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2007年5月31日 (木)

2007年5月30日水曜日

今日は気分転換に曇天の中、お散歩。

今日の作業:

●とあるお仕事

●とある文書の作成

●Patricia Hubbellの作品の文体論的分析を文章化

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2007年5月29日火曜日

ロンドンから帰って来て一週間が経ちました。恐ろしいスピードで時間が過ぎています。。。

今日の作業:

●とある文書の作成

●Christina Rossettiの作品の文体論的分析を文章化

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2007年5月29日 (火)

2007年5月28日月曜日

今日は、新たな仕事誕生ということで、その中の1つ(文書の作成)をしました。それと、日本からのお仕事一件、及び土曜日に探した詩を読んだりしました。久々にWordsworthの"The Daffodils"を読みました。あいかわらず綺麗な詩です。

今日のエンターテイメント:

●台湾の友人にカレーをご馳走になりました。どうも毎度のことながらご馳走様です。

●学部の日本人の先輩方とBoroughというパブへ飲みに行きました。僕は初めてだったのですが、とてもオシャレな内装で、楽しかったです。どうもありがとうございました。

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2007年5月27日日曜日

今日は、昨日探した詩を読んだりしました。また、その中で久々に、William Blakeの"The Tyger"を読みました。相変わらず力強い詩ですね。

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2007年5月26日土曜日

今日は、修士論文用に使えそうな詩を探す、地味な作業をしました。それと、日本からやってきたお仕事をやったりしました。最近リーディングをしていないということを気にしつつ、研究活動はリーディングだけではないということを言い聞かせて過ごす日々です。

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2007年5月25日金曜日

今日は、ランカスター大学で受講することになる最後の授業が終わりました。そして、授業が終わり、帰宅すると溜まっていた疲れが一気に爆発。今日は休憩しました。

今日の授業:

Academic Discourse Practice (最終回):Reflecting on the writing experience

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2007年5月26日 (土)

2007年5月24日木曜日

今日は昨日の続きで、引き続きばたばた。修士論文の他の道についても考えたり、日本から届いたお仕事をし始めたりと、今だ旅行の疲れは取れていません。それに、夜は飲みでした。

今日のエンターテイメント:

●日本人の友人たちと日本食&お酒パーティー。料理がすばらしかったです。また、日本から来てくれていた友人が持ってきてくれた日本酒を皆で飲みました。相当に上等なお酒だったようで、本当に美味しかったです。帰宅は朝の4時でした。とても楽しかったです。

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2007年5月23日水曜日

今日は、朝からバタバタな一日でした。二学期のアサインメントの結果を受け取ったり(全て合格していました)、修士論文のチュートリアルを受けたり、旅行の荷物の整理をしたり、などなどです。また、緊急で読まなければならなかった短編小説や詩を読んだりして、相当にあわただしい一日でした。また、チュートリアルでは修士論文の他の道も提案され、少し考えなければならなくなりました。一気に、現実に引き戻された感じの一日でした。

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2007年5月24日 (木)

2007年5月22日火曜日

今日、友人はロンドンから日本へ帰って行きました。僕も電車に揺られて、ランカスターまで帰ってきました。ロンドンは8回目ぐらいなのですが、とても楽しく過ごすことができました。明日からまた忙しい日々が始まります。

今日のエンターテイメント:

●大火記念塔を見る

●保険会社ロイズを見る

●Harrodsで頼まれていた買い物をする

●バーガーキングでまたまた食べる

●帰宅後に友人からWater Witchで外飲みをしようと誘われたので、再びタウンへ。ここ一週間英語から離れていたため、英語が退化していました。。。

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2007年5月21日月曜日

観光二日目。今日は天気はあいにくの曇り空でしたが、結構色々なところへ行くことができました。また、家路につくときにトラブル発生で、地下鉄が急にキャンセルされてしまい、まだ9時なのに、その日の線が終わってしまいました。駅員さんに尋ねたら、バスで帰ってくれとのこと。ちょうどNorth Actonへ帰る人がいたので、その人に付いてNorth Actonまで帰りました。バスはホテルの前には止まらなかったのですが、そのおじさんが道を教えてくれたので、言われた通りに歩いていくと、無事に帰ることができました。そして部屋へついてすぐに、友人に別の伝説的事件が発生。。。

今日のエンターテイメント:

●友人が予約してくれた三越主催のロンドン半日バス観光ツアーに参加。ヴァッキンガム宮殿の兵隊の交代式を見ることができてとても良かったです。ガイドさんに説明してもらうと、またロンドンが違ったように見えてきました。

●三越デパートでイギリスのお土産を物色

●パブでイギリス料理を食べる。また、バナナ味のエールにもトライしました。確かにバナナの風味が少しありましたね。

●大英博物館でエジプト、アッシリア、ギリシア&ローマの辺りの古い展示物を見ました。

●イギリスの日本料理チェーン店「Wagamama」にて夕食。久々に日本のビールを飲みました。それと、擬似日本料理(Yakisoba)を食べました。かなり味が西欧風になっていたように思います。

●セント・ポール大聖堂を外から見る

●トラファルガー広場を見る

●ホテルで飲む

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2007年5月20日日曜日

今日はロンドン観光一日目。今日は天気もよくて、絶好の観光日和でした。一日兼でZone 1内をうろうろしました。かなり歩いたので、足が少しパンパンになってしまいました。日頃の運動不足がたたっているようです。

今日のエンターテイメント:

●ヴァッキンガム宮殿&兵隊さんの隊列(見回り?)を見る

●ウェストミンスター大聖堂を見る(今日は入場はできませんでした)

●ビッグ・ベンと国会議事堂を見る

●川沿いをタワー・ブリッジまで歩く

●途中のパブでイギリス料理を食べる

●ロンドン・ブリッジを歩いてみる

●タワー・ブリッジを歩いてみる

●タワー・ブリッジの中に入ってみる

●ロンドン塔の中に入ってみる

●休憩を兼ねてイギリスのスイーツを食べてみる

●コヴェント・ガーデンで大道芸を見る

●9年振りにバーガーキングを食べる(@ピカデリー・サーカス)

