J.A.Wieczorek(編),『The Foreign Language Classroom: Bridging Theory and Practice』,Garland)

この論文の詳細は次の通り。

Schultz, J. M. (1995). Making the transition from language to literature. In M. Haggstrom, L. Z. Morgan, & J. A. Wieczorek (Eds.), The foreign language classroom: Bridging theory and practice (pp. 3-20). London: Garland.

感想:Schultzさんは、外国語(フランス語)教育における文学教材の活用に関して多くの業績を残しています。その中の1つの論文を読みました。

著者によると、大学内では、語学と文学が分離したものとなっているという問題があると述べます。そして、この問題の根底には、"the trend to view language acquisition as hierarchical and following a parallel developental pattern in the areas of listening, reading, speaking, and writing, and the extension of this hierarchy to literature, thereby predicating the ability to appreciate and respond analytically to a literary text on sophisticated linguistic ability in the students" (p. 5)という考えがあると述べます。また、語学と文学の分離という問題は、言語習得とはばらばらの文法の学習の集積であるという考えや文学や文化こそが(唯一の)本当に学ぶべき分野であるというような間違った考えを生んでしまうとも述べていました。また、文学を上級学習者のみに与えることになってしまったり(学部生などからは文学が遠ざかる)、「優れた言語能力=文学を鑑賞する能力」という間違った公式化をしてしまう(著者によるとintermediateレベルの学習者でも文学テクストを十分に扱うことができたと述べています)という問題もあります。そこで、著者は次のリサーチ・クエスチョンを立てます。"How can we enable students who may have only very little, if any, experience with literature, let alone in a foreign language, to move from their initial subjective reactions to the objective analysis charactersitic of advanced undergraduate literature classes, and to express their ideas both orally and in writing?" (pp. 6-7)。

次に実際の授業の指導法が記述されます。学習者が既に授業で行なっていること(授業の背景)については割愛します(詳しくはp. 7)。著者はまず、①学習者に超自然的な(uncannyな)出来事についてフランス語で日記を書かせます。そして、②学習者同士でその日記を回し読みします(ちなみに日記に関する一連の活動の意義としては、個人的なトピックについての語りを書かせる練習(後に客観的で分析的な文章を書くための練習になる)になること、形式ばらない状況での会話能力を高めること、後で読む文章の文脈として重要に機能すること、の3点を挙げています)。次に、③家で"Le Horla"(Guy de Maupassant作)という作品を読んでこさせます。④次に、内容理解の程度がかなり高かったので、精読(ただし、トップダウン処理とボトムアップ処理を仲介するような精読)を行なって、導入部(幻想短編小説では導入部は扱う問題を明確化するので非常に重要な部分となる)について(導入部の文法や技巧について)クラスでディスカッションさせます。具体的には最上級と人称が例として挙げられていました。この活動は解釈のヒントとして言語への意識を高めることの重要性や、critical reading abilityを高める練習になったり、文法の復習、分析技能を高めるなどの意義があると著者は述べています。⑤次は教師がいくつかの質問(ある程度局所的な質問)を学習者に与え、小グループでディスカッションさせます。⑥次により大きな問題についてのディスカッションとして、Todorovによる幻想文学の定義を提示し、その定義の観点からそのテクストを再評価させます。⑦次に、thesis statementというタイプとargumentationというタイプのライティングをさせます(前者のタイプのライティングは後者のタイプの基盤となります)。このとき、2つのライティングの例を提示します。1つは教師によって、もう1つは生徒によって書かれたものだそうです。これらはグループ内で分析されます(ただし、学習者の分析能力の度合によって教師の介入の仕方が変わります。詳しくはp. 13)。この活動は、ファースト・ドラフトにはあまり効果を表わさないのですが、推敲課程で非常に重要な役割を果たすということが研究で示されているそうです(Hillocks、Chastain)。こうして、学習者は徐々に自分の作文を客観的に考えることができるようになり、問題のある箇所の認識も可能となります。そして、いよいよ学習者に自分でライティングをさせます。著者はプロセス・ライティングの方法を用いており、ピア・リーディングの過程を経て、作文を完成させる方法を採っていました。

こうすることで、語学と文学をつなぐことができるのではないかという著者の提案です。特に独創的な部分があるというわけではないのですが、非常に教育的な論文であったと思いました。

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2008年12月 3日 (水)

山元隆春(2005).『文学教育基礎論の構築:読者反応を核としたリテラシー実践に向けて』を読む(渓水社)

本書の詳細は次の通り。

山元隆春(2005).『文学教育基礎論の構築 読者反応を核としたリテラシー実践に向けて』.渓水社.

