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2008年10月23日 (木)

G.C.Zapata(2005).「Literature in L2 Spanish Classes: An Examination of Focus-on-cultural Understanding」を読む(『Language Awareness』)

この論文の詳細は次の通り。

Zapata, G. C. (2005). Literature in L2 Spanish classes: An examination of focus-on-cultural understanding. Language Awareness, 14 (4), 261-273.

感想:先日読んだ、Hanauer (2001)の別の教育環境(アメリカにおけるスペイン語学習者)への応用論文です。本論文では、(1)目標言語の文化と自国の文化の理解が深まる、(2)文化はその人の世界の捉え方に大きく影響を与えているということを認識する、(3)テクストの解釈プロセスを発達させる、(4)読解の動機づけを高める(テクストの再読を促す)、といった成果が得られたようです。また、スペインに旅行してみたいと思う学生が増えるなど、目標言語文化への好感を高める効果もあったようです。いくつかの研究上の限界を認めながらも(特定の人種の学習者に対する調査であった点、この授業に参加している学習者は最初から内的に動機づけられている(卒業単位とは関係のない授業)、特定の作品での調査であったこと、限られたデータからの分析であること)、"they confirm the effectiveness of the method as a first step in the development of students' awareness of the similarities and differences between their native and target cultures, and of Spanish as a tool for understanding the target culture." (p. 271)と述べています。著者は、Hanauerによって提案されたこの指導法の効果を認め、それは学習者に異文化理解の能力を養う上でも重要な働きをすることができると述べていました。この指導法は、学習者が目標言語使用域へ行くことができないような場合には、学習者の異文化理解を促す上で役立つ可能性があると、著者は結論で述べていました。

この論文はとても読みやすく、また楽しく読むことができました。しかし、Hanauer (2001)の論文を読んでおかないと、分かりにくいかもしれません。ですので、この論文を読む前に、Hanauer (2001)の論文を読むことをオススメします。ちなみに、Hanauer (2001)の論文はこのブログ内で以下のリンク先でレビューしています。

http://takayukinishihara.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/hanauer-2001.html

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2008年10月22日 (水)

J.A.Muyskens(1983).「Teaching Second-language Literatures: Past, Present and Future」を読む(『The Modern Language Journal』)

この論文の詳細は次の通り。

Muyskens, J. A. (1983). Teaching second-language literatures: Past, present and future. The Modern Language Journal, 67 (4), 413-423.

感想:文学を使った外国語教育研究で、1970年代のものをまとめた論文でした。ですので、1970年代の研究の様子がよく分かってとても助かります。まず、この論文では、"a literary work is "a work of imagination, infused with a dominant esthetic intent." (p. 413)という考えに基づいて議論を進めるとの旨がありました。また、1983年の時点では、文学教材の指導法がティーチング・マニュアルであまり扱われていないということが問題点として指摘されていました。また、教員養成課程にも問題があるようで、文学教材の指導法は教育学部でも文学部でもあまり扱われていなかったようです。

次に、文学を使った外国語教育研究の過去と現在が振り返られます。まずは初級学習者に対しての研究の整理がなされていました。このレベルの指導では、"Teachers of literature at the high school level fully recognize the chasm between the language textbook and even the most elementary literary work." (p. 414)というジレンマが指摘されていました。その後、短編小説、詩、戯曲、小説の指導法についての研究がレビューされていました。更に、指導目的に関する研究、学習者の作品内容理解を確かめるための方法に関する研究、授業内での活動に関する研究(構造分析なども含まれていました)、personal response approachについての研究(これは、当時の新しいアプローチとして言及されています)、もレビューされています。次は、undergraduateレベルです。このレベルでは、文学教材は学習者の読解能力向上と文学批評の基本的な概念を導入するという目的で用いられることが多いようです。しかし、具体的な研究が少ないため、著者がアンケートを実施しており、その結果が掲載されていました。そこで問われていたのは、目的、指導法、評価方法、教材のタイプで、その結果が示されていました。最後は、graduateレベルです。ここでもアンケート結果が示されていました。目的、指導法、評価方法、オーディオ。ヴィジュアル教材に関する結果が載せられています(このレベルでの指導の研究も非常に少ないそうです)。また、指摘されていた問題点としては、教師が指導法を知らないこと、編集されたテクストはしばしば批評する上では問題があること(面白くないなど)、テクストへの多くのアプローチ法を学習者に提示する必要があること、が指摘されていました。