●ホテルで飲む

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2007年5月19日土曜日

今日は、移動日で、ランカスターからロンドンへ移動しました。ランカスターからプレストンまでがバス移動で、ちょっとばたばたしたのですが、無事に着くことができました。友人がとってくれていた宿はCentral LineのZone 2のNorth Actonというところにありました。今日は、ユーストン駅構内以外はロンドンをぶらぶらしたりすることはなしに、宿へ行きました。明日からが本格的な観光になります。

今日のエンターテイメント:

●ホテルの中のレストランで料理を食べる

●North Actonの散歩(何もないところでした)

●North Actonのパブで飲む

●部屋で飲む

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2007年5月19日 (土)

2007年5月18日金曜日

今日は、友人とキャンパス内をうろうろ。とても楽しかったです。

今日の授業:

Academic Discourse Practice: Introduction and conclusion

今日のエンターテイメント:

●Info Labで昼食

●キャンパス内をお散歩

●Water Witchでディナー(美味しかったです)

●White Crossへはしご

●部屋呑み

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2007年5月18日 (金)

2007年5月17日木曜日

今日は、友人とタウンをお散歩。とても楽しかったです。また、Grad Barでパスポートを忘れるというハプニングが発生。親切な人がポーターに届けてくれて事なきを得ました。よかったです☆届けてくれた方、ありがとうございました。

今日のエンターテイメント:

●ランカスター城を散歩

●Penny Bankで昼食時にイギリス料理を堪能

●タウン内の色々なお店を散策

●Grad Barで飲んで、その後散歩

●その後の部屋飲み

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2007年5月17日 (木)

2007年5月16日水曜日

今日は朝から部屋の掃除などなど。

今日の読み物:

Bazerman, C. (2004). Intertextualities: Volosinov, literary theory, and literacy studies. In A. Ball & S. W. Freedman (Eds.), Bakhtian perspectives on language, literacy, and learning (pp. 53-65). Cambridge: Cambridge University Press.

感想:この論文では、特にVolosinovの間テクスト性に関する議論が整理され、その後で、リテラシー教育における間テクスト性の重要性や具体的な指導方法などが語られていました。少し、僕の研究テーマには合わない論文だったように思います。Volosinovについては、ソシュールの言語論を強く意識し、彼が放棄したパロールや通時態などを逆に重視し、言語はそういったコンテクストの中でしか存在しないと考えたようです。また、そういった他者との関わりが、話者の意識を構築し、そして社会を自己の中に取り込んでいくと考えていたようです。このことはVygotskyの考えても共通しているところがありますが、実際VolosinovとVygotskyはお互いを引用し合っていたようです。また、Bakhtinについても簡単に触れてありました。歴史といった要素を考えるという点で、フランス系のポスト構造主義者(KristevaやBarthes)とは違うとは述べてはいるものの、主な主眼が文学研究にあり、その視野は限られたものと述べられていました。Volosinov自体は言語一般を考えていたようで、リテラシー教育といった観点にとっては、Bakhtinは少し議論が特化されすぎているのかもしれませんね。Volosinovの議論は新情報でしたので、とても勉強になりました。

今日のエンターテイメント:

●今日は日本から幼馴染の友人が訪ねてきてくれました。なかなかいろいろとてんやわんわだったんですけど、会えてからは、一緒にキャンパス内で夕食を摂り、夜用の酒や食べ物を買って、Grad Barへ飲みに出かけました。イギリスのお酒を気に入ってくれたみたいで、とてもよかったです。また、Grad Barではたくさんの友人に久々に出会うことが出来ました。とても楽しかったです。そして、パブ閉店後はちょっとキャンパス内をうろついてから、家でちょっと飲んで就寝という感じになりました。とても充実した一日でした。

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2007年5月16日 (水)

2007年5月15日火曜日

今日は、久しぶりにタウンへ買い物に行きました。明日から友人がわざわざ日本から来てくれるので、その準備等も兼ねてということで。そして、今日、初めて駅への行き方を知りました。9月にランカスターに来て以来ほとんど外出していなかったので、ちょっと新鮮な気分になりました。また、今日は久々の快晴で、気分もよかったです。

また、お勉強に関しては、買い物から帰った後、これまでに行ったテクスト分析をまとめて、指導教官にメールで送りました。なかなかくたびれました。

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2007年5月15日 (火)

2007年5月14日月曜日

今日はまだ全快ではないものの、それでも起きて研究会に参加。また、意味論的及び語用論的レベルのテクスト分析を行ったり、間テクスト性の文献についてまとめたり、それなりに充実した一日でした。

今日の研究会:

Pragmatics and Stylistics Research Group:「Being in two minds: Ambiguity in poetry」

今日の読み物:

Tamasi, S. (2001). Huck doesn't sound like himself: Consistency in the literary dialect of Mark Twain. Language and Literature, 10 (2), 119-144.

感想:この論文では、The Adventures of Tom SawyerThe Adventures of Huckleberry Finnの間でのHuckleberry Finnの発話における、literary dialectがどの程度一貫しているか(あるいは一貫していないか)がコーパス言語学の手法を使って調べられていました。この論文も間テクスト性の関係で読みました。今回は、literary dialectの使用という観点での間テクスト性の議論でした。とても読みやすいし、面白かったです。

今日のエンターテイメント:

●昨日食事をお断りしてしまった友人が心配して御粥を作ってくれました。ということで、それを頂きに昼ごろ友人の部屋を尋ねました。ありがとうございました。おいしかったです。

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2007年5月13日日曜日

今日はなんだか体調がよろしくなく、休養。本当は、今日は、友達と映画へ行く予定だったのですけど、キャンセルしました。夕食に誘われたりもしたのですが、それもキャンセル。なんだか調子が悪い一日でした。

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2007年5月13日 (日)

2007年5月12日土曜日

今日は、テクストの形態論及び統語論的レベルの分析を行いました。あとは、気分転換にちょっとお散歩。学部の友人にばったり会いました。

今日の読み物:

Walsh, C. (2003). From 'capping' to intercision: Metaphors/metonyms of mind control in the young adult fiction of John Christopher and Philip Pullman. Language and Literature, 12 (3), 233-251.

