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2008年1月29日 (火)

R.C.ホルブ(1984/1986).『「空白」を読む 受容理論の現在』第3章を読む①(勁草書房)

3章のタイトル:主要な理論家たち

感想:まずはハンス・ローベルト・ヤウスについて。先行者の関心が、哲学的、心理学的、社会学的だったのに対して、彼は文学と歴史の関係それ自体に源をもっています。彼に言わせれば、当時は文学の持つ歴史的な性格が軽視されており、歴史を文学研究の中心にすることが重要と考えていたそうです。彼は歴史学者フリードリヒ・シラー(フランス革命勃発直前になされた演説)に大きな影響を受けており、シラーをなぞって、「衝撃を与えること、「革命」が進行中であると告げること、そして、文学研究における旧体制(アンシャン・レジーム)の終焉を宣すること」(p. 88)と「過去の芸術作品と現在の関心を結ぶ肝要な環を取り戻すこと」(p. 88)を意図していたそうです。文学史に関しては、(1)ドイツ観念論による、事件と事実を順序通りに配列することを指導原理とした、目的論に基礎を置く歴史記述(ゲオルク・ゴットフリート・ケルヴィヌスによるもの)、(2)因果関係を説明原理とした実証主義によるもの(レオポルト・ランケによるもの)でジャンルによって規範を組織したり大作家のみを取り上げるのも、(3)文学的実証主義への反動である精神史(または観念史)、などがありましたが、いずれも文学と歴史を融和させることができなかったとヤウスは考えました。特に(2)のタイプに属すものに対しては、「評価」という問題をあつかうことができないし、客観性という概念は疑問があると考えたようです(これらの文学史家は質的な判断を回避する「美的禁欲」を実践しているとヤウスは述べています)。

ヤウスは歴史と美学の一体化を目指しているわけですから、マルクス主義とフォルマリスムが当然関わってきます。しかし、前者に対しては歴史主義-実証主義的(上記の(1)と(2)のタイプ)なものであり、既に時代遅れだと考えていたそうで、ジョルジ・ルカーチやリュシアン・ゴルドマンを批判しています。彼らは文学を外的世界を映し出す鏡としか扱っていないとヤウスは考えたそうです(著者はこの批判はあまり正当なものではないと考えています)。しかし、一報でヴェルナー・クラウス、ロジェ・ガローティ、カレル・コーシクらの効果と受容という問題に対する感受性を認め、マルクス主義が自らの体系と両立しえることを認めています。一方、フォルマリスムに対しては、美的受容という観点を導入したことを高く評価しています(ただし、芸術至上主義的な方向に向かうという点は批判しています)。実際、トゥイニャーノフやエイヘンバウムによって進化の概念が文学の連続性に応用されました。しかし、フォルマリスムの文学史は文学の中だけに閉じこもり、もっと全般的な歴史との関係付けができなかったというのがヤウスにとっては問題であったようです。ヤウスにとっては、マルクス主義とフォルマリスムのいい点を統合することであり、新しい文学史は、「美的受容の分野におけるフォルマリスムの効果を保ちつつ、歴史の媒介を求めるマルクス主義の条件をみたすことによって、たっせいされることになるだろう」(p. 93)と著者は述べています。

この両者を統合するために、ヤウスは「読者もしくは消費者のパースペクティヴから文学を眺める姿勢」(p. 93)を重要なものと考えます。彼が提案した「受容美学」という考えは、「文学は、生産および受容名からなる弁証法的な過程として取り扱われなければな」(p. 93)りません。こうすることで、「ヤウスは、文学をより広範な出来事の過程に位置させることによって、マルクス主義のいう、歴史の媒介という条件に応えようとしているのだ。その一方で、彼は、自らの関心の中心に知覚する主体を据えることにより、フォルマリスムの成果を保持している」(p. 94)と著者は考えています。そして、ヤウスが思い描く文学史とは、「過去と現在を意識的に媒介する役割を果たすような歴史記述」(p. 94)となり、「単に伝統を所与のものとして容認する代わりに、文学の歴史家は、規範(カノン)に属する作品について、それが今日の状況にどのような影響を与えまたどのような影響を与えられるかを明らかにすることにより、絶えず再考を続けるよう要請されている」(p. 94)ことになります。こうして、彼の文学史に関しては、シラーの理想を保っていると著者は考えています(p. 95)。

歴史と美学、つまりマルクス主義とフォルマリスムの統合は、「期待の地平」という概念の導入によって成就されることになります。これは、ヤウスにとって方法論上の中心概念です。しかし、「期待」という概念や「地平」という概念は、当時のドイツの文学理論界や哲学界ではありふれた用語であったようです。しかし、ありふれているがゆえにか、概念の定義づけが曖昧になっています。著者は、「間主観的な体系あるいは期待の構造、「言及の体系」というか仮説上の個人が所与のテクストにあてはめる思考態度であるらしい」(p. 96)と述べていますが、やはりその定義の曖昧さには問題があるそうです。また、ヤウスは客観主義に傾倒しているという問題があります。客観主義自体が問題なのではなく、ヤウスが解釈学的(経験主義的)な前提と矛盾してしまっている点が問題だと著者は考えています。ヤウスの言う地平の客観化については本書に詳しく書かれているので、ここでは割愛しますが、とにかく地平という解釈学的なものを、テクスト言語学の証拠など客観的なものに還元しようとしていた点が問題となっています。更に、期待の地平において、作品を評価する場合、「新しさ」「差異性」が唯一の批評基準になってしまっているという問題もあります。過去の時代は過去の作品との近似性が重視された時代もあるのに、近似性については見向きもされていません。著者に言わせれば、「差異性」だけに目を配るのはロシア・フォルマリスムの議論にヤウスが基づいているからであるが、「目新しさを強調することは、現代における先入主」(p. 102)に過ぎないと述べています。

