Starobinski (1971/1979)第5章
タイトル:In pursuit of the proof
感想:ここでは、ソシュールがアナグラムを偶然ではなく列記とした事実として提示しようとして色々と苦心していたことが示されていて、読んでいてとても面白かったです。ソシュールはアナグラムを偶然の結果と考えるか作家による意識的な技法と考えるかという二者択一の問いを立て、後者であるということを示すために詩人に証言を求めたりしていたようです。ですが、不思議なことに詩人がそのことを明言しているような資料というのはなく、ソシュールはなぜこのようにラテン語詩に広範に見られる技法(ただし、この技法というのは作者が満たすのみ苦心したものというわけではなく、差し障りもなく豊かな詩作へと彼を導く類のものと考えられていたようです)について沈黙され続けているのか、困っていたようです。結局、ソシュールは、アナグラムを偶然の所産と作家による意識的な技法の両天秤にかけたまま、研究を中断してしまいました(資料的には、むしろ偶然の所産と考えざるを得ないのではないかという諦めの立場を持って研究を中断したようです)。
著者によれば、結局ソシュールは次のようなことを認めざるを得なかったのではないかと述べています。それは、"the words of a work are rooted in other, antecedent words, and that they are not directly chosen by the formative consciousness" (p. 121)という点です。結局、言語の背後には言語しかないといういかにも構造主義的な考えですね。それ自体はパロールである詩的なメッセージは、ラングから借用した語とその背後にある語(アナグラム)両方から構築され、そこにはまさに言語しかありません。そして、著者は詩を次のように特徴づけています。"The poem is only the developed potential of a single vocable - a vocative which, to be sure, is chosen by the poet, but chosen as an ensemble of united capacities and obligations" (p. 121)。心理学意図を問うことは間違いであると著者は考えています。そして、1つの真理として、著者は次のような点を指摘しています。"the simple truth that language is an infinite resource, and that behind each phrase lies hidden the multiple clamor from which it has detached itself to appear before us in its isolated individuality" (p.122)。この英訳が出版された当時の流行を受けての言葉なのかなぁという気がしました。著者によれば、ソシュールはアナグラムに偶然でも意識でもないプロセスを見るべきであったと評しています。


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