次はこの分野の将来についてです。文学教材を使った外国語教育を充実させていくための手立てが議論されていました。ここで最も重要な点として、教員養成過程において文学教材の扱い方を将来の教師に教えることが必要だということが述べられていました。そして、目的、指導法、テクストへのアプローチの仕方、評価方法、(オーディオヴィジュアル)教材の使用方法、学会などでのなされた議論、などの知識を与えたり、考えさせたりすることがその中身として提案されていました。また、必要に応じて文献講読や(模擬)授業をすること、ワークショップへの参加なども提案されていました。2点目としては、文学指導の研究を行なうことの必要性も議論されています。しかし、"Empirical research on the foreign language classroom relevant to the teaching of literature is almost nonexistent.  Most discussion on the teaching of literature is theretical and experiential." (p. 420)という状況のようで、著者は実証的な研究の必要性を訴えていました。著者は、研究課題(文学の精読が目標言語への学習者の態度に与える影響)を提案したり、Hooperの研究(学習者が読みたいと思うテクストの内容の調査)が言及されたりしていました。3点目として、高校や大学の教師の間で目的などを共有する必要性も指摘されていました。会合を開いたり、教材や指導案の共有を行なうことが提案されていました。

この論文は1970年代の研究の様子がよく分かって勉強になりました。また、同時に、この分野はあまり進展をしていないのだなということも分かりました。この論文は25年も前に書かれたものですが、2008年に発表された論文だとしても、誰も驚きはしないだろうと思いました。この分野に携わるものとしては、色々と考えさせられる論文でした。また、教員養成の充実という点はとても重要な指摘だと思います。確かに、文学教材の指導法って、少なくとも日本の教員養成課程では指導されていないんじゃないかなと思いました。

それにしても、文彩や異なる意味レベル、文体論的特徴っていつもadvanced levelの内容として議論されるようですが(p. 413)、何とか初級学習者に対する指導でも取り入れれないものかなと思いました。

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2008年10月20日 (月)

W.Wong(2005).『Input Enhancement: From Theory and Research to the Classroom』を読む(McGraw-Hill)

本書の詳細は次の通り。

Wong, W. (2005). Input enhancement: From theory and research to the classroom. New York: McGraw-Hill.

感想:久々に応用言語学の研究を読みました。応用言語学で提案されてきた、input enhancementの方法について分かりやすくまとめられた本です。第1章は、教授法の変遷についてで、文法訳読式、直説法、オーディオ・リンガル法、認知学習理論、CLT、Krashenのインプット仮説、そしてその延長にinput enhancementとFocus on Formが位置づけられていました。

第2章は、第二言語習得理論の理論的考え及び研究と実際の指導の関係について扱われていました。この本は教師向けに書かれているようで、SLAの知識がある人は飛ばして読んでも構わないと思います。要は、SLAとはどんな分野か、どのような点でその知見を指導に応用できるのか、といったことが議論されていました。

第3章は、inputとinput enhancementの理論的背景についてです。SLAにおけるinputの役割であるとか、input enhancementが基盤としているSLAモデル(VanPattenのモデルとGassのモデルが紹介されていました)の説明などが説明されています。

第4章からは、input enhancementの個別の技法が説明されていきます。第4章は、input floodでした。この技法の背景にある考えは、"by flooding the input with many exemplars of the form, learners will have an increased chance to notice it." (p. 37)というものです。この技法に関する先行研究の結果も示されていました。この技法は、習得に効果的な結果をもたらしますが、非文法性を気づかせることはできないようで、場合によっては明示的な情報を与えることも必要であるとのことでした。この技法の利点は、たくさんの有意味なインプットを与えることができること、コミュニケーションの流れを妨げないこと、があります。短所としては、実際に学習が起っているか、気づきを生じさせているかどうか判断できないこと、があります。