ヤウスは文学史を考えるにあたっても、フォルマリスムの概念(通じ的な文学の系列という概念)にかなり依拠していたそうです。フォルマリスムの利点としては、年代順以外の方法で美的カテゴリーを結びつけることができること、目的論的な操作(仮説上の終局点から逆に遡って出来事を配列すること)を根絶して新しい形式の弁証法的自己産出が主張できること(しかも、作品の選択の批評基準が単純化できる)、芸術的な異義と歴史的な意義の統合ができること(これは、フォルマリスムが目新しさを美的な批評基準であると同時に歴史的な批評基準であるとみなしていたから)、があるといいます。しかし、最後の点に関しては著者は虚妄に過ぎないと考えています。なぜなら、歴史的なものを美的なものとの関連において定義しているにすぎないからだと述べます(つまり、歴史的なものは美的なものであるとみなしているから、前者を後者の関係で定義できるのであって、そのような前提がなかったら、このような考え方はできない)。しかし、ヤウスはこの問題点はあまり重視せずに、他の点においてフォルマリスムの考えに不満を感じていたそうです。それは、「構造、仕掛け。あるいは形式の変化を記述するだけでは、歴史的な系列のうちにおける所与の作品の機能を描き出すにはじゅうぶんではない」(p. 103)というものでした。そこでヤウスは「経験」という概念を導入したのですが、これは主観的で曖昧な批評基準であり、問題があります(それに、このように移ろいやすい概念を導入すると文学史は常に変化するものになり、とりとめがなくなってしまいます)。それに、彼は過去の地平を客観かしたいと考えているのに、このような概念を導入してしまっては、自己矛盾をきたしてしまいます。

また、ヤウスは通時制の概念は共時的な相によって補われなければならないと考えていました。文学史家は経験から選別された特定の時間の「断面図」を作る必要があり、その断面図を前後の時代の断面図と比較することで「文学的な構造の変化が所与の時代にどのように分節化されるかを確定することができる」(p. 104)と考えていました。このようなことを行なうためにヤウスはジークフリート・クラカウアーの「歴史上のある瞬間における同時的なものと非同時的なものの混交もしくは共存という概念」(p. 105)と構造主義言語学(特にヤコブソンとトゥイニャーノフ)による言語学の文学への応用研究を使ったそうです。後者の方法を使えば、文学史を効果の歴史として考えることができ、「「生起から浮かびあがってきたもの」、「現在に立脚したパースペクティヴから、文学の連関を現在の文学現象の前史として構成する」ものに基づいて文学史を作ることができるとヤウスは考えたそうです。

しかし、このようなヤウスの考えは、まだ文学史が文学の領域にとどまっていることを示しており、社会の発展とは無関係に理解できるということを暗に意味してしまっています。ヤウスは文学の歴史と一般の歴史の関係について色々と模索しました。第一の処理方法としては、両者を対立させようとします。このために、文学は構成の人に新たに受容されないと作用を与え続けることができないという点で文学は歴史と異なると述べようとしました。しかし、著者はこの基準はあまりにも単純すぎると考えており、現にヤウスもこの問題点は認識していたようだと述べられていました。また、文学には「語りかける」という特別な機能があると述べましたが、これも批評基準としてはうまくいきませんでした。もう一つの両者の関係の処理方法では、前者は後者に影響を与えるということを指摘しました。この処理方法の中では、ヤウスは社会形成的な文学の機能を強調します。「それは、社会的な組み立てとして、文学的な規範および価値を含むばかりでなく、願望、要求、目標をも含むことになるのだ。かくして、文学作品は、「他の芸術形式を背景とするとともに、充ち上の生活経験を背景にして」受け容れられ判断されるようになる。この能力により、作品は、受容の過程で積極的な役割を果たし、社会的な因襲を内容・形式の両面から疑問に付し改変する可能性を獲得する」(p. 108)と著者は述べています。文学を使って社会に何らかの働きかけを行なおうということは、作家は常に願望として抱いてきたし、実践してきたことなのですが、学者達は不幸にも見逃してきた側面であると著者は指摘します。

しかし、ヤウスは「挑発としての文学史」執筆以降、彼がその論文内で述べたことから離れていくことになったそうです。彼は、読者とテクストの相互作用や歴史への関心をまだ持っていましたが、議論の中のロシア・フォルマリスムの役割は小さくなり、期待の地平という概念はほとんど登場しなくなってしまいました。このような状態に至った一つの理由は、アドルノをはじめとする否定性の美学への疑問からでした。アドルノの理論に対して、ヤウスは、「芸術作品がそれを生み出した特定の社会を否定するときにのみ、社会に対して芸術の果たす肯定的機能を認めようとしている」(p. 111)点(つまり、「肯定的かつシンポ的な文学を容れる余地を持たない」(p. 112)ことになり、芸術や文学が自律性を達成する前の芸術に対する実際的・伝達的な機能や規範の形成に関わる機能を正当に扱うことができない)、芸術と快楽あるいは幸福の間に根本的な断絶があるとする点、に対して異義を唱えています。これはアドルノだけでなく、『テル・ケル』やロシア・フォルマリスム、そしてヤウス自身が自ら行なった美的経験の記述に対しても該当することであり、ヤウスは過去の自分の記述に問題があったことを認めています。