感想:この論文は、間テクスト性との関係で読みましたので、論文の要旨などについてはここでは書きません。簡単に述べますと、子供用SFは大人用SFやファンタジーなんかとの関係が希薄であると考えられてきたのですが、この論文で取り上げられた作家の作品ではそのような考えを一新しようとされていることが示されています。作品内には、登場人物の名前や引用などによって、他のテクストのallusionが生まれており、"Young readers who recognize the significance of this allusion are thereby likely to feel included in the community of adult science fiction readers" (p. 239)という重要な指摘がされていました。

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2007年5月12日 (土)

2007年5月11日金曜日

今日はひどい天気。。。今日は、音韻論レベルでのテクスト分析を行いました。

今日の授業:

Academic Discourse Analysis: Literature review

今日のスキミング:

Knutsson, P. (1995). Intertextual quanta in formula and translation. Language and Literature, 4 (2), 109-125.

今日のエンターテイメント:

●授業後に学部の友人とPizza Republicにて昼食。

●夕方はWhite Crossへ日本人の元フラットメイトの方と飲みに出かけました。今日はとても店内は込んでいました。また、偶然学部の友達に会って、ちょっとびっくりしました。募金を募っているようで、色々なパブを回らなければならないとのことでした。とても楽しかったです。

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2007年5月11日 (金)

2007年5月10日木曜日

今日のイギリスは大きな政治のニュースがありました。トニー・ブレア首相が引退されました。ニュース番組では、このことをトップニュースに伝えていました。

今日のスキミング:

Attridge, D. (1995). Poetic rhythm: An introduction. Cambridge: Cambridge University Press. Appendix 1 (Scansion)

Crump, R. W. (Ed.). (1986). The complete poems of Christina Rossetti: A variorum edition, Vol. 2. Baton Rouge: Louisiana State University Press. (Introduction to textual notes)

今日の読み物:

Biermann, I. (1993). Intertextuality as parallelism in two South African poems. Language and Literature, 2 (3), 197-220.

感想:この論文では、van Peer (1987)による間テクスト性のモデルを、Jakobsonによるparallelismの議論で補い、発達させることを意図されています。このことを示すために、2つのアフリカーンス語の詩が取り上げられ、それらの間テクスト性が議論されています。著者は音韻論レベルでの反復に注目して、2つのテクストの間の間テクスト性を記述していきます。まず、著者は元のテクストとなるN. P. van Wyk Louwによる「Vroegherfs」という作品の更に古いテクストへの間テクスト的関係(intertext、トピック、ジャンル)を記述し、そのテクスト内の音の反復構造(脚韻と行の間の脚韻パターン)とその構造と意味構造の関係を記述していきます。次にこのテクストと間テクスト的関係があるとされる、Johann de Langeによる「Laatherfs」というテクストに注目していきます。まず、このテクストは、N. P. van Wyk Louwへの間テクスト関係を経由してそのテクストと共通のintertextを志向していることが述べられ、さらにジャンルの観点からも、N. P. van Wyk Louwと同様な間テクスト関係を古いテクストに対して持っていることが指摘されます。次にこのテクスト内の音の反復構造とその構造と意味構造の関係が記述されます。そして、この記述がなされる中で、両テクストの音のテクスト内構造が類似しており、Johann de LangeのテクストはN. P. van Wyk Louwのテクストを想起させるとしています。著者は更に、"It will be shown that the contemporary poem, in terms of its phonic organisation, evokes important aspects of the phonic organisation or shape of the older poem to such an extent that the reader can hardly read the contemporary poem without as it were 'hearing' the older poem commenting on it" (p. 206)と述べています。そして、様々な点を指摘していきます。そして、両者はともに似た音の反復構造が機能し、それが両者のテクスト間で類似と対照を作り出し、更に意味構造との関係に関しても類似と対象を見せていることを明らかにしていきます。結論部分での著者の言葉です。"... the examples show that sound repetition as an intratextual organising principle does function as a potential indicator and establishing factor in intertextual links.  It is not only the similarity in the two titles ... but the patterns or networks if sound repetitions ... .  At the very least, then, sound repetition in poetry is a factor that can indicate intertextual relationships on other levels of textual organisation, but the phonic organisation of a poem also has the potential to establish such relationships by intratextual specification and should not be excluded from the systematic study of intertextuality." (p. 212, emphasis in original)。van Peer (1987)は、間テクスト性には音、語、文、テクストのレベルがあるが、前者2つは数に限りがあるため、必ず反復が伴うとします。そして、その反復の確立が高くなるため、音レベルの間テクスト性の議論が少し弱かったと、本論文の著者は述べています。van Peerの論文を読んだことがないので、果たしてこの批判は正当なものなのかどうか、ここでは判断ができませんが、van Peerの一連の著作を読んできた限りでは、この批判は少し違和感を感じます。ただ、この論文は、僕が修士論文で融合理論を使わなかった場合には、モデルとなる論文になると思います。とても有益でした。

今日のエンターテイメント:

●今日は週に一度のコースメイトととのランチ。今日はアメリカ人の友人と僕の二人だけでしたが、色々と話をして楽しかったです。

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2007年5月10日 (木)

2007年5月9日水曜日

今日は、ふらふらとキャンパス内を散歩しました。また、修士論文用の調べ物をしたり、テクストの書記素論レベルの分析を行ったりしました。

今日のスキャニング:

Scollon, R. (1997). Contrastive rhetoric, contrastive poetics, or perhaps something else? TESOL Quarterly, 31 (2), 352-358.

Smagorinsky, P., & O'Donnell-Allen, C. (1998). Reading as mediated and mediating action: Composing meaning for literature through multimedia interpretive texts. Reading Research Quarterly, 33 (2), 198-226.

