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2008年1月29日 (火)

R.C.ホルブ(1984/1986).『「空白」を読む 受容理論の現在』第3章を読む①(勁草書房)

3章のタイトル:主要な理論家たち

感想:まずはハンス・ローベルト・ヤウスについて。先行者の関心が、哲学的、心理学的、社会学的だったのに対して、彼は文学と歴史の関係それ自体に源をもっています。彼に言わせれば、当時は文学の持つ歴史的な性格が軽視されており、歴史を文学研究の中心にすることが重要と考えていたそうです。彼は歴史学者フリードリヒ・シラー(フランス革命勃発直前になされた演説)に大きな影響を受けており、シラーをなぞって、「衝撃を与えること、「革命」が進行中であると告げること、そして、文学研究における旧体制(アンシャン・レジーム)の終焉を宣すること」(p. 88)と「過去の芸術作品と現在の関心を結ぶ肝要な環を取り戻すこと」(p. 88)を意図していたそうです。文学史に関しては、(1)ドイツ観念論による、事件と事実を順序通りに配列することを指導原理とした、目的論に基礎を置く歴史記述(ゲオルク・ゴットフリート・ケルヴィヌスによるもの)、(2)因果関係を説明原理とした実証主義によるもの(レオポルト・ランケによるもの)でジャンルによって規範を組織したり大作家のみを取り上げるのも、(3)文学的実証主義への反動である精神史(または観念史)、などがありましたが、いずれも文学と歴史を融和させることができなかったとヤウスは考えました。特に(2)のタイプに属すものに対しては、「評価」という問題をあつかうことができないし、客観性という概念は疑問があると考えたようです(これらの文学史家は質的な判断を回避する「美的禁欲」を実践しているとヤウスは述べています)。

ヤウスは歴史と美学の一体化を目指しているわけですから、マルクス主義とフォルマリスムが当然関わってきます。しかし、前者に対しては歴史主義-実証主義的(上記の(1)と(2)のタイプ)なものであり、既に時代遅れだと考えていたそうで、ジョルジ・ルカーチやリュシアン・ゴルドマンを批判しています。彼らは文学を外的世界を映し出す鏡としか扱っていないとヤウスは考えたそうです(著者はこの批判はあまり正当なものではないと考えています)。しかし、一報でヴェルナー・クラウス、ロジェ・ガローティ、カレル・コーシクらの効果と受容という問題に対する感受性を認め、マルクス主義が自らの体系と両立しえることを認めています。一方、フォルマリスムに対しては、美的受容という観点を導入したことを高く評価しています(ただし、芸術至上主義的な方向に向かうという点は批判しています)。実際、トゥイニャーノフやエイヘンバウムによって進化の概念が文学の連続性に応用されました。しかし、フォルマリスムの文学史は文学の中だけに閉じこもり、もっと全般的な歴史との関係付けができなかったというのがヤウスにとっては問題であったようです。ヤウスにとっては、マルクス主義とフォルマリスムのいい点を統合することであり、新しい文学史は、「美的受容の分野におけるフォルマリスムの効果を保ちつつ、歴史の媒介を求めるマルクス主義の条件をみたすことによって、たっせいされることになるだろう」(p. 93)と著者は述べています。

この両者を統合するために、ヤウスは「読者もしくは消費者のパースペクティヴから文学を眺める姿勢」(p. 93)を重要なものと考えます。彼が提案した「受容美学」という考えは、「文学は、生産および受容名からなる弁証法的な過程として取り扱われなければな」(p. 93)りません。こうすることで、「ヤウスは、文学をより広範な出来事の過程に位置させることによって、マルクス主義のいう、歴史の媒介という条件に応えようとしているのだ。その一方で、彼は、自らの関心の中心に知覚する主体を据えることにより、フォルマリスムの成果を保持している」(p. 94)と著者は考えています。そして、ヤウスが思い描く文学史とは、「過去と現在を意識的に媒介する役割を果たすような歴史記述」(p. 94)となり、「単に伝統を所与のものとして容認する代わりに、文学の歴史家は、規範(カノン)に属する作品について、それが今日の状況にどのような影響を与えまたどのような影響を与えられるかを明らかにすることにより、絶えず再考を続けるよう要請されている」(p. 94)ことになります。こうして、彼の文学史に関しては、シラーの理想を保っていると著者は考えています(p. 95)。