否定性の美学に対して、ヤウスが提出するのは根源的な美的経験です。快楽といったものが芸術の根源にあると彼は考えたのでした。この概念は、芸術への嗜好にとっては重要な概念であり続けてきましたが、1920世紀にその異義が失墜してしまいました。「かつて美的経験は、正当な認知および伝達の機能を有するものとされてきたが、近代以降の芸術と理論は美的経験からそれらの役割を奪い去り、快楽を、偏狭で外見だけを取り繕った中産階級特有の文化的姿勢に帰属させたのだった」(p. 116)と著者は述べていました。もちろん快楽についてはバルトも扱っているのですが、ヤウスは依然として否定性の美学に強い執着を示しているようだと述べています。ヤウスは、美的快楽に関するモリッツ・ガイガーの著作を流用したルートヴィヒ・ギースと想像的なるものをめぐるサルトルの議論を援用しながら、美的経験はふたつの局面から成るということを述べます。「第一の局面は、すべての快楽にあまねくあてはまるものだが、そこでは、媒介を経ない直接的な形で、自我が客体に身をゆだねるさまが認められる。第二の局面は、美的快楽に特有のものであるが、「客体の経験を括弧にくくり、そのことによってそれを美的なものとする位置に立つこと」からなっている。美的な姿勢とは、したがって、観察者と客体とのあいだに距離を置くことを含意している。そして同時に、このような美的距離は、ヤウスにとっては、意識による創造的行為を意味するものである」(p. 117)。

ヤウスは、美的快楽という言葉を使うことで、「主体とのあいだの往復運動ばかりでなく、「理解することの楽しみと楽しみながらの理解との根源的な一体性」をも強調しようとして」(p. 118)います。言い換えると、美的「快楽は、その認知的・実用指向的な機能から分離されるべきではないということ」(p. 118)になるそうです。そして、ヤウスは美的快楽の3つの基本的なカテゴリーとして、ポイエーシス、アイステーシス、カタルシスを歴史的に分析していきます(本書では、それぞれの概念が歴史の中でどのように発展していったのかがまとめられていますが、ここでは割愛します)。ポイエーシスとは、「美的経験の生産的側面、すなわち、個人の創造的能力を応用することから派生する快楽」(p. 118)です。アイステーシスとは、「美的知覚と定義され、いうならば、美的経験の受容的な側面」(p. 120)です。カタルシスとは、「芸術と受容者のあいだのコミュニケイションを司る構成要素」(p. 123)であり、美的に解き放たれた観察者と芸術における非現実的対象とのあいだの往復運動ないし相互作用とも言えるそうです(p. 124)。この相互作用の形式として、ヤウスは、連想的、称揚的、共感的、カタルシス的、アイロニカル、という5つのパターンを指摘しています(p. 124-126)。

しかし、ヤウスの後期の研究である美的経験に関する議論は、彼の前期の受容美学や挑発、期待の地平といった概念ほどには影響を与えることができていないそうです。その理由として、後期の議論の仮説(芸術の根源に快楽を位置づけること)そのものに挑発性がない、後期の著作は形式的にかなり厳格になっている、学生が理論上の革命に参加することに関心を抱かなくなった、文学研究者が文学研究の妥当性を回復しようと熱心になることがなくなった、大学自体が改革や変革に関わらなくなった、といったことが挙げられています。しかし、著者はヤウスの自己批判的な研究は賞賛すべきものであり、美的経験がいかに蔑ろにされてきたかを示すという点でも彼の後期の研究は重要なものであると述べています。

僕自身は、ヤウスの後期の研究についてはほとんど知らなかったので、とても勉強になりました。また、彼の議論の変遷も理解することができ、よかったです。

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2008年1月21日 (月)

V.シクロフスキー(1966/1972).『革命のペテルブルグ』を読む(晶文社)

本書の詳細な情報は次の通り。

シクロフスキー,V.(1972).『革命のペテルブルグ』(水野忠夫(訳)).晶文社.(原著は1966年出版)

感想:本書は、シクロフスキーの幼少時代から青春時代の回想録です。僕は文学理論の内容を期待して呼んだのですが、本の大半の部分は戦争のことや生い立ち、革命のことなどで占められていました。また、未来派の詩人(マヤコフスキーやフレーブニコフ)、恩師のボドゥエン・ド・クルテネ、オポヤズのメンバー(トゥイニャーノフ、エイヘンバウム、ポリワーノフ)、ゴーリキー、ブロークなどの話も随所に出てきます。彼らは、特にシクロフスキーが本書で文学理論や文学史の話をしているときに頻繁に出てきます。こういったメンバーと親しい交際をする中で彼の文学理論を発展させていったようです。

文学理論に関わる部分は、「クラカウ・アカデミー会員、ボードワン・ド・クルトネ」、「未来派についてもっと詳細に」、「本を出版する」、「十月革命後のオポヤズ」というサブ・セクションです。学術書ではありませんので、説明が簡素すぎたり、どこまで彼の叙述を信じていいのかという問題がありますが、シクロフスキーがどのような思いで当時の文学ないし文学理論の発展を見ていたのかが知れて、とても面白かったです。シクロフスキーは、クルテネ、エイヘンバウム、トゥイニャーノフ、未来派の詩人を非常に高く評価していたようです。