今日のエンターテイメント:

●日本人の方とInfoLabで軽食がてらお話をしました。とても楽しかったです。

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2007年5月8日火曜日

今日は研究会とチュートリアルがありました。指導教官のMick Short先生と今後の研究の方向性について話し合い、しばらく論文を読むことから離れて、テクスト分析などに集中するようにというアドバイスをもらいました。ということで、しばらく論文を読んだりするのは中止にするかもしれません。今日は、他に修士論文で使えそうなテクストがないかどうか探したりという地味な作業をしたりました。

今日の研究会:

●Pragmatics and Stylistics Research Group: Applying Semino and Short's corpus approach to speech and thought presentation to Orwell's Animal Farm

学部生の発表でしたが、とてもすばらしい発表でした。Short先生も修士論文でもdistinctionに値するレベルと絶賛されていました。荒削りな部分というのはもちろんあるのですが、それでもその全体としての完成度は相当なものです。僕も見習わなければなりません。

今日のエンターテイメント:

●今日は、同じゼミ生の香港の友人とGraduate Barの前で一緒に雑談をしながら昼飯を食べました。

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2007年5月 9日 (水)

2007年5月7日月曜日

今日は、明日あるチュートリアルの準備などをゆっくりしながらこまごまと。

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2007年5月 7日 (月)

2007年5月6日日曜日

今日は、部屋のプチ掃除とか洗濯とかでバタバタな一日でした。

今日のエンターテイメント:

●コースメートとPenny Bankで飲みました。メインの話題は結婚について。年頃ですから、みんな。。。

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2007年5月 6日 (日)

2007年5月5日土曜日

今日は、とある論文を途中まで読んで、力尽きました。続きはまた今度。

今日のエンターテイメント:

●台湾の友達にカレーをご馳走になりました。どうもごちそうさまでした。長話にもなって楽しかったです。

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2007年5月 5日 (土)

2007年5月4日金曜日

今日から、今学期唯一の授業が始まりました。物理学部で開講されているのが不思議ではあるのですが、久々に授業の雰囲気を味わいました。

今日の授業:

Academic Discourse Practice: Comparing past dissertations

今日の読み物:

Hougaard, A. (2005). Conceptual disintegration and blending in interactional sequences: A discussion of new phenomena, process vs. products, and methodology. Journal of Pragmatics, 37 (10), 1653-1685.

感想:この論文では、splittingpartitioning selectionというconceptual disintegrationを検討し、それらがintegrationと同等以上に融合プロセスに重要な役割を果たしていることを見ていきます。まず、著者は融合理論にあるいくつかの偏見的考えを指摘します。それらは、多を小へ導くという考え、プロセスを重視しつつもプロダクトからスタートしていること、融合理論は非常に階層的な考えに縛られていること、です。こういった偏見を変えていくことに本論は興味があるようです。つまり、小から大という情報の流れ、プロセスを重視した研究方法、多重的な処理をモデルに組み込むこと、などに関心があるということです。この論文では、会話分析の方法を援用することで、これらのことを達成しようとします。そして、会話分析の手法を認知的な次元の話に関係づけます。そして、interactional blendingであるとか、micro-development blendingといった概念を導入します。これらの概念によって、階層的で単一的な融合をもっと相互作用的で多重的なものにしようとしているわけです。いくつか、分析における著者の立場などを述べた後(p. 1660, p. 1661)、open-ended connectorslot-openersという専門概念を導入し、マッピングにおける期待を扱うことを可能とします(これは文が線状であることを考えれば、必須な概念です)。次に、splittingという概念が導入されます。これは、“the process by which something is perceived as an integrated structure gets to be mapped onto two or more discrete structural elements in another mental space and is projected to a blended space as two or more separate structural elements” (p.1664-1665, emphasis in original)と定義されます。この操作の様子は、split-self constructionの融合プロセスの分析(interactional blendingmicro-development blendingによる分析)を見る中で記述されます。そして、このsplittingdecompression1種であることが主張されます。Splittingは、“it “sets them loose” when they are too integrated” (p. 1666)という様式で、融合プロセスに関わることになるそうです。更に、著者はWhen conceptualizing matters internal to some tightly integrated structure, the tightly integrated structure will be split in the blend” (p. 1666, emphasis in original)とも述べています。著者は、splittingのまとめとして、その特徴を列挙しています。 それらは、 “It takes place during blending; It operates on the basis of the constitutive principles of blending; It extends conceptual structure to achieve blends which obey the governing principles of blending (Fauconnier and Turner, 200); It involves decompression; It elaborates the conceptualization of the involved structure.  The last point may call the “overarching goal” of splitting.” (p. 1666, emphasis in original) という形でまとめられていました。次にpartitioning selectionを見ていきます。あるパッセージを会話分析し、その分析に基づいて融合プロセスを記述していきます。Partitioning selectionについて、著者は次のように述べています。“Partitioning selection indicates that the selected and projected elements all stem from the same tightly integrated source, which by the selections and projections to the blend is partitioned.  Partitioning selection is thus meant as a technical term for selective projection that requires extra effort.  In cases where partitioning selection is involved, the selective projection is brought into the foreground as a central and specific feather of the integration process.  Blending where partitioning selection is involved thus constitutes a certain type of laborious cognitive process; and where partitioning selection is carried through, a specific operation has taken place within the general framework of the blending process” (p. 1673, emphasis in original)。また、the stronger the integration the involved input structure has, the more difficult it is to construct the blend” (p. 1673, emphasis in original)the greater the degree of partitioning selection required, the harder it is to construct the blend” (p. 1673, emphasis in original)とも述べています。そして、この処理の特徴を次のように列挙しています。“It takes place in relation to blending; It works on tightly integrated input structure; It requires extra effort; It enables the cognizer(s) to manipulate parts of a conceptual structure independently of other tightly integrated parts; It serves to established a blend, but tight structure can be exploited to create certain effects in blends, e.g.., sexual pleasure, humor, and horror” (p. 1678)。また、partitioning selectionの神経言語学的対応物は、excitatory connectioninhibitionの組み合わせと考えられるという意見が述べられていました。次に、従来のreconstruction of blendingに対して、本論文のinteractional analysisGibbsの批判(融合理論は実際の意味構築プロセスを扱っていないという批判)に応えることができると主張します。また、splittingpartitioning selectionは両方ともdisintegrationという処理と考えられていますが、従来の用法やFauconnier & Turnerの言うdeblendingunpackingといった概念とは異なるものであるということも主張されます(ただし、関連はあるとは考えられています)。また、結論部では、disintegrationは融合に深く関わっていること、disintegrationの処理労力は一般認知処理労力であること(特にpartitioning selectionの議論より)、splittingpartitioning selectiondisintegrationとして共通性、が述べられます。更に、会話分析は融合理論にとって適切な研究法であるということが強調されます。その根拠として、認知発達や認知処理は社会の相互作用の中で生じる、意味構築プロセスを扱うことができる、認知処理の明確な証拠をもたらすことができる、非現実的な実験状況といったものを避けることができる、ということが挙げられていました。最初は、会話分析と融合理論という取り合わせがとてもグロテスクに思えたのですが、読んでみれば確かに適切な組み合わせであるなあと考え直しました。また、プロセスを扱えるというのが最大の強みでもあると思います。修士論文の研究方法にも少なからず色々と考えさせてくれました。