次はtextual enhancementです。ここでは、communicative valueという概念が導入されていました。この技法は目標言語項目を気づかせるのには有効なようですが、その形式を産出で使わせることには向いていないようです(こういった場合には明示的情報が必要となることが予想されるとのことでした)。また、Overstreetのかなり例外的な研究結果も紹介されていました。その研究によると、この技法は言語形式への気づきはおろかテクストの内容理解にも負の影響を与えるというものでした(繰り返しますが、この結果はかなり例外的なものであるのと、他にこの技法が内容理解に与える影響を調べた研究がないので、その一般化可能性には注意が必要です)。また、著者によると、この技法はディスコースレベルではなく、文レベルで行なうのが効果的なようです。しかし、この技法の効果に関する研究結果はかなりお互いに矛盾を含んでおり、どうやら目標言語形式の性質によってその効果の現れ方が随分と異なるようです。この技法の長所は、有意味なインプットの利用、意味理解の中で言語形式に注意を向けさせることができること、様々な活動の中に取り込むことができること、です、短所は、学習者が何を学習しているのか把握しきれないこと、時として意味理解を妨げてしまうこと、です。

第6章はstructured input activityでした。この技法では、意味的に余剰な言語形式に関しては、そのcommunicative valueをいかに上げていくかという点がポイントとなります。そして、学習者のインプットの処理の仕方を修正していくことを最重視します。この技法は、Processing Instructionという名でも知られています。この指導法では、理解だけでなく産出にも肯定的な効果を及ぼすことが報告されています。この技法の利点は、学習者のインプット処理方略に直接介入し、形式と意味のマッピングを助けること、学習者が正しいマッピングを行なえているかどうかを簡単にチェックできること、があります。短所は、準備が大変であるということが挙げられていました。また、ここでも著者はディスコースレベルではなく文レベルで行なうことを推奨しています。

第7章は、Grammar Consciousness Raising Tasksでした。この技法は、文法それ自体が会話のトピックとなるという点と、学習者に目標言語項目の産出求めない、という特徴があります。この技法の背景にある考えとしては、"once consciousness about a particular grammatical form has been raised, then learners may be more likely to notice it in subsequent communicative input which could perhaps lead to the eventual acquisition of that feature." (p. 80)というものがあります。この活動は、気づきだけでなく熟達度をも促し、更に学習者の相互作用も増やすという結果が出ています。この利点としては、有意味な相互作用の中で言語形式に気づかせること、positive evidenceとnegative evidenceが得られること、相互作用や意味交渉の中で明示的な知識を得ることができること、が挙げられます。短所としては、初級学習者には使いにくい、トピックが文法ということを単調でつまらないと思う学習者もいるかもしれない、ということが挙げられていました。

第8章は結論です。ここで強調されていたのは、この本で紹介されていた技法の使い分け及び組み合わせについてです。まず、形式と意味が1対1できれいに対応していない言語項目(透明性が低いもの)に関しては、structured inputやgrammar consciousness raisingがいいという点が挙げられていました。また、p. 93には、4種類のシラバス(構造、機能、タスク、内容)における4つのinput enhancementの技法の使い勝手(授業の流れを妨げるかどうか)についての一覧表が示してあります。著者は、どのような技法を使うにしても、学習者に目標言語形式に気づくことを必要とするような活動を取り入れることが重要だと述べています。また、input enhancementの議論の特徴なのですが、outputについてはあまり扱われていません。outputは、"retrieving language data" (p. 97)と説明されており、この辺りがアウトプット仮説とは随分と異なるところですね。

この本はとにかく例が豊富です。この本を通して著者の議論の「色」を指摘するならば、文レベルの活動の重視、目標言語形式に気づくことを必要とするような活動を必ず入れること、などが挙げられるかと思います。ただ、一つ疑問なのは、input enhancementで扱われている文法形式はかなり初歩的なものであることが多いという点です。例えばtextual enhancementなどでは、短編小説における興味のある目標言語形式に下線を引くなどして、学習者の注意をその形式に向けさせようとするわけですが、その短編小説を読める学習者がはたしてそういった初歩的な形式(三人称単数のsなど)に問題を抱えるのだろうかと、疑問に思います。ただ、この本は、とかく混同しがちなinput enhancementの技法を丁寧に説明しているので、とても良書だと思いました。自分の理解を整理することもできて、よかったです。

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2008年10月18日 (土)

J.Still&M.Worton(1990).「Introduction」を読む(M.Worton&J.Still(編),『Intertextuality: Theories and Practices』,Manchester University Press)

この論文の詳細は次の通り。

Still, J., & Worton, M. (1990). Introduction. In M. Worton & J. Still (Eds.), Intertextuality: Theories and practices (pp. 1-44). Manchester, England: Manchester University Press.