ボードアン・ド・クルトネは、スラヴ言語を素材として一般言語学の問題を考えました。彼は、言語媒体を直接観察するためには書物から自由になる必要があると考えていたそうです。従来の文献学では、音、思想は忘れられてきたとクルトネは考えたそうです。クルトネは、「存在するのは《音》ではなくて、一連の同種の音響的印象によって発生する心理的源泉としての音素である」(p. 152)と書いていたと著者は述べています。クルトネと彼の弟子達(レフ・ヤクビンスキー、エヴゲニー・ポリワーノフ、セルゲイ・ベルンシュタイン、セルゲイ・ボンジ、ダヴィド・ヴイゴツキー)は未来派を中心に同時代の文学にも関心を持っていました。シクロフスキー自体は、立体未来派の作品(言葉そのもの、自己目的である言葉を提起していた)に傾倒していたそうです。クルトネに関してはあまりアカデミックな内容のことは記されていませんでしたが、彼がどのような人物であったのか、その人間像を垣間見ることができ、とても面白かったです。

「未来派についてもっと詳細に」では、マヤコフスキー、フレーブニコフ、ブリューク、ブローク、エセーニンなどの言行が紹介されています。また、ブルリューク兄弟が出版した文集に寄稿した作家達が《ギレヤ》グループと名乗り、その後彼らが《未来人》という名を採用し、未来派となっていったということが書かれていました。

「本を出版する」では、オポヤズの活動が中心的に書かれていました。彼らは「詩的言語と散文の言語とは同じものではなく、詩的言語には独自な機能があり、表現手段にたいする志向が詩的言語を性格づけている」(p. 172)と考えていたそうです。このグループには未来主義者やクルトネの影響を受けた若い言語学者達から構成されていました。オポヤズは、自己の文学概念をシンボリスト達(ブリューソフ、ヴャチェスラフ・イワノフ、アンドレイ・ベールイ)の理論に対置しました。著者は、シンボリストの理論に関して次のように述べています。「彼らの理論によると、文学作品に重要なことは、生活機構を一連の対応物に転化させることであった。シンボリストは自然を描こうとはせず、自然が隠してしまったものを描こうと望んでいた。光の源泉を置きかえながら、シンボリストは一連の影と反射を秘密の発見であるとみなしていた。シンボリストは「秘密」を、単なる世界の謎解きではなくて、世界そのもの、世界への入り口であると考えていた。一連のシンボルは、隠され、超越的で、秘められた神秘的な人生の意味の開示とならなければならなかった。」(pp. 173-4)。ちなみに、著者はアクメイストに関しては「現実の生活、エキゾチックで粗野な生活、あるいは親密さも使い古されていなかったためか、親密な生活にもどるよう呼びかけていた」(p. 174)と述べ、シンボリストとは反対の立場を取っていたと脱線気味に述べています。また、ここではブロークがシンボリスト的な要素を持っていたものの、シンボリストを超えていたということも指摘されていました。オポヤズは、「発展する芸術のさまざまな現象のなかに共通する法則を明らかにしようと努めていた」(p. 177)そうですが、自らを形式主義者(フォルマリスト)と名乗っていたわけではなかったそうです。ただし、シンボリストと違って、「イメージの影に存在するものを見ようとはしなかった」(p. 177)そうで、「ただ詩だけが存在すると主張していたかのようだった」(p. 177)と著者は述べています。最後に、著者は、シンボリスト、アクメイスト、オポヤズについて次のようにまとめています。「シンボリストの詩学はきわめて技術的な一連の観察を与えたが、しかしいつでも、詩学から出発して神秘の支配する行程へ入りこもうと努力しつづけていた。(改行)アクメイストは自己の詩学を創造しなかった。(改行)オポヤズは未来主義者ともっとも密接に結びついていたが、もっと正確に言うと、最初のうちは彼らと結びついていただけだったが、間もなく、形式自体の要求にもとづいて変化する文体の法則を共同して確立しようと試みながら、文体について共通の課題を追求しはじめた。」(p. 178)。シクロフスキーは、オポヤズを保守派であると考えており、「日常的なもののなかに非日常的なものを見たい」(p. 178)と考えていたそうで、「生活の新しい本質を見たい」(p. 178)と考えていたそうです。また、オポヤズの会員は皆、十月革命の革命側に立ったそうです。ここでは、他にはどのような本をオポヤズが出版したかといったことについても述べられていました。