Allen, G. (2000). Intertextuality. London: Routledge. Chapter 5 (Postmodern conclusions)

感想:この章では、ポストモダニズムにおける間テクスト性を見ていきます(ポスト構造主義はポストモダニズムの一側面と本書ではみなしています)。まず、間テクスト性が文学テクストといった芸術形態に限られたものではなく、他の芸術形態(音楽、絵画、映画など)でも見られ、研究がされていることを確認します。次に、ポストモダニズムの間テクスト性の議論を少し踏み込んで見ていきます。ベンヤミンなど多くの批評家が考えるには、ポストモダニズムの時代にあっては、生産は再生に取って代わられたそうです。この時代にあっては、現実へのアクセスも失い、間テクスト性こそがそのドクサとなっているようです。深層は表層ないし、複数の表層に取って代わられました。Jamesonによりますと、“previous modes of identity and expression, based on a shared sense of the ruling norm, give way to a heterogeneous, rootless culture in which neither norm nor a resistance to that norm seems any longer possible” (p. 183)ということになるそうです。また、文化的規範への抵抗ができなくなったため、優勢的な規範のパロディーはもはや成立せず、単にパスティーシュのみが可能となります。特に建築に多くの言及をしながら、次のように述べられていました。“Whilst Modernist architecture eschewed popular forms, Postmodernism plays with and mixes forms and styles from what were previously perceived as ‘high culture’ and ‘popular culture’.  In this way it employs an intertextual practice which seeks to reflect a building’s different users” (p. 186)。ポストモダニズムでは、もはや異なるコードに属するものを組み合わせること自体が目的となっているようですね。次の節では、もう一歩進んだポストモダニズムの話がなされます。まず、モダニズムとポストモダニズムは決して対立するものではなく、後者は前者から多くのもの(理論やコード、スタイルなど)を受け継いでいるといいます(Hutcheon)。そして、ポストモダニズム文学を何よりも特徴付けるのはdouble-codednessなのだそうです。Double-codednessとは、“This double-codedness questions the available modes of representation in culture whilst recognizing that it must still employ those modes” (p. 188)と説明されています。Hutcheonに言わせれば、ポストモダニズムとは転覆させようとしている体系の中で機能することになります。そして、しばしばポストモダニズムによる過去のコードや形式の利用は、パロディーという観点から考えられることになります(前節のパロディーとは意味合いが違うことに注意)。こういった考えは俗物的なポストモダニズムの考え方と対立します。俗物的な考えでは、ポストモダニズムは文化における記号や記号体系の飽和と考えられていますが、Hutcheonにしてみればドクサとパラドクサの同時性になるわけです。Hutcheonは、小説などは様々な伝統に属する要素を間テクスト的に統合していること、歴史も主観的なテクストの広大な網として存在していること、新たな歴史の説明は過去の形式や表彰の間テクスト的ネットワークの中から作者が何とか交渉することで生み出されること、などを主張しています。John FowlesThe French Lientenant’s Womanなど非常にDouble-codedな作品では、事実と虚構、リアリズムのドクサとリアリズムの不可能性を主張するパラドクサの間の緊張を利用します。Hutcheonと同様な事柄は、EcoThe Name of the Roseといった作品内でも観察することができるといいます。ポストモダンの文化にあっては、イノセンスを喪失しており、われわれは自分の表彰や発話を距離をとって眺めたり、それらに対して皮肉っぽくなることが求められるそうです。著者は言います。“double-coded because they are simultaneously employed and undermined.  They must do this because they exist in a self-consciously intertextual environment in which awareness of the ‘already-written’ and ‘already-said’ cancels the possibility for any direct, unironized statement or representation.  Similarly, to write of the past in an historical novel means that the author enters an intertextual environment of things already written and already said so many times that it does not seem possible merely to write them or have characters utter them without at the same moment placing what the author writes at an ironic distance and thus undermining or destabilizing the very things of which the author wishes to write” (pp. 195-196)。エーコのテクスト内では、失われた(抑圧された)テクストを探すことに主眼が置かれていますが、その試みは単にすべてのテクストの間テクスト関係を示すことに終始している(終始せざるをえない)そうです。バルトやクリステヴァの間テクスト性の議論は確立された表象のモードからの解放を意図したわけですが、エーコなどポストモダニズムにあってはそういったコードの不可避性とそれらをパロディー化したり皮肉的に転覆させたりする必要の認識が同時に必要であると考えられるようです。最後の節では、間テクスト性とハイパーテクスト性の関係について論じられています。間テクスト性の議論は一見突飛なものに見えるのですが、World Wide Webなどの発達の中でハイパーテクストが現れ、間テクスト性の議論は机上の空論ではないことが明らかとされてきました。実際、ハイパーテクストを、バルト、クリステヴァ、デリダ、バフチン、フーコーらの議論の具現形とみなす声は多いそうです。しかし、間テクスト性とハイパーテクストの間には違いがあることも忘れてはいけません。両者の違いとして、消費などといった概念のあり方、優勢な人々を作り出すこと、言語の同一性といったことなどが触れられていました。間テクスト性はこれらの事柄に抵抗するのですが、ハイパーテクスト性ではこれらと共謀することになります。ですので、ハイパーテクストを間テクスト性の完全な具現体と考えることにはまだ問題があるようです。こういったハイパーテクストの現状に対して、間テクスト性は教示できる点が多々あるという見解を示したところで本章は終えられています。この章は、僕自身とても興味深く読みました。修士論文の内容とどこまで関わるかは分からないのですが、ポストモダニズムにおける間テクスト性の考え方を明確に理解することができました。よかったです。