感想:国語教育学における文学教材指導に関する優れた研究書でした。著者には大学院時代にお世話になりました。ここでは、各章(ただし、序章と終章は省略)の内容について簡単にまとめたいと思います。詳細は本書をご参照下さい。

<第1章:戦後日本における文学教育論の検討>

この章では、読者反応を文学教育の中心に据えようとした国語教育学と読者論の研究がレビューされていました。国語教育学の先行研究で扱われていたのは、荒木繁(読者反応の先駆け的存在)、大河原忠蔵(イーザー的)、熊谷孝(バフチン的)、でした。読者論に関しては、桑原武夫(ローゼンブラットに似ていて、読者の享受面に着目)、外山滋比古(異本の原理)、西郷竹彦(関係論。また、実際の子供の読者を扱い、教育的な議論。)、でした。最後に、太田正夫(十人十色の読みを生かす文学教育(p. 133)で、Hanauerの議論に類似している)の研究がレビューされていました。太田正夫の研究を、国語教育学における読者反応を使った文学教育の1つの重要な到達点と著者は見なしているようでした。そして、これらの文献整理に基づき、テクストと読者の相互作用を促す文学教育を構築するための条件として、読者による意味形成の過程への焦点化、他者との対話を育てる理論、1人ひとりの解釈の成立を重んじること(解釈の相対性の確認)、テクストを統覚する意識ないし「作者」の想定、が導き出されていました。そして、文学教育基礎論の構築のために、読みを誘うテクストの機構(ストラテジー)の解明、学習者の読みの方略と意味形成過程の解明、学習者の読みのモデルの確立、子供の読みの発達を説明するモデルの確立、がその課題(本書で扱われる問い)として掲げられていました。

<第2章:読者反応理論の検討‐文学教育のための基礎論として‐>

この章では新批評から文学反応理論への移り変わりの全体像をまず説明し、イーザー(不確定箇所など)、ローゼンブラット(交流理論など)、フィッシュ(感情的文体論と解釈共同体)、ブライヒの研究(主観批評、ダブル・パースペクティヴ)がレビューされていました。次に、読者反応を中心に据えたアメリカ国語教育研究がレビューされていました。アップルビー、ランガー、ディアス、プロストなどの研究が言及されていました。これらの研究に基づいて指摘されている重要なことの1つとして、読者反応を中心とした文学教育は読むことの社会的性格をも扱っていく必要があるということがありました(しかし、本書では十分に扱いきれなかったと著者は述べています(p. 684))。

<第3章:文学の読みの動的構造の解明>

読者の反応はテクストで用いられている方略への反応でもあります。したがって、読者反応とは言え、テクストの構造(読者の読みに影響を与える構造)を無視するわけにはいきません。読者の読みというのはテクストの構造によってある程度の制約を受けています。著者は、「注文の多い料理店」と「オツベルと象」に基づいて、対象・反転の構造、言説の多様性、否定性、語りの重層的構造、対話喚起性というものを指摘していました。これらは、読者に葛藤を感じさせるような対立を作り出すという機能を備えているようです(p. 685)。著者は「何でもあり」といった状況を避けるためには、もっと作者を意識することが必要ではないかと述べていました(p. 690)。

<第4章:読みの方略と読者による意味構成過程の検討>

この章では、学習者に獲得させるべき読解方略と実際の読者の意味構成過程について議論されていました。前者についてはランガー、ビーチ&アップルマン、ビーチらの研究が整理されていました。著者は方略獲得は学習者にとって重要なことと考えています。「読みの<方略>の獲得が、読むという活動における学習者の内的・外的対話を促す。。。また、そのことは①学習者側の<メタ言語的洞察>を導き、②学習者に対して間接的に読みのモデルを提示することになり、③自己の読みを<他者の目>で捉えなおしていく契機をもらたす、という点で、文学教育を推進する一つの力となり得る」(p. 691)と述べられていました。具体的な調査では、①テクスト側の方略が学年に関係なく読者の読みの方略に影響を与える一方で(SD法)、影響の程度は学年で異なっていた(書き言葉による反応)、②読みを重ねるたびにテクストに対する読者の焦点が変化すること、③小学校5年生は者達炉の展開を期待したり、繰り返しに対する期待感を持った読みを示したり、必要に応じて(テクスト内に決定的な解釈のよりどころを見つけれらない場合など)テクスト外の情報を持ち込むころで解釈の一貫性を担保すること(これによって学習者の個性が現れる)、参加者的スタンスと見物人的スタンスを双方求めるテクスト方略は学習者の読みに複雑さを与えること、が示されていました。