歴史と美学、つまりマルクス主義とフォルマリスムの統合は、「期待の地平」という概念の導入によって成就されることになります。これは、ヤウスにとって方法論上の中心概念です。しかし、「期待」という概念や「地平」という概念は、当時のドイツの文学理論界や哲学界ではありふれた用語であったようです。しかし、ありふれているがゆえにか、概念の定義づけが曖昧になっています。著者は、「間主観的な体系あるいは期待の構造、「言及の体系」というか仮説上の個人が所与のテクストにあてはめる思考態度であるらしい」(p. 96)と述べていますが、やはりその定義の曖昧さには問題があるそうです。また、ヤウスは客観主義に傾倒しているという問題があります。客観主義自体が問題なのではなく、ヤウスが解釈学的(経験主義的)な前提と矛盾してしまっている点が問題だと著者は考えています。ヤウスの言う地平の客観化については本書に詳しく書かれているので、ここでは割愛しますが、とにかく地平という解釈学的なものを、テクスト言語学の証拠など客観的なものに還元しようとしていた点が問題となっています。更に、期待の地平において、作品を評価する場合、「新しさ」「差異性」が唯一の批評基準になってしまっているという問題もあります。過去の時代は過去の作品との近似性が重視された時代もあるのに、近似性については見向きもされていません。著者に言わせれば、「差異性」だけに目を配るのはロシア・フォルマリスムの議論にヤウスが基づいているからであるが、「目新しさを強調することは、現代における先入主」(p. 102)に過ぎないと述べています。

ヤウスは文学史を考えるにあたっても、フォルマリスムの概念(通じ的な文学の系列という概念)にかなり依拠していたそうです。フォルマリスムの利点としては、年代順以外の方法で美的カテゴリーを結びつけることができること、目的論的な操作(仮説上の終局点から逆に遡って出来事を配列すること)を根絶して新しい形式の弁証法的自己産出が主張できること(しかも、作品の選択の批評基準が単純化できる)、芸術的な異義と歴史的な意義の統合ができること(これは、フォルマリスムが目新しさを美的な批評基準であると同時に歴史的な批評基準であるとみなしていたから)、があるといいます。しかし、最後の点に関しては著者は虚妄に過ぎないと考えています。なぜなら、歴史的なものを美的なものとの関連において定義しているにすぎないからだと述べます(つまり、歴史的なものは美的なものであるとみなしているから、前者を後者の関係で定義できるのであって、そのような前提がなかったら、このような考え方はできない)。しかし、ヤウスはこの問題点はあまり重視せずに、他の点においてフォルマリスムの考えに不満を感じていたそうです。それは、「構造、仕掛け。あるいは形式の変化を記述するだけでは、歴史的な系列のうちにおける所与の作品の機能を描き出すにはじゅうぶんではない」(p. 103)というものでした。そこでヤウスは「経験」という概念を導入したのですが、これは主観的で曖昧な批評基準であり、問題があります(それに、このように移ろいやすい概念を導入すると文学史は常に変化するものになり、とりとめがなくなってしまいます)。それに、彼は過去の地平を客観かしたいと考えているのに、このような概念を導入してしまっては、自己矛盾をきたしてしまいます。

また、ヤウスは通時制の概念は共時的な相によって補われなければならないと考えていました。文学史家は経験から選別された特定の時間の「断面図」を作る必要があり、その断面図を前後の時代の断面図と比較することで「文学的な構造の変化が所与の時代にどのように分節化されるかを確定することができる」(p. 104)と考えていました。このようなことを行なうためにヤウスはジークフリート・クラカウアーの「歴史上のある瞬間における同時的なものと非同時的なものの混交もしくは共存という概念」(p. 105)と構造主義言語学(特にヤコブソンとトゥイニャーノフ)による言語学の文学への応用研究を使ったそうです。後者の方法を使えば、文学史を効果の歴史として考えることができ、「「生起から浮かびあがってきたもの」、「現在に立脚したパースペクティヴから、文学の連関を現在の文学現象の前史として構成する」ものに基づいて文学史を作ることができるとヤウスは考えたそうです。

しかし、このようなヤウスの考えは、まだ文学史が文学の領域にとどまっていることを示しており、社会の発展とは無関係に理解できるということを暗に意味してしまっています。ヤウスは文学の歴史と一般の歴史の関係について色々と模索しました。第一の処理方法としては、両者を対立させようとします。このために、文学は構成の人に新たに受容されないと作用を与え続けることができないという点で文学は歴史と異なると述べようとしました。しかし、著者はこの基準はあまりにも単純すぎると考えており、現にヤウスもこの問題点は認識していたようだと述べられていました。また、文学には「語りかける」という特別な機能があると述べましたが、これも批評基準としてはうまくいきませんでした。もう一つの両者の関係の処理方法では、前者は後者に影響を与えるということを指摘しました。この処理方法の中では、ヤウスは社会形成的な文学の機能を強調します。「それは、社会的な組み立てとして、文学的な規範および価値を含むばかりでなく、願望、要求、目標をも含むことになるのだ。かくして、文学作品は、「他の芸術形式を背景とするとともに、充ち上の生活経験を背景にして」受け容れられ判断されるようになる。この能力により、作品は、受容の過程で積極的な役割を果たし、社会的な因襲を内容・形式の両面から疑問に付し改変する可能性を獲得する」(p. 108)と著者は述べています。文学を使って社会に何らかの働きかけを行なおうということは、作家は常に願望として抱いてきたし、実践してきたことなのですが、学者達は不幸にも見逃してきた側面であると著者は指摘します。