Allen, G. (2000). Intertextuality. London: Routledge. (Conclusion)

感想:本書の最終章です。半ページの長さしかありませんので、要約といった感じでしょうか。ここで述べてあったのは、リファテール、ジュネット、ブルームらは、間テクスト性とはテクストとテクストの関係の話であったのですが、バフチンやポスト構造主義者によってテクストそれ自体が複数的である(他者の要素を含んでいる)ということが明らかにされたということ、この用語は単一性や権威を疑う道具であること、などでした。本書はとても勉強になりました。翻訳も出版されているようですね。ぜひオススメの一冊です。

今日のエンターテイメント:

●日当たりのよいオープンカフェで、同じゼミ生の人とコーヒーを飲みました。気分的にとても贅沢な時間を過ごしたような、心地のよい気分になりました。コーヒーも美味しかった。

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2007年5月 4日 (金)

2007年5月3日木曜日

今日は、サバティカルでいないKevin先生のかわりに、MA in Language Studiesコースの臨時のチューターになっていただくUta Papen先生の招集で、コース・ミーティングがありました。

今日の読みもの:

Freeman, M. H. (2002). Cognitive mapping in literary analysis. Style, 36 (3), 466-483.

感想:5年前の論文ですが、認知文体論の発達はすごく早いですね。もはや、この論文は古すぎる感じになっていました。この論文では、詩人の思考と読者の思考様式(思考の結果でないことに注意)は同じであると考えます。そして、この前提のもと、Emily Dickinsonの詩を例としながら、当時の認知言語学のアナロジー研究を文体論へ応用していき、認知言語学の文体論への有効性を示すことに主眼が置かれていました。この論文では、融合理論を一番の発展形として位置づけており(たとえば、2つのドメインからなる他の認知メタファー論に比べて、融合理論は4つのドメインからなるということを強調していたように思います)、実際の読者の作品解釈を融合理論で記述していました。結論部分で、作者は次の4つの点で、認知言語学は文学分析に役立つと主張しています。"1) it can explicate and possibly evaluate the differences between multiple readings; 2) it can identify what cultural knowldge influences interpretation; 3) it can contribute to a clarification of the writer's - as opposed to the reader's - conceptual world view; 4) it can form the basis for an empirical study of literary interpretation" (p. 480)この論文は、実際の読者の解釈を分析していたという点が、他の融合理論の論文と違っていて、興味深く感じました。僕も以前集めたデータで、実際の読者の解釈を融合理論で記述できないかと考えているのですが、その際は参考にしたいと思いました。

今日のエンターテイメント:

●毎週恒例のコースメイトとの昼食:今日は少し風が冷たく、室内で食べたのですが、4週間ぶりに会えた友達もいたので、よかったです。先々月結婚して、新しい家を探していたそうなのですが、いい家が見つかったとのこと、よかったです。

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2007年5月 3日 (木)

2007年5月2日水曜日

今日はBlending theoryの文体論への応用ということについていくつか質問をするために、Elena Semino先生の研究室を訪ねて、色々と有益なアドバイスをもらうことができました。また、道中友達にも会って、近況を確認しあったりと、とても楽しかったです。また、今日はまさに快晴で、とても気温も高く、たくさんの人が半袖にハーフパンツという格好でキャンパス内を歩いていました。

今日の読み物:

Bache, C. (2005). Constraining conceptual integration theory: Levels of blending and disintegration. Journal of Pragmatics, 37 (10), 1615-1635.

感想:この論文では、融合理論のubiquity problem(何でも理論になる危険性)を少しでも解決するために、融合理論に制限を設けることを目的としています。もちろん、Fauconnier & Turnerもこの問題は自覚しており、この論文でも彼らなりのubiquity problemへの対処をまとめています。しかし、著者は更に二つの方法でこの問題の緩和に取り組んでいました。1つは融合をレベル分けすることです。著者は3段階に融合を分けていました。それらは、知覚など基本的なレベルを扱うfirst-order blend、語りの構造と文法構造の融合を扱うsecond-order blend、比喩など創造的な側面を扱うthird-order blendです。重要な点としては、入れ子構造になっていること(second-orderはfirst-orderに、third-orderはfirst-orderとsecond-orderに依存すること)、言語が関わるのはsecond-order blendの段階からになること、最初の2つの融合タイプは無意識に生じることがほとんどであること、最初の2つの融合タイプは同じ場から生じているように感じられること、などです。もう1つのubiquity problemへの取り組みとして、3段階に分けられたdisintegrationが挙げられます。これも、融合と同様に3つのレベルに分けられ、各レベルのdisintegrationは同じレベルの融合を引き起こすための前提条件と考えられています。first-order disintegrationは異なる神経上の処理に関わり、second-order integrationは異なるfirst-order blendに関わり、third-order blendはインプットスペースの要素に関わることになります。disintegrationでも融合同様に入れ子構造を見ることができます。最後の節では、Fauconnier & Turner (2002)と同様にZoom outという形で、いくつかの興味深い点を列挙しています。それらは、disintegrationはconstitutive principleとみなされるべきで、更に融合だけに限らないより一般的な認知能力と考えられること、人間の現在の認知活動を可能にしたのはdouble-scope blendingではなく、second-order disintegrationとそれに引き続くsecond-order blendingであると考えられること(ただし、double-scopeが言語の複雑さなどを発展させたことは認めています)、Fauconnier & Turner (2002)と本論文で提案された融合のタイプの関係、です。最後の点に関しては、first-order blendに関係するものはFauconnier & Turnerの融合タイプにはなく、second-order blendはsimplexと、third-order blendはその他と、関係づけられると考えられています。もしこの関係づけが正しければ、double-scopeの人間の認知活動における重要性はFauconnier & Turnerが考えているよりもずっと低くなることになります。この論文は、かなり難解だったのですが、最後に有用な図式があり、理解を助けてくれます。また、この論文で議論されていたことは、僕の修士論文でもかなり役立てることができると思います。有意義な論文でよかったです。