「十月革命後のオポヤズ」では、まず革命後、オポヤズは公認され、学術団体として登録されたということが述べてありました。当時はいかなる行政的な障害も受けなかったそうです。しかし、こういった「いい時期」は、マヤコフスキーが主導するレフへ指導的メンバーが移ったことで終わったそうです。ヤクビンスキーは、オポヤズの古くからのメンバーで、クルトネの弟子です。ヤクビンスキーは「「詩の言語」の音響的側面が、言語の詩的機能とはべつの方法で組織されていることを証明しつつ、さまざまな機能をもつ言語を区別しようと試みていた」(p. 198)そうです。1919年に彼が書いた論文では、「詩的言語の思考においては、音は意識の澄みきった領界に泳ぎこみ、これと関連して音にたいする情緒的な関係が発生し、その関係が今度は詩の《内容》と詩の音のあいだにある一定の依存関係を確立し、発声器官の表現力に充ちた動きもまたそれを促進させるのである」(p. 198)と述べています。ヤクビンスキーは早い時期にオポヤズを離れ、マールとともに言語学を研究し、レニングラードで教えていたそうなのですが、マールの学説に幻滅し、マルクス主義の言語学を確立しようとして、困難な闘争を行なったそうですが、彼の研究は長い間日の目を見ることはなかったそうです。次にエイヘンバウムについて述べられています。彼はゴーゴリの文体論を行い、語りの言語形式について研究をし、語りの言語形式が主題を明確にし、「作家は、独特な過程のなかで証人として発言するかのような主人公の思考方法を伝えつつ自己を表現していた」(p. 201)といったことを示してみせました。そして、分析の重要性を伝え、結論とは外部から持ち込むのではなく、分析の中で生まれるものであるということを強調しました。しかし、オポヤズはエイヘンバウムの研究を誤謬してしまい、見取り図を正しく観察することができなかったそうです。オポヤズは、内容と形式の統一に対する新しい確信(これがエイヘンバウムがもたらしたことだと思います)に行き着くことができなかったそうです。次はトゥイニャーノフです。彼はもともとは作家として活躍していたそうで、文学史は彼の専門ではなかったそうです(これには驚きました)。彼は、様々なイデオロギーに文学形式が利用されることを指摘し、この指摘によってふぉ不磨リズムを論破したかのようだったと著者は述べています(p. 207)。トゥイニャーノフは、文学形式は類似を求めて進むことはできず、むしろ歴史の弁証法による文学形式の切り替えによって進むと考えていたそうです。次はポリワーノフです。彼は革命後、マルクス主義の立場に基づいて、マールと論争をしたということが述べられていました(p. 211)。セルゲイ・ベルンシュタインについては、音声学の古めかしい研究に対する不満を持って詩について論じ、ボードワンの理論を説明していました。その他、セルゲイ・ホンジ(詩の研究をしていた)とボリス・カザンスキー(オポヤズに古典文献学の伝統を提起)、ナジェージダ・コンスタンチノヴナ・クループスカヤについても簡単に触れられていました。当時、オポヤズは、「文学形式の交代をすでに寿命のつきた形式の老朽性、形式の自己運動化によって説明していた。(改行)当時のオポヤズのメンバーの意見によると、新しい形式は、古い、規範化されない芸術現象のなかから突如として現れるのだった。芸術は独自のパラボラ・アンテナに閉じこめられていた。この作業は内容と形式を分離させながら、現象発展の観念論的な情景を与えた」(p. 214)と考えていたそうです。また、オポヤズの理論と実践(分析や作品創作のこと?)を同一視してはいけないということも述べられています。最後に、オポヤズの仕事が行政的処置によって中断させられたというのは有名な話ですが、シクロフスキー自身は中断と考える必要はないと述べています(p. 215)。オポヤズのメンバーたちは、分析の中で研究対象(おそらく文学形式のことではないでしょうか)は思ったよりも多用ではなく、むしろ類似しているということを発見したり、分析方法を使い果たしてしまった結果文芸学を離れていった(ある者は言語学へ、またある者は文献学にといった具合に)というふうに述べています。つまり、オポヤズの中断は必然であったということでしょうかねぇ。オポヤズのメンバーはマルクス主義へと到着したあと、文芸学へ立ち帰ることはしなかったそうです。

また、「十月革命後のオポヤズ」のセクションで、シクロフスキーは多くの誤解をしてきたということを告白しています。その中で、有名な非日常化(トラネーニエ)の話が出てきます。彼はトルストイにこの概念を適用したことは正しかったが、間違って一般化されてしまったと述べています。彼にとっては、「非日常化とは、一連の習慣化されたものの外側にある対象を示し、それにたいする他の領域から導入された新しい言葉を用いて物語ることにほかならない」(p. 209)のだそうです。

本書は、専門的な内容は少ないものの、有名な研究者や作家とのエピソードなどもふんだんに盛り込まれており、貴重な情報を得ることができました。ただ、本書を読破するのは結構根気がいったような気がします。

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2008年1月17日 (木)

山田雄一郎(2005).『英語教育はなぜ間違うのか』を読む(筑摩書房)

本書の詳しい情報は次の通り。

山田雄一郎(2005).『英語教育はなぜ間違うのか』.筑摩書房.

感想:この本は、僕の近辺ではかなり反響を呼んだ本で、ずっと読んでいなかったのですが、今回拝読させてもらいました。序章は、「ことばは武器か」というタイトルです。まずグローバル・リテラシーという概念が導入され、この概念が英語と結び付けられてきたということが指摘されます。

第1章は、「「国際化」=「英語化」?」というタイトルです。internationalizationという言葉が「何かを多国間の共通の土台に上げること」という意味しかないのに、日本では国際化という言葉が意味が曖昧なまま一人歩きしているという状況を指摘します。その中で国際人という言葉も考案されてきました。しかし、この語は「教養」と「語学力」を身につけているというニュアンスがあり、英語のcosmopolitanとは意味が違っています。日本は、国際化、国際理解、国際人など、何かにつけて物事を英語と結びつけて考える滑稽な傾向があるということが指摘されていました。また、特に国際理解に関しては、本来は学習の結果としてなされるものであるはずなのに、無理やりに教材化し(国際理解を特定の習慣の単なる束にしてしまうこと)、しかもそれを英語と結び付けている点は非常におかしいと著者は指摘しています(著者は国際理解という授業はあまり意味がないと考えています)。国際化はものの見方や認識の問題だと著者は考えています。

第2章は「バイリンガルになりたい!」というタイトルです。著者はCumins and Swain (1986)の共通基底能力モデル(Common Underlying Proficiency)を下にして、バイリンガルの言語能力をモデル化します。そこで述べられていたのは、人のパフォーマンス(表層)は目に見えない様々な言語知識(深層)に支えられていること、表層と深層が合わさったものが言語能力であるということ、でした。著者は表層の部分だけに的を絞った英語教育ではいけないと考えています。人は言語を直接経験と間接経験を通して獲得し、言語知識には世界認識が広がっています(著者は特に間接経験を重要なものと考えています)。そして、外国語学習の最も大事なことは、他言語に触れることで、その言語の特徴の背後にある世界観の違いに気づかせることだと著者は述べます(p. 83)。そして、バイリンガルは両方の文化の違いを共通基底能力内に内蔵し、共通基底能力自体を変容させていくと著者は考えています。