感想:しばしば目にする論文ですので読んでみました。間テクスト性に関する議論で、重要なポイントととして、著者は最初に次の2点を述べます。"Firstly, the writer is a reader of texts (in the broader sense) before s/he is a creator of texts, and therefore the work of art is inevitably shot through with references, quotations and influences of every kind. " (p. 1) "Secondly, a text is available only through some processes of reading; what is produced at the moment of reading is due to the cross-fertilisation of the packaged textual material (say, a book) by all the texts which the reader brings to it." (pp. 1-2)

次に、間テクスト性は20世紀以前の著作にも散見されるということが示されます。具体的にはプラトン、アリストテレス、キケロー、クゥィンティリアヌス、モンテーニュ、ボルヘス、セルバンテスの著作が検討されていました。そして、全ての文学に共通なパラダイムとして、"its duplicitous repetition redefines and locates as posterior the 'original' model, positing itself as a new (if temporary) origin for the infinite speculations of readers" (p. 14)という点が指摘されていました。また、間テクスト性という考えと反対の、single Spirit-voice(全ての文学を書いている単独の声が存在するという考え)が紹介されていました()シェリーやエマソンがその例として指摘されていました)。

次に、20世紀における間テクスト性の議論の発展の歴史がまとめられていました。扱われていたのは、バフチン、クリステヴァ、バルト、ジュネット、デリダ、リファテール、ブルームです。大まかな内容としては特に目新しい点はなかったのですが、メモ代わりに間テクスト性の議論の中で重要と感じられる点を箇条書きで記しておきたいと思います。(1)バフチンの言う詩と小説は従来の詩と小説というカテゴリーと同一視してはいけない(p. 15)。(2)クリステヴァは、どんなテクストにもモノローグとダイアローグを確認することができるという指摘を行なった(バフチンは、ダイアローグ小説とモノローグ詩というように、1つのテクストに対して1つの特性だけを認めていた)(p. 17)。(3)クリステヴァとリファテールは、あまりにも具体的な例を引き合いに出して議論しており、それらは彼女らが主張しようとしている間テクスト性の理論にとっては必ずしも適切ではない(p. 17)。ブルームは間テクスト性の議論にオイディプス・コンプレックスのモデルを取り入れたり、バフチンにもそもそも闘争といった考えがその議論の根底にあったのに対して、バルトはそういった暴力性を取りれず、むしろエロティシズムという観点から現象を捉えている(p. 20)。

テクストの独創性を最重視し、影響ということを恥じるというような文学観にあっては、男性主義的な考えが蔓延していたと言えます。しかし、そういった考えは常に女性的なもの、あるいは他者におびえていたのです(p. 30)。間テクスト性という考えにとって、女性性は切って切りきれない関係があると著者は述べています。"The feminine is thus inescapable - and reveals itself in the practice of (intertextual) writing as an active, anti-organizational principle of artistic creation." (p. 33)

著者はこの論文のまとめとして次のように述べます。"The practice of intertextual interpretation is an attempt to struggle against both complicity and exclusion - perhaps something, some shifting of barriers, can thus be achieved even if, in general, none of our thinking can escape constructing identity against differences."

この論文では、20世紀以前のいわゆるキャノンに属するような作品にも間テクスト性の片鱗が見られることが具体的に指摘してあり、とても勉強になりました。間テクスト性とは20世紀に登場したものではなく、20世紀になって初めて本格的に認識されるようになったもの、と捉えることが重要だと思いました。

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2008年10月14日 (火)

廣野由美子(2007).『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』を読む(中央公論新社)

本書の詳細は次の通り。

廣野由美子(2007).『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』.中央公論新社.