リーチ,G.N.(1987).『語用論』(池上嘉彦・河上誓作(訳)).紀伊国屋書店.(原著は1983年出版)第1章(序論)

感想:今更ながら読むことにしました。この本では一般語用論なるものを打ち立てることを主眼においているようです。まず、言語学の流れを見て、運用の学としての語用論が注目されるに至る経緯を説明します。著者は言語哲学の他に、生成意味論にかなりその重要性を見ているようでした。また、この論文では語用論を文法(言語の形式的な側面の研究)と相補的な関係にあるものとみなすそうです。また、ユニークな点として、この本では語用論の研究をグライスの会話の原理に基づいて行うことを意図しているそうです。語用論を言語学の一部に入れることで、今まであまり扱ってこなかった道徳的(倫理的)側面や真実性といったコミュニケーションにおける価値が言語研究に関係してくることも指摘されていました。語用論は記述的な立場をとるそうです。次に一般語用論の説明がなされます。コミュニケーションに関する一般的条件の研究を指すそうで、より具体的な次元の問題を扱う社会語用論と語用言語学と区別されていました。著者は更に本書における研究対象の焦点化を行っていました。面白い指摘として、文法は意味論を解して語用論と関わるというものがありました。また、語用論が関わるという発話の場面の説明もされていました。簡単にではありましたが、その具体的な要素が列挙されています。また、著者は語用論を修辞学的観点(言語の効果的使用という観点)から捉えようとしています。本書では、対人関係的修辞とテクスト形成的修辞が議論されることになるそうです。序論ですから、まだ説明が大雑把で、分かりにくいところもあったのですが、徐々に読み進める中で明らかになることでしょう。

Allen, G. (2000). Intertextuality. London: Routledge. Chapter 4 (Situated readers: Bloom, feminisim, postcolonialism)

感想:この章では、まずハロルド・ブルームの間テクスト性の議論(Antiothetical Criticism)を追っていきます。ただ、私は不勉強で、これまで彼の議論を勉強していませんので、あまり理解することができませんでした(また、著者自身がブルームの専門家でもあり、既にブルームについての議論を別の書物でまとめているため、ここでの説明はかなり読者に専門知識を有するような形で書かれていたように思います)。ブルームの議論の中で、belatednessというものがあります。これは、the experience of coming after the eventと定義されます。彼にとって詩とは、自分が詩を学習する機会となった作品を模倣したいという動機と自分の作品をオリジナルなものとしたいという動機の葛藤の場となり、結果、すべての詩は間テクスト的であると考えられます。全ての詩は、先行する詩の焼き直し、あるいは誤読と考えられることになります。先行するテクストを作者が実際に読んだことがあるかどうかは問題とはなりません。なぜなら、他のテクストで様々な形で誤読されてしまっており、作者はそういったテクストに触れているためです。間テクスト性とはanxiety of influence(既に書かれてしまっているテクストを避けることができないということと、この状態を作者や読者は受け入れることができないこと)の産物とみなされます。また、すべての詩にはfigurative language(テクストと先行するテクストの間に確認されるパターンのこと)とpsychological defence mechanismが含まれると考えられるようです。彼の議論も問題点(留意点)なども指摘されていました。その中でも僕が面白いと思ったのは、ブルームの枠組みでは、分析が正しいかどうかを議論することはできず、賛成するか反対するかができるのみになるということと、ブルームの枠組みでは、文化といったものは考慮の対象とはならず、あくまでもテクストと先行するテクストの間の問題のみとなる、ということでした。ブルームについては、また必要が出てきたら勉強してみたいと思います。第2節は女性批評と間テクスト性の関係についてです。ブルームはbelatednessなど一連の議論の中に単一の文学カノンなるものを想定していますが、そこには女性がそのカノンから追放されてきたことを見逃しています。また、Gilbert & Gubarによると、先行する作家に対する態度は男性と女性で異なるということも指摘されています。Gilbert & Gubarは、女性のアイデンティティーや女性テクストが作られるコードが他者や狂気や心理的撹乱のイメージを助長していると考えたそうです。しかし、二項対立に縛られすぎると、今度は父権的な範囲内に限られた意味での女性の間テクスト性しか議論できません。Kaupによると、女流作家の間の影響関係とthe intertextual spheres of social, cultural and ideological construction of femininityを関係づける方法を見つけることが必要なのだそうです(ただし、彼女の実践自体は果たしてこのことを十分に満足させることができているかどうかは議論の余地があるそうです)。次にMillerの議論を見ていきます。Millerによると、ポスト構造主義の議論は限られた男性のみにしか該当しない事柄を一般化(普遍化)しているとします。しかし、読むことや書くことは各ジェンダーによって異なった様式で経験されてきたということをポスト構造主義の議論は見落としていると言います。そもそもテクストの議論のイメージになっているものも女性的なものです(織物など)。Millerは神話などを引き合いに出しながら、バルトはテクストに関わる女性的な側面はすべて無視しており、テクストにおける女性の位置づけも男性を助けるといった受動的なものになってしまっていると批判します。ポスト構造主義の議論では、テクストは既に読まれているのですが、Millerにとっては、女性のテクストは無視されてきた(読まれていない)ということになるそうです。Millerfemale authorの復権を主張します(作者といっても、かつてのような神のような作者ではないそうです)。そして、ポスト構造主義の男性的な間テクスト性の議論は女性のテクストの議論に拡張することはできないと考えているそうです。そして、作者の死も結局男性のテクストでの話であって、女性のテクストの議論には関係ないと考えているそうです。しかし、Millerのこういった議論にはいくつか問題があります。それらは、こういった一連の議論が間テクスト性の議論に具体的にどう関わるのか明確でない点と、Millerが批判していた男性主義的な概念を彼女も結局使わざるを得ない点、などです。女性作家と間テクスト性の関係を見ていくためには、バフチンの議論に戻る必要があるそうです。第3節は、バフチンの議論をもとにして、フェミニズムとポスト・コロニアリズムの間テクスト性の議論を見ていきます。Showalterによると、父権的伝統の外部にエクリチュール・フェミニヌなるものを探すことはあまり意味がないといいます。むしろ重要なことは、父権的伝統の中に女性のエクリチュールや女性の主体性を位置づけることであるとします。こういった一連の議論で重要になるのはバフチンのdouble-voiced duscourseで、父権的社会内での女性のエクリチュールの中に他者性を見出すことを可能にします。また、この概念により、純粋に他者となるようなエクリチュール・フェミニヌのような考え方も排除できることになります。ポスト・コロニアル作家にも同じことが適用できます。こういった作者の主体性は分裂しており、その発話は常にdouble-voiceになります。そして、言語そのものが異質の伝統の編み物となり、常にdouble-voicedあるいは間テクスト的になります。主体は、常にこういった異質のものから、その葛藤の中で作り上げられていくことになります。ポスト・コロニアル理論の中で提案された、間テクスト性に関係のある概念として、Signifying(g)speakerly textHenry Louis Gates, Jr.)が紹介されていました。ただ、バフチンによると、そもそもアイデンティティーなどの確立といったものは、常に他者の存在を必要とするそうです。この章は、総じて、伝統への関係という意味での間テクスト性がまとめられていたように思います。