第3章は「英語公用語論と日本人」です。英語公用語論は、かつて世間を席捲しましたが、この論には決定的な問題がいくつかあったと著者は述べています。その一つが、英語が日本国内で果たす役割について明確化されなかったことだと述べています。著者は、様々な国の事情と比較しながらに本の英語公用語論がかなりつめが甘かったものであることを論証していきます。

第4章は「小学校に英語を!」です。ここではヨーロッパ言語年(European Year of Languages)の話も出てきて(p. 128)、とても興味深い議論が展開されていました。他の国の他言語政策は必然性があるもので、常に近隣の言語を対象としていますが、日本の多言語主義はアジア近隣の言語のことはほとんど考慮せず、西欧の言語のみを対象にしているという点(p. 136)を著者は問題視しています。また、小学校の英語教育を実施するのであれば、中学校の英語の前倒しでなければならず、国際理解教育などというようなものであってはならない、つまり授業の目的が英語の力をつけることでなければならない、と考えています(国際理解は授業の結果として付いてくるものです)(p. 147)。ここでは、著者の考える小学校英語教育の在り方について議論されており、著者自身の考えも提示されており興味深いです。

第5章は、「熱烈歓迎!ネイティブ・スピーカー」です。JETプログラムの話を中心としながら、日本人の「ネイティブ・スピーカー」(とりわけ白人)信仰の滑稽さと、ETプログラム自体の募集条件自体の問題から起因する学校英語教育の問題が議論されていました。また、ネイティブ信仰が形成されるに至った経緯を教授法史の観点から議論されていたのがとても面白く、勉強になりました(古代からCLTの時代まで)。19世紀に文法訳読式教授法の登場により、ネイティブ・スピーカーは立場は低迷するのですが、19世紀末のナチュラル・メソッドや直接教授法(具体的にはベルリッツ式やトゥッセン・ランゲンシャイト式)によって息を吹き返します(これらの影響は現在は英会話学校に引き継がれています)。しかし、集団教育には不向きであり、その時点でネイティブ・スピーカー信仰が始まったわけではありませんでした。結局、ASTP(これは少人数制ではあるがネイティブ・スピーカーを組織的に利用した)とオーディオ・リンガル法によってネイティブの役割が明確化し(インフォーマントとしての役割(ASTP)、ネイティブ・スピーカーが話す言葉をその言語と規定する(オーディオ・リンガル法))、神話が出来上がります。チョムスキーによって言語観は変化しますが、ネイティブ・スピーカーの立場自体が低迷することはなく、今日に至っています。著者は最後に、ネイティブ・スピーカーの活用法を二点挙げています。それは、(1)すべての英語教師がネイティブ・スピーカーの利用法に関する訓練をうけること、(2)英語教師を他の国の英語教師と交換し、お互いに違う国で英語教育に従事する制度を作ること、です。

第6章は、「英語は教えられるのか」です。ここでは、英語は結局、学習者自体が獲得しなければならないものであり、教師や学校はその手助けをすることができるだけだという立場を明確化しています。また、日本は英語を必要としない社会であり、英語を生活の言語とするかどうかは個人の問題であるはずなのに、なぜか社会の問題(あるいは英語を生活の言語にしようとすること)にしてきたと指摘されています(p. 218)。最後に、著者は言語の様々な側面についてのオススメの学習法を紹介していました。著者の学習法のキーワードとしては、暗記をしないこと、短期集中を目指すこと、負荷をかけすぎないこと、が挙げられており、これらの大きな原則をもとに、発音、語彙、文法、リスニング、スピーキング、リーディング、ライティングの学習法について述べられていました。

本書は、日本の英語教育を少し距離を置いて見てみたときに見えてくる、滑稽な社会的な状況が明るみに出されており、とても面白かったです。これまで、英語教育をあまり社会的な視野から考えたことがなかったので、とても勉強になりました。

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2008年1月 8日 (火)

R.C.ホルブ(1984/1986).『「空白」を読む 受容理論の現在』第2章を読む⑤(勁草書房)

感想:ここでは、第2次世界大戦以前になされた、文学の社会学の研究者が紹介されています。一人目は、レオ・レーヴェンタールで、彼は社会構造のうちにける心理社会学的な特徴を追求する必要性を主張しました。特にフロイト心理学を基にしていたようです。レーヴェンダールの受容に関する考えとして、著者は「社会的に条件づけられるとともに、心理学的に条件づける力であり、イデオロギーであると同時にイデオロギーへの抵抗であり、欲求の充足と充足の転位をふたつながらに意味するもの」(p. 79)と述べています。

二人目は、ユリアーン・ヒルシュです。著者は、受容の問題には社会学と心理学を考慮すればよいというわけではなく、歴史といった問題も考える必要があると考えています。ヒルシュは、まさに歴史という観点から受容に関する興味深い議論をしているといいます。彼は名声はなぜ、そしてどのように生まれるかということを研究テーマとしてます。そして、名声というのは客観的に存在する客体なのではなく、所定の個人に名声を付与する人物あるいはグループによる主体の観点から考える必要があるということを説きます。名声とは大衆による認知であり、特定の制度(学校や出版など)が更に名声というものを作り上げていくと考えています。彼の功績について、著者は次のように述べています。「単に、ある作品あるいは個人の効果が、その効果の波及の歴史から切り離せないものであるとか、社会的な条件が、われわれの行なう評価と、ひいては、その影響力をあらかじめ決定づけているということにとどまらない。それとともに、彼が論証しているのは、過去の個人に関するわれわれの判断が、その現象学的な形式、過去あるいは現在におけるあり方よりはむしろわれわれに対する現れ方に基礎を置くものである事実なのだ」(p. 81)と述べています。このヒルシュの立場は、受容理論の立場とも似ているし、ガーダマーの効果の歴史とも似ていると著者は考えています。「それは、事件と個人の客観的記述の代わりに、それらがわれわれにとっての事件となり個人となる生成の歴史を考察しようとすること」(p. 82)になります。