感想:とても面白く読みました。前半は様々な小説技法の紹介が、後半は批評理論の紹介が行なわれていました。『フランケンシュタイン』に基づいて全ての説明が行なわれているので、とても議論が具体的で理解しやすかったです。『フランケンシュタイン』を読んだことがある人にとっては、格好の批評理論の入門書だと思いました。また、それぞれの項目を読むことで、『フランケンシュタイン』の意味理解も豊かにすることができました。扱われていた技巧は、冒頭、ストーリー/プロット、語り手、焦点化、提示/叙述、時間、性格描写、アイロニー、声、イメジャリー、反復、異化、間テクスト性、メタフィクション、結末、です。扱われていた批評理論は、伝統的批評(道徳的批評と伝記的批評)、ジャンル批評(ロマン主義、ゴシック、リアリズム、サイエンス・フィクション)、読者反応批評、脱構築批評、精神分析批評(フロイト的批評、ユング的批評、神話批評、ラカン的批評)、フェミニズム批評、ジェンダー批評(ゲイ批評、レズビアン批評)、マルクス主義批評、文化批評、ポストコロニアル批評、新歴史主義、文体論的批評、透明な批評、でした。

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S.Sonmez(2007).「An Overview of the Studies on the Use of Authentic Texts in Language Classrooms」を読む(『Third International Online Conference on Second and Foreign Language Teaching and Research, March 2-4, 2007』)

Sonmez, S. (2007). An overview of the studies on the use of authentic texts in language classrooms. Third International Online Conference on Second and Foreign Language Teaching and Research, March 2-4, 2007. "Coming Together": The Shrinking Global Village.

感想:この論文は、オンラインでたまたま見つけたものです。2000年以降の文学を使った外国語教育の研究が色々と言及されていて、面白かったです。具体的には、文学は初級及び中級学習者には難しいと言われていますが、初級学習者で教材として使ったとしても、説明文などを使った場合と英語力の有意差は生じない、初級学習者でも文学教材を使うことは可能である、初級学習者も文学テクストから得るものはあるしコミュニケーション能力の発達にも貢献する、といった報告がなされていました。また、文学を使った外国語教育の研究は、文学読解と言語発達の間に強い関係があることを示すことができていない、多くの研究は意見論文であり実証的な結果を示していない、第1言語での研究結果が主張の根拠に用いられている、といった学術的特色があることも指摘されていました。また、先行研究をliterature classroom research(スキーマ理論や読者反応理論を理論的背景とする)とlanguage classroom research(バフチンの考えを理論的背景とする)に分け、両者の関係の研究がなされていないことなども指摘されていました。その他、教室における文学テクストの役割や教師の役割についての研究もまとめてありました(ただし、私本人としては、特に重要な点は指摘されていなかったように思えます)。言及してある文献が新しいものが多かったので、新しい情報を手に入れることができ、とてもよかったです。

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2008年10月12日 (日)

L.Sterponi(2007).「Clandestine Interactional Reading: Intertextuality and Double-voicing Under the Desk」を読む(『Linguistics and Education』)

この論文の詳細は次の通り。

Sterponi, L. (2007). Clandestine interactional reading: Intertextuality and double-voicing under the desk. Linguistics and Education, 18, 1-23.

感想:この論文は、小学生で英語を母国語とする学習者が、1人で静かに読書をするように指示される中で、どのように他の学習者と読書を共有し、間テクスト性を構築しているのかを調査した研究です。なので、一見、教師の指示には従っていないということになるのですが、そこには学習者らなりの世界があるようで、とても面白く読みました。確かに、日本でも読書といえば静かに1人で読むものだという暗黙の前提がありますね。しかし、そういった抑圧の中で内々に学習者が級友と一緒に本について話をしているという情景はよく目にします。とても面白い論文だと思いました。多読の指導などが日本では多くなされていますが、こういった視点からの分析も面白いのではないかと思いました。

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2008年10月 9日 (木)

J.Holmes(2004).「Intertextuality in EAP: An African Context」を読む(『Journal of English for Academic Purposes』)

この論文の詳細は次の通り。

Holmes, J. (2004). Intertextuality in EAP: An African context. Journal of English for Academic Purposes, 3, 73-84.