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2007年5月 2日 (水)

2007年5月1日火曜日

ついに5月突入です。

今日の読み物:

ライアン,M.(2006).『可能世界・人工知能・物語理論』(岩松正洋(訳)).水声社.(原著は1991年出版)第12章(結論)

感想:この章では、虚構性を物語性に根ざすものと考えること、そして物語内容と物語言説の区別、の確認でした。物語論のTRWの事実には関心がなく、その事実がTAW及びそれを取りまく宇宙でどう表象されているかということに関心があるとのことです。物語内容/物語言説の区分の批判(カラー)に対する批判が結構面白かったです。これでこの本の本編は読み終わりました。

岩松正洋(2006).「詩学の言語使用論的問題-訳者あとがきにかえて」.In M.ライアン,『可能世界・人工知能・物語理論』(岩松正洋(訳))(pp. 485-514).水声社.(原著は1991年出版)

感想:この論文では、物語論の発展の中にライアンの議論が位置づけられています。まず、初期の物語論は記号学との関係で常に考えられてきたこと、記号学以降のものとして出てきたポスト構造主義は物語り理論にそれほど有益な知見をもとらすことを期待することはできないこと、を確認します。次に、トドロフとジュネットへの批判(ハロルド・ブルーム、原孝一郎、榊敦子の議論)を見ていきながら、その批判が論点のはずれたものであることを確認します。前者2人に関していくつか初歩的な問題点も挙げられていますが、重要な点として、内包された読者と生身の読者の混同が見られるとしています。また、榊敦子の議論に関しては、物語内容をシニフィエとしてではなく指示対象として理解しているという問題が指摘されていました。ただし、ジュネット自身もこの混同を自分の著作の中でしばしば行ってしまっているとのことですが。構造主義文学理論には言語使用論的側面(illocutionary actとでも言いましょうか)が含まれており、構造主義文学理論への批判はこの側面を見落としているとのことです(illocutionary actをperlocutionary actとみなす誤解と僕自身は読みました)。次に記号論以降の物語理論について素描されていました。従来の物語論は、物語を物語たらしめているものとして媒介性(語り手の存在)と筋(事象の存在)が挙げられていたのですが、現在の物語理論では経験性であるとか、虚構性といったものが重要な点として考えられているそうです。筋に関しては、ライアンは構成の問題としてそれを捉え、物語内容と物語り言説の両方に関わるものとして考えられています。ライアンは、研究の背景として、プラット、バーバラ・ハーンスタイン・スミスの文学行為論とパヴェルの虚構論の流れを汲んで研究をしているということも指摘されていました(ただし、ライアンとこれらの研究者との間には違いもあります)。ライアンの考えは特にポストリアリスト・フィクションに対して威力を発揮するそうです。ライアンは決定不能性がただのロマンティシズムに成り下がっていると考え、ポスト構造主義ではない方向で物語について研究をしているとのことです。近年の一連の研究はすべての言語を「ごっこ」とした上で、それに肯定的な枠組みを与えようとしているとのことでした。勉強になりました。構造主義批判については、僕自身気をつけなければならないといけないなと、いい注意書きにもなりました。これで、この本は読み終わりました。時間がかかりましたが、色々とえることができたと思います。

今日のエンターテイメント:

●同じ学部のドクターの方と昼食を眺めのいいInfo Labで摂りました。とてもいい風と景色を楽しみながら色々と話が聞けて楽しかったです。

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2007年5月 1日 (火)

2007年4月30日月曜日

今日は勉強はオフにして、少し精神の休養をはかることにしました。アサインメントを出して以来、結構缶詰で勉強していたこともあり、少し効率が落ち始めていたので。

今日の研究会:

Pragmatics and Stylistics Research Group: 「Tweaking transitivity: Functional Grammar Meets Cognitive Grammar: Stylistics is the Winner」

選択体系機能文法の「これでもか」というくらいのタイポロジー。質疑応答の時間では、文脈主義からの批判もありました。ただ、僕の感覚ではかなり詳細なタイポロジーであり、タイポロジーの精度としては高いものではないかなと感じました。

今日のエンターテイメント:

●エンターテイメントではなりませんが、フラットメイトが僕のフラットにおける一連の問題を原因として部屋を移ることになり、その引越しのお手伝いをしました。結構時間がかかりましたが、僕としてはいい気分転換になったと思います。夕焼けも見れたし。たまに夕方に散歩でもしてみようかなと思ったりもしました。その後、キャンパス内の最寄のハンバーガーショップにておごってもらい、帰宅。楽しかったです。

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