<第5章:文学の読みの発達論的検討‐学童期を中心に‐>

ここでは、最初にアメリカ国語教育研究における読者反応の発達論的研究がレビューされるところから始まっていました。具体的には、ダートマス会議のこと(反応や発達といった概念の見直し)、パーヴィス&リッピーア(反応測定の基準の構築)、アップルビー(子供の物語概念の発達プロセスのモデル化)、ガルダ(成熟した読者像の把握)、カリナン・ハーウッド・ガルダ(読者の読みに与える読者内要因の分析)、ヒックマン(教室におけるる子供の反応の発達の分析)、メニー(理解水準と反応のスタンス、年齢の相関分析)、らの研究がレビューされていました。ちなみに、マルチネス&ローザーによる、子供の文学反応研究の優れたレビューもあるようです。また、調査で示されていたことは、①学習者のテクストに対するスタンスは参加者的なものから見物人的なものへと移行し、テクスト内容の対象化や客観化が可能になる、②テクストに対する反応が、学年が上がるにしたがってストーリー展開に依拠したものからテクストの所定の要素やテクストの意図に基づいたものへと移行し、対話的なものとなる、③小中学校の間に、テクストへの反応が内容への印象主義的なものから形式面へとその関心が移行し、小学校低学年では自分の興味のある部分に対する反応が多いが、中・高学年では物語全体の枠組みを意識した反応が増える、④小学校の高学年から中学校にかけて反応における客観化、一般化、抽象化の傾向やテクストへの反応の内容の結束性が高まる、⑤テクストに対する反応の発達は、その媒体が言語か非言語かによって変わる(データ抽出法が違えば得られるものが違うということ)、⑥未分化が秩序化される傾向、社会的なものが個人化され、再び社会化されるということが繰り返される傾向、当事者・参加者的なものが次第に対象化される傾向、外部の模倣から内面の表出へと向かう傾向、が読みの発達において見られること、でした(pp. 695-696)。そして、この章の最後では、「読むという行為は、読者側の状況モデル(世界構造)とテクストの状況モデル(世界構造)とを重ね合わせる行為である」(p. 693)という考えに基づいた文学の読みの発達構造モデルが提示してありました(ただし、ここで言う「状況モデル」は認知心理学における「状況モデル」とは正確には違うものであるため、注意が必要です)。加えて、読みのスタンスの発達スパイラルというモデルも提示してありました。

<第6章:文学教育におけるリテラシー実践の構築>

ここでは、これまでの調査などに基づきながら、文学教育のキー・ポイントについて更なる調査を元に議論していきます。具体的には、①対話喚起性による授業内での対話の成立について、②他者の解釈などに触れることで内省し、自己の解釈を中心化→脱中心化→再中心化していくことについて、③ディスカッションなどを通して、自己が話し手、受け手、立会人といった立場を次々と経験する中で各自が読みを修正していき、次第に要点駆動型の読み(ハント&ガイポンドによる概念)へと至ることについて(つまり、文学をコミュニケーションとして捉え、その語用論的な側面ないしテクストの背後にある意図性などについて意識を及ばせること)、が議論されていました。著者は、教室を意味の社会的構成の場として捉えることがとても重要だと述べた上で、国語科授業においては、意味の創造過程の解明、学習者の反応の構造を解明する視座、意味の構成過程としての授業、授業における教師の圧力の除去、協働活動による読みの可能性、を考えていくことが必要と述べています。

私自身、アメリカ国語教育の研究についてこれまであまり勉強していなかったので、その研究動向について知ることができたのはとても有益でした。また、国語教育学の研究ですので、英語教育にそのまま応用できるといったものではありませんが、文学を読むとはどういうことなのか、様々な示唆をえることができました。著者はスコールズが言うところの「批評」のレベルへと至る道のりの途中に「読み」と「解釈」と言うレベルがあると考えており、読みの発達の上では、見物人的スタンスの獲得、更にはダブル・パースペクティブ(様々なスタンスに立つことができるようになること)が不可欠で、そういったスタンスの取り方などを獲得する上で他者との対話が有益であると考えているようです(ただし、著者が最も関心があるのはテクストと読者の対話であり(p. 700)、読者間の対話そのものではありませんが)。とても勉強になりました。

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