三人目は、レヴィン・シュッキングです。ヒルシュの考えは文学史にも大きな影響を与える力があったものの、実際に文学史に影響を与えることはなかったそうです。そんな中、シュッキングが文学史の新たな考え方を提示しました。彼は、趣味の考察が非常に大事であると述べます。ここで言う趣味とは、「人間の哲学的生活の全体が反映され、あるいは程度のいかんを問わず、その人間の存在の内奥がかかわってくるような形での、芸術への関係」(p. 83)を指しています。趣味は、時代によって変化し、評価、特定の作家や作品の規範化をもたらし、その時代に書かれた文学全体の源にもなっています。シュッキングは、趣味の歴史あるいは趣味の形成を文学史家が第一に取り上げるものだと主張します。言ってみれば、「一般大衆とその嗜好、そして読書習慣を理由づける要素をさぐること」(p. 83)が文学史の研究となります。重要なのは作者は作品ではなく、消費者と消費の生じる諸般の事情となるわけです(p. 86)。そして、図書館や出版社など趣味のあり方を左右する特定の制度の重要性を強調しています。彼は、趣味の変化を生じさせる要因にも様々なものを考えています(p. 84を参照のこと)。彼は、支配的な趣味がどのようにして決定するかということについても考察しており、著者はこの点を最も重要なことと評価しています。趣味は社会文化を支える層(趣味を普及させる者たちの集団)に支えられており、芸術はこの層による趣味の普及に依存しています。そして、芸術はその層が掌握している権力の程度に依存しており、古典も結局は権力の座にある人々によって選択された作品ということになります。そして、規範として勝ち残ったものが、規範的なものとみなされるようになっているにすぎないということになります。当時、ここまでの議論がなされていたとは僕はとても驚きました。

しかし、残念なことに、文学の社会学はあまり着目されませんでした。事実、第2次世界大戦後、西ドイツでは旧態然とした研究がなされたそうです。しかし、若手の研究者が従来の方法に代わるものとして、社会学的な関心を抱くようになったそうです。まだまだ作家や作品に主眼を置くものであったとは言え、出版市場、一般大衆、読者の社会学といった点が強調されるようになったそうです。しかし、受容理論は決して文学の社会学の流れをひくものではないそうです。もちろん、関心を共有してはいるものの、両者に直接的な因果関係や影響関係を見るのは間違いであると著者は述べています。

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2008年1月 7日 (月)

大津由紀雄(2004).『英文法の疑問 恥ずかしくてずっと聞けなかったこと』を読む(NHK出版)

本書の詳細は次の通り。

大津由紀雄(2004).『英文法の疑問 恥ずかしくてずっと聞けなかったこと』.NHK出版.

感想:本書は一般向けの本ですし、特に新しいことはなかったのですが、文法それ自体や英文法を取りまく問題をとてもコンパクトにまとめてある良書です。私が読んでいて面白いと思った指摘を羅列していくます。

1. 感覚動詞は主語が省略できる(p. 34)

2. 従属節では主語は省略できない(p. 35)

3. 不定詞の「不定」は主語によって形が変わらないという意味である(p. 53)

4. 不定詞のtoは前置詞のtoを語源としているため、同じ「~すること」でも、動名詞と違って未来的な意味が出てくる(p. 62)

5. 分詞は動詞であるにもかかわらず、形容詞の働きに参加する(participate)という意味である(p. 67)

6. 「分詞構文は主文(主節)で語りつくせなかったことを補うためのもの」である(p. 70)

7. 冠詞をめぐる異分析の話(anとaの話)(p. 74)

8. 冠詞が生み出す意味の違い(p. 82)

9. 限定詞は2つ以上重ねてはいけない(p. 86)

10. 仮定法と直説法の違い(p. 94)

11. 仮定法現在(subjunctive mood)がまだかすかに残ってはいるものの、動詞の形だけで表わす仮定法はもう英語では消えかかっている(pp. 100-101)。

12. had betterに含まれる脅しの意味(it would be better for you toを変わりに使うことを推奨)(p. 110)

13. be permitted toなど、助動詞と同じ意味を表わせる表現について(p. 115)

14. couldとwere able toの違い(p. 117)

15. 時制をスチルカメラ、ビデオカメラ、広角レンズを使って説明している点(第15話と第16話)

16. 能動文と受け身の非対称性(意味の違いや能動文にできない受け身文の存在(unknownやunexpectedを使った文など))(第17話)

17. SVOO構文とSVOtoO構文の意味の違い(p. 143)

18. 情報の流れから生じる倒置(第18話)

19. 否定のスコープの問題(第19話)

20. 名詞句が続く場合のみ関係代名詞は省略できる(主格か目的格かに関係なく)(p. 167)

21. 英語と日本語は語順が対照的な傾向がある。しかし、より浅いレベル(句に含まれるそれぞれの表現が単独でも機能できるような組み合わせの場合)では同じになる傾向がある(p. 180)

22. 新年やクリスマスの挨拶は、文に組み込まれるとより文法的になり、単独で用いられると冠詞が落ちたりする(p. 184)