しかし、ヤウスは「挑発としての文学史」執筆以降、彼がその論文内で述べたことから離れていくことになったそうです。彼は、読者とテクストの相互作用や歴史への関心をまだ持っていましたが、議論の中のロシア・フォルマリスムの役割は小さくなり、期待の地平という概念はほとんど登場しなくなってしまいました。このような状態に至った一つの理由は、アドルノをはじめとする否定性の美学への疑問からでした。アドルノの理論に対して、ヤウスは、「芸術作品がそれを生み出した特定の社会を否定するときにのみ、社会に対して芸術の果たす肯定的機能を認めようとしている」(p. 111)点(つまり、「肯定的かつシンポ的な文学を容れる余地を持たない」(p. 112)ことになり、芸術や文学が自律性を達成する前の芸術に対する実際的・伝達的な機能や規範の形成に関わる機能を正当に扱うことができない)、芸術と快楽あるいは幸福の間に根本的な断絶があるとする点、に対して異義を唱えています。これはアドルノだけでなく、『テル・ケル』やロシア・フォルマリスム、そしてヤウス自身が自ら行なった美的経験の記述に対しても該当することであり、ヤウスは過去の自分の記述に問題があったことを認めています。

否定性の美学に対して、ヤウスが提出するのは根源的な美的経験です。快楽といったものが芸術の根源にあると彼は考えたのでした。この概念は、芸術への嗜好にとっては重要な概念であり続けてきましたが、1920世紀にその異義が失墜してしまいました。「かつて美的経験は、正当な認知および伝達の機能を有するものとされてきたが、近代以降の芸術と理論は美的経験からそれらの役割を奪い去り、快楽を、偏狭で外見だけを取り繕った中産階級特有の文化的姿勢に帰属させたのだった」(p. 116)と著者は述べていました。もちろん快楽についてはバルトも扱っているのですが、ヤウスは依然として否定性の美学に強い執着を示しているようだと述べています。ヤウスは、美的快楽に関するモリッツ・ガイガーの著作を流用したルートヴィヒ・ギースと想像的なるものをめぐるサルトルの議論を援用しながら、美的経験はふたつの局面から成るということを述べます。「第一の局面は、すべての快楽にあまねくあてはまるものだが、そこでは、媒介を経ない直接的な形で、自我が客体に身をゆだねるさまが認められる。第二の局面は、美的快楽に特有のものであるが、「客体の経験を括弧にくくり、そのことによってそれを美的なものとする位置に立つこと」からなっている。美的な姿勢とは、したがって、観察者と客体とのあいだに距離を置くことを含意している。そして同時に、このような美的距離は、ヤウスにとっては、意識による創造的行為を意味するものである」(p. 117)。

ヤウスは、美的快楽という言葉を使うことで、「主体とのあいだの往復運動ばかりでなく、「理解することの楽しみと楽しみながらの理解との根源的な一体性」をも強調しようとして」(p. 118)います。言い換えると、美的「快楽は、その認知的・実用指向的な機能から分離されるべきではないということ」(p. 118)になるそうです。そして、ヤウスは美的快楽の3つの基本的なカテゴリーとして、ポイエーシス、アイステーシス、カタルシスを歴史的に分析していきます(本書では、それぞれの概念が歴史の中でどのように発展していったのかがまとめられていますが、ここでは割愛します)。ポイエーシスとは、「美的経験の生産的側面、すなわち、個人の創造的能力を応用することから派生する快楽」(p. 118)です。アイステーシスとは、「美的知覚と定義され、いうならば、美的経験の受容的な側面」(p. 120)です。カタルシスとは、「芸術と受容者のあいだのコミュニケイションを司る構成要素」(p. 123)であり、美的に解き放たれた観察者と芸術における非現実的対象とのあいだの往復運動ないし相互作用とも言えるそうです(p. 124)。この相互作用の形式として、ヤウスは、連想的、称揚的、共感的、カタルシス的、アイロニカル、という5つのパターンを指摘しています(p. 124-126)。

しかし、ヤウスの後期の研究である美的経験に関する議論は、彼の前期の受容美学や挑発、期待の地平といった概念ほどには影響を与えることができていないそうです。その理由として、後期の議論の仮説(芸術の根源に快楽を位置づけること)そのものに挑発性がない、後期の著作は形式的にかなり厳格になっている、学生が理論上の革命に参加することに関心を抱かなくなった、文学研究者が文学研究の妥当性を回復しようと熱心になることがなくなった、大学自体が改革や変革に関わらなくなった、といったことが挙げられています。しかし、著者はヤウスの自己批判的な研究は賞賛すべきものであり、美的経験がいかに蔑ろにされてきたかを示すという点でも彼の後期の研究は重要なものであると述べています。

僕自身は、ヤウスの後期の研究についてはほとんど知らなかったので、とても勉強になりました。また、彼の議論の変遷も理解することができ、よかったです。

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