感想:EAPでの指導ということですが、内容はかなり一般的な英語の指導に使えるものだと思いました。間テクスト性は、古いテクストから新しい意味が生み出されるプロセスと関係しており、EAPにおいてもその役割は重要なものと考えられています(古いテクストを変形し新しいテクストに組み込むというプロセスを経るため、リーディングとライティングにとって重要)。しかしながら、EAPでは間テクスト性はあまり表立って扱われてこなかったそうです。

著者は、ジャンルと間テクスト性両方の概念がEAPのリーディングとライティングにとって重要と考えています。"It is important to fit into the demands of the genre and to observe the requisite moves and components of the text.  It is also crucially important to incorporate previous writing and reading and present it in such a way as to create new meaning." (p. 80)次に、著者はEAPの中でどのように間テクスト性を指導していくか、その活動手順を示しています。それは、1. interpreting metaphor、2. traditional sayings、3. explaining advertisements、4. rewriting stories、5. writing a 'research report'、6. writing a study summary、というものです。2は、同じ内容の格言が違う言語ではどのように表現されているかを扱うものです。3は広告の表題を書き換えるという活動です。5は、ある主張を行なうために別のソース源からとってきた情報をテクスト内に組み込むという活動です。6は、自分の関心のある観点から論文をまとめる(ちょうど研究者が文献を引用するときのように)という活動です。5や6の段階になると、かなりEAPの色合いが濃くなっています。とても面白い論文でした。

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2008年10月 8日 (水)

J.Kristeva(2002).「"Nous Deux" or a (Hi)story of Intertextuality」を読む(『Romanic Review』)

本論文の詳細は次の通り。

Kristeva, J. (2002). "Nous deux" or a (hi)story of intertextuality. Romanic Review, 93 (1-2), pp. 7-14.

感想:この論文の最初では、クリステヴァがアメリカの客員教授に招かれて、とてもいい経験になったということや、アメリカの柔軟な研究姿勢についての賛辞などが語られています。次に、彼女が間テクスト性という概念を生み出していくその流れが示されていました。彼女はバフチンやバルトに最も影響を受けているようです。また、彼女は精神分析学が専門ですが、間テクスト性という概念は彼女の精神分析学の概念(境界といった概念が関連しているもの)とも多くの点で共鳴するものであるということが徐々に分かっていったそうです。間テクスト性は、読者(われわれ)を複雑で織り込まれた構造だけでなく、記号論的複数性へと常に立ち戻させる意味作用プロセスへと誘います。また、間テクスト性の中には常に主体に対する違反が含まれているということも指摘されていました。ここまでは、彼女の間テクスト性の議論で、特に目新しいものはないと思います。

次に、彼女はリファテールの間テクスト性について解説を始めます。リファテールは、意味は読者とテクストの相互作用の中から立ち現れると考えました。彼にとって、意味とは急に立ち現れる不安定な暴露とも言うべきものです。それは、ナンセンスやゆがみ、曖昧性、矛盾といったものの中でよく観察されます。テクストと読者は読みという行為の中で必要な調和といったものを形成することになります。それは、intertextual driveによって具現されるcompulsory reader responseという名の調和です。

リファテールとクリステヴァは、用いる概念の内容が類似しているという点と、間テクスト性のプロセスそれ自体を記述するという点で共通しています。しかし、前者は間テクスト性の概念に意図というものを持ち込んでいるのに対し、後者は無意識レベルでの話をしているという点で異なっていると彼女は述べます。

リファテールにとっては、読みとは、解釈プロセスの中で、テクストのmissing partや非文法性を回復し、整っていて文法的なテクストに復元しようという作業となります。そして、このことと関連して、間テクスト性は読者の能力という観点から議論されることになります。さらに、読者のパフォーマンスの適切性を判断できるようにするために、彼はテクストの外部にintertextを導入します。読者はテクストの欠けている部分を探そうとして読みます。これこそが間テクスト性のプロセスの出発点です。読者はintertextを最初は見つけることができないとしても、少なくとも何かが欠けている(何かintertextがある)ということは知っており、後になって偶然そのintertextを発見するとリファテールは考えています(もちろん、発見できないということも有り得ると思います)。欠けているテクストという、一見最も脆そうなテクストの1部分が、実はとても力を持っていて、テクスト内に何度も立ち現れ、常にテクストをネガティブな構造に仕立て上げているわけです。また、読者は、自由にテクストの外部を変更したり何かを加えたりすることはもはやできないとも彼は考えているそうです。そして、読者は既にテクスト内に埋め込まれている他者をつなぎとめる連結詞としての機能しかないと彼は考えているようです。