23. 英語には「第何番目ですか」というように序数をたずねる表現がない(p. 186)

24. 熟語のかたまり具合にも濃淡があること(take good care ofなど)(p. 187)

このように、色々と面白い話がなされます。昔、マーク・ピーターセンの本を読んだときに思った、英文法はガチガチではないんだなあという感覚を久しぶりに思い出したような気がしました。

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下條信輔(1999).『<意識>とは何だろうか:脳の来歴、知覚の錯誤』第5章を読む(筑摩書房)

タイトル:人間観と倫理

感想:この章は、これまでの専門的な話をもとに、より社会的な次元での現象を考察しています。ここで特に扱われていたのはプロザック現象で、なぜ人は、健常者が薬などによって能力を飛躍させることを倫理に反するものと考えるのか、といったことが主に議論されていました。基本的には、環境世界という外部にあるすべてのものが人の内側と相互作用をするという点で共通しているのですが、薬は神経といったレベルに直接働きかける(さらに脳の一部となる)といった点が他の道具などに比べると顕著です。こういった社会の倫理的な問題も、結局は脳という問題を考えざるを得ない状況になっています。また遺伝決定論といった社会的な問題も脳との関わりで考察しないわけにはいかないといった点も指摘されています。

結局われわれは、もはや従来の身体対精神とか、先天対後天といった構図で物事を考えることをやめて、より高次なところでものごとを考えていく必要があるようです。脳と聞くと、あまり社会とは関係がないような気がしますが、それは誤解であり、従来は無関係だと思われていたような倫理といった問題ですら、脳がかかわってくるということをよく理解することができました。

この章で本書は終わりになるのですが、脳、身体、環境はそれぞれつながっており、どれか一つのみで考えることはできない。つねに相互作用が生じており、その関係の中でものごとをかんがえていかなければならないというのが著者の一番言いたかったことではないかなあと思います。とてもいい本だと思いました。

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下條信輔(1999).『<意識>とは何だろうか:脳の来歴、知覚の錯誤』第4章を読む(筑摩書房)

タイトル:意識と無意識のありか―心の全体像

感想:本章が本書の中心的な部分ではなかったかと思います。著者は意識について2つのことを最初に述べます。1点目は、「意識は意識以外のものでは説明し尽くすことはできないということ」(p. 183)で、2点目は、意識は「一つの状態または機能の名称ではなく、多数の相互に関連しながらも異質のものの、ゆるやかなまとまり」(p. 183)なのではないか、ということでした。2点目については、更に、ある機能について「さまざまな視点から見る見方の全体」(p. 183)を指し、「濃淡のある認知の様式」(p. 184)なのではないかと付け加えています。「意識は見る側の主観の問題であり、また見る側の内面の投影でもあ」(p. 185)ると主張されています。

また、意識の構造については、著者は次のようにまとめています。「意識の中心から周辺へ、そして無意識へ、身体の反射へ、という芋づる式の連続体、それも反問されたりすると境界が変わり、無限に枝分かれしていくような融通無碍の連続体。(中略)意識とはこのような連続体を「地」とする「図」なのです。」(pp. 193-194)。意識の周辺部は、フロイトの言うところの前意識と対応しているようです。意識の中心部は、「気づき」と注意の集中を伴い、周辺部ははっきりとした気づきを伴っていません(ただし、きっかけがあれば注意を向けることができます)(p. 217)。また、無意識は人間にとってより深い部分であるにもかかわらず、他者によってその真偽が決められる存在であり、機械論的な分、直接環境世界につながっていると考えられています(pp. 197-198)。そして、意識というのは、無意識という「来歴」の貯蔵庫に支えられています(p. 205)。このことに関連して、面白いことに、「自由」などはいかにも意識に関わっているような感じがしますが、無意識的な過程が大いに必要となります(p. 216)。

無意識は身体や環境と直接つながっているし、受動的で機械論的な性格を持っているため、科学が取り組みやすい領域となっているようです。一方で、意識は主観的に調べるしかなく、科学が扱いにくいものになっています(p. 221)。

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下條信輔(1999).『<意識>とは何だろうか:脳の来歴、知覚の錯誤』第3章を読む(筑摩書房)

タイトル:心とからだと他者―連動する脳と世界

感想:この章で再三主張されていたことは、脳(または脳の所定の部分)は、他の部位、身体、環境世界との関係の中に埋め込まれ、しかるべき来歴を経ることで所定の機能を発揮するようになるということでした。また、人間を主体的な存在へとしている脳を神経科学的に調べていくと、脳が受動的なものという結論になってしまうというパラドックスについても原級がありました。

認知科学は、機能主義、コネクショニスト、エマージェンティストという形で発達してきているようですが(p. 156)、本書は身体や環境世界が知性の創発を可能にするという最後の立場(エマーヘンティスト)に立っているそうです。この立場では、結局外部と内部の明確な境界線はなくなり、人間は外部装置に記憶をとどめることになります。また、自分の心や意識も、自己の内側に存在しているものではなく、他者の存在を含めた環境世界との相互作用を通して生まれてくるものとなります(p. 168)。

最後に、著者は「意識とは何か」という問いに対して、次のように述べていました。

「他者の心は「実在」するから学ばれるのではなくて、あるものとして学ばれるから結果として「実在」するのです。同じように、自分の心もまた、「あるもの」として学ばれることによって、「意識される」ようになるのではないでしょうか。」(p. 175)

やはり、意識というものを考える際は、他者の存在が大きく関わっているようですね。著者は「他人の心」というものは人間にとって究極の錯誤かもしれないと述べています(p. 175)。

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