彼女のリファテールの説明はとても分かりやすく、以前Riffaterre (1990)を読んだときの理解を補うことができました。とてもよかったです。

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2008年10月 7日 (火)

D.Anagnostopoulos(2003).「Testing and Student Engagement with Literature in Urban Classrooms: A Multi-layered Perspective」を読む(『Research in the Teaching of English』)

本論文の詳細は次の通り。

Anagnostopoulos, D. (2003). Testing and student engagement with literature in urban classrooms: A multi-layered perspective. Research in the Teaching of English, 38 (2), 177-212.

感想:指導要領や教材がどれほどすばらしいものであっても、high-stakes test(テスト使用者に大きな影響を与えるテスト)の形式やtest specificationがよくないと、授業にも悪い循環を及ぼすということが示されていた論文で、とても面白く読みました。テスト形式やtest specificationは「よい読者」(そのテストで高得点が取れる読者=優れた読者)を規定するわけですが、その規定が狭いと、様々な負のウォッシュバック効果が現れるようです。この論文では、議論の対象となっているCASE(the Chicago Academic Standards Exam)が原因となって、教師が授業の中で"the definitions of reading as text reproduction and of readers as uncritical and minimally skilled consumers of texts" (p. 195)といった規定を行なってしまい、そのことが学習者の文学テクストに対する批判的読みを授業にはあまり関係ないものとされてしまっている様子(学習者が教材の文学テクストに含まれている差別的な側面を議論しようとしても教師はそれに一定の評価を示すが、結局はCASEでいい点で測定されるような読解を強調する様子)が示されていました。一連の議論のまとめとしては、"In short, while the district selected core works that could have prompted students to grapple with issues of race and racisim that continue to be of critical significance to our society, the district test worked to deny students the opportunities to do exactly this." (p. 207)という言葉が参考になります。ちなみに、CASEはその基となる指導要領と内容がかけ離れていたために批判され、2002年には取りやめとなったそうです(p. 207)。また、教師のジレンマとして指摘されていた点に、文学テクストに具現化された相反するイデオロギーや信念を反映した言語("social language" (p. 208))を扱えばテクストの詳細を再生する能力やテクストの内容理解を学習者に涵養するが、授業で対立が起ったり、教師の権威が弱まるという側面も同時にあるということが示されていました。

この論文の最後の箇所に重要な言葉がありましたので、引用しておきます。"Tests of literature inherently construct particular types of readers as they endorse particular types of readings, labeling some as "good" and others as "failing."" (p. 208)これは重要な点であり、よく肝に銘じておかなければならないと思いました。

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2008年10月 3日 (金)

J.Soalt(2005).「Bringing Together Fictional and Informational Texts to Improve Comprehension」を読む(『The Reading Teacher』)

本論文の詳細は次の通り。

Soalt, J. (2005). Bringing together fictional and informational texts to improve comprehension. The Reading Teacher, 58 (7), 680-683.

感想:学習者が文学作品を読もうとしても、その背景知識がないために内容理解ができないことがあります。そこで著者は、説明文とフィクションを組み合わせて授業で用いることを提案します(ちなみに、これは第1言語での読解指導についての論文です)。この指導法について提案されている意義は3点です。それらは、(1)フィクションを読む前に説明文を与えることで、背景知識を活性化させたり、背景知識自体を学習者に与える、(2)新出語彙を様々なコンテクストで経験させたり、同義語や同じ語の微妙に異なる側面を学習者に経験させ、語彙力を深めることができる、(3)好きなジャンル(説明文かフィクションの一方)から読み始めることで苦手なジャンル(説明文かフィクションの一方)の読解に入りやすくなる、です。こういった指導は、二つのジャンルの区別(説明文は世界の事実を伝え、フィクションは著者がそういった事実をどのように変形し、面白い虚構を作っているか)を明確にし、また誤用を防ぐ(フィクションの内容を事実に適用することなど)だけでなく、読解能力の向上をはかることも可能だと著者は述